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2024年03月16日 イイね!

キャデラックのリムジーンあれこれ。(また)

キャデラックのリムジーンあれこれ。(また)









またまたキャデラックの話題、それもリムジン。しつこい所、どうぞお許しあれ。

ご存知でしょうが、キャデラックは昔から珍しく自社製のリムジンを作っていました。商業用シャーシを売っていたのでそれにリムジン車体を乗せやすかったんでしょうかね。昔からパッカードとかは商業車用シャーシをキャタログに載せていました。他社は殆ど外注で業者にフレームを切ったり繋いだりして延長させてリムジンやら救急車の車体を載せていました。

昔からキャデラックのリムジンはデトロイトのフィッシャー車体部門の21番工場で作られ、最終組み立てはクラーク通りのキャデラック工場に送られていました。戦前からあるこのフィッシャー車体21番工場は随分前に閉ざされ廃墟化してますが、近々再開発される噂です。


そのキャデラックのリムジン、正式にはFleetwood Seventy-Five Limousine。ここですが、75と表記されているのが多いですが、ちゃんと Seventy-Five と綴るのが正統ですね、側から見れば皆同じ様に見えますが、キャタログには常に2車種揃えられていました。一つはフリートウッドSeventy-Fiveフォーマルリムジン、もう一つはフリートウッドSeventy-Fiveセダーン。主な違いは運転台と後方座席の間に隔離壁があるかないかです。

フォーマル・リムジンは主にリヴリー、お抱え運転手が顧客、またはオーナーを後ろに乗せて走る用途、営業車に使われ、セダーンは普通のフリートウッド・セダーンより広い室内を要求する富裕層達の御用達車みたいな用途に使われました。

隔離壁があるのが、リムジン。


隔離壁が無いのがセダーン。


両方外から見れば殆ど同じ様に見えますが、リムジンはお抱えショーファーが陣取る前席はがんじゅうな黒の革張り座席、後席は織物の豪華な布張りが標準仕様でした。

対してセダーンは前席と後席は共通の豪華な布張りの座席。

昔は本当の高級車の内装は布張りで、現在では革張りの内装が豪華とされていますが、丈夫な革より遥かに維持するのに手間がかかり、手触りの良い生地が一番重要な後席やらには使われるのが常識だったんです。サウデイアラビヤなどを歩き回るとどんな高級車でも革張りの座席は殆ど見かけませんでしたね。

と言ってもこの頃のキャデラックは特別注文の用意があって、多分デーラーはデージ嫌ったでしょうが、やろうと思えば殆どの生地やら仕様の組み合わせが可能でしたが、注文書にはその際発生する特別料金から納期の説明が長々と書かれていました。それも特別仕様はリムジンに限らず、普通のセダーンでも可能で、例えば普通なら革張りの座席だと座る表面だけが牛革で座席の横、背後、肘掛けなどはヴァイナルなのですが、特別注文すれば内装を総革張りにする、なんて事も選べました。




例えば屋根は普通の鉄屋根(スリック・ルーフ、何も張ってない屋根)、ヴァイナル・トップからランダウトップ、後窓の大きさ3種類、側後方のオペラ窓の有無、オペラ電灯、幌馬車如きのランダウ・ボー(所謂キャリッジ・バー)と、組み合わせは凄い数になります。

此れは素の屋根の形式、でもオプションのオペラ・ランプがついています。前扉と後扉の間に細いパネルがあるのは1971年と1972年の証拠。フィッシャー車体部門がフリートウッド用の長い前扉を作れなくて、短いデヴィル用の扉を流用していたので苦肉の策でした。


1973年からは前扉の丈が延長され穴埋めのパネルが廃止されたのでスッキリしました。


此れはヴァイナル・トップでCピラーに窓があるタイプ。でも注意してみると、後扉枠にはヴァイナルが張られていないタイプ。


屋根の色が違うと、後扉枠にヴァイナルが張られていないと変に見えます。


同じタイプでもコチラは扉枠にヴァイナルが張られているタイプ。


コヤツはランダウ・ルーフでCピラーの窓がありません。実際には窓はあるんですが、それを上から被しているだけなんですけど。それにこの個体はオペラ・ランプが付いています。


