
過給器とはご存じ、エンジンの吸気流入混合気を、ピストンで引っ張り負荷で ”吸う” のではなく、何らかの方法で逆に無理やり ”加圧” して混合気を押し込む装置です。航空機用には戦前からありました。これは別にヒコーキの高性能・高出力を狙っていたわけではなく、航空機の性能が向上して高い高度まで到達すると、酸素の密度が低くなりますから自然と出力が低下してしまいます。それを補う為に始まったのが過給でした。これは高性能機でも軽飛行機でも同じで、軽飛行機にターボチャージャが付いていると、標高ゼロで200馬力出るとしますね、それが上昇すると次第に最大出力も落ちていくので、それを補うための装置でした。離陸時はウェイストゲートを殆ど開けて過給をせず、高度を上げるにつれてウエイストゲートを閉じて過給量を増やして最大出力を持続させるというもので、それが自動化されるまでは離陸中にはスロットルを全開にした後、過剰過給しない様、ウエイストゲートのレヴァーを弄らなければならなく忙しかったです。航空機で過給の極みは矢張り、Wright社のダブル・サイクローン星形エンジンでしょう。9気筒の星形エンジンを前後二つくっ付け、2速のスーパーチャージャ吸気加圧するだけでなく、ターボコンパウンドと言う装置で、排気を拾いターバインを回し、それを流体継手を介してクランクシャフトを直接増速すると言う、世にも複雑な機構を持ち(この装置は主に燃費向上が目的でした)、18気筒、54,900リッターのエンジン、3,500馬力くらい。フライトエンジニアの席には各気筒の点火状況を診断するためのオシロスコープが付いていて、7時間、8時間、延々と海を渡る間に混合気を調整したり忙しい事やってたんですから、凄いです。
これがそのデユプレックス・サイクローン18気筒並列星型エンジン。DC-7もロッキード・スーパーコンステレーションもボーイング337もこのエンジンを4基積んでいたんですから、点火栓だけでも144個!自分なんか苦労してきたと思って見れば、昔の人はもっと苦労してたんですよね。。。
そのロッキード・コンステレーションの機関士パネル。ロッキード製品の操縦室の優れた設計は有名ですが、これも同様。エンジン系の操作レヴァーが操縦士用だけでなく、機関士の為にちゃんと複製してあって、ここでオシロスコープ見ながら微調整して機嫌の悪いエンジンをなだめたり、もうちょっと燃費が上がらんかと空燃費いじったり冷却フラップを閉じたりしてたんですね。。。こう言うのがホントの神業。
右に繋がっているのが PRT (パワー・リカヴァリー・ターバイン)U字の排気管でターバインを回し増速歯車と流体継手を介して下方にあるパイプの中の駆動軸で直接クランクシャフトの回転を手伝います。これがかなり壊れたそうな。。。それもこのPRTがエンジン一基に三つ付いていたのです。。。。
サーブは1978年と、結構早い時期からターボチャージャー付け持ってきてました。雪に強い前輪駆動と高高度で力を保てるターボチャージャは鬼に金棒でコロラド州やらユータ州やら、標高の高い地域で人気がありました。でもこの頃のターボ・サーブの問題点は、未だ一般的ではなかったこの新機構、ターボチャージャ軸受が高温になるので潤滑油の劣化が早く、オイル交換間隔が短めだったのを無視しするとエンジン内部の劣化が速くなるのと、エンジン停止後、そのターボチャージャ軸受の潤滑油がオイルパンに戻る際の管が詰まり(特に劣化した潤滑油は)次第にオイルシールからオイルが漏れ出したり、って言うのを覚えています。されどサーブのエンジンは排気が右、吸気が左、それをエンジン前部で繋いでいたので整備性はまずまずだったかな。頻繁なオイル交換、エンジン停止前のアイドル運転で随分苦情がなくなりました。アウデイの5気筒過給エンジンなんかオイル・フィルターが2個付いていたっけ。。。
