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JetBoyのブログ一覧

2021年10月09日 イイね!

饒舌の自動車

饒舌の自動車

















ずっと昔、お仕事で始業点検の一部で操縦室の計器盤の時計の時刻合わせと言うのがありました。今でもこれを習慣的にやる人を見ると、あり、古狸だな〜と直ぐわかります。何故時計の時刻を合わせないといけないかと申しますと、一旦洋上に出て地上からの航法電波や地上レーダーの届く域を越えると、航空機の管制は無線で送る定置報告に頼るしか無いので、その報告に含まれている現在地の通過時間、次の報告地の到着予想時刻などが3分以内の正確さが法律によって要求されるからなのです。まあ、今じゃGPSに衛星で管制される時代だし、第一計器盤の時計自体が自動的に合わせてくれる(新型機は)ので、時計の針合わせなんて作業はやらなくなったでしょうが。えーと、まず短波の周波数を2.5MHz, 5.0MHz, 10MHz, 15MHzか20MHzに合わせると、刻々と時報を数える音が聞こえます。これは多分日本で標準電波と呼ばれる物で原子時計かなんかで発せられるんでしょうね、正確な時刻を正確な周波数で発信するもので、発信機はコロラド州デンヴァーの北、フォートコリンズと言う大學町の北ハズレの広大な敷地に巨大なアンテナを数本立てて政府の委託機関が運営しています。この標準電波のコールサインはWWVと言いましてもう1919年から稼働している歴史の古い物で、以上の短波周波数を10から25キロワットの出力で発信する他、主に時計の補正の為の放送、WWVBを60KHzで50キロワットの出力で放送しています。この他にハワイ州カウアイ島のバーキングサンズミサイル基地より同じ標準電波をWWVHとして発信しています。お互い発射する方向を配慮して混信しないようになっているのですが、電離層の具合が悪いとお互い混信するのでカウアイ島の音声の部分は女性の声でして、フォートコリンズの方は男性の声になって識別できると言うわけですな。

標準電波WWVの受信域。



我が国では時報を聞いて一斉に時計の針を合わせる習慣と言うのが余りなく、今じゃ携帯電話に正確な時刻が表示されるようになったので、電波時計自体が知っている人が殆ど居ない状態で、オマケに本土からデージ離れている太平洋の孤島ハワイ州になると電波時計を持っていてもフォーとコリンズからの補正電波WWVBの到達距離圏より少し外れるので、電波時計を窓際に置いていて1週間くらいするとなんとか補正されていた、と言うような状況で、日本の電波時計を置いていた方が電波を受信出来る頻度が遥かに多いのです。中古品屋で見つけた掘り出し物キャシオの電波時計、数日使ってみると電波は受信できて入るのですが、どうやら日本からの人が売った時計だったらしく、拾う電波は日本の奴なので、何時も日本時間を示している事に気がついた。。。。。


時刻補正電波WWVBの受信域。ハワイ州はちょっとの所で圏外になってます。



そのカウアイ島からのWWVH放送、時刻を読み上げる女性の声、彼女にはちゃんと名前があるんです。その人の名はジェーン・バービ(Jane Barbe) 彼女の声、どこかで聞いた事あると思ひきや、バービさんは声優が職業だったお方で、特に電話会社、全米ベル・システムやらで、例の ”おかけになった電話番号は現在使われていません。。。” などの録音音声の殆どを担当されたお方なんです。2003年に74歳の若さで他界されていましたが、彼女の素敵な音声はまだ聴こえると言う次第。

ジェーン・バービさん。流石声優、色々なアクセントを自由自在に操る。


1970年代はまだ電話料金は高く、深夜料金、長距離料金とか複雑で、何かと交換手さんと話す事が多かったのを覚えています。受信料払いのコレクトコール、特定者とのパーソン・To・パーソンコール、ダイアル0を回して交換手と。。。と言っても若い人に ”ダイアル” と言う単語自体が通じないんですね、ダイアルって何? ヒッチコックの ”ダイアルMの殺人” みたいに電話自体が話題になる番組やら影視も結構あって、電話を使ったトリックはコロンボの定番でしたし、ジェームス・ガーナーのロックフォード・ファイルも探偵屋さんの彼はいつも頻繁に留守番電話の交換手に公衆電話から電話を入れてました。



