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JetBoyのブログ一覧

2020年06月26日 イイね!

計器の景気

計器の景気昔むかし、前進ルックでGMのデザイン部門を恐怖の底に落としたてた張本人、ヴァージル・エックスナー。彼の聳え立つ尾翼、凝りに凝った尾灯も見る人を未来の世界へ連れて行く雰囲気満々でした。1960年型インペリアルの尾灯。


ステーションワゴンでも4扉ハードトップ!コレは大型の1960年型ニューヨーカー



最大の衝撃は計器盤でした。その頃絶頂期だったクライスラーは電気屋さんのシルヴァニア社開発の電界発光装置、今で言うエレクトロルミネセンス、ELですね、をいち早く取り入れた計器盤、パネルセント・ライト (Panelscent Light) と言う計器盤を1960年から装備します。12ヴォルトの直流電圧をおおよそ250ヴォルトの交流に変換昇圧し、計器盤の目盛り裏側のパネルに電圧をかけるとほの蒼く光、それを立体的な造形のメッキで縁取りされた装飾枠で飾り立てると言う物。空飛ぶジェット機の様な派手な外観、運転台に座ればこれまた未来を先取りした計器盤、これじゃ一般的なGM各車が古臭く見える訳です。

幻想的な世界へ導く、パネルセント照明。。。


昼間でも圧倒的な造形で驚かされます。中央の透明な半球ポッド脇のスイッチ群もスゴイ。フランスのパナールなんかはコレ見てチビったのかなあ。。。。


60年後のクライスラーも同じ機構で計器盤光らしているの、興味深いですね。


もう言葉では説明できない。。。1961年型フューリー。


デソート・アドヴェンチャーと。。。。。ダッジ・フィーニクス。共通点があります




この両車、速度計の裏がスケスケに透けているんです。。。


シトロエンもちゃっかり同じ構想。


GMが最初に計器盤を電子化したのは確か1978年型キャデラック・セヴィルと記憶してます。同時にドライヴ・コンピュータみたいなのも装備出来て最先端技術を取り入れるキャデラックの将来を予測させられました。でもGMが本格的にデジタル技術に没頭しだしたのは防衛軍事会社の、あのハワード・ヒューズが創立したヒューズ電子を買収してからでしょう。 GM各車は時代の流行りも伴って片っ端から操作のボタン化、計器盤のデジタル化を遂行します。

6眼の前照灯のポンテイアック6000、やたらとボタンが多い。。


保守的なオールズ・デルタ88、昔の速度計は皆、こうだった。。。


それも電子化。


ボタンの多さ、もう操作性など完全に無視です。1992年型オールズモビル 98リージェンシー。


1991年型オールズモビル 98リージェンシー。計器盤細部。


ポンテイアック、1989年型グランプリ。この頃のポンテイアックなど、多数あるボタンは角形ではなく角が丸められていて押すとフンワカした感覚で、それはそれなりに操作性良好だった記憶があります。鮮明に覚えているのはこの頃のデルコの音響装置の音質の良さ。


ポンテイアックはアクの強い造形が好きでした。このボンネヴィルの座席の形状。もっちりムッチリ。卑猥ですね〜。


その座席は12通りに調整出来て当然押しボタンがズラッと並びます。


最新技術のショーケース、以前はキャデラックだったんですが、この頃はその役目がビュイックやらオールズに移行してます。コレは1989年型カトラス・スプリーム。中央の情報表示はCRT, 古いテレヴィジョンと同じ、カソード・レイ・チューブ。


