4扉ハードトップ。思い出すのは子供の頃、ぼくを可愛がってくれてたハイスクールの校長先生が自動車好きで、よく彼の後をついて行ったものです。当時彼が乗っていたのが、1976年型、Bボデー、ダウンサイズする直前のフルサイズ、インパーラの4扉ハードトップでした。車体が銀メタリックで屋根が赤いヴァイナルトップ、内装は真っ赤なヴァイナル張り。エンジンは勿論、排気量350立法インチ5,700cc、所謂スモールブロック・シェヴィーV8。秋になると僕らの学級は放課後に町外れの野生の林檎の木からりんごを取って(拾う?)、校長先生のインパーラで引っ張る小型トレーラーにりんごを満載して、30分程走ったキャスタイルと言う村にある(キャノンボール・ランで有名な、あのブロック・イェーツの住んでた近く)りんごをジュースにしてくれる工場に持ち込んでりんごジュースにしてもらい、後日、放課後やら週末に、国道を行き交う自動車にりんごジュースを売り、その売上金で週末のピッザ・パーティーをしたり、遠出の資金にしてました。いい思い出です。
角目が高級版のカプリース。廉価版のインパーラは丸目の前照灯。このオペラ窓が付いているのは1975年と1976年だけ。以前と随分印象が違うと共に、同じ廉価版のキャデラック・カレイと殆ど姿が非常に似ていました。まあシェヴォレイもそれを狙ってたのかも知れませんが。
全米最後の4扉ハードトップだったのは1978年型クライスラーの廉価版ニューポートと豪華版のニューヨーカー。このニューヨーカーは実質的に1975年で消えてインペリアルと同じです。
4扉ハードトップ、GMはスポーテイーな印象で売っていました。これは1956年、ほぼGM全てのブランドに用意されてた様子の宣伝。
フォード・フルサイズ最後の4扉ハードトップはGMより早く終わりを告げ、1974年が最後でした。
フォード中型は1971年のトリーノが最後の4扉ハードトップ。
昔は4扉ハードトップ・ステーションワゴンなんて素敵な車種もありました。なんと豪華な発想。。。これは1957年型ビュイック。
ランブラーなど4扉ハードトップもあれば。。。
普通のステーションワゴンも選べたと言う、摩訶不思議な車種構成。
一番小さい4扉ハードトップは多分、リヤエンジンのコムパクト車、シェヴォレイ・コーヴェアの後期型でしょう。素敵な形です。ぼくのハイスクールの先輩のショーンくんがこのコーヴェアに凝っていて、卒業後も寄宿舎のあちこちにコーヴェア部品を隠し持っていて、たまに取りに戻ってきてました。彼の実家はニューヨーク州北、キャナダはモントリオールに近いウオータータウンと言う街で、近くのマシーナと言う村にあるアルミナム製造で有名なアルコア社の工場のお向かいにGMがアルミナム鋳物工場を作り、コーヴェアに積まれる特異な水平対向空冷エンジンの部品を製造してました。コーヴェアの生産中止後は、同じくシェヴォレイのコムパクト車ヴェイガのこれまた特殊な総アルミナム製の直列四気筒エンジンの製造に切り替えて生計を立ててました。
シェヴォレイ・コーヴェアの後期型。なんともカッコいい姿、サメを彷彿させるのはコーヴェットに似てます。でも消費者安全鬼のラルフネーダーに叩かれ長続きしませんでした。
インターネットを見ていたら、あれま、日本にも、素晴らしい状態のコーヴェアが。おまけにココ、横浜中華街の天后!ぼくの生まれた病院はこの近所にありました。
1969年型、最終年ですね。素晴らしい状態。左手前にA.I.R. (Air Injection Reaction) 2次空気供給のエアポンプが見えます。1968年と1969年にはこのエヤポンプのおかげでエアコンを付けられないんです。排熱処理の余裕がなかったとの事。
コーヴェアのエアコンはコンデンサーがエンジンの上にデーンと載っかっていて、トランクリッド(フッド?)に切ったルーヴァーから直接空気を取り入れ下にある水平に回転する羽根で空冷6気筒のシリンダを冷却していました。エアコン車は矢張り冷却や整備の取り回しと、色々問題あった様です。。。
