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2022年10月08日 イイね!

ステーションワゴンの証明

ステーションワゴンの証明











ご存じ、ステーションワゴン形式の自動車は我が国では早くから普及しましたが、1980年代にミニヴァンと言う車格が登場した後は後退の一途を辿り、そうしたら30年後には今度はミニヴァンがハタと人気が無くなり、現在は今流行りのSUV車がその役割を担いでいるみたいです。

そもそもステーションワゴンと言うのは開拓時代、西へ西へと鉄道が敷かれ国が大きくなっていった頃、鉄道の駅の周辺に出来た街や村に駅から物資などを運ぶ貨客両用の馬車が最初だとされています。なので荷物も積めるし人も運べる。便利ですよね。



戦後あたりは一応ステーションワゴン形式の車両はありましたが、一般家庭に普及し出したのは1950年以降ですね。当時、世界大戦、韓国戦争などから帰ってきた兵隊さんが結婚、家庭を持ち子供が産まれてお家を買い、幸せな人生を築く、と理想像を描いた際、成長する子供を学校へ送迎したり、奥方が買い物に出たり、休暇の際は荷物を載せて遥か彼方まで噂に聞いていたグランドキャニオンとか、デズニーランド、そう言った有名地に何日もかけて繰り出す際に使われる、ステーションワゴンが浸透する様になったわけです。

各社、1980年頃まではステーションワゴンだけのキャタログを発行していて、シェヴォレイだったら、若い人ならヴェイガのスポーテイーな奴、普通の家族は中型シェヴェル、少し裕福な家族ならインパーラかカプリースのフルサイズ。モーモン教やら大家族なら商業ヴァンを乗用っぽく仕立てた奴か、トレーラ引いて旅に出る家族ならサバーバンと、各社同じような車格が決まってました。



子沢山の家庭ならGヴァンを乗用に飾ったスポートヴァンをどうぞ、と。でもこのG系のヴァンもサバーバンもトラックの骨組みですからこれで長距離の旅に出たり、毎日のお買い物なんかに使うと、乗り心地、取り回しなどで、チト辛い。燃費も一桁に近かったりで。。






大抵ステーションワゴンに装備されているルーフラックは飾りではなく、通常家族全員で長距離休暇で走る際、子供は最後部のサードシートに座らされ荷物を置く場所がなくなるので屋根にやれ自転車やら旅行カバンやら嵩張るものを載せる為にあったのでした。実際に最大積載量は何パウンドとか結構詳しい事が取扱説明書に記されます



一時は非常に大きな市場だったステーションワゴンが廃れ、代わりに普及したミニヴァンも今じゃ見かけなくなりと。。でも一時期はご婦人が乗り回すイメージのステーションワゴンも、若者向けもありますよ、と言った時期がありました。当然全く見向きもされず。



Aボデーはフレームにでんと車体が乗っているだけなので、前部クリップを変えればこんな物も作れちゃえますよ、と言うのがコレ。ちゃんとグランド・ナショナルの凄いエンジンが載っている。。。




豪華さ、大きさを競った乗用車とは一角を別にするステーションワゴン、結局はお財布の紐を握る、決定判断を主にする奥さんタイプは目が肥えてますから、製造各社、あれよこれよと発案して新機構を打ち出します。

その中でも面白かったのがテールゲートの開き方。テールゲートは横にドアとして開くタイプと、パタンと下に倒れる2種類があって、いずれも長所短所があるんですが、それを全て解決したのが2ウェイ・テールゲートです。これは開閉取ってによって、テールゲートが扉式に横に開いたり、パタンと下に倒れる両方をこなす魔術。実際、発明したフォード社はマジックドアゲートと呼んでいました。これさえあれば、車体後方に場所がなくてもテールゲートを倒せば物の出し入れができるし、サードシートに人を載せる際、横に開ければテールゲートを跨ぐ必要がなくなります。

1966年型から登場したこのマジック・ドアゲートはフォードの技術者、ドナルド・フレイさんの発明。彼は東独国レイプジックからの先祖を持つ独系人の技術者で、頭の回転は相当速かったそうで、金属工学の博士号を持ち、英語、ロシア語、フランス語を話し、彼はこのテールゲートの発明より、初代のフォード・マスタングの技術担当をリー・アイアコッカから頼まれ活躍した方が有名でした。(2010年没)

左がアイアコッカ氏、右がフレイ氏。


フレイ氏は晩年まで、オリジナルの1964年型マスタングを愛用していたそうです。


これが1966年に登場した、マジック・ドアゲート。




フォードの新発明に泡を喰った他社、クライスラーは多分特許料を払ったのか、1968年から同じ形式のテールゲートを採用します。例の後窓洗浄装置内蔵のテールゲートが表示されてます。


GMは翌年、1969年にフルサイズとミッドサイズに2ウェイテールゲートを装着します。GMの特徴はバンパの右側に切り欠きがあり、そこに足を掛ければ立ったままサードシートに潜り込めますと言う魂胆。実際殆ど役に立たなかったですが。







ですが、1971年にGMのフルサイズ車が大モデルチェンジをする際、今度は将軍様が他社に泡を吹かせます。新型のフルサイズステーションワゴンは何と、テールゲート自体が床下に消えると言う、名付けてグライドアウェイ・テールゲート。


