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2023年01月01日 イイね!

ミニヴァンの普及、奈落、その1。

ミニヴァンの普及、奈落、その1。









一昔前、保守派が幅を効かせる我が国の典型的な家族像としては、子供が2人、郊外に家があって芝生と白い木柵の庭、バーベキューセット。会社員の旦那さんは2座軽量車かなんかで通勤して、家に残る奥さんは必ずと言って良い程、ステーションワゴンを運転して買い物やら子供の送迎に使うのが一般的、かつ理想像にされていた時代がありました。

1963年のフォード。昔はステーションワゴンには専用のフルラインアップのキャタログがありました。ファルコンより大きいのはギャラクシー、その上はエコノラインのフルサイズ・ヴァンと、ちゃんと格が決まっていたのはGMも同じ。




1968年のシェヴォレイのGヴァン。家族生活を思わせるより、商業で多人数を送迎する、って感じですね。背後の小型ビジネスジェット機は初期型のノースアメリカン・セイバーライナー。ミズーリ州セントルイスで製造されていました。その手前の小型機はたった135機しか製造されなかった、世にも珍しいマイヤーズ200と言う単発軽飛行機。セーバーライナーもこのマイヤーズ社もこの頃にロッコウェル社に買収されたので、何となく納得。因みに1967年のジェームズ・ボンド 007、スパイは2度死ぬに出てくる、ショーン・コネリーが日本人に扮し、1960年代の日本で活躍するフィルム、その中で架空の会社、大里化学の社有機が墜落する場面、あれもこのマイヤーズ200で撮影。


縦書きの大里の文字がかわゆい。連中は オ・サ・ト と呼んでいましたが。この場面、実際の撮影場所は英国。



変化が見られるようになったのが、1960年ですかね。ヴィエトナム戦争、人種差別撤退の公民権運動、男女平等権、無限に続くかの様に信じられていたアメリカン・ドリームが揺らぎ始めたのはこの時期じゃないかと思います。

電視の番組は勿論スポンサーの考え方も多大に影響がありますが、当時の世相を結構正直に反映した物が見受けられたのが興味深いところです。その中でもドラマに登場する主人公が配偶者を失っているケースが、60年代からの保守派の時代に結構見受けられて、例えば田舎の保安官のお話のアンデイー・グリフィス・ショーは子供1人置いて奥さんが他界した想定ですし、イルカのフリッパーは奥さんを亡くして子供を2人育てるお父さん、と言う設定でしたし、あのデイヴィッド・キャシデイーで大ヒットしたパートリッジ・ファミリーも主演を演じるシャーリー・ジョーンズも未亡人役だったし、同時期のザ・ドリスデイ・ショーも主人公は2人の子連れの未亡人でした。1970年代に入れば大ヒットしたブレイデイ・バンチになると妻に先立たれた子供とお父さんの家族と、旦那に先立たれた娘とお母さんの家族が一緒に住みだすと言う壮大な構想でした。

田舎の保安官と友人の朗らかな生活を描いた、アンデイー・グリフィス・ショー。子供役はロン・ハワード。こう言うお父さん1人の役には必ず老婦人がサポート役で出てきますね。薬師丸ひろこちゃんの探偵物語のお手伝いさんみたいに。


そのロン・ハワードはアメリカン・グラフィーテイーで1958年型のシェヴォレイ・インパーラを駆るハイスクール卒業生役を演じます。ぼくの大好きな影視の一つです。左はシトロエン2CVに乗る若き、カートくん役を演じるリチャード・ドライファス。


1958年型インパーラも活躍しますが、カートくんの2CVも負けたもんじゃない。


イルカのフリッパー。確か協賛はフォードで、国立公園を管轄するお父さんは政府所有のフォードFトラックのキャンパー仕様だったと思います。


パートリッジ・ファミリーのオンボロ・バスは1957年のシェヴォレイ・シャーシ。主役のデイヴィッド・キャシデイー、筋書きのお母さん役が彼の実際の義理の母、シャーリー・ジョーンズで、その事を知らされてなかったデイヴィッドは、初日に撮影所で母親に遭遇し、ここで何してるんだい?と聞き、真相を聞き仰天したとか。シャーリー・ジョーンズの旦那のジャック・キャシデイーはこの、テイーン・アイドルだった長男デイヴィッドと仲が良くなく可哀想でした。ジャック・キャシデイーは1976年に、コロンボのエピソード、2回目の出演後、自宅の火事で49歳の若さで他界。デイヴィッドはラスヴェイガスで長らくショーをやっていた後、アル中・肝臓疾患で数年前、67歳で帰らぬ人に。


あのバスは今、何処。ところで番組ではシャーリー・ジョーンズもデイヴィッドもこのバス、平気で運転するんですが、当時の加州でバスの運転免許、彼らちゃんと合法だったのかしら?