排気ガス規制が発足してから、買える自動車の仕様、エンジン・トランスミッション・最終減速比の組み合わせで、どれでも自由に出来たわけではなく、規制の厳しいキャリフォーニア仕様、標高4,000フィート以上の高高地仕様とその他の49州仕様と分かれていました。標高の高い地方は混合気が濃いめになるので排気ガス汚染が深刻で高度自動補正の無いキャブレタが殆どでしたからその様な仕様がありました。面白い事に標高が高いと酸素も少なくなるのでオクタン価が低くても走れるので違うガソリンが供給されています。この高高地は全米でたった7パーセント程度の市場でしたっけ、その為にGMはコロラド・スプリングス近郊、パイクスピークの入口のマニトウ・スプリングスと言う街に実験場のアジトを長い間維持していました。
このシェヴォレイ・悶座(モンザね)のキャタログ、エンジン・変速機・最終減速比のチャートには49州仕様、加州仕様、標高4,000フィート以上の仕様と細かく分けて表示されていました。これは全て、排気ガス規制の条例によるものでした。
我が国で最初に排気ガスで駆動する過給器、ターボチャージャですな、を採用したのは1962年、シェヴォレイの特異なリヤエンジン経済車のコーヴェア、または登場時期数ヶ月違いでオールズモビルのF85とされています、今で言う中型カトラスの元祖です。その過給エンジンをジェットファイヤと命名して登場。同じGMなのに思想がかなり違うのが面白いです。このコーヴェアはモデルチェンジ後、現代的に衣がわりした高性能版コーサ。
コーヴェアはご存じ、2.4リッター、水平対向空冷6気筒エンジンを車体最後部にぶら下げた、特異な構造を持つVWビートルに対抗する為世に出た経済車。その2扉スポーテイー版のコーサ仕様にターボチャージャをくっ付けました。TRW社製(後にTRWの過給器部門がRayjay社に売却される)の300シリーズ、3インチの小さなターボチャージャの手間にカーター社製のサイドドラフトの気化器を持ち、圧縮比を8まで落とし、10パウンドの加圧を掛け150と180馬力仕様がありました。このターボチャージャー仕様は一応コーヴェア最後の1966年まで用意されていましたが、コーヴェア自体が操縦安定性問題で槍玉に上げられて社会問題となり、余り普及はしなかったみたいです。
コーヴェアの過給器付きエンジン。左に吸気口とエヤクリーナ、それからサイドドラフトの気化器を噛ませて右の過給器に送る構図。これ、エヤコンデイション仕様あったのかな。。。。。
これがコーヴェア・ターボチャージド仕様のカーター社製サイドドラフト気化器。水平対向エンジンにサイドドラフトの気化器を使うのは珍しいですね。
一方オールズモビルの方は、総アルミナム合金製の3.5リッターV8にギャレット社製T3過給器を備えた高性能中型、F85の2扉車を出したのですが、こちらの特質される事は、加圧力が6パウンドもあるのに圧縮比を10強のままにしていて、避けられないノッキング異常燃焼を防ぐ為に水とメサノール・アルコホールの混合水を吸気に噴射する機構を持ってました。この混合水はターボロケット液と称され、エンジンルーム前方左端に設置された、容量5コーツのタンクから自動的に噴射、過給を効かせれば効かせる程、減る量も早いですが、通常走行で1,000キロくらいは持ったそうです。これとは別に予備のロケット液が少量、瓶詰めでエンジンルーム内に装備されていました。万が一、このロケット液が空になると自動装置が働いて加圧が1パウンドに制限される他、計器盤に警告灯が付くんですが、大抵の人はそれを忘れて何年も加圧無しで走り続けたり苦情が出たりとかで人気は出ず、オールズのジェットファイヤ車はたったの2年で廃止になった所か、オールズモビルはブランドが廃止になるまで過給器付車種を2度と揃えませんでした(と覚えてます)。
左バンクの排気管をエンジン後方下側から右側に持ってきて右側排気管と合流させた後、上へ持ってきて90度曲げてターボチャージャーを回し、今度は前方に出た流出排気をまた下に曲げて後方へ導きマフラーに繋ぐと言うもう、卒倒するような吸排気の取り回し方。でもV型エンジンはこの形式が後々まで続きました。
