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2021年05月18日 イイね!

サウスウエスト航空とGM実験部門

サウスウエスト航空とGM実験部門













全米で格安航空会社の先駆者、テキサス州のサウスウエスト航空、長い間会長を勤めていたのがハーブ・ケラハーと言う筋金入りのもと弁護士で、経営引率するのにこれ程お手本になる人はいなかったでしょう。会長のくせに深夜にエルヴィス・プレスリーの格好してハーレーデイヴィッドソンの単車に跨り夜勤の整備部門にピッザの差し入れを運んできたり、不利な法案が立法されればガンガン政府に殴り込みを掛けたりの、伝説の人でした。

ある年、サウスウエスト航空の広告に使うキャッチフレーズが先に他社に使われていたとかで文句が出て、裁判沙汰になりました。相手は小さな航空事業者。訴訟額は結構な数字になったんですがケラハー氏、お抱え弁護士の忠告を無視して相手側の社長に電話をかけます。こんな訴訟おこしても儲かるのは弁護士だけ。お互いに広報にも良くないし、いっその事、オタクと私で勝負しませんか?腕相撲で、と提案します。面白れ〜、アンタの挑戦かって出る!と相手会社の社長さん、その後二人は猛特訓を始めます。決戦の舞台は大きなステイデイアム借り切りの試合になるまでの大騒動に発展し、観戦に来る人に観戦券を売り、その収益は全て慈善事業へ寄付、決戦日に数千人が見守る中大接戦になるんですが、結局ケラハー氏、僅かの差で負けちゃうんです。でも相手の社長さんも彼に劣らず凄い人で、おらあ勝ったけど、まあ、アンタんところであのキャッチフレーズ、使ってもいいよ!と優しい言葉が出て観客は総立ちで沸いたとの事。

ケラハー氏は2年前、お亡くなりになりました。こう言った未来へ導いてくれるリーダーが少なくなった今日この頃、寂しい限りです。

自動車会社も同じ様な運命で、チャックジョーダンとか、ビルミッチェルとか、アイアコッカ、ボブラッツ、尊敬できる上役を失った大会社は糸の切れた凧の如く迷走が続きます。

1980年代、ダウンサイズ第二弾辺りを思案していた各社、心の迷いに悩まされ、その決断の噂を聞いて皆が卒倒したのが、あのフォード・マスタングを新型前輪駆動の小型車、フォード・プローブGTと言う車に置き換えようと言う経営陣の企みでした。5メートルを超すマスタング・マック1やらグランデが一夜でサブコンパクトのピントをベースにしたマスタングIIに堕ちた時も大変だったですが、いくら牙を抜かれたと言ってもマスタング・ファイヴ・ポイント・オーに憧れていたマッスルカーのファンの孫たちはこの、ミシガン州フラットロックのマズダとの共同工場で生産されるカペーラもどきのひ弱な車にマスタングの名前をつけるなんてと大激怒。まあ今の電気自動車をマスタング・マックEとして売り出された時は余り文句は煩くなかったみたいですが。後にフォードはプローブをマスタングの代替にするのを諦めます。。。

将軍様本家でもカマーロの先行きに悩みます。丁度その時期にシェヴォレイは世紀の欠陥車、コンパクト車Xボデーのサイテーションの後釜として、Lボデーと名付けられた新型コンパクト車、セダーンのコーシカと2扉クープのベレッタを世に出します。今回は ”絶対に失敗しないわよと” と何処かのお医者様の言う意気込みで最初の一年はフリート販売だけに絞り一般消費者の手に渡る前一年間に渡っての試験期を過ごした後、売り出されたコーシカ・セダーンは、サイテーション以上につまらなく、どう考えても1番の取り柄が車輪が丸い事ぐらいであとは何故この自動車を買わなきゃならないか考えさせる様なシロモノでした。2扉のベレッタは格好がスポーティーだったので幾らかマシだったんですが、ある日、将軍様が、あり、カマーロの後釜に改造したベレッタで行けないか?と提案します。実験部門は当時出たばっかりの新鋭スモールブロックV8、LT1をねじ込んでポンテイアック6000の四輪駆動を組み込んだ変態車(Xボデーで唯一四輪駆動があった)、同じ様な四輪駆動を横置きV6に過給器を2機装備した奴、それと横置きSOHCのV8を詰んだ高性能版をベレッタではなく、フェレッタと命名して試作しました。この3台のうちのフェレッタが一番完成度が高く、興味深いのはそのエンジンで、90°のV8で各バンクにキャムシャフトが一本、ベルト駆動、この”約” 3,500ccのエンジンは何と、いすゞの製作したエンジンだ、と言われています。詳しい事は全く分からず壊れた際の補機類も部品探すのに苦労するらしいですがこの個体、GMの経営が傾いていた頃に競りに出され売却、現在は個人所有だそうです。。。

