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JetBoyのブログ一覧

2019年03月24日 イイね!

プジョーが街にやってくる。

プジョーが街にやってくる。合衆国へのプジョーの輸入は他のフランス車より遥かに長く続き、最後の年が1991年、でも売れ残りが1993年までさばかれましたが、その後何度もプジョーの北米での復活の噂がたてば消え、たてば消えが何回もありましたが、今年に入ってまた、プジョーが戻ってくる、でもちょっと先の2026年のハナシ、と話題になりましたが余り信憑性はないものの、一応本社の発表なのでまんざらでも無いようです。

80年代、シカーゴのフランス車修理工場で丁稚奉公みたいな事をしていた自分は、ルノーやシトロエンほどではないにせよ、プジョーには矢張り特別な感情を持っています。1970年代は見ると非常に地味ですが、乗るとその乗り心地におったまげる504が年に7,000台程度売れていて、その後に来た505も一応車種を増やし8人乗りのファミリアールやら、ターボ付きやら後輪が固定車軸の廉価版、のちに405と努力はしていたんでしょうが、採算合わなかったんでしょうね。

初めて乗った504のブレーク、工場の裏側に入る道の舗装工事いつの間にやら終わったと思っていたら、まだ穴ぼこだらけでこれはプジョーのサスペンションの仕業だと悟った時の衝撃はいまだに覚えています。セダーンより遥かに全長が長いブレークは後車軸に何とコイルスプリング片側二個ずつ、計4個で吊り下がっていてそのストロークの長さが尋常ではないんです。なにせペイロードが半トン強ですからヘコタレナイのは当然何ですが、かと言って空荷での乗り心地の柔らかさは背の高い細めのタイヤと自重で沈む座席のクッションとも合間って数分運転すればギョッとする事請け合い。工場に出入りしていたセダーンの一台はエンジンを505のターボチャージ付きのXD2Sに換えてあり素早やい走りでした。ジーゼルはジーゼルで騒音は大きい、力は無いと、欠点だらけの様にシロートは思うでしょうが、付き合ってみるとこれが実にいいんですよね。。。。


604は初期型と後期型、両方お客さんが持ち込んでいたのでガソリンとジーゼル、両方いじりましたけど、505程魅力的ではなかったです。室内の造りがチャチで、内装をバラスト樹脂の爪が必ずと言っていい程折れ、上手く組直せてもあちこちから軋り音が絶えず、座席も表面の革がちょっと硬くて505程身体が沈まなく、ミシェリン発明のTRXタイヤを履いた奴は妙に足の裏が硬くしっくりこない座席の特徴を強調しました。その上このTRXタイヤは交換時に価格がべらぼうに高いのと、もち病で専用の軽合金車輪のキャストが悪くタイヤが空気漏れを起こすのは同じタイヤを使っていたルノー・フエーゴ、R5ターボも同様で、普通の軽合金車輪に交換して要らなくなったTRXタイヤと車輪が工場の隅に山の様に積まれていましたっけ。

505ターボに搭載されていたXD2S整備訓練資料の1ページから。シリンダヘッド、ブロックとも過給機の無い普通のXD2とはほぼ別物で熱処理、耐久性に気を配っていた様です。相変わらずファンベルトは全部だ大小含めて7本。内側の一本が飛ぶと前の六本全て外さねばならず厄介なもんでした。ターボ用は潤滑油のオイルクーラ付き。



504には殆どジーゼルのXD90と言う古いジーゼルが載っていて、XD2との大きな違いはXD90はウェットライナー式エンジンだった事。オーヴァーホールも容易でした。燃料噴射はRoto-CAVのポンプで、噴射時期の調整はポンプ本体の瞽葢を外してインデックスマークを合わせたと記憶しています。。専用工具なして。対してボッシュの分配型もメルセデスの並列型もいじるのには専用工具が要りました。


ヴァーモント州の山奥に、もとオハイオ州の老大学教授がプジョーの部品の総本山をやっていて、文字どうり山の頂上一角に部品取りのプジョーが所狭し陣取っていて、以前、彼の収集する全国各地のプジョーの陸送を何回か頼まれてした事がありました。一応何処でも無銭で飛べたのと、何日もかかって回送してくる車両の運転手が認定整備士、それもプジョーの、だと便利だったからみたいです。


