• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

JetBoyのブログ一覧

2023年05月29日 イイね!

フレームの形状 フォード GM 燃料タンクもろもろ

フレームの形状 フォード GM 燃料タンクもろもろ










オアフ島西海岸にある、日本で有名なコニシキさんの邸宅がやっと売れ、買い手は本土からの人と聞きましたが、あの一帯は最近治安が悪く、と言ってもオアフ島、ここ近年で全般的に治安の悪化を見ますが、なんでも一年で数回強盗被害に遭われて、奥様が引っ越しを要望したとか。

その西海岸はマカハにある、タムラ・超級市場に久しぶりに出かけた際、駐車場に停まっていたのがこの自動車。




1982年辺りのミッドサイズ車、シェヴォレイ・マリブー・ステーションワゴンのドンガラを、何処かの四輪駆動トラックのシャーシの上に強引に載せちゃった模様。


この年代のGMのAボデー車はちゃんとフレームの上に車体が乗る構造なので、ボデーだけ載せたのかと思ひきや、よく見るとマリブーのフレームの下にトラックのフレームが覗いているので、まあ、よく合体できたものだと。


フルサイズが劇的なダウンサイズを行った翌年に発表された、ミッドサイズのAボデー車。シェヴェルの名称と直6エンジンが消えた代わりに、なんと最大で1,000パウンドの減量に成功したダウンサイズの中型車。まだフレームを捨てきれなかった。


早期にフルフレームを捨ててユニットボデー、いわゆるモノコック構造を得意としていたのはクライスラーやらナッシュでしたが、GMも小型車や、カマーロには前だけフレームを継ぎ足した構造になってました。

デトロイトでは通常、フレーム付きの車両をバラす際、フェンダー、フッドやらグリルの付いた部分を一体で外す事が常で、このアッセンブリーをフロントクリップと呼びます。

拾い画像。左の部分がフロントクリップです。


フロントクリップを下ろしたインパーラSS。


拾い画像。駆動系の組み込んだフレームの上に車体を載せて、前部にフロントクリップを被せるのが一般的でした。ですからやろうと思えば着せ替え人形みたいに半分オールズモビルで半分キャデラックみたいなのも可能だったんですね。


ビュイックグラン・ナショナルのステーションワゴン?作れちゃうんですなあ。


でも当時のカマーロはモノコックのドンガラにボルト締めでサブフレームを合体させ、そのサブフレームにエンジン、懸架装置やらステヤリングギヤなどが付いていました。


これがそのサブフレーム。


クライスラーもモノコックとは謳っていましたが、実際は前部はごっついサブフレームがあって、矢張りNVH処理やらこちらの方が容易だったんでしょうね。そう言えばシトロエンのCXもそうでした。中央にズンと平たいフレームが前後に走り、後端に後輪周り、前端にエンジンやら操舵、懸架装置をくっつけた構造でした。確か前部と後部は中央のフレームに各8本のボルト締めで合体していたので構造的には結構ヤワだった覚えがあります。なぜかフレームより車体の方が恐ろしい勢で錆びていった。。。。


CX以前のDS系は上屋はスケルトン構造で、下側に図太い骨格が外側に走り、前後に伸びるツノにエンジンやらが載ってました。この外側の骨格が曲者で何重構造で内側から腐食し、その上幅が尋常じゃなく一旦室内に入ると床だけがストンと低くなっているので、乗り降りは結構しにくいんです。


上級仕様のパラースだとその骨格にキンキラキンの装飾板が貼られ、磨けば綺麗ですが、その下に巣分を含むと見えない場所の腐食が加速します。でもまあ下部は殆ど真っ直ぐな鋼板で作られているので、腐食部分を切り取って作り直す人もいるようですが、怖いのは上屋で細い曲がった構造の柱なんかがあって、そう簡単には製作できないし、古くなると屋根から必ず水が漏れて堂々巡りになるので、相談事が増えます。


その昔からあるフレーム構造、一時期GMが、所謂ハシゴ形状を捨てて、X状の骨格にした事があるんです。1957年のキャデラックです。X状にすると運転台下の床を低く取れる上、構造上ねじれに強いので良い、と言うのが謳い文句でした。