リヴィエーラやらトロナード、エルドラード系の部品を流用して最先端技術を見せたかったビュイック・リアッタ。利は無かった。
笑って下さい親父ギャグ。


リアッタの売り物はHVACと音響を全てCRT画面に組み込まれたタッチスクリーンで操作する事。同系統のリヴィエーラなんかも同じ構造を使ってました。


でも直ぐにスイッチ付きの一般的な方式に替わっちゃいました。計器盤に注目。こちらもCRT表示です。


キャデラックも負けちゃいません。デトロイト・イタリ・デトロイトへ往復送られ組み立てられていたアランテの計器盤。ボタンの数ではポンテイアックにも勝る。。


1970年代設計の旧、A・Gボデーも一応電子化されてました。コレはビュイック・リーガルの高性能版、グランナショナル。


1985年に登場したNボデー、昔はスカイラーク、コレはサマーセット。コンソール中央に鎮座するラジオがカワユイ。


AC・デルコ製。コレ、欲しいわ。


でも三年後にはつまらない形状に退化しちゃいました。多分経費節約ですね。


同じ様な物、同時期のカマーロにも注文装備で選べました。こちらは首振りする凝ったシロモノ。


コレは通常型。コンソール後方にある大きい丸型水晶時計に注意。コレは1985年くらいまで装備出来たらしく廉価版のAMラジオに時刻表示出来ない為の物だったらしく、時刻調整はコンソールボックスを開けて中から調整棒を弄るらしい。


そのカマーロにもデジタル化が。


同時期のポンテイアック火の鳥。人間工学、視認性など全く無視。まるでヴィデオ・ゲーム。でも時代の背後が反映されている感じですよね。。。


そう言えば最近は所謂旧車にも計器盤をデジタル化するキットが結構出回ってます。コレを見て興醒めするか、正確さを良い改良と思うかはそれぞれだと思います。




1982年にカマーロがモデルチェンジした際、新しい注文装備でコントアー・インテリアってーのがありました。コレは特別座席をリヤー・シーグラー社に作らされ座席に色々調整できる様にしてあり、1983年からは特別色で派手な振る舞いで、側から見るとレカーロそっくりの座席なんですが、れっきとした合衆国製なんですよね。。。

このコントアー仕様、1982年の初期ロットはリヤー・シーグラー社の納入が間に合わず、助手席だけヘッドレスト一体の通常座席で誤魔化していたと言う。。。左右で座席が違うなんて、昔のホンダ・アコードにあったパーソナルシートを彷彿させます。

リヤー・シーグラー社、現在では座席製造の大手、LSIと言いますが、元は古い自動車部品製造のシーグラー社をあのリヤジェットのリヤーの電子部門が買収して始まった会社です。ビジネスジェット機の代名詞を作ったビル・リヤー氏は実際、航空用電子機器の発明・製造で材をなして自分の名前を託したジェット機の製造を始めた人です。




コントアー仕様。特別柄は後部座席にも。。。


しつこく扉の内張にも。。。。ちなみにこの特別生地、今でも入手可能なんですよ。


1980年代に流行った探偵番組、サイモンとサイモン 。主人公の1人が乗るのがカマーロのZ28。セヴィルに追っかけられている。僕ならセヴィルに乗りたい。面白い事にこの手のドラマ、他の似た様な探偵番組と ”クロスオーヴァー” する事があり、サイモンとサイモンはあの有名なマグナムP.I. とタイアップして、サイモンの筋書きの中にマグナムのヒギンズが登場して番組内で活躍すると言うエピソードがありました。


クライスラーって廉価版でも必ず電流計やらが付いて来るの、昔から子供心に不思議に思っていました。でもあの影視、デユエルでラジエータから水蒸気吹き上げながらセムアイに追われるデニス・ウィーヴァーが上昇する水温計を見ながらステアリングを叩く場面、ありゃ水温計が装備されて初めて可能になった場面で、GMなんかの普通の警告灯だったら雰囲気台無しになってた所です。コレは1972年型ヴァリアント