電動式の後窓を上方、屋根後部に格納し、ノブを捻るとあら不思議、テールゲートを軽く押すとスルスルと床下へ格納されます。


テールゲート自体はスプリングでバランスを取ってあり女子供でも腕力いらず床下から入れたり出したり出来るんですが、欠点は床下に扉が入るのでサードシートを設ける場所がなくなります。しかしこれを逆転発想させ、今まで後ろ向きだったサードシートを前向きに変えて、乗り降りは二列目の座席一部を折りたたむ方法に変えました。後ろ向きのサードシートは乗り物酔いを誘発する弱点があり家族は皆長距離走行時に悩んでいましたが、前向きの座席でこの件は1発で解決。その上後車軸の上にサードシートが来るので高めの座高で前方見晴らしが良い上に、サードシート前向きに座った際の足元が広くなった点もセールスポイントでした。




そのステーションワゴン、ずっと長い間に使われていた荷室の単位に、4X8、フォー・バイ・エイト と言う言葉が以前は必ず出てきました。この4x8とは4フィート・バイ・8フィート。これは木製合板のサイズです。一番一般的で普及している合板がこれ。これがステーションワゴンに積めるか、積めないかが大きな話題になるのでした。乗用車に6人乗れるか、乗れないか、同じ様な感覚です。

この4X8は、木製の柱なら2x4、ツー・バイ・フォーと同じような意味です(でも2X4はインチ単位)。合板とは、薄く削いだ木の板を互い違いに繊維線をズラして強度を持たせ接着剤で張り合わせたもので、プライウッドとも呼ばれます。我が国では成人男性、女性、普通ちょっとした家の修理とかは大抵自分でする事が多く、4X8さえ一枚あれば、屋根の補修、壁の補修、犬小屋を作ったり2X4の木柱と2x8の木板さえあれば何でも作れちゃうと言う、ごく当たり前の物なのです。なので金物屋などに行けば莫大な種類の合板、木柱が揃えてあり、それを普通に家に持ち帰る際、ステーションワゴンに収まるかが大問題になるのです。

これは2X4の木柱。


4X8の合板。様々な種類が取り揃えられています。


屋根を貼ったり壁を作ったり、様々な用途に応える万能の合板プライウッド。一家に一枚?いや、長屋住まいの我が家には無いです。



木といえば、昔からあるモーガン・プラスも今だに木枠を使っている様子。。。


昔のDKWも車体一部、木製でしたっけ。戦前で西・東断絶する前の、東側の工場で作られた奴、後のトラヴァント工場。断面図、赤い部分が木製。



4X8が積めますか?


しつこい程、必ずこ4X8が引き合いに出されます。


ダウンサイズしてもちゃんと4X8が積めますと言う図。






米製ステーションワゴンが全て無くなった今日、最後に4X8の合板が載せられたのが、シェヴォレイ・カプリースのステーションワゴン。この図は樹脂製のハブキャップが付いているのでこの型初年度1991年型。コレ、形状が悪くすぐすっ飛んで無くしてしまうので、1992年型からは金属製の違う形状に変更。




PROコード、1A2を選ぶとフリート・警察仕様です。消費者向けでもエンジンコードLT1を選べば、基本的にコーヴェットと同じスモールブロック350CDIのV8を選択すれば凄い性能のステーションワゴンが選べられました。Bボデーを作っていたテキサス州・アーリントン工場がSUVとピックアップトラックに生産を移行した1996年が最後。残念無念。


ステーションワゴンに代わるミニヴァン、でも4X8の合板が平らに載せられる車両は意外と少なく、どうも幅より長さが問題になるようで。近年のクライスラーのミニヴァンはすっぽり入るそうで、あとは大型SUVなら何とかなるみたいです。

最近生産終了した元祖ミニヴァンのダッジ・キャラヴァン。


その後釜的地位のクライスラー・パシフィカもなんとか。


と言う事で、Never Give Up の叫びも虚しく、消えたステーションワゴンの証明は4x8の合板を積めるか、積めないかに関わってくるハナシ。

カドカワさん、しっかりしてよん。。。。


冒頭の写真はビュイック・リーガル・トアーX。米会社最後のステーションワゴン。と言っても中身はオペル・インシグニア・カウントリー・トアラー。当然独国オペル製の輸入車。2020年ビュイックが乗用車から撤退時に販売終了。たったの2年しか売らなかった。

人気沸騰のフォード・ブロンコ、同僚が2年前に発注した車両が漸く納車されました。幸いな事に2年前価格上昇前に契約したので、現在のような非現実的な販売価格にはならなかったとの事。


彼は古いマスタングやらオリジナルのブロンコを持っていて、そのブロンコが今年、ミュージック・ヴィデオに出るよ、と言っていたので、脇役でちょっと出てくるのかと思ひきや、主役でびっくり。

https://www.youtube.com/watch?v=bLzUmfLckEw


Posted at 2022/10/09 08:26:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2022年10月02日 イイね!

