何処からか送られてきた航空貨物の写真。
多分ボーイング社の広報写真ですかね。機体は多分、鶴さんが初めて導入したB747の貨物型、B 747-246F、登録番号JA8123だと察します。1974年製造の機体、B 747の貨物機としては初期型、頭が開いて貨物の積み下ろしには都合が良い様には見えますが、機首の2階には操縦室があるので開口部の高さが8フィートに限られているので、高さ制限がかかります。操縦室から後ろは当然荷室の高さも胴体一杯高くなり、後方側方の荷物扉の高さが10フィートあるので、後ろの貨物扉があれば高さを効用できるので容積目一杯詰めます。でも長い丈の貨物は側方の扉から入れるのは90度に曲がる制限があるので、そういう時は頭の開くこの様な機体が便利です。もちろん機首と後方横側、両方にドアがある仕様なら一番便利なんですが、このドア、結構構造が重くて、確か頭の開く奴は8,000パウンドくらいだったかしら、機体重量が重かった覚えがあります。頭が重いと重心が前寄りになり、基本的には性能にはプラスにならないのですが、やはり便利に越したこたーありません。
面白いのはこの写真、手前に傾いた車両搭載ULDに自動車が3台、傾けて載せられています。この業界に30年いてこの形式のULDは実際一回も見た事がありませんが、1970年台初代の写真では何回か見た事あります。床面積を節約出来るので効率が良いわけですね。でも普及しなかったのは何かの理由があったのかも。さて、この立て掛けられている自動車、一体何なのかしらと頭をひねる事数十分。結構直ぐ判明しました。後輪前縦ニ個の空気取り入れ口みたいなのがヒントでした。これは1970年台、リンカン・マーキュリー屋が輸入販売していたキャプテイヴ・インポート、独国コロン製のフォード・カプリーです。フォード帝国の中でも主に高級車を扱うリンカン・マーキュリー販売店網(リンカンとマーキュリーは常に同義語みたいにいつも一緒に語られる、姉妹関係みたいな位置付けでした)で販売されていて、不思議なことに、カプリーの車名の前には、フォードとも、マーキュリーとも無く、ただ単に
”カプリー” だけなのでした。
第一世代の車体、でも前後が大型の5マイルバンパになった1974年式。
なので車体にはフォードともマーキュリーとも書かれてなく、ただ単にカプリーとしか表示されていません。(北米版はフッドの先端にC A P R I と描かれたバッジがありますが、他の地の仕様はそれが F O R D になってます)。ちょうどこの頃が、安全基準法、排気ガス規制法、極めて不利になる変動相場制、石油危機による経済の低迷と、欧州から小型のスペシアルテイー車を持ってくるのには極めて不利な時代でした。
同じ様な環境下で将軍さんは、あちらも高級車種を扱うビュイック屋でオペル・マンタをビュイック・オペル・オペルとして持ってきていましたが、売る一台一台全て損出で1975年にはそそくさ北米から撤退、名前だけ同じで物はいすゞ製のジェミナイを欧州製スポーテイーカーから経済車として衣替えして売ってたのとは対照的に、カプリーは1975年(実質的にカプリーに1975年型は無く、再登場した時は1976年型)にカプリーIIとして改良型をもう数年売り続けました。そして1979年にフォックス車台のフォード・マスタングが出た時にマーキュリー版を、晴れてマーキュリー・カプリーとして発表。ややこしいです。
ビュイック屋で売られていた独国オペルのマンタ。他にアスコーナの2扉セダーンと2扉ステーションワゴンが選べました。
晴れて ”マーキュリー・カプリー” になったのはフォックス車台になってから。
どうしてこのボーイングの広報写真の車両が1974年型だと言いますと。。。1973年から始まった、例のバンパーの法律ですね。エクゼンプションを申請して導入遅らしていた車種も結構あったんですが、カプリーは1973年型、法律通りに前のバンパは5マイルの軽傷型、後は2.5マイル軽傷型、1974年は前後5マイルの軽傷型、そして1975年型から(カプリーは実質上カプリーIIになった1976年型から)前後頑丈型5マイルになっているからです。この写真の車両、まだ後輪前方に空気取り入れ口みたいな飾りがあるので、カプリーIIの前の奴で、後ろのバンパは既に大型の5マイル仕様になっているので、1974年型と解るのでした。このB747は1974年の9月に納機されていますから、年代的にも合点する訳です。
1972年型カプリー。前バンパ規制以前の小さい奴。
1973年型カプリー。前バンパ5マイル軽傷型の突き出た奴。
1973年型カプリー、後ろのバンパは2.5の小さな奴。
1974年型カプリー。前後5マイルの大型になっています。カプリーIIになる前の最後の年。
1975年をスキップして戻ってきたのはカプリーII。モデルチェンジで随分変わってます。これであと2年持ちこたえて、1978年は売れ残りの一掃販売、1979年型からは国内製、フォックス車台の新型に。
