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JetBoyのブログ一覧

2020年01月31日 イイね!

Tバード、セヴィルとワイヤホイール。

Tバード、セヴィルとワイヤホイール。オアフ島東側にある眠たい小さな街、カイルーア。ここ一帯は以前沼地だったので大雨になると水害になりやすいので住宅ローンを組む時に銀行からイチャモン付けられたり利子や保険代も高めなんですが、結構文化的な住宅街として、特に隣接して海兵隊の基地と滑走路があるので、一定の人気があります。そこに数年前から突如、日本からきた観光客群が大量に押し掛けるようになり大問題に発展しました。誰が如何流行らせ始めたかは謎なのですが、何せ小さな住宅街の街ですからレンタカーの路上駐車、観光バスの乗り降り、それにまつわる騒音、喧騒、渋滞が酷くなり一時期は住民側と観光業界との関係がキワどい状態になってたのですが、その後、商業施設と駐車場が新しくなり、大量の観光客を捌く環境が整い、地元としても商業施設が繁盛し始めたので、最近では余り文句を聞かなくなりました。そのカイルーアの浜辺は特に人気で白い砂浜が有名なんですが、困った事に街中心地から一マイル強の距離があり、歩くと平坦地ですが30分くらいかかり、貸自転車が流行りだし、危なっかしい自転車と、炎天下ガイドブック見ながら地図片手に右往左往する歩行者が延々と浜辺までの遠征する歩道で争っているのが普通の景色になりました (人呼んでカイルーア大行進)。

そのカイルーア、昨日用事で寄った際、歩いていると、あり、お尻の尾灯が丸い自動車がカヴァーに掛けてあります。


こりゃ、フォードのサンダーバード、通称 Tバードですね。尾灯がジェット戦闘機のアフターバーナ点火時みたいなのが可愛いです。お父さんからTバードの鍵取り上げられるまで、僕らは街に繰り出すのよ〜と歌ったのはビーチボーイズですね。Tバードの鍵は図書館へ勉強に行くのを口実にしたんだったのに。。。と。


この頃のTバードはまだ元気があって、エルヴィスの様な有名人やら、影視にも出てきたりと。。。ブラッド・ピットが初めて出た影視、Thelma & Louise にもこの自動車が主役で出てきました。


このカイルーアのTバード、近くで見るとワイヤホイールが見えます。


ゲゲゲ、これって、と横を見ると後のフェンダースカートがありません。これは1962年と1963年だけに生産されたスポーツ・ロードスターと言う珍しい奴で、五本のボルトで取り付ける、ケルシー・ヘイズ社製の本物のワイヤホイールが特徴でした。このワイヤホイールが出っ張るので後輪のフェンダースカートが省かれているのです。このホイールは結構問題があって、市場に出てみると空気の密閉が完全でなくタイヤの空気が何時も漏れて低空気圧故事故に繋がり、次第にチューブを入れる様になりました。登場年の1962年には1,427台売れましたが、翌年にはたったの455台しか売れず、と言うか、フォード側でもこのスポーツ・ロードスターは失敗作だと気づいていたらしく、1,882台がその全てでした。


ワイヤホイールと言えば、我が愛してやまないキャデラック・セヴィルの初代、にも本物のワイヤホイールが1978年から注文装備、エレガンテには標準装備になります。


此奴は偽ワイヤホイールを真似たホイールキャップ仕様の1977年型。



このワイヤホイールは英国はダンロップ製で凝った作りだったのですが、最大三本まで切れても修理不必要と整備書に記されていたスポーク自体はインド製で、スポークが切れた際には分解して修理できたのですが、Tバードと同じくタイヤチューブを使わないといけなく、品質も余り良くなく、暫くしてからは米国ウエスタン・ホイール製に変更されます。ウエスタン・ホイール製は材質は向上したのですが、スポークは最初から溶接されており修理が出来ず、その代わりダンロップ製より安いコストだったらしいです。


