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JetBoyのブログ一覧

2021年12月29日 イイね!

冷戦 割れた氷河とトム・ハンクス

冷戦 割れた氷河とトム・ハンクス














時は1960年代前半です。

そもそも巷はキューバミサイル危機前夜。旧ソヴィエトが米本土を攻撃する為、核爆弾を米本土至近距離のキューバから発射させようと言う動きが感知されていた時でした。もう一寸第三次世界大戦が勃発するかの際どい所、全米中がピリピリしてケネデイー大統領とクルシュチョフ書記長が火花を散らす、文字通り一触即発寸前の時代です。今からなら考えられない程、我が国は共産主義と戦う覚えを国民が意識していた時代を想像して下さい。家庭の庭先に埋めて逃げる核避難シェルターが本当に売られていたんです。





ニキータ・クルシュチョフ書記長は国連で顔を真っ赤に大激怒し、米国合衆国を責めます。あまりにも興奮して自分の靴を片方脱ぎ、演説台を何回も靴で叩いたとの噂でしたが実際はどうだったのか。。。。今でも謎だそうです。



アメリカ合衆国最大の敵国、旧ソヴィエト連邦。その隣り合わせのアラスカ州とは距離にして海を隔ててたったの88キロ。極東ロシアにあった潜水艦基地からゾロゾロと北極海あたりを彷徨く潜水艦の動きを観察する意味もあり、アラスカは極寒の軍事要塞が人里離れた僻地に結構な数が設置されていました。

1961年のある遅春の日、海軍の観測機が北極近くの空域を磁波探測収集飛行の際、偶然にもソヴィエトの氷河が割れて動き出し、その上に設置された観測所が廃墟になっているのを発見。そこを調査すれば我が国の喉から手が出る程欲しい敵の資料が得られます。そしてこの計画は ”コールドフィート計画” と命名され展開が始まります。しかし1961年の夏中、急いでどうやったらそこに辿り着けるかを研究している間に、短いアラスカの夏は終わりを告げ、冬に入りチャンスを逃します。

翌年の春先、今度は割れたもう一つの氷河にあった、去年のより新しいソヴィエトの観測所から撤退したとの情報が入り、キャナダの北、レゾリュート灣からなら何とか飛行機で到達できそうな距離との事で、キャナダの了解を得て計画が始まります。実際に位置情報を確認すると更に北西に移っていてこれならアラスカ州のポイント・バーローが一番近い事が判明。

さあ、どうやって割れた氷河に人を入れ込めるのか。。。考えた末選ばれたのが、当時開発中だったフルトン・スカイフックと言う装置。これはヒコーキの機首にV字型の長いフックを備え、後尾にウインチを設け、人を落下傘で地上に下ろし、次に人員を回収する際、身体に付けたハーネスに風船を繋げ、低空で飛ぶ飛行機前方のV字型フックでその風船を引っ掛け、その後ウインチで機内へ引っ張り上げると言う物。たまたまその装置の開発をウチの会社のヒコーキに付けていたのでお声が掛かった次第。即、一連隊はアリゾナからアラスカを目指します。これが4月の末。





計画は悪天候をついての時間に追われギリギリの状況で、まず精密な航法装置を載せたP2V機を先導に付け、やっと2日目の飛行時に目的の氷河を発見、要員を落下傘で下ろします。それから正確に72時間後、迎えに戻る訳です。まずい事に迎えに行く頃には天候が更に悪化し、下手をすると要員の回収が不可能になる所でしたが、ギリギリの悪戦苦闘で何とか成功し、ポイント・バーローへ帰投。機内では戻ってきた連中にスコッチ・ウイスキーが振る舞われたとか。。。



これで得た情報がまた興味深く、案の定、ソヴィエトは潜水艦を水中の音で認識できる技術が頗る高度で、それに北極圏の気象情報解析、それと北極域の海流分析などは我が国より高度な物を持っていて、かなりの情報が得られたとか。初めて実用に使われたフルトン・スカイフックはこれで実用性が証明され、後日、アジアの戦争でも使われる足がけになりました。