6人のカウボーイ

6人のカウボーイ







あっという間に10月です。

やっと日本政府の渡航規制が緩和されるので、今月末にほぼ3年ぶりに東京と沖縄です。と言っても観光に行く訳でもなく、色々用事を済ませるのが目的なので大忙しになりそうです。

那覇に帰るのは大抵遅い便で、何時も使う宿の交通の利便性が余り良くなく、チェックイン門限追う為、たまにタクシを使いますが、那覇市はタクシー料金が意外と安めなので助かります。タクシーに乗ると、運ちゃんとユンタクするのが樂しみで、相手も此方が観光客じゃ無いと分かると堰を切ったように色々な情報を教えてくれます。あの古いニッサン・クルーがバリバリの現役で走っているのも驚きですが矢張り、トヨタの(クラウン)コンフォートが評判いいですね。香港で何時もお世話になるこの箱型車(死語?)、数年前までロングホイールベースとショートホイールベース、長さが2種類あるのを知りませんでした。5人乗りと6人乗りの違いなんですね。

長胴と短胴、前照灯横の車幅灯の色がオレンジか透明かで判るらしい。。。





そう、一昔前までは前席ベンチシートってごく普通に見かけられ、お墓参りに家族で行った際、帰りのにわか雨でタクシーをやっと拾い前の座席にぎゅうぎゅう詰め込まれ電車の駅まで乗せていってもらったもんでした。そのベンチシート、最近北米でもめっきり見なくなったと思えば、今では殆ど全滅。昔の自動車は納車までの時間を覚悟すれば星の数ほどあるオプション注文装備を選べて自分だけの仕様を作る事は朝飯前だったのですが、現在それが出来るのはピックアップトラックやらの専門商業車だけになっちゃって、その ”職業車” でも近頃はベンチシートも既に選べず、その代わり、40/20/40 と呼ばれる、一応3人並んで乗れるセパレートシートしか選べません。この数字は座面の横幅の比率を意味していて、中央座席は普通、幅広の背もたれを前に倒し大きめの机、肘掛けなどに使い、3人乗せるときは背もたれを元に戻して座席として使うと言う物で、足を置く場所が必要になるので中央のフロアコンソールがありません。

最近のピックアップトラックは専門職仕様に限って3人、横に乗れる仕様が選べます。



でも殆どはこの状態で中央席倒して、2座で使われてます。



当時、6人乗りと言う言葉は大型車、または室内の広い車両だと言う事を意味してました。一般的に言って6座のベンチシート車はミッドサイズが最低限。だからコムパクト車が6人乗れると宣伝すると室内の広さ、結構説得力はあったみたいです。これはカワユイ初期型のフォード・ファルコン。



安くて6人乗りの大型車、でもミッドサイズのトリーノ。6人乗りが強調されてます



最後に6人乗りのセダーン車があったのが、2年前に生産終了されたシェヴォレイのフルサイズ車のインパーラ。でもその頃の6人乗り車にはベンチシートはもはや無く、スプリットシートとでも言いましょうか、上記のピックアップトラックと同じような形式で、一応中央席に座席ベルトはありますし、衝突時のエヤバッグ展開も配慮されて設計はされていますが、ぼくに言わせればありゃ余り6人乗りの資格はあったとは思えません。

ベンチシートと言えば矢張り廉価車に付いてたアレです。座面も背面も一体なので、ぼくのようなチビがペダルに足を合わせると横に乗る同乗者は膝が大変ですが(最近のペダルが電動で前後に調整できる車種はデージ具合がいい)それより一つ格の上がった、スプリットベンチシートはデカダン過ぎていけません。一時期はエヤバッグの装備義務でベンチシートが無くなったのかと思えばそうでもなく、今じゃ4人以上人を動かすならほぼ確実に小型の三列席のSUV車が使われるようです。なんか寂しい世の中ですなあ。。。

これですよ、コレ。背もたれと座面一体の。これが最後まで用意されたのは多分シェヴォレイのフルサイズだけだったんじゃ無いでしょうか。他社のフルサイズ車が廉価版を見捨てて豪華仕様に突っ走ったも、シェヴォレイは庶民仕様を忘れませんでした。でもフルサイズとなると廉価版でも結構な値段だったので、個人は豪華版、廉価版は社用車や公民需要が主でしたがね。宇宙船みたいなカッコになった1991年からはスプリットベンチシートとセパレートシートだけに。残念。



シェヴォレイのフルサイズも主役は豪華仕様に傾き、1987年から初めて、革座席表面のブロウハムが始まり、後扉の半分をランダウ・トップで飾る当時の流行りが現れてます。



GM内でも革内装って結構最近に始まった事で、シェヴォレイは特殊なコーヴェットに以前からありましたが、ピックアップトラックも革内装は90年代中旬から。今じゃ珍しくも何でもありませんが。



これが最後の6座車、2020年に生産終了したシェヴォレイ・インパーラ。



フォードは2011年に生産終了したクラウン・ヴィクトリアが最後。これでも前席3人分のシートベルトは装備。でも背もたれは肘掛けを大きくした程度で事実上、3人乗れたか乗れなかったかは。。。ちゃんとダッシュボードは下側が左右に平らで中央席の事を配慮してあります。



フォードもミッドサイズのタウラスとかフェアモントにも6人乗りベンチシート仕様はありましたが、フルサイズのLTDの方がこれを選ぶ人が遥かに多かったはずです。クラウン・ヴィクトリアはLTDの豪華仕様の名称で、1992年に流線形にモデルチェンジした後、LTDの名前が落とされ単に、フォード・クラウンヴィクトリアになりました。そのLTD、本当の背もたれと座面が一体のベンチシートが最後に選べたのは1981年まで。シェヴォレイより9年早くやめちゃった。



