ハワイは常夏の島なんてよく言われますが、冬の季節はちゃんとあり、オアフ島中心のワヒワなどに行けば、多少標高の高い区域なので寒冷前線など通過した際には朝の気温は15℃くらいまで下がり、マノア渓谷の奥の家になると暖炉のある家も見かけられ、第一、マウイ島やらの山に登れば標高が富士山より高いのですから、雪は降りますし、ハワイ島でもスノーボードをやる人がいます。雪やら氷で視界の効かない窓の雪かきをする道具、スノースクレーパーと育ったぼくは、寒い所は強いですが、いや、もう行きたくない無いのが実情です。
寒いと言えば、以前のお仕事で、東アジアから米国へ航空貨物を飛ばす際、目一杯の重量で飛ぶと航続距離の関係で、必ず寄港して燃料補給と乗務員交代をしたのがアラスカ州のアンカレッジでした。冬のアンカレッジと言えば極寒を想像しますが、はい、当然寒いは寒いのですが何せ海の近くなので凍った霧で視程が下がるったり雪で悩まされてはいましたが、内陸フェアバンンクスのマイナス50℃なんかに比べると遥かに暖かいのでした。こう言う寒い地に行くと、整備の人は直ぐ、”んじゃ今すぐハーマン・ネルソン持っていくからね” と慰めてくれるのですが、48下の人にゃ (Lower FourtyーEight、アラスカ州の人が、米本土とハワイを合わせて ”48州” の下から来た人、の事を言うときに使う単語です)ハーマン・ネルソンなんてさっぱり分かりません。これはハーマン・ネルソンと言う正銘の燃焼式ヒーターの事なんです。
むかしむかし、スウェーデンから移住してきたあるネルソン一家の子供がイリノイ州の西端、アイオワ州との境のモレーンで始めた暖房機会社が非常に栄えて、寒い所で作業用暖房機、と言えばハーマン・ネルソンと言われるようになりました。第二次世界大戦の時に爆発的に使われて戦争勝利の一役を買った事も普及した要因だったみたいです。
ジェットエンジンは寝起きが良いですが、ピストンエンジン、特に航空用途はほとんど空冷ですから、お仕事出る前夜からハーマン・ネルソン焚いて暖めておく事が日課になります。
極寒地に行くと、エンジンを30分くらい切っているだけで、再始動不可なんて事になるので、そのような際は荷物の作業する反対側のエンジンだけアイドルでずっと回している事もありますが、エンジン回しながら燃料補給したりする場合は非常にややこしくなるので注意が必要です。昔の空冷星形エンジンは各部品の膨張率も半端じゃ無いので、使うエンジンオイルも重いのを必要とするので、寒い冬、特に条件が悪い始動時がキツいので、特に粘度が高くなるので、昔のDC-3にはオイルダイリューター弁と言うのがありまして、その日最後のお仕事終えてエンジン停止する前にそのスイッチを押すと、一定の量のギャソリンがクランクケース内のオイルに噴射され一時的にオイルの粘度を下げます。そうすると次回始動の際のオイル粘度が低くスターターが回す力を助けてやると言う機構が付いていました。エンジン始動後オイルに混じったギャソリンは蒸発しますが、やはりオイルの性能を劣化させるので、オイル交換が頻繁になった様な記憶があります。
今の自動車じゃボタンを押せば、またはキーを捻れば最も簡単にエンジンが始動するか、乗り出しが可能ですが、昔はチョークのレヴァーを引っ張って、始動し愚図るエンジンの様子を見ながら暖気をするのが常でしたね。でも若い子はチョーク自体を知らない連中も多く、以前ルノーのR5を貸したらバッテリー上がったと言って帰ってきて、チョーク引いた?と聞いたらポカーンとしていた事があります。それがシトロエンの2CVか何かになると、ダッシュボードの下に何やらDと書かれたレヴァーとSと書かれたレヴァーがあり、使い方わからんと聞いてくる人が殆どでした。フランス語でDはデマリヤー(Demarreur) スターターの事、S はスターターでは無く、サフォケヤー (Suffoquer) チョークの事です。サフォケートは英語で窒息ですね、チョークも窒息ですから、元はフランス語だったのかも知れません。フランス語でクラッチの事をエンブレヤージと言います。英語でエンブレヤージと言えば抱きしめる、抱っこする事を指します。ははーん。摩擦板と円盤がスプリングの力で押し付けられ一体になる。フランス語って凄いなって思った事があります。