1958年のキャデラック。中央のくびれた場所の左右に前席がくるので床が低く低重心になる筈。。


1959年のキャデラック、そうです、あの尾翼が一番、天を目指しそびえていた奴ですね、あれも底床式、Xフレームだったのです。


でもキャデラックは1965年のモデルチェンジの際、普通のラダーフレームに戻ります。何でも側面衝突の際の安全性確保に難があったとか。。ちなみに同じGMでもシェヴォレイやら他社はXフレームを採用したのに、オールズモビルだけは遂に一回も採用しませんでした。

これは1957年型。Xフレームが初採用された年、ちょうど四つ目の前照灯が解禁されたやつです。良い雰囲気の写真ですねえ。。。。


1958年型のエルドラード・ブロウハム。運転手、ソラヲ見上ゲ、何想フ。。。


後にエルドラードは前輪駆動の超豪華パーソナルクープに昇格します。これは同じ車台、Eボデーの1979年型ビュイック・リヴィエーラ。ダウンサイズされて随分ちっちゃくなりました。前輪駆動なので駆動軸がないのと、同じくトランク下の燃料タンクなどが確認できます。


Xフレームと言えば、トヨペット・クラウンも一時期使っていた筈です。この世代だけでしたが。


クラウンは梯子フレームを長い間維持してましたが、新世代になると余りフレーム構造の車台形式を維持する意味もなくなってきたんだと思います。その分技術が進んでモノコック構造の弱点をホボ制覇できるようになったんですね。


観音開きのクラウンは普通の梯子フレームだった様子。



まあその側面衝突の問題と言うのも信憑性がどうもで、何せ側面衝突の際、ぶつかるのはフレームの走るあんな低い位置じゃないのが通常ですからね。でも問題があった事は確かで、ラダーフレームを守っていたフォードはウチの方がGMより安全さ〜と、広告宣伝していたくらいですから。その1960年代から続くフルサイズ車のフレームを改良しつつ、2011年まで使い続けたのが、パンサー車台です。正式にはパンサー車台の登場は1979年のLTDからとなっていますが、基本的には1960年代からの流れを汲む形式で、これは1977年型リンカン・マークVのフレーム。


これは大改良された後期型パンサー車台・フレーム。 


最近の側面衝突次項はこんな形式で行われます。外側のフレームよりかなり上の方が応力入っているのが見えますね。だから常に体当たりする警察車両などでもドンガラを変えるだけで比較的修理が容易なそうです。




パンサー車台の特徴の一つに、燃料タンクの位置があります。燃料タンクはトランク内のずっと奥、でファレンシャルギヤが上下に暴れる直ぐ後に、縦おきにストラップで吊るされています。


その燃料タンクが後方から衝突された際、と言っても政府が行う形式認定を遥かに超えた環境で、はい、警察の作業中ですね、追突されるとクラウンヴィクトリヤは燃料タンクが前方に動きある構造物でタンクから燃料が漏れると、熱い排気管またはリヤ・デファレンシャルギヤの熱で発火、炎上する問題が明るみになり、ひと騒動ありました。その後改良が続けられ、なんと時速75マイルの衝撃にも耐えられる他、専用の消火装置も備えらたのを記憶しています。


しかし、このトランク奥に配置した燃料タンクのお陰で、トランクの床を思いっきり底床されたパンサー車台の車種は、トランクが異様に深く大容量なのが特徴で、リンカン車を含め、リヴリー業界ではとても人気がありました。

55ギャロンのドラム缶が積める乗用車なんて何処にあるねん?


1996年型クラウン・ヴィクトリアのトランク。スペアタイアの下が燃料タンクとデファレンシャルギヤ。


同じく1996年型のシェヴォレイ・インパーラS Sのトランク。不思議な事に容量はクラウン・ヴィックと殆ど同じ、20クービックフィートなのです。でも床が平らで、この下に燃料タンクが鎮座しているので深さが浅い。。。


トランク床下に燃料タンクを吊り下げる、GMのB/Cボデー車、不思議な事に後部衝突の発火問題には至りませんでした。。。この形状なので、これらのフルサイズ車は、給油する際、後方ライセンスプレートを下げてノズルを差し込む方式でした。