LTDのモニカーが落とされ、正式にクラウン・ヴィクトリアの名前になった流線形の新型クラウンヴィック。同じ時期に敵相手のシェヴォレイがカプリースを宇宙船みたいにしちゃったので、その反動でこの新しいオーヴァヘッド・キャムシャフトのV8エンジンに進化したクラウンヴィックはよく売れました。



背もたれ座面一体のベンチシートに変わって用意されたのがこの、フォードで言う ”フライト・ベンチシート” です。 座面は一体ですが、背もたれが分かれていて、注文すればリクラインできると言う物。スプリット・ベンチシートは座面が分かれているので運転者と同乗者の前後の位置が変えられますが、このフライト・ベンチシートはそれより格が一段下です。座面がくっついているから。フォードはこのフライト・ベンチシートがお好きで長い間使った名称でした。これは1987年式LTDのもの。おやっと思う程硬めの座席です。矢張りフォードは何時も欧州調。。



ベンチシートを用意するって言うのは結構大変な事で、エヤバッグの展開性能から座席取り付け側の構造とかややこしく、この90年代中盤のポンテイアック・ボンネヴィルなぞ、ダッシュボードが専用品でした。

セパレートシート仕様車。


ベンチシート仕様車。


コムパクトのシェヴォレイ・サイテーションは前輪駆動の故もあり、3座の前席にする事には実質的にも問題なかったはずですが、生涯2座で通しました。機構が全く同じで寸法的にもほぼ同じサイズのミッドサイズ車、セレブリティーだと6座で前席ベンチシートも3人掛けです。前席2座のサイテーションでも豪華版だと左右一体座面の間に樹脂製のもの置きが付きます。左右一体座面で背もたれだけが独立しているのもありました。しかしフロアシフトの手段変速機でもベンチって言うのは。。。





座席の間が分かれていると言えば、ウチで乗っていたホンダ・エレメントの後席はあれだけドンガラが大きくても何故か4座。それが輸出仕様はちゃんと後ろに3人乗れる5座でした。



後部荷室頭上に天窓があって座席を全てリクラインすれば大きな寝台になり夜空を見ながら寝るなんて、オツな芸当も出来ました。



6人は乗れませんでしたが、トヨータ・コローナも特にステーションワゴンは前席ベンチシートに人気がありました。


ビリー・クリスタルとメグ・ライアン


今日のオマケ、その一。通勤途中目撃した、1970年型ビュイック・リヴィエーラ。あのボートテールになる前夜ですが、それでも結構興奮します。確か標準でもエンジンはビッグブロックだった様な気が。。。



今日のオマケ、その二。日本の航空自衛隊のヒコーキが飛来。ウチと同じ、GE社のエンジン、CF–6-80を使っている模様。中を見たかった。。。



やっぱり3人掛けはカッコえ〜ですね〜。
Posted at 2022/10/03 14:54:48 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2022年09月24日 イイね!

プリアスの故障

プリアスの故障










数年前の話です。

我が家のプリアス1号車は2006年の初夏に来た個体で、輸入元は言わずと知れたサーヴコハワイ社、創業1919年、オアフ島北海岸はワイルアで日系のピーター・フクナガさんが自動車修理工場を買い取って始めたのが最初。今じゃ大会社。余り知られてない事に、何故か電気ギターで有名なフェンダー社もサーヴコの子会社です。



ホンダ・エレメントと引き換えに来たプリアスですが、747を飛ばしていた時は殆ど家に居なかったので、プリアスは空港の従業員駐車場でカヴァーをかけて惰眠するばかり。よって距離は全く増えずの状態が、7年間くらい続きました。

これは3年くらい前のある日。カイルーアに行った帰りにハテと計器盤を見ると一部の表示が消えています。ちょっと怖いのでエンジン止めず、と言うか電源切らないで家まで帰ると今度は電源が切れません。電源ボタンを何回か押しているとやっと電源が切れました。また補助バッテリーが弱っているのかと一応交換してみたのですが症状は同じです。調べてみればどうやら、この型のプリアスにはよくある症状で、なんでも計器盤裏の基盤にあるキャパシタの一つが不具合になるそうで、どうしたものかいなと調べて行く内、本土の会社が計器盤修理専門でプリアスのもやってくれるらしく、デーラーに出せば部品・工賃で15万円くらいの所、ここなら15,000円プラス送料出やってくれるとの事。交換するキャパシタは改良された物で修繕された部品は永久保証。自分で計器盤バラして計器の基盤を速達で送り、戻ってくるまで1週間。修繕された部品で元に戻すとバッチリです。10何年使って不具合のあったのはこれが初めてでした。