その後、ターボチャージャ・エンジンは我が国では1976年のポーシャ911、1978年のサーブ99が出るまで見られなかったんですが、排気ガス規制、燃料危機が始まる1970年初頭から研究だけは続けられ、GMはビュイックの小型V6エンジンに過給器を付けて、燃費、排気ガス浄化を保ちながらV8並の性能を出すのを目的として、1978年、丁度ダウンサイズが始まった矢先にビュイック、数車種にターボチャージャの注文装備で選べる様になります。
これがその初期のビュイック3.8リッターV6ターボチャージャー・エンジン。この個体はフルサイズのルセイバー、おまけに冷房車ではない、レアもの。排気管の取り回しが1962年型のジェットファイヤエンジンと変わっていないのがわかります。なのでAC圧縮機やら大型発電機が陣取っていないのがまだマシですが、巨大な空気ポンプが鎮座しています。冷却ファンの覆いの上にある黒い弁当箱が電子点火時期制御の頭脳。
ビュイックの過給エンジンは3.8リッター、圧縮比を8まで落としギャレット製T3の小型過給器で9パウンドの加圧を掛け、燃料供給はロチェスター製の2バレルまたは4バレルの気化器。異常燃焼対応は電気的に点火時期を遅延させる点火制御装置を備え対応。このエンジンは基本的に1978年から1983年まで進化を伴いながら計125,000基世に出されます。面白い事にこの時分のターボチャージャはステーションワゴンを除く豊富な車種に注文装備できて、大はフルサイズのルセイバー、小はミッドサイズのセンチュリー・セダーンまで。
AMラジオも、冷房も、メッキの飾りも少ない、こんな年配ご婦人か偏屈な中年仕様にターボチャージャー付きエンジンの注文装備選べたんですから。。ホント、誰か発注したのかしら。
その後、ビュイックの過給器V6は燃料噴射に変更され、さらに空対空のインタークーラが装備され、過給器本体もエンジン右前方、昔発電機やらがあった場所に移動、最終型1987年のビュイック最後のマッスルカー、リーガルの(高性能版グランナショナルの最終型)GNXはASC/マクラーレン社で500台強限定生産され、最高で16.5パウンドの加圧をかけて、どうやら最高馬力は公表されていたより遥かに上まり300馬力を軽く登り、当時のフェアラーリF40を追い抜く性能だったとかで、今でも恐ろしい時価で取引されているのを見かけます。
ビュイックの85年式、過給器に燃料噴射が付いて鬼に金棒。
86年からは大改造され過給器がエンジン前方右側に移動し、インタークーラが付いて性能は大谷翔平級に格上げされます。
過給器の排気側が取り外されていますが、吸排気の経路が分かります。インタークーラーには樹脂の囲いが被さり、車体下部に角度の付いた空気取り入れ孔から常に走行空気をかき入れて冷却します。
泣く子も黙る、伝説のGNX。
時を同じく、GMではポンテイアックでも2年間だけ、過給器付きのファイヤバードを1980年と1981年の2年弱だけ販売した時期がありました。面白い事に、ターボ・ファイヤバードの発端はビュイックからの技術移行とか、営業企画から始まったのではなく、1970年中盤にGMの運営する大学校でGMI、General Motors Instituteが行った低燃費・低公害エンジンの提案、と呼ばれた学術研究に応募した生徒が制作したプロジェクトが発端でした。自動車会社の経営が傾くと、あまり関係の無い傘下の会社を売却させられるのがオチで(特に政府の援助を受ける際)クライスラーは軍事部門を売り飛ばし、GMもこの大学経営から手を引きましたが、大学自体は民間の手で運営続行され、名前がケターリング・ユニヴァーシテイーになり現在に至ります(ケターリングとはチャールズ・ケターリング氏の名前、電気式始動モータ、鉛入燃料、フレオン冷却装置などを発明したデイトン・エンジニヤリング・ラボラトリーズ、略してDelco社の発足人です)これを目にしたGM技術部から学術指導に派遣されていたマネージャーの目に留まり、経営陣に提案、のちに商品化されたと言う話でした。こちらも過給器はギャレットのT3、特殊ロチェスター社製クワドラジェット4バレルの気化器に、ビュイックから借りてきた電子点火時期制御を備え、圧縮比を7.6まで落とし、構造を強化された構造の4.9リッターV8に9パウンドの加圧で210馬力の性能。されど翌、1982年にFボデーはモデルチェンジになり小型化され新時代のエンジンを想定した車種構成計画からこの、大型V8のターボチャージド・エンジンは終わってしまいます。