ランダウ・ルーフを選択すると後ろの窓が自動的にごく小さいのに変わり一層プライヴァシーが保てるんですが、この後窓のサイズも三つあってまた注文装備で選べます。それから横の幌の骨組みを象徴するキャリッジバーも中も運装備です。


ランダウ・ルーフにキャリッジバーを付けて、後ろの窓を大きくした奴。


外から見てリムジンか、セダーンか、手っ取り早い識別の仕方は、右後ドアに鍵穴があるかないかですね。当時のGM車(まあクライスラーやらもおなじでしたが)は鍵が2種類付いて来て、一つはドアの施錠、グローヴボックスの施錠、トランクの開閉に使い、もう一つはメイン・キーでイグニションスイッチに差し込むのですが、リムジンにはもう一つ鍵が付いて来て、その鍵が右後ドアの鍵です。これは多分車内前後を隔てるパーテイション窓が故障して開かなくなった上、同時に扉の鍵が施錠されていた場合、外から室内へ入れる為に装備された安全配慮の為の鍵だと察します。電動のパーテイションのスイッチは後席にしか装備されておらず、おまけに運転台の電動窓のマスタースイッチは後席の窓を上げる事はできますが、下げる事はできない様になっています。1960年台のキャデラック運転台のマスター電動スイッチには切、入、ともう一つ、非常時と言うポジションがあり、電動窓は通常イグニッションがONになっていないと作動しないのですが、この非常時と書かれているスイッチを押したままだとイグニッションがOFFになっていても電動窓の開閉ができました。

右後ろ扉の取っ手下に鍵穴が確認できます。よって此れはパーテション壁装備のリムジーン。


此れは右後扉に鍵穴がないのでセダーンです。


両車、昔から後席用冷房装置がトランクの中にあり、エンジンで回る冷媒コムプレッサから分けた冷媒をトランクまで持っていき、専用のエヴァポレータで冷気を作り、後席天井から冷気を噴出します。暖房も専用の出口が車体から後扉へ導かれ、後扉肘掛けの下側から噴出します。そのトランクのHVAC装置、1953年辺りから1971年まで、かまぼこ状の空気取り入れ口がトランクの前方、両肩にあるのが特徴でした。

これは1953年。トランクリッドの前に空気取り入れ用のコブが見えます。


1954年モデルチェンジ後。同じコブを確認。


これは1957年だったかしら。四灯になる前夜のモデル。


1959年、テールフィンの一番巨大だった年。尾翼に隠れて見にくいですが、矢張り小さなコブ。


少し尾翼が落ち着いた1962年のコブ。


1966年。


そして後部空気取り入れ口が最後になった、モデルチェンジした年の1971年。


ち1971年、ょうどこの頃からGMは強制換気のHVACに凝りはじめ、特に1971年にモデルチェンジしたフルサイズ車全て、トランクに換気口を切り大々的に宣伝します。されどこの機構が大失敗で換気が上手くいかず、殆どの車種は翌年にはトランクの換気口を廃止し、ドアジャム(扉の袋)に排気口を設けそこから車内空気を排出する方式に変更してました。よって、GMの多くの車種、1971年と1972年はトランクに排気口が切ってあるか、ないか、で区別がつきます。75シリーズのキャデラック、1971年だけ唯一、例のコブがトランクリッドに設置され、トランクの下にはゴムのグロメットでトランクの開閉密封性を保ちましたが、1972年からはコブが消え空気の取り入れは室内後部、後窓の内側、パーセルシェルフに設けた空気取り入れ口に変更されました。

1971年のフリートウッド75のトランク内空調装置。トランクと結合する空気取り入れ口のチューブが見えます。


1972年からは、空調装置は殆ど同じながら、空気取り入れ口のチューブが上方に向かっているのが見えます。


台灣総統だったチャンカイ・シェック氏は、当然の事ながらキャデラックがお好きでした。博物館に展示されているのは1972年式。したがってトランク前方のコブはありません。ヴァイナルトップも張られずオペラ・ランプも装備されず地味な佇まい。でもコレ、リムジンかセダーンか?


