
うちの家族は香港育ち、それも未だ香港が英国領だった頃に生まれ育ったので、かなり英国人っぽい所があり、常に順序よく列に並ぶのを好み、珈琲より紅茶で午後のテイー・タイムをしたがり、社員食堂はキャンテイーン、高架道路はフライオーヴァー、言い回し方も本格的な英語(米語ではない)だったんですが、その影も最近は薄れちゃってチョット残念です。先日用事がありワイキキー街中歩いていると、カラカワ大通りとクヒオ通りの間に短い、プリンス・エドワードと言う通りがあり、その名に直ぐに反応しました。これ、なんで英国の名前が付いた通りなの?と。そう言えばこの通りの終点には数年前までキングス・ヴィレッジと言う、英国風の小さな商業施設がありました。1972年に創立され中はチョット欧州風の迷路みたいになっていて食べ物屋さんやらお土産やさん、最後には週末になるとファーマーズマーケットみたいな物もやっていて面白かったんですが、今は全て取り壊され高層建築が建つそうです。
言われてみれば当地ハワイ、英国文化が結構根付いていて、昔の貴族が馬に乗って玉を追うポロ場は数件ありますし、人気探偵番組のマグナムP.I. (オリジナル版)に登場する人物、ジョナサン・ヒギンズ(ジョン・ヒラーマン)は英国の秘密情報軍に属していたとかで彼の英国訛りは非常に上手でした。それに見てください、ハワイ州の国旗は英国のユニオンジャックに八本の横線が入っているではないですか?何故に??
一般に言われる英国とは、イギリス、スコットランド、ウェールズと北アイルランド各国全部ひっくるめた事を意味しまして、UKユナイテッド・キンドンとも言われます。昔は大変力のある国で世界各地に出回り植民地を陣取り、植民地が独立した後でも領地を英国連邦と名前を変え絶大なる世界影響を与える凄い国だった、のです。その世界探検に出た英国人、キャプテン・クックが1778年に初めてハワイに上陸した白人でした。彼は結構先住人と揉め事を起こし事実、ハワイで亡くなりますが、カメハメハ王とは仲が良かったのか、次に1792年にこれまた英国から訪れたジョージ・ヴァンクーヴァーとは大層意気投合して、カメハメハ王朝と英国との関係が深まります。それが故にハワイの国旗にはユニオンジャックが取り入れられ、横に走る八本の線はハワイ州の主な島々、オアーフ、モロカイ、ラナイ、マウイ、ハワイ、カウアイ、ニイハウ、カホラヴェの各島々を表しています。ギャンブル好きのハワイアンはラスヴェイガスをハワイ州の九つ目の領地にしたいそうですが、それ程ラスヴェイガスにはハワイ人が住み着き、ハワイ住民の旅行の超定番と言えばラスヴェイガスです。ラスヴェイガスにはハワイ住民用のホテルまであるのです。。。
先週末、今年の初泳ぎで海辺に出れば赤塗りのMGBが駐車場に放置されていました。車検、登録、駐車場期限も既に失効して久しく、でもタイヤには空気が入っていましたからどうなのかしらと。。。一旦登録が失効すると、再登録までの月日の分の未収納登録料を揃えて払わないと再登録できないので、売却時など非常に厄介な事になります。(通常その分売却価格を下げます)。この個体、多分1976年辺りですかね。大きいバンパが付いていて英国病真っ最中のこの年代の英国車は我が国で年毎に変わる規制・法規に対処するだけでも大変だったのに、工場でのストライキ、低い信頼性と品質に悩まされるまさに暗黒の時代でした。このMGB, 前照灯の高さが規制に合わず、車体前部を変更する資金も無し、手っ取り早い方法で懸架装置のバネ長を延長して車高をあげて前照灯の高さに対応しちゃったんです。当然操縦安定性が著しく崩れ、その後幾度もアンタイ・ロールバーの径を変えたりその設定をいじってました。兎に角70年代中期は排気ガス対策、安全装備の強化、原油高の燃費対策と三重苦に苦しめられ英国車は特に苦労していたんですが、当時ハイスクールのガキだったぼくがニュージャージー州レオニアのブリテイッシュ・レイランドの本社に手紙を書くと、1車種ごとに分かれたキャタログの分厚い封筒を手紙まで入れて送ってくれました。大体レイランド社って言うのはトラックの会社だったんですね。その後、経営がにっちもさっちも行かなくなったB・L社は英国政府に買い取られ国有企業になるんですが、奈落への下り坂へのブレーキは一向に効きませんでした。。。
