ロケットなどを飛ばす、アメリカ航空宇宙局、頭文字を取ってNASA、ナサと呼びます。友人数名がそこで航空機の乗務に携わっていて、ぼくも働かせてくれない?と何回か打診したんですが、未だに良い回答もらってません。
一般に、頭脳の優れた人たちの俗称はよく、”ロケット技術者” と比喩されます、我が国では。自分が凡人である事を主張したい時には高い確率で、”ぼくはロケット技術者と言った覚えはない”、と言う具合にですね。なのでNASAに勤めていれば食堂の調理師でも会計監査官でも ”ロケット技術士” と呼ばれる笑い話があります。
その趙技術集団、月に人間を送って、連れて帰ってきた政府の集団ですから、泣く子も黙るくらいのドスが効いた響きを感じます。
その航空宇宙開発で開発された技術が結構身近なところにあると言うお話し。
冷戦前夜、我が国の軍はいかにしてロシヤを打倒するかで、まだ未熟な技術で応えられるよう、奇想天外な事をネヴァーダ週の砂漠の基地で極秘に日夜研究没頭していて、その一つがX15実験機でした。兎に角高高度、高速で飛ぶ事を目的に研究していたんですが、その目標ってーのが尋常ではなく、速度がマック6、音速の6倍で飛ぼうと言うんですから未知の世界を超えてお伽話を徐々に現実の世界へ下ろしたような研究をしていました。山ほどある課題の中でも、それだけの高高度、高速で機会を飛ばした試しがないので、高温、低音、想像を絶する厳しい環境の中で従来通りの物事を制御する仕掛け、油圧とか電動とかが正常に作動するのが難しいと解った時、考え出したのがフルイデイック・コントロールと言う技術でした。通常制御に使う電気を入れたり消したりするのには機械的に作動するリレーを使うか、電子的に作動するトランジスタを使います。その両方の作動が保証されない環境で、そのスイッチ作業に流体を使うと言う物です。液体を絞り穴から押し出す際、根本にちょっとだけ圧力を入れると液体はその方向に噴射方向を変えるのに注目、これがX15実験機の性能測定、行動制御に使われました。日本語で流体素子というのかもしれません。
根本でちょっと圧力与えれば噴射方向が変わるのなら、根本左右同時に圧力を加えたらどうなるのかと申しますと、結果的に液体が左右交互に高周波で噴射されます。これを応用したのがフルイデイック・ウィンドシールドワッシャーです。昔のウィンドシールドワッシャーは一筋の洗浄水が前窓目掛けて噴射されますが、フルイデイック・ワッシャーは水玉が左右交互扇状に動きながら噴射されると言う奴です。確か1979年に登場したフォックス車台のフォード・マスタングが初採用したと覚えています。このフルイデイック・ウィンドシールドワッシャーはまんべんに効率よく洗浄液を噴射するので、洗浄性能向上した分、少ない洗浄液量でも前窓を効果的に洗ってくれるので、洗浄液タンクの容量を少なくでき、当然重量軽減に貢献し燃費向上に貢献出来ると言う訳です。このフルイデイックの特徴は構造が簡単で中に動く物がないので壊れにくく、噴射角度の厳密な調整を省けると言う好点もありました。
このフルイデイック技術は気体にも応用できて、それを使ったのが1990年に登場した宇宙から降りて来たような前衛機構満載のポンテイアック・トランススポートと言う流線型のミニヴァン。それは頭上まで届く巨大なる前窓の構造でデフロスタの風を満遍なく隅々まで届かせる為、前窓根本の温風噴射孔にこのフルイデイック構造を取り入れゆらりゆらりと温風が左右に満遍なく効果的に届く仕掛け。
これがマック6で飛んだ試験機、X-15。
そのX-15に使われたフルイデイック流体素子技術。根本に迂回回路を設けると液体は左右首を振りながら噴射すると言う仕掛け。
それを自動車前窓洗浄液噴射に応用。
多分最初に使ったのが1979年型フォード・マスタング。
それをデフロスタに応用した例。
ポンテイアック・トランススポート。通称ダストバスター。簡易掃除機に様相が似ているので。
これが元祖、ダストバスター。ブラック&デッカー社のヒット商品。
ヒコーキの翼の表面を流れる気流には境界層と言うものがあり、その気流の流れが翼から剥がれると揚力を失い、翼はただの板と化します (失速)。そこでNASAは境界層制御技術を色々考え出し、超低速で仰角が大きくなり境界層が剥がれる場合に、色々な仕掛けで強制的に翼の表面に気流を這わせとんでも無い低速でも安全に飛行させる技術を開発してました。超短距離離着陸が可能になるわけです。
NASAでは境界層制御の実験機を沢山持っていましたが、これもそう。ジェットエンジンから圧縮空気の一部を取り出して、翼の上から吹き付け気流が剥がれないようにしています。日本の新明和の飛行艇も同じ様な仕掛けですね。
それと同様に境界層の原理を使って空気抵抗を減らすラジエータ・グリルを考え出したのは、多分フォードが最初でした。僕の知る限り、最初に採用したのが、1976年に出た経済車、フォード・フィエスタ。
そのラジエータ・グリルが。。。。
こういう断面になっているのです。低速時は空気流入量が自由に。高速時は圧力差により制限されるという仕組み。
このアイデイアは結構よかったらしく、その後各フォード車に普及しましたが、1980年代、フォードが本格的に流線型時代に突入するとラジエータ・グリル自体が無くなり、この翼形状スラット・グリルも消滅しました。
