まあ、疫病の影響も多大にあったでしょうが、今年は多くの方々があっちの世界へ行っちゃいました。今朝の知らせはイタリア産まれでフランスに帰化したデザイナーのピエー・カーデイン氏。98歳だったそうです。
彼の名前を聞いてすぐ思い起こすのはアメリカン・モーターズの高性能車、ジャヴェリンの内装を手がけた事です。その後流行る自動車の装飾を有名なデザイナーに任せる、今で言うデザイナー・カーの最初がこのジャヴェリンでした。座席に大胆なストライプが左右上下にズンと入っていて初めて見た人は驚いた事でしょう。機構自体は非常に古い車台を焼き直してやりくりしていたAMCはこう言った事で新鮮さを補充したかったのか。カーデイン氏も試作車を見にケノーシャまで行ったのかな?ウィスコンシン名物のチーズでも食べながらあーしろ、こーしろって注文つけてたんじゃないかと。。。AMCは次に大衆コムパクト車、ホーネットのステーションワゴンの1972年と1973年型にイタリヤはトスカニー出身のデザイナー、グッチオ・グッチに内装をしてもらい、これがまたド派手でそのパターン、色使い共に今でも新鮮に見えます。そしてAMCがルノーに乗っ取られるまでの間は、フランスから米合衆国へ逃げてきたロシア人、オレグ・カッシーニに内装をやってもらいました。
この、”知られざるマッスル・カー” のジャヴェリンは一時期、架装会社のカーマン社の独國工場でも生産されてました。
ホーネット・スポータバウトのグッチ仕様。2年間限定、5000台強が世に出ました。
その内装が凄い。。。
マタドー・クープのカッシーニ仕様。
マタドーには特別なバーセローナ仕様って言うのもあり、クープから始まり後にセダーンにも選べました。このマタドー・クープは異様に低く幅が広く、実物を見るとたじろぎます。
カッシーニ氏ご満悦。
将軍様は1973年型オールズモビル・NinetyEight・リージェンシーにオールズモビル創立75年記念車を出しますがその内装細部に宝石屋のテイファニーの名の付いた時計やらイグニッションの鍵を付けたのが将軍様が外部有名デザイナーを起用した最初の例かもしれません。73年型の前部バンパはしなる鋼板で衝撃吸収可能になってます。
オールズモビルの次は1978年型のキャデラック・セヴィルをグッチに託します。このグッチ・セヴィルは正式なキャタログ・モデルなんですが、架装はフロリダ州マイアミにあった、英国の企業、インターナショナル・オートモテイヴ・デザイン、通称IADの手に依って改装され、天井が剥がされキャデラックと名の付くエムブレムは全て外され、その代わりにフローレンスのグッチとくどいほどにエンブレムが嵌められ、トランクにピッタリ収まるカバン類まで含まれ、数は少ないですが、安定した台数が ”生産” され、セヴィルが1980年にモデルチェンジしてからも暫くは続きました。余談ですがこのIAD社は産業デザインを幅広く手がけるデザイン企業で、自動車などの試作・開発・生産も得意とし、東洋工業からの受託で、初代マズダ・ミアータMX5の試作開発時、RX7の車台に323のパワートレインをくっつけて走らせたのも、このIAD社でした。残念なことにその後この会社は経営不振に陥り、韓国の大字に買い取られたそうです。。。
天井が凄い。。
パデット屋根、ちゃんとメッキの帯が左右を繋ぐ。これにオペラ・ランプがあったら。。。。
フーパーテールのセヴィルにも続きます。屋根のパデット部が随分前まで伸びています。
