我が家は集合住宅なのでゴミは駐車場内にある、軽自動車が一台すっぽり入るくらいの大型鉄製有蓋箱に捨てると、毎週一回、フォードのF250だかの荷台を外して油圧稼働のフォークを付けた車両が器用にその有蓋箱をミツバチの様に走り回り敷地外の道路に移動させて並べ、道路上にずらっとゴミ箱が並んだ所で、普通の大型ゴミ収集車が来てその巨大な箱を持ち上げ車上で回転させて中身を落下させ回収。空になった箱はまだフォードが素早くフォークに引っ掛けて元のともろに戻すと言う、サーカスみたいな事を毎週繰り返してます。
そのゴミ収集車は、左、右両方に運転台があり、歩道脇までギリギリに寄れるだけでなく、低床の運転台で乗り降りがし易くできていて、この手のゴミ回収車、大型貨物車でもこう言った特殊用途を得意とする、老舗のオートカーと言う会社の製品が幅を利かせています。でもオートカー社は過去に各トラック製造社を何回か買収・売却繰り返しており、ゴミ収集車は本を正せば、今はなきトラックの大手メーカーだったホワイト・モーター・カンパニーが作っていたエクスペディター型を延々と基礎に今でも生産しています。
そのホワイト・モーター・カンパニー、1970年代初頭に若返りを図ろうと、甚だしく旧退化したトラックの外観を新設計する際に雇ったのが、日系の自動車デザイナー、あの有名なラリー・シノダ氏でした。冒頭の顔写真がその人です。
シノダさんは南加州に生まれ、1963年にシェヴォレイ・コーヴェットがモデルチェンジした際、高性能版のステイング・レイのデザインに関与した事で余りにも有名です。
初代コーヴェットは高性能車と言うより、いささか雰囲気重視が目的だった様で、シノダ氏のC2になってから巨大V8エンジン搭載で真剣に高性能を目指し始めた感じがしました。
初めて格納式前照灯を採用のC2。当然真空モータ駆動。これを最新の電気モータで格納する改良部品が随分出回っています。こう言うのが正真正銘のリトラクタブル・ヘッドライト。1966年に出たオールズモビル・トロナードも同じく。他はただ単に ”隠れる” ヘッドライト、(Hidden Headlights, Hide -away-Headlights) ヘッドライト自体は固定されていて、その前の庇やら蓋が開閉して前照灯が見えると言う、お手軽式、シェヴォレイでも1968年と1969年のフルサイズ車に注文装備できました。蓋が2分割で上下に開く、凝った仕掛け。
ステーションワゴンにも隠れるヘッドライトを注文出来たのが面白い。。
GM時代に上司だったバンキー・ヌードセンに引っこ抜かれてシノダ氏はフォードに移籍、マスタング・ボスなど高性能車を生み出しましたが、封建的会社のフォードの重役からヌードセンと共にシノダ氏も僅か数年でクビになります。(クビを命じたのがあの、リー・アイアコッカ。数年後、彼自身もフォードからクビになる)。
その後ヌードセンが始めたモーターホーム製造会社に就職したシノダ氏は、レクトランス・デイスカヴァアーと言う何とも興味深いダッジ商業車を下敷きにしたモーターホームをデザインします。
レクトラン社のデイスカヴァアー型モーターホーム。横転事故の修理が上手く行かなかったのではありません。車内与圧をかけすぎて膨れたのでもありません。あのステイング・レイとは少し異なるこのデザイン、非常に興味深い所であります。はい。しかしこの車両、数台並んで暗い倉庫の中にでも遭遇したらとても怖いと思ふ。。
モーターホームでもこんな可愛いのだったら抱っこしたくなるかも。。。小型、低重心、水平対向水冷6気筒、シェヴォレイ・コーヴェアのパワーパックを使った革新的だった小型モーターホーム。その名もウルトラ・ヴァン。
低重心、革新的と言えば、1973年から1978年まで売られたGMCのモーターホーム。オールズモビル・トロナードを基に作っているので当然前輪駆動。その安定性は凄いもの。少量ながら商業版もありました。このGMCのモーターホームのお話はまた近い内に。。。
