最近小型のキャンピングカーが再度人気上昇中らしく、新しいのはここ10年ちょっとで随分普及した欧州フォードの小型商業車、トランジット・コネクトを改造した奴とか、古いVWのキャンパーも弱点のエンジンをスバル製に載せ替えて凄い価格で取引されています。
見かけはこじんまりしているものの、結構な数の熱心な人たちが集まっているのを見ると意外と娯楽レイジャー目的で使い物になるのかも。フォード・トランジット・コネクト。以前は例の鶏税逃れる為、窓付き乗用として製造工場のあるターキーから輸入、通関後座席やらを取り外して貨物仕様に改造すると言う面倒臭い事していましたが、今はスペイン製らしいです。
空冷VWのスバル化は液冷ヴァンゴンから始まって今じゃ普通のビートルでも盛ん。
そのVWのキャンパー、老舗のウエストフェリアと言えば余りにも有名ですが、はて、古い販売促進のチラシを見ると独国製ウエストファリアとはチト違ったキャンパー車も売りに出されているのに気がつきます。
見慣れたウエストファリア仕様のヴァナゴン。
はて、ウエストファリアでこんなの作ってたかしらと。。。
これはUSで独自に開発されたキャンパー仕様で、ちゃんと正規販売店で売られていて、その名をASI、Automotive Services, Inc、またはリヴィエラ仕様と呼ばれていました。
そもそも当時、ウエストファリアのキャンパー仕様は飛ぶように売れただけでなく付加価値が高く高利益でデーラーが皆欲しがっていたんですが、製造側はそれにつけ込んで、一定数の不人気車種を売らないとウエストファリアを卸さない事を結構していたんですね。それに剛を煮やしたVWの米国北西地域の代理店のオーナー、ニュート・ケヴァルと言う名の、北欧はノーウェー出身の自動車屋さんが、自家製のキャンパーの製造を始めちゃったんです。
この方がニュート・ケヴァル氏。ノーウェーからの移民。
リヴィエラ・キャンパー (ASI キャンパーとも呼ばれてます)はポップアップの屋根が前ヒンジで開くのではなく、全体が平行に展開する模様。
ケヴァル一家は皆、ノーウェーからの移民で米北西地域に根を下ろし、お父さんのジェル・ケヴァルさんは自動車輸入販売業、最初は英国製のジャギュアやらオースチン・ヒーレー、後に独国製のメルセデスなど広範囲に輸入車販売をして、後にあの有名なペブルビーチの展示・競技会を発足した一人です。その他、ジェル・ケヴァルさんは一時期、英国のスポーツカー、オースチン・ヒーレーで有名なドナルド・ヒーレーさん、オースチン社がブリテイッシュ・レイランドに合併吸収されヒーレーさんが事実上事業廃止に追いやられそうになった時、ヒーレーさんを、こちらも倒産危機の橋を渡ろうとしていたジェンセン社に出資し、ヒーレーさんをジェンセン社に呼んで、ジェンセン・ヒーレーと言う2座のコンヴァーチブルを開発製造販売した事でも有名でした。
お父さんのジェル・ケヴァル。元来米国ジェンセン社の総輸入代理店でした。多分東海岸のマックス・ホフマンとかと大喧嘩いつもやってたんでしょうね。。。笑。
これはジェンセン・インターセプター。クライスラのV8搭載。
ジェンセンは後輪駆動のインターセプターとファーガソン式常時四輪駆動とABSを装備した先進のジェンセン・FFを作っていました。台所が火の車なのにこんな豪華旅行車を作るなんて、例のヘイローカーのもう一つの例ですね。。。。よーく見るとインターセプターとFFは似てますが、FFの方が丈が長く、前輪後の空気抜きの穴が二つあるのが違い。小回り苦手だったんだろうなあ。。。。