この煌びやかな派手さ。この翌年に出たトヨタ・ソアラーなんかと比較すると流石に文化の違いを感じ考えさせられます。。。。
ファイヤバード、モデルチェンジ後は1989年だけ、限定でターボチャージ仕様を1,500台強、限定販売しました。開発・製造は外注で、キャリフォーニアはヴァン・ナイズのパフォーマンス・オートモテイヴ・システム社。中身はビュイックのグランナショナルのV6エンジンを改造して移植したもの。
トランザムでお馴染みのフッド上のスクープ状の膨らみ、1973年までは実際にソレノイドで開閉したんですが、騒音規制の煽りをくらいそれ以降はただの膨らみです。まあそれを再開させるキットが多数出回ってますが。んでターボチャージャー仕様ですとそこがブースト作動灯になります。この膨らみ、英語でバルジと言うんですが、一般的にシェイカー・フッドと呼ばれます。本来ならばフッド中央に穴を開けそこから飛び出る気化器のエアクリーナを載せたので、フッドは当然固定されていますから、エンジンのスロットルをブリッピングさせると突き出たキャブレタ上部のアッセンブリが踊るように左右に踊る、シェイクされる、ので、シェイカー・フッドと言うわけです。ミルク・シェークのシェーク、振るですか、日本語だと。
その過給されたファイヤバードのV8はご覧の通り、同じ吸排気の取り回し。
冷房の圧縮機が星形のR4タイプですね。これ、パンケーキ・コンプレッサと言って前後の幅が短いのが特徴なんですが、昔からある斜板駆動のA6型コンプレッサより問題は多かった見たいです。。。。
ファイヤバードと言えばこの派手なフッドに貼られたグラフィックですね。よーく見ると結構種類があって色も数種類用意されていました。余り知られてませんが、このグラフィックを創作したのは日系人のノーム・井上氏だそうで、数年間だけ働いたGMのグラフィック部門で頼まれて描いたのが、俗に呼ばれる叫ぶニワトリのグラフィック。ところがこれを見たビル・ミッチェル総領は気に入らなかったそうで、こんな原住民インデイアンの布団みたいなのをウチの車のフッドに掛けてどうしてくれる!直ぐ外せ!とお冠の状態で、その後、説得に説得を重ねて商品化された1973年には井上氏は既にGMを去っていました。
2代目ファイヤバードが出た頃からこの、叫ぶニワトリは井上氏の考案で考えられてはいたのですが。。。
ミッチェル氏はこう受け取った。。
勿論、このフッドの叫ぶニワトリのオプションは大人気になり、シェヴォレイ・カマーロに一泡くわせた、と後のミッチェル総領もご満悦。井上氏はGMを去った後、娯楽のデズニイーに入り、フロリダのエプコット・センターのロゴなどをデザインし有名です。
初めて注文装備できた叫ぶニワトリは1973年型。
そのニワトリ図も結構色や種類があったらしくて、翼の形状、頭の向きなど。。。これは1977年型のT/A。
1978年型T/A。
1979年型
これは1980年のターボチャージャー付き。翼端の形状が随分違います。
モデルチェンジしたファイヤバードは面と面が繋がった、光り物や飾りの少ない実に欧州的なデザイン。でもこれは最初の数年だけで、販売台数向上目的でゴテゴテした付加物が増えていきました。
フッドのグラフィックも1986年までだったか1987年だったかしら、控えめな叫ぶニワトリを選べましたが、あまり装着車、見かけませんでした。
井上氏の発案したデズニー・エプコットのマークなどなど。
トランザムと言えば、矢張り避けて通れないのがあの、銀幕、スモーキーとバンデイット。1977年に空前の大ヒットした作品でした。 興味深い事に、バート・レイノルズのお父さんは実際に、警察の署長さんをされていたんですって。