こう言ったTVで電話が出てくる場面、意外と知られていないのは、電話番号が話題になる際、殆ど必ず最初の3桁の局番が555で始まるんです。これは昔から555で始まる電話番号を最初から架空の電話番号として電話会社がブロックしてあるからなんです。でも流行歌などは別らしく、1980年代初頭の流行歌、トミー・ツートーンの流行った曲の題名が “867-5309 / Jenny” (恋人ジェニーの電話番号867-5309) なんかは市外局番さえ付いていなかったですが、同じ番号の家に相当朝晩電話がかかってきて、番号を変えてもらった家庭がたくさんあったと聞きました。玉元一家の唄った6700番、市内局番がコザだったのか、南風原だったのか、いまだに興味があります。。。。






1980年代は電脳時代。その最先端を一時期象徴したのが、しゃべる自動車でした。一番先に来たのは確かまだダットサンだった日産自動車。当時のナショナルセミコンダクター社と開発した音声発生装置、さぞや半導体を駆使した宇宙的な装備と思えば、実際はなんと超小型のレコード盤にトーンアームを付けたという何とも原始的な物。910ブルーバードのAピラーから先を伸ばした6気筒のダットサン810とその高級版マキシマ(ブルーバードGも810として売っていたので910もその続きと思われたかったのか、いずれもダットサンZカーの心臓!と言うのが謳い文句でした、後に810の名称は廃止、ただのマキシマに)200SX、300ZXの高級版に装備されていました。その女性が読み上げる音声になぜか少しアクセントがあり、一定の警告だとわずかですが呂律が回らないと言うか、少しお酒が入っているようなお声が可愛かったです。


実際に作ったのは日立か、日本電装か。知りたい所です。




最初はブルーバードG北米版810と同じく、ダットサン810と呼ばれていた910。これは非常に珍しいマキシマじゃない普通の810。廉価版ですね。手動変速機、普通の車輪。見たことついぞありませんでした。この頃ダットサンがニッサンに移行し始めた頃でデージ混乱しました。個人的にはダットサンのブランドを消滅させたのは大失敗だったと思います。



ハンツヴィル電子部門を陣頭に独自に最新電子機構を開発するクライスラーも1983年からKカーの高級版やらに音声警告装置を導入します。こちらは半導体で作られた音声発生装置をコムピュータ会社のテキサス・インスルメンツ社(TI) と共同開発。そのマイクロチップは同時期、TI社から発売されていた児童用学習機、スピーク&スペルと言う学習玩具のを流用していたので、音声が全く同じなのが面白いのですが、この音声は実際の人の声を16ビットかなんかで解析してデジタル化しているので非常にスムーズなのが印象的で、流石にハンツヴィル頭脳群団です、最初は11項目の警告から始まって後には24項目まで多様化され、関心するのは不具合を修正すると、例えばヘッドライトの消し忘れを注意され、スイッチを切ると ”ThankーYou” とちゃんと後々まで面倒を見てくれる事。でも1988年頃までには見かけなくなっちゃいました。当然キャナダ東部仕様だとフランス語、メキヒコ仕様だとスパニッシュで問いかけられるようになっていました。

これがそのテキサス・インスルメンツ社のSpeak&Spellと言う学習玩具。音声はクライスラーの音声警告と同じ。これ、結構流行ったんです。当時。



ハンツヴィル電子部門集団の技術の頂点。残念な事にクライスラーのハンツヴィル電子部門はダイムラー・クライスラー時代の2004年に独國ジーメンス・VDO自動車計器部門に売却されちゃいました。


1984年式クライスラー・ニューヨーカー。やはり相当ケバいですな。そこがクライスラーの魅力なんですけどね。


1980年代半ば、Kカー(軽自動車ではない)をストレッチした奴、なんとEクラスと呼んでいました。メルセデスに文句言われなかったのかしら。。。




こんなのもありましたね。エンジンが三菱製だったりして。少し伸ばしたエクゼキュテイヴともっと長いリムジン。


GMは2回目のダウンサイズを実施した1985年辺りから、ビュイックとオールズモビルに比較的簡単な音声警告装置があり、フォードは1983年と1984年だけ、デジタル計器盤と抱き合わせでサンダーバードとマーキュリー・クーガーにポツンと音声警告が注文装備できるとは記されていましたが余り興味はなかったらしく、リンカン車にはついぞ装備されなかった様子。

フォード車に音声警告が付いたのはこの車種、1983年と1984年だけ。


GMは再度ダウンサイズされたCボデーに音声警告装置が。このビュイック・エレクトラはGMで初めてエンジン・コンパートメントやら補器類が意図的にデザインされた車種でした。


あの保守的なビュイック、それも一番の高級車の報道写真が、なんと黒タイヤ(ホワイト・サイドウオールではない)を履いていたのが天地変動の大事件だったのです。当時、ホワイト・サイドウオールのタイヤはお洒落の意味ではなく、豪華仕様の必須装備の一つでした。