デユエルの撮影場所、一度クライスラー車借りて行ってみたいです。ロスアンジェリース北部、サンタクラリータからパームデールへ通じる峠道。


そしてコレが最新型キャデラック・エスカレードの計器盤。もうiPad真っ青な情報量、画像。




今日の全く関係ないハナシ。コーヴェット後側にある赤いサイドマーカーライトの前にある白い灯火。あれは車両横を照らす後退灯デス。ギヤを後退に入れると灯ます
前側にあるのは通常のコーナリングライト。


今日の全く関係ないハナシ、その2。合衆国でのトヨータ・ヤリスの販売が2020年型で終わります。メキヒコ工場での生産は今月で終わり。と言っても合衆国のヤリスはマズダ2デミオを仮装した、売る気もなく宣伝も殆どされなかった悲しいクルマ。本家のマズダは合衆国では現在2・デミオを販売しておらず。マズダのメキヒコ工場は大統領トランプに散々批判指摘された新工場で、現在の不景気コレからの経済事情を踏まえ、非常に苦しい事になりそうです。。。


わ か る よ ね
Posted at 2020/06/26 10:34:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年06月23日 イイね!

クニアの大阪発動機

クニアの大阪発動機クニア道路はオアフ島をほぼ横断する形で走る田舎道なんですが、何せ直線の長い一本道でオマケに緩い坂道、一方は陸軍駐屯地スコーフィールド・バラックスに駐屯する若い兵隊さんなんかが多いので、四輪車でも単車でも飛ばすわ飛ばすわ。よって大事故いつも起こるんですなあ。。クニアは昔のプランテーション村でデルモンテがパイナップルのジュース作る工場を持っていたんですが突如閉鎖され、労働者は結局同じ所に住む権利をもらったみたいです。サトウキビやパイナップル農場の従事者はこう言ったプランテーション村に住んで仕事に通うんですが、通常、会社が家賃永久無料か補助、プランテーション村内には雑貨屋、会社のお医者さん、學校なども揃っていて外へ一歩も出ずに暮らしていけました。

クニア道路、真ん中の溜池は遥々コーラウ山脈から引いてくる用水路の一部。この山から持ってくる水を島の東側に送るか、西側に送るかで喧々轟々の戦いが昔からありました。この辺り一帯は二十年程前まで見渡す限りウージ畑で矢張りサーター製糖業は政治的にも強かったんですね。。。こっち側に何時も水とられてました。サトウキビもパイナップルも水の利用が多いのですわ。



そのクニア道路、途中のゴルフ場の駐車場に宣伝に使われていたダイハツのミジェット、最近見かける頻度が増えた日本からの中古輸入車かと思ひきや、れっきとしたUSA仕様でした。660ccで気化器にリミッタと高速ギヤに入らない用ロックアウトされて最高速度25マイルの構内用。宣伝に使っておくには勿体ない。。。以前の大阪発動機ミジェットの三輪車、その名もトライモビルで売ってた頃を彷彿させる。。。








最近流行りの街カカアコで見かけたホットロッド仕様のダットサン・トラック。この時期、トヨータのピックアップトラックは何故か余り普及せず、ダットサンが圧倒的なシェアを誇っていました。




スコーフィールド・バラックスで目撃した、廃車かと思われるビュイック・スペシアル。と思っていたら、後日、走行しているのを目撃しました。。。。


これもダットサンね。カイムキ似て。覗く計器盤から察すると後期型か。。。


全く関係のない画像。南米ボリヴィアはサンタクルーズで見たトラック。検定合格したのかしら。。。。
Posted at 2020/06/24 16:54:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年06月12日 イイね!

鏡よ鏡よ鏡さん、私は経済車?

鏡よ鏡よ鏡さん、私は経済車?