トランク下の平たい燃料タンクの位置とフレームが判ります。


1996年、最後のBボデーまで、シェヴォレイ・カプリースの給油はこうしてライセンスプレートを倒してやってました。これは1988年型かなあ。。。




このGMのB/Cボデー、ハシゴ型のフレームが下を走るので、扉を開けた際の敷居がかなり幅広いのが特徴です。それでいて座席は結構低い位置なんです。


フォードの深いトランクはステーションワゴンにも恩恵をもたらし、まるで掘り炬燵の如く、深く足を落とせますが、何せ横向きに座らされるので、実際には対面2人でも窮屈じゃなかったのかと。広報では何と3人乗せて見せてますが。。。見づらいですが、スペアタイヤは右側ジャムプシートの後に立てかけて収納されます。




シェヴォレイ・インパーラのサードシート。足元の床がとても高いのが分かります。ここに大人を座らせると膝を抱える事になります。


クラウン・ヴィクトリアのステーションワゴン、フォード式にカウントリー・スクワイヤって呼んでましたね、最後が1991年。翌年からジェリービーンみたいな空力車体になっちゃって、ステーションワゴンは消滅しました。

最終年の1991年型。


2扉型の最後は1986年。性格が非常に無所属だった。誰が買ったのか。。。


カプリース・インパーラの2扉はハードトップではなく扉に桟が付くセダーンだと思いきや、皆はクープと言っていました。我が国はクープの定義がずれています。ダウンサイズされた初期のこの、クープは洒落た2扉で女性に人気があったのですが、後半になると装備を省かれた廉価車的な寂しい性格になって、一旦1983年には消滅したのですが1984年に復活してた後、2扉型は1987年が最後になりました。

余程売る気が無かったのか。この後ろ姿、キャタログに1986年も1987年も同じ画像を使ってるう。。。


ダウンサイズBボデーは矢張り初期型が一番素敵です。伸びやか、かつ間延びをしておらず、細部との釣り合い、特に1977年のインパーラが素晴らしかった。。これは屋根前半だけがパデッド・ルーフになったランダウ仕様。


全部ヴァイナル・ルーフもありましたが、クープでは余り見かけませんでした。


これがダウンサイズ初年、1977年のインパーラ、所謂廉価版、でもこのラジエータ・グリルが好きなんですよ。これにオプション満載したの、欲しかった。。何故か非常に珍しいサンルーフが写ってます。我が国、余りサンルーフ欲しがる人っていないみたいで。当然の事ながら、架装はASCへ外注。


1987年のカプリースは大改良。GMがこぞって異形前照灯を採用し出した年でした。


1987年と言えば、この頃からカプリースが再度、キャデラック化して行った時代でした。何せ本家のキャデラックはダウンサイズに失敗して惨めなプロポーションの高い車になっちゃったので、新しく出たLS・ブローハム仕様はキャデラックの販売人には凄く迷惑だったと思います。

LSブローハムはパッデッド・ルーフに小さなオペラ窓。


フルサイズのシェヴォレイが最初に革張り内装を揃えたのも、この1987年LS・ブローハム。確か赤と青が選べた。


話は戻り、モノコック車体のクライスラー。本当のフルサイズ最後のRボデー。たった2年だけしか売られなかったダッジ・セイントレジスは昔のモナコの後釜。サッシュレスのハードトップ側窓やら隠れる前照灯が特徴的で、主に官公庁向けの営業車として一時期は目立ちました。


このセイント・レジスの前照灯、異形前照灯に見えて、実は規格のシールドビーム4灯の前に電動で点灯の際に開く透明のカヴァーを持っていました。これを最初に採用したのが1978年のダッジ・マグナム、要するにクライスラー・コードーバのダッジ版でした。当時、異形前照灯は否認化装備で、自分で欧州版の前照灯に変えたりすると警察に捕まる、特に加州は非常にうるさかったです。でもフリートで使ってみるとこの前照灯のカヴァーは煩いし維持に面倒だと言われ、警察車両では殆ど最初から取り払われていたきらいがあります。


コードーバのダッジ版、ダッジ・マグナム。これも2年しか売られなかった。
コードーバが豪華なおっさん向けならマグナムは若いプレイボーイって所か。いずれにせよ余り若者狙った車種では無かった様子。


悪評高かった前照灯のカヴァー。電動で結構素早く作動します。


皮肉な話で、前照灯の前に固定式の透明カヴァーを付けていたのが同じく、クライスラーのインペリアル。1965年型には横線の入ったガラスが前照灯をを被さっていた(実際前照灯の真ん前は横線が入ってないので照度差し支えなかった)