ぼくはセイヴィルの最初期型が一番好きなんですが、1975年遅春から1976年型として始まったこの米国高級車界に衝撃を走らせた、”インターナショナル・サイズ” と宣伝されたセヴィル、デトロイト工場で1975年3月に生産開始された、最初の2000台は全てジョージアン・シルヴァー・メタリック(カラーコード13)に塗られていました。なので登場時の報道発表、公式写真など全てこの銀色でしか出ていません。これは初期生産の品質安定の為に取られた判断で、お陰で、今で言うイメージカラーにもなりました。





何処かでお会いしましたか?  瓜二つの初期型セヴィルと80年代のシェヴォレイ・マリブー。



おまけ、その1。1984年くらいまで売られていたホンダ・パスポートことスーパーカブC70の生まれ変わり。最新型はレトロを越えてシークですね。ぼくも以前郵政省仕様を愛用していました。けどホノルルで乗ったら直ぐ盗まれそう。。


おまけ、その2。最近たまに見かける日本の軽トラックの中古。昔で言うグレイマーケット・カー。これはスバル・クッションで有名なスバルのサンバーね。


おまけ、その3。緑色のシェヴォレイ・シルヴァラード。キレイ。
Posted at 2020/02/01 07:52:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年01月26日 イイね!

快樂新年!

快樂新年!晴天の春節デス。

皆様、今年も恭喜發財でありますように!
Posted at 2020/01/27 01:07:12 | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年01月14日 イイね!

GM 車内換気 HVAC

GM 車内換気 HVAC随分前の話ですが、何処かで人が亡くなりどうも殺人の線で捜査が始まりました。結局直接の原因は毎日通勤に使っていた自動車(確かシェヴォレイのシェヴェット)の床を擦った際に排気管にヒビが入りそこから徐々に排気ガスが少量ずつ車内に引かれてそれを毎日吸っていて結局カーボンモノキサイド中毒が原因だった事が判明し事故死になりました。自分も自動車整備学校に通っていた際、先生に排気ガスの取り回し、特にステーションワゴンには細心の注意を払う様叩き込まれました。ミニヴァンなぞなかった三十数年前、家族旅行などは通常ステーションワゴンが幅を効かせていて子供は三列目の後部座席に座らされ、テールゲートの窓を開けて走るのが普通だったんですけど、排気ガスを車内に巻き込みやすくそれが原因で死亡事故に至るのは結構知られていました。

多分それから発生した訴訟などが原因だと察しますが、自動車製造会社はHVAC、ヒーター・ヴェンチレーション・エアコンデイショナーに注目をあてます。GMは1968年にフルサイズ車、コーヴェットやらカマーロの小さな換気窓を廃止し強制換気機構を採用、その名もアストロ・ヴェンチレーション。



当時の世の中は人間を月に飛ばす時代で宇宙系の名称だったら何でも売れてました。ひと昔の我が国のマーケティングは何にでもキャッチフレーズ的な名称を付けるのが流行で、セスナ機が尾輪を辞めて前輪式になり離着陸が画期的に容易になった時はその名もランド・オー・マチック(何やねん?)ファーストバックからノッチバックになり後方窓の採用で視界が広くなれば宣伝はオムニヴィジョンと命名したりしてました。


自動車でもトワイライト・センチネルとか、HVACではアストロ・ヴェンチレーションの次にフロー・スルー・ヴェンチレーションってのが出ました。これはフルモデルチェンジを果たしたキャデラックやらフルサイズ車が多かった1971年のGM車多数に初採用され、ブロワを常に回し、いずれもトランクにルーヴァーを切って室内の排気を排出する仕掛けでした。されどいざ市場に出ると評判は散々たるもので、ある一定の条件だとトランクのルーヴァーから外気が逆入したり、常にブロワーが回っているので室内が冷えすぎたりで結局殆ど全ての車種は翌1972年からトランクのルーヴァーを廃止し、排気口を扉の開口口ジャム側に移動させられました。

前扉の換気窓が廃止された1968年型のシェヴォレイ・フルサイズ。この年からハイダウェイの隠れるヘッドライトが注文装備できる様になりました。このハイダウェイライトは結構凝っていて前照灯を隠す扉は二分割になっていてまず大きい扉が上方へ格納されそれを追う様に上部の小さな扉が下内側へとワンテンポ遅れて格納されます。さらにヘッドライト・ワッシャー液噴射も選べました。