アラスカなんぞ、人里はなれば場所でエンジンが始動できなくなると命に関わるので、古い飛行機は始動方法が何種類かある機種があります。空冷星形エンジンのデハヴィランド・キャナダ社の汎用機、ビーヴァーがそれで、電気モーターで普通に始動させられたり、勿論人力でプロペラ押して、押しがけみたいに始動させたり、あとはイナーシャ・スタータって言うのが付いていて、エンジンの横にクランク帽を突っ込んで重いクランクをブンブン回し、スピードに乗ったらスイッチを入れるとクラッチが繋がりクランクシャフトが回りエンジンが動き出すと言う仕掛け。その他に、軍事や特殊な航空機では爆薬を入れたカートリッジを挿入し、それを発火させてその膨張でクランクシャフトやらジェットエンジンのスプールを回し始動するって言うのも結構昔は普通でした。あと圧縮空気を溜めておくボトルがあって、始動の際それを使ってクランクシャフトを回転させるのもあります。欧州機に多かったかな。
昔のフィールド・マーシャル社のジーゼル農業トラクターも独特の始動方法で、12ゲージのショットガンのケーシングを使います。通常ならショットガンのケーシングは中に鉄の小さい球が入れられていますが、エンジン始動用の特別なカートリッジにはそれが入っていません。エンジン始動の際、前部にある尖った棒を引き抜き、その先っぽに硝酸カリウムに浸した紙を丸めて火を付けた後、エンジンに捻り入れ固定しグロープラグの代わりにします。そして12ゲージの始動用ショットガンケーシングを差し込みお尻をハンマーで叩いて発火させると、あら不思議。エンジンが勝手に始動するのであります。
これが始動用の12ゲージ、ショットガンのケーシング。中に鉄球は入っていません。
硝酸カリウム、要するに発煙等などに使われる薬品ですね、が入っている紙に火をつけねじ込みます。グロープラグ代わりに。
そしてこのショットガン・ケーシングのお尻をハンマーなどで引っ叩くと爆発しエンジンが回りだします。当然結構な銃声音がします。
寒い地方の空冷星形エンジンも難儀したようですが、農場のジーゼルトラクタもこのように苦労して動かしていたようで、特にジーゼルですね。圧縮比の高いエンジン。その始動困難を制覇させようと考え出したのが、インターナショナル・ハーヴェスタ社のブランド、ファームオールのジーゼルエンジン。これ、通常点火と圧縮点火を両方やっちゃうんです。まあ近頃ギャソリン・ジーゼル両方の特性を合わせたエンジンもあるらしいですが、このファームオールは戦前の話です。エンジン始動させる際、まず普通のギャソリンエンジンとして通常点火で始動させ暖気、用意ができたら、えいやっ!とレヴァーを引っ張ると、摩訶不思議、突如ジーゼルエンジンになるのでした。一体どう言う仕組みで??
運転台前にある大きな切り替え棒。これでギャソリン運転とジーゼル運転に切り替わります。ギャソリン運転は寒いときの始動だけに限られていて、気化器も低速運転に固定されています。この棒の先には四つの機構が繋がっており、まず燃焼室内にある三つ目の弁(ホンダのCVCCに似ている)を全気筒開けたままに固定し、副燃焼室みたいな空洞を繋げ筒内容量を大きくし圧縮比が下がります。その副燃焼室の中には点火栓が組み込まれています。この副燃焼室が開放されている時は圧縮比が6.5程度で、ジーゼル運転時は弁が閉鎖され副燃焼室は使われなくなるので圧縮比が15くらいまで上がり圧縮燃焼運転になると言う仕掛け。切り替え棒二つ目の役目は吸気マニフォールドを仕切る蓋に繋がっていて、ギャソリン運転時は気化器に繋がった小さいマニフォールドとエンジンを解放し(吸気が気化器を通らなけれならない)、ジーゼル運転時はそれをしめてスロットルなしの開放吸気に切り替えます。3つ目の機構はジーゼル運転にすると気化器の浮子を閉鎖側に固定し燃料が気化器に流れ込まないようにし、四つめの機構はギャソリン運転時の点火栓に火を送るマグニートのP線を切断し火花が飛ぶようにする訳です。ギャソリン運転とジーゼル運転時の切り替えにはこのレヴァーともう一つ、ジーゼルポムプの接続レヴァーを同時に動かすんですが、これが結構スムーズに行くようで、これを考案した人はかなり頭脳優秀だったと察します。まあこの時代は電子機器が皆無でしたから、シトロエンのハイドロニューマチっくみたいに複雑な機構を全て機械的に、それもまだ工作制度の上がってない時代、やっちゃったんですから、恐れ入ります。
開放・閉鎖を手動制御できる副燃焼室の付いた特殊なシリンダヘッド。