翌年、1966年は同じカヴァーでも横線が消え、輪郭を二重の色が走るだけになりますが、時期を同じく発令された連邦車両安全基準法により、前照灯の前に透明カヴァーを付けて点灯させる事が違法になり、インペリアルも普通のシールドビームになっちゃいました。


欧州車も同じ煽りを喰らい、VWのビートルも1966年型は前照灯が傾斜してカヴァーがかかっていたんですが。。。。


翌年、1967年はフェンダーの形状も変えて規格前照灯に変更せざるえなかった訳です。


その後前照灯は角形、ハロジェン電球などの認可に進んで、ついに1984年に登場した、空力デザインが画期的なリンカン・コンチネンタル Mk VIIで初めての合法異形前照灯が登場します。GE樹脂部と開発した総樹脂製、レクサン・ポリカーボネートを使います。これは何も前照灯の性能向上とか、美観に優れると言った訴えで認可されたのではなく、口実は樹脂製ゆえの軽量化と低価格、空気抵抗の低下と、共に燃料資源の節約につながると言うのが法律を変えた理由でした。(衝撃吸収バンパも重いので燃費が悪くなる、と言うのが理由で規制緩和になったのと同じです)

競争相手のメルセデスのSECはまだ規格前照灯のブザマな姿。その比較をした方のでしょう。SECが異形前照灯に変わるのは1986年になってから。


冒頭の画像は1992年に登場した空力改良版のEN53型、通称アエロ・クラウン・ヴィクトリア。この世代から ”LTD” のモニカーが消え、ステーションワゴンも消滅します。その代わり数々の改良が重ねられ、フォードはこのパンサー車台に諦めをせず、2011年まで生産します。目先の儲けに目が眩み続々と大型乗用車を突き放したGMと反対的でした。。。
Posted at 2023/05/30 09:18:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2023年05月14日 イイね!

黄金週間 リンカン・マーキュリー

黄金週間 リンカン・マーキュリー






観光業界が重要な産業になっている当地、特に日本のゴールデンウィークは観光産業に関わる以外の人でも結構、その知名度は高く、4月の末からは日本からの旅行者で混み合う事を知っている人達は多いですね。COVIDの制限が廃止になった今年、日本での報道を見てみますと、今年のゴールデンウィークのホノルルは、日本からの観光客で凄く混んでおり、以前の数倍の旅行者数になってます、と書かれてはいたのですが、実際の数値はCOVID以前、2019年の日本からの到着数のまだ半分にも達していないのが実情で、街や空港が混んでいるのは米本土からの観光客数が非常に増えている為です。日本からの観光客数が数倍!と言うのは、その比較する数値が去年やら一昨年、ほぼ到着数が3桁の時代と比較した上で、数倍!と言う訳でして、随分情報が正確に伝わってないと言うのが個人の感想です。それに輪をかけるのが物価の上昇の記事で、確かに以前と比べて物価は随分上がり、為替の変動でかなり円が不利になった影響で旅行費用が上がったのは分かりますが、詳しく見てみると、若い女の子2人で高級ステーキ屋に入ってあれよあれよと注文して、夕飯代が五万円になっちゃったーとか、常識からは随分外れた買い物や飲み食いして、そりゃそんな普通の人でも入り難いトコ行ってそんな物食べりゃ、そんな値段になりますって、矢張りユーチューブやらの見出しを衝撃的に書いて、視聴者数の増加を狙っているのが目的かも、と思ってしまいます。

ホノルル、日本からの到着数、4月末から5月上旬まで。赤い線がCOVID以前の2019年、青い線が今年。流石に ”ナカビ” の搭乗率はほぼ満席の97%くらいでしたが、いかんせん到着便数が余り増えず、結局この程度の数値に落ち着いた模様。


その黄金週間の合間、ガラクタ屋巡りをしていたら、ヤング通りにあらま、古いマーキュリー・クーガーが。それも結構程度の良い個体。島で初めて見る個体です。


マーキュリー・クーガーが初登場したのが1967年。同じ頃人気大爆発になったフォード・マスタングの姉妹車的性格。マスタングより車体が長く、豪華装備で欧州風の雰囲気を強調していました。この車両は側面前方にデーンと大きなサイドマーカーライトが付いているので1968年型と直ぐ分かります。1968年は連邦安全基準法が発令された前後で、サイドマーカーの法律もまだ厳格になる前で各社、慌てて適合の仕方を思案していて非常にバラツキがあった2、3年でした。クーガーのサイドマーカーは他社にも共用された後、1969年には小型の奴に変更されました。




