何かの拍子で先日、将軍様の傘下で辛うじて生き残っているビュイックのセダン型車、内装なんかどうなっているのかしらと思って見てみれば、アリ、全てSUV車だけになっているではないですか!以前のビュイックは御多分に洩れず上からエレクトラ、ルセイバー、センチュリー・リーガル・スカイラーク、オメーガ・アポーロでんでんと決まっていたのですが、最近は中共で好評との走りで一番高いの持ってこい!と言えばシェヴォレイの中型車マリブーと同系のラクロスと言う中型車だったんですが、それも去年でひっそり消滅し、この有様ではビュイックのブランド自体が消滅しても何ら不思議じゃない気配になって来ました。
どうやら去年が最後だったらしいビュイックのラクロスくん。事実上ビュイック、セダーン型車の最高峰でした。車台はミッドサイズでしたが。
壊れたレコード盤が回る様で恐縮なのですが、再度もうすれば米合衆国では、特に昔からの保守派、は昔からのしきたりにこだわる人たちが多く、オイラは代々フォード車に乗っていてXYXフォード店から何十年もファルコンを買ってるんだとか、いや、ウチは開拓時代からシェヴォレイに乗っているんだと、日曜日の教会礼拝の後で昼食でも食べながら火花を散らす討論なんかが微笑ましい、ってのがザラだったんですが、車格の崩壊(伝統の車名を変え始めた頃からだと推測します)特定のブランド離れにハッテンするのですが、いやいや、その昔からのブランドが次々に消滅していくこの世の中、それどころの話じゃ無いのかもしれません。
されどどう言う訳だか、自分は余り特定のブランドに没頭する事は殆どなく、GMでもフォードでも、はたまたクライスラーでも、ああそうですかと取っ替え引っ替え来ては返す貸自動車になんの感情も持たないのですが、まあ、強いて言えば子供の頃運転練習に乗ったシェヴォレイの普通サイズですか、それと自動車整備訓練を受けていた学校が、昔のクライスラーの教材を使っていたので自動変速機やらは将軍様のターボハイドラマチックよりトークフライトの方が親しみを感じていたのかもしれません。昔のクライスラーの整備訓練の教材にはスライドと音声を出すテープだったかしら、を使って場面事に画像に合図がでてボタンを押すと次の画像に移る形式で、最近の日本の社会と似ていて小さな喋る人形、これをミスター・テックと呼ばれていました、が色々解説するんです。ただしこの可愛い人形、音声は60歳位のタバコを吸いすぎた漢字のダミ声で全く画像の印象とは異なるんですが、ぼくたちはああ、そうなんだと、不思議に合点して、やれ点火時期の調整だ、前輪アライメントの方法はと帳面に書き込んでいるのでした。我が国は昔から自動車が発達しているのでその整備訓練も当然力を入れて、やはりその整備する若い人達にも先記したブランドへの忠誠心を植え付けようと、そう言った機械整備を種目とする高等学校に先行投資して整備用車両の新車をあてがったり最新の整備要領を教育科目に提供したりとしています。それらは最近ではGM、フォード、クライスラーに限らず、外国の自動車製造が我が国で本格化して早、40年ですので、地元地域貢献と言う名目で進出して来たトヨータやホンダだけでなくトスカルーサのメルセデスや、スパータンスバーグのBMWなんかも盛んに工場地元の教育機関に整備教育の貢献するのが当然の如きとなっています。
ぼくの通っていた当時の整備学校の様子、実際本当にこんな雰囲気でした。
自動車整備業って言うのも場所によっては格差があり、うちの家族の香港では自動車整備と言えば牢屋から出て来た人の職業と相場が決まっておりあまり良くないらしいんですが、アフリカなどでは神様の様に扱われ、我が国でも以前は花形職業ではなかったんですが、技術の高度化により専門職でも高度な特化した訓練が必要で、今じゃトヨータ屋さんでも技術料が1時間で15,000円の時代、結構肩で風を切る職業に昇格した見たいです。
と、言っても昔は製造側は各地に整備訓練所を持っていて定期的にデトロイトから派遣される講師を交えて実地で車両をバラして教えていたのが最近は殆どが電網オンラインでの教室になっちゃっていて、整備書一つも昔は分厚い電話帳みたいなのを汚い手で捲っていたんですが今や全て電網経由ですもんね。以前職を失った際、沢山あったメルセデスの整備解説書を売りに出したら非常に高価な値段がついたので驚いたことがありました。でもメルセデスの整備書は非常に質が悪く、独語から英語の翻訳にズレがあるだけでなく、図面が間違っていたり解説写真の露出が悪く細かい所が真っ黒になったりしていて役立たずだったりするのですが、整備書でやはりダントツで優秀だったのは本田ですね。。。解説文が短く、かつ端的で図表示なども素晴らしかった。。。面白いのはルノーの整備書で、古い文献はフランス語・英語が入っているんですけど流石、アフリカやらの植民地で強いブランドなので、ここに注目、って所には目のマークが入っていたり、ここを測るって所には定規の絵が添えてあったり、所謂アルファベットを使わないピクトグラムが至る所で使われていました。そのルノーの整備講師は昔はルノー16だか何だかに工具と教科書満載して街から街へとホテル住まいのドサ周りと共に、壊れるトランスミッションやらブレーキの文句を肌で受付品質管理のお仕事まで任されて可愛そうでした。。。
1980年代までクライスラーの整備訓練となると、このミスター・テックが先生でした。可愛い形相とはかけ離れたダミ声のオッサンの音声が興醒め。
一項目の解説が終わるとポーンと音が鳴りボタンを押すと次の画面に移ります。
