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JetBoyのブログ一覧

2022年02月25日 イイね!

街で見たもの。

街で見たもの。






ホノルル市内の超級市場。昔はホリデーマート、少し前まではダイエー、今はドンキホーテ。我々地元民も ”ドンキ” と呼んでます。中身は昔のダイエーと余り変わりありませんが。その駐車場で何回か目撃したメルセデス500SL、107系。先日遂に運転手を目撃。ぼくと同年齢、もしくはもう少し年上の渋いアジア系の御人。実にお似合いです。500SLは合衆国には正式に輸入されなかったので、所謂グレイマーケット車。確か初めてメルセデスの総軽合金製のV8型エンジンで、トランクもフッドもアルミナム製、そのトランクに小さなスポイラが付いています。キャスト・アイロン製のV8が凄く重かったので(乾燥重量、マニュアル全て売っぱらっちゃったので数字が出てこないんですが、確か直列6気筒よりちょっと重いくらいでしたか)動力性能が格段に向上しました。北米にこの軽量高性能版は輸入されずズ、その代わりに排気量の大きな560SLをあてがわれました。この系列、前輪懸架装置に持病抱えていて、ローアーAアームの取り付け部、クロスメンバのヒンジ穴周りの強度が足りず経年変化、特にタイヤを太いのに履き替えたりすると亀裂が入り、最悪の場合は脱輪しエライ事になります。随分後になってから改良部品に進化しましたが、確かリコールに至らなかった記憶です。総アルミナムのエンジンはライナーが無く、アルミナムに細かいシリコンが一定の量で含まれており、キャストした後にケミカルを一定の時間吸わせるとアルミナムが少し溶けて、硬いシリコンが表面に浮き出て強度を保ちながら油膜も出せると言う新発明。でもないか、ケミカル・ミリングと言って機械部品の加工には昔から使われる手方。でもごくたまにこのケミカル・ミリングが上手く行かず、新車でもエンジン・オイルを驚く勢いで消費する個体を見ました。。。

この一世代前の113系からパゴダの愛称でしたが、屋根の両端が迫り上がっているのが東洋の建築物のパゴダ風屋根に似ているから命名されたそうです。実際、この反り上がりは同じ重量でより強度の高い構造を作れる、と言うのがシュツットガートの正式な見解です。

107はモデルや年式により鉄製のトランクリッドだったりアルミナム製のそれだったり、フッドもそうでしたが、不可解でした。


パゴーダ風、中央が窪んで両端が反り上がってます。


パゴーダ状の屋根。


そう言えばこのドンキ・カヘカ店の近くにパゴーダ・レストランと言う水庭園に囲まれた浮くレストラン及び系列ホテルがあります。


いいですねえ。。。ぼくが認識する最後の本当のメルセデスがこの辺りでした。



この個体、殆ど無改造で、ちゃんと時代相応のBBSの車輪を履かせてますけど、タイヤが極端に片減りしてます。よく車検通ったと。。。グレイマーケット車なのでオリジナルのバンパです。


この1973年でしたかね、登場した107は、計器盤などが似ている、同時期に発表された新型フルサイズのSクラスの2扉版と思われがちですが、足回りなど同時期の中型車、114系のを使っているんですよね。。。SLは中央の空気吹き出し孔が丸い。


Sクラス。幅もこちらの方が断然広い。


軽快車のSLは常に中型からの派生ですね。107の下敷きになった114型。


メルセデスがお好きだったピーター・フォーク。コロンボにも何回か107は登場します。


1978年のシーズン7、”やってご覧、完全殺人” 殺人犯の女性プロデユーサーが、殺した愛人から餞別として送られた450SL。愛人は車種選定に迷った模様。




昔、中東に持って行った140系。多分12気筒。


車検待ちの間、デーラーで見たハイドロジェン車。フッドが水平に平たく大きい。かなり大柄。


高級住宅街のカハーラで目撃した、多分1983年型のターセル、非常に貴重な無改造車。自動変速機。高い確率でご高齢の女性の方が新車当時から大切に使っている感じ。座席に敷かれたクッション、倹約家なんでしょうね、廉価版です。おまけに3扉。多分一番安い奴に注文装備で自動変速機だけ付けたのかな。微笑ましいです。








この頃のターセル、後輪フェンダの切り方がちょっと当時のルノーやらに似てませんか?


