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JetBoyのブログ一覧

2019年11月23日 イイね!

ジェリー・ハーシュバーグ

ジェリー・ハーシュバーグあの衝撃的な格好で登場した1971年型ビュイック・リヴィエラは長年、後に米国日産の大ボスになるジェリー・ハーシュバーグが執刀したとされていますが、近年出てきたインタビューによりますと、あれは元々巨匠ビル・ミッチェルが彼の好みのボートテール状のコーヴェットの陳化を考え、仕事場奥に隠れて計画していた計画を部下のドン・ダハーシュに考えさせていた非常に現実からかけ離れたデザインを商品にさせるべくビル・ミッチェル氏がジェリー・ハーシュバーグに頼み、ジェリーは苦労に苦労を重ねて原本の意味合いを崩さず細部を再現して完成させたのがこの、1971年型のリヴィエラだそうです。



ジェリーは1979年に日産のキャリフォーニア州ラホーラにある日産北米デザイン会社に移籍後、2000年に引退するまで日産自動車のデザインに貢献してきました。

1980年バブル景気前後の日産車は冒険的な要素を取り組み、予算もあったせいか興味深い彼の指揮する車種が沢山ありましたが、バブル崩壊後、日産経営が行き詰ったのは彼の息を入れた丸っこい日本人に好まれないデザインばかりだったからとも意見がありました。



引退前後に日産自動車デザイン部門の要職への誘いもあったそうですが、悠々自適の老後を過ごし、2週間前、11月14日に珍しい脳腫瘍癌のため他界。

80歳でした。

Posted at 2019/11/24 16:51:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年11月21日 イイね!

イタリヤの情熱

イタリヤの情熱以前にも書きましたが, 日本のイタリヤへ持つ好感は毎度驚かされます.

北米自動車業界とイタリアの共同事業.

最初はGMのデザイナー, ハーレーアール (Harley Earl) が1934年にGMのショーカー, ラサールを見せに欧州を巡業していた際に出会ったファリーナ氏(ピニンファリーナのファリーナ)と共謀し, 1959年と1960年だけ遂行したキャデラック/エルドラード/ブロウハムが思い浮かびます. 当時キャデラックはあの尾翼の建った恐ろしいほど手の込んだ高級車の製造に限界が来ており, フィッシャー車体部門傘下のフリートウッド工場の空きを作るため, エルドラード/ブロウハムをピンファリーナに任せます. 車台をデトロイトからイタリヤに送り, ピニンファリーナはほぼ手作業で板金叩いたり曲げたりして車体を架装後デトロイトに送り返し, 最終検査の後販売しました. 当然台数は非常に限られており1959年は99台, 1960年は101です. 二年間だけ作られたこの高級車, 他の同時期のキャデラックに比べて高さは低く飾りも控えめで矢張り欧州調を気にしていたのかしら, でもデザインはチャックジョーダンでそう言うわけでもなさそうで... 販売台数は芳しくなく, その上イタリヤでの工作水準がデトロイトより劣り, 納車前の仕上げのやり直し, 特に鉛で繋いだ板金の不具合などがつずき目論んでいた結果を出せず, このイタリヤ製キャデラックはたったの2年で廃止になります.


それにも懲りず, 後年キャデラックはアランテと呼ばれるコンヴァーチブル車で同じく大西洋を渡る生産をしますがこちらもあまり評判は良くなかったみたいです.
ぼくもアリタリア貨物便を下請け運行した経験ありますが, 毎回遅延遅延で参りました. アランテは運びませんでしたが, 連中の苦労が容易に想像できます.



1959年型は尾灯が一つ, 車体後方中央のメッキ飾りが中央に走ります.1960年型は尾灯が上下に二つ, 同じメッキの飾りは下の方側面に移ります. 後扉の切り方, 特に換気窓あたりの形状が異なるのが興味深いです.


次はフォードがリンカン・マーキュリー販売店で売っていたデトマソ・パンテーラでしょうか. これは当時フォードにいたリー・アイアコッカがデトマソ氏との友情をもとに始めたプロジェクトで, まああの車はフォード製クリーヴランドV8を積んでいたのでその関係もあったでしょうが, 流石イタリヤ製品, 品質管理, 防錆不足に苦しみ, 1971年から1975年で終わります.

