
毎年この時期になると、地元のチェイン・レストラン、ジッピーズでは期間限定特別メニューで、ガーリック味噌チキンなる物を提供し、それがぼくの好物でありまして、宣伝が始まるといてもたってもいられず、昨日金曜日の夜、仕事の後、ようやく食事が店内で食べられるようになった店舗を探して行き、家族はガーリック・味噌チキン、ぼくはガーリック・味噌サーモン・カツなる夕飯を頂き、しばしの禁断症状を抑えることができました。
ジッピーズはL&Lと共にここ地元ハワイでは地元の絶大なる人気の食堂で、創業はフランシスとチャールズ比嘉兄弟で、当然ウチナンチュのビジネスですから我が家ではいつも応援している訳であります。
今では安い動物肉の部類に入る鶏ですが、ジッピーズなどが始まるちょっと前の1960年代初め、欧州はまだ戦争から立ち直れておらず、鶏は非常に高価な食べ物でした。それに目をつけた我が国は欧州へ格安鶏肉を輸出し始め膨大な利益を上げると、当然、連中から不当に安い値段での鶏肉販売だと文句がつきました。喧々轟々の喧嘩の後、欧州は合衆国産の鶏肉の輸入税を上げ、応戦する形で当時ケネディ大統領が暗殺された後に就任したジョンソンは合衆国に入るじゃが芋のスターチ、ブランデー、などの課税を引き上げるのですが、その項目の中に何故か小さなトラックの完成車両の輸入税が25%に引き上げる案が入っていました。コレは当時、丁度独国はヴォルクスワーゲンが合衆国に爆発的に普及する前夜でそのラインアップの中にタイプ2の小型トラックがあり、この当時の合衆国には現存しない新種の貨物自動車が普及するのをデトロイトが恐れており、その上1964年の大統領選挙に落選するのを懸念していたジョンソン大統領は莫大なる影響力のある自動車組み立て労働者組合の票取りご機嫌を取ろうとこの増税案に署名をしました。
その煽りを受け、ヴォルクスワーゲンはタイプ2の貨物車の合衆国への輸出を止めたんですが、同じ北米でもお隣のキャナダはその鶏税と関係の無い話だったので、結構最近までキャナダにはヴォルクスワーゲンのトラックがあり、そのお古がたまに合衆国へ流れ出ると大変な高価で取引されます。
VWはペンシルヴェニア州ウエストモーランド工場が稼働していた頃、ピックアップ版も生産していました。当然輸入車ではなかったので25%の鶏税とは無関係。。。このラビットのピックアップは今では希少価値高く特にジーゼル版は高値が付きます
1960年代、合衆国ではまだ日本製の自動車など殆ど走っておらず、輸入車と言えば欧州製の方がまだいくらか見かける程度でデトロイトは無敵の進路を謳歌していた頃、アジア製の初期車両で一番マシだったのがダットサンのピックアップでしょうか、トヨータはまだハイラックスを出す前で、スタウトを数台売っていたくらいで、三菱、マズダ、ホンダが四輪車を本格的に合衆国に出すずっと前の話です。
1970年代になると25%の高課税でそそくさ小型貨物車の輸出を諦めたヴォルクスワーゲンの代わりのダットサン・トラックが、特に西海岸で一定の市民権を得ると、トヨータも漸く本気でハイラックスを開発(開発・製造は日野自動車)、輸入を始めるのですが、どうにもこの、後を引く25%の鶏税が悩みのタネになります。そこでトヨータは南キャリフォーニアはロングビーチにピックアップの組み立て工場を1972年に建設し、日本からベアシャーシの状態で合衆国へ送り、ロングビーチで荷台を取り付け完成車として売れば、完成車にしかかからないこの鶏税を免れる得策に出ます。
