これも又、少し前のハナシ、以前務めていた会社でのお仕事です、またヒコーキ関連、お許しください。
ウチの飛行機は世界で最大規模の火災遅延剤を投下する機体でした。機体は元、鶴さんの中古機を大改造して左右完全分離したに系統の液体タンクを10っ個搭載、それを地上で充填した高圧圧縮空気を使い空中から四つの解放弁を制御して空中散布する仕掛けです。散布できる液体の容量は約、80,000リッターくらい。次に大きいのがDC-10さんであちらは大体35,000リッターですから彼らの2倍近くの容量です。でも別に大きければ大きい程良いと言う訳ではなく、いくら高性能の消防車でも密接した市街地では余り役に立たないのと同じで、大から小まで、火災の規模、状態、進み具合など総合的に判断して出動命令が来るので、まあ、工具箱に特大のハンマーを入れているのと同じですね。でも今まで無かった容量の投下が出来ると言うことで随分苦労したと共に驚異的な効果も発揮できました。
これは投下試験の図。
このお尻の下の穴が投下噴出口。四つの噴射口使い最大圧力にすると、丁度ジェットエンジン1機分の推力の勢いで噴射されます。それにしても機体がピカピカでせう?暇があればぼくが磨いてたからです。。。
特に扉の取手は玄関みたいなもんですから。。。ドレモールに磨き粉付けて一日中磨いてました。
難燃剤の入った機内のタンク。片方五つ、全部で十個。左右完全分離していて、片側五個に消化剤入れて片側五個に難燃剤入れて、燃えかかる建築物に消化剤投下して消火した後、間髪入れず難燃剤を落として再燃焼を防ぐなんて芸当も朝飯前。
これが難燃剤の流通商品名、フォズチェック。これを一定の比率で水と混ぜて搭載します。化学的な分析と定期的の品質検査で厳しく管理されています。赤の色は投下した所を容易に確認できる為に混ぜられている染料で、時間が経つと紫外線のお陰で色は消えます。この大きな包みに入った粉のフォズチェック、火の手が広がると毎日大型トレーラでワンサカ運ばれてきます。
山脈の頂上にフォズチェックを撒くと。。。赤い線を境に左が燃えて黒、右が燃えずに住んだ森林で緑。左から進んできた火の手がフォズチェックにぶち当たると、ピタリと先に進まなくなるのが分かります。
煙が左に吹いているので、火の手が左から右に進んでいるのが分かります。この図は珍しく、山の頂上から下へ炎が進んでいます。でもフォズチェックのお陰で見事に停められている。。。白い未舗装の道はドーザーラインラインと言って、ブルドーザーなどで道を作って燃える植物を最初から取り除いて火の手が進むのを阻止するもので、通常、山脈の頂上なんかに造られています。
我々は加州の森林局からの契約で主に、サンフランシスコ辺りから北へ、オレゴンの州境辺りまでを担当していましたが、たまに南キャリフォーニアの火災が手に負えなくなると出動要請が来ます。
大、中、小。出動命令を待つ図。
大規模の火災は気象予報、火災の規模、大きさ、市街地か山岳地か、被害に遭う建築物、人命、重要施設などが毎日検討され、それに稼働可能な消防車、ブルドーザー、消防員の数、航空機材の数などが配慮され、毎晩偵察機を出し上空からの特殊撮影で地上温度の分配などをコンピュータで分析し、翌日の火災作業の計画を立てます。
んでウチらは結構昼間には地上待機と言うのが多かったんです。まだ出番じゃないと。報道はナマ中継で家が燃え人々が長い列を作り徒歩で避難しているって言うのに、他の航空機材は数分おきにピストン輸送で忙しそうなのを横目にぼくらは指を咥えているんですね。と言うのもウチの様な大型機は火災をその場で消火するより、火の手が行く進路を予測して、難燃剤を一直線に投下し、翌日の火災の防火バリヤーを作るのが一番効率的と解釈されていているんです。中型機が3回往復して難炎剤のバリヤーを描ける距離が、仕事をウチなら一回で済むので、その分小回りの効く中型機を直接火災消火に使ってた方が効率が良い訳です。でも実際に火の手が自宅の裏側まで迫っている人達には、なんで大型タンカー飛んでこないんだ、と消防署によく抗議に行かれたみたいでした。