この任務に使われたヒコーキ、第二次世界大戦中に盛んに使われたボーイングB17G爆撃機と申しまして、この固有の機体は実は戦時中末期に製造されたので戦争には使われず、後に軍の輸送やらに使われ20数年後、お払い箱になった際、山火事消火に使われる目的で弊社の先駆けの会社に転がり込んできたのですが、ヘンな話で弊社に機体が納入後、一旦登録書の番号が書き換えられているんですね。これはどうも戦後の偵察機などは、相手を混乱させるために同じ登録番号の機体を2、3機作り世界の離れた場所で飛ばし意図的に敵さんを混乱させる事があったそうで、ウチに来たのはその一機だったと言うのが上司の見解でした。

そのウチの先駆の会社は一応、山火事消火が建前だったんですが、たまに他の事業にも使われ、有名になったのは、1965年、ジェームス・ボンドの影視、007シリーズ、”サンダーボール”  に使われました。一番最後の場面でショーンコネリーが救命ボートから美女と一緒にヒコーキでピックアップされる場面、あれがウチのB17Gでした。





その後、会社が一旦火災消火のお仕事やめたので、アリゾナの砂漠で惰眠していたんですが、カイチョーさん私設の博物館を開く事になり、その整備に駆り出された僕はアリゾナ砂漠の格納庫で、整備の手伝いをやらされました。床下キールビームに高度応答式トランスポンダを取り付けたのは僕です。アハハ。

1994年でしたかね、真夏の航空の祭典、ウイスコンシン州で開催されるオシュコシュ航空祭に出展する事になりその準備をしていた矢先、エンジンが壊れます。やっとこさで替えのエンジンを調達して交換出来たのが出発2日前。夜を突いての慣らし運転はぼくと若いジェーソンくん(若くてひょろっとした優しい目の彼も今やマイクロソフトの運営する戦闘機の博物館の恰幅の良いお偉方になっちゃった)とふたりで朝の2時、エンジンの回転数をアイドルで30分、次は500回転上げて30分と、夜を徹して続けるんですが、じわじわと油温が上がってきて、日が昇る頃には一旦エンジン止めて、原因を調査せねばならず。。。結局潤滑油のタンクにスラッジが溜まっていて流れを妨げていた事が原因でした。

脚立の上でため息ついているのがジェイソンくん。






アリゾナのマラーナからウィスコンシン州のオシュコシュまで8時間、途中でしばらく運転させてもらいましたが、まあ長距離爆撃機なので当然かもしれませんが、運転して樂しい種類ではなく、まさしくお仕事ですね、まるでタイロッドエンドが摩耗した、重量超過のトラックを運転している感覚を思い出しました。。

やっとアリゾナを出発。


キャンザス州サライナ。


その道中、給油でキャンザス州のサライナに寄ります。一応、歴史的な骨董機なので、寄ってくれると宣伝になるのか、ここで給油をするとお得な値段で燃料分けてくれると言う訳です。当時、ここにはフラワー航空と言う地上支援会社があって、有名なのは給油の注文取りに来たり、ケータリングの食事出したりするのが皆、ミニスカートの女の子達で、一定以上の燃料を買うと、無料でステーキをくれたりと、客寄せとして結構有名でした。

フラワー航空の広告。現在は廃業しちゃったらしいです。


そのフラワー航空の駐機場で燃料補給していると、近くに停まっていた、あちらも給油中の、確かイズラエル製IAIのウエストウィンド機だったかな、小型ジェット機から背の高いオジサンがこちらにツカツカ歩いて来て、イヤー素晴らしいヒコーキだね、第二次世界大戦の爆撃機だろ?と親しげに語るので、案内役のぼくは、いつも通り、機内を案内して色々説明してあげました。この人、気さくでフレンドリーで案内した後、機外で握手を求められ有難うございました、お陰で貴重な体験でしたと挨拶された後、ああ、自己紹介遅れてすいません、ぼくの名前はトム・ハンクスと申しますと言うんですね。でぼくは、ああ、トムさんどうもどうもと言って握手の時間がちょっと長いなと思い、もう一度お顔を拝見すると、あれ、この人、俳優の誰だっかしら、に似てますねと言おうとすると、彼、そう、ぼく俳優のトム・ハンクスです、と言うではないですか! 即、皆と記念撮影して彼は丁重な挨拶して去った後、使った写真機にフィルムが入ってなかったのを発見したのは翌日の話。。。嗚呼。