将軍様の実験部門。面白いのはBボデーのカプリース・ステーションワゴンにコーヴェットのL83エンジンを積んだ奴。これは実際コーヴェット開発時、実験部が路上評価で公道にて走行するコーヴェットを追っかけるのに自分たちで作ったもの。後に普通のカプリース・ステーションワゴンには本当にLT1を積んだ凄いカプリースのステーションワゴンが販売されます。その先駆けですか。

まだフレーム付きの大型車が幅を利かせていた頃。V8よりもっとスムーズな自動車を作れないかと12気筒のエンジン載せちゃったシェヴォレイ・カプリース・ランダウ。ヨーク見るとこのエンジン、BMWのV12なんです。なので例のスクリュウ・エンブレムを隠してます。。。

ところでこのベレッタ。将軍様はこの名前、既にトレードマークとして登録されていて問題になる事最初から分かっていて使っちゃったんです。そうです、ベレッタと言えばイタリヤ老舗の拳銃の会社です。弁護士の脅しにも屈せずGMはベレッタを売り出して、当然訴訟を起こされます。結局1989年に話し合いで決着が付き、GMはベレッタ社に50万ドルのお金を払い、そのお金はベレッタ社が慈善事業に寄付。その代わりGMはベレッタの名称を使う事を許されました。んでその記念にと、ベレッタ社は自社製の拳銃を将軍様に奉納、GMはベレッタ社に当時一番高性能だったベレッタのGTUを一台寄付。ケラハー氏ほど目立たなかったですが、大企業内にも洒落た上役がいるもんですね。この世の中、まだ捨てたもんじゃない。。。

エルヴィスの格好してハーレー・デイヴィッドソンに跨るサウスウエスト航空のケラハー会長。キマってる。。。


その腕相撲で負けた!でも両方勝った訳ね。


マスタングの後釜になり損なったフォード・プローブ。


実際はマズダ・カペーラMX-6の兄弟車でした。


これがサイテーションの後釜のコーシカ。クロームが殆ど使われず、一応欧州風にしたかったんでしょうね。実際欧州に輸出されていました。この1987年に出たコーシカももっと前に出たJカーのキャヴァリヤも現実に言えば両車、コンパクトカーです。コーシカも足回りなどはJカーから部品を流用されてました。


そのクープ版がベレッタ。


コーシカは、シェヴォレイの伝統とも言うか、ハッチバック版もあったんですが、たったの3年間だけ。殆ど売れず。


当時、6人乗り!と言うのは実際に6人乗せるかは別として、結構重要な案件だったんです、自動車購買時。Xボデーのサイテーションは背もたれが分かれていましたが座面がベンチシート、でも5人乗りでした。


ミッドサイズのセレブリティはサイテーションのXボデーを拡大して、此方は6人乗りがありました。それも左右座面が分かれているスプリットベンチシートでは無く、座面も背もたれも完全一体の正規ベンチシート。ぼくがJFK空港で乗り回していたセレブリティー・ステーションワゴンの社用車がそうでした。


ベレッタにいすゞ製V8を積んだその名もフェレッタ。完成度高いです。


いすゞ製90°、謎のエンジン。。。。SOHC V8.


試作車の証。。


昔、バレッタって言う刑事物の番組がありましたね。。。主人公どんな自動車乗っていたっけ??


ベレッタでもない、バレッタでもない、フェレッタですよ、フェレッタ!