そこで1966年と1967年はコンデンサを後席背もたれ裏に移動して、随分スッキリしました。でも最初から廉価車のコーヴェアのエアコン装着率は総生産数のたった3%くらいで、あまり普及しなかったそうです。コンプレッサフリジドエア社製の有名な、A6型ですね。1962年から当時のGM車をはじめ様々な車種に使われたこの、斜板式六気筒のコンプレッサ、最大42,000BTUの熱量を発揮でき、下手な小型住宅一軒冷やせる物です。オリジナルの鉄製は40パウンドくらいの重さが欠点でしたが、アルミナム製もあり、あれは確か20パウンドくらいでしたっけ。何せ1981年頃まで使われていたので、部品豊富です。
そう言えば思い出したんですが、コーヴェアの自動変速機って、パーキング P のポジションが無いんです。なので駐車の際、エマージェンシーブレーキをしっかり踏まないと転がり出します。シフトレヴァーはダッシュボードのレヴァー。
これは同時期に登場した、同じくGMのコムパクト車、ポンテイアック・テンペストも同様で、シフトレヴァに ”P” がありません。初期型に。これはテンペストは車体の床部と、車体後ろ!にあるパワーグライド自動変速機をコーヴェアとほぼ共用してたからみたいでした。現在は自動変速機の表示がFMVSS102法で決められていて、PRNDLは時計回りに表示されないといけないとか色々決まっています。まあ、最近の電気式シフトレヴァは随分違う法律に当てはまる様ですが。。
これがテンペストの駆動系。以前この事、書きましたっけ。自動変速機、トークコンヴァータは後車軸にあります。
これがそのテンペスト、自動変速機のシフトレヴァー。コーヴェアと同じくダッシュボードから生える。でもこれが頗る不評でのちに普通のステアリングコラムから生えるレヴァーになっちゃいました。
テンペストのもう一つのへんちくりんな機構は、3,200ccの四気筒エンジン(通称トロフィー4)。同じポンテイアックの6,400cc V8エンジン(通称トロフィー8)の方バンクを削ぎ削った!空いた場所に吸気管、気化器を持ってきて、排気はいじらず外側。何という発想でしょう。
ああ、脱線、脱線。4扉ハードトップに戻りましょう。
1970年に入り連邦車両安全基準法FMVSSが始まると、各自動車製造業には激震が走りました。ちゃーすがやーです。
車体の構造では側面衝突の基準が生まれ、これがFMVSS214法。これは扉の中に衝撃緩和の補強材、所謂インパクトビームを装備し対応し、GMは法律が発効する以前、1960年後半には既に対処始めてました。
側面衝突法より4扉ハードトップに影響を与えたのが、FMVSS216法、屋根の強度基準法案だと察します。この試験は、自重150%の重さをAピラーの頂点に加え、構造変形が最大5インチ以内に収まらないといけないと言う物です。1973年に発効したこの法律は今後改定され次第に厳しくなるとの見解で、各社、4扉ハードトップを廃止したんですね。皮肉な事にこの改定は製造側の圧力で、結局変わらず現在に至ります。
製造側、それ以上に恐れていたのが、いずれかはもっと厳しい検査基準、ロールオーヴァー(動的な横転・回転)がFMVSSに追加されるかが話題になりますが、今だにFMVSSには入っていません。
ロールオーバーの試験は自分達でも既に行って、結果がどの様になるかは知っていたはずです。これは1973年型フルサイズBボデーのインパーラの横転試験の結果。Aピラーが見事に潰れています。
実際、1974年でしたか、GMの試験場でタイヤの性能評価試験中、車両が横転し屋根が潰れ運転手が死亡して、以後、社内規定が変更になり、同様の試験をする場合、運転手のヘルメット着用とロールバー装備が義務付けられました。
FMVSSがロールオーヴァー基準を取り入れない代わり、保険会社が出資して運営する民間団体、IIHS (Insurance Institute for Highway Safety, ハイウェイ安全保険財団)が独自に実施する衝突実験で各車種を分析・評価し、政府及び製造側に働きかけ構造の改良を求める動きが根強くあります。彼らはロールオーヴァー(動的転倒事故)の試験、さらにFMVSS216と同様、Aピラー頂点に圧力をかけ、どの程度変形するかを割り出し、自動車購買時の評価として発表しています。(これをSWR数値、Strength to Weight Ratio と言いまして、 A ピラーが5インチまで変形する時の重量を車重で割った数値を使います)