そのB・L社。1970年代初頭、合衆国には本格的な広報部も無く、広告なんか随分苦労していたらしいんですが、その中の一人がMGBの担当になり、広告案を練っている内に、ヒコーキからMGBを落下傘に吊るして投下して着地直後走り出す、と言う案を考え出します。この計画に助言をしたのが元、英国軍隊の軍人さんで航空機から物資やら車両を投下した経験があるので、それを信じて計画が実行に移されます。使用する航空機はキャナダはオンタリオ州トロントで作られているデハヴィランド・オブ・キャナダ社(英国はハットフィールドのデ・ハヴィランド航空機キャナダ支社として発足の会社)のキャリブーと言う超短距離離着陸のヘンテコな双発輸送機で、何を隠そう、この機、僕の勤めていた会社の機体をチャーターしたのでした。この会社、名前をインターマウンテン・アヴィエーションと申しまして、政府の息のかかった特殊企業で、その後他の航空会社と合併し、その会社に僕が就職したのでした。こういう危ない仕事やらヘンチクリンなプロジェクトを得意としていましたから、B・Lが弊社に打診してきたのも頷けます。ただしこの広報担当者、軍上がりの相談役に一つ聞き忘れたのは何十回も空中投下した後、一体どのくらいの成功率だったかで、てっきり彼の言う事は信用できると信じ込んで、キャリフォーニアのデイラーから赤塗りのMGBを一台召し上げて、キャリフォーニアの砂漠で撮影を開始します。その原因は後になって判明したとかで、なんでも撮影用に自重を軽くする為バッテリーを外した際に電解液がこぼれ、ご存知、これが強酸性なんですよね、それが括り付けられたストラップを犯し空中で切断されたとかで、関係閣僚が見守る中、パレットに載ったMGBは投下直後宙返りをし、真っ逆さまに落下。砂漠に着地した際のドスッとした音が響いたそうです。。。その夜、本社のお偉方さんに撮影どうだったか?と聞かれ何とか誤魔化すも、2代目のMGBを調達するのに非常に苦労したとの事。二回目の撮影は無事成功。一台めの損出をどう処理したか。。。これがまた面白い話だったらしいです。。。
昭和一桁生まれのウチの母は、女学校時代に色鉛筆で日本領土を地図で塗りつぶしたって言っていました。これが英国コモンウェルス。太平洋の小さな島々にも遠征していたのが判ります。
以前ワイキキーにあったキングス・ビレッジ商業施設。中の一件は日本の餃子屋の王将の ”ニセ版” が入っていました。現在この区画は更地、高層建築の建設は頓挫している模様。
キングス・ヴィレッジの横の通りがプリンス・エドワード通り。英国のプリンス・エドワードに因んだものと察します。香港の地下鉄の駅の名前も同じく。
アラワイ・ヨットハーバーの駐車場で眠るMGB。FMVSSの前照灯基準対応の為、バネを変えて車高をあげちゃったのは確か1975年式から。。。海風に晒されているのに錆びてないのは驚異。
マグナムP。I。に登場するジョナサン・ヒギンズ役のジョン・ヒラーマン。英国訛りが印象的でしたが、彼はテキサス生まれ・育ちのバリバリのテキサン。
1970年代、ぼくが手紙を宛てたニュージャージー州レオニアにかつてあったブリテイッシュ・レイランドの合衆国総本山の本社。マンハッタンからジョージ・ワシントン橋を越えて直ぐです。
電視広告撮影。。これが弊社の、デ・ハヴィランド・オブ・キャナダ社製のキャリブー機。
あっ、大失敗!
んで、もう一回。インターマウンテン社機。
二回目は成功。
めでたし、めでたし。
パンナム・ビルデイング裏、カヘカにある、昔々はホリデーマート、その後ダイエー、今はドンキホーテの駐車場で目撃したXJ40。それもV8。XJ40がこれだけ綺麗に保たれているのも近頃になっては珍しい。。。因みにお向かいのカピオラニ・メイナーの麓にある崩壊寸前の木造二階建ての連合住宅の駐車場に長い間、黄色のSD1ローヴァー3500があったんですけど、随分前に消えちゃいました。あれも正式のUSA仕様があった幻のくるま。。。
1,100台ちょっとだけ売った、幻のSD1ローヴァー3500。
そのSD1の計器盤。秘密はこれ、グローヴ・コンパートメント中央にある送風口。なんか変な場所にあると思いませんか?それもその筈。これ、左ハンドル車の場合、この送風口の穴にステアリングのシャフトが入るのです。よって計器盤は左右対称に設計されていて、計器盤の上の計器類がポッドごと移る仕組み。それに初期型は操舵輪が四角方をしていた。。。
グローヴ・ボックス中央の黒い送風口に注意。
左ハンドル仕様、グローヴ・ボックスの真ん中にある送風口が右に移ってます。

Posted at 2021/01/12 17:33:26 | |
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