1967年型はまだ換気窓が付いています。


アストロ・ヴェンチレーションは余程誇りだったんでしょう、計器盤の換気口やら、前側窓に、それも換気窓のあった場所に誇らしげにロゴが書かれていました。


キャデラックの1971年型フロースルー・ヴェンチレーションは前期型と後期型でトランクに刻まれているルーヴァーの数・形状が異なります。


あの素晴らしい外観のリヴィエラも1971年だけはこのルーヴァーが。。。


キャデラックの最高峰、Fleetwood Seventy-Five Limousine はルーヴァーだけでなく後席エヴァポレータに送る外気を拾うコブの様なスクープがありましたが、翌1972年型からは両方消えました。



新型にフルモデルチェンジした1971年型シェヴォレイのフロースルー・ヴェンチレーションの効能広告。動画は説得力あったのですが実際は。。。。1972年型はヴェイガなどを除いてこのトランクリッドのルーヴァーは消滅します。


次回はHVACのエヤコンの話でもしますね。
Posted at 2020/01/15 19:33:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年01月07日 イイね!

ウィスコンシン州とフランス

ウィスコンシン州とフランス














コロンボと言えば1972年に放映された一話、エチュード・イン・ブラックも自動車が事件の鍵を握ります。


オーケストラの有名な指揮者がフリンをしていたピアニストの女性からの暴露に迫られて事件が起こるのですが、この指揮者、英国車の愛好家らしくて、奥さんはロールスロイス・シルヴァークラウドIIの長胴版に乗り、彼はジャギュアEタイプの2プラス2に乗ってます。


そのジャギュアを修理に出す事をアリバイに使うのですが、このロスアンジェリースは郊外のヴァン・ナイスにあった修理工場は結構最近まで実在していたんですが、近頃取り壊された様子です。


殺人現場の自宅でコロンボが何回も被害者の名前と経歴をあの特有のダミ声で繰り返します。白人、女性、ピアノ演奏者、生まれはウィスコンシン州ケノーシャ。ケノーシャはシカーゴから2時間ほど北上してウィスコンシン州の州境を越え、アランブラッドレー社のキミの悪い巨大な時計台を過ぎ右に折れてミルウオーキー市の南にある湖畔の街です。ウィスコンシン州は昔から北欧系の移民が住み始めた地域でブロンド髪の白人が多く、とうもろこしの栽培、酪農、チーズなどと共に機械類の産業も得意でして、ハーレーデイヴィッドソンもウィスコンシン州です(因みにキッコウマンの醤油も)。我が家は父母が暫くミルウオウキーで働いていたので結構住んでいたシカーゴから通いました。そのケノーシャの湖沿いにあった自動車工場は1902年でその後ナッシュ社に移り、ランブラーやらアメリカンモーターズに衣替えをしてからはマタドー、金魚鉢のペーサーもケノーシャ製でした。AMCの経営が傾いてフランスのルノーに買収された後は米国化されたルノー9・11をルノー・アライアンスとアンコーとして製造し、AMCがクライスラーに買収された後はオムニ・ホライゾン、最後にはエンジン工場としてクライスラーのV6エンジンなんかも作っていましたが2010年に長い歴史を閉じ、建物は取り壊されました。


AMCは70年台後半には青息吐息で1978年からフランスのルノー公団と販売、後に資本援助の契約を結びなんとか80年代を迎えます。そのお陰で古い旧態化した60年代の自動車の化粧直しを売っていたAMCが突如ルノーのR5、フエーゴ、18iなどを同じお店で売り出します。当時シカーゴの欧州車を専門に扱う整備店で丁稚奉公をしていた僕は、AMCのデイーラーで整備不慣れで手を焼いたルノー車の受託及び保証整備を受け持ちテンテコ舞いになってました。その上にルノー9の北米版、アライアンスがケノーシャ工場から出荷開始され、一時期は結構な数が売り出され、そして修理工場に入って来ました。