今はもう無いブランド、マーキュリーのコムパクト車、コメットさん。VWビートルの対向車、フォード・ファルコンのちょっと高級のマーキュリー版は珍しいです。1963年型だと察します。多分大型エンジンの予感。お尻の小さな羽がかわいいです。




こちらもコメットさん。


同じコメットでも磨くならカネヨンでんねん。


冒頭の画像は昔、インターナショナル・ハーヴェスタ社がインデイアナポリスで作っていた多目的車、スカウトのジーゼル版。後をメルセデスの116系、300SDが追っかけています。ちょうどこの頃、第二次燃料危機でジーゼル車がもてはやされた頃。このスカウトのジーゼルは日産のSD33型、過給、無過給がありました。
Posted at 2022/02/26 21:30:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年02月20日 イイね!

VWキャンパー、オレゴン州ポートランド

VWキャンパー、オレゴン州ポートランド













最近小型のキャンピングカーが再度人気上昇中らしく、新しいのはここ10年ちょっとで随分普及した欧州フォードの小型商業車、トランジット・コネクトを改造した奴とか、古いVWのキャンパーも弱点のエンジンをスバル製に載せ替えて凄い価格で取引されています。

見かけはこじんまりしているものの、結構な数の熱心な人たちが集まっているのを見ると意外と娯楽レイジャー目的で使い物になるのかも。フォード・トランジット・コネクト。以前は例の鶏税逃れる為、窓付き乗用として製造工場のあるターキーから輸入、通関後座席やらを取り外して貨物仕様に改造すると言う面倒臭い事していましたが、今はスペイン製らしいです。


空冷VWのスバル化は液冷ヴァンゴンから始まって今じゃ普通のビートルでも盛ん。



そのVWのキャンパー、老舗のウエストフェリアと言えば余りにも有名ですが、はて、古い販売促進のチラシを見ると独国製ウエストファリアとはチト違ったキャンパー車も売りに出されているのに気がつきます。

見慣れたウエストファリア仕様のヴァナゴン。


はて、ウエストファリアでこんなの作ってたかしらと。。。


これはUSで独自に開発されたキャンパー仕様で、ちゃんと正規販売店で売られていて、その名をASI、Automotive Services, Inc、またはリヴィエラ仕様と呼ばれていました。

そもそも当時、ウエストファリアのキャンパー仕様は飛ぶように売れただけでなく付加価値が高く高利益でデーラーが皆欲しがっていたんですが、製造側はそれにつけ込んで、一定数の不人気車種を売らないとウエストファリアを卸さない事を結構していたんですね。それに剛を煮やしたVWの米国北西地域の代理店のオーナー、ニュート・ケヴァルと言う名の、北欧はノーウェー出身の自動車屋さんが、自家製のキャンパーの製造を始めちゃったんです。

この方がニュート・ケヴァル氏。ノーウェーからの移民。


リヴィエラ・キャンパー (ASI キャンパーとも呼ばれてます)はポップアップの屋根が前ヒンジで開くのではなく、全体が平行に展開する模様。


ケヴァル一家は皆、ノーウェーからの移民で米北西地域に根を下ろし、お父さんのジェル・ケヴァルさんは自動車輸入販売業、最初は英国製のジャギュアやらオースチン・ヒーレー、後に独国製のメルセデスなど広範囲に輸入車販売をして、後にあの有名なペブルビーチの展示・競技会を発足した一人です。その他、ジェル・ケヴァルさんは一時期、英国のスポーツカー、オースチン・ヒーレーで有名なドナルド・ヒーレーさん、オースチン社がブリテイッシュ・レイランドに合併吸収されヒーレーさんが事実上事業廃止に追いやられそうになった時、ヒーレーさんを、こちらも倒産危機の橋を渡ろうとしていたジェンセン社に出資し、ヒーレーさんをジェンセン社に呼んで、ジェンセン・ヒーレーと言う2座のコンヴァーチブルを開発製造販売した事でも有名でした。

お父さんのジェル・ケヴァル。元来米国ジェンセン社の総輸入代理店でした。多分東海岸のマックス・ホフマンとかと大喧嘩いつもやってたんでしょうね。。。笑。
これはジェンセン・インターセプター。クライスラのV8搭載。


ジェンセンは後輪駆動のインターセプターとファーガソン式常時四輪駆動とABSを装備した先進のジェンセン・FFを作っていました。台所が火の車なのにこんな豪華旅行車を作るなんて、例のヘイローカーのもう一つの例ですね。。。。よーく見るとインターセプターとFFは似てますが、FFの方が丈が長く、前輪後の空気抜きの穴が二つあるのが違い。小回り苦手だったんだろうなあ。。。。




