• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

アンチコのブログ一覧

2010年07月18日 イイね!

よさみん

天気もよかったので刈谷にある依佐美送信所記念館にいってきました。


この鉄塔が目印のあそこです。
昭和初期に250メートルもの高さの鉄塔を立てて空中線をはり、大規模な長波・短波の送信設備を整備してつい十数年前まで使っていたのですから驚きですね。

※中の詳しいことは以前かいたページを見てくださいね。


全景です。
展示は昨年と比べてほとんど違いはないようです。
手前から主誘導電動機、主直流発電機、主直流電動機、高周波発電機、高周波塞流線輪、高周波コイルとなっています。


高周波発電機です。
発電所じゃないですし、変電所から電気が送られてくるのになぜ発電機?と思ってしまいますが、送られてくる交流電流を直流電流にして、さらに高周波電流にする必要があるからです。


高周波コイル。
長波をさらに3倍にしてアンテナに送信するためのものです。


ローディングコイル。
長波を送信周波数に同調させるためのコイルです。


こちらは制御室です。
設備の割りに比較的シンプルなのが興味深いですね。

依佐美送信所は昭和のはじめに長距離(外国)への通信を目的に設置されましたが、長波と短波を用いていました。
長波は大規模な設備が必要で、送信所が完成したときにはすでに通信では長波の時代は終わっていました・・・・が、長波電波は水中まで届くという性質がわかり、潜水艦への重要な通信設備として注目されました。
戦後は米海軍の潜水艦への重要な通信施設として平成5年まで運用されていたようです。
Posted at 2010/07/18 21:05:39 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記
2010年05月22日 イイね!

明野陸軍飛行学校天龍分教所跡

航空自衛隊御前崎分屯基地の帰りにここによってきました。
竜洋の袖浦公園です。


ここにはかって明野陸軍飛行学校天龍分教所がおかれていました。
写真には飛行場格納庫の一部と思われる構造物が並んでいます。


このようにコンクリ製の壁のようなものが縦に2列並んでいます。
飛行場跡という予備知識がないと結構不気味ですね。


この2列の壁の中央付近に航空自衛隊で使われていたF-86F戦闘機が展示されています。
明野陸軍飛行学校といえば、大日本帝国陸軍の搭乗員教育や戦技教育を行う為の機関でしたが、日支事変の拡大等のために搭乗員の育成が急務となり、入校生の増員が行われました。
これに対処する為、各地に分教所を設置しました。
天龍分教所は戦時中の昭和14年に工事が始められ、1600メートルの滑走路を2本設置されたようです。


F-86F戦闘機です。
元は浜松基地にて展示されていたようですね。
終戦後、明野飛行学校解散に伴い天龍分教所も廃止され、跡地に公園がつくられました。
それを記念して浜松基地より寄贈されたとのことでした。
Posted at 2010/05/23 11:15:57 