今年に入ってからの物価高騰には空いた口が塞がらない程で、スーパーマーケットの領収書を疑わんかとばかり凝視する事、数回。これじゃ当分引退できないですなあ〜
ぼくの通勤は片道10マイル程、16キロですかね。それに週末の走行を加えると大体3週間に一回の頻度で給油しています。プラグインハイブリッドのプリアスは平均燃費がリッターで34キロ程度は確実に走るのでフルタンクの航続距離は1,280キロって所か。燃料タンクの容量が11ギャロン強、記録を見ると去年までは一回の給油が$35くらいだったのに最近では$55にも跳ね上がり頭が痛いですが、これが今流行りのSUVやらなんだったらこの2倍や3倍になってた所ですから恐ろしいもんです。
以前の職業でヒコーキを飛ばしていた頃、燃料管理が重要でした。最大で200,000リッターのジェット燃料を7つのタンクに入れてあれこれ燃料弁を開けたり閉めたり順番に燃やしたりと、それに燃料重量の重さで離陸性能とか巡航高度とか計算機片手にタンタカ弾き出していたんですから今じゃ考えられませんね、そう、近代は電子制御でそれらは瞬時に行えます。その当時の癖でぼくは昔から燃費録やら整備記録を取るのが好きです。面白い事に、一般の人にあなたの自動車、燃費どのくらいですか?と聞くと、高い確率で戻ってくる回答は、給油が1週間に一回かな〜、$80もするわ、と答えます。1ギャロンで何マイル走るのかが燃費の目安になっているわけでなく、満タンでどのくらいの日数を走るのか、または給油額を燃費の目安にしている人が多数なのです。
我が家のプリアスが飲む燃料はレギュラー、ハイオクとは別にあるグレードで、エサノールフリーと言う、所謂エサノール・アルコホールが添加されてない奴です。現在一般のガソリンはトウモロコシやらが由来のエサノールが10パーセント程含まれていて環境に良く持続可能な燃料として政府が薦めていますが、何故かプリアスはエサノールが入ってないガソリンを好みます(燃費が向上する)ハワイ州は限られていますが、トウモロコシが産地のイリノイ州やらに行くとE85と言ってエサノールが85パーセント含まれている燃料が結構普及しているみたいですが、農家の穀物輸出収入とか燃料産業と政治の兼ね合いとかの問題があり、一筋縄には普及しないのが現状と聞いています
我が国、特に本土では、牛乳ひと瓶買いに行くのも自動車に乗って行かねばならない場所柄、当然ガソリン供給は生死に関わる事なのですが、1970年代に2回も遭った石油危機。
1978年にぼくがジュニアハイスクールの9年生だった頃、一夜でガソリンの1ギャロンが50セントから1ドル50セントに跳ね上がり、イチデージ。あの頃に比べて、今年のガソリン価格高騰は勿論話題にもなり政府に対する文句も沸騰していますが、1978年当時行われた給油規制、小型経済車へ一斉の買い替え、エコノミー・エコノミー、節油、などの声が聞こえないのが不思議です。
その第二次燃料危機の1978年頃からが日本からの輸入車が劇的に売れ出したのでした。勿論、1960年代に浸透し始めた代表的な小型車、VWのビートルに対抗するために出した各車種、GMならヴェイガ、フォードならピント。燃費を稼げる自動車は持っていたんですが、210ダットサンやら30カローラ、はたまたホンダ・シヴィックに比べたら話になりません。それ以上に差をつけようと日本勢各社、小型経済車に一層燃費が向上した独別車種を出します。それらは徹底的に装備品を省き、変速機を変更し、血の滲む、星一徹が設計指揮を執った如きの車種が用意されていました。これらは余りにも簡素で余程燃費向上に燃えていた家族以外は普及しなかったのですが、一番の特徴は、車両乾燥重量を減らすのにガソリンタンクの容量を減らしているのが目につきます。昔の骨格と車体が別々だった時代は、フレーム後部の空いた場所にガソリンタンクを適当に下ろして、あとは衝突実験とか公害対策で蒸発率の実験やらでそんなに問題にはならなかったんですが、モノコック・ボデーになり燃料タンクの場所・形状も車体と同時に開発する時代に入ると、燃料タンクの容量もテキトーな事言ってられる場合ではなくなりました。その上、車両検定に出す際の重量で法律上様々な定義され、税金、排気ガス規制などが絡んできますからそう簡単に燃料タンクの容量を変える事はできなくなります(以前書きましたがシェヴォレイのBIG10型ピックアップトラックはわざわざ重量を重くして排気ガス規制の緩い大型商業車の車格に押し上げ、触媒を使わずに済み、安い有鉛燃料を使えるようにしたケースもありました)