現在は当たり前の様に殆ど全ての車に装備されていますが、我が国の現在の法律では乗用車の右外側にはリヤヴュー・ミラー装備の義務は原則的にありません。あっても可倒式でなくても大丈夫です。

連邦法49条571。111によりますと。。。。。



乗用車、室内のバックミラーが要る条件は、運転席から後水平の視角が最低20度以上、かつ車両後方61メートル以降の道路を確認できる事。但し同乗者、ヘッドレストで視界が遮られるのは構わないと。

以上の規格を満たせない時に限り、右外側のリヤヴュー・ミラー装備の義務が発生します。要するに車内のバックミラーの用が足りない車だと、右外リヤビューミラーをつけなアカン、と言う事になります。

運転席側の左外側ミラーは平面でなければいけない、かつ運転席に座って左右上下の角度を直接または遠隔操作で調整できなければならない。

右外側のミラーは運転席からの調整はできなくても良いが、鏡自体の左右水平角度は調整可能でなければならず、平面及び曲面の鏡面でも良し。但し曲面鏡の場合は鏡面に ”映る物は実際より距離が近い” と言う注意書きが必要です。但し書きの書体は高さが4.8mmから6.4mmに限る。。。


これが公用語が2カ国のキャナダとかになると2カ国後で記される義務があるので、鏡面には通常の英語で書かれていて、さらに右側窓下先端にフランス語で書かれていて、鏡面を運転席から見た際、それが読める様に対応されている場合があります。



現在右側にミラーの付いてない車、知っている限りで頭に浮かばないのですが、1990年代には結構ミラーが運転席側にしか無い車種が結構あって、特に経済車に多く見られました。

1990年型カローラ 。


1993年型ターセル。


1993年型ジオ・プリズム。GMが一時期扱っていた他会社の小型車ブランド。プリズムはキャリフォーニア・フリーモントのNUMMI社製のカローラの焼き直し。


1993年型ヴォルクワーゲン・フォックス。これはゴルフより一つ下の廉価車でブラジル市場のゴルの北米版。小柄の車体に1500ccのエンジンなので活発に走りますが、余り売れなかった。。。。。2扉ステーションワゴン、2扉・4扉セダーン。


キャデラックも1980年改良型が出るまでは、デヴィルなどにちらほら、右側ミラー無しを見かけました。


1994年型鈴木スイフト。スイフトの廉価版は燃費特別仕様のXFIと言うのが一時期ありまして、要らない装備は全て省かれ、ギヤ比、エンジン制御、特別キャムシャフトのプロファイル、ピストンリングを一個減らした低抵抗型ピストンなどでドエライ低燃費を叩き出し、現在でも熱狂的なファンがいます。特にキャムシャフトが高価に売買されているらしいです。


ぼくが好きだった日産・セントラのMPGと言うグレードも燃費特別仕様。1500ccのエンジンに3.550最終減速比のギヤ、装備を徹底的に省き燃料タンクも通常50リッターから39.7リッターの専用品を使い車両重量を794キロに抑え(同等2扉は830キロ)高速計測値でリッター24.7キロの最高値を出しました。超廉価で飾りも徹底的に省かれたのにリヤのトランクリッド後端に小さな黒いスポイラーを装備していたのを覚えているのですが、何処を探しても画像が出て来ない。。。このB10セントラは何と1700ccのジーゼルも途中から加わりました。




1983年型の標準型は微妙に燃費が上がっています。リッター22キロになってます。


通常仕様。これのジーゼルも凄い低燃費じゃなかったのかと。。。兎に角初期サニーを彷彿させる軽量車でしたから。


日産・セントラも最近は随分大型化されちゃって、此奴は7年くらい前、ネヴァーダの砂漠に用事で行った際借りた車両。


こう言った超経済車は第一次石油危機から少なからずあり、その際は矢張り日本勢が圧倒的な燃費性能でした。

カローラは装備を省き、1200ccのエンジンを積んだ奴で挑戦。床は絨毯なく薄っぺらな樹脂が敷いてあり、ドアには肘掛も無く、徹底してました。。。


マズダは燃費仕様車をマイザーMIZERと命名して、数車種に用意してました。とは言っても当時のマズダは販売店の数が微々たる物でしたから、殆ど普及しませんでしたが。


日産はサニー210をハニービー蜜蜂と呼んで低価格低燃費の特別車を販売してました。これが後にB10セントラのMPGになるんですね。。。黄色のイメージカラーも同じ。


燃費に有利な小型車に長けていないデトロイトの各社でもクライスラーは三菱と共謀してましたから、事はカンタンです。コルト・ランサーの装備を省いた軽量型を ”マイレージ・メイカー” と呼んで対応。