ジェンセン社もヒーレー社も自分の名前を載せたスポーツカーを少量生産していた他は、飯代は他社の委託製造で稼いでいて、特にジェンセンはヴォルヴォのP1800の製造を自社、ブロムウィッチ工場で組み立てていて、スウェーデン車とは言え、最初の数年間、あのヴォルヴォは事実上、英国車でした(因みにヴォルヴォは昔から部品のより集めが得意で、昔のPV544なぞは後車軸・ブレーキはスチュードベーカーと互換性があったとか)ケヴァルさんの資本で生み出されたジェンセン・ヒーレーも同じ、ブロムウィッチの工場で組み立てられてました。
車体板金の製造から組み立てまで、殆ど英国車だった初期型ヴォルヴォP1800。サーブもトライアンフのエンジン使ってましたから。スエーデン人茶目っ気たっぷりね。
ドナルド・ヒーレーさんが親会社ブリテイッシュ・モータースからの部品を使って自分の軽快車を作っていたんですが、BMCがジャギュアやらを吸収して親元のMGやらとも関係悪化し、結局追い出されるような羽目に。。。これはオースチン・ヒーレー 3000。因みに車体はジェンセン製。
お父さんケヴァルが仲介・出資して生まれたのがこのジェンセン・ヒーレー。
そのジェル・ケヴァルさんの息子は二人共、自動車販売業に入り、後にVWキャンパーを自製するヌート・ケヴァルさんはオレゴン州・ポートランドで1954年からVWの販売を始めます。この大西洋を渡ってきた小さな経済車はデトロイトを基礎から揺るがす程の社会現象をもたらし、ニュートさんは西部5州に販売店を83店舗も抱える大会社にまで育てました。
VWは広告でも非常に有名になりました。今でも大學校の授業で取り上げられるみたいです。贅沢過渡だった米国文化のアンタイ・テーゼ。真っ白の背景の無い所、真横から映す車体。よほど車両に自信がないと真似できないと他社の人が言ってました。
後にホンダも無地背景で真横からの宣伝、よくやってましたっけ。
両方キャンピングに使えます。でもウチの方は通勤に、超級市場への買い出しに、デートに、子供の送迎に。。。。
ポートランド市、ケヴァルさんのVW販売店、リヴィエラ・モータースは最初はポートランド西のベッドタウン、ビーバートンにあり、後にダウンタウンへ移り、最終的にはウィラーメット川岸の一等地にお店を開き、長い間営業していました。そのVWキャンパーを自製するために、コロンビア川を隔てたワシントン州側、ヴァンクーヴァー市にAutomotive Services, Inc. と言う工場を開き、同じくノーウェー産まれのラース・アムリー氏に製造を託し、ここからVWのデーラー経由で米国製のVWキャンパーが展開されたのでした。ASI製のキャンパーはヴァナゴン時代中盤まで続き、品質も優れていて、本家、ウエストファリアから技術者が毎年観察に来ると、翌年ウエストファリア製にもASIで使われた新技術が取り入れられたりしていたそうです。そう言えばリヴィエラ・モーターズがあった場所は現在メルセデス・ベンツ・オブ・ポートランド(ケヴァルさん撤退後、ユダヤ系のドン・ラスマソンが長い間メルセデスをそこで売っていましたが彼も他界、売却され今は知らない会社が継続してメルセデス・ベンツをそこで売ってます)でぼくも以前よく部品買いに通いましたが、そのメルセデス屋を含む大きな商業ビルデイングは今でもリヴィエラ・プラーザという名前です。
ちょっと見にくいですが、並木の奥がメルセデスのお店、昔リヴィエラ・モータースだった所、その背後の建物が今でもリヴィエラ・プラーザ。手前の大通りがナイトー・パークウェー。ホノルルは虹の街ですが、ポートランドは薔薇の街なんです。
リヴィエラ・プラーザを建てる際、熱く将来を語るニュート・ケヴァール氏、2010年没。
この真正面の建物も一時期リヴィエラ・モータースの展示場でVWビートルが並べられてました。西バーンサイド通り。昔は暗い倉庫街でしたが、今じゃ流行の最先端みたいな他所顔の小綺麗なところになっちゃいました。若い頃この界隈で夜遊びしたなあ。。。