ウイスコンシン州までの眺め。機内は極めてうるさいです。


オシュコシュ航空祭での展示。ぼくは機内後尾の案内役。


25、26年前のぼく。ああ、若かった。。。


時は流れて20数年後、ウチの会社は倒産、その翌年にカイチョーさんも他界。施設博物館は競売にかけられるのだけは免れましたが、親会社の負債充当で保有機の内、数機は売却され、そのB17Gも売られて去り、今では東海岸の博物館団体の元で飛んでいるそうです。

施設博物館で展示されていた頃。2012年だったかな、撮影月日。


1968年配給のサスペンスドラマの影視、”アイス・ステーション・ゼブラ”。あのロック・ハドソンが主演、コロンボでお馴染みのパトリック・マクゴーハンも出てきます。あらすじがこの、コールドフィート計画を基に書かれたとされています。



因みにコールドフィート計画が遂行された1962年緊迫の夏が去り、10月に入ってからやっと、ケネデイー大統領とクルシュチョフ書記長の間で密約が交わされ、核爆弾の使われる大戦争は瀬戸際で中止になりますが、悲しいことに、そのケネデイー大統領は翌年、テキサス州はダラスで銃弾の犠牲となり、暗い暗い1960年代はさらに泥沼の世界情勢に巻き込まれていったのでした。。。。。

また空飛ぶ話ばっかりで恐縮です、再度、キャデラックの広告でお口直しを。
1968年のフリートウッド・エルドラード。人間が月を歩く前の年です。この年になるとエルドラードのエンジンは何と、7.7リッター。後に8.0リッターで電子燃料噴射装置の注文装備が選べる時代。オマケに前輪駆動。キャデラックの広告は流石、安風情の全く縁もゆかりも無い人気俳優なんかは絶対出てきません。でも登場人物とキャデラックを取り巻く環境事情を描写するのが頗る上手でした。額縁に入れて掲げたい程、絵になります。因みにこのエルドラードは数えて9代目になるんですが、前扉の窓の後、いわゆるクオーターウインドウですね、小ちゃくても縦長、長方形の窓がちゃんとあり、電動で開閉できるんですが、その開閉の動作、下に収納されるのではなく、斜めに沈むのでもなく。面白いことに平行に動いて後方に静々と滑り動き窓が開くんです。一度内装剥がしてその機構を見てみたいもんです。



冒頭はいつかキャンザスでお会いしたトム・ハンクスさん。気さくで気取らない、評判通り、素朴で良い人でした。お隣はそのジェット機に同乗していたステイーヴン・スピルバーグ氏。
Posted at 2021/12/30 16:46:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記
2021年12月12日 イイね!

火災消火 加州エルシノー

火災消火 加州エルシノー














これも又、少し前のハナシ、以前務めていた会社でのお仕事です、またヒコーキ関連、お許しください。

ウチの飛行機は世界で最大規模の火災遅延剤を投下する機体でした。機体は元、鶴さんの中古機を大改造して左右完全分離したに系統の液体タンクを10っ個搭載、それを地上で充填した高圧圧縮空気を使い空中から四つの解放弁を制御して空中散布する仕掛けです。散布できる液体の容量は約、80,000リッターくらい。次に大きいのがDC-10さんであちらは大体35,000リッターですから彼らの2倍近くの容量です。でも別に大きければ大きい程良いと言う訳ではなく、いくら高性能の消防車でも密接した市街地では余り役に立たないのと同じで、大から小まで、火災の規模、状態、進み具合など総合的に判断して出動命令が来るので、まあ、工具箱に特大のハンマーを入れているのと同じですね。でも今まで無かった容量の投下が出来ると言うことで随分苦労したと共に驚異的な効果も発揮できました。