ジェンセン社もヒーレー社も自分の名前を載せたスポーツカーを少量生産していた他は、飯代は他社の委託製造で稼いでいて、特にジェンセンはヴォルヴォのP1800の製造を自社、ブロムウィッチ工場で組み立てていて、スウェーデン車とは言え、最初の数年間、あのヴォルヴォは事実上、英国車でした(因みにヴォルヴォは昔から部品のより集めが得意で、昔のPV544なぞは後車軸・ブレーキはスチュードベーカーと互換性があったとか)ケヴァルさんの資本で生み出されたジェンセン・ヒーレーも同じ、ブロムウィッチの工場で組み立てられてました。

車体板金の製造から組み立てまで、殆ど英国車だった初期型ヴォルヴォP1800。サーブもトライアンフのエンジン使ってましたから。スエーデン人茶目っ気たっぷりね。


ドナルド・ヒーレーさんが親会社ブリテイッシュ・モータースからの部品を使って自分の軽快車を作っていたんですが、BMCがジャギュアやらを吸収して親元のMGやらとも関係悪化し、結局追い出されるような羽目に。。。これはオースチン・ヒーレー 3000。因みに車体はジェンセン製。


お父さんケヴァルが仲介・出資して生まれたのがこのジェンセン・ヒーレー。



そのジェル・ケヴァルさんの息子は二人共、自動車販売業に入り、後にVWキャンパーを自製するヌート・ケヴァルさんはオレゴン州・ポートランドで1954年からVWの販売を始めます。この大西洋を渡ってきた小さな経済車はデトロイトを基礎から揺るがす程の社会現象をもたらし、ニュートさんは西部5州に販売店を83店舗も抱える大会社にまで育てました。

VWは広告でも非常に有名になりました。今でも大學校の授業で取り上げられるみたいです。贅沢過渡だった米国文化のアンタイ・テーゼ。真っ白の背景の無い所、真横から映す車体。よほど車両に自信がないと真似できないと他社の人が言ってました。


後にホンダも無地背景で真横からの宣伝、よくやってましたっけ。


両方キャンピングに使えます。でもウチの方は通勤に、超級市場への買い出しに、デートに、子供の送迎に。。。。


ポートランド市、ケヴァルさんのVW販売店、リヴィエラ・モータースは最初はポートランド西のベッドタウン、ビーバートンにあり、後にダウンタウンへ移り、最終的にはウィラーメット川岸の一等地にお店を開き、長い間営業していました。そのVWキャンパーを自製するために、コロンビア川を隔てたワシントン州側、ヴァンクーヴァー市にAutomotive Services, Inc. と言う工場を開き、同じくノーウェー産まれのラース・アムリー氏に製造を託し、ここからVWのデーラー経由で米国製のVWキャンパーが展開されたのでした。ASI製のキャンパーはヴァナゴン時代中盤まで続き、品質も優れていて、本家、ウエストファリアから技術者が毎年観察に来ると、翌年ウエストファリア製にもASIで使われた新技術が取り入れられたりしていたそうです。そう言えばリヴィエラ・モーターズがあった場所は現在メルセデス・ベンツ・オブ・ポートランド(ケヴァルさん撤退後、ユダヤ系のドン・ラスマソンが長い間メルセデスをそこで売っていましたが彼も他界、売却され今は知らない会社が継続してメルセデス・ベンツをそこで売ってます)でぼくも以前よく部品買いに通いましたが、そのメルセデス屋を含む大きな商業ビルデイングは今でもリヴィエラ・プラーザという名前です。

ちょっと見にくいですが、並木の奥がメルセデスのお店、昔リヴィエラ・モータースだった所、その背後の建物が今でもリヴィエラ・プラーザ。手前の大通りがナイトー・パークウェー。ホノルルは虹の街ですが、ポートランドは薔薇の街なんです。




リヴィエラ・プラーザを建てる際、熱く将来を語るニュート・ケヴァール氏、2010年没。


この真正面の建物も一時期リヴィエラ・モータースの展示場でVWビートルが並べられてました。西バーンサイド通り。昔は暗い倉庫街でしたが、今じゃ流行の最先端みたいな他所顔の小綺麗なところになっちゃいました。若い頃この界隈で夜遊びしたなあ。。。