最初はケント2000ccの4気筒だけでしたが、北米の要望で独国フォード、所謂コロンV6も搭載。コロンV6を北米で使われた最初の車種がカプリーでした。フォードは同時期に英国製の通称エセックスV6と似たようなエンジン2種類持っていましたが、エセックスは短命に終わり、コロンV6は幅広い車種に結構最近まで使われていました。後期型には高級版の ”ギア” 仕様 (カロッツエリアのギアですね)もあり、普通版でも内装は豪華。いかにも法規改正対応の後付け的な巨大なヘッドレストが目立ちます。
ヘッドレストと言えば、ごく数年、北米に輸入されていたオーステイン・アメリカ(本名オーステイン1100)一般的に知られているADO16 (アマルガメーテッドデザインオフィス、総合デザイン設計)コヤツの初期型ヘッドレストがそれは巨大で、なんと2扉式(しか北米には持って来なかった)の後席へ出入りする際、前席の背もたれを倒すとき、巨大なヘッドレストが天井と干渉して倒れないので、いちいちヘッドレストを外さなければならないと言う、ケッタイな代物でした。。。
巨大なヘッドレストの輪郭が見えます。ブリテイッシュ・レイランド、北米総本山は例のニュージャージー州レオニア市。ローヴァーP6とSD1, トライアンフTR7とTR8、MG, オーステイン、ランドローヴァーにジャギュア。70年代北米英国車、悲劇の震源地でした。。。。1978年だったか、キャタログ送ってと手紙を出したら、レオニアから分厚い封筒にMG、MGB、TR7などのキャタログ沢山が送ってこられ感激したのを今でも覚えてます。
機内を後尾から前方を眺めると一番前の天井が下がっているのが分かります。あそこの高さが8フィート、そこを除けが機体殆どが10フィート以上の高さです。左の黄色いロープがかかっている場所がカーゴ・ドア。ドアの高さは10フィート。
機体後方側方のドア、高さが10フィート。このドアの高さのお陰で荷物パレットは大抵10フィートの高さで作られ持ってきます。これは成田機場、東日本大震災の援助物資を運んだ時。
横ドア式なら二段階式車両運搬パレットも余裕で運べます。これはマーキュリーじゃなくて、”フォード” クーガー。北米ではマーキュリー・クーガーとして売られていましたが、全く売れず。
全く関係の無い画像。画面中央下の真円形の物は、昔ユニロイヤル・タイヤの試験場だった所。キャリフォーニアはモハーヴィ砂漠の西側にあります。ここら辺は空軍のエドワーズ基地があり、常に試験飛行などやっている制限区域で、この辺りを通過できるのは珍しい。。
普通滑走路の中心線などは白が規定なんですが、何故か北海道はオレンジ色。これは新千歳、面白い事に新千歳空港は軍用千歳と同じ敷地にあるのにあちらの滑走路中心線は白。まあ雪の深い所なので見易くするのが目的なんでしょうが、寒い所で、スウェーデンのストックホーム・アーランダ機場に行った事がありますが、あそこも白線でした。。
あっ、カトラス!朝の通勤でたまに見かける車両。
あっ、ポーシャのボクスター?この年代なら多分フィンランドのサーブ組み立て部門、ヴァルメット社製かな。。
オアフ島北海岸、ワイルーアにあった製糖工場跡にて。ここで珈琲焙煎するお店があってそこで求める地元産チヨコレイトが非常に美味しく、カカオ70%のがお気に入りで、何故かほろ苦いのに後味に微かな酸味がの頃のが絶妙。でも高価なのでちっちゃい奴しか買えない。。その方が良いのかも。笑。
久しぶりに乗合バスに乗って定期検査と車検に出していた自動車を販売店に受け取りに行きます。オアフ島乗合バスはやっとカード式乗車券に。ホロカードと申します。
販売店に展示されていた最新型コーヴェット。写真で見るより実車は小型ですね。
真っ赤なコーヴェット。中年のチムにデージ響きます。車体一番前、アゴ下のスポイラを映し出すキャメラがあってスポイラ擦りそうな場面を事前に計器盤で見られる上、そう言う状態には車体前部をヒョイと上げられる技も備えているだけでなく、その場所をGPSで位置登録出来、次回同じ場所に戻れば自動的に車体前部が上がると言う、凄い機構。
この値段。宝くじでも当たればね、でもぼくには似合わないかも。。
去年の夏頃から見かける時代物のプロペラ機はソヴィエト製のアントノフ機、ウクレーン登録。今、ロシアと戦争直前まで行っている、あのウクレーンですよ。何故か同じ塗装の2機体制でメキヒコ、テキサスからホノルル経由してアジアのヴィエトナムあたりまで行ったり来たり。離陸時、黒煙を噴きながらゆっくり登っていくのを見て大丈夫かと思えば数週間後にはまた戻ってきます。
プーチンさん、月光仮面に習いましょう。
冒頭画面、アウデイ車の媒体発表会をラスヴェイガスで開催した際、弊社がキャリフォーニアまで運んだ時の図。
Posted at 2022/01/30 19:57:40 | |
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