勇気が入りますが、この型のプリアスは意外と簡単に計器盤の脱着ができて、樹脂製の保持ピンも壊れず、ここまでバラすのにものの20分もかかりません。




計器盤の基盤もエヤバッグもここに付いています。


流石、電気仕かけの自動車。配線が綺麗。


これはエヤバッグ。幸いにもリコールの対象にはなっていません。


これが問題の計器盤。


この中のキャパシタの一つが壊れるらしい。古いプリアスの共通の弱点。


郵送で帰ってきた部品を組み付け、元に戻せば、ハイ、終わり。



ついでにと、本当は10年おきにせねばならぬ冷却水の交換も。ご存じ、合衆国仕様のこのプリアスにはタイガー魔法瓶製の冷却水蓄熱器が左バンパ内にあり、エンジンの冷却水とは別に、ハイブリッド側の独立した冷却系統の空気抜きをしなければならないのですがこれが、結構厄介で、配線をいじって電動冷却水ポムプを強制作動させ、結構時間がかかりました。勿論、普通なら各冷却系統に真空を掛けそこから注入します。



出てくる冷却水の量を測り、同じ量を戻す。。。





ここの所、三ヶ月ほどこのプリアスは運転してなかったのですが、燃料タンクに入ったままのギャソリンが気になり、今週から再稼働しています。今でも通勤ではリッターで25.5キロ走りますから凄いです。



以前、香港で家に帰る際、乗合バスを待っていたら、白いプリアスが15分おきに回ってくるんです。変だなと思ったら案の定、試験車でした。



後窓に貼られた日本の車庫証明のステッカーやら、本来ならこの車の後部ライセンスプレートは横長なのにこれは正方形。





香港、九龍、油麻池でプリアスが2台。


ウチの車は空港の従業員用駐車場で長期滞在いつもしていましたが、面白い事に、空港近辺の車道にも長期滞在車が、結構な数でいや滞在と言うより、放置されているのを見受けられます。ハワイと言う場所柄、やはり皆、安易な感覚で来て生活しようとする人達が多く、半年もすると、物価高、家賃高、文化の違いに馴染めず本土に戻っていく人たちが、逃げて行く飛行機に乗る際、空港近所の車道に使っていた自動車を捨てていくんです。

駐車違反の切符が束になっています。その内レッカー移動されて、持ち主に連絡がつかない場合は行政のオークションに掛けられ売却されます。




空港での変な車と言えば、以前、独國はフランクフォート・ハーンで見かけたVWのルーポ。地元、バーンキャステル・ウィトリッチの登録ですが、ふと見ると、何故かステアリングホイールが右側の英国仕様。この空港、アイルランドの格安航空会社ライアン・エヤの本拠地の一つで、多分、アイルランドから持ってきた車両か。TUVに合格する為に、当然前照灯など右側通行用に変えてあるんでしょうね。。。

Posted at 2022/09/25 17:33:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年08月29日 イイね!

夏の終わり

夏の終わり













あっと言う間に夏も過ぎ去ろうと、と言いかけましたが、当地ハワイは本土に比べると季節が一ヶ月遅れて来るので、夏特有の強い日差しと涼しい強風の貿易風はまだあと一ヶ月以上期待できます。

されど我が州の公民学校の新学期は殆ど8月初めから始まり、大学校なども8月半ばが新学期なので、毎朝の通勤時、高速道路の交通量が抜群に増え、それに伴い交通事故による渋滞も頻度を増します。



ハワイ州内で6月最初の週から始まる盆ダンスも今週が最後。レイバーデーの祝日と重ねて非公式夏の終わりの週末はオアフ島恒例のオキナワン・フェスティバルで締めくくられます。ハワイでの盆ダンスは歴史が古く、官公移民の時代からの物で、ハワイの他の例に漏れず、日系人だけではなく大規模農園の生活に根を下ろし、世界から集まってきた移民たちの間にも広がりました。

寺院は日本語学校やら、養老院を併設している所が多く、施設内は植民地農園時代を彷彿させる古い構造で、非常に雰囲気がいいですね。舞台の後に描かれた富士山が泣けます。


昨日のアイエア・ホングワンジ(本願寺をこう発音します)大盛況。


こちらは同じくアイエアの曹洞宗、太平寺、アイエアは精糖工場が昔あり、日系人が多数住んでいたので寺院が数軒あります。


櫓の紅白幕がナナメになっているのがかわゆい。。。。昔の香港、啓徳機場に降りる時のチェッカーボードを彷彿させます。


懐かしい啓徳、ぼくもこの着陸進入、何回か経験させてもらいました。



集団感染が広まってからこの盆ダンスは2年間、殆どキャンセルになり、今年が再稼働始めての年になりましたが、大きな寺院では未だキャンセルした所も多く、これは寺院の収入に直接影響するので可哀想です。

その夏の最中、今年は秋に行われる中間選挙の予備選挙も重なり、候補者が総出で毎週末盆ダンスの会場に繰り出し、団扇を配ったり握手をしたりと大忙しです。でも投票日が過ぎると、連中はパタっと盆ダンスに顔を出さなくなるのが苦笑ですが。。

みんなと混ざって庶民性を強調するのは副州知事候補のキース・アメミヤ氏。


結局副州知事候補はこちらのシルヴィア・ルーク女史が当選。


左の方が、次期州知事候補に当選した、ジョシュ・グリーン氏。先週末のコリアンフェスティバルにて。彼は現役の副知事及びお医者さんです。


投票は殆ど郵送で行われます。候補者からは毎週沢山の宣伝広告が郵送されてきます。投票日まで毎朝、道路の脇に看板持って手を振るのが日課。デージご苦労さんでした。


投票郵送期限を逃したので、特設された投票箱へ投函に。この投票箱から決められた半径以内では選挙活動を行ってはいけない規則になってます。


昔の製糖工場のお手洗い。これ、ぼくのハイスクールにもあって、昔は皆こうだったんですよと。足元の丸いバーを踏むと一斉に真ん中から水が出て、柱の中央には粉石鹸が入れてありとってを左右に動かすと粉石鹸が出る仕掛け。懐かしいなあ。。。