リヴィエラ・モータース傘下のASI がVWのキャンパーを作っていた場所は、松下寿電子のTV工場になり、今は何かの醸造所。構内の道は未だにコトブキ・ウェイと言います。あの頃は何故か米国にTV工場が何軒も操業始め、ぼくが行ってた大學校があったイリノイ州シカーゴ郊外のロミオヴィルにもシャープ早川電気のTV工場が出来たのを覚えています。。。



そのメルセデス屋・リヴィエラ・プラーザがある川岸通り、昔はフロント・ストリートと呼ばれていたんですが、現在はナイトー・パークウェーと言うのが公式の通り名称です。これはポートランドの名士、ビル・ナイトーさんに因んだもので、彼は日系2世の実業家、不動産屋、慈善家で、彼の没後、ポートランド市への貢献を記念してこの大通りが命名されたんです。

ビル・ナイトーさん。ポートランドの名士。1996年他界。


ナイトーさんはポートランド市内の商業不動産を沢山所有していて、その一つ、バーンサイド橋を渡って直ぐの一番目立つ(ポートランドは別名、ブリッジ・タウンと言い、市の中心部を流れるウィラーメット川に橋が11本かかっています)場所に昔からあるホワイト・スタッグと言う古風な巨大エルクを描いたニオン・サインが消えかかろうとしていた際、助けの手を差し伸べ経費を代わって払い、ホワイト・スタッグ社(衣料会社)が撤退した後は自分の持つ企業の一つ、土産屋の、Made In Oregon にサインを変え二オンの灯を継続していました。彼の死後、色々ゴタゴタがあり10年ほどその灯は消えていたんですが、余りにも有名って事で市民からの要望で、結局ポートランド市行政が経費を負担し、また二オンが灯されたと言うのが最新情報です。。。

これが昔からあったオリジナルの、白いエルクを象った二オン・サイン。


ホワイト・スタッグ社が移転後、ナイトー氏のMade In Oregon 土産屋の看板に。白いエルク(ホワイト・スタッグ)は残る。


結局行政が観光の一環として二オンは残され今日に至ります。メデタシ。


エルクと言えば、そのリヴィエラ・プラーザの背後数ブロックが、影視、”マイ・オーン・プライヴェート・アイダホ” の1場面でキアヌ・リーヴスが、エルク像の前でリヴァー・フィーニクスを起こす場面の撮影現場。1991年。


ナイトーさんの代表企業、おなじみ緑マークのMade In Oregon のお土産やさん。結構良い品物が良心的価格で売られているので安心して観光さんに勧められます。因みに空港にもお店ありますが、ポートランド空港にある全てのお店はダウンタウンの平均価格より上げてはいけない規定があるので(今でもそうであってほしい。)ぼったくられません。



そう言えばポートランドには全米最古の豆腐屋さんがあります。こじんまりした建物に漢字で豆腐と大きく書かれた太田豆腐、以前この工場へぼくも2CVに乗ってよく買いに行きました。



そうそう、このケヴァルさんの話、もう一つあって、確かニュートさんの弟、彼もキャリフォーニアなどで大規模自動車販売業を経営する、ブルース・ケヴァルさん、彼は1990年代にあのイタリヤはマーセロ・ガンデイーニがデザイン、デトマーソが新世代のマングスタとして生産しようとしたがアレジャンドロ・デトマーソが病死後、棚上げになっていたのをブルース・ケヴァル率いるチームが引き継ぎ、色々改良されケヴァール・マングスタの名称で284台だけ製造。幻のスポーツカーとしてたまに媒体に出てきます。。

これがケヴァル・マングスタ。


VWキャンパーの代名詞だったウエストファリア社はその後メルセデスに買収、売却、倒産を経験し、今ではフォード系のキャンパーなどを製造している模様。


キャンパーじゃないですが、やはり車中泊となれば憧れるのはこのモーターホーム、古風なウイニーベーゴ、外観はそのままに内装を最新型にして。。。なんてね。いいなあ。


今でも通用する未来的なGMCのモーターホーム。これはその内、説明書きますね。
Posted at 2022/02/21 18:52:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2022年02月17日 イイね!