アイアコッカはそれにも懲りず, クライスラーに移植後, またもやデトマソと一緒にTCと言う豪華コンヴァーチブルを生み出します. 簡単に言ってこれは当時売られていたクライスラーのレ・バーロンに豪華内装を与えて, デトマソがいじった四気筒エンジンを載せイタリヤで生産, (のち普通の三菱製V6になる)レ・バーロンの二倍の値段で売ると言うハナシでした. ごく自然ななりいきで品質管理, 中古価値に多大な問題を抱え, 大幅な割引にも関わらず在庫が増えつずけ, 三年間で売れた台数が7300台. このプロジェクトにかかった総費用が$500ミリオン. 単純計算で一台につき約600万円の損出になります.....


こちらは普通のレ・バーロン

初期の日産は公には公表されてませんでしたが, ピニンファリーナの直接的, または間接的な影響が多大にあったと察します.



因みにあのピニンファリーナと言う名称はピードモント地方でちっちゃなと言う意味のピニンと名前のファリーナをくっつけて彼のあだ名, ピンファリーナ ちっちゃなファリーナ坊やと言う意味らしいです.
Posted at 2019/11/22 07:16:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年11月07日 イイね!

マ ウ イ

私用で4日ほどマウイへ行ってきました。就航開始した本土の格安航空公司、南西航空のお陰でカフルイまで片道5千円程で行ける様になりました。まあたった23分の飛行時間、今までの料金が高過ぎたきらいがありましたが。冒頭の図、自分が機長資格持っているヒコーキの後ろに座るのはなんか落ち着きませぬ。


ハーツに行けば最新のキャデラックを貸してくれると言うではないですか!カチャーシ小躍りしたのは言うまでもありません。だが。。。。。

走り出すと駆動系から凄い音がします。本来ならあってはならない音、ウチの人も高級車にしちゃ静かじゃないと申します。明らかに左後輪辺りですね、タイヤを調べてみても異常なし。左右に重心移動させても音の変化無し。後輪駆動ですから後ろのデファレンシャルギヤが怪しいです。それにしても空調・音響などを総合操作するCUEが上手く作動しません。突然突風が吹き出たりラジオはなんかの拍子に音量が最大になったりして、数時間いじりましたがラチがあきません。職業柄こう行った装置の操作は慣れているんですが、こりゃいけません。乗り心地も妙に固く、座席はチビの僕でも座面が短すぎて太もものサポートが足りず。ピラー太く視界悪い上にドアミラーが吹き出る程鏡面の面積が狭く。。。風が出たり出なかったりの空調を理由に翌日返却。これが日産かなんかだったらがっかりしませんが、あの憧れのキャデラックがここまで落ちたかと確認するために費やした1日みたいで、落胆しました。。。



その代わりに来たのが今年4月に生産終了したフォード・トーラス。走行距離からして多分最終生産ロット分ですね。キャデラックが酷かったせいかこのトーラス、抜群にいいんですわ。ウチの人が放った最初の言葉、こりゃデカイ!元々この車台はヴォルヴォと共同でSUV用に作られたのでセダーンのくせに高い所に座り、よって車高も高くデカく見えるのですが、実際に全長は5.1メートルもあり、車高も1.5メートル強です。走り出せばまず直感的に操作できる集中制御画面に関心します。次は空調性能の高さ。座席は暖房、冷房が効き操舵輪も願えばあっためる事ができます。音響はソニー製、何をとっても痒いところに手が届くだけではなく使い勝手が頗る良好。ハレアカラー山頂3,000メートルまで登りましたが高高度でも全くへこたれないエンジン。下りは変速機の絶妙な変速比のお陰でほとんどブレーキ踏まずに山から降りられました。一番関心だったのが座席ですね。。。見かけは普通なのですがクッション厚が異様に厚く、もっちりしていて、電動でペダル一式が前後調整できる事も相まって非常に具合がよかったです。思えばこの車、今年まで警察車両として売ってたのですから優れた座席なのが理解できます。あとたまげたのがトランクの大きさ。昔はマフィアの殺し屋はタウンカーはトランクが広いので便利だと人気がありましたが、このトーラスのトランクはもう非常識な程の広大さ。以上の美点を総合すると答えは良く出来たセダーン車になります。クライスラーの300もその点ではとても良く出来ていますが、同じセダーン車の要求の答え方が全く違うのが面白いですね。このトーラスの警察仕様にはあのツインターボのV6仕様があります。コラムシフトで。。。ああ、欲しいなああああ。。。。



ハワイでは以前長い間、製糖産業が盛んで日本からもたくさんの官制移民が移住しての一大産業でしたが、人件費の高騰、地価の上昇などにより一つ一つ製糖工場は閉鎖され、最後にあったマウイの工場も三年前に閉鎖、歴史の幕を閉じました。
Posted at 2019/11/08 14:35:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年11月07日 イイね!