グッチと共に、カーデイン氏は、ダウンサイズされたEボデーになった前輪駆動のキャデラック・エルドラードに手を加えて、その名もキャデラック・エルドラード・ピエー・カーデイン・エヴォルーション1ってのを出します。これはエルドラードの前後を伸ばして、内装を総手縫いの皮張りにして、計器盤を木製の枠にしたり、音響装置を最新型にしたりして売り出します。その数、200台、300台とも言われてますが、現実的には20台が作られたら多い方との噂で、でもたまに売り物が出てます。悲しい事にこう言った手作りの革張り内装ってーのは耐久試験など全くやってませんから、数年経つと垂れ下がったりひび割れたり変色したりで悲壮な様になりがちで、生き残った個体も哀れな形相なのが殆ど。。。なんか80年台のマゼラーテイもそうでしたね。。。
この派手なエヴォルーションとは別に、キャタログに載らなかった、キャデラックのピエー・カーデイン仕様も数年あったらしいです。。。
デイアボーンでは、んじゃリンカンを数名の著名人にいじってもらおうと始めたのがその後大ヒットする、1975年のリンカン・マークIVから始まった、デザイナー・シリーズです。カーテイエ、ビル・ブラス、プッチ、ジーヴェンシーと揃い、ありきたりの装飾に飽きた富裕層に大いに受けます。
リンカンの、デザイナー・シリーズの始まり。アイアコッカ氏がさぞ喜んだと。
デザイナー、一挙に集めて喧嘩なんかしなかったのかしら、いや、各自の仕様を作ったんだから、誰の仕様が一番売れるかなんて会話していたのかも。
リンカンも今じゃくだらない多目的車SUV製造会社に落ちた。。。過去の権威も栄光もあったもんじゃない。涙。
マークIVは巨大化しすぎて、このマークVがバランスが取れて好きでした。でもたったの3年しか作られず、フォックス車台へダウンサイズ化されバランス崩れたマークVIになってしまう。。。。
日本では流行る考え方が違うのか、ゴルフ選手のジャック・ニクラウス仕様やらが有名ですが、赤塗りの百恵ちゃん仕様も泣けますな。。。
ピエー・カーデイン氏。日誌をめくれば1996年らしきある日、東京でお仕事を一旦終え、次は南韓国の鳥山へヒコーキを取りに行かねばならず、成田から金浦機場まで移動する際、JASと言う航空会社の切符を買ってくれました。そのDC10はピーターパンの漫画胴体に描かれ、まるで幼稚園バスの気分でしたが、このJASと言う航空会社、どうやら昔の東亜国内航空だそうで、なぜか記念品にボールペンを頂いたのですが、その樹脂製のお世辞にもジョートーとは言えない贈答品、クリップにはピエー・カーデインと記されています。恐ろしい事にこのボールペン、まだ家にありました。しかも、インクが切れていない!
追伸:2年間だけあったAMCホーネットのグッチ仕様はステーションワゴン版、彼らが言うスポータバウトでして、このホーネット・シリーズは後にファーガソン・駆動のトランスファーケースを得て我が国最初の乗用四輪駆動車、その名もイーグル、として、4扉セダーン、2扉セダーン、3扉ハッチバックとこのステーションワゴン形態で活躍し、ステーションワゴン版は1987年まで製造されます。最終型はリミテッドと言ってクライスラー系のベイジュか赤かなんかの柔らかい皮張りで、まあ、ジープ・ワゴニヤの弟版みたいでした。そのイーグル、ごくわずかの間だけ、ジーゼル版が作られたんです。AMCの本社から受託され実際に試作・製造したのは、キャリフォーニア州サンファーナンドのスペシャライズド・オートモテイヴ・エンジニアリングと言う小さな会社で、使われたエンジンはイタリヤは今で言うMVモトーリのHR692HTと呼ばれる3,600cc6気筒エンジンで過給機を使い150馬力を発生します。ただしこのエンジン、非常に重たく燃費向上をあまり期待できず、結局生産されたのが20台と言われてますが、実際には8台程度だったと言うのがホントの話だそうです。このジーゼル四輪駆動のイーグルにグッチの内装移植したらそれこそ凄い万能車ができそうな感じが。。。。と。ああ、いけない。助けて、ももえちゃん。。

Posted at 2020/12/30 17:03:36 | |
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