プジョー505の内装はフランスはボードー出身の有名なデザイナー、ポール・ブラックー(Paul Bracq)のデザインです。彼は70年代のBMW5シリーズやら3シリーズでも有名ですが、60年代のメルセデスも代表作の一つでした。505の計器板の助手席側の棚、深く広い物入れなどは彼の特徴でした。


仕事でベルジャムかどっかで初めて206を借りた時、乗り心地の悪さにあっと驚いたものでした。プジョーは皆、504や初期型の505みたいにクネクネしているもんだと思い込んでいたからです。この手の経済小型車で同時期にオペルのコーサ、ルノー・クリオ、VWポロと随分借りましたけど、一番のお気に入りはルノーのツインゴでした。


プジョーのコマーシャル。ヘリポクターからの空撮で、砂漠の真ん中をプジョーのコンヴァーチブルが気持ちよく輪を描いて走り回っています。次第にキャメラは自動車に近ずいていて遂に走り回っていた車両が止まり運転手にクローズアップすると、運転していたのは盲目の故レイ
チャールズ氏で、黒眼鏡と満面の笑顔で一言、”どっかに送って行ってあげましょうか?” と。。。。。笑。


そのレイ・チャールズ、日本では運転させてもらえなかったと見て、ホンダ・シヴィックの後席で唄うだけ。。。


合衆国でのプジョー505のコマーシャル。505が窓を突きやっぶってベッドの上に着地します。ナレーション曰く、”フランス人が得意なのはベッドの上だけと思い込んでいるアナタ、ぜひ一度プジョー505をお試しを” このコマーシャル、結構保守派宗教団体から文句が来たそうです。


504、505、604は全て、基本的には廉価版を除いてセムアイ・トレーリングアーム式のリヤサスペンションでトランスミッションとリヤのでファレンシャルギヤをぶっといトークチューブで繋げてあり、トランスミッションを下ろす際、リヤでファレンシャルを確か4本のボルトでフレーム側に固定してあるのでそれらを緩め全体を後ろ側に少しずらし、現れた隙間からドライヴシャフトを緩め前後長いユニット一緒に下ろしてました。以外と簡単、でもトークチューブが結構重い。。


丁稚奉公していた工場のオーナーの奥さんはぼくのユダヤ人の母親みたいな人だったんですが、癌に倒れ帰らぬ人に。

Posted at 2019/03/25 17:19:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年03月21日 イイね!

変なシトローエンとオールズモビル

変なシトローエンとオールズモビルどっかからCXを預かって、確か90年代にクラッチをウチでやった覚えがあるんですが、このクルマ、ヘンなんです。


車体はロングホイールベースで屋根も当然プレステイージュ同様盛り上がったハイルーフ仕様なんでがんすが、内装は普通のCX。エンジンは過給機無しの普通のジーゼル。


長丈仕様は皆、プレステイージュだと思い込んでいたんですが、そうじゃなかったんですね。。。。

最初の画像は1970年型のトロナード。このボデースタイル最後の奴です。多摩登録のEプレートですから、SOFAの人が非課税で持ってきたんですね。右側のアウトサイド・ミラーも無くよくぞ車検に通ったぞと。。でも何故かこの年代のトロナード、右側にミラー付いている個体余り見ないですね。

ハイスクールの親友だったマットくん家はトラックドライヴァーのお父さんがこのトロナードをいたくお好きで、3台くらい持っていて僕もよく乗せて貰いました。。。
Posted at 2019/03/22 14:46:10 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年03月21日 イイね!

免許を取ろう

免許を取ろう僕が育ったニュウヨウク州は当時、16歳から自動車運転免許を取得出来たので、ぼくもそのタイミングに合わせて試験を受けました。それとは別にハイスクールの運転技術授業を実地研修を受けてました。

その翌年だと思うんですが、二輪車の免許もと、級友の女の子のリズちゃんはお父さんがパンナムのパイロットをしていて、奥さんが隣町で二輪屋さんをしていて、そこから実地試験に使うホンダを借りれる事になり、試験場まではハイスクールのシェヴォレイGヴァンを使わせてくれたので、まず筆記試験を受け、まあ、当時随分二輪車は乗っていたので別に練習する訳でもなく。直ぐ実地試験の予約を入れました。