ナショナルセミコンダクター社と言えば会長さんはピーター・スプラーグ氏。何を隠そう、彼は1970年代にアストン・マーテイン社の会長も兼任していて、彼の影響であのタッチスイッチと世界初のデジタル表示の計器盤で話題になったラゴンダ2が登場するも、あのタッチスイッチの開発は最初の電子会社が倒産、それを引き継いで貰ったのが商用機構開発の経験が全くない大学の研究機構で遅れに遅れた伯爵様に納入する第一号車が納入式の場で煙を出し、BBC放送で放映された際はエンコして下り坂を転がり降りている所を動画にしてもらうなどの大失態で、電子計器盤類は結局テキサス州の航空機計器製造会社に受託されましたが、量産が始まると未来的な操作系や表示は一般的な物に変わって随分未来感が薄れてしまいました。。。この写真、なぜか左側の給油口が開いていますね。ラゴンダ2は燃料タンクは一つなのに給油口は便利な事に左右両方あって、給油ポンプのノズルの位置を選ばないのですが、当然タッチ式の給油口開閉スイッチも2つあって、初期型は触れるだけで直ぐ作動しちゃうのでその結果かも。初期型のラゴンダ2は後扉窓がハメ殺しで換気は100%空調装備に頼っていましたが、当然それが壊れるので直ぐに後窓は開閉式に改良されました。後扉窓に桟が追加されているので開閉窓式は直ぐ分かります。



あり、今、何時やろ?そろそろ就寝の時間です。

ゆくみそーれー。
Posted at 2021/10/10 18:45:05 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2021年10月06日 イイね!

トラック野郎 (乗ろう)

トラック野郎 (乗ろう)ぼくがニューヨークJFK空港の作業車両管理していた時代、一番大きいのでもせいぜいクラス6程度、普通免許で乗れる上限で、フォードのF650でしたかね、FMC社の徐氷車でブームの先にバケットがあり、運転手が徐走しながらバケットに乗った作業員がヒコーキ目掛けてノズルから除氷液などを噴射するもの。一応クラス6ながら液体満載にすると公道で走行できる一般車両の上を行くので本来なら二種免許持った人しか運転出来ないはずなんですが、走るのは構内だけなので除外適応されていました。ブームを伸ばすと重心が極端に動くので、アクスルロックと言ってボタンを押すと後車軸をぎゅっと捕まえて引っ張り、懸架装置を固定してブーム先のバケットがゆらゆら揺られない装置が付いていました。



んで俗に言うセムアイ・トラック類は自分、余り詳しくなく、知った様な口はしたくないんですが、以前は普通の乗用車会社でもクラス8の大型トラクタ売っていたのが最近見かけないと思ったら、全てあの市場から撤退していました。。。

将軍様、シェヴォレイとGMC、70年代は結構見掛けたもんですが、1980年代、その時点で老舗のホワイト・モーターのトラック屋さんを傘下に収めていたヴォルヴォ・トラック社がGMのGMCとシェヴォレイの大型トラック部門を吸収、その後GM系は廃止に。

こういうフッドが突き出たのを一般にコンヴェンショナル型と言います。GMCのコンヴェンショナル型はジェネラルと言う名前、キャブオーヴァー型はアストロでした





GMCと全く同じでシェヴォレイ版だとタイタンとバイソン。シェヴォレイは1980年代早々に大型トラック市場から撤退。GMCは数年続きました。





ダッジの最後のクラス8トラックは1975年。コンヴェンショナル型はビッグホーン


キャブオーヴァ型はLシリーズ。


フォードが一番最後まで頑張っていて、流線型の大型Lシリーズを1998年頃まで作っていましたが、フォードはケンタッキーのルイヴィル(限りなきルーヴォーと発音します)工場をメルセデス系のフレイトライナー社に売却。



一番最後まで作っていたのがアエロマックスと言うシリーズ。1980年からずっとフォードは流線型に凝っていましたからね。。。


これでGM, フォード、クライスラー3社のクラス8大型トラック・トラクターの製造が全て終わっちゃったんでした。。。。

これは珍しいマーモンと言うトラック。手作りで最上級の部品を使い、トラックのキャデラック! と言われていた珍しい会社(間違ってもトラックのレクサスとは言わないでチョーダイ)。1997年に製造停止。テキサスにあった工場は現在インターナショナル社のトラック工場。




1960年代に流行ったターバイン発動機を使ったトラック。

シェヴォレイ版の名はタイタンIII。


フォード版はビッグ・レッドね。


ビッグワンよ。


冒頭は幻のべリング・トラック。韓国の現代トラックを北米で合弁会社がべリングのブランド名で1999年から発売。されど2000年に入ると親元現代社がダイムラー・クライスラーと提携し車両供給が止まり、べリングのブランドは2001年廃業に追い込まれ後、訴訟沙汰になり、米べリング側が裁判外に補償金が来て終了。売ったのは1,400台程度でした。

今日のおまけ。欧州クライスラーが大英帝國でルノーとして売っていた小型トラック。どっかで見たと思ひきや、運転台は米ダッジのBヴァンを流用しています。
Posted at 2021/10/07 16:59:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2021年10月03日 イイね!