昔のハワイは砂糖産業が支配していましたが、州内の製糖産業は全て撤退。海外での低賃金に太刀打ちできなかったんですね。ぼくの住む街ワイパフも大型製糖工場の街でした。スーパーマーケットに行くと、何故かメキヒコ産のコカコーラが売られてます。値段が高いですが味が違うのです。どうしてかと言うとメキヒコ産のコカコーラは甘味料がきび砂糖を使っているのです。合衆国産のコカコーラは身体に良くないとされている高フルクトース・シロップを甘味料に使っています。因みにコカコーラもペプシコーラもアルミナム缶を含め、当地ハワイで製造しています。


これが最新のダットラ。でも販売台数はトヨータのタコーマに比べて微々たる数。


今では珍しい、当時、鳴り物入りで登場したHボデーのフルサイズ、80年代後半のオールズモビル・デルタ・88・ロイヤール。この頃になると88も98も限りなく装備品が似通ってきました。今となってはかなり小さく見えるのが悲しいかな。


おっ、ビュイック・グランドナショナル!


あっ、双子に遭遇。ウチのは左側でグレード違い。


えっ? 電気自動車として復活したミニモーク。町内軽便車として売られているので走れる場所が非常に限られる。。


我々住民は諸所の事情で、よっぽどの事が無いとワイキキーには近寄りません、たまーに用事で行ったヒルトンのラグーン。風景が新鮮。


集団感染が始まる前、日本から来た人達の結婚式、直前に予約を大量キャンセルして大問題になった結婚式場。建物は最近やっと結局完成した様ですが、この施設自体がすでに売りに出されていました。前を走るのは、トヨータ・コースター、えっ?


そうなんです、日本から持ってきた個体。日本の地方の消防車やら軽自動車やら、最近こう言うのが凄く多く輸入されて法外な値段がついています。でも持って来るのは簡単でも、前照灯は変えてないし、故障したら部品はおろか修理してくれる所も限られているし、後が大変でしょうね。。。


冒頭は大統領選挙に勝ったリチャード・ニクソン氏。でも彼は盆ダンスにはきっと出てこなかったでしょう。ジョウ・エンライ氏とお箸で会食したくらいかしら。。。。
Posted at 2022/08/30 14:41:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2022年07月23日 イイね!

給油、燃料、燃料タンク。

給油、燃料、燃料タンク。
















今年に入ってからの物価高騰には空いた口が塞がらない程で、スーパーマーケットの領収書を疑わんかとばかり凝視する事、数回。これじゃ当分引退できないですなあ〜

ぼくの通勤は片道10マイル程、16キロですかね。それに週末の走行を加えると大体3週間に一回の頻度で給油しています。プラグインハイブリッドのプリアスは平均燃費がリッターで34キロ程度は確実に走るのでフルタンクの航続距離は1,280キロって所か。燃料タンクの容量が11ギャロン強、記録を見ると去年までは一回の給油が$35くらいだったのに最近では$55にも跳ね上がり頭が痛いですが、これが今流行りのSUVやらなんだったらこの2倍や3倍になってた所ですから恐ろしいもんです。



以前の職業でヒコーキを飛ばしていた頃、燃料管理が重要でした。最大で200,000リッターのジェット燃料を7つのタンクに入れてあれこれ燃料弁を開けたり閉めたり順番に燃やしたりと、それに燃料重量の重さで離陸性能とか巡航高度とか計算機片手にタンタカ弾き出していたんですから今じゃ考えられませんね、そう、近代は電子制御でそれらは瞬時に行えます。その当時の癖でぼくは昔から燃費録やら整備記録を取るのが好きです。面白い事に、一般の人にあなたの自動車、燃費どのくらいですか?と聞くと、高い確率で戻ってくる回答は、給油が1週間に一回かな〜、$80もするわ、と答えます。1ギャロンで何マイル走るのかが燃費の目安になっているわけでなく、満タンでどのくらいの日数を走るのか、または給油額を燃費の目安にしている人が多数なのです。

我が家のプリアスが飲む燃料はレギュラー、ハイオクとは別にあるグレードで、エサノールフリーと言う、所謂エサノール・アルコホールが添加されてない奴です。現在一般のガソリンはトウモロコシやらが由来のエサノールが10パーセント程含まれていて環境に良く持続可能な燃料として政府が薦めていますが、何故かプリアスはエサノールが入ってないガソリンを好みます(燃費が向上する)ハワイ州は限られていますが、トウモロコシが産地のイリノイ州やらに行くとE85と言ってエサノールが85パーセント含まれている燃料が結構普及しているみたいですが、農家の穀物輸出収入とか燃料産業と政治の兼ね合いとかの問題があり、一筋縄には普及しないのが現状と聞いています