地上隊は航空機が飛べる昼間もそうですが、気温、湿度が下がる夜間が一番効率的に仕事が捗るので、ぼくらは夕方遅く出動要請が出て、全く火の気がない森林辺りに言われるとうりに何回も難燃剤を投下し ”線を描く” 事してました。ある時、聞けば、その森林の中に重要な送電線が走っておりあそこが燃えると下流の大都市が停電になり火災消火が非常に難しくなるとか、限られた地上隊を動かすには限りがあり、2日後に予想される延焼地を予め難炎剤でみっちり固めておいて地上隊の効率を他の場所で上げられるとか、結構ありました。
その日は午後2時過ぎから忙しくなり出し、なんでも南キャリフォーニア、ロス・アンジェリース平野から山を越えた側がマズイらしく、一日中他社の機は忙しくピストン輸送で遅延剤、これをファイヤ・リターダント、商標がフォズチェックと言いまして赤い泥みたいな液体ですね、を投下していたんですが、我々も出動命令がかかりました。指定された地まで空路で役、40分。火災消火機は救急車と同じで航空管制も最優先で扱ってくれますから、大抵なんでもムチャを聞いてくれ、最高速ですっ飛んでいけます。現場近くの待機空域へ行ってみれば、前日ぼくらが戦っていた山頂にある無線施設の直ぐ反対側で、既に6機くらいが遥から上空待機しています。その遥か上空を一日中旋回して下界の消火活動に指示を出す ”エヤ・ボス” から待機指示がどんどん出ています。我らもそのグループ・ダンスの最後尾に加わります。
待機旋回中、前日になんとか守り通したサンチアーゴ山頂上の通信施設が何とか燃えずに済んでいるのが確認できます。でもその反対側はご覧の様に手に負えない。。
その手前で中型機のMD87が投下していましたが、高度が高すぎてここから落としても効果はどうだか。。。。先導機、どこかしら。。MD87の搭載料は11,000リッターくらい。
待機中、どんどん日が落ちて行く。。。困った。
でも経過が遅くなり始め、既にお日様は夕日の色に変わり出し、初めて行く場所は日没後は ”お仕事” してはいけない規定があるので、ぼくは残存燃料と現在の自重でどのくらいまでの投下速度を使えるか、計算機叩きながらヤキモキする事四十分。もうこれ以上だと着陸時の燃料が足りない、所謂ぼくらの言う ”ビンゴ燃料” になる寸前に、やっとお声がかかります。”タンカー944号機、出番です” 指定された地点へ向かい、先導機を見つけて後を追っていくと、燃えているのはデスニーランドで有名なアナハイムから東へ行った山脈の反対側、裾野にある、エルシノーと言う湖の湖畔の新興住宅地でした。普通火の手は山の傾斜を上がって進むのですが、この時は何故か上から火の手が降りて来る予想がされていて、山麓から湖の湖畔まで密集する住宅地ですね、山麓の下に炎が届くまでに難燃剤を撒いてほしいと言う訳です。
煙の層を突っ切って低空に降りると、アラマ、まだ日が残ってます。風上で煙の影響を受けてないので視程もいいです。これはエルシノー湖の西側。問題はこの画像左上の白い煙が出ている所。その夜、火の手がこの付近の住宅街まで降りて来るとの予想でした。
湖の上空まで下ろしてもらって上空から状況を説明され、先導のビーチクラフトは通常行う、投下航路の予行演習やりますかと聞かれるので、こっちは、いや、もう日も暮れかかって時間が迫っているし、第一、燃料足りないんですと言うと、んじゃ、行きましょ!ともう一回ゆるい旋回を描きぼくらは後を追っていきます。
その時の航路記録。左のうじゃうじゃした線は空中待機していた跡。右下、緑の四角がエルシノー湖、その左側湖畔がターゲット。
湖の上を低空で通過し住宅街に入ると道の歩道でアリのように群がる写真機をかざした住民たちの顔が見えます。えーっ。んで何処に落とすのと先導機に聴くと、あそこの公園に移動電話のアンテナ・タワーが建ってるでしょ?あの反対側から山の峰と下の中間辺り、山並みに沿って落とせるだけ落として行って下さいとの事。機長のトムくん、やったるわ!と目を点にし高度をさらに落とし、その時に撮ったのがこの画像。丁度自機高度が80メートルを指しているのを横目でチラリと見て、見上げる群衆を後にした後、公園のアンテナを通過して投下開始。右へ左へひらりひらりと山麓真ん中に真っ赤な赤いラインを描き3回目の左バンクを始めた頃、タンクの容量が尽き投下終了。