このどデカい前方側面のサイドマーカは1968年だけ。


1968年のマーキュリーと言えば、矢張りハワイFiveーO主人公のマクギャレット扮するジャック・ロード氏が駆る、パークレーンの4扉ハードトップですね。彼が登場する際、それが砂利道であろうが砂浜であろうが、急ブレーキを効かせキキキーっとタイヤが舗装面にスキッドする効果音でぼくらは痺れたものでした。これは背後の様子からカイムキー界隈ですかね。


マーキュリーは以前、ほとんどのデーラーがリンカンと抱き合わせで営業していました。マーキュリーに飽きたら上級のリンカンへどうぞ、と言う企みだったのでしょうかね。あの頃、各ブランドには明確な ”格” があった。。。。


背後のヒコーキは同じくフォード社のトライモーターと言う戦前の飛行機。そうです、以前ヘンリーフォード氏はヒコーキも作っていたんです。エンジンは三つありますが一つでも停止すると飛行を続けられません。プロペラーが固定ピッチでエンジン停止時に角度を変えて抵抗を減らす事が出来ないし(フェザー状態と言います)第一、エンジンの力が足りなかったのです。何でそんな事知っているかと申しますと実はぼく、以前このヒコーキをちょっとだけ運転した事があったんです。勤めていた会社の先祖がモンタナ州で昔、このトライモーターを使って山火事の火消しをする要員を落下傘をで上空から降ろす、スモークジャンパーと言う業務をしていて、その名残の一機が保存されて、たまに会社の行事があると引っ張り出していた時、運転させてもらったと言う次第。。。空飛ぶフォード。


この隠れる前照灯、ハイダウェイ・ヘッドライト(Hide-Away-Headlight) は前照灯隠す扉が真空で開閉するタイプで、初年は故障すると扉を手で押し開けた状態にすると、リンケージの支点が片方に寄っており小さなスプリングで引っ張られ開いた状態を保つ構造でしたが、翌年から真空のアクチュエータ自体に強力なスプリングが内蔵され、万が一真空漏れした場合は自動的に開きっぱなしになると言う仕組み。現在は皆、電動式に改造するキットが出回ってます。

例の、”流れる” 方向指示器は多分フォードが特許持っていたような記憶が。。まあこの頃のクーガーやらサンダーバード、後にリンカンなどにも使われました。されど、はい、連邦安全基準法ですね、これにより赤一面の尾灯の際、テールライト、ブレーキライト、方向指示器、それに4ウェイフラッシャー(ハザードライト)の明るさの基準が出来て、1960年代後半になって急遽、数々のリレーやらスイッチ、配線の変更があり、落ち着くまで数年かかりました。この流れる方向指示器、構造は非常に原始的で、スイッチを入れると尾灯裏側に備え付けられた電気モータがジーコジーコ音を立てながら回転し、その軸先に付いた樹脂製の山が接点を順繰りに入り切りを繰り返すと言う物。当然現在では電子的にそれを再現出来るキットが売られています。




オアフ島は矢張りネットワークが狭いので、どこどこで変な車を見つけるとたちまち噂になります。このクーガー、うちの会社の、例のブロンコとマスタング乗っているフィリピンのオヤジに見せたら、ああ、知っているよ、これ、最近本土から友達が持ってきたヤツで、彼はもう一台、コンヴァーチブルのクーガーも持っているんだよ、と言います。もしやと、以前、うちの会計士のある地下駐車場で見た素晴らしいクーガーの写真を見せたら、おっ、そいつだ!と言われました。


この前照灯を隠すグリル、閉めた状態でグリルの桟がツラになるようにゴムのグロメットがストッパーとして付いており、その調整を怠ると、一直線に見えずだらしなくなります。これは無問題。バリカンの刃が揃ってる。。


