ホンダというのは、今はそれほどインパクトも感じないが、小生の幼稚園時代~小学生時代は本当にユニークで鮮烈なメーカーだった。
実はホンダについて語るのはちょっと憚られる。
小生は二輪についてはほぼ門外漢だし(自動二輪免許も持っていない)、F1活動については、せいぜい故・中村良夫氏の本を読んだくらいで、ホンダ・マニアの前ではホンダのホの字も出したくない。
たちまち知識の無いのが露呈して顰蹙を買うのがオチだからである。
だから、当然ながら、今回も小生の見聞き・体験した範囲で書く。
ホンダが本格的に四輪に進出したのは、ホンダSシリーズとそれに続くT360(驚愕のツインカム4キャブレター軽トラw)であるが、小生の年齢だと、やはりN360や、NIII360、それから軽トラのTNシリーズだ。
前回、マツダの初代キャロルは超ゼータクなスペックだったが、音ばかりで鈍重なイメージだったとも書いた。
ホンダNは、空冷2気筒の4サイクルだが、2気筒でしかも空冷で軽いから瞬発力もあったのか、同じ4サイクルのキャロルよりはるかに「元気のいい」軽自動車だった。
とても颯爽としていて、スバル360のような当時は王道だった2サイクル軽自動車と充分張り合う、「輝いている」軽自動車だった。
あれは幼稚園に入る前だったか、となりのシンジ君の家の車がホンダNだった。シンジ君は小生より年下だったはずで、お父さんとお母さんもうちの両親より若かったように思う。
ホンダN。音はビービーとけたたましいが、何しろ俊敏だった。キャロルの「ビービー」とは違った。
大人になってから知ったが、最高出力を9000回転で得るようにチューニングされており、正にF1参戦メーカーならではの高回転エンジンだったわけだ。
N360には、ツインキャブのTシリーズ(?)というのがあった。
ガキの頃は標準モデルとのスペック上の違いは分からなかったが、グリルが黒いメッシュで、シングルキャブ車の打ち抜きダイキャストグリルとはデザインが違った。
当時、小生は普通車だろうが軽自動車だろうが、国産だろうが外車だろうが、とにかく色々なクルマが大好きだった。
ホンダNがらみで軽自動車について思い出せば、スバル360は言うに及ばず、スズキ・フロンテ(初代RR駆動のもの。それ以前のスズライト・フロンテは文字通りFF駆動)、初代ダイハツ・フェロー、初代マツダ・キャロル、初代三菱ミニカ。
それこれも、素敵に思えた。
前回も今回も、キャロルについてマイナス面を書いてしまって恐縮だが、もちろんキャロルも好きだったのだ。
その中でホンダNは、垢抜けていた。ポップでキャッチーなホンダのイメージは、ホンダSよりもあのNで確立されたような気がする。
小生が記憶しているホンダNのアニメCMがYoutubeに残っていた!!(本来はカラーだったはず。)
雪女に「襲撃」されるCMだ。これが、子供心にも印象に残ったのだ。そう、このアニメCMで、子供の心の中にもホンダのポップなイメージを植え付ける事に成功したのだ。
このCM、雪女に凍らされた車をよそに、雪道もスイスイ走る事をアピールしたかったのだろう。
そして、普通の女に化けて乗り込んできた雪女をヒーターで溶かす。そう、空冷車だけどヒーターも効く!という事もさりげなくアピール。(どこまで効いたのかは、小生は知らないが。)
それから、TNIII360の「ショーバイハンジョー、ショーバイハンジョー」のCMも今でもハッキリ憶えている。
それからホンダは、Nのマイチェン版でNIII(エヌ・スリー)を出し、次にライフを出した。それもお洒落だと思ったが、小生はやっぱり初代Nのあの優しい顔つきが好きだ。
初代ホンダZは、別格だ。あの水中メガネ風リアウィンドウは、小生の知る狭い範囲ではワンアンドオンリーだ。
ところで、ホンダ1300(H1300)、ご存知の方は今では少ないだろうか。
ホンダとしては初の普通車セダンとクーペである。
あれも小生的にはとてもカッコイイセダンとクーペだった。
オトナになってから、あの1300はピーキーなバケモノ空冷エンジンで扱いにくいとか、シャシーが負けていて転倒の危険があるとか、そんな本の記述を読んだような記憶がある。
セダンだと、角目シングルキャブの「77」と、丸目で4キャブの「99」があった。
どちらもスタイルはとても好きだった。
小学生になり、他クラスの担任の先生がホンダ1300の77セダンに乗っていたのだが、小生の印象はとても良い。
静かで、何より乗り心地が良かった。タイトで、しかし固過ぎず、スウェーっと滑らかに路面を走るのだ。
この空冷エンジン、前述のホンダ元F1監督中村良夫氏が貶しているごとく、アルミの鋳物のお化けではあったと思う。
軽さが重要な軽自動車はともかく、普通車で空冷にこだわるのは無理があったと思う。
本田宗一郎氏(小生もガキの頃から、母からその名を教えてもらったほどの、業界を超えた立志伝中の人物)の空冷へのこだわりは異常だったようで、「水冷のように空気で水を冷やすなら、直接エンジンを空気で冷やせば良い」というのも、ちょっと困った話である。
本田氏も比熱とか、熱伝導率で水が空気より有利な事は分かっていたとは思う。
ただ、ラジエターで冷却水を冷やす事や、複雑な通路のウォータージャケットを設けるのをまどろっこしく思っていたのではないだろうか?
本田氏も最後は副社長で相棒の藤沢氏に説得されて空冷至上主義を諦めたようだが。
ただ、本田氏で尊敬できるのは、政府が輸入自由化に備えて日本の自動車メーカーの統廃合を考え、各メーカーが作る車種も限定しようとした時に、通産省の前で一升瓶を持って座り込み、役人たちを相手に「車(四輪車)を作らせろ!」と悪態をついた話である。
会社のトップが、時には文字通り先頭を切って、政府や官公庁に対してタイマンを張る事も、時には必要だと思うのだ。(小生もオトナなので、何でもかんでも政府を批判して粋がるような子供じみた事は嫌いだが、自分の信念・信条が潰されそうになったらハッキリと反対意思を述べる事は断然必要だと思っている。しかもホンダのようなコンセプトが明快な企業は尚更だ。)
さて、空冷・水冷の話に戻ると、ホンダ1300の空冷エンジンはさすがにナンセンスだと悟ったのか、それに何より排ガス対策に不向きだと認識したからか、ホンダ1300のセダンとクーペは水冷エンジンに載せ替え、「ホンダ145」という名でマイナーチェンジする。
これは、クーペは外観にあまり変化は無かったが、セダンの顔が小生的にはちょっとマヌケに見え、それが残念だった(これまたあくまでも主観である。オーナー諸氏のクルマチョイスのセンスを貶めるつもりも、その権利も小生には無い)。それだけ、空冷1300セダンは見た目はカッコ良く感じていたのだ。
とにかく、しばらくホンダは普通車カテゴリーでは軽自動車カテゴリーよりも元気が無い時期が続いた。
さて、その時期、米国でマスキー法なる法律が出来た。米国のマスキー上院議員による議員立法だったと思うが、早い話が空気清浄化に関する法律である。
アメリカが日本車輸出の一大顧客であるからには、この法律をクリヤーしないとマズい。
米国ビッグ3も難色を示したこの法律(仮に解決の目算があっても、一応は難色を示しておくのは経営者として当然だとは思う)、クリヤー出来ると手を挙げたのはホンダだった。
ビッグ3としては、本田に対して「あっ、バカ! そういう時は一応出来ませんと言っておけよ!」という気分だったかも知れないw
ホンダは二輪ではとっくに世界的メーカーだったが、四輪としては新参者。しかも自動車王国アメリカからすれば、小癪な敗戦国日本である。
まあ兎にも角にも、ホンダは「出来ます」と答えたのだ。
そこで颯爽と登場した、ホンダとしてはある意味初の本格的普通車が初代シビックだった。
シビックは鮮烈だった。
当時のNHKのニュースでも大々的に採り上げられ、「CVCCエンジン」なるものが、どうやら新世代の救世主みたいなエンジンらしいという事だった。
シビックはアルファベットではCIVICと綴るが、当初小生はその読み方が分からなかった。
恐らくCVCCエンジンとも引っ掛けて、「市民の」を意味する「civil」とダブらせていたのかも知れない。
ちなみに、CVCCエンジン自体の元ネタは古いソ連の副燃焼室付き自動車用エンジンなのだが、とにかく利用出来るものは利用すればいいだけの事。
また、後に排ガス対策は三元触媒方式がメインになり、ホンダもそれに倣ったが、大事なのはイメージだと思う。「CVCC」エンジンでマスキー法クリヤー!というイメージだ。他社の排ガス対策が殊更劣っていた訳ではなく、むしろそちらが主流になるのだが、先鞭を付けたホンダのイメージ的なアドバンテージは揺るがない。
シビックはその新しいCVCCエンジンの話題性だけでなく、スタイルもスマートで垢抜けていた。ホンダ145の何ともショボくれた(失礼!)スタイルから大きく前進しつつ、しかもホンダN360以来の愛らしさも引き継いでいる。
いやはや、とにかく初代シビックはホンダN同様輝いていた。
思えば3ドアハッチバック車はそれ以前も三菱コルト11Fとかもあったが、本格的な2ボックスのハッチバック車はシビックが最初ではないか?
アメリカではGMCグレムリンという車がそれ以前にあったが。
ここで余談。
日産の初代チェリーは元々旧プリンスの開発によるものだが、その初代チェリーは当初は3ドアハッチバックのFF車となる予定だったが、日産上層部によって「ライトバン臭い」と却下され、3ボックスっぽくデザインし直し、改めて「チェリー」としてデビュー出来たのだそうだ。
下の初代シビックのデザインスケッチを見ると、これが正に日産でボツにされた初代チェリーのハッチバック案のようなスタイルなのだ!
日産にはこの手の情けない話が結構ある。
初代プレイリーも旧プリンス系の荻窪の設計だが、役員で旧プリンス出身の田中次郎氏が役員会で懸命にプッシュし、デビューに漕ぎ着けたらしい。
のちに三菱のRVRとかホンダのオデッセイ等のああいうハイトワゴンというか、背の高い多目的ワゴンが登場してヒットした事を思えば、やはり日産の上層部は先見の明が無かったと言わざるを得ない。
マツダが初代ファミリア(カローラの長谷川龍雄氏が本気でビビった車)でトヨタにタイマンを張らなかったのはロータリーに本腰を入れるためだったからだとは思うが、日産の場合は、単にモノを見る目が無かったとしか言いようがない。
シビックに話を戻す。
とにかくシビックのデビュー時は、前述のCMとも話がつながるが、CMも実に印象的でオシャレだった。
シビックのCMも、初代ホンダZのCMも、どれもこれも良かった。
CMというとハコスカ~ケンメリのスカイラインのCMが一大旋風を巻き起こしたし、あのストーリー性はトヨタの歴代クラウンのCMと共に特筆すべきものだが、ホンダのCMはクルマそのもののポップさ、そして先進性(排ガス対策・燃費の良さ)がCMだけで分かるものだったと思う。
例えばスカイラインは、「このクルマでチャンネーを誘ってデートしたらキマるだろうな」というストーリー性があり、クラウンも「成功したオトコの乗る車だな」というストーリー性があるが、ホンダのあの、押しつけがましくなくメカニズムの優位性をビジュアル的に訴える手法は、秀逸だった。
小生の小学校低学年の頃だったが、シェリーというハーフの女優(今現在のSHELLYとは別人物)が主人公ドロシーを演ずる「オズの魔法使い」という子供向け実写ドラマがあった。その番組の提供がホンダだった。
1分ほどの長尺のCMも流すのだが、そこでもハッキリと、子供にホンダのポップさと優位性をアピールしたわけだ。
それから、かの淀川長治氏が解説していた「日曜洋画劇場」も、ホンダが提供の一社だった。そこでも長尺のホンダZのCMとかが流れ、ホンダのスマートさ、お洒落さが伝わってきたのだ。
そのホンダZのCMも前景の動画に含まれているので、お時間があればご覧頂きたい。
その他、その後のホンダ車についても2代目シビックとかワンダーシビックとかシビックシャトルとか、2代目プレリュードとか初代バラード・スポーツCRXに乗せてもらったりしたが、どれも好印象だ。
運転に関しては、ホンダに勤める友人の2代目か3代目のインテグラを運転させてもらったり、大学時代の先輩のEFかEGのシビックのSiのツインカムを運転させてもらった事はあるが、存分に乗り回したわけでもなく、今ふと思い出した程度だ。
ところで、初代バラード・スポーツCRXのCMも久々にこれまたポップだった。
サロンミュージックという音楽ユニットがCMソングを歌っていて、あまりにも印象的だったので、そのシングルレコードを買ったぐらいだ。
小生の中での、久々にポップでキャッチーなホンダだった。
最後に、そのサロンミュージックのBGMに乗せたCMもどうぞ。
ポップでキャッチーなホンダよ、永遠なれ!