まあそのハナシは次にするとして、AMCはアライアンスの次にルノー21を北米版へと改造してメダリオンと言う名前で売り出します。このメダリオン・21はおかしな車で、本国では排気量によってエンジンが横置きだったり縦置きだったりするのですが(北米仕様は縦置きの2.2リッターでした)、軽量車体、恐ろしく広い室内、大きな荷室、丁度2代目トヨタ・キャムリーに感じが似てました。これらは初期型、まだルノーとして売られていた21・メダリオン。


ぼくは同じ頃、フランスのルノー公団から古いシャウソンのバス工場で組み立てられていた21のステーションワゴン版のネヴァーダをリースして一ヶ月ほど欧州を回った経験がありますが、流石乗り心地と直進安定性は昔のフランス車に恥じない味わいがありました。そのメダリオン、三列7人乗りの所謂ファミリアールとセダーンの合衆国発表が1986年の秋、1988年式モデルとして発売が始まったのが1987年の3月、その8日後にAMCは金銭が底をつき、ルノー公団は持っていたAMCの株全てをクライスラー社に譲ります。クライスラー社は即急にAMCのお店をジープ・イーグルと名付けジープ車、四輪駆動のAMCイーグルとルノー・メダリオンを売り出します。クライスラーはルノーのブランドを嫌い1989年、その最終型にはイーグル・メダリオンのエンブレムを付けて売りました。


同時期にこれもAMCがルノーと共謀して開発していたルノー25を基本に外観はイタルデザイン、内装はAMCの古い従業員のデザイナー、デイック・テイーグに委ね、ルノー・プレミヤとして売り出しますが、こちらもクライスラーに買収後、名前をイーグル・プレミヤとしてルノーの名前は消されます。プレミヤは全てイーグルの名前で売られた筈なんですが、初期の広報車と宣伝類を見るとルノーの菱形のマークが確認できます。




このメダリオンを基本に90年代のクライスラー社のキャブフォワードの思想で作られたセダーンがLHシリーズです。このクライスラーのLHSは丸っこい空力デザインとしては後窓を直立させGMのシヤルックの真似としては努力した後が見受けられます。


イーグル・プレミヤ。キャナダはオンタリオ州ブランプトン工場製造。一説では日本でも売られたらしい。。。。




珍しいルノーの菱形マークの付いたプレミヤ。実際に市場には出回らなかった筈です。次が通常のイーグルのエンブレムの付いた同じプレミヤ。

イーグルのブランドは直ぐルノー製の車両達を廃止した後は三菱製の自動車をイーグルの名前で売っていましたが、結局1999年に消滅しました。


クライスラーがAMCを欲しかったのはAMCが保有していたジープのブランドを欲しかったからで、実際クライスラーの暗黒期はジープ社の利益が随分貢献しました。と、同時にその頃ルノー公団のトップ、ジョージ・ベスが組合問題に絡んで暗殺された事も要因になったと伝えられています。
Posted at 2020/01/08 18:12:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年01月06日 イイね!

10セント硬貨の意味 メルセデス ハリウッド

10セント硬貨の意味 メルセデス ハリウッド僕ら中年は矢張り青春をデイスコが熱かった時代に育ってますから、たまにラジオからああいったビートが聞こえると胸が熱くなります。一昔前まで、ロスアンジェリースのラジオ局は土曜日の夜はデイスコの夜と言って一晩中デイスコ音楽を回していましたね。今晩はドナ・サマーの悪女、バッドガールズです。歌詞の中に何回かダイムと言う言葉が出てきます。ダイムとは米合衆国の10セント硬貨を指す俗称です。我が国は長い間、公衆電話の初回料金が10セントだったので、歌詞でダイムが出てくるのは電話を掛ける事を示しているのです。ダイム一つで貴女に心が通じるとか、ダイムくれたらお迎え来てくれたのに、とかですね。航空事故で亡くなったジム・クローチーの曲、オペレータ。ロッドスチュアートの貴方は僕をセクシーに思うかね?皆、ダイムの歌詞が出てきます。