燃料タンクが衝突時に爆発する欠陥が見つかったフォード・ピント、省燃費仕様も急遽作られ、こちらの名前はピント・ポニー・MPG。悲しくなる程装備が省かれている。。。。2番目の写真、ハイスクールの運転授業の光景。燃料タンクの事も説明されてたのかしら。。。




GMは第二次石油危機前夜に抜群のタイミングで出した、世界戦略車、Tカーのシェヴォレイ・シェヴェットの後席を省き二座にしてさらに装備を省いた省燃費仕様をシェヴェット・スクーターとして発売。矢張り二座の不便な故、余り受けなかったみたいです。因みに後席のあった場所からテールゲートまでは鉄板剥き出し。


シェヴェットはそんな廉価版からツートーン塗装の豪華版やら、経済車としては当時のGMを随分助けたもんでした。改良に改良を加えいすゞのジーゼルもありましたし、数年間、実験的に自動装着シートベルトも注文装備でキャタログに載りました。このハナシ、いつか詳しく書きますね。。。




先回のクライスラーの話題で付け忘れた画像。クライスラーがスポンサーしていた整備学校の技術競争会に提供されたダスター。色々故障箇所がありそれをいかに早く正確に診断修理するのを競います。公立高校では結構自動車整備課って言うのがあります。


むっかし昔のダットサンのスローガンは当然辞世を反映して、"Datsun Saves". これは単に読めばダットサンで節約と翻訳しますが、実際はクリスチャンの教会などで頻繁に使われる、特に勧誘時に使う決まり文句、"Jesus Saves" (イエス様に救われたもう)に引っ掛けています。このダットサン1200は同時期のカローラやら同じダットサンの510に比べて合衆国での販売台数がとても少なかったです。


冒頭写真は石油危機でガソリン給油制限が始まった頃の画像。1971年型のマタドーですかね。。。 二回にわたる石油危機は我が国を基本的に揺らがす一大事件でした。
Posted at 2020/06/13 12:46:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年06月10日 イイね!

知らなくてもヨカッタ事、クライスラー編。

知らなくてもヨカッタ事、クライスラー編。










GM、フォードとは違い、独自の技術道を疾走していたクライスラー。

前進ルックで全米の自動車業界を驚愕させたクライスラーのヴァージル・エックスナー氏。でも尾翼式をステーションワゴンに取り入れるのは苦労した様で、これだけはどの会社も四苦八苦。これはダッジ・ポラーラの4扉ステーションワゴン。普通の4扉式ステーションワゴンもありました。


ステーションワゴンで困るのは後窓の汚れ。結構昔から整流板を付けて空気の流れで汚れを防ぐ考えはあった様です。でもこれ、歩行者に引っ掛けたら恐ろしい事になりそう。。。1965年のダッジ。


フォードは横窓後端に隙間を作りそこから気流を取って後窓に風を当てて汚れを防いでいました。


なんかこの頃のクライスラーは人一倍にステーションワゴンに凝っていて、テールゲート内蔵の後窓洗浄機構を発案します。


テールゲートの中に専用の洗剤タンクやら拭き取りワイパーやら、扉の開閉かなり重かった筈。。。


その後、クライスラーは前進ルックから航空機の胴体を彷彿させるフューせラージ胴体ルックに移行しますが、ステーションワゴンの屋根後端に整流板を設け速めた気流で後窓の汚れを防ぐ様にしますが、例の後窓洗浄機構も未だ選べました。