デイスカヴァアー程ではないにせよ、こう言うのもあったと言う事で。いえ、レンズが故障しているのではありません。横突されたのでもありません。上から押しつぶされたのでもありません。ダッジのBヴァンの中央部を足して幅を広めた、その名もワイド・ワン(直訳すれば ”広い奴”)ホノルル・ダニエルKイノウエ空港の従業員駐車場に一台ありますねえ。。。アイスクリーム食べ過ぎると運転手もワイド・ワンになるのでご注意を。
ヌードセンは暫くしてトラック製造のホワイト・モーターに移籍、レクトランス社もシノダ氏と共にホワイト社に吸収されモーターホームの生産は終了。シノダ氏は旧態化し売れ行きさっぱりのホワイト社製トラックのデザイン若返りを頼まれ、驚く程の短時間及び低費用で新型を開発。それがバカ受けし、ホワイト・モーターは大繁盛します。1973年辺り、シノダ氏がデザインされたのが大型のロード・ボス、それよりちょっと小さいエクスペデイター、そのエクスペデイターが今でもオートカー社に受け継がれ生産されているんですから、凄いもんです。あのゴミ収集車を街で見かけると、あり、あのデザインは日系のシノダ氏の息がかかあっているのさ〜と、チョット嬉しくなります。
ホワイト社はトラック業界の編成・買収劇に巻き込まれシェアを落とし、GMやらヴォルヴォブランドに化けた後、結局消滅。シノダ氏は独立してデザインのコンサルタント業務の仕事を立ち上げ、1997年に他界。67歳の若さでした。
そのコンサルタント業をしている最中、彼の事務所に訪れ来たのが当時、まだあったアメリカン・モータース。何でもジープ・ワゴニヤに変わる大型四輪駆動車のデザイン案を探しているそうで、何社か打診してコンペ方式の選択中、彼にも提案を依頼。後日、彼のデザインは著しく劣っていると不採用になり、デザインの提案代は払われた後、使われた粘土のモデルからスケッチなど全て回収。そして数年後の時点で消滅していたAMCに代わり、クライスラーから発表されたZJ型ジープの外観がシノダ氏が提案した図と瓜二つな事が判明。デザイン提案契約の際に多分、AMCに訴訟を起こせない案件が契約書に記されていたのが噂ですが、結局シノダ氏はクライスラーを相手取り訴訟を起こし、5年間後、シノダ氏の亡くなった年に、20万ドルの金額を勝ち取ったそうです。
俗に言う、ZJジープ。アメリカン・モータースの最後に開発した車両。皮肉な話で発売発表された頃、すでにAMC社は消えていて、親元はクライスラー・ジープでした。
現在のオートカー社のゴミ収集車
ホワイト時代のゴミ収集車。ラジエータ・グリルに斜めの線が入っているのはこの頃、ヴォルヴォ・トラックと提携していたから
その原型はホワイト社のエクスペデイター車。これはシノダ氏が改良したモデル。実に1970年代でモダーンです。ハイウエイ時代、モーレツ?いえ、そう言うの我が国には無かったです。
シノダ氏が改良する前、ホワイト社は恐ろしく旧態化したこんな車両を長い間作っていた。。。。
これもシノダ氏が手を振るったロード・ボス。
ロード・ボスの前はこんな形。。。
ラリー・シノダさんは戦時中、ウチのグランマと同じく収容所に連れて行かれて、ここ、マンザナーで過ごしたそうです。現在は国定公園になりマンザナー収容所跡は素晴らしいです国営歴史館となっています。マンザナーはモハーヴィ砂漠を北に進み、オーウェンス谷を少し入った所で、頗る風光明瞭な土地ですが、冬は寒く、風は強くと、さぞかし収容者は苦労したと察します。
マンザナーからデスヴァレー跨ぎネヴァーダ州を越えた所。
マンザナーの歴史館。背後はマッキンレー山(の方)。合衆国48州で一番高い山、標高4,400メートル。
おまけ画像、その一。ヒルトン・ラグーンで寝っ転んでいたら、レインボー棟の背後の空に本物のレインボーが。数分で消えちゃいました。
おまけ画像、その二。高級宿、ハレクラーニがやっと営業再開。でも館内人っ子ひとりいませんでした。

Posted at 2021/10/04 09:02:54 | |
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