投下直前の図。右山麓の公園にセルフォーンのアンテナが見えます。ここから投下開始、山南中腹をなぞるようにひらりひらりと右左。。。。
普通ならもう一回上昇旋回しながら投下結果を目視するんですが、今回だけは燃料ギリギリで一目散に火事場を後に去り、空荷で帰投。
投下が終わればスタコラサンサン、サンチアーゴ山を後に現場から去ります。フラップが出ているのは火災災害区域内の指定高度に達していないため(速度制限があるのです)。
サクラメントに戻る頃は西の空の水平線がほのかに橙色に見える暗い暮れており、夜間着陸の滑走路灯が綺麗な事よ。
ヘトヘトになって駐機を終え、書類を提出し、宿に帰ればもう夜10時。翌朝の起床が朝6時。ちばりよ〜。
こう言う生活を数週間交代で夏は6月初めから秋口11月までするのが、ぼくらの日常でした。
そのエルシノー湖。今でも脳裏に焼き付いています。この湖の東側湖畔に娯楽で落下傘降下をする未舗装の滑走路と航空会社があり、その横にモトクロスをする大規模な施設があります。ここで行われるモトクロス選手権が1960年代から有名で、そう、ホンダで稀な2ストロークの二輪車、CR125のエルシノーは競技会の行われるこの土地から名称を貰っていたのでした。(知らなかったです)。本田宗一郎が嫌った2ストロークのエンジン、軽量で細く身軽な本格的な車体。昔はこう言うのがとても流行っていましたね。
丁度629番と630番の間がエルシノー・モトクロス公園。
グーグルアース図。いずれかこのエルシノー湖を訪れて、難燃剤投下した公園、見に行きたいです。
全く違う話題で、お口直しを。ここはマンハッタン、五番街と東57丁目の交差点。ぼくの叔父がこの近くの衣服店に勤めていました。一番先は有名な昔のパンナムビルデイング。屋上からヘリポクターでJFK空港まで乗客乗り継ぎ送迎していましたが、ある日着陸しようとしていた機が墜落、大惨事になった以後このサーヴィスは廃めました。その手前、ぼくが若い頃はヘルムズリー・ビルデイングと呼ばれていました。不動産・宿泊業の女王、リオナ・ヘルムズリーが買い取った建物です。彼女は不動産業で成功し、年が凄く違う資産家の旦那さんと結婚。片っ端からホテルを買い取り自分の名前を付けた上、鞭を使い使用人らをコキ使い、しまいには密告され税金未納やらの刑で牢獄行き。一時、漫才の題材によく使われた程、時の人になりました。。
はて、なんでこの交差点の画像かと言いますと。。。(グーグル・ストリートヴューです)
これなんですよね。四方形のラジエータグリルから1978年型だと分かります。フリートウッドかデヴィルか分かりませんが、どうでせう。この広告の題名が ”キャデラックの時間” 家に帰る時間です。
キャデラックが貴方を優しく迎えてくれる時間が来ました。豪華な生地で作られた座席に腰を落とせば日中のストレスが嘘のように溶けていくのが実感できますね。静けさに包まれます。ボタンを押せば好みの曲をラジオが自動選曲で探してくれます。週末を楽しむ物資の買い物に行きましょう。新装備の後輪自動車高調整装置がトランクに大きな買い物詰めても一定車高を保ってくれます。高速道路に進入すれば余裕の力を体験できます。家に帰る頃には日も落ちて暗くなります。でもキャデラックは自動的に前照灯を付けてくれます。これからがキャデラックの時間。言ってみれば1日で一番楽しみな時間になるかもしれません。。。
マンハッタンに勤める上昇志向の若き管理職の金曜日って所ですか。ターゲット層の心をくすぐるいい広告ですね。
そのキャデラックが今じゃ、型落ちの四気筒日産車そっくりの車で、ニューバーグリングを8分以下で走るとか。。。ホント、情けないです。。。あっ、またの愚痴。ごめんなさい。