これは投下試験の図。


このお尻の下の穴が投下噴出口。四つの噴射口使い最大圧力にすると、丁度ジェットエンジン1機分の推力の勢いで噴射されます。それにしても機体がピカピカでせう?暇があればぼくが磨いてたからです。。。


特に扉の取手は玄関みたいなもんですから。。。ドレモールに磨き粉付けて一日中磨いてました。


難燃剤の入った機内のタンク。片方五つ、全部で十個。左右完全分離していて、片側五個に消化剤入れて片側五個に難燃剤入れて、燃えかかる建築物に消化剤投下して消火した後、間髪入れず難燃剤を落として再燃焼を防ぐなんて芸当も朝飯前。


これが難燃剤の流通商品名、フォズチェック。これを一定の比率で水と混ぜて搭載します。化学的な分析と定期的の品質検査で厳しく管理されています。赤の色は投下した所を容易に確認できる為に混ぜられている染料で、時間が経つと紫外線のお陰で色は消えます。この大きな包みに入った粉のフォズチェック、火の手が広がると毎日大型トレーラでワンサカ運ばれてきます。


山脈の頂上にフォズチェックを撒くと。。。赤い線を境に左が燃えて黒、右が燃えずに住んだ森林で緑。左から進んできた火の手がフォズチェックにぶち当たると、ピタリと先に進まなくなるのが分かります。


煙が左に吹いているので、火の手が左から右に進んでいるのが分かります。この図は珍しく、山の頂上から下へ炎が進んでいます。でもフォズチェックのお陰で見事に停められている。。。白い未舗装の道はドーザーラインラインと言って、ブルドーザーなどで道を作って燃える植物を最初から取り除いて火の手が進むのを阻止するもので、通常、山脈の頂上なんかに造られています。



我々は加州の森林局からの契約で主に、サンフランシスコ辺りから北へ、オレゴンの州境辺りまでを担当していましたが、たまに南キャリフォーニアの火災が手に負えなくなると出動要請が来ます。

大、中、小。出動命令を待つ図。


大規模の火災は気象予報、火災の規模、大きさ、市街地か山岳地か、被害に遭う建築物、人命、重要施設などが毎日検討され、それに稼働可能な消防車、ブルドーザー、消防員の数、航空機材の数などが配慮され、毎晩偵察機を出し上空からの特殊撮影で地上温度の分配などをコンピュータで分析し、翌日の火災作業の計画を立てます。

んでウチらは結構昼間には地上待機と言うのが多かったんです。まだ出番じゃないと。報道はナマ中継で家が燃え人々が長い列を作り徒歩で避難しているって言うのに、他の航空機材は数分おきにピストン輸送で忙しそうなのを横目にぼくらは指を咥えているんですね。と言うのもウチの様な大型機は火災をその場で消火するより、火の手が行く進路を予測して、難燃剤を一直線に投下し、翌日の火災の防火バリヤーを作るのが一番効率的と解釈されていているんです。中型機が3回往復して難炎剤のバリヤーを描ける距離が、仕事をウチなら一回で済むので、その分小回りの効く中型機を直接火災消火に使ってた方が効率が良い訳です。でも実際に火の手が自宅の裏側まで迫っている人達には、なんで大型タンカー飛んでこないんだ、と消防署によく抗議に行かれたみたいでした。

地上隊は航空機が飛べる昼間もそうですが、気温、湿度が下がる夜間が一番効率的に仕事が捗るので、ぼくらは夕方遅く出動要請が出て、全く火の気がない森林辺りに言われるとうりに何回も難燃剤を投下し ”線を描く” 事してました。ある時、聞けば、その森林の中に重要な送電線が走っておりあそこが燃えると下流の大都市が停電になり火災消火が非常に難しくなるとか、限られた地上隊を動かすには限りがあり、2日後に予想される延焼地を予め難炎剤でみっちり固めておいて地上隊の効率を他の場所で上げられるとか、結構ありました。