マグニートと言えば、セスナ機やら普通のヒコーキは殆どマグニート点火で飛んでいます。どうしてかと言えばマグニートは万が一、電気系統が壊れてもエンジンが止まらないからです。マグニートの中には小さな発電機と配火装置が一体で組み込まれているので絶大なる信頼性を誇るだけでなく、安いのです。だから芝刈り機やらにも普及しています。そう、セスナ機やらは必ず二系統点火で一つのシリンダに点火栓は二つ、マグニートも二つ。普通は両方点火させて飛びます。離陸の前のチェックでそのマグニートを片方ずつにして回転数がどれくらい落ちるかを確認するのは必須事項です。
ただマグニートより通常のバッテリ点火方式の方が強い火花、精密な点火時期制御ができるので進化しましたが、昔の自動車、頭に浮かぶのは戦前ロールスロイスの小型車、20/25には非常用のマグニートが装備されていました。通常走行時はコンタクト・ブレーカと点火コイルで切断を繰り返し昇圧した電気をデストリビュータで格点火栓に配電すると言う一般方式ですが、万が一問題が起きた際、クランクシャフトから歯車とカプリングで回される発電機の後側と鎮座しているマグニートを直結させ、マグニートから出る電線をデストリビュータの中央線に接続させ点火させると言う仕組み。
中央の四角い箱がマグニート。左の棒が発電機と接続させる駆動棒。マグニートから出ている電線をデストリビュータに差し替えます。まあこれでエンジンは回りますが、発電機やバッテリが駄目だと夜は走れませんし、難儀します。
カプリングで駆動される発電機、右の黒いのがマグニート。
この小型ロールスロイス、20/25は馬力向上してからさまざまな車体の架装でも力強く走るようになり人気だったそうです。
ロールスロイスのエンジン始動と言えば、昔有名だったのが、サイレント・スタート。特に12気筒やらですと、エンジンを停止させた際、いずれかの気筒は混合気を吸って吸気を始め上死点近くで止まってる気筒があるわけですね。この頃のエンジンはピストンリングが四つやら五つやらあるのが普通だったのでエンジン止めても筒内の気密性が結構長く保たれます。その際、運転から点火時期調整を前後に動かすと、燃焼寸前の気筒に火花が散り、スタータの助けを借りず自ら着火しスルスルとエンジンが始動すると言う物。
こういう奴がサイレントスタートみたいなこと芸を見られたんですなあ。1937年型のファントムIIIはV型12気筒。ジェームス・ボンド 007、1964年に配給されたゴールドフィンガーに出てきた個体。ショーン・コネリーを悩ます殺し屋の役はハワイ生まれのハロルド・坂田氏。プロレスラー。
007と言えば、例の日本で大々的に撮影された、007は2度死ぬ。
ホテルニューオータニの駐車場が凄い。。。当時最新だったポンテイアック・カタリーナ。
1959年型シェヴォレイ。ウチの母がよく蝶々さんって呼んでました。一体誰がこんな自動車、東京で乗り回していたんでしょう?しかしこの時点で既に8年落ちですよね。
蝶々さん、再度出てきます。フェンダ・ミラーに注意。一体どこの部品を取り付けたんでしょうね。捻くれた僕は大人気のトヨータ2000GTのコンヴァーチブルより街中を走っている米車の方に断然興味をそそられます。
その2000GTで疾走する場面。
後ミラーの位置・形状からいつの間にか車両が入れ替わってます。
計器盤をよく観察すると、これはトヨータ2000GTでは無く、アルファ・ロメーオの6気筒、2600スパイダーのRHD版みたいなんですね。多分英国のストウーデイオで撮影された関係からだと思いますが。RHDのアルファ・ロメーオは珍しい。。
アルファ・ロメーオと言えば、いつもダイソー近くに放置されていた赤いGTV、捨てられている車両だとてっきり思っていたんですが、最近実際に走行しているのを目撃。後日よく見たら登録も車検も立派に有効期限切れていませんでした。失礼しました。。。。多分1974年型ですかね。
今日のオマケ。マーキュリー・クーガー。再度考えます。一体日本ではどう言う客層がこの手の車両を買ったのでしょうか。。。興味津々です。けどこの背景は。。
やっぱり赤坂の迎賓館前ですね左側女性の背後に見えてます。マズダ616、ノーウェー版のキャタログ。
おまけ、その2。この箱をバッテリに繋ぎ、電線をデストリビュータの中央線に差し替えると常時高電圧が流れ点火栓に火花が飛び、イグニッションに不具合のある車両を移動する際重宝した道具。1980年台のルノーは皆、ACデルコの点火モジュールが壊れ、よくこれを使って極寒の駐車場から修理工場内まで自動車を動かしたもんです。一回、この電線の被膜がちょっと傷ついていて、それを知らずにスイッチを入れた僕の髪の毛が総立ちして、運転台に座っていた同僚が大笑いをしてたのが思い出されます。。。