今はどうか知りませんが、1970年代後半の当時、実地試験には試験に使う二輪車、それを運ぶ車両、それとは別に路上試験を後ろから追跡して目視する試験官を乗せる車両とその運転手を揃えなければならず、大所帯です。今となってなってはもう、40年前のハナシなので誰を連れて行ったか思い出せないんですが、後ろから試験官乗せた車両はウル覚えながらスバルだった様な気がします。

リズちゃんから借りたホンダはCB200Tと言って、ちょっと背が高いですがとても基本的な二輪車で乗り易く、余り不安にはなりませんでした。


試験官が書類をチェックして、道順を口頭で指示します。あそこ行ってあそこで右曲がって、そこでUターンして、なにやらカニやら。ものの15分程街中走り無事終了。当時は別に二輪車免許の排気量制限はありませんでしたから、コレで目出度くハーレーデイヴィッドソン・エレクトラグライドからホンダ・エクスプレス(スーパーカブ)まで合法的に乗れる訳です。

その後引越しで州が変わる度に免許証も筆記試験だけの書き換えで、コロラド州、ミズーリ州、イリノイ州、ニューヨーク州に戻り、オレゴン州と移り渡る際、どこかの州で二輪免許だけが移行されておらず、それにきずかず十何年。

まあこの歳になって今更二輪車に乗りたいをは思いませんが、たまに機会があると、乗れないのが残念で、一度暇になったらまた、免許を取りに行こうかと企んでいます。

因みに最初の免許証の画像は80年代、ニュウヨウク州に一時期戻っていた時のやつ。70年代は信じられない事にニュウヨウク州の運転免許証は紙切れ一枚で写真もなかったんです。コレにはクラス4とクラス7の車両運転可能と書かれていますが、確かクラス4が二輪でクラス7はショーファー免許でした。現在各州の運転免許証は連邦政府認定の身分証明書にも使える様、非常に精巧な作りになり、ニュウヨウク州も他の州と同じく、運転可能車種が数字ではなく、クラスC、クラスBとかになってます。

コレが筆記試験の答案紙。既に四輪免許は取得していたので二輪該当項目だけを回答すればヨシ。


帰りに合格祝いか、マクドーナルズに寄ったんですね。。左は当時、まだVWラビットの1.7リッターエンジンで走っていたダッジ・オムニかプリムス・ホライゾン、右はAMCのフルサイズ車、アンバサダーのセダーン。
Posted at 2019/03/22 13:47:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年03月20日 イイね!

家に転がっているもの その4

家に転がっているもの その4今まで家では機械いじりなぞする必要がなかったのですが、プリアスが少し古くなり構ってやらないとで、長い間開けた事無かった工具箱を覗くと懐かしい物が。。。

1 スナップオンの大きな18角かなんかのビット。確かVWのジーゼルのシリンダヘッド・ボルトに使った覚えが。。

2 スナップオンの何故かへクスヒュビラーと呼んでたソケット、ルノーアライアンス(R9・R11)の揺りかご座席のブラケットのボルト外すだけに買った。。

3 クリーコ。板金などで連続リヴェット留めにする際、開けた穴にこれを差し込み穴を合わせる物。航空機の板金屋さんはこれを何百と使います。

4 水冷VWシリンダヘッドのヴァルヴガイドを打ち入れる時に使う工具。

5 水冷VWシリンダヘッドのヴァルヴステムにシールを挿入するときに使う工具。

6 缶切り。航空機のエンジンにオイルを継ぐ時に開けるオイル缶用。

7 古いルノーの冷却系から空気を抜く時緩めるブリーダー・スクリューのスペア。真鍮製。新品はプラスチックのスクリューで何回も開けたり閉めたりしている内に頭部だけがもげで噴水の様に熱い冷却水が止まらなくなる事があるため、作業中だけはこの真鍮製のを使う裏技用。

8 何だか忘れた、VWジーゼルの何かに使う専用工具。。。

9 ボッシュKジェトロニックの空燃比調整用の長いアレンキー。

10 航空機のセイフテイ・ワイヤを巻く時のプライヤ。

11 水冷VWデイストリビュータのクランプボルトを緩める工具。

12 ジーゼルエンジンの圧縮計測する時コレをグロープラグの穴に入れ替えて計器の繋がったホースを付ける際のアダプタ。多分コレもVWジーゼル用。

13 アウデイのジーゼル用のスペアにとってあったグロープラグ。

以前にはもっとへんちくりんな専用工具、主にVWジーゼルやらメルセデスのがあったんですが、失職してた頃、売り払いました。驚いたのは辞書みたいに分厚い古いメルセデスの整備書。あれが高価で売れたのには驚きました。。
Posted at 2019/03/21 11:23:30 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年03月18日 イイね!