その日は午後2時過ぎから忙しくなり出し、なんでも南キャリフォーニア、ロス・アンジェリース平野から山を越えた側がマズイらしく、一日中他社の機は忙しくピストン輸送で遅延剤、これをファイヤ・リターダント、商標がフォズチェックと言いまして赤い泥みたいな液体ですね、を投下していたんですが、我々も出動命令がかかりました。指定された地まで空路で役、40分。火災消火機は救急車と同じで航空管制も最優先で扱ってくれますから、大抵なんでもムチャを聞いてくれ、最高速ですっ飛んでいけます。現場近くの待機空域へ行ってみれば、前日ぼくらが戦っていた山頂にある無線施設の直ぐ反対側で、既に6機くらいが遥から上空待機しています。その遥か上空を一日中旋回して下界の消火活動に指示を出す ”エヤ・ボス” から待機指示がどんどん出ています。我らもそのグループ・ダンスの最後尾に加わります。

待機旋回中、前日になんとか守り通したサンチアーゴ山頂上の通信施設が何とか燃えずに済んでいるのが確認できます。でもその反対側はご覧の様に手に負えない。。


その手前で中型機のMD87が投下していましたが、高度が高すぎてここから落としても効果はどうだか。。。。先導機、どこかしら。。MD87の搭載料は11,000リッターくらい。


待機中、どんどん日が落ちて行く。。。困った。


でも経過が遅くなり始め、既にお日様は夕日の色に変わり出し、初めて行く場所は日没後は ”お仕事” してはいけない規定があるので、ぼくは残存燃料と現在の自重でどのくらいまでの投下速度を使えるか、計算機叩きながらヤキモキする事四十分。もうこれ以上だと着陸時の燃料が足りない、所謂ぼくらの言う ”ビンゴ燃料” になる寸前に、やっとお声がかかります。”タンカー944号機、出番です” 指定された地点へ向かい、先導機を見つけて後を追っていくと、燃えているのはデスニーランドで有名なアナハイムから東へ行った山脈の反対側、裾野にある、エルシノーと言う湖の湖畔の新興住宅地でした。普通火の手は山の傾斜を上がって進むのですが、この時は何故か上から火の手が降りて来る予想がされていて、山麓から湖の湖畔まで密集する住宅地ですね、山麓の下に炎が届くまでに難燃剤を撒いてほしいと言う訳です。

煙の層を突っ切って低空に降りると、アラマ、まだ日が残ってます。風上で煙の影響を受けてないので視程もいいです。これはエルシノー湖の西側。問題はこの画像左上の白い煙が出ている所。その夜、火の手がこの付近の住宅街まで降りて来るとの予想でした。



湖の上空まで下ろしてもらって上空から状況を説明され、先導のビーチクラフトは通常行う、投下航路の予行演習やりますかと聞かれるので、こっちは、いや、もう日も暮れかかって時間が迫っているし、第一、燃料足りないんですと言うと、んじゃ、行きましょ!ともう一回ゆるい旋回を描きぼくらは後を追っていきます。

その時の航路記録。左のうじゃうじゃした線は空中待機していた跡。右下、緑の四角がエルシノー湖、その左側湖畔がターゲット。


湖の上を低空で通過し住宅街に入ると道の歩道でアリのように群がる写真機をかざした住民たちの顔が見えます。えーっ。んで何処に落とすのと先導機に聴くと、あそこの公園に移動電話のアンテナ・タワーが建ってるでしょ?あの反対側から山の峰と下の中間辺り、山並みに沿って落とせるだけ落として行って下さいとの事。機長のトムくん、やったるわ!と目を点にし高度をさらに落とし、その時に撮ったのがこの画像。丁度自機高度が80メートルを指しているのを横目でチラリと見て、見上げる群衆を後にした後、公園のアンテナを通過して投下開始。右へ左へひらりひらりと山麓真ん中に真っ赤な赤いラインを描き3回目の左バンクを始めた頃、タンクの容量が尽き投下終了。