僕の子供の頃は皆、公衆電話はコレでした。受話器の電線が比較的短いのは安全の為です。首を括ったりできないから。遠くの大学に行ってしまった恋人にドラッグストアへ行って紙幣崩して沢山ダイムもらって硬貨をダイアルの下に積み上げて長距離電話を掛けるなんて映画みたいな事、皆本当にやってたんですわ。



移動電話がこれだけ発達した現在からは考えられませんが、70年代なんか長距離電話は別料金で高く、職業によっては返答業務などがあって伝言を取ったり伝えたり、アンサリングマシーン、日本で言う留守番電話ですね、が登場するまでは一般ではこの伝言サーヴィス皆使っていました。探偵番組でジェームスガーナー主演のロックフォードファイルスでは冒頭から留守番電話に入っている伝言で始まって、彼は出先から音響カプラーを使い遠隔操作で自宅の留守番電話に入っている伝言を聞く場面が何回も出てきました。この音響カプラーは電池で作動し、自分の家に電話をかけ受話器のマイクロフォンに当てボタンを押すと一定の音がなりそれに反応して留守番電話の伝言再生、早送りなどができる装置です。興味深い事にこの留守番電話と言うのは日本人の発明で橋本和美さんと言う方が有名です。


そのダイム硬貨。フランク・シナトラが亡くなって葬儀で納棺された時、彼のポケットにはダイムの硬貨が沢山入ってたそうです。これはどうしてかと申しますと、以前彼の息子のシナトラJr.が誘拐された時、犯人が指定の公衆電話で待てと指示が来ていてそこからまた他に電話を掛けろと言われていたので、それに用意すべくダイム硬貨をギョウさんポケットに入れていたのが後日になっても癖になり、彼は何時もパンツのポケットにダイム硬貨をジャラジャラ持ち歩いていたので、と言うハナシでした。この誘拐事件、犯人は少年の頃から天才的な才能を持った投資に長けるビジネスマンで、株価が下がって資金繰りに困っていた際、麻薬の効果も手伝って非常に計画的な誘拐と言うビジネスを計画。なるべく危害を加えず最終的には身代金は分析結果から狙っていたクライスラーに投資して(実際この誘拐未遂の後クライスラーの株価は上昇した)全て返済。当時マフィアとの癒着の噂があったフランク・シナトラも家族愛を存分に見せられるので双方に利益があると勝手に考えついて、まあ、結局あっけなく捕まり牢屋に入れられるのですが、誰1人傷つかなかったのが幸いして、牢屋にはそんなに長く入れられず、今では投資に成功した富豪になってるところがこの国の面白いところですなあ。。。。


不思議な事に自動車好きのフランク・シナトラ、晩年はごく普通の白塗り、1994年型メルセデス・ベンツE420を愛用していたそうです。これがその車両。


有名人のメルセデス・ベンツと言えば余り知られてない事に故人のピーター・フォーク、警部補コロンボのピーター・フォークは自動車好きだったそうで、言われてみれば番組コロンボには新旧のメルセデス、それも幌張型が数回出てきます。印象に残っているのは1968年辺りの280SEでマーダー・バイ・ザ・ブックとブループリント・フォー・マーダーに二回、多分同じ車両が登場します。


実はこのW111型、ピーター・フォーク自身がベージュ色の1971年型280SEを新車で購入、長い間愛用していたんです。それがこの車。


僕の好きなコロンボのエピソードはアイデンティティ・クライシス。米生まれアイルランド育ちのパトリック・マクゴーハン、彼はコロンボに数回主演で登場してますね。。。現実にマクゴーハンとピーター・フォークは実に仲が良かったそうです。アイデンティティ・クライシスに出てくるマクゴーハンは何故かシトロエンSMに乗ってますが興味深いのが詳しく見ると同じ色の車両を数台用意して撮影しているみたいなのですが、右側のミラーですね。。。位置がおかしいと言うか、いやシトロエンSMは純正でも右側のミラーは用意されていないんです。

Posted at 2020/01/07 18:04:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「11月 http://cvw.jp/b/1945280/48774418/
何シテル?   11/19 17:41
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
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