ここに目を付けた各社、丁度将軍様と提携を交わしたいすゞはファスターをシェヴォレイ・ラヴと言う名で売ってもらう契約に漕ぎ着け同じく未完成で輸出を始め、フォードもマズダと一緒にB1600トラックをフォード・クーリヤとして合衆国で荷台をくくり付け売り出します。個人的には小型貨物車は、ダットサンが圧倒的なシェアを得ていたのの、それは1970年代後半までで、1980年代になると今度はトヨータの方に人気が移ります。しかし政府も黙ってはおれず、この未完成車で鶏税を掻い潜るのを1980年代前半で一旦禁止にさせ、LUVとクーリヤの代わりに将軍様は自分で小型貨物車のS10ピクアップを、福徳汽車はレンジャー・ピックアップを市場に出します。LUVはLOVEと語呂合わせでLightUtilityVehicleの略だそうですが、高級仕様にミカド(帝)ってーのがあったのが面白かったです。
スバルはブラットと言うピックアップ・トラックの荷台にジャムプシートを括り付け、こりゃトラックじゃないさ〜、乗用車だと説得し25%の輸入税を逃れ、トヨータもダットサンも合衆国に後に製造工場を建設し、輸入車ではなくなりこの鶏税を逃れます。
でも例外もありまして、三菱と提携していたクライスラーは、三菱製のピックアップトラックをキャプテイヴインポートとして、プリムス・アロー・ピックアップと、ダッジD50として持ってきてはいたのですが、完成車としての輸入で、鶏税の餌食になっていた(と察します)。まあ、そんなに数の売れてる車種ではありませんでしたから。三菱は後日、レイダーと言うピックアップトラックを3年間だけ売った事がありますが、あれはミシガン製のダッジ・ダコータの焼き直しでした。
この鶏税、本来の目的はとっくのとうに役目は終わって、オバーマ大統領は断続的に廃止しようとしていたんですが、トランプ大統領は即、その意向を退け、よって鶏税は今でも継続。
その後、1980年代には鈴木のサムライが、自動車か、貨物車か、日産のテラーノ、いすゞのトルーパーが自動車か、貨物車かで何回か裁判沙汰になりますが、近年では左官屋さんや大工さんに大評判の小型貨物車のフォード・トランジット・コネクトやらクライスラー系のラム・プロマスター・シテイーが槍玉に上がり、ターキーやらスペイン製のこの輸入車は後部ガラスに座席が付いた乗用形態で輸入され、その後座席を外し窓にメクラ蓋を嵌めて貨物車として売ると言うケッタイな事になり、メルセデスのスプリンター・ヴァンなどは、デユッセルドーフの工場で組み立て終了後一旦エンジンと駆動系が外され木箱に入れ、サウスキャロライナ州のチャールストン港に水揚げされ19マイル離れた内地にある、メルセデスの傘下のウエスターンスターのトラック工場に持ち込まれ、4時間弱の時間をかけて再組み立てが行われ、晴れて完成車として1日に70台程度が1週間で5日の割当で出荷されてました(その費用だけでも十万円はくだらないそうな)。その後アマゾンやらの小口配達が爆発的に広がり大口契約を貰ったメルセデスはやっとスプリンターの製造工場を建設し、近頃のスプリンターは正真正銘合衆国製になりました。
ちなみにトヨータの南キャリフォーニア、ロングビーチの工場、正式名称、TABC トヨータ・オート・ボデー・キャリフォーニア、は合衆国に出来たトヨータ最初の工場で、現在でもタコーマやらカローラの部品を作っています。
と言う訳で色々苦労して25%の鶏税を避ける各社でしたが、皮肉な事に、1980年代日本車が我が国に溢れ出すと日本製乗用車の自主輸出制限が始まり、コレには貨物車は含まれていなかったので、自動車で送ると税金は安いが球数に制限が出て、貨物車で送ればナンボ送っても良いのですがその代わりに25%の高税がかかると言う二重苦に悩まされ、なら、限られた数の自動車なら高利益の車種を送った方が儲かると言うので始まったのが高級ブランドのレクサス、インフィニティ(と実現しなかったマズダのアマーテイ)なんですが、その話はまたいずれかに。。。
大統領と言えば、選挙も目の前に迫り、今週、郵送投票紙が郵便で来ました。
冒頭画像は北米、キャナダ仕様のヴォルクスワーゲン・トランスポーターのピックアップトラック。合衆国では売られなかった。。。
Posted at 2020/10/11 18:19:22 | |
トラックバック(0) | 日記