省燃費仕様のマズダ808、そのなもMIZER (MiserのSをZに変えた)飾り物が全く省かれている。
同様の経済・廉価版30カローラは2TC。幾ら軽量化されていても非力だったんだろうなあ。。。黄土色の室内、絨毯も省かれペラペラのヴァイナル敷きだった。。
ダットサンからニッサンへ移行時、余り売れなかった210(B210では無い)の燃費スペシャルの名前はズバリ、 ”MPG” A14エンジンの排気弁の寸法が特殊で、渦流混合を発生する、とどっかで読んだ記憶が。。。うろ覚えですいません。
そのニッサンは省燃費仕様を結構最近まで設けていたとみましたが、ぼくの好きなB10サニー・セントらの省燃費仕様は本格的で、燃料タンクもこの手の軽量車としては余裕の13.2ギャロンから10.5ギャロンへ別物が装備されています。それ以上の燃費向上を望む人には、ジーゼル・エンジンも北米に持ってきていたんですから凄い!
燃料タンクの容量を減らし重量削って燃費を稼ぐのとは反対に、燃料タンクの容量を増やす例も余り知られていませんがありました。勿論、ピックアップトラックは昔から業務用途などの理由うで、二つ目の燃料タンクをオプションで用意に選べられましたが、乗用車の際、最初は技術的な理由からだったみたいです。
1979年にフォックス車台に大変更されたフォード・マスタング。標準の燃料タンク容量は11.5ギャロン。但し2300ccエンジンに冷房を付けたり3,300の6気筒エンジンかV8エンジンを選ぶとタンク容量は自動的に12.5ギャロンになります。それが1982年になると兄弟車のマーキュリー・カプリーと共に全車種共通の15.4ギャロンのタンクに変更されます。
同じフォックス車台でもセダーンのフェアモントは、標準が16ギャロン。でも初期生産分は14ギャロン、キャタログでは正式発表されたが本当に売られたかは判らない幻のターボチャージャ付きの2,300ccだと14.7ギャロンのタンク。実質上フェアモントの軽い焼き直しのLTD(フルサイズじゃ無いやつ)だと、標準タンクは16ギャロン、でも延長航続オプションで20ギャロンのタンクを選べました。
フェアモント自体は余り長続きせず、後に来たタウラスの超爆発的な人気の影に隠れがちですが、実際は無駄のない非常にクリーンなラインを持つ、フォード伝統の質実剛健を地で行く様な、真面目な実用車でした。昔の小型車、ファルコンの思想に近かった?でもフォードの悪い癖で、歳を重ねる事に消費者の志向でと次々と改悪され本来の思想が薄れていくのが残念でした。
タウラスが来るまでの数年間、急遽作って資金難を凌いだ、LTD。フェアモントの焼き直し。
その延長航続オプションはタウラスにも受け継がれ、標準は16ギャロン、延長版だと18.6ギャロンの燃料タンクを選べました。矢張り車種構成はスタンダード仕様が一番設計思想が分かり易く、魅力的に映ります。
タウラスの最廉価版はMT5と言って4気筒に手動5段変速機を組み合わせた、いわゆるフリート業務用車仕様。でも余りにもの非力で業販でもそっぽを向かれて殆ど売れなかったそうでした。
故障の百貨店と言われている、ヴォルクスワーゲンのB5パサーとの恐ろしや、W8エンジン搭載車。燃料容量が足りないので、トランク内のスペアタイヤの置き場に増槽タンクを設置。前と後ろ、燃料容量を測るセンサーが合計4個付いていて、エンジンにガソリンを供給する前のタンクの残存量が減るとセンサが感知して後ろのタンクのポンプを作動させる仕組み。当然壊れます。樹脂製のコネクタやらパイプを使いたがり、これらもボキッと折れます。
でも燃料タンクの量を増やした、極め付けの自動車は、そう、泣く子も黙る、ラリー・シノダさんが描いた2代目、C2コーヴェットです。この美しい後ろ姿。。(この写真は後窓が一体形なので1964年以降、と言うかC2の後期型ですね)