あれは脚本、演技、音楽、何一つ取っても文句のつけようの無い、完璧な作品で、後生に残る影視とぼくは認識しています。安定剤・保存剤を加えないだけでなく、熱殺菌をしていないコアーズのビーヤは、細菌の増殖などの関係で持ちが悪く、よってテキサス州から東では販売してはいけないと言う法律が多分、今でもあります。その法律をかいくぐり、その当時流行っていた18輪のセムアイ・トレーラ、CB無線、カントリー・ウエスタンの音楽、あらゆるものを盛り込んで、こりゃ米南部でしか理解されない大した映画にはならんとの予想を裏切り、1977年で一番ヒットした作品になりました。各場面でのセリフやらが非常に綿密に計算し尽くされ、考えられ、45年経った今でもハッとする程、新しい事を気付かされ、監督のハル・ニーマンの天才さに驚きます。そう、あれから45年ですよ。道理でぼくらはジジイになっちゃったわけですね。バート・レイノルズも、ジェリー・リードも、ジャッキー・グリーソンも皆、鬼門入り。今じゃ、殆どが合成画像の上下手な演技の俳優が多く。。。ああ、やめておきましょうね。また出ました、中年の愚痴。
もうこの頃、彼は杖を付いて登場だったそうです。。。
でも彼はシトローエンでも警察に追われ疾走した事あるんですよね。
非常に有名な、この忘れ難い場面。カウンターの上に置かれた懐かしい小物類、ケチャップとピカンテソース、ジャッキー・グリーソンが早口で捲し立てるセリフ、”大至急より大至急、今直ぐ、デイアブロ・バーガーとドクターペッパー、いま直ぐ!” このセリフ聞くだけでぼくは30分たっぷりお腹抱えて笑えます。どうして可笑しいかと言いますと、その南部アクセントたっぷりのドクターペッパーの発音、その南部でしか食べれない(とされていた)デイアブロ・バーガー、心臓パクパクさせながら叫ぶジャッキー・グリーソンをよそ目に、心の中では大慌てのくせに、横で冷静に見ているバート・レイノルズの表情。何一つ言わない給女さん。。後でわかったそうで、このデイアブロ・バーガーと言うのは撮影中誰か勝手に作ったそうで、実際にその様なバーガーはなかったらしいんですが、デイアブロとはスペイン語で悪魔の意味。この映画はテキサスを背景にしていて、まあ、テキサス州は以前メキヒコ国の領土の一部で公用語がスペイン語でしたからと。。。。。でも映画の後、誰ともなくデイアブロ・バーガーと言う食べ物を皆が作り始めて、それは挽き肉をトメート系の赤甘いいソースで煮込みそれにチリ・ペッパーで辛くしてハンバーガー・バンズに挟んで食べる物、と言うらしいです。。。スラッピージョーみたいな物かしら。。
ジャッキー・グリーソンは以前は全米を笑わせる1950年代の連続コメデイー、ハニームーナーで、今でも若い人から老人まで絶大な人気を得ています。古き良き合衆国、これがここに凝縮されてました。因みに女房役を演じたオードリー・メドースは後にコンチネンタル航空の社長、ボブ・シックスと結婚して、長い間航空業界では有名でした。
ジェリー・リードもあっちの世界へ言っちゃいましたが、サリー・フィールドさんはまだご健在。素晴らしい女優だけでなく頭脳優秀。信条が素晴らしい。大統領の晩餐会に呼ばれるクラスの人です。これは息子さんと。
追伸:同時期に、同じポンテイアックのファイヤバードでもコチラは車両提供側が余り宣伝しなかった私立探偵番組、ジェームス・ガーナー主演の ”ロックフォード・ファイル”。コチラは加州が舞台なので演技もあらすじもテキサスやら中南部のとは全く違います。白壁タイヤ、トランザムではなく豪華仕様のエスプリ型なんですが、中身はトランザム以上に高性能改造されていたそうで、ジェームス・ガーナー自身がプロフェッショナル競争運転手だったこともあり、派手な走行披露は殆ど自分でやられたそうです。そう、ロックフォードの描く性格はいつも負け犬、でも正義感はあると言う、派手さを控えた所に惹かれました。。。。