航空機製造会社が自動車を作ると、どうしても航空技術をふんだんに使った優れた自動車。。。みたいな広告を出したがりますが、ぼくの知る限り、まあその宣伝文句、説得力はありますが、実際、航空技術と自動車では原価計算からして桁が違い、その思想が見て取れなかったかなと言う例もなくは無いんですが、そう言う場合、大概は単に経済的な理由開発費の低減で、航空機の技術を ”使わざる得ない” 事情で、それを逆手に取って宣伝していた例が多かった様に感じました。
その内、スウェーデンのサーブは航空技術と盛んに宣伝はされましたが、確かに合理主義の技術屋がなりふり構わず、こうしなきゃいけないんだ、と独自の機構を1990年代まで推し進めた、珍しい会社でした。サーブのヒコーキを運転したことはありませんでしたが、自分はちょっと古いサーブをいじった事があるので。。。
サーブってフランス車みたいにエンジンとトランスミッションが逆に載っていて、英国はトライアンフの4気筒エンジンが後、トランスミッションが前、いや、正確にはトランスミッションがエンジンの真下に抱え込んでいて、それ故高さを抑える為、シリンダブロックは右に45度傾いて搭載しています。エンジン前方にはクラッチが付いており、それを旧型は斜めにカットしたベベル歯車でエンジン下にある並行軸を回して減速、後期型はチェインで並行軸まで駆動伝達。なので、クラッチ板を交換する際、エンジンもトランスミッションも下ろさず、ラジエータやら補機類をちょっと外すだけで簡単に出来ました。下記の透視図、何もクラッチ側が前方です。
昔のサーブは2ストローク・エンジンでその弱点は、エンジンオイルが混合給油の(覚えてる?)ガソリンと混ざった潤滑油だけで賄っているので、エンジンブレーキをかけた際、気化器から殆どその潤滑油の混ざったガソリンが供給されないと、特に高回転時、潤滑油切れでエンジンが焼きつくのです。それを防止する為にフリーウイーリングと言う機構がついていました。これはエンジンより車体の速度が速くなると(要するにエンジンブレーキ時)、自転車のワンウェイクラッチの様に駆動が切れて空走行する物です。なのでエンジンブレーキはゼロになりますが、ガソリン供給の無い過回転でエンジンの焼きつきを防げます。4ストロークに移行してもこの機構が残っていて、変速レヴァーの横のレヴァーを引いておくとエンジンブレーキが全く効かず、その代わりちょっとでもギャスペダルを緩ませるとエンジンはアイドルに落ち、滑空状態にスーッと入るのでした。。。その副産物として、ギャスペダルを離せばクラッチが自動的に切れるので、一旦走り出せばシフトアップもシフトダウン共、変速時にクラッチを全く踏まなくてもいいのです。(その代わりブレーキ、特に前輪のは、よく減りましたけど)
サーブの1977年型からは前部の方向指示器が大きくなったと思えば、なんと前方の曲がる方向を照らすコーナリングライトなので驚いていると、その横にもう一つ、似たような白電球があって、こちらは後退する際、後退灯と同時に点灯し、後退の際車体側部を前から後へ照らすと言う仕掛け。。余りにも便利で面食らいます。
側面に後退灯がある例を知っているのは、前にも後にもサーブとC4コーヴェットだけです。
15インチのタイヤ、温風式後窓のデフロスタ、使用用途別にわざと違う形状で揃えたスイッチ類、側面認識を可能にする僅かにセリ出た尾灯、換気排出口の位置、その技術一つ一つを分かりやすく説明する解説本がこの頃の欧州車には必ずあって、それが消費者向けに販売店にちゃんと置いてありました。技術者が消費者に提案し、訴える事、理由、がヒシヒシと伝わってくる、そう言うのが昔の欧州車でした。と同時にそう言う事が分かる人、その検案を大切にする人が輸入車の主な顧客だったのです。サーブ、BMW, メルセデス・ベンツが特にこう言った類の普及に努力していましたが、それが今じゃ、ああ、またの愚痴、やめておきましょう。。。
フォード・フィエスタ。いつかお仕事で砂漠を徘徊した時の図。ここはキャリフォーニア州ナイ群のボニークレア湖と言いまして、この干上がった湖、1950年代、上記のマック6で飛ぶ極秘試験機、X15機の緊急着陸地として用意された場所でした。昔からその干上がった砂漠の湖に軽飛行機で着陸するのが夢だったんですが、実際に走ってみると結構大きな石がゴロゴロしていて、やめておいてよかったと悟りました。
番外編。今朝久しぶりに日っペリさんの趙大型機が飛来。左側方向舵踏んでいるのが判ります。
元祖ハワイ・ファイヴ・オーの主演、ジャック・ロード氏が晩年、この椰子の木の前の建物に住んでいました。。奥さんとこの辺り散歩していたんでしょうね。。。
ジャック・ロード氏は奥さん共々ハワイで生涯を終えた、ハワイをこよなく愛したハオレでした。格好よかったな〜。
そのカハーラ、昔のマンダリン・ホテル横は由緒あるワイラエ・ゴルフクラブ。青い屋根の邸宅はソニーの創立者、盛田昭夫さんの住んでいた、通称ソニー・ハウス。彼が他界された後、奥様が暫く住んでいたらしいですが、その後2回転売。ここ数年空き家の様子。その3軒先は旧、石原裕次郎邸。
冒頭図は五木寛之氏の昔の広告をお借りしました。今流行りの ”キャラクター” 類の無い、大人の広告、戻って来て欲しいです。
Posted at 2021/08/10 15:58:51 | |
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