
もうずっと前の話ですが、当時自分は欧州と中東を毎週行き来する生活で、既に会社の財政は傾いており長期契約は殆どなく、行き当たりばったりのチャーターやら臨時便が増え、月極の仕事予定が何処どこで待機、と言うのが多く、実際は独国、ベルジャム辺りの宿で悶々と時が経つ毎日でした。
ベルジャムのリエージで仕事を終え、スケバン・リンダちゃんの旦那さん、男は黙ってオートバーンのジョージさんにパサートのヴァリアントでラクセンボーグの空港隣接ホテルまで送ってもらい、クルー・スケジュール(人呼んで、
”狂うスケジュール”)に電話を入れると、薬剤チャーターで明日、合衆国アラバマ州ハンツヴィルまで行ってくださいとの事。しかし晩秋のラクセンボーグは濃霧の毎日で中東からヒコーキ、戻ってきません。欧州のヒコーキは大概キャットIIIと言う装備、訓練、認定上で運行されていて、ほぼ視程ゼロでも自動着陸で定時運行するんですが、当時、倒産寸前の弊社ではそんな芸当も出来ず、ただひたすら視程の上がるのを待っている状態でと。。。
やっと来たヒコーキに積まれた荷物は99トン。最大離陸重量ギリギリでも燃料が足りず、途中ニューハンプシャー州のバンゴーで給油の飛行計画です。それじゃなくても長いお仕事、途中で給油が入ると厄介になります。。。
それにしてもハンツヴィルねえ、ぼくは育ちが東北でその後はずっと西海岸の人間だったので、合衆国の中南部って全くと言って良いほど知識が無く、当然行った事もない州も多く、ハンツヴィルってどこかいな? と調べると、製造業が盛んでメルセデスベンツの工場もアラバマにあるし、どうも軍事産業もえらい盛んな場所らしい事が判明。
考えてみたらハンツヴィルって、クライスラーの軍需部門があった所じゃないですか! と、言うよりクライスラーの電子技術部の総本山があった所です。
GM、スチュードベーカー、フォード、そしてクライスラー。 合衆国の自動車製造会社は昔から軍需部と深く関わりがあって、特にクライスラーは戦前から戦車、軍用車、武器、エンジン、はたまた誘導ミサイルから宇宙ロケットに渡るまでの軍需部門が1982年まで続きました。
その中でも電子開発・製造を受け持っていたハンツヴィル部門はヴィエトナム・朝鮮戦争が終わり軍需要が一段落すると、本家の自動車部門に対して複雑化する低公害技術やら自動車電子技術を一手に受け持ちます。グループ内にそう言った専門集団があると外注するより経費節約出来ますし、軍事と民生の多角需要で安定収入が期待されていました。
1970年代からのクライスラー系自動車の電装品、ラジオ、トリップコンピュータ、公害対策装置などは全て軍事技術を受け継いだハンツヴィルの開発製品です。
さすが、クライスラーは主流のGMやらフォードとは一癖二癖違う面白い装備を開発してましたが失敗も結構あって、この手の技術では早いうちに市場に出した希薄燃焼装置もその一部でした。
本体中央部が樹脂で出来ていて耐熱性に優れたいる(筈だった)画期的なカーター社のサーモクワッド気化器を基に、アイドル時16:1、中、高域では18:1の空燃比で回し、排気ガス還元、2次空気供給、触媒などの装置をもちいらず排気ガス浄化と燃費向上が実現すると謳われたのですが、その基本で、最高上死点前40度とか言う非凡の火花を飛ばす電子点火時期制御装置がエヤクリーナーの取り入れ口に取り付けられてたのが問題だったのか、熱と振動にやられハンダやら部品が壊れる事続出。1976年と1977年に散々叩かれ、1978年からは名称を希薄燃焼装置から電子点火装置に変更し、本格的な酸素センサーとフィードバック気化器を使い、次第に触媒やらも装備して厄介な事になります。その頂点は例のフーパー調のトランクを備えたインペリアルでしょうか。結局余りの故障の故、通常の気化器に戻すキットさえ製造側から供給され、燃料噴射装着が普及しだすとカーター社自体が消滅し、このクライスラーの希薄燃焼の試みは終わります。
されど振り返ってみれば、点火装置の総電子化はGMやフォードが導入するずっと前からクライスラーは採用しており、流石、ハンツヴィルの宇宙へロケットを飛ばす技術屋が作ってたんだなと、1人で合点してました。。。。
濃霧のラクセンボーグ。
ケータリング・トラックの運転台はメルセデス・アクトロスを真っ二つに割った形状が面白い。。。。
今では温度管理に敏感なお荷物は電子的に記録が残りますが、当時ぼくは非接触式の温度計で1時間おきに計測して記録を残してました。薬剤、生花、動物特に牛、は低温度要求されるので気を使います。
昔から非常に機密な技術も任されていた、クライスラーの軍需部門。
ハンツヴィルの製品
本体が樹脂で作られいたカーター社のサーモクワッド気化器。黒い部分がそれ。
悪名高きリーンバーンの点火時期制御装置。
そのリーンバーンを使っていたコードーバの屋根の選択。圧巻なのは上から三つ目のクラウン・パデッド・ルーフ。 我愛して止まないオペラ・ランプが何と横から屋根を通り越して向こう側まで連続して光ると言う尋常ではない装備。その上、同時にTートップも選べる。これに例のスエード調よりしっとり柔らかい真っ赤なコリンシアン・レザーなんかだったら、ぼくどうなっちゃったてタノか。。。。考えるだけで恐ろしい。。
全く関係のない話ですが、以前北太平洋を行き来していた時、この時期になると頻繁にオローラ・ボリアレスに遭遇します。これ、結構目障りでおまけに水平線に対して並行に光る訳じゃないので、夜、不意を突かれて外を見るとまるで自分自身が急旋回に陥った感覚になったりで、夜は矢張り静かな満点の星空の方が余程落ち着きます。不思議な事に日本の人にオローラ・ボリアレスの事を話すと、ほぼ100パーセントの確率で、皆、同じ言葉で、”それを見ると人生観が変わりましたか?” と、聞かれます。あれは何か学校で皆に教えられる事なのかしら。。。それとも映画やドラマの番組のセリフだったのかしら。。。。
冒頭画像のダッジ・セイントレジスはクライスラーの最後の本当のフルサイズ車。勿論リーンバーン機構付きで、たった3年間だけ、合計60,000台ちょっとしか製造されなかったクルマで、警察に大量に採用されたので電視番組では結構登場してました。特異な事に前照灯、透明樹脂製のカヴァーが付いており、スイッチをオンにすると電動で素早くさっと下方へ隠れるんですが、異形前照灯が認可されるまだ数年前、苦肉の策だったんでしょうね、同じ機構を最初に装備したのは同じく同系列、コードーバの兄弟車、ダッジ・マグナム。
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2020/02/18 09:45:10