我が国、特に本土では、牛乳ひと瓶買いに行くのも自動車に乗って行かねばならない場所柄、当然ガソリン供給は生死に関わる事なのですが、1970年代に2回も遭った石油危機。


1978年にぼくがジュニアハイスクールの9年生だった頃、一夜でガソリンの1ギャロンが50セントから1ドル50セントに跳ね上がり、イチデージ。あの頃に比べて、今年のガソリン価格高騰は勿論話題にもなり政府に対する文句も沸騰していますが、1978年当時行われた給油規制、小型経済車へ一斉の買い替え、エコノミー・エコノミー、節油、などの声が聞こえないのが不思議です。

その第二次燃料危機の1978年頃からが日本からの輸入車が劇的に売れ出したのでした。勿論、1960年代に浸透し始めた代表的な小型車、VWのビートルに対抗するために出した各車種、GMならヴェイガ、フォードならピント。燃費を稼げる自動車は持っていたんですが、210ダットサンやら30カローラ、はたまたホンダ・シヴィックに比べたら話になりません。それ以上に差をつけようと日本勢各社、小型経済車に一層燃費が向上した独別車種を出します。それらは徹底的に装備品を省き、変速機を変更し、血の滲む、星一徹が設計指揮を執った如きの車種が用意されていました。これらは余りにも簡素で余程燃費向上に燃えていた家族以外は普及しなかったのですが、一番の特徴は、車両乾燥重量を減らすのにガソリンタンクの容量を減らしているのが目につきます。昔の骨格と車体が別々だった時代は、フレーム後部の空いた場所にガソリンタンクを適当に下ろして、あとは衝突実験とか公害対策で蒸発率の実験やらでそんなに問題にはならなかったんですが、モノコック・ボデーになり燃料タンクの場所・形状も車体と同時に開発する時代に入ると、燃料タンクの容量もテキトーな事言ってられる場合ではなくなりました。その上、車両検定に出す際の重量で法律上様々な定義され、税金、排気ガス規制などが絡んできますからそう簡単に燃料タンクの容量を変える事はできなくなります(以前書きましたがシェヴォレイのBIG10型ピックアップトラックはわざわざ重量を重くして排気ガス規制の緩い大型商業車の車格に押し上げ、触媒を使わずに済み、安い有鉛燃料を使えるようにしたケースもありました)

省燃費仕様のマズダ808、そのなもMIZER (MiserのSをZに変えた)飾り物が全く省かれている。


同様の経済・廉価版30カローラは2TC。幾ら軽量化されていても非力だったんだろうなあ。。。黄土色の室内、絨毯も省かれペラペラのヴァイナル敷きだった。。


ダットサンからニッサンへ移行時、余り売れなかった210(B210では無い)の燃費スペシャルの名前はズバリ、 ”MPG”  A14エンジンの排気弁の寸法が特殊で、渦流混合を発生する、とどっかで読んだ記憶が。。。うろ覚えですいません。


そのニッサンは省燃費仕様を結構最近まで設けていたとみましたが、ぼくの好きなB10サニー・セントらの省燃費仕様は本格的で、燃料タンクもこの手の軽量車としては余裕の13.2ギャロンから10.5ギャロンへ別物が装備されています。それ以上の燃費向上を望む人には、ジーゼル・エンジンも北米に持ってきていたんですから凄い!


燃料タンクの容量を減らし重量削って燃費を稼ぐのとは反対に、燃料タンクの容量を増やす例も余り知られていませんがありました。勿論、ピックアップトラックは昔から業務用途などの理由うで、二つ目の燃料タンクをオプションで用意に選べられましたが、乗用車の際、最初は技術的な理由からだったみたいです。


1979年にフォックス車台に大変更されたフォード・マスタング。標準の燃料タンク容量は11.5ギャロン。但し2300ccエンジンに冷房を付けたり3,300の6気筒エンジンかV8エンジンを選ぶとタンク容量は自動的に12.5ギャロンになります。それが1982年になると兄弟車のマーキュリー・カプリーと共に全車種共通の15.4ギャロンのタンクに変更されます。





同じフォックス車台でもセダーンのフェアモントは、標準が16ギャロン。でも初期生産分は14ギャロン、キャタログでは正式発表されたが本当に売られたかは判らない幻のターボチャージャ付きの2,300ccだと14.7ギャロンのタンク。実質上フェアモントの軽い焼き直しのLTD(フルサイズじゃ無いやつ)だと、標準タンクは16ギャロン、でも延長航続オプションで20ギャロンのタンクを選べました。

フェアモント自体は余り長続きせず、後に来たタウラスの超爆発的な人気の影に隠れがちですが、実際は無駄のない非常にクリーンなラインを持つ、フォード伝統の質実剛健を地で行く様な、真面目な実用車でした。昔の小型車、ファルコンの思想に近かった?でもフォードの悪い癖で、歳を重ねる事に消費者の志向でと次々と改悪され本来の思想が薄れていくのが残念でした。


タウラスが来るまでの数年間、急遽作って資金難を凌いだ、LTD。フェアモントの焼き直し。


その延長航続オプションはタウラスにも受け継がれ、標準は16ギャロン、延長版だと18.6ギャロンの燃料タンクを選べました。矢張り車種構成はスタンダード仕様が一番設計思想が分かり易く、魅力的に映ります。