C2の ’ヴェット で何時も連想するのがリヴィエーラ。この前半分がヴィナル・トップになっているのが洒落ている上、上屋高半分の凄さらに強調してます。
そのモデルチェンジした1963年からのC2 ’ヴェット、標準の燃料タンクは20ギャロンなんですが、自動車競争を更に意識し出したC2から、競争用の本格的な特別装備を選べる、例のPROオプションが増え、その中でも本格的なPROコード、Z06と言うのが登場します。強化された足回りなど色々包括的に魅力的な装備が含まれているんですが、その中の一つが燃料タンクが何と、36.5ギャロンになっているんです。どうしてこんなタンクが必要だったかと申しますと、競争時、燃料切れでピットに戻ったりしていると時間を稼げないんですよね。長時間無補給で走り続け極力、停止時間を短縮しようと言う考えだったのです。後にPROコード、N03を選ぶと大容量タンクだけでも注文できて、実際、この装備を選んだ顧客は余りいなかったそうですが、今でも語種になる、別名、”タンカー” オプション。面白いですね。
C2 ’ヴェット、通常の後方荷室。
そこにこの大型燃料タンクを積みます。車体同様、確か樹脂強化繊維で作られていた。
タンカー仕様。
前後のロールセンターが描かれている図。燃料タンクは標準型。大型のタンクを積むと前後の重量配分が均等になるのがわかります。
C2の乗降扉は屋根まで食い込む、俗に言われる航空機型。ロチェスター気化器部門が開発したラムジェットインジェクション、燃料噴射装置も選べました。
ロチェスターの燃料噴射装置はほぼ完全に機械式。絞り弁手前に漏斗型のヴェンチュリを設けてそこから得た負荷を感知して噴射量を調整する仕組み。通常の機械式燃料ポムプの他に、デストリビュータから得た回転棒で回す小型高圧燃料ポムプが最高400PSIまで加圧し、燃料は所謂、垂れ流し噴射で各シリンダに噴射されます。機構自体はそれ程複雑では無い様に見えるんですが、整備性に問題があったらしく、普及せず。出だしの1957年頃、普通のシェヴォレイのセダーンにも装備されて、初めて1立方インチから1馬力を出せると話題になりました。
我が家が使っているガソリン販売店はユニオン76、昔で言うユノカル76。ユノカルとはユニオン・オイル・オブ・キャリフォーニアです。76はその会社を象徴するブランドで、オレンジ色のボールに76と書いたロゴが有名です。一時期ゴルフ球のそのユニオン76を描かれたボールを景品で配り、それを自動車のアンテナに付けるのが流行った事がありましたね。。76とは我が国建国の1776と、昔画期的だった76オクテーンのガソリンを引っ掛けたもの。
最近合併吸収されてユニオン76と同系列になった、以前は敵相手のフィリップス66。76とか66とか紛らわしいですが、フィリップスの66の由来は、昔、初めて彼らのガソリンで時速66マイルを出した場所が、有名な66号線だったので、とか、聞きました。
ラウト66は、昔、シカーゴからキャリフォーニアはサンタモニカまで続く、主幹道路です。その道にまつわる文化、物語、で有名になりました。その後全米高速道路網、インターステート・ハイウェイ・システムが出来てからは66号線は廃れましたが、未だに残っている場所では観光地化されてます。
そのラウト66と言う、二人の若者がC1コーヴェット(四つ目の後期型)に乗り旅するドラマ物が有名です。面白い事にラウト66は番組名だけであって、実際の脚本は別に66号線を走るものではありませんでした。
今日のオマケ。アラ・モアーナ港に掛かる橋の袂の落書き。釣りする坊や。これだけは消されてません。カワユイですなあ。
冒頭の図は燃料危機の時のテキサコの給油所。テキサコはテキサス・コーポレーションの略です。テキサス州は産油地として知られ、特にサンアントニオは油の街として有名です。ぼくらが子供の頃、テキサコと言えば地図でした。テキサコのギャスステーションに行けば、縦に折れる道路地図が各種置いてあって、無料で貰えたのが有名になって、それ自体がテキサコ・マップと呼ばれる様になり、それらを集め、遥か彼方の地に思いを馳せたものでした。。。。懐かしいなあ。。。