これがイタリヤはベレッタ社に献上されたベレッタGTU。


コーヴェットの試験車追うのに実験部が作ったコーヴェット・エンジンのカプリース・ステーションワゴン。


その後、実際にLT-1を積んだカプリース・ステーションワゴンが市売されるとは。でもこれは前期型なので普通の V8。この樹脂製のホイールキャップでバレます。このホイールキャップは初期型ですぐどっかにすっ飛んで行っちゃう困り物で翌年から改良されて鉄製になりました。


カプリース12気筒。黒い矢印がBMWのマークがあった所。このエンジン、壊れるんですよね〜。。。。


このお尻いじっている人、だあれ?
Posted at 2021/05/19 13:51:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2021年05月11日 イイね!

腹ペコ・ラマダン

腹ペコ・ラマダン













今晩はイスラム教の断食期、ラマダンの最後の晩です。ラマダンは月齢によって行われるので、約9ヶ月おきに行われるので、夏にラマダンが回ってくる年はかなり堪えるみたいですが、今年は春先だったので幾らか樂だったかもしれません。

20何年前、ぼくはサウジアラビアにある航空会社からの運航契約で我が家オレゴン州はポートランドからほぼ毎月中東に通い、弊社のジャンボ機、一番忙しい時は全部で4機が契約先の会社の塗装を施されその会社の便を飛ばしていました。

これは国内移動の際、非営利乗客として乗る際の切符。


サウジはつい最近まで観光査証も無く、招待された人しか入国出来ない国でした。査証の期限も月齢カレンダーを使っているのでいつ切れるかいつもハラハラでした。



そのある年、ハイ、丁度ラマダンが真夏にあった際、彼らの貨物機、通称インデイア・ユニフォームの重整備の納期が遅れに遅れ、弊社の便を急遽使われる事になり、毎週水曜日の路線は首都リヤドから東京・成田へ向かう途中、タイランドのバンコックで積荷を降ろし、ぼくらは成田で下船。成田で週末を過ごし日曜日の商業便で台灣の台北に移り、火曜日に台北からスリランカのコロンボ経由でリヤドに戻ると言うもの。

事件はその複便で起こりました。

台北を出てコロンボに降り荷上げをするんですが、丁度お尻にある補助エンジンの具合が余り良くなく、長時間使いっぱなしにしているとグズり気味で、一旦補助エンジン止まっちゃうと地上電源車と圧縮空気車を待っている間、機内は恐ろしく暑くなります。夏場のコロンボ、はい、暑いです。それに蒸し暑い。オマケに当時スリランカは内戦が始まっていて航空機が撃墜された件もあり、長居は無用と、僕らは当然急いでいました。幸い1時間ちょっとで無事荷物も積み終わり、ロードマスター便乗でしたので彼に重心計算書を作ってもらい、そそくさ出発、朝のアラビア灣をグングン上昇していきます。やっと巡航高度に到達し、最初の燃料計算するとどうも燃費が良くありません。まあこう言うこたあーよくある事さと考え直し、次の位置報告点で燃料計算すると、確かに燃料消費過大です。こりゃ何かマズイぞと、重心計算書から飛行計画書など片っ端から数字を確認していくと、ありました。なんと本社から来ていた飛行計画書に記されていたコロンボでの想定貨物量が抜けていたんです。って事は実際の機体重量が25トンも重い、んで燃料も余計に消費していたわけです。これじゃ目的地までの燃料が足りません。機長さん、弱った、白状して一旦コロンボに戻って燃料積み直そうと言いますが、ぼくは、ちょっと待ったをかけます。当時衛星電話などまだ普及してなかった頃、ぼくらはオレゴン州の本社との連絡に短波無線を使っていました。短波無線の中継をする会社が数社あり、短波で呼び出すと電話で本社を呼び出してくれ中継してくれます。一番使われていたのがストックホーム・ラジオと言う会社でスウェーデンのストックホームまで、長距離でも夜間なら届くんですが、アラビア海の真昼間、繋がるかしらと周波数入れてマイクロフォンを一回押しアンテナ・カプラで同調させてから、”ストックホーム・ストックホーム、サウジア・ナイナー・ゼロ・ファイヴ、ポジションコロンボ・オン・ファイヴ・ファイヴ” と周波数表見ながら問いただすと間髪入れず女性の声が返ってきました。(涙)。ストックホーム、サウジア・ナイナー・ゼロ・ファイヴ、リクエステイング・フォーンパッチ・トウー・デイスパッチ、暫くするとオレゴン本社運行管理のトムさんが出てきました。これこれしかじか、しくじったのでどうしようか?と相談すると、トムさん、んじゃ目的地をリヤドから距離の近いダハランに変更してそこで燃料補給してリヤドに行ったらどう?と解決案が出て、即受け入れます。ダハランはウチの定期便の寄る就航地なので勝手も知れてますし何とかなりそうです。