右後扉の鍵穴!れっきとしたリムジーンでした。


ヒッチコックの代表作、北北西に進路を取れ、North by Northwest。冒頭でキャリー・グラントがマンハッタンのプラザ・ホテルから誘拐されるのは1958年型のリムジーン。コブが見えます。面白いのは背景右側に写っているのもキャデラック・Seventy-Fiveのリムジンでコブがあるのは後席冷房装備の証、それにこの実車、実は監督ヒッチコック氏の自動車なんです。


オリジナルのコロンボ、最終回の1978年のエピソード。題名”コンスピレター” に出てくるSeventy-Fiveはリムジンではなくセダーンです。黒いスーツを纏ってキャリー・マローン役を演じているのは若いマイケル・ホートンくん。


同じくコロンボ、1975年の Case of Immunity 題名 ”免責にならなかったケース”。 とある架空のアラブの国の官僚が殺人に手を染めると言う話筋。


最後の場面はロスアンジェリース郊外、バーバンクの空港。ロッキードの本社工場があった所です。1973年式が2台登場します。


登場するのもロッキードのビジネスジェットの先駆、ジェットスター機。でもこのジェットスターは同じロッキードでも製造はジョージア州のマリエッタでした。製造数はたったの202機。数年前最後の機体が退役し、マリエッタの製造工場に展示されるようになったそうです。


主役のハサン・サラー(いかにもアラブ風の名前を考えたんですね)はヘクター・エリゾンドが出演。彼はアラブ系とは程遠い、ニューヨーク系のプエト・リカンです。ハイ、鍵穴が見えますね。そう、れっきとしたリムジーンです。でもこの右後扉の鍵穴装備は1976年までで、1977年のフルサイズ車群ダウンサイズのあとは省かれちゃいました。


冒頭画像、このFleetwood Seventy-Five Limousineにお乗りになっているのは、昭和天皇様です。
Posted at 2024/03/17 18:03:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2024年03月09日 イイね!

ビル・ミッチェル氏とシアー・ルック

ビル・ミッチェル氏とシアー・ルック











この時勢、たとえ同じ語学でも、言う人と聞く人で意思が正確に伝わらない事がよくあるものです。アメリカ合衆国は文字通り、50の州と言う国が合わさって出来た国家ですから、言葉の意味やアクセントも様々で、”米語” でも同じ単語でも意味がかなり異なる事がしばしばあります。中でも音楽の歌詞が自分では勝手に思い込んでいた意味とは全く違ったりして赤恥をかいたりするもんですが、例えば昔の音楽グループで、クリーデンス・クリヤウオーター・リヴァイヴァルの曲で、”Bad Moon Rising” と言う曲で、繰り返し出てくる歌詞が、”Bad Moon On The Rise" (不吉な月が昇る)と歌うんですが、結構な数の人が、これは、”Bathroom On The Right" (トイレは右手にある)と思い込んでいたそうです。口に出してみるとまあ、似ているような発音にはなるんですがね。笑っちゃいます。



GMで長年デザインの総括ボスを務め上げた有名なあの、ウィリアム”ビル”ミッチェル氏、彼が提案したデザインの指向に、シアー・ルックと言うのがありました。昔のまだフレームの上にドンと車体が載った、丸っこくて大きな車体からキッパリ分かれて、鋭い輪郭の、直線的で現代風のデザインですね。GMが1960年代前半から芳根転換したこのデザイン風潮、彼がシアー・ルックと名付けたそうなんですが、このシアーと言う言葉。実は米語では、Sheer と、Shear と、この2つ、発音が殆ど同じなんです。Shearの意味は、一般に切断する事、それも上下に力を加え剪断する事を意味します。早い話が、日本で言うハサミをシヤーと言う時も有りますし、ぼくらが何時も恐れ訓練をしてきた、ウインド・シヤーと言う気象状態は風の流れが突如剪断されて風向・風力が突発的に変化する事を指します。側面を削ぐ様にぶった斬った新しいこのGMのデザインを見て、かなりの人達は、このシアー・ルックを、Shear Look と思い込んでいたふしがあるのですが、正確にはシアー・ルックのシアーは、Shearではなく、Sheer の方なんです。