そう言えば、以前超級市場で見かけた、オールズモビルの442。色が綺麗で写真を撮っておいたんですが、それが数年前の話。先週、入社してきた整備のおっさんが自動車を買ったと言うので、何を買ったの?と聞いたら、カトラスの442。へー、珍しいね、でももしかしてと、超級市場で撮った写真を見せたら、それだよ!と。矢張りオアフ島は狭いのです。


1987年型はこの車体の最終年。前照灯が樹脂製の異形になった年。1986年まではラジエータグリルの上部に蝶番が付いており、バンパが衝撃吸収して引っ込む際、グリルも下部が後に後退する仕組みでしたが、この1987年型のラジエータグリルは固定式でした。




442は豪華仕様、強化エンジン、この個体はその上に電動天窓まで付いたダンナ仕様。


マーキュリー・クーガの近くに、例の郵政省のメルセデス・メトリス配達車。随分評判は良くないそうです。配達用に右ハンドル。以前書いたんですが、メルセデスのスリーポインテッドスターが付いてないのが異様。


見えにくいですが、計器盤中央に黄色い警告が書かれており、”出来る限りバックするな!” と表示されてました。何か問題があったんでしょうね。。。


その昔、ハワイでもシトロエンがあったと言う証拠。メハリですね。バジェットレンタカーが観光客相手に貸したそうです。そのデーラーの一軒、シェリー・モータースと記されていますが、これはニュージーランドからきた競走自動車の運転手、トニー・シェリーが始めた会社。現在はBMW屋になってます。このメハリ、北米仕様なのでサイドマーカはあるし、前照灯がギョロ目の大型規格になっています。色々探しましたが、当時のメハリ、現在はハワイには一台も残っていないみたいです。


最近我が国では、領事館やら大使館の車両のライセンスプレートが変わって、この味気ないタイプになりました。これは日本領事館の車両。。


これは南コリアの車両。。


ライセンスプレートと言えば、先週帰宅途中、前の車を見れば。。。


最近こう言うの、流行ってますね。。


新登場、南西航空の新しい塗装はハワイ特別仕様!と、鳴物入りで来たのですが、地元民の人気はサッパリ。全然ハワイに見えないと。。。


夏のソルシテイスまであと1ヶ月ちょっと。朝の通勤も日の出後になりました。


でもまあ、よくここまで見事、車体真ん中でぶつかったと。。。


はい、ごもっともで御座います。


おお、プログレが2台も! 違いがわかる男の。。。。(珈琲でも飲んでよく観察しないとこの2台、同じように見えます)


ワイマナーロに出かけたら、沿岸警備隊のC130が超低空で、それに後方扉を下ろして開放状態で。中に人が見えます。命ずなを引っ張り、開けた機体後方で立つのを連中は、ランプ・サーフィンと言うそうです。気持ち良さそうですけど、怖い。




この前見た、古い運転手のする癖、とか言った類の記事。

エンジンを切る際アクセルを煽る、これはキャブ車向き(キャブレター内にガソリンを残さないようにするため)テクですから、現在のインジェクション車でやるのは無意味なこと、言うまでもありません。

大爆笑。昔のタクシーやらハイヤーの運転手さんがしてましたね。これはシリンダ内やら点火栓に残ったカーボンを吹っ飛ばす為の技で、キャブレタ内のガソリンとは全く関係ありませんね。第一、キャブレタ内にガソリンが残ってなかったら、次回始動する際、凄く時間かかるじゃないですか。。。。

最後の一枚。”あなたの内なる獣を起こして”
Posted at 2023/05/15 06:40:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「津波警報 盆ダンス et al. http://cvw.jp/b/1945280/48590822/
何シテル?   08/10 06:11
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのは米ハワイ州オアフ島、家族は香港と日本の、日系アメリカ人です。多分...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2023/5 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28 293031   

愛車一覧

トヨタ プリウスPHV トヨタ プリウスPHV
税金控除。駐車代無料。充電免費。貧乏家族の頼り者。
トヨタ プリウス トヨタ プリウス
家に置いてある自動車、でも出稼ぎ生活なので殆ど使用していません。走行距離が11年で590 ...
プジョー 505 プジョー 505
矢張り安物ルノー車を毎日修理していると、”いつかはプジョー” と言う流れに溺れて、最後の ...
ルノー その他 ルノー その他
シカーゴで姉貴の乗っていたマズダRX-5 (コスモ) が珍しく動いていたので中古車屋に乗 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation