
さて、13日(日)の朝8時ごろ、件の宿を後にし、一路和田峠を越えて、岡谷市に向かいました。
もう何回か通った道なのに、記憶があやふやになっていて(標識通りに走ったので、道に迷う事は全くありませんでしたが)、「こんなに距離が長かったかな? 気のせいか? 断片的には、確かに見覚えがある風景だが…」と、何か奇妙な気分になりました。
どうも、若年性ナンチャラカンチャラではないかと、ふとコワくなります(^o^;)
この恐れは、翌14日(月)に、自宅でのクルマいじり中に、更に深まったのであります…orz
それはさておき、クルマは快調そのもの。
エンジンはシュワン、シュワンと吹け上がり、特に登りでは非常に気持ちいいです。非常に弾力性のある、エンジンです。
3連キャブでも、ベースとなる味わいは、確かに以前乗っていたシングル・キャブのタテグロと同じです。
FG6G(富士精密工業のガソリンの、6気筒で7番目のエンジン)ことG7エンジンは、素材の味を大切にしたのがシングル・キャブ、スパイスを強烈に効かせた鮮烈な味わいがトリプル・キャブではないかと、個人的に感じています。
下りは…ギアの選択に迷う事があります。
他車の流れに合わせると、3速(直結)だとゆる過ぎて、2速だとキツ過ぎる。
要は、そういう広いギアレシオなので、後は自分がそれをどう扱うかの問題ですが、登りでもキツい時がありますヨ(^o^;)
上り坂で、前を他車がゆっくりと走っていたら、「2速でもこの回転域ではトルクが出ない! じゃあ、1速か???」なんて時も、無いわけではありません(^o^;)
とにかく、総じて峠道を経由した50~60キロ程度のドライブを楽しみました。
10時前ごろ、岡谷市のスカイライン・ミュウジアム現地に到着しました。
遠くから、みんカラのメンバーとおぼしき方のクルマも拝見しましたが、今回は目的があるので、残念ながら、素通りさせて頂きました。(こういう時に、名刺でも作っておくと、ワイパーにはさんでおく等、使い道があるんでしょうね。)
但し、気になるクルマは、駐車場で歩きながら撮影しました。
これは珍しい、VPC10ですね。1500のVC10オーナーの方とは、何回かお会いしていますが、オトナになってから1800バンを見たのは、これがひょっとしたら初めて。
ところで、ハコスカは、小生が幼稚園ぐらいの頃は、そこそこに高級なクルマ、というイメージがありましたよ。
小生が小学校の頃行っていた歯医者さんも、ハコスカ初期型の1500に乗っていたのを、憶えています。(その頃はもうケンメリ末期だったかと思いますが。)
特に初期型の4気筒車のテールランプの造形は、美しかったと思います。
これはKGC10。
こうして見ると、ハコスカのハードトップは、色っぽいなと思います。
時代がぴょ~んと飛んで、これはR32オーテックが2台。
RB26のNAですね。
ところで、むかし、仕事で日産の子安のエンジン工場に行った時、RBエンジンのラインも見ましたが、RB26に、タコ足を付けたのがラインを流れていました。
あれは…何だったんだろう?
タコ足を仮留めしてあったのか、それともオーテック用だったのか?
こちらは、R34ニュル。(来る途中で雨が降ったのか、埃が付いていました。)
R34GT-Rは、小生が昔部品メーカーに勤めていた頃、本当に苦労した思い出があります。
ノーマルのBNR34、そしてN1仕様、そしてニュルと、ずっと苦労しました。
辛い事ばかり思い出しますが、それでも、GT-R用の部品生産に携われた事は、誇りではあります。
ちょっと時代が戻り、これは本館前イベント用展示のR31GTS-Rのエンジン。
ホイールは、純正オプションのBBSではなく、ヴォルクですかね。
これも、仕事で苦労しました。
自分がちょっと関係していた時期は、すでにR33の量産時代でしたが、R31のGTS-Rの補用部品も、たまに日産から注文が入り、詳細は書けませんが、これまたある事で苦労しました。
R31は自分がかつて乗っていたクルマでもあり、あれも乗り味は良かったなあと思っています。特に、後期型の、1速→2速にダブル・コーン・シンクロが付いていたミッションは、シフト・フィーリングは最高でした。恐らくは、自分が経験したMT車としては最高のシフト・フィーリングかも知れません。
館内は、前回9月1日の時と比べて入れ替えはありませんでした。
ちょっと珍しいところで、HR30ポール・ニューマン・バージョン。前方からの写真がブレていたので、部分的な写真でスマソm(__)m
ところで、グロリアのジャック・ニクラウス・バージョンというのもありましたが、同時期のセドリックのCMキャラは、二谷英明でした。
「セドリック二谷英明バージョン」なんて…無かったですよね?(^o^;)
次の写真以降の館内のクルマの写真は、9月1日撮影です。
古いところから、プリンス・トラックAFTF。よくもまあ、残っていたものです。
これは、プリンス・セダンと同時発売でしたが、プリンス・セダンがテスト走行もほとんどせずに、「エイヤー!!」で見切り発売してトラブル出まくりだったのとは違い、テスト期間がもう少し長かったので、セダンよりはマシに仕上がっていたらしいですけどね。
これは、初代ホーマー後期のT20。ホーマーはさんざん見ましたね、ガキのころ。何かこう、妙に洒落たスタイリングが、好きでした。開発責任者は故・増田忠氏(御料車ロイヤルや初代チェリーも担当)で、外観のスタイリングは、八木沼秀夫氏、サスペンションは故・桜井氏だったとの事ですね。
六穴のクリッパーも八木沼氏のデザインだそうです。
フロント・サスが、ちゃんとインディペンデントになっていたのを、下から見て確認しました(^o^)
こちらは、初代マイラーの四つ目。suwarashifactoryさんが、実動車をお持ちですね。小生も現車を秘密基地で拝見してきました。
こっちは、開発責任者は故・日村卓也氏(プリンス・セダンSH、スカイラインSI、グロリアS4等も担当)だったそうです。前述の増田忠氏が、ある会合での講演で、二つ目マイラーが出た頃、「コルゲンのカエルみたいな顔付きでしょ?」と発言し、ウケたそうです。
こちらはALSISと、そのリアのド・ディオン・アクスル。
こちらはグランド・グロリアS44P。
プリンスは、S4グロリアのホイールベースのストレッチ・バージョンも特注で出していたわけですが(皇室や石橋家向け等)、カタログ・モデルとして出すべきだったのでは?と思います。
トヨタがクラウン・エイト、日産がセドリック・スペシャルを出していたのだから、プリンスが、ボディ・サイズが小型のまま、大排気量エンジンを載せても、ちょっとアピール力に欠けたのでは?なんて思います。
購買層向けの「イメージ」として、です。
村山工場の量産ラインをストレッチ用に設けるのはムダだったかも知れませんが、受注生産車をカタログには設定しておいて、そして、三鷹の分工場あたりでハンドメイドでやるとか、そういう手法もあったのでは?とは思います。(今のオーテックみたいな手法ですね。)
あと、敢えて写真を載せるのは控えますが、クロスフローのGR7C'エンジンが載ったS54もここにはあります。(但し、キャプションでもそうは謳われていない。)
持ち主の方と一回挨拶「だけ」させて頂いた事はあります。
9月1日に、伊藤修令氏が「なぜか、あのクロスフロー・エンジン(GR7C')が外に出てるんだよなあ。なぜかは分からないけど」とおっしゃっていました(^o^)
次は、荻窪開発のG34直6クロスフローOHCエンジン。結局日の目を見なかったエンジンですね。
以前このブログでも述べた、故・岡本和理氏によれば、「合併後、荻窪(旧プリンス)と鶴見(旧日産)でエンジンのコンペがあった。結局、すでにL型用トランスファー・マシーンが完成しているという事もあり、L型が残る事となり、こうして航空機エンジンに基礎を置くエンジンは捨て去られた」との事です。
G15型クロスフロー4気筒エンジンが、実は台上試験で90馬力以上出てしまったが、L16型に対する遠慮と、「88」は末広がりで縁起がいいという事で、「88馬力」としたという逸話もありますね。
OHCクロスフローのG15型は、もっと早くにデビューするはずでしたが、プリンスが日本グランプリ対策に全力を挙げており、既存のエンジンのチューニングや、R380用GR8型エンジンの開発が最優先になっていたので、デビューが遅れたとも言われています。
そのため、日産のL型4気筒に出遅れてしまい、不利になったとも言われています。
では、なぜGT-R用のS20型(GR8B’型)が採用されたかと言うと、イメージ・リーダーたるGT-R用だから、少量生産で、トランスファー・マシーンを使わずに、NC旋盤等でコツコツと加工をして工賃が高くなっても構わないだろうという日産上層部の判断があったからと読んだ事があります。
小生は、この、旧プリンスと日産の判断が、のちのちのトヨタの「名ばかりのGTは云々」の好戦的なキャッチコピーの遠因になったように思えます。
少量生産の本格的ツインカム・エンジンたるS20と、他は量産用のカウンターフローのL型4気筒と6気筒。
一方トヨタは、今回のイベントのトーク・ショーで奇しくも元日産プリンス自販の福崎隆司氏が、「トヨタの2バルブのなんちゃってツインカム」と揶揄していたエンジン群で、日産を追い上げていたでしょう?
で、日産は、FJ20という、本格的で気合の入ったツインカム・エンジン(これまた荻窪設計)まで市販ツインカムは存在しなかった。
失礼を承知で言えば、「なんちゃって」という言い方が、そもそも一般消費者や市場をナメているような気が、小生は個人的にしました。「そのなんちゃって2バルブ・ツインカムさえ(レース用以外は)無かったクセに」という事です。
そりゃ小生は、「本格的」なエンジンに惹かれますが、それは、小生がマニアだからでしょう?
トヨタが、カローラ/スプリンター、コロナ、セリカ、カリーナ、マークII、チェイサーとツインカムを揃えたのは、賢いと思いますよ。排ガス規制まで乗り越えましたしね。
例えば、レビン・ジュニアの2T-Bエンジンは、OHVだけどクロスフローですよ。クラウン用のM型もOHCクロスフローです。
そういうイメージって大切ではないでしょうかね?
例えば、クロスフローなら、G型4気筒を継続生産して、ローレル以外の純日産車にも波及させれば、お手軽だったかも知れない。(量産すれば単価も下げられるし。)
…とまあ、ひとしきり能書きを垂れまして、次は、プリンスの愛車セット用のワックス。シャレたデザインですね(^o^)
PMCSとPMCのバッジ。
これは走行実験課だから、故・青地康雄氏のグループですかね。
この歌詞、「加藤隼戦闘隊」の「輝く伝統受け継ぎて~新たに興す大アジア~我らは皇軍戦闘隊~♪」の替え歌なんですね、きっと。
R380の開発責任者は桜井氏、レース部隊の監督は青地氏でした。
桜井氏は、「R380はデザイナーを使わず、理屈だけで設計した」と語りました。青地氏は、「酷な事かも知れないが、決められたエンジン回転数を守らないドライバーは、メンバーから外した。大事故につながり、本人が死ぬかも知れないからだ」と語りました。
青地氏の著書も、私のバイブルの一つです。
さて、今回小生がここに来たのも、やはりトーク・ショーでした。9月1日同様、伊藤修令氏、そして今回は、渡邉衡三氏と元PMCSのレーシング・ドライバーの久保田洋史氏も加わりました。
小生は、特に渡邉氏の話が目当てでした。(今までも数回トーク・ショーで話を聞いた事はあるが。)
氏曰く、
「ハコスカGT-Rでは、リアにもスタビライザーを付けろと指示されて、クルマの下に潜り込んで、どうレイアウトするかなと色々考えた」
「伊藤(修令)さんは、なかなかのクセ者だ。あれだけ青天井のR32GT-Rの予算を、どこか別項目で紛れ込ませて、承認されていた」
「R33にモデルチェンジする時、役員会では、GT-RだけはR32を継続生産したらどうかという意見もあった」
「役員会で、GT-Rなんて10年に一度のスゴい車なのだから、R33ではラインナップせず、また10年後ぐらいに加えればいいのではないか、と言われた。敢えてその役員の名前は言わないが、会社の人間として、どうしてそんな事を言うのかなと呆れた」(すると伊藤氏が横から、「○○さんの事?」とニヤニヤしながら尋ねていました。)
「GT-Rに、試作のV12エンジンを載せたものを試した事がある。言うなればフェラーリのような感覚だった。ぜひやりたいと思ったが、まさかGT-R一車種だけのためにそんなゼイタクなエンジンを量産してくれるわけも無く、試作だけで終わった」
伊藤氏は、9月1日と話しがダブる部分もありましたが、
「第一回日本GPではプリンス車は完全に負けた。そこで、次回のために、S50が発売される数カ月前には、もうS50のレーシングバージョンの計画が決定されていた。S50やS41グロリアのレース用車は、これでほぼ勝てるだろうというところまで仕上がり、そしてさらにGTレース用に、S54を新たに設定した。第二回日本GPは会社(荻窪)のテレビで仲間らと観た」
「人に何かを頼むときは、タイミングというものが大切だ。正攻法で行っては、しくじる場合もある。私は小柄なので、人にものを頼みに行く時に、警戒されないようだ。それで得した部分はある」
「R32開発中は、会社も苦しくて、まさかGT-Rだけのためのエンジンなんてとても頼める状況ではなかった。RBエンジンは、スカイラインやローレル等の村山工場生産車だけにしか使われていないじゃないかとも言われた。そこで、役員会では、既存の輸出用のRB24をチューニングして使うという事にしておいた。それが認められたら後はこっちのもので、後はクランクを変えたりして排気量アップすれば済むだけの話だった」、等々。
メインの目的を終えて、ミュウジアムを出ました。
ミュウジアムから降りたあたりで…おや、70系スープラ?!
ずいぶんとキレイだな。5ナンバーで「GT Twin Turbo」って事は、1G-GTエンジン?
余談ながら、小生の先輩の奥さんが、70スープラのMTにワンオーナーで乗っていて、今も乗っているというから、よほど惚れ込んでいるんだろうなあと思います。
で、イベント後、近くでみん友のhamajyaさんとお会いした事は、14日付の「旅の報告その一(^o^)」のブログで報告した通りです。
これ自体、結果的に大きなイベントとなりました(^o^)
その後、中央道経由で帰るか、それともまた和田峠越え&上信越道経由で帰るかを考えましたが、後者を取りました。
帰りもシャンシャン、峠を越えて、まずは上信越道佐久ICを目指しました。
途中、何回か使った事のある定食屋で、食事(^o^)
帰りは…2カ所ほど渋滞がありましたね(^o^;)
碓井軽井沢ICからの合流がスゴかった…。
流石は観光地。連休の中日(なかび)でしたが、連休最終日の外出を控えようという人々が多いのかも知れませんね。
関越でも一カ所ほど詰まりましたね。
小生も、元々は休日の自動車外出はそれほど得意というわけではありません。元々堪え性が足りないので、渋滞でイライラしてくるもので。
まあ、最近は開き直れるようになりましたけどネ(^▽^;)
そんなこんなで、帰宅はちょうど深夜ごろになり、2時間オーバーというところでした。(下の写真は、イメージ写真です(^▽^;))
長距離走行では、クルマより、むしろ小生が持ちこたえるかどうか、というのが、目下の関心事ですね(^o^;)
そんなこんなです(^o^)
さあ、翌14日(月)は…連休最終日を、イイ気分で終えたかったのに…という、ブルーな投稿になります(^▽^;)
ある意味、今のクルマが手元に来てから、最も情けない体験談になります…orz