オレゴン州ポートランド地区のGMの訓練所はトユアラテインの99号線沿いの丘の上にありました。
90年代後半に撤退、今は私立学校になっていますが、建物の中の広大なるギャラージ部分が当時の用途と連想させるか。。。
先に書いたブランドの忠誠心、これが一番強く出るのは矢張り我が国の心の原点、ピックアップトラックだと思います。以前働いていた職場でもそれがきっぱり別れていて、フォード派のおっさんがたまたま貸し自動車でシェヴォレイなんかのトラックがあてがわれるとムスッとした表情で俺はこれには絶対乗らん、と一人で小型のフォードの経済車を借りて窮屈な格好で一人で仕事場に行ったり、GMのジーゼルのピックアップトラックがエンコでもすれば、ここぞとフォード派の衆はフォードの技術の優秀さを自慢したり、それは凄い熱戦が繰り広げられていました。
自分は好き嫌いありませんでしたが、このフォードのツインターボがシェヴォレイに載ったらいいのにな〜と思ってました。どういう訳か、貸し自動車のピックアップトラックはフォードが幅を利かせてました。。。。
その、はたらくじどうしゃ、は大から小までありますが、公式には車両総重量によって8つに区別されています。車両総重量は製造者が定めた一番重い状態で合法的に走れる重量で、最大貨物搭載量も含まれます。
クラス1小型貨物車。昔でいえばシェヴォレイのラヴ、今で言えば本田のリッジラインやらフォード・レンジャーやらの類い。総重量6,000パウンド以下。
クラス2は積載量中程度までのフルサイズのピックアップトラック。所謂ハーフトン辺りの奴ですね。フォードならF150、シェヴォレイならシルヴァラードの1500やら2500が相当します。総重量10,000パウンドまで(その中で軽、重と二分される)
今じゃ普通の家庭で愛用されるのがこやつ、シェヴォレイのシルヴァラード1500。
クラス3はそれ以上、ゴッツイ大型ピックアップトラックやらいすゞNPRで総重量14,000パウンドまで。シェヴォレイのシルヴァラード3500。ここ辺りまでなら個人で使う上限かしら、牧場でお馬さん載せたトレーラ引くとか。
クラス4になると真剣です。クラス3の強力版って種類で16,000パウンドまで。
クラス5はそれ以上の本格派でフレイトライナーやらピータービルトの小型を含み、総重量19,500パウンドまで。
昔で言うインターナショナル・ハーヴェスタ社はセムアイ・トラックだけではなく農業トラクタやら特殊大型軍用車両の専門軍団で、現在でも大型トラックを作っていますが、この一番小さいやつはクラス6に相当するCVシリーズと申します。。。
何を隠そう、このCVシリーズはシェヴォレイ・シルヴァラード4500、5500、6500のOEM供給版なのです。
クラス6はシェヴォレイ系でも最大型で総重量26,000パウンド、この26,000と言う数字が非常に重要でして、通常これ以上の重さの車両は営業運転免許が必要になります。総重量が26,000パウンド以下でも定員が15人以上の車両は営業運転免許、まあバスになりますね、が必要になります。
いすゞのFTRがクラス6に値します。
クラス7は総重量が33,000パウンドまでの大型トラック。
クラス8は総重量が33,000パウンド以上の大型トラック。
ついでにRV, 娯楽車両、要するにキャンピングカーですね、も大雑把にA, B、Cと別れており。。。
クラスAは大型の40フィートを越す、大型バスからの派生したモーターホームの類い。。
クラスBはコンヴァージョン・ヴァンみたいな小型の奴。
クラスCは一般的な普通のキャンピングカー。
今週は早くも収穫感謝祭の週。ニュウヨウク州北部の田舎で子供の頃生活していた自分はこの頃になるとこれを思い出します。校長先生の愛用していたフォードのモデルA。場所はキャスタイルと言う鄙びた村。ここは米国大陸横断競争キャノンボールランで有名になったブロック・イェイツ氏が住んでた場所です。イェイツ氏は2016年没。
ここは昔からあるサイダーミルと言う工場です。
ここで何をするかと言いますと、ぼくたち子供が森林で拾い集めた林檎を箱に詰めて持参すると、木製のベルト・コンヴェイヤーで運ばれ上から落下しすり鉢みたいな機械にかけられ林檎が潰されます。その泥状化した林檎を麻の袋に詰め平にし木版を載せ、その上にまた麻袋に擦った林檎を詰めまた木版を敷いてと何段も重ねていきます。最後にその上からベルトで駆動された押し棒で上からぎゅっぎゅっと押していくと麻の袋の隅から林檎ジュウスが絞り出されます。それを掬って容器に入れたものが僕らが言うアップル・サイダー。これが秋の飲み物なんですね。。。添加物一切無し。。美味しいんです。寒い地方でしたから家の外に置いておくと少しは保存が効くので寒い夜にシナモンの棒を入れて温めて飲むのが子供の頃の思い出です。悪ガキはこのアップルサイダーを地下のボイラー室の様なあったかい所に隠しておき数週間すると発酵してほろ酔いする、”ハード” サイダーなんかを隠して作ってました。。。ハワイのパイナップル畑でも広大な畑の隅で同じような果物酒を秘密で作り、午後作業に隠れていっぱい、なんてしてた話、聞きました。
麻袋に入れられた擦った林檎の上に木の板をはさみ重ねていきます。
それを上からぎゅーっと。キャスタイルの機械はこれよりずっと古い記憶です。
アップル・サイダーは殺菌されておらず色んなもの含んでいるので保存が利かないんですが、最近ではどうしたわけですか、超級市場でも見かけます。どす黒い色ですが美味しいんですよ。