投下直前の図。右山麓の公園にセルフォーンのアンテナが見えます。ここから投下開始、山南中腹をなぞるようにひらりひらりと右左。。。。



普通ならもう一回上昇旋回しながら投下結果を目視するんですが、今回だけは燃料ギリギリで一目散に火事場を後に去り、空荷で帰投。

投下が終わればスタコラサンサン、サンチアーゴ山を後に現場から去ります。フラップが出ているのは火災災害区域内の指定高度に達していないため(速度制限があるのです)。



サクラメントに戻る頃は西の空の水平線がほのかに橙色に見える暗い暮れており、夜間着陸の滑走路灯が綺麗な事よ。




ヘトヘトになって駐機を終え、書類を提出し、宿に帰ればもう夜10時。翌朝の起床が朝6時。ちばりよ〜。

こう言う生活を数週間交代で夏は6月初めから秋口11月までするのが、ぼくらの日常でした。

そのエルシノー湖。今でも脳裏に焼き付いています。この湖の東側湖畔に娯楽で落下傘降下をする未舗装の滑走路と航空会社があり、その横にモトクロスをする大規模な施設があります。ここで行われるモトクロス選手権が1960年代から有名で、そう、ホンダで稀な2ストロークの二輪車、CR125のエルシノーは競技会の行われるこの土地から名称を貰っていたのでした。(知らなかったです)。本田宗一郎が嫌った2ストロークのエンジン、軽量で細く身軽な本格的な車体。昔はこう言うのがとても流行っていましたね。


丁度629番と630番の間がエルシノー・モトクロス公園。


グーグルアース図。いずれかこのエルシノー湖を訪れて、難燃剤投下した公園、見に行きたいです。


全く違う話題で、お口直しを。ここはマンハッタン、五番街と東57丁目の交差点。ぼくの叔父がこの近くの衣服店に勤めていました。一番先は有名な昔のパンナムビルデイング。屋上からヘリポクターでJFK空港まで乗客乗り継ぎ送迎していましたが、ある日着陸しようとしていた機が墜落、大惨事になった以後このサーヴィスは廃めました。その手前、ぼくが若い頃はヘルムズリー・ビルデイングと呼ばれていました。不動産・宿泊業の女王、リオナ・ヘルムズリーが買い取った建物です。彼女は不動産業で成功し、年が凄く違う資産家の旦那さんと結婚。片っ端からホテルを買い取り自分の名前を付けた上、鞭を使い使用人らをコキ使い、しまいには密告され税金未納やらの刑で牢獄行き。一時、漫才の題材によく使われた程、時の人になりました。。
はて、なんでこの交差点の画像かと言いますと。。。(グーグル・ストリートヴューです)


これなんですよね。四方形のラジエータグリルから1978年型だと分かります。フリートウッドかデヴィルか分かりませんが、どうでせう。この広告の題名が ”キャデラックの時間” 家に帰る時間です。


キャデラックが貴方を優しく迎えてくれる時間が来ました。豪華な生地で作られた座席に腰を落とせば日中のストレスが嘘のように溶けていくのが実感できますね。静けさに包まれます。ボタンを押せば好みの曲をラジオが自動選曲で探してくれます。週末を楽しむ物資の買い物に行きましょう。新装備の後輪自動車高調整装置がトランクに大きな買い物詰めても一定車高を保ってくれます。高速道路に進入すれば余裕の力を体験できます。家に帰る頃には日も落ちて暗くなります。でもキャデラックは自動的に前照灯を付けてくれます。これからがキャデラックの時間。言ってみれば1日で一番楽しみな時間になるかもしれません。。。

マンハッタンに勤める上昇志向の若き管理職の金曜日って所ですか。ターゲット層の心をくすぐるいい広告ですね。



そのキャデラックが今じゃ、型落ちの四気筒日産車そっくりの車で、ニューバーグリングを8分以下で走るとか。。。ホント、情けないです。。。あっ、またの愚痴。ごめんなさい。


Posted at 2021/12/13 11:23:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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「合衆国のVW文化、その4 http://cvw.jp/b/1945280/48458481/
何シテル?   05/30 15:26
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
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