車両が動的に横転し、回転する事故が4扉ハードトップの消滅に一番関与したと思われるのですが、一向に進展しないFMVSS基準が話題に上らない間、巷ではフォード・ブロンコII、いすゞ・ツルーパー、スズキ・サムライ等の横転問題が社会問題になり、何せこれらは商用車または多目的車なので、適応するFMVSSは乗用車の基準よりはるかに緩く槍玉に上がり、結局車体の近代の車両設計を汲んだ補強、前面、後面、側面の新しい衝突基準への適合も飛躍的に進み、2009年からはFMVSS126法、車両安定装置(スタビリテイ・コントロール)装着の義務化が始まりました。そうすると、近頃の多彩な機能を持つ新型エヤバッグ装備の普及と相まって、各技術の相乗効果とも相まって総合的に安全技術が進み、ロールオーヴァー基準の発足を待たずに、次第にロールオーヴァー事故の件数が格段に減りました。
1970年代、ロールオーヴァーの基準が法律になると恐れ、各社、コンヴァーチブル形状も全て廃止にしたのですが、結局1980年代にそれらの車体形状が徐々に戻ってきたのも、これらに関する法律が実現しなかったのも、ちょうど時期を同じく政権交代があり、安全性より経済性を重視する方針に進路が変わり、バンパー基準の緩和と同じ理由でした。
ぼくが経験上、ロールオーヴァーで一番感心したのは、サーブと古いメルセデスですね。サーブは99の時代からAピラーと屋根の部分からホイールハウス下まで貫くぶっとい補強柱を入れていて、車体を逆さ落下させる試験を公表したりしていましたが、以前働いていた会社の重役秘書のダーリーン叔母さんの、灰色のちょっと入った北欧独特の燻んだ青い色のサーブ900セダーン4扉のノッチバックで冬場に単独事故をお起こし、畦道に転落しゴロゴロ4回転したのに彼女は殆ど無傷で、気丈な彼女は家に帰る前にサーブの販売店に寄り、同じ車種をもう一台注文してから帰宅したと言うのを知ってます。昔のサーブはこう言った安全性になりふり構わず独自の技術で答えた、面白いくるまを作る会社でした。
古いメルセデスもロールオーヴァーにご熱心でよく車両を転がしていましたね。彼らの感心する事は、例のコーン型ドアラッチやらを開発すると、一番安い車種から一番高い車種まで全てに装備する事でした。まあ、今じゃこんな風に転がす実験やらなくても全部下請けやらがコンピュータのシミュレーションでやっちゃうんでしょうけどね。会社の風紀が変わっちゃったのが残念です。
ウチの親が未だ、キャナダのウエスト・ヴァンクーヴァに住んでいた頃、奥の細道と言って森林の中にある暗い家、でもお隣さんが歌うたいのブライアン・アダムスの家、である冬の夜、親の帰ってくるのが遅いんです。そのころは携帯電話なんてまだ普及していませんでしたから、心配していると遠くで緊急車両のサイレンが聞こえ始めるのです。それも高速道路の方からです。居ても立ってもいられなく我がVWジェッタで高速道路の出口まで行くと、あちらから来る親のヴォルヴォ965と鉢合わせになり、どうしたのと聞くと、いや高速道路の出口で大事故があり、メルセデスがひっくり返っていたのよ、と言うので見にいけば、W124が横になって寝ており、路上に残した傷から見れば、最低4回は回転していた模様。それでも緊急隊が例のピラーを切る巨大なカッターなど使わず、普通に扉を開けて救助していたのを見て、矢張り凄いなと感心した次第。。
長年、日本の自動車製造会社は輸出国別に、安全基準の緩い国へは違うドンガラの車両を生産していたのですから、まあ企業気質が違うと言えばそれまでですが、考え方の違いが随分あるものだと思いました。
最後に一つ、自動車雑誌の有名記者、ジーン・ジェニングスさんが先週亡くなりました。ぼくにとっては彼女はいつまでもジーン・リンダムードです。(結婚する前の名前)彼女はお父さんが業界誌クレイン出版社が発行する、Automotive Newsのお偉方で、彼女はデトロイトでタクシーの運転手をしていた時、お父さんの紹介でクライスラーの実験部門に入り運転試験を担当し、クライスラー労働組合の機関誌に文を書いたのを皮切りに、 1981年からは、全米最大の自動車雑誌、昔は硬派で有名だった、Car and Driver誌の記者になり、後日独立したDavid E. Davis氏の創刊したAutomobile誌で長らくウイットの富む独自の記事を書き、媒体各社にも出演し、有名になりました。化粧道具に入っている爪を磨くヤスリ板で、自分が乗っていたダッジ・パワーワゴンのブレーカーポイントを磨いてたり、今でも覚えている名文の数々。没70歳。アールツハイマー病だったそうです。