剪断する事をシアーと言います。


ハサミは一般的にはシザースと言いますが、シアーとも呼ばれます。


このSheerと言う言葉の意味は数種類あり、衣料の世界では、半透明の生地の事を指すそうで、その他にはナウンで、絶大なる量、絶大なる努力を指し(この使い方が一般的)あとは、仰角が鋭い時、例えば山肌の角度が絶壁に近い時など、Sheer Cliff とか使います。ビル・ミッチェル氏が命名したシアー・ルックはこの絶大なる、それと角度の鋭い事に引っ掛けて使い出したものを思われます。

ビル・ミッチェル氏は生涯ずっとGMで働き続けました。自動車デザインの世界では常に他社から引っこ抜かれたり首になったり生涯で各社を渡り歩くのが普通なんですがね。GMはシアー・ルック以前はこの背の高い丸っこいデザイン、クロームしたたる、のが得意だったんですが。。。


ビル・ミッチェルさんはそれをどんどん、鋭利な線の、側面を削ぎ落として直線を多用したシアー・ルックに変えて行きました。



その頃モデルチェンジしたビュイックのパーソナル・クープ、リビエラがそのシアー・ルックの第一弾とよく言われますが、この車、実は最初にはキャデラックのブランドで、ラサールと言う名前で売ろうとしたんですが、キャデラック側がそれを拒み、ポンテイアックやら他の部門に打診したものの良い回答が得られず、結局ビュイックに収まったと言う経緯がありました。

1960年代の後半に差し掛かろうとしていた頃、そのリヴィエラに加えて、オールズモビルで新たに開発された前輪駆動の装置を使い、画期的な新型車、トロナード、そのキャデラック版のエルドラードと一緒にリヴィエラも同じ前輪駆動方式に変えようとしたのですが、ビュイックは頑なにそれを拒み結局前輪駆動にはなりませんでhした。一応エルドラード、トロナードと以前として旧態化した後輪駆動のリヴィエラもこの代からEボデー車台と呼ばれる様になり、経費削減の努力として、モデルチェンジしたリビエラの屋根、フロント・カウル、ウインドシールド、扉内側、ロッカーシルと後方フロアパンはトロナードと共用しています。

オールズが開発した前輪駆動のパワーパック。ぶっといチェーンで回転を左側に落としそれをターボハイドラマチックTHM400自動変速機を回します。噂とは反対で頗る頑丈。



トロナードとリヴィエラ。前窓とか、いくつか部品を共用しているのがなんとなくわかります。


それにしてもこのトロナードのデザインの素晴らしい事。。。


その他、トロナードとリヴィエラの共通項目として速度計が当てはまります。両車種、ドラム式の凝った仕掛けで、目盛りの書体が違うんですが、多分同じ部品だと察します。

これはリヴィエラの速度計。


これはトロナードの速度計。


1967年、トロナードの運転台。床が完全に真っ平、右側のダッシュボードが削がれている上、端が湾曲しています。座ってみると分かるのですが、この頃のトロナードは車高が低く、座ると座席はとても低く、広大な平たい床に足を投げ出し、おまけに側窓の下端がかなり高く、聳え立つ計器盤とも相まって、頭だけ潜水艦からちょっと出して運転するような感覚です。


