
合衆国へのプジョーの輸入は他のフランス車より遥かに長く続き、最後の年が1991年、でも売れ残りが1993年までさばかれましたが、その後何度もプジョーの北米での復活の噂がたてば消え、たてば消えが何回もありましたが、今年に入ってまた、プジョーが戻ってくる、でもちょっと先の2026年のハナシ、と話題になりましたが余り信憑性はないものの、一応本社の発表なのでまんざらでも無いようです。
80年代、シカーゴのフランス車修理工場で丁稚奉公みたいな事をしていた自分は、ルノーやシトロエンほどではないにせよ、プジョーには矢張り特別な感情を持っています。1970年代は見ると非常に地味ですが、乗るとその乗り心地におったまげる504が年に7,000台程度売れていて、その後に来た505も一応車種を増やし8人乗りのファミリアールやら、ターボ付きやら後輪が固定車軸の廉価版、のちに405と努力はしていたんでしょうが、採算合わなかったんでしょうね。
初めて乗った504のブレーク、工場の裏側に入る道の舗装工事いつの間にやら終わったと思っていたら、まだ穴ぼこだらけでこれはプジョーのサスペンションの仕業だと悟った時の衝撃はいまだに覚えています。セダーンより遥かに全長が長いブレークは後車軸に何とコイルスプリング片側二個ずつ、計4個で吊り下がっていてそのストロークの長さが尋常ではないんです。なにせペイロードが半トン強ですからヘコタレナイのは当然何ですが、かと言って空荷での乗り心地の柔らかさは背の高い細めのタイヤと自重で沈む座席のクッションとも合間って数分運転すればギョッとする事請け合い。工場に出入りしていたセダーンの一台はエンジンを505のターボチャージ付きのXD2Sに換えてあり素早やい走りでした。ジーゼルはジーゼルで騒音は大きい、力は無いと、欠点だらけの様にシロートは思うでしょうが、付き合ってみるとこれが実にいいんですよね。。。。
604は初期型と後期型、両方お客さんが持ち込んでいたのでガソリンとジーゼル、両方いじりましたけど、505程魅力的ではなかったです。室内の造りがチャチで、内装をバラスト樹脂の爪が必ずと言っていい程折れ、上手く組直せてもあちこちから軋り音が絶えず、座席も表面の革がちょっと硬くて505程身体が沈まなく、ミシェリン発明のTRXタイヤを履いた奴は妙に足の裏が硬くしっくりこない座席の特徴を強調しました。その上このTRXタイヤは交換時に価格がべらぼうに高いのと、もち病で専用の軽合金車輪のキャストが悪くタイヤが空気漏れを起こすのは同じタイヤを使っていたルノー・フエーゴ、R5ターボも同様で、普通の軽合金車輪に交換して要らなくなったTRXタイヤと車輪が工場の隅に山の様に積まれていましたっけ。
505ターボに搭載されていたXD2S整備訓練資料の1ページから。シリンダヘッド、ブロックとも過給機の無い普通のXD2とはほぼ別物で熱処理、耐久性に気を配っていた様です。相変わらずファンベルトは全部だ大小含めて7本。内側の一本が飛ぶと前の六本全て外さねばならず厄介なもんでした。ターボ用は潤滑油のオイルクーラ付き。
504には殆どジーゼルのXD90と言う古いジーゼルが載っていて、XD2との大きな違いはXD90はウェットライナー式エンジンだった事。オーヴァーホールも容易でした。燃料噴射はRoto-CAVのポンプで、噴射時期の調整はポンプ本体の瞽葢を外してインデックスマークを合わせたと記憶しています。。専用工具なして。対してボッシュの分配型もメルセデスの並列型もいじるのには専用工具が要りました。
ヴァーモント州の山奥に、もとオハイオ州の老大学教授がプジョーの部品の総本山をやっていて、文字どうり山の頂上一角に部品取りのプジョーが所狭し陣取っていて、以前、彼の収集する全国各地のプジョーの陸送を何回か頼まれてした事がありました。一応何処でも無銭で飛べたのと、何日もかかって回送してくる車両の運転手が認定整備士、それもプジョーの、だと便利だったからみたいです。
プジョー505の内装はフランスはボードー出身の有名なデザイナー、ポール・ブラックー(Paul Bracq)のデザインです。彼は70年代のBMW5シリーズやら3シリーズでも有名ですが、60年代のメルセデスも代表作の一つでした。505の計器板の助手席側の棚、深く広い物入れなどは彼の特徴でした。
仕事でベルジャムかどっかで初めて206を借りた時、乗り心地の悪さにあっと驚いたものでした。プジョーは皆、504や初期型の505みたいにクネクネしているもんだと思い込んでいたからです。この手の経済小型車で同時期にオペルのコーサ、ルノー・クリオ、VWポロと随分借りましたけど、一番のお気に入りはルノーのツインゴでした。
プジョーのコマーシャル。ヘリポクターからの空撮で、砂漠の真ん中をプジョーのコンヴァーチブルが気持ちよく輪を描いて走り回っています。次第にキャメラは自動車に近ずいていて遂に走り回っていた車両が止まり運転手にクローズアップすると、運転していたのは盲目の故レイ
チャールズ氏で、黒眼鏡と満面の笑顔で一言、”どっかに送って行ってあげましょうか?” と。。。。。笑。
そのレイ・チャールズ、日本では運転させてもらえなかったと見て、ホンダ・シヴィックの後席で唄うだけ。。。
合衆国でのプジョー505のコマーシャル。505が窓を突きやっぶってベッドの上に着地します。ナレーション曰く、”フランス人が得意なのはベッドの上だけと思い込んでいるアナタ、ぜひ一度プジョー505をお試しを” このコマーシャル、結構保守派宗教団体から文句が来たそうです。
504、505、604は全て、基本的には廉価版を除いてセムアイ・トレーリングアーム式のリヤサスペンションでトランスミッションとリヤのでファレンシャルギヤをぶっといトークチューブで繋げてあり、トランスミッションを下ろす際、リヤでファレンシャルを確か4本のボルトでフレーム側に固定してあるのでそれらを緩め全体を後ろ側に少しずらし、現れた隙間からドライヴシャフトを緩め前後長いユニット一緒に下ろしてました。以外と簡単、でもトークチューブが結構重い。。
丁稚奉公していた工場のオーナーの奥さんはぼくのユダヤ人の母親みたいな人だったんですが、癌に倒れ帰らぬ人に。
Posted at 2019/03/25 17:19:29 | |
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