GM デルコ 

GM デルコ 運動神経鈍く、算術の才能に恵まれない自分は何故か音感だけには敏感で、幼い頃短期間耳の特殊教育をされたせいもあるのか、今でも館内放送のテープの回転数がブレているとか、ありゃ右前輪のホイールベアリングから異音が出ているとか気が付きます。

その蛇耳で判断すると、GMの子会社、デルコ・エレクトロニクス(Delco) の製品は以前から音質がとても良いことを記憶しています。デルコはオハイオ州に本拠があり、名前はデイトン・エンジニヤリング・ラボラトリーズ・カンパニーの略で非常に古い会社です。

特にデジタル・選曲になってからの音質が素晴らしく、廉価車でもスピーカーさえよければ高級車並の音がしました。

デルコは電子技術にも手を出していて、月に人間が旅した際の航法もデルコ製の慣性航法装置が頼りでした。同じ装置が後にジャンボジェットにも装備されます。これは左右前後上下の加速率を感知し、出発前に現時点を入力して、どちらの方角にどれだけの加速がどれだけ加わったかを演算して現在地をはじき出す仕組みで、地上の施設に頼らず、洋上真っ只中でも宇宙でも目的地までの方向が判ると言う、60年代後半にしては画期的な装置でした。ジャンボジェットにはこれが3器装備されており常にお互いに精度を確認しあい、その内1器は予備用で、万が1、1器壊れても後の2器で目的地まで辿り着けます。当時としては画期的だった性能も90年代に入ると時代遅れで、左右の誤差が1時間飛んで1.6キロと言うシロモノで、洋上を地上航法施設無しで5時間飛ぶと、向こうの岸に着いた際、最大8キロも現在位置が左右に外れている訳です。まあその後GPSが実用運営に入り慣性航法装置を補正するようになり、しまいには全てGPSを頼りに世界中飛び回る事になります。そのデルコ製の慣性航法装置、名前はキャロセル・ファイヴと言って、電源入れてから動けるまでに15分時間を要し、その間僅かでも機体を動かすと最初からやり直さなければならず、位置報告地を緯度経度の数字で沢山入力せねばならず欧州などの忙しい空域では忙しいシロモノでした。それによく壊れたなあ。。。


90年代、オウストラリヤから香港・啓徳まで9時間強で飛びます。QF7550かなんかの便名で朝9時過ぎにメルボーンを出て四時間かけてオウストラリヤ大陸を南北に横断、ダーウィンから洋上に出て、インドネシアはユージャン・パンダング辺りまで来ると赤道またぎり積雷雲が多くなり、短波交信の状態が悪くなります。それでもフィリピンに近ずくにつれ、退屈だった仕事がああ、あと3時間で灣仔に行けると皆が少しずつ考え出す頃、交信を超短波に切り替えマニラの声がヘッドセットから聞こえ、お日様は暮れエンジ色の空が深い青に変わり、使わなくなった短波ラジヲのノブを回していると遥か彼方、キャリフォーニアからの放送局が聞こえます、流している曲はホテル・キャリフォーニアで有名なイーグルスの "I Can't Tell You Why". この悲しげな歌の響きが刻々と暗くなっていく西の空とテンポが合い、それに遠くの積雷雲の影響を受けてガリガリ雑音混じりで聞こえてくる曲のムードが非常にマッチしていて、音楽と言う物はただ単に音質がよければ良いのではないと、つくずく思いました。。。


因みにこの曲、オリジナルのCDで聞くと、イントロのドラム、2テンポ目のドッドッっと言う所、左チャンネルは音が歪んていて右チャンネルはクリヤーなんです。初めてCDプレーヤーを買って聞いた際、呆れました。昔のCDはフィルターがまだ良くなかったのか、収録時の装置の限界やら不具合も全て忠実に再生しちゃうんですね。日本語での題名は、言い出せなくて、だそうですが中々的を得た解釈だと思います。
Posted at 2019/03/19 18:39:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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「ウェブサイトの不調 http://cvw.jp/b/1945280/48563877/
何シテル?   07/26 10:58
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
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