一件落着〜と危機を回避、これからはもっと書類を確かめようとリポートを書いて到着1時間前、僕はリヤドの本社に無線でダハランの気象確認しに呼び出します。リヤドの運行管理、しばらく待たされた後、信じられない気象観測を言ってきました。現在のダハラン、濃霧、視程0.5キロ。えっ!これじゃ降りられないジャン、代替目的地はお隣のバハレインです、そっちの気象は?と聞くとバハレインは現在視程1キロ。。。。もう限界です。こりゃ絶体絶命と操縦室で皆目を丸くしていると、リヤドは、待機せよ、待機せよとゆっくりした口調で言うんです。5分ぐらいして再度呼び出され、気象状態更新、ダハラン現在の視程50キロ、50キロ、バハレイン視程現在無制限、無制限と言ってくるんです。一同胸を撫で下ろしほっとしたのは言うまでもありません。ラマダン中はこう言う事がたまにあり、日中暑い中、食べる物も食べずに耐えて勤務時間は短縮されているとはいえ従業員は仕事に集中できなかったりでフラフラしているので。。。。。

んで、僕らは無事、ダハランに降りると、少し様子が変です。荷物の積み下ろしもせずただ給油だけなのにローダーは走ってくるは、貨物の担当の人が泡くって階段駆け上がって来ました。彼曰く、あーあ、よかった!実は数時間前、オタクの便が出て行ったあと、王様の親戚の重要貨物が入ってきちゃったんですが、この荷物、リヤドまで積んで行ってくれますか?と。僕らは、モチロンです!と即、積荷作業開始。なぜ臨時で突如ダハランに降りてきたかは誰からも聞かれず、小一時間後、ダハランを後に2時間半遅れでリヤドに到着。

会社からは怒られず、王様のメンツは保たれ、ボクらはいい勉強をさせて貰いました。

数日後、ラマダンは終わり最初の夜、市民は街に繰り出し大ご馳走の祝日が夜遅くまで続きます。ぼくらはトライデント・ホテルから歩いて何時も行くスークの2階のバルコニーでサワークリームに香料の入ったソースのかかったシャキシャキキュウリ入り、特別美味しいラム肉のシュワーマ、揚げたてのフレンンチフライと大きなジョッキに入り氷でギンギンに冷えた搾りたてのフルーツジュースで乾杯。

いい思い出でした。

Posted at 2021/05/12 17:04:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2021年05月09日 イイね!

最近見た物。その他。

最近見た物。その他。更新遅れ気味、最近の画像やらで誤魔化させてもらいます。

近所の便利店に寄ったら、ありゃま、またCボデーの2扉車。縦半分の尾灯で直ぐ1977年式と判ります。Cボデーがダウンサイズされた最初の年ですね。近所の車らしく後日給油中に出会い、持ち主とお話させてもらいました。本土から持ってきたとの事。綺麗に見えますがあちこち結構錆びてました。最近の大型多目的車に埋められるとこのフルサイズ車も結構こじんまりして見えます。