リヴィエラ・モータース傘下のASI がVWのキャンパーを作っていた場所は、松下寿電子のTV工場になり、今は何かの醸造所。構内の道は未だにコトブキ・ウェイと言います。あの頃は何故か米国にTV工場が何軒も操業始め、ぼくが行ってた大學校があったイリノイ州シカーゴ郊外のロミオヴィルにもシャープ早川電気のTV工場が出来たのを覚えています。。。
そのメルセデス屋・リヴィエラ・プラーザがある川岸通り、昔はフロント・ストリートと呼ばれていたんですが、現在はナイトー・パークウェーと言うのが公式の通り名称です。これはポートランドの名士、ビル・ナイトーさんに因んだもので、彼は日系2世の実業家、不動産屋、慈善家で、彼の没後、ポートランド市への貢献を記念してこの大通りが命名されたんです。
ビル・ナイトーさん。ポートランドの名士。1996年他界。
ナイトーさんはポートランド市内の商業不動産を沢山所有していて、その一つ、バーンサイド橋を渡って直ぐの一番目立つ(ポートランドは別名、ブリッジ・タウンと言い、市の中心部を流れるウィラーメット川に橋が11本かかっています)場所に昔からあるホワイト・スタッグと言う古風な巨大エルクを描いたニオン・サインが消えかかろうとしていた際、助けの手を差し伸べ経費を代わって払い、ホワイト・スタッグ社(衣料会社)が撤退した後は自分の持つ企業の一つ、土産屋の、Made In Oregon にサインを変え二オンの灯を継続していました。彼の死後、色々ゴタゴタがあり10年ほどその灯は消えていたんですが、余りにも有名って事で市民からの要望で、結局ポートランド市行政が経費を負担し、また二オンが灯されたと言うのが最新情報です。。。
これが昔からあったオリジナルの、白いエルクを象った二オン・サイン。
ホワイト・スタッグ社が移転後、ナイトー氏のMade In Oregon 土産屋の看板に。白いエルク(ホワイト・スタッグ)は残る。
結局行政が観光の一環として二オンは残され今日に至ります。メデタシ。
エルクと言えば、そのリヴィエラ・プラーザの背後数ブロックが、影視、”マイ・オーン・プライヴェート・アイダホ” の1場面でキアヌ・リーヴスが、エルク像の前でリヴァー・フィーニクスを起こす場面の撮影現場。1991年。
ナイトーさんの代表企業、おなじみ緑マークのMade In Oregon のお土産やさん。結構良い品物が良心的価格で売られているので安心して観光さんに勧められます。因みに空港にもお店ありますが、ポートランド空港にある全てのお店はダウンタウンの平均価格より上げてはいけない規定があるので(今でもそうであってほしい。)ぼったくられません。
そう言えばポートランドには全米最古の豆腐屋さんがあります。こじんまりした建物に漢字で豆腐と大きく書かれた太田豆腐、以前この工場へぼくも2CVに乗ってよく買いに行きました。
そうそう、このケヴァルさんの話、もう一つあって、確かニュートさんの弟、彼もキャリフォーニアなどで大規模自動車販売業を経営する、ブルース・ケヴァルさん、彼は1990年代にあのイタリヤはマーセロ・ガンデイーニがデザイン、デトマーソが新世代のマングスタとして生産しようとしたがアレジャンドロ・デトマーソが病死後、棚上げになっていたのをブルース・ケヴァル率いるチームが引き継ぎ、色々改良されケヴァール・マングスタの名称で284台だけ製造。幻のスポーツカーとしてたまに媒体に出てきます。。
これがケヴァル・マングスタ。
VWキャンパーの代名詞だったウエストファリア社はその後メルセデスに買収、売却、倒産を経験し、今ではフォード系のキャンパーなどを製造している模様。
キャンパーじゃないですが、やはり車中泊となれば憧れるのはこのモーターホーム、古風なウイニーベーゴ、外観はそのままに内装を最新型にして。。。なんてね。いいなあ。
今でも通用する未来的なGMCのモーターホーム。これはその内、説明書きますね。