舟唄

舟唄














むかしむかし、2CVをベルジャムからテキサスへ送った際、代理店が保険かけますか?と聞かれ考えたんですが、車両価格が余りにも安い古い車両だったので一応断ってはおいたんですが、車両運搬船の ”事件” はこの業界では結構聞くハナシで、友人がこれまた古いパナードを送った際、保険をかけていなくて、そのPL型載せた運搬船は何と出航後、海に出る前にアントワープ港の灣内に沈んでしまったと言う悲劇



幸いウチの2CVは無事にテキサス州はギャルヴェストン港まで届きましたけど。

無事にギャルヴェストン港で受領した我が2CV。



最近でこの手の事故は2008年に起きた商船三井のクーガーエース号が有名です。アジアから太平洋を渡って北米に渡る際、アリューシャン列島、アラスカ州エイダックの南で、積んできたバラストの水を一旦捨てて、新しい水に乗せ替えないといけない規則があるそうで(環境上の理由らしい)事件はその最中に起き、この時、船が沈没すれば話は簡単だったんですが、バランスを失った船体は左に60度傾いたままになっちゃったんです。



何とか北米まで移動させたのはいいのですが、載っていた数千台の車両、破損が少なかった車両も結構あったそうですが、何せ傾いたまま揺れに揺られて2ヶ月半も経過したので品質保証が出来ないとの事で、全車、スクラップになっちゃいました。その際、オレゴン州ポートランドで陸揚げされた車両等、たった一台でも(それが単品の部品であっても)市場に出るとあらゆる理由で非常にマズい事になるので、製造元の指示で全車、完全に廃棄処分され、タイヤには穴を開け、エヤバッグは専用に開発された装置で発火展開させ、スクラップ処理で最終的には鉄屑となり、ぼくの昔働いていたオレゴン州ヤムヒル郡のマクミンヴィルにある製鉄工場、カスケード・ステイール社で溶かされインゴットにされた話でした。




3年ほど前にも日本発ハワイ行きのローローヴェッセル(RoRo Vessel, Roll-on、Roll-off 要するに自走行して乗船し、自走行して下船する車両運搬船)シンセリテイー・エース号から出火し乗務員退避して、船は太平洋上をさ迷い、結局日本へ曳航されたのが記憶に新しいですが、今週は同じく商船三井、フェリシテイー・エース号が大西洋で出火し、乗務員が退避・下船、現在大西洋を彷徨っているニュウスが出ています。今回はポーシャやらヴォルクスワーゲン車を積んでたらしいです。




ぼくを可愛がってもらった夫婦の奥さんが末期癌になった時、最後の楽しみとして、欧州車には以前選べた欧州工場納車プログラムを利用して、トランジット・プレート下げた新車のポーシャ911で欧州を駆け巡り、旅を終えた後港で業者に手渡し北米に送る際、何と輸送船が故障してスペインにダイヴァートして修理いつになるかわからないと言う状態に。送られてこない新車のポーシャでも月賦の支払いをしなきゃならないし、私の命も限られているのよ、とポーシャに抗議したら、じゃ、その間、新車のアウデイ回しますから使っていてくださいと、A6だったかな、代車が来てました。

昔の独国トランジット・プレートは懐かしい楕円でしたねえ。。。。


以前キャデラックが大西洋を空輸で往復させ製造していたアランテ(製造がデトロイトで架装がイタリヤはピニン・ファリーナ)。旧型の747、専用のULDを使い一度に56台!を搭載してましたが、総生産台数が24,000くらいだったので、単純計算で片道、約428回大西洋を横断した計算になります。なぜ船輸送にしなかったんでしょうかね、その空輸経費がどのように販売価格に取り入れられてたのか。非常に興味あります。。。。






先週のカイルーア。多分近所の軍属、若いハオーレ兵隊さん二人。波乗り板と小型ボートを屋根に載せ颯爽と乗り付けてきた自動車は何と中古の警察パトロールカー、フォード・ポリース・インターセプター・セダーン。多分軍警察の払い下げ。多分例のV6ツインターボ。多分常時四輪駆動。非常にセンスの良い若者たちですな〜。ああ、欲しい。



カイルーアの砂は相変わらず白く粉のように細かいので家に帰ると掃除がナンギ。


昨日の朝は満月。


ホノルル今日の珍客、アズバジャンからやってきたシルクウェイ航空のB748F。燃料補給と乗務員交代だけでそそくさ出て行きました。ぼくが最後にアズバジャンの首都、バークーに行ったのは2011年。


バークーでの宿は空港宿。自分の部屋から自分のヒコーキが見えるのはなんか安心


Posted at 2022/02/18 16:50:11 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「合衆国のVW文化、その4 http://cvw.jp/b/1945280/48458481/
何シテル?   05/30 15:26
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
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