
一昨日は満月でした。
砂漠で見る満月は素晴らしいです。印象に残っているのは。。。
キャリフォーニア州モハーヴィ砂漠、ゆっくり登る満月をモハーヴィ町の安宿から見下ろした。。今は亡き父と棒状アイスクリームをかじり心地よい初夏の熱風を感じながら。。。
サウジアラビアに通ってた時、イジプトから紅海を過ぎると目的地ジェッダに向けて降下を始めるんですけれど、4000メートルくらいまで降りると、上る湿度と同時に紅海の匂いが始まります。ジェッダの灯りが見え始める時ふと東の空を見れば真っ赤く大きな満月が砂漠から徐々に登ってくる。。。そして宿に着けば月明かりの道を同僚とシュワーマとその場で絞ってくれる果物ジュースを食べに出るのでした。
マーシャル諸島のマジューロで、時差ボケ故寝れず宿から出て浜辺を歩けば、昼間の余韻か、弱い貿易風で揺れる椰子の木の木陰が青白い砂浜にくっきり影を作りゆっくり揺れる波の間に。。。
映画 ”カサブランカ” の一場面。
ルノー署長がリックに聞きます。”なぜ砂漠なんかに来たのかね?”
リック曰く ”健康の為だよ、水がいいんだ、ここは”
ルノー署長 ”水? なんの水? ここは砂漠のど真ん中だよ”
リック ”そう、誰もその事、先に言ってくれなかったんだよな〜”
例の同僚が借りている工房主から伝言があり、ホンダの二輪、もう一台レストアしない?安く譲るよとの事で、見に行ってきました。
80年代に売っていたホンダ・パスポートC70、要するにホンダのスーパーカブです。ここで注意しなければならにのは、一時期ホンダ ・パスポートと言う名前はインディアナ州で作られていた、いすゞ・ロデオのホンダ 版に同名を使っていた事で、ホンダ ・パスポートと検索すると大概四輪のSUV車が該当します。本命のホンダ ・スーパーカブは80年代中盤で輸入が終わり、その後は全く合衆国にはきてません。
この1983年型、腐食が殆ど無くメッキもまだ再生できそうで部品も安く手に入るし、ぼくも以前カブに沢山乗っていたので欲しいんですが、書類が無い事、欠品がかなりある事、それと時間掛けてレストアしてもこ奴は市場相場が余り高く無いんですね。ダックスやらモンキーなら別の話何ですが。。
一応否定も肯定もしないで見るだけにしておきました。(驚いた事にタイヤにまだ空気が入っていた)
例の1955年型クライスラー・ニューヨーカーが場所作りの為、外へ引き出されていました。
1954年式のニューヨーカーはあの、俳優・富豪・実業家・記録挑戦のパイロット で有名だったハワード・ヒューズが自分で乗ってたと言われます。
当時彼は自家用車を数台保持していたそうですが、その頃既に航空機事故の怪我が原因とされる心の障害が始まってたとかで、彼はまずバイ菌や細菌を非常に恐れ、所持していた車両には全て巨大なる細菌除去装置を組み込み車内へは外気を導入しない為完全密封し、開く窓は運転席側だけで、同時期に所有していた1953年型のビュイックになると別系統の24V電気系統を持ち空気浄化装置やらエヤコン、はたまた航空機地上電源としても使えたとか。。。
彼の人生末期は想像を絶する非日常的な行動で、金に任せて窓外の景色が気に食わないのでそこにあったホテルを買い取ったり、次から次へとラスヴェイガスだけでもホテルを何軒買い取ったか。。。
ハワード・ヒューズはロスアンジェリース国際空港とお隣のマリーナ・デル・レイの間にある土地を買取、コルヴァー・シテイーと命名し、崖下の平地に長い滑走路を作り、そこの大工場で軍事産業に関わる航空機などを作っていました。そう昔では無い頃に滑走路はオフィス街・住宅地になりましたが、巨大な格納庫、当時の事務所棟などは未だ残っています。卵型の小型ヘリポクター、ヒューズ500ってのがありますよね、あれは最初、ここで開発され製造されました。
左がロスアンジェリース国際空港、右がマリーナ・デル・レイ。中央がヒューズ航空機の工場・滑走路跡。
そのハワード・ヒューズが作った世界最大の飛行艇、通称スプルース・グース。長い間ロスアンジェリースはロングビーチに展示されてあったんですが、ぼくの働いていた会社のカイチョーさんが突如、買う!と言い出し、ぼくはそのプロジェクトでちょっとお手伝いしてた事がありました。。。今でもオレゴン州の博物館に展示されています。
写真はプロジェクト・リーダーだったキャロル・ジャーネガン女史との記念写真。1993年。

Posted at 2018/05/02 03:14:00 | |
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