仕事場の車両達。

仕事場の車両達。先週は高所作業車の運転を習いました。ジニーと言うワシントン州にある会社の製品で、49馬力ドイツ社 (Deutz) 製の小さなジーゼルエンジンが油圧ポムプを駆動してブームの伸縮、走行(油圧モータ)その上油圧駆動の発電機でプラットフォームに電源まできています。四輪駆動。自重5トン半。プラットフォームには最大227キロまで載せられ最大15メートルまで縦に伸びます。走行が結構難しくて特に曲がる際ブームの先だと遠心力で随分すっ飛ばされそうになります。

会社が借りていたのはダッジ・ラムちゃんのハーフトンピックアップ。ラムちゃんは既にモデルチェンジで新型に移行しましたが、2009に発売開始された4代目の旧型も続行販売されているらしく、その名もラム・クラシック。シェヴォレイも旧型を未だ売ってますね。5.7リッターのV8ですが、どうも僕はコヤツとの相性が良くなく、かえってV6の方が印象いいんです。2019年型は計器盤が改良され、情報画面が大型化され繊細な見やすい新型になっていました。トランスミッションのシフトレヴァーが回転スイッチになっているのが興醒め。


弊社の整備部のピックアップも4代目のラムちゃん。重いトレーラ牽引するので大型のカミンズ・ジーゼルと牽引仕様の注文装備付き。見慣れた4扉の運転台ですが特筆すべき事に稀な長い運転台形式で、後席扉の後ろに空間があり定員乗車時でも快適です。後ろはダブルタイヤ。でもこのトラック、未だ運転させてもらってないんです。。。。


森林局のダッジ・チャージャー警察追跡仕様。血沸き肉踊るに車輪を付けた様な自動車。認定速度計からアンコがみっちり詰まった、背もたれ脇が制服の帯に拳銃やら棍棒やら手錠を下げても自然に乗り降りできる様設計された素晴らしい座り心地の座席。天井に付いている丸い室内灯。民生仕様には無い憧れのコラムシフトのトランスミッション(そのお陰か、変速機は普通の自動5速)強力なV8エンジン、耐久性をとことんまで追求した構造・機械部。欲しいです。欲しいです。言いましたっけ?欲しいです。。。。


1963年のシェヴォレイ・インパーラ。夕焼けのサクラメント近郊の米畑。。。いい感じです。。。。



先週はハローウィーンでしたので怖い画像を一枚。この自動車のお顔も怖いですけど、乗車している人たちの表情が恐ろしい。。。。オーストリアのパルテン(Palten)が作ってみたジーゼルのコンビ・ヴァーゲン。1リッターのV2ジーゼルエンジンは20馬力。乗車している人たちがいくら必死に前を凝視しても加速は向上しなかったと察します。。。
Posted at 2019/11/08 05:22:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2019年11月06日 イイね!

リムジン あれこれ

リムジン あれこれ今でこそ絢爛豪華で派手なリムジンは何処でも見かけられる時代になりましたが、我が国、以前はこれ程一般大衆が触れたり乗れるものじゃありませんでした。

白塗りでチンドン屋みたいな形相から如何にも安風情なニワカ豪華な安物リムジンが出回る今日この頃、今や高校生がシニア・プロムに行く時までチャーターする時勢ですが、昔はごく限られた人々の足か、冠婚葬儀の乗り物がリムジンなのでした。

キャデラックのリムジンは最初から専用車台を用いて自分の工場で作ってましたが、当時の標準からしても非常に地味な佇まいなんですよね、今の時代と違って。標準ではパデットルーフも注文装備で非常にさっぱりしていて、それに全長が延長されたとは言え、それでなくても長大なキャデラックです、窓やら柱が多少変更されたぐらいではすれ違いの際にもきずかないの違いで、その代わり注文すればオペラウィンドウの大きさ、後窓の大きさからキャリッジルーフの様なランダウ・バーの飾りから用途に合わせた仕様が選べました。