自動車のデザイン

自動車のデザイン





















我が家は集合住宅なのでゴミは駐車場内にある、軽自動車が一台すっぽり入るくらいの大型鉄製有蓋箱に捨てると、毎週一回、フォードのF250だかの荷台を外して油圧稼働のフォークを付けた車両が器用にその有蓋箱をミツバチの様に走り回り敷地外の道路に移動させて並べ、道路上にずらっとゴミ箱が並んだ所で、普通の大型ゴミ収集車が来てその巨大な箱を持ち上げ車上で回転させて中身を落下させ回収。空になった箱はまだフォードが素早くフォークに引っ掛けて元のともろに戻すと言う、サーカスみたいな事を毎週繰り返してます。

そのゴミ収集車は、左、右両方に運転台があり、歩道脇までギリギリに寄れるだけでなく、低床の運転台で乗り降りがし易くできていて、この手のゴミ回収車、大型貨物車でもこう言った特殊用途を得意とする、老舗のオートカーと言う会社の製品が幅を利かせています。でもオートカー社は過去に各トラック製造社を何回か買収・売却繰り返しており、ゴミ収集車は本を正せば、今はなきトラックの大手メーカーだったホワイト・モーター・カンパニーが作っていたエクスペディター型を延々と基礎に今でも生産しています。

そのホワイト・モーター・カンパニー、1970年代初頭に若返りを図ろうと、甚だしく旧退化したトラックの外観を新設計する際に雇ったのが、日系の自動車デザイナー、あの有名なラリー・シノダ氏でした。冒頭の顔写真がその人です。

シノダさんは南加州に生まれ、1963年にシェヴォレイ・コーヴェットがモデルチェンジした際、高性能版のステイング・レイのデザインに関与した事で余りにも有名です。

初代コーヴェットは高性能車と言うより、いささか雰囲気重視が目的だった様で、シノダ氏のC2になってから巨大V8エンジン搭載で真剣に高性能を目指し始めた感じがしました。


初めて格納式前照灯を採用のC2。当然真空モータ駆動。これを最新の電気モータで格納する改良部品が随分出回っています。こう言うのが正真正銘のリトラクタブル・ヘッドライト。1966年に出たオールズモビル・トロナードも同じく。他はただ単に ”隠れる” ヘッドライト、(Hidden Headlights, Hide -away-Headlights) ヘッドライト自体は固定されていて、その前の庇やら蓋が開閉して前照灯が見えると言う、お手軽式、シェヴォレイでも1968年と1969年のフルサイズ車に注文装備できました。蓋が2分割で上下に開く、凝った仕掛け。


ステーションワゴンにも隠れるヘッドライトを注文出来たのが面白い。。


GM時代に上司だったバンキー・ヌードセンに引っこ抜かれてシノダ氏はフォードに移籍、マスタング・ボスなど高性能車を生み出しましたが、封建的会社のフォードの重役からヌードセンと共にシノダ氏も僅か数年でクビになります。(クビを命じたのがあの、リー・アイアコッカ。数年後、彼自身もフォードからクビになる)。

その後ヌードセンが始めたモーターホーム製造会社に就職したシノダ氏は、レクトランス・デイスカヴァアーと言う何とも興味深いダッジ商業車を下敷きにしたモーターホームをデザインします。

レクトラン社のデイスカヴァアー型モーターホーム。横転事故の修理が上手く行かなかったのではありません。車内与圧をかけすぎて膨れたのでもありません。あのステイング・レイとは少し異なるこのデザイン、非常に興味深い所であります。はい。しかしこの車両、数台並んで暗い倉庫の中にでも遭遇したらとても怖いと思ふ。。


モーターホームでもこんな可愛いのだったら抱っこしたくなるかも。。。小型、低重心、水平対向水冷6気筒、シェヴォレイ・コーヴェアのパワーパックを使った革新的だった小型モーターホーム。その名もウルトラ・ヴァン。


