小生がガキの頃、最もダサいと思っていた自動車メーカーは、三菱だった。
おっと、三菱ファン、オーナーの皆様、もう少し聞いて頂きたい。
小生、そんな三菱が大好きだったのだ。
ガキの頃の小生も、どこか冷めた客観と、そして無我夢中になる主観とか混在していて、その客観では三菱は「ダサい」、一方主観では「カッコいい」メーカーだったのだ。
小生が三菱が好きだったのは、オヤジが乗っていた会社の社用車の影響が大である。
オヤジの勤務先の会社が、社用車を一斉にトヨタの水冷パブリカバンに入れ替える前は、三菱のコルト1000F、1100F、11Fのバンだったのだ。(11Fは、バンには「F」は付いていなかったかも知れない。)
下の写真は、2サイクル3気筒時代のコルト800バンだが、これを水冷直4に載せ替えたのが、コルト1000F、1100F、11Fであり、スタイルに大きな変更は無く、グリルのみ少しずつデザインが変わっただけだ。
これは、水冷パブリカに比べて、どこからどこまでもしっかりと出来ていて、質感が上だった。
ドアが閉まる音、ダッシュボードのデザイン、それからあの「ルンルンルンルン…」というエンジン音。
水冷パブリカは、何から何までペナペナ、ドアが閉まる音も貧相、エンジン音も妙に軽くてシャーシャーと音が大きい。先代の空冷パブリカのようなユニークさも無い。そして、パブリカはフロアシフトだったのだが、コルトはコラムシフト。小生的には、オトナがコラムシフトをクイクイと動かす仕草が好きであり、フロアシフトはイマイチカッコイイとは思えなかったのだ。(こういうネガティヴな事を書いているが、今ではその水冷パブリカが好きなのだから、そこはご理解頂きたい。)
そしてその水島製コルトシリーズ、海外ラリーでもかなりの好成績を残した強豪でもあったのだ。(この後も三菱はラリーに積極的に参戦して好成績を残している。)
まあ大人になってから考えると、パブリカ自体がトヨタのエントリー車種であり、あまり質感が高過ぎてもコスト高になるからそれはメーカーとしては仕方なかった事だし、それで一定の台数も販売出来たであろうし、あれはあれで正解だった事になる。
そもそも、オヤジの勤め先の会社も、確かオヤジが語っていたには、コルトは値段が高いからパブリカにしたらしい、との事なので、トヨタは三菱から客を奪う事に成功したのである。
オヤジは「コルトは大阪で作っているから関東まで持ってくると値段が高い」と言っていたが、「大阪」は間違いで、あのコルトは岡山の水島製なのだが、パブリカは愛知県製だから関東に近くて安い、というのではなく、単純に車両本体価格が安かったのだろう。
実際、コルトはパブリカより、カローラクラスの車だった。
そしてオヤジは、自前の営業車初代サニーの「タイヤの細さ」をイヤがり、コルトを経て水冷パブリカに乗り、すっかりトヨタ党になったのだから、やはりトヨタは実際に車を使う年齢層の一般人(自動車マニアではない)にアピールする何かがあったのだろう。
そしてそれは、利潤を追求する企業としては、とてもとても、大切な事だと思う。
そして恐らくだが、トヨタは市場ニーズのためなら、自分らがイイと思わない車でも作ると思うのだ。そしてこれも、ものすごく大切な事だと真に思う。
企業やエンジニアのこだわりなんて、市場のニーズと合致して初めて光り輝くのであって、そうでなければ、それはただの自己マンでしかないのだ。
これは自動車とは無関係の話だが、例えばの話、かの秋元康氏は、一連のAKB系列グループを本当に良いものだと思ってプロデュースしたかどうかは小生は知らない。
しかし、それらはヒットした。元々ニーズが無かったところにニーズを作り出したのか、ニーズを敏感に察知してああいうグループを作ったのか、どちらにしても秋元氏は天才だ(おニャン子時代から)。
そして、トヨタというメーカーは、秋元氏と同じ「天才」集団だと小生は思ってきた。
さて、三菱だが、小生にとっての「ダサカッコイイ」コルト、オヤジが乗るコルトバンがとても誇らしかった。
その頃、小生はいつもクルマの絵を描いていたが、オヤジが乗るコルトバンの絵が多かったような気がする。
ある日、オヤジが、「今度会社のクルマがパブリカになる」と言った。
小生は、それはやめて欲しいと言った。ずっとコルトに乗っていて欲しいと懇願した。
そしてある日、家の外を見た。
カラーリングは同じだが、まるで違うクルマが外にある。水冷パブリカバンだ。
ガーン!!!!!!
オヤジはこのセガレの頼みを聞いてはくれなかった。セガレの心を踏みにじって、水冷パブリカなんかに乗って帰って来た。
確か夏だったと思う。なぜなら、網戸にしがみついて、そのパブリカを見て怨めしくて泣いたからだ。
まあ、要するに幼稚園児なので、社用車は会社が決めるという単純な事すら分からなかっただけなのだが。
さすがの小生ももう諦めたが、その後もずっとコルトの絵を描き続けた。
ここでちょっと考えた。
冒頭で、小生も三菱はダサいと思っていたと書いた。そしてそのダサい三菱車が好きだったとも書いた。
さて、トヨタ、特に水冷パブリカについては、ダサいともカッコイイとも、何とも思わなかったのだ。
ダサいと思うのは、ある意味印象に残っているからではある。
ダサダサの三菱車、というか、三菱という自動車メーカー、その後もしばらく小生はダサいと思い続けていた。そして、ダサいのに惹かれ続けていた。
水島製のコルトシリーズも、名古屋製だったか京都製だったかの別系統の角ばったコルトも、どちらもダサいが好きだった。
あの、ヘッドライトが斜めに四灯並んだコルト1500も、「こんなの誰も要らねえよ」と思いつつも、小生は大好きだったのだ。
デボネアも、同じように好きだった。
思えばその初代デボネアも、まるで公開処刑のように長々と生産され、最後は三菱系企業の役員車としての需要しかないみたいな言われ方までして、気の毒だった。
初代コルト・ギャランも、あれは確かにそれまでの三菱車よりオシャレではあったが、まだまだダサさが残っていた。そして、それが好きだった。
かのコルト・ギャランGTOも、何となく垢抜けないが、好きだった。あのサファリブラウンのGTO MRは、好きだった。
しかし、普通車と比べて、三菱の軽自動車は、イメージ的にも他メーカーと互角に張り合っている気がした。
ミニカ・スキッパーというのがあったが、あれはとてもカッコ良くて、小生が納豆に対して感じている、「クサいが美味い」という感じではなく、純粋にカッコいい車だと感じた。
小生が直感的に、「今度の三菱の普通車はヒットする!」と思ったのは、ギャラン・シグマとギャラン・ラムダが登場した時だ。(初代ランサーは、まだまだダサさが残っていて、好きだった。)
その時だ。幼稚園児時代の小生が「ダサいけど好き」な三菱車から、より多くの一般層にもウケる三菱車に変貌したのは。
そして、ダサくなくなった三菱車は、その後次第に小生の印象に残らなくなったのである。
さらば、三菱車よ!
おめでとう、三菱車よ!