珍しく3人揃って笑顔の図。シャーリー・ジョーンズ、旦那のジャック・キャシデイーとデイヴィッド・キャシデイー。


ドリス・デイ・ショーはクライスラーがスポンサーだったのかしら。このドラマ、人気だったんですが、シーズン別にあらすじ、出演者がコロコロ変わっていき、新しいシーズンが始まると以前と全く話が変わっていて付いて行くのにナンギしました。はい、2人の息子を抱える未亡人が東海岸からサンフランシスコに移ってきたと言う想定です。




ドリス・デイが颯爽と走り去るのは、1969年型プリムス・バラクーダのコンヴァーチブル。


ブレイデイ・バンチ、奥さんはプリムス・サテライトのステーションワゴン、建築家の旦那さんはいつもダッジかシェヴォレイのコンヴァーチブル。コレ、ロスアンジェリースと言う、暖かい所の設定だったから選べた車種だったのかも。


そう言った昔とは変化しつつある米社会も、以前は見向きもされなかった小型車と言う業界に、ヴォルクスワーゲン・ビートルと言う、到底米大陸には不向きとされていた自動車がじわじわと増殖し出し、遂に大手の自動車会社も怯えるシェアを取得するのに対抗し、三大自動車製造会社は急いで小型車を作りますが、今まで得意でなかった小さな自動車です、開発、販売、に手こずり失敗また失敗。日本車勢に危機を感じる20年前の話です。

その頃、ビートルに散々ニガ汁吸わされていた各社、VWがビートルの背後で売りまくっていたタイプ2、此方では一般的にタイプ2を ”バス” と呼びます(VWが始めた呼び名)に目をつけます。

ビートル程ではないにしろ、タイプ2のバスの販売台数も無視出来ない状態に。。
隣で羨ましそうな顔しているのは、1970年型のAMCレベル。このラジエータグリルはこの年だけ、次の年から前後がガラッと変わるマタドーに変わります。


役員らは小型化されたフルサイズのヴァンを ”ガレージアブル”  (車庫に入る) サイズと呼び始め、フルサイズのヴァンの背丈を低くして、一般家庭の車庫に収まる事を想定した車種を考えます。その中でも一番意欲的だったのがフォードで、アイデイアを推していたのが紛れもなく、あの、リー・アイアコッカ氏でした。その小型ヴァンの開発は ”キャロウセル計画” と命名され、余り仲ののよくないヘンリー・フォード2世にもこの案は気に入られ、あれこれ試作車を出している内に例の、第一次石油危機が訪れ開発は中断されます。

フルサイズのヴァンの高さを低くしたり、小型車の背を高くしたり、試行錯誤のフォード、キャロウセル計画の試作車。右から3人目がアイアコッカ氏。


これは1975年にモデルチェンジするEシリーズ(フォードのフルサイズ・ヴァンの名称)の全高を低くした試作車。かなり生産直前まで行ったそうです。






その後、アイアコッカ氏はフォード2世から仲違いの上、突如クビになり、間髪入れずクライスラーに移籍し、歴史に記される倒産寸前から奇跡のVの字復帰するのは有名ですが、クライスラーも実は同じような小型ヴァンを1970年代に企んではいたのですが、資金難などで断念していたんです。そこにフォードで小型ヴァンのキャロウセル・計画を勧めていたアイアコッカが移ってきたんですから話が進のに時間はかかりませんでした。そして登場したのが、コードネームT115こと、ダッジ・キャラヴァン及びプリムス・ヴォイジャー。



当時、国内産で当たり前のフルサイズ・ヴァンの下のクラスはフルサイズのステーションワゴンになるので、車体の寸法自体はフルサイズ・ヴァンより遥かに小さく、室内容量はフルサイズのステーションワゴンより遥かに大きいミニヴァンが爆発的な人気を博したのは盲点を見事に突いたと同時に、それを政府からの低金利借金で作った、Kカーの車台を応用したんですから、経理部から見れば夢の様な話です。

不思議な事に、フルサイズ・ステーションワゴンの必須条件の横4フィート、縦8フィートの合板は、クライスラーのミニヴァンには長丈版でも初期型には積めませんでした。横幅はいいんですが、長さが足りず。商業用の派生車、後扉はハッチバック式と2扉式が選べました。




1985年と1986年だけにあった、前席ベンチシート仕様8人乗り。ベンチシートが40/60の割合で個別に前後移動と傾斜調整が出来、40側が運転者、60側に乗員2人乗ると言う仕組み。殆ど誰も注文しなかった極めて珍しい仕様。


GM, フォードも追従を掛け、様々な車種のミニヴァンが出回った1990年代、住宅街の代名詞の様なミニヴァン。一度はアイアコッカに構想をクライスラーに持ち逃げされたフォードは、小型ピックアップトラックのレンジャーを元に当時凝っていた流線形を持ち入りアエロスターを出します。コレ、運転するとピックアップトラックそのもの、室内は狭く作りも雑で、買い手は政府系の企業が多かったみたいです。次世代のウインドスターにモデルチェンジしても、フォードご自慢の市場調査で左側スライド・ドアは顧客は誰も欲しがらないと頑なに設計変更を拒み、左側運転台の扉の幅を広げただけで済ませ、左側にもスライデイング・ドアを設けたのは1999年になってから。クライスラーは両側スライデイング・ドアを1996年から揃えてました。

流線形のアエロスター・企画。


生産型のアエロスター。実際の方が格好、よくない。


GMはお馴染みアストロで対抗。こちらもアエロスターと同じく新型小型ピックアップトラックのS10の車台の上に架装したもの。クライスラーみたいな乗用車感覚はないですが、その代わり牽引、商業版の搭載量や堅牢性では上を行き、マーケティングも上手だったお陰でT115とは違った分野で成功し、長期間生産されます。ぼくの想像ではS10ピックアップと同様、藤沢のいすゞが開発に結構関与していた様な気がしてなりません。



つずく。。。
Posted at 2023/01/02 18:42:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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