オアフ島の北端に位置するカフーク地区は以前は島内を走る汽車の終点駅があり、製糖工場があり、ここからパイナップルなんかも出荷していましたが、今ではゴルフ場やらの観光地化して、お隣にあるライエ村はモーモン教の運営する大学、ブリガムヤング大学があり、同じくモーモン教が運営する観光施設、ポリネジアン・文化センターがあります。カフーク地区は幹線道路から海まで平たく、戦時中は爆撃機の滑走路があったり、それより前は戦前、初めてハワイから無線で米本土まで連絡した、イタリヤのマーコーニの送信所などがありましたが、現在はゴルフ場と連結する大きなホテルがあります。以前はタートルベイ・ヒルトンと言われていましたが、今は別会社がタートルベイリゾートと言う名称で運営していますが、去年の改築でグッと豪華になり、何せオアフ島の繁華街から遠い事もあって一般観光客さんらが余り来ないのでぼくら地元民はリラックス出来る、少ない場所です。
その宿に隣接する馬場で見かけた古いトラクタ。フォードの8N型ですね、戦前からありますがこれは多分戦後型。
フラットヘッドの四気筒エンジンで(フラットヘッドとは吸排気弁など全てがシリンダブロックにあり、シリンダヘッドはただの燃焼室と点火栓の穴があるだけ)2,000ccだったかしら。
昔のエンジンは殆どフラットヘッドだった。これはシリンダ側。吸排気弁がシリンダ・ブロックから生えている。
シリンダヘッドは燃焼室と点火栓の穴だけ。
凄い低圧縮比でどんな燃料でも使え、パワーテイクオフで動力源を取り出せで脱穀機やら灌漑水のポンプを回したり、それまでは皆、人力か、馬や牛の力を使っていたんですから、当時としては画期的な発明だったんですね。
このフォードは古いながら中々興味深い技術が見られ、ボルトの脱着で前車軸の間隔を狭めたり広めたり調整できたり、駆動輪の後輪は車輪が左右ひっくり返しても装着できて、車輪のリムがオフセットしてあるので、こちらも轍の幅を変えられたりと。
エアクリーナの手前にガラスのコップが付いていて、こりゃなんだろ。
これはサイクロン・プリ・エアクリーナと言うらしく、農地を耕すと凄い埃やらチリの中を運転しますね、するとエアクリーナは直ぐ詰まります。んで、このサイクロン。ガラスの瓶の上にラッパ状の物に何やら傾斜を切った沢山のルーヴァーがずらっと全円状に付いています。空気を吸うとこの斜めに切った沢山の羽のお陰で空気が渦巻き状に螺旋吸入され、チリ、ゴミ、枯れて飛んだ稲の葉っぱとか重たい異物は螺旋状に回る空気の中で遠心力で外側に飛ばされ下のガラスのコップに落ちると言う仕掛け。異物の取れた空気だけがその後エアクリーナに送られ目詰まりを遅らせる、おお、中々良い仕掛けじゃと。ジョートーね。ふむふむ。
この8Nトラクタは赤色でしたが、その後、フォードのトラクタと言えば青色に塗られて有名でした。
しばらくフォードのトラクタなんて聞かないなと思っていたら、案の定、農業機部門は数回売却の目に遭い、ニューホーランド社に買われたと思ったらそのニューホーランドが現在はフィアット農業部に買収されてフォードの名前は消えたとか。
これはニューホーランド時代に作られたフォードNシリーズの復興版。
ニューホーランドと言うのですから当然、ホーランドからの移民ですね、ペンシルヴェニア・ダッチと呼ばれて米北東部、特にペンシルヴェニア州東部に移民してきたので、今でもペンシルヴェニア・ダッチと言われ観光名所なんかにもなってます。ニューホーランド・トラクタ社も本社はペンシルヴァニア州のニューホランドと言う街で、丁度、ハリスバーグとフィラデルフィアの中間に位置します。ペンシルヴァニア・ダッチと言えばアップルパイなどが有名ですが、それを提供するアンナ・ミラーズと言うレストランが何故か我が家の近くのパールリッジ商業施設の隣りにあります。米本土は加州から来たチェイン・レストランですが、不思議な事に現在残っているのはここ、オアフ島の一軒と日本にある店舗だけだそうです。
今日のオマケ画像、その一。
フォード・サンダーバード。復活しても僅か、余り評判良くなかった。今見ると低くて格好悪くはないんですがね。。。
オマケその二。1966年辺りのダッジ・チャージャー。
オマケ、その三。退社後、郵便取りに行くと下校時間帯で必ず出会すスクールバスは老舗のブルーバード社製。生徒が乗り降りする際はこの様な止まれ!のサインが出て対向車線も必ず停止せねばなりません。スクールバスは連邦法で細部の仕様が厳しく定められています。

Posted at 2022/05/06 16:28:27 | |
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