この時期のステーションワゴンは何故ルーフラックが付いてくるかと言いますと、通常家族で旅行する際、子供は後部のサードシートに座らされるので事実上大きな荷物を積む場所を失う訳です。だから屋根に荷物載せる為にルーフラックを装備していました。飾りじゃないのよルーフラックは。(明菜ちゃん)


石油危機で経済性を問われる時代が始まります。燃費向上を促する装置がこの、フューエル・ペーサー。フェンダー先端に方向指示器やらの電球が通常作動しているか確認できる小さな灯があるのですが、その左側を利用して、運転中の負荷が下がると灯が消え、力を入れる為ギャスペダルを踏み負荷が上がると小さな灯が灯り、アンタ、広いテキサス、そんなに急いで何処へ行く、と燃料節約運転を促すのでした。

巷で想像されているのと違い、ブルース・ブラザースに代表されるフルサイズのクライスラー車はモノコック車体にエンジンやらを載せるサブフレームを前部に取り付けた形式で、その後登場するダッジ・アスペンやらも同じ様な形式を採用していました。相変わらずの捻り棒の足回り。警察高速でのカーチェース、よく耐えたもんでしたね。。。軽量、振動で骨格やら車体の取り付けが緩まないので静かで強固な車体を保てると言うのが宣伝文句でした。



1969年型インペリアル2扉。


同じく1969年型インペリアル2扉。何処が違うかお分かりですか。。。


答えは扉に付く換気窓です。これがあるのとないのが混じってます。


通常冷房車は換気窓は付いておらず、非冷房車は換気窓が付いてきます。これは自動的に発注の際に決められるのですが、1968年11月初期生産分から注文書にオプションコードG25を入れると冷房車でも換気窓が装備され、逆に非冷房車にオプションコードG24を入れると非冷房車に換気窓無しの仕様を選べました。これらは無料オプションです。

これがその換気窓。PPG社(ピッツバーグ・プレート・ガラス)のハーキュライトと言う商標の窓ガラスです。



ハーキュライトは1938年にPPG社が開発した安全ガラスで、製造工程に焼き入れと冷却を行い、強化されているだけではなく、割れると鋭い形にならず粉々になるので人体に刺さらないと言う新発明でした。これはハーキュライト・ガラスの上にパッカードを乗せて強靭さを訴える広報写真。


冒頭のファンタジー・アイランドと言うのは70年代から80年代にかけて人気のあった電視番組で、クライスラーのスポークスパーソン、リカード・モンタルバンが主演でした。それを意識してか、このクライスラーの広告文句、”豪華なアイランド” と唄われているのが興味深いです。このクライスラー・五番街もモノコック車体に加え、前部にKフレームと呼ばれたサブフレームを使い、勿論捻り棒トーションバー式の懸架装置でした。


アスペン・ヴォラーレ・デイプロマット・ニューヨーカー五番街、の前部、Kフレーム(K文字の形上から見るとしている)に90度曲げた横置きトーションバー式スプリングなどが前部アッセンブリーになっていてこれらが四つのゴム緩衝を介して車体に組み付けられます。


今日のおまけ画像。尾灯の形状から多分1967年型と思われるダットサン。後部バンパのメッキが尽く剥げている。場所は西ヴァージニア州のハーパースフェリー。確か1979年の初夏だった記憶が。。。。


グーグル・ストリートヴューで探したら簡単に出てきました。41年後の図。
Posted at 2020/06/11 10:31:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2020年06月09日 イイね!

