
キャプテイヴ・インポート、古くからはビュイックが60年代から売っていたオペル・カデットなんかもありましたが、スチュードベーカー屋で売っていたメルセデス・ベンツなどは例外としますと、当時一番力を入れていたのはクライスラー系だったと思います。
時代は60年代後半、ヴィエトナム戦争が泥沼化し、麻薬やらウーマン・リブやらがまだ始まる前ですね。石油ショックはまだ数年先でしたが、GMはコーヴェア、ノーヴァ、フォードはファルコン、AMCはホーネット(そうです、あの頃はまだ我が国に大自動車会社が4っつあったのでした)を作り、利益は薄いものの激変の70年代を予想させていました。
クライスラーは当時、欧州クライスラーを傘下に持っていたので大きめのエンジンに改装したシムカ1204のセダン2扉、4扉、ステーションワゴンを持って来ます。品質、耐久性、整備性の問題、それに安全基準法と排気ガス規制で1972年には諦めます。このクルマ、自分は乗った事なかったのですが、典型的なフランス実用車で欧州での評判はよかったのですが、あのずんぐりむっくりした形を1972年式のオールズ・トロナードなどの横に停められたら人民の評判がどうなったのか、想像易い事だったと思います。
次に考えたのは、これも欧州クライスラー・ルーツ系のヒルマン・アヴェンジャー、2扉4扉セダンとステーションワゴン、をプリムス・クリケットを改名して71年から売り出しました。(シムカは名前を変えずシムカとして売ってました) このイギリス車はもう、品質管理の担当者が逃げ出したくなる程壊れ、と言うか、最初から設計の欠陥、輸出先の事情に応えられず悲壮の一言で、73年にはシムカと同じ様な口実で輸入が途絶えます。
やらしい事にクライスラー・キャナダは70年代中盤までダッジ・コルトをクリケットと言って売っていました。混同します。
このフランス車、英国車の苦い経験を味わっていた時、一筋の明るい光が雨雲の空から見えて来あのが三菱自工との提携でした。71年と言えば日本車の高品質と言う伝統が確率するずっと前の話です。クライスラー側も慎重に物事を運んでいたと察します。それが、です。導入されたコルト車は全くと言って良い程壊れない。部品の品質が高い。桁外れの燃費の良さ。スタイリッシュな様相。それに一番肝心の仕入れ値が安い。メトリック規格の工具など見たこともないデイーラー整備の連中にも評判が良い。為替の危機が一時期ありましたが、その後、30数年に助け、助けられの三菱自工とクライスラーの関係が続いたのでした。。。。。
厳密に言えば1971年、クライスラーのお店に行けば英国、フランス、日本製の自動車購買選択ができた訳ですね。
2017年、米国トヨタの販売店に行けば日本製、北米製(メキシコを含む)、トルコ製、フランス製の完成車両が売られているのとはチト訳が違いますが。。。
三菱自工のクライスラー車は時代を通して、三菱製だぞ、日本製だぞ、と主張する広告を続けたのも他社と違っていましたね。車両の名前を”サッポロ”と名付けたり、広告に”高性能”と漢字で堂々と出したり。逆に米国で作られて米国が故郷なんだぞ、と逆の事をしていたのがアメホンなるアメリカン・ホンダ、ケンタッキーのトヨタです。今の世代、トヨーラ、ハンダ、ニーサンが日本の企業と信じる人の比率は昔に比べると低くなっていると思います。
鳴り物入りで建設した三菱のイリノイ州・ブルーミングトンの工場も今は閉鎖され、クライスラーと三菱は長い期間を経て離婚になり、肝心の三菱自工は堕ちに堕ちて今や日産自動車の傘下となり、それでも時代は前進します。
むかし相模原上溝にあったキャタピラー三菱工場敷地内の三菱・クライスラーの品質管理周回テストコース、今、どうなっちゃったのかしら。。。。
Posted at 2017/12/31 04:44:29 | |
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