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ゴランの愛車 [フォード フォーカス (ハッチバック)]

20120914 若松城(鶴ヶ城)⑤

投稿日 : 2012年10月12日
1
西中門を天守から見るとこんな感じです。
枡形の石垣は、雁木が設けられていて登ることができます。
西中門の石垣の上には鐘撞堂があり、時守が時を知らせたそうです。
戊辰戦争では官軍の砲火が集中し相次いで時守が倒れるも、変わらず時を知らせて士気を鼓舞したのだそうな。
2
こちらは、大手の北出丸への出入り口、太鼓門です。

保科正之は、三代将軍家光や四代将軍家継を補佐した人物で、近年評価が見直されている人です。
死に際して自らが関わった公文書を破棄させ、全ては将軍家の事績であるとさせたため余り一般に知られなかったようです。
ちなみに正之は、松平姓を名乗ることを許されていましたが、養育してくれた保科氏への恩から生涯松平姓を名乗らず、三代藩主より松平姓に改称しています。
3
太鼓門の石垣には、雁木ではなくⅤ字の階段になっています。
赤い屋根の建物は、北出丸に建つ武道場の武徳殿です。

正之は、会津家訓十五箇条という家訓を遺しています。
第一条には、「将軍家に尽くす事が第一。それに反するものは我が子孫ではないので、家臣は従ってはならない。」とあります。
4
太鼓門の辺りから天守を見上げるとこんな感じw
野面積みの石垣も見事です。

若松城に最初に天守閣を建てた蒲生氏の時代には、天守台一杯の大きさの現在のものよりもっと高層の7重の天守だったそうです。
しかし、1611年(慶長16年)に起きた会津地震により傾いてしまい、加藤氏が現在のものと同じ外観の5重の天守を建てました。
なので、天守台の大きさより少し小ぶりに造られています。
5
天守から見た南走長屋、鉄門、干飯櫓。
天守台より小ぶりな天守なので、天守台の縁には土塀が設けられています。

会津松平家最後の藩主 松平容保は、京都守護職就任を打診され躊躇しますが、幕閣より「正之公の遺訓を忘れたのか」と言われ引き受けることになっています。
そして職務を忠実に務めたために、幕府勢力の中心とみなされ会津戦争の悲劇へと繫がります。


6
天守からの南側の風景。
干飯櫓の延長線上にある小山は、向羽黒山城です。
葦名氏の時代、当時は黒川城だった若松城の詰城でした。
山全体を要塞化しており、江戸時代に一国一城令が出されるまで使用されていました。
7
住宅地のすぐ向こうの小山が、前日に攻めた小田山城です。
向羽黒山城が築かれる以前に、葦名氏の詰城でした。

戊辰戦争の際に、ここから若松城内がよく見えるという情報を聞きつけた官軍が、山上に砲陣地を築き大砲を撃ちこみました。
当初こそこの小田山からの砲弾に悩まされたそうですが、会津藩も城内から大砲で小田山の砲陣地へ撃ち返し、小田山からの砲撃を沈黙させたそうです。
しかし官軍は、若松城の周囲の平地からの砲撃に切換え、会津藩は四方八方から降り注ぐ砲弾に悩まされることになりました。
8
背後の大きな山が磐梯山、赤白の鉄塔のあたりの山が白虎隊で有名な飯盛山です。
今回は行きませんでしたが。

鶴ヶ城は、土佐藩兵や薩摩藩兵を中心とした官軍の攻撃に耐え、砲撃によりボロボロになりながらも落城しませんでしたが、籠城すること1ヶ月で開城しました。

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