会計士屋さんの地下駐車場にあったマーキュリー・クーガーのコンヴァーチブル。ドスが効いてます。



ワヒワのリサイクルショップでは何故か雪かき棒の大セール。まあハワイでも他の島の標高高い山では雪もふりますが。。。



これが最新型のフォード・マスタング・マックE。電気自動車でランボーギーニ並の性能らしいですけど、名前がちょっとね。。。。なんでマスタングなのか。



因みに此方は、レンタカアです。現在ハワイ州はレンタカアが極度に不足しており賃貸料が法外に高く1日で7万円とか、末にはタマ数足りず苦肉の末観光客が引っ越しトラックを借りて乗り回してとかの状態です。去年観光業がストップした際、2万台弱あったレンタカアは野球場とか広大な空き地に皆保管されていたんですが、次第に登録が切れて、ハワイ州は登録切れた車両を再登録する際、切れていた期間の登録料を事前に払わないと再登録できないので、先の見えない経済だったので殆どの車両、本土に戻しちゃったんですね。。。ウチの予備のプリアス、貸に出そうかしら。。。



1946年式(多分)シェヴォレイのフリートマスター(だと思ふ)が路上でエンコ。



カネオヘからの帰りの渋滞。



全損ですね。日産のアーマーダ大型多目的車。



クアロア公園で左折待ち。モータースクーターの集団が会合をやっていました。



前の単車、よーく見ると登録票が。。。好き者か。こういう日本の文化、流行ってます。



ウオールマートに牛乳買いに行って見ると、あれま、ルノーのF4が!我が国で初めて見るR4・F4です。でも最後期型で細部が近代化されており魅力半減。古いR4なら昔は欲しいとは思いましたが。。。





メキヒコ製日産ヴァーサのレンタカア。合衆国日産の最廉価車(多分今は違うかも)。これ、安風情ながら転がすと結構図太い性格の持ち主でイケるんです。



4扉セダン型車、特に大型フォーマルなタイプは以前では考えられなかった事ですが、現在は韓国勢に追いつかれ、現代自動車高級ブランドのジェネシスと起亜自動車が幅を効かせ、ジェネシスの上級車種、このG90になるとレクサスも真っ青、お値段も800万円からと言う異次元のハナシ。因みにこの個体は旧型です。エンジンは5リッターのV8。



超級市場で遭遇した双子の片割れ?我が家の奴はフォグライトが装備されている点が違ってます。このプリアスの一番の問題は車高が低い事で乗降時難儀する上に前部スポイラー下部、乗降扉の下側、ありとあらゆる所で車体底部を引きずり、段差、突起、歩道の縁などが頗る苦手で、ゆえ常時擦ったり傷がつき、他の個体も観察すると同様です。あと複合材でできているハッチバック(これが重たい)の扉のバランスが悪く取っ手の位置も不適な事も手伝い開閉に難儀します。他にも営業や格好に追われて肝心な技術的論理がかなり犠牲になってる箇所が多数見受けられ、我が家で同時に走らせている旧型の方が乗用車としては遥かに適切な設計になっていますが、新型の平均燃費が通算リッターで33キロってーのは真似できませんがな〜。



大統領の宣言通り、我が国、特にハワイ州の予防接種は凄い勢いで進み、自分は職業柄最優先で既に数ヶ月前にファイザーの接種2回とも終わらせ、先月、家族が摂取可能になった頃には近所の超級市場でも気楽に受けられ、待ち時間ゼロ、先客無し。かかった時間がたったの5分。2次接種の頃になるともう予約なしで買い物がてらにブラリと寄って、ハイ、おしまいです。



ぼくが接種した3月は未だ大展示会場が接種会場になっており、その駐車場で見かけたカローラ。車高が少し下がっており、ムーンアイズ?のハブキャップが良くお似合い、それもスタンダート仕様的で飾りがごく控えめなのが素敵。



戻ってきた観光さんたちのお乱れの姿を激写させていただきました。カイルアビーチ、波高し。ハワイ州は通常国内の観光客が1日およそ25,000人から30,000人訪れ、日本からのお客さんが大体1日で5,000人、それが今現在では国内観光客が20,000人から24,000程度、日本からは来る便がある日は1便60人乗っている程度。。



眠い目擦り早朝出勤すれば西の空には虹。



地元の私立学校の広告。



何処かで見た事あったようなマークだと思ったら。。。。

Posted at 2021/05/10 04:24:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「ウェブサイトの不調 http://cvw.jp/b/1945280/48563877/
何シテル?   07/26 10:58
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
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