面白いのは大型キャデラックが1971年にフルモデルチェンジした際、扉の窓枠が無い、所謂スバルの様にサッシュレスになったのですが、角をゆるい曲線にして特徴にしていたのは設計したビル・ミッチェル氏が彼の作品、1939年型の Sixty Special (60 Specialと記してはいけませぬ) を連想させる為だと言われています。



問題は後席の扉です。モデルチェンジする以前からリムジン型は屋根まで食い込み乗降し易い特別扉が装備されていましたが、今回も同じく、特大の扉だったので、前席は軽快なサッシュレス窓枠の扉で後席は装甲車の様な巨大な窓枠が屋根にまで食い込む扉になっていました。


それも時代の流れか、1977年にダウンサイズされたCボデーのリムジンは前後扉とも普通の窓枠付きで屋根に食い込まないごく一般的な形状になってしまいました。


何故かフォードはこの手のプロフェッショナル・カーに余り興味を持たず、架装屋さんに外注出してたんですが、有名なのはジョン F. ケネディ大統領が乗っていたリンカン・コンチネンタルのリムジンですね。あれは流石に車両は自社の実験部で組み立てられましたが、実際の内装などは矢張り有名な架装屋さんのヘス&アイゼンハード社が受け持っていました。戦後は自前でリムジンを製造してないフォード車を何故使ったかと言うと、ハリーチュルーマン大統領が選挙戦の際、GMが車両提供を渋ったのに腹を立てたのが原因と言われています。以前書きましたけど、合衆国と密接な関係にあるイズラエルも初代首相のワイズマン博士にリンカン・コスモポリタンを献上して愛用されたのも有名な話です。

そのフォードですが、傘下で一応リムジンを提供する、まあ、関連会社とでも申しましょうか、部門がありまして、そこで色々なリムジンを販売していました。その会社はアンディ・ホットン・提携会社 (Andy Hotton Associates 通称 AHA) と言いまして、創立者、ホットン氏は駆け出しからフォードの技術学校卒業の社員だったのですが、自分で高性能排気管部品を設計し、デイヤボーン・スチール・チュービング (DST) と言う会社を設立、それをフォード社に純正品として売り込む事に成功、特に警察仕様とか特殊用途が得意で、徐々にフォードから特別展示用のショーカーなどの製作も頼まれます。

フォード系のセダン車をリムジンに改造したりプロフェッショナル・カーにしたりと、その中でも4扉ハードトップのLTDまで伸ばしちゃったのは凄いと思います。他に如何にもリムジンと言う車種の他、言われなければ判らない控えめなストレッチもあった様で、中々センスが良いと感じます。。。


DST社が鉄のチューブ、排気管で始まったのは、それよりもっと歴史のあるAMP社も同じですね。American Metal Products 社の創業は1917年。この会社も鉄のチューブを使って自動車の座席フレームなどを納入し始めたのが最初。後にイリノイ州の片田舎セントラリアで家庭用ヒーター製造していたシーグラー社やらを買収、リヤジェットで有名なリヤ社の一部門も抱えて名前もリヤ・シーグラーになります。現在でも世界中の自動車製造会社に座席の設計・生産・納入をしていますが、面白いのはAMP時代の頃、戦後誰もがやりたがる様に連中も自前の自動車を作りたくて小型の試作車を作ります。流石チューブ屋さんでして、なんと車台の骨格に丸いチューブを使っていました。結局この自動車生産計画は放棄されるのですが、その計画を買い取ったのがウイリス・ジープやらアルミナム、造船で有名なヘンリー J. カイザー氏。彼はこのAMPの試作車を元にして川崎三菱でも生産された小型車、ヘンリーJ を製造した訳です。。。


冒頭の写真は1983年から3年間だけ売られたクライスラーKカーを元にした、その名もクライスラー・エクゼキュテヴ・セダーンとリムジン。セダーンはホイールベースが124インチ、リムジンは131インチ。ご想像の通り、生産は例のASC、アメリカン・サンルーフ・コーポレーションが担当。共に殆どが三菱製のV6エンジンを載せていました。この冗談見たいな車はリムジンが1494台、セダーンが206台売られましたが、その後出たダウンサイズされたキャデラックのリムジンを見れば、クライスラーの方がマシに見えて来る程、プロフェッショナル・カー業界は暗黒の時代に突入したのでした。。。。。アイ。
Posted at 2019/11/07 13:05:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「ウェブサイトの不調 http://cvw.jp/b/1945280/48563877/
何シテル?   07/26 10:58
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
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