低重心、革新的と言えば、1973年から1978年まで売られたGMCのモーターホーム。オールズモビル・トロナードを基に作っているので当然前輪駆動。その安定性は凄いもの。少量ながら商業版もありました。このGMCのモーターホームのお話はまた近い内に。。。


デイスカヴァアー程ではないにせよ、こう言うのもあったと言う事で。いえ、レンズが故障しているのではありません。横突されたのでもありません。上から押しつぶされたのでもありません。ダッジのBヴァンの中央部を足して幅を広めた、その名もワイド・ワン(直訳すれば ”広い奴”)ホノルル・ダニエルKイノウエ空港の従業員駐車場に一台ありますねえ。。。アイスクリーム食べ過ぎると運転手もワイド・ワンになるのでご注意を。



ヌードセンは暫くしてトラック製造のホワイト・モーターに移籍、レクトランス社もシノダ氏と共にホワイト社に吸収されモーターホームの生産は終了。シノダ氏は旧態化し売れ行きさっぱりのホワイト社製トラックのデザイン若返りを頼まれ、驚く程の短時間及び低費用で新型を開発。それがバカ受けし、ホワイト・モーターは大繁盛します。1973年辺り、シノダ氏がデザインされたのが大型のロード・ボス、それよりちょっと小さいエクスペデイター、そのエクスペデイターが今でもオートカー社に受け継がれ生産されているんですから、凄いもんです。あのゴミ収集車を街で見かけると、あり、あのデザインは日系のシノダ氏の息がかかあっているのさ〜と、チョット嬉しくなります。

ホワイト社はトラック業界の編成・買収劇に巻き込まれシェアを落とし、GMやらヴォルヴォブランドに化けた後、結局消滅。シノダ氏は独立してデザインのコンサルタント業務の仕事を立ち上げ、1997年に他界。67歳の若さでした。

そのコンサルタント業をしている最中、彼の事務所に訪れ来たのが当時、まだあったアメリカン・モータース。何でもジープ・ワゴニヤに変わる大型四輪駆動車のデザイン案を探しているそうで、何社か打診してコンペ方式の選択中、彼にも提案を依頼。後日、彼のデザインは著しく劣っていると不採用になり、デザインの提案代は払われた後、使われた粘土のモデルからスケッチなど全て回収。そして数年後の時点で消滅していたAMCに代わり、クライスラーから発表されたZJ型ジープの外観がシノダ氏が提案した図と瓜二つな事が判明。デザイン提案契約の際に多分、AMCに訴訟を起こせない案件が契約書に記されていたのが噂ですが、結局シノダ氏はクライスラーを相手取り訴訟を起こし、5年間後、シノダ氏の亡くなった年に、20万ドルの金額を勝ち取ったそうです。

俗に言う、ZJジープ。アメリカン・モータースの最後に開発した車両。皮肉な話で発売発表された頃、すでにAMC社は消えていて、親元はクライスラー・ジープでした。


現在のオートカー社のゴミ収集車



ホワイト時代のゴミ収集車。ラジエータ・グリルに斜めの線が入っているのはこの頃、ヴォルヴォ・トラックと提携していたから


その原型はホワイト社のエクスペデイター車。これはシノダ氏が改良したモデル。実に1970年代でモダーンです。ハイウエイ時代、モーレツ?いえ、そう言うの我が国には無かったです。




シノダ氏が改良する前、ホワイト社は恐ろしく旧態化したこんな車両を長い間作っていた。。。。


これもシノダ氏が手を振るったロード・ボス。


ロード・ボスの前はこんな形。。。


ラリー・シノダさんは戦時中、ウチのグランマと同じく収容所に連れて行かれて、ここ、マンザナーで過ごしたそうです。現在は国定公園になりマンザナー収容所跡は素晴らしいです国営歴史館となっています。マンザナーはモハーヴィ砂漠を北に進み、オーウェンス谷を少し入った所で、頗る風光明瞭な土地ですが、冬は寒く、風は強くと、さぞかし収容者は苦労したと察します。


マンザナーからデスヴァレー跨ぎネヴァーダ州を越えた所。


マンザナーの歴史館。背後はマッキンレー山(の方)。合衆国48州で一番高い山、標高4,400メートル。


おまけ画像、その一。ヒルトン・ラグーンで寝っ転んでいたら、レインボー棟の背後の空に本物のレインボーが。数分で消えちゃいました。


おまけ画像、その二。高級宿、ハレクラーニがやっと営業再開。でも館内人っ子ひとりいませんでした。
Posted at 2021/10/04 09:02:54 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「合衆国のVW文化、その4 http://cvw.jp/b/1945280/48458481/
何シテル?   05/30 15:26
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
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