こちらはリヴィエラの運転台。なんとなくトロナードと似ているでせう。



リヴィエラのフレームは十字架形状と呼ばれていましたが、実際には普通のペリメター・フレームにX状の骨格を入れた物。歪んだ十字架に見えるからでしょうかね。


ここで一つ認証しておかないといけないのは、ビル・ミッチェル氏はデザイン部門の総括職をしていて、GM各車のデザインを自分でしていた訳ではなく、彼の意見や意向を伝え、デザインの方向、または細部の意見を加え、グループでデザイン決定をするのがGMの常で、まあ各車種にデザインの主席みたいな役職、例えば、例のジェリー・ハーシュバーグさんとか、ラリー・シノダさんとかですね。

リヴィエラの前照灯はヒデン・ヘッドライト、隠れた前照灯でも電球自体が実際に現れたり隠れたりするのですがその動作が滑稽で、真空モーターでグリルの上から前照灯のアッセンブリーがドンと降りてきます。何故か最初に電球に電源が入ってから降りて来るので光が上から下へと動き前の自動車など眩しくて、文句が入ったそうです。不思議な事に消灯する際は最初に電気が切れてからアッセンブリがよっこらしょと上方に隠れるので、その際、周りは眩しくはないんですが。結局真空モータで上げ下げする方式は1970年からの連邦車両安全基準方で、前照灯の点灯開始する時間に引っかかったらしく、殆どやめちゃうか、電球は固定でその前の蓋を開け閉めする方式に変わった様です。

使用しない時は、前照灯、上を向いて格納されてます。


前照灯のスイッチを入れると、まず電球が灯り、それから真空モータに助けられアッセンブリがストンと降りてきます。


リヴィエラが他のEボデーと同じ、前輪駆動になるのは遙か後の1979年になってから。


トロナード、1966と1967年は格納式でしたが、1968年に前部デザイン変更時にラジエータグリルに隠れる方式になり、これは蓋だけが開閉し、電球は固定式。


作動はこんな具合。。。グリルが開いたら開いたで中にはちゃんともう一つのグリルが装備されており中々考えられています。


1969年はラジエータ・グリルの形状が変更され。。。


1970年にはその蓋が取り外され前照灯剥き出しで次の年にモデルチェンジになります。



遅れて1967年に前輪駆動になったエルドラード、やはり例の前輪駆動のパワーパック、特にデファレンシャル・ギヤの耐久性に難色を示したそうでした。この数年後に発足する連邦車両安全基準法に対する準備はすでに始まっていたらしく、顕著に現れるのが前部フェンダー前端部分の穴埋めしているように見える部分です。翌年にこの部分がポジションライト兼方向指示器になり、バンパに組み込まれていた同灯火が移ってきます。このダミープレートとフェンダを取り付ける際の精度にかなり手こずった話でした。同時に1967年は白色のコーナリングライト、1968年には中に橙色のサイドマーカーライトが組み込まれます(レンズは透明でサイドマーカ電球が橙色)


1968年にはブランク・プレートで塞がっていた部分が灯火になり、後方にはサイドマーカも加わり、あとウィンドシールド・ワイパーがフルコンシールド形状に変更されています。隠れる前照灯は、キャデラック全車種で後にも先にも67年と68年のエルドラードだけでした。


この型のエルドラードの側面後方窓は律技にも真面目に開閉するのですが、その動きが面白く、窓が下に沈むのではなく、後方へ水平にBピラーに格納されます。1967年では電動及び手動が選べ、1968年からは全て電動で作動します。


67年と68年、尾灯の細部も結構変化が見られます。黄土色が1967年。エンジ色がサイドマーカが装備される様になった1968年。




昔の紳士は山高帽を被り、背広の胸ポケットからちらっとハンカチーフの折ったのを見せて本当に ”粋” でしたねえ。ああいう風潮が戻ってこないかしら。でもビル・ミッチェル氏は流石、飛ぶ鳥をも落とすデザイナー。こんな真っ赤な服装でもサマになっているところは凄いですね。


今日のオマケ。チャイナタウンで見つけたダッジ・スイんガー。多分1974年。黒タイヤに黒車輪、なんか大きいエンジン載せている予感。。。
Posted at 2024/03/10 19:30:16 | コメント(3) | トラックバック(1) | 日記

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何シテル?   07/26 10:58
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