アメリカンモーターズ 諸々

アメリカンモーターズ 諸々こんな事知っていても全く何の役にも立たないですが、まあ、大型AMC車達の見分け方でも。。。








フルサイズのアンバサドー。1967年から新しい118インチの車軸間で、車体中央部は新型ミッドサイズのレベルと同じ。


こちらはミッドサイズのランブラー・レベル、1967年型。114インチの車軸間、前扉とフェンダーの距離が短いのが分かります。車体中央は同じもの。


1968年のアンバサドー。この年からAMCの伝統の角形安全扉取手が付きます。この形式の扉取手はAMCがクライスラーに吸収された後もジープ車に受け継がれ、2006年まで同様の取手を見られました。


1968年のレベルは苗字がランブラーからAMCに変更。同じく安全扉取手付。


1969年型アンバサドー。大変更の年で、前照灯が横並びになり、前部バンパ側部やらラジエータグリルも変わり車軸間が122インチに伸びます。


1969年のAMCレベル。殆ど変更無し。前部バンパが側部凸で繋がるのも同じ。


1970年のアンバサドーは上屋後部とお尻に手が入り(いや、そう言う意味ではありませぬ)数年後実現するバンパ規格変更を匂わせています。Cピラーの形状も変更。


1969年の後部はこうだった。


1970年のレベルも後部変更。前は殆ど変化無し。


1971年のアンバサドーは前部の変更。駐車灯が前照灯横に増設されラジエータグリルの変更。


レベルは1971年からマタドーの名称に変更。相変わらず車体中央部は1967年のレベルから変更無し。前端はレベルから大幅変更。


1972年のアンバサドー。ラジエータグリルデザインの変更。バンパの飛び出し方よく見ておいて下さい。


1972年のマタドー。こちらもバンパの位置に注意。


1973年のアンバサドー。バンパが衝撃吸収式に改良され少し突き出ています。バンパ側部は柔らかい樹脂製になってます。車体後部は殆ど変更無し。


1973年のマタドー。同じく前部バンパの変更で下部が突き出ています。


1973年のマタドー。後部は変化無し。アンバサドーと殆ど同じ。


大変更に至ったフルサイズ、1974年のアンバサドーはこれが最後の年になり消滅します。その割には変更点は大規模で前部は全く違った印象で、後部も随分大型になった感じでした。車軸間はずっと122インチを守り通しました。



1974年のマタドーも同様、前後の大改造です。車軸間は相変わらず118インチ。



1975年からは車軸間118インチ据え置きで、ミッドサイズのマタドーがフルサイズって事になり継続販売です。外観の違いは尾灯のデザインの小変更と前照灯内側の駐車灯が丸型から楕円の角形になったくらいか。。。



1976年の(自称)フルサイズのマタドー。殆ど変更無し。


1977年のマタドー。また変更殆ど無し。真横から見ると1967年型のランブラー・レベルと車体中央部が同じなのが分かります。


1978年、最終型のマタドー。世は既にGMのダウンサイズされた大型車が(C/Bボデー両方)圧倒的な人気を博し、AMCの大型車なんて誰も見向きもされず、ウィスコンシン州ケノーシャのフルサイズは生涯を閉じます。この個体は1978年だけ用意された、以前はクープ型にもあったバーセローナ特別仕様車。


そのAMCの本拠地ケノーシャから西へ小一時間行った農村地のバーリングトンにはかつてナッシュが建設した試験場があり、AMCからクライスラーに移って間も無く売りに出され、現在でも民間試験企業が運営しています。マタドーもアンバサドーも、ジャヴェリンもペーサーも皆、ここで修行していたんですね。。。


1980年代に未だ親がウィスコンシン州のミルウオーキーに住んでいた頃、父が首府のマデイソン市に出張に行く際、乗合バスに乗って行ってたんですが、バス会社は今はなきコンチネンタル・トレイルウェイズと地元のたぬきバス(Badger=狸と解釈していた)があるんですが、どう言う訳かたぬきバスは定刻に走らず、トレイルウェイズに乗り遅れた父は何時もぼやきながら遅れて、たぬきバスで帰宅していました。。。
Posted at 2020/06/10 10:12:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「ウェブサイトの不調 http://cvw.jp/b/1945280/48563877/
何シテル?   07/26 10:58
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
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