ホノルルの東側、ダイアモンドヘッドの東麓の住宅街はカハーラ地区と申しまして、オアフ島内でも指折りの高級住宅街でございます。カハーラとはハワイ語でお魚のカンパチを意味します。カハーラは別に昔から裕福層が住んでいたわけでなく、オアフ島には珍しく平らな地形だったので養豚やらに使われいたのですが、大地主のビショップ女王が他界された後、ビショップ財団に地権が移り、1900年代になり平らな地形が住宅地に向いている事を誰かが発見し、現在の住宅街が成形されたのが歴史です。
朝のカハーラ地区。平たい地形が分かります。 上がダイアモンドヘッド。右上がワイキキー。
平らな地形なので内陸に入ると景色は見えないのですが、その代わりオアフ島に多い、もと ”植民地住宅” 風の建築と違い、最初から近代的で豪華な西洋式建築がゆったりとした道並みに並び、島の外から来た感じが醸しでる場所です。
そのカハーラ地区でも海岸線を跨いで走る、カハーラ通りは不動産価格が群を抜いて高価なので知られています。勿論自分の家の前に素晴らしい砂浜が広がりますからね。海外や米本土から来る富豪達はこの景色を持つ物件を一目見て、アリー、即購入さー!と行くのですが、現実はそう易しくはなく、海辺の物件は絶えず吹いてくる強い海風で建築構造の痛みの進行がハンパではなく、潮の高い日の浸水に悩まされ、台風が来ると大変な事になり、まあこう言った類の物件を考える人は別に銀行からローン組んで買う人は殆どいないでしょうが、ローンを組む際これらの危険性が加わるので利子が高くなるか、高額な保険を抱き合わせさせられるか、最初から条件ではローンを拒否される事があります。それに素晴らしい風景を手に入れたとしてもこの地、プライヴェート・ビーチを言う物自体が無く、いかなる海岸線・砂浜でも公共の出入りが出来なければならぬ、と言う法律があるので、20億のビーチフロントの豪邸手に入れても、家の砂浜に浮浪者が屯しても追い出せない事になります。先日日本の報道で有名人がハワイのホテルのプライヴェート・ビーチを満喫した、と書かれていましたが、正確な表現ではありません。
そのカハーラ通りの物件等、我が国では通常、著名人が高価物件を購入する際、実名で登録するのを非常に嫌がり、小さな会社を立てて企業名義にしたり、実際の持ち主が分からないよう登記する専門業者に頼んだり、あの手この手で手を打つのですが、面白い事に日本の購買層はまさにその逆で、自分名義で登記するだけではなく、有名人だと自分から媒体に出て自宅を紹介する例が結構あります。
そのカハーラ通りの西側を少し入った所に、”シャングリラ” と呼ばれる美術館があります。ここは素晴らしい豪華建築の中に、古い歴史代回教徒の美術品を展示する場所なのですが、実はこの建物、戦前に米東海岸の大富豪令嬢、ドリス・デユークが建てたお家なのです。
ドリス・デユークは当時、世界でで最も裕福な女性として有名でした。彼女の祖父母時代から主にタバコ産業、繊維産業、電力供給、教育機関に関わる家系の方で、バスケットボールなどえ非常に有名な ”デユーク・ユニヴァーシテイー” と言う大きな大学校がありますね、あの学校はデユーク一家に因んで付けられた学校です。
全米でも有名な名門校、デユーク・ユニヴァーシテイー。
大富豪の資産を受け継いだ、ドリス・デユーク女史。(1993年没)
その令嬢、ドリス・デユーク女史が最初の結婚した時、ハニムーンで世界中を旅して帰途に寄ったのがホノルルで、カハラ地区を大変気に入ったらしく、そこに建設したお家が現在のシャングリラで、これまた世界を旅した時に気に入った回教徒の美術品を集めてここに持っていたそうなんですね。
シャングリラを西側から望む。シャングリラに昔からあった船着場が地元民で人気の格好の泳ぎばだったんですが、死亡事故が何回もあって、近頃取り壊されると報道に出ていました。
そのドリス・デユーク女史に起きた、1966年の事件。
ドリス・デユーク女史とエデユアード・テイレラ氏。
彼女は世界中各地にお家を持っていましたが、その内の一つ、ロードアイランド州ニューポートの豪邸の、主に美術品の収集を管理していた若い男性、エデユアード・テイレラ氏が加州ハリウッドに転職するので、辞職を申し出た際、ドリス・デユーク女史と激しい口論・取っ組み合いになり、逃げる彼を追うように彼の乗ってきたレンタカア、1965年にヴァージル・エックスナーのデザインから離れ出したばっかりのモデルチェンジした、ダッジ・ポラーラのステイションワゴン、まあそのレンタカアにドリス・デユーク女史が飛び乗り彼を追いかけ轢いた後、邸宅の門柱に激突。テイレラ氏は死亡し、大富豪の殺人!と大見出しの新聞三面記事になったのですが、あれは事故だったんだ、と警察はそそくさ事件を片付けこの事件は闇に葬られたのでした。因みに後日、テイレラ氏の方とは示談補償が出たそうですが。。。。
この門柱に激突したんでしょうね。。。
ヴァージル・エックスナーが首になり、急遽デザインを宇宙的から直線多用の現代的に転身を図っていたクライスラー。
ドリス・デユーク女史はロードアイランドでの事故後、邸宅があった地元市政府に多額の寄付金を送り、その資金が使われた公共施設は血の金が使われたと批判的な声が随分あがたそうです。彼女の死後、遺産は一旦唯一の子供、養子に入れた女性、に渡るはずでしたが、この2人は仲違いがあったらしく随分揉めたようですが、結局示談成立したようで、後の資産ほとんどはチャリテイー団体運営になり、あちこちに慈善寄付するのが現在のドリス・デユーク団体の仕事です。
彼女の乗っていた実車たち。1979年型キャデラック・セヴィル。大富豪にしては中々渋い色ですね。多分自分で運転していたのかしら? 何年か前に競売に出てました。
1974年型メルセデス300SEL 4.5。おお、いいセンスですなあ。自分としてはこの4.5の方が、6.3より好きなんですよ。まさしく北米の需要の為に作られた、ドンピシャの自動車。これに軽量アルミナム製エンジンのM117でも積んだら凄い自動車になるんじゃないかしら。。彼女は余り特定の色には拘らなかったみたいですね。
1980年型ジャギュアXJS。もしかして6気筒だったりして?いや、大富豪なら12気筒?壊れる英国車、でもこの頃有名人はジャギュアって結構好んでいたみたいなんです。ブルー・グレーの浅い色、いいですね。
そう、あのフランク・シナトラも晩年にXJS乗ってました。正真正銘の12発!車輪は英国得意のワイヤ・ホイールに見えますが、これは標準のメッシュタイプをメッキした物。キンキラキンがパームスプリングの強い砂漠の日差しに映える?
そう、キャレン・カーペンターも1979年型XJSに乗ってましたね。自分のメルセデス450SLを修理に出していた時、お兄さんのXJSを借りたら気に入っちゃって自分のも買ったそうでした。エンジ色が女の子っぽいですね。ステキ。
ドリス・デユーク女史が使っていた飛行機。意外とこじんまりしたボーイング737型機で、運行はデユーク・ユニヴァーシテイー大学航空部に受託されていた模様。この機は一般航空会社で使われた事は一回も無く、いまだに個人専用機としてとこかで飛んでいます。
タバコに繊維産業。昔の米国で、特に東南部を話題にしたら、当時一般的だった、スレイヴ(奴隷)の売買・管理に白人の大企業が多く関わっていた事はすぐ分かると思います。特にコットン、綿ですね、それを利用して作られたジーンズの生産は、米東部、特に南北キャロライナ州が有名で、リーヴァイスとかラングラーとかが頭に浮かびます。
ノースキャロライナ州出身の競争自動車の運転で有名な、デール・アーンハートさん、場所柄に主なスポンサーはジーンズのラングラーでしたしね。でも今じゃ他の産業と同じで、こう言った人件費のかかる産業はメキヒコやら海外に移っちゃって、それでもまだノースキャロライナで生産されているジーンズになると、高価な特別価格になったりするのが近頃の状況みたいです。
ノースキャロライナと繊維産業(と、昔の雇用文化)は切っても切れない仲。
ラングラー・ジーンズは以前ポト・リコ工場から自社のジーンズを運ぶための専用航空会社を持っていました。使われたいたのは世にも珍しいキャナデアCL44と言うターボプロップ機。キャナダの工場で、英国製ブリストル・ブリタニア旅客機のお尻が折れるようにガバッと開いて、長丈物やらの貨物の搭載を容易に改造されたもの。エラく運転が難しかったらしい。。。
よくぞまあこんな事、考えついたと思ってたら、過去には数件、似たような方式があったみたいですね。しかしC L44....これはフライング・タイガー・ライン社。
何を隠そう、以前働いていた会社でも飛ばしてました。名古屋はセントレアからボーイングの工場まで部品を運ぶ、ドリーム・リフター機。
衛星を使って現在位置を測定するGPS。今ではこの装置を使ってない産業はない程普及していますが、その世界一大手のガーミン社。この社名のガーミンは、創業者2人の名前を合わせて作られた造語で、その創業者とは電気技術者のギャリー・ビューレル氏(2019年没)と、台灣から来て米国の大学に留学した後、米国国務省にも雇われた経験のある技術者、ミン・カオ(高 民環)氏。GaryのGarとMinを合わせてGarMin、それでGarminと言う社名になった訳です。そのカオ氏の長男がケネス・カオ氏、若き彼はハリウッドで影視のプロデユーサーをやっているそうですが、このケネス・カオ氏の奥さんが、日本の女優、ジェシカ・道端さんだそうです。ケネスさんはカハラ通りを上がった崖っぷちの物件を購入改築、これまた日本の媒体で紹介されたそうですが、結構うるさい交通量の多い場所だったりします。。。
GPSの会社、ガーミンの創業者、Gary Burrell氏とMin Kao氏。2人合わせてヤンマーじゃなくて、Garminだ〜。
小型機の世界ではガーミンは圧倒的なシェアを誇っています。GPSだけではなく、総合的な航空機の計器盤全てを供給。
カハーラ地区、赤い印がドリス・デユーク女史のシャングリラ博物館。左側、ダイアモンドヘッドの麓がケニス・カオ氏の住宅、断崖絶壁。
交通量が多い。この右側にある碑はあの女性飛行家、アメリヤ・イヤハートさんが初めてハワイから米西海岸まで飛んだ時のもの。
冒頭に書いた様に、海辺の物件はよほどの理由がない限り、お勧めはしないんです。借りた方が余程得ですので。例のコニシキさんの豪邸も去年でしたか、売れちゃいましたね。彼を知っている友人にその後、どこにお家買って移ったの?って聞いたら、彼は日本に引き上げちゃったそうです。。。