タウラスの最廉価版はMT5と言って4気筒に手動5段変速機を組み合わせた、いわゆるフリート業務用車仕様。でも余りにもの非力で業販でもそっぽを向かれて殆ど売れなかったそうでした。


故障の百貨店と言われている、ヴォルクスワーゲンのB5パサーとの恐ろしや、W8エンジン搭載車。燃料容量が足りないので、トランク内のスペアタイヤの置き場に増槽タンクを設置。前と後ろ、燃料容量を測るセンサーが合計4個付いていて、エンジンにガソリンを供給する前のタンクの残存量が減るとセンサが感知して後ろのタンクのポンプを作動させる仕組み。当然壊れます。樹脂製のコネクタやらパイプを使いたがり、これらもボキッと折れます。




でも燃料タンクの量を増やした、極め付けの自動車は、そう、泣く子も黙る、ラリー・シノダさんが描いた2代目、C2コーヴェットです。この美しい後ろ姿。。(この写真は後窓が一体形なので1964年以降、と言うかC2の後期型ですね)


C2の ’ヴェット で何時も連想するのがリヴィエーラ。この前半分がヴィナル・トップになっているのが洒落ている上、上屋高半分の凄さらに強調してます。


そのモデルチェンジした1963年からのC2 ’ヴェット、標準の燃料タンクは20ギャロンなんですが、自動車競争を更に意識し出したC2から、競争用の本格的な特別装備を選べる、例のPROオプションが増え、その中でも本格的なPROコード、Z06と言うのが登場します。強化された足回りなど色々包括的に魅力的な装備が含まれているんですが、その中の一つが燃料タンクが何と、36.5ギャロンになっているんです。どうしてこんなタンクが必要だったかと申しますと、競争時、燃料切れでピットに戻ったりしていると時間を稼げないんですよね。長時間無補給で走り続け極力、停止時間を短縮しようと言う考えだったのです。後にPROコード、N03を選ぶと大容量タンクだけでも注文できて、実際、この装備を選んだ顧客は余りいなかったそうですが、今でも語種になる、別名、”タンカー” オプション。面白いですね。

C2 ’ヴェット、通常の後方荷室。


そこにこの大型燃料タンクを積みます。車体同様、確か樹脂強化繊維で作られていた。


タンカー仕様。


前後のロールセンターが描かれている図。燃料タンクは標準型。大型のタンクを積むと前後の重量配分が均等になるのがわかります。


C2の乗降扉は屋根まで食い込む、俗に言われる航空機型。ロチェスター気化器部門が開発したラムジェットインジェクション、燃料噴射装置も選べました。


ロチェスターの燃料噴射装置はほぼ完全に機械式。絞り弁手前に漏斗型のヴェンチュリを設けてそこから得た負荷を感知して噴射量を調整する仕組み。通常の機械式燃料ポムプの他に、デストリビュータから得た回転棒で回す小型高圧燃料ポムプが最高400PSIまで加圧し、燃料は所謂、垂れ流し噴射で各シリンダに噴射されます。機構自体はそれ程複雑では無い様に見えるんですが、整備性に問題があったらしく、普及せず。出だしの1957年頃、普通のシェヴォレイのセダーンにも装備されて、初めて1立方インチから1馬力を出せると話題になりました。




我が家が使っているガソリン販売店はユニオン76、昔で言うユノカル76。ユノカルとはユニオン・オイル・オブ・キャリフォーニアです。76はその会社を象徴するブランドで、オレンジ色のボールに76と書いたロゴが有名です。一時期ゴルフ球のそのユニオン76を描かれたボールを景品で配り、それを自動車のアンテナに付けるのが流行った事がありましたね。。76とは我が国建国の1776と、昔画期的だった76オクテーンのガソリンを引っ掛けたもの。


最近合併吸収されてユニオン76と同系列になった、以前は敵相手のフィリップス66。76とか66とか紛らわしいですが、フィリップスの66の由来は、昔、初めて彼らのガソリンで時速66マイルを出した場所が、有名な66号線だったので、とか、聞きました。


ラウト66は、昔、シカーゴからキャリフォーニアはサンタモニカまで続く、主幹道路です。その道にまつわる文化、物語、で有名になりました。その後全米高速道路網、インターステート・ハイウェイ・システムが出来てからは66号線は廃れましたが、未だに残っている場所では観光地化されてます。

そのラウト66と言う、二人の若者がC1コーヴェット(四つ目の後期型)に乗り旅するドラマ物が有名です。面白い事にラウト66は番組名だけであって、実際の脚本は別に66号線を走るものではありませんでした。


今日のオマケ。アラ・モアーナ港に掛かる橋の袂の落書き。釣りする坊や。これだけは消されてません。カワユイですなあ。


冒頭の図は燃料危機の時のテキサコの給油所。テキサコはテキサス・コーポレーションの略です。テキサス州は産油地として知られ、特にサンアントニオは油の街として有名です。ぼくらが子供の頃、テキサコと言えば地図でした。テキサコのギャスステーションに行けば、縦に折れる道路地図が各種置いてあって、無料で貰えたのが有名になって、それ自体がテキサコ・マップと呼ばれる様になり、それらを集め、遥か彼方の地に思いを馳せたものでした。。。。懐かしいなあ。。。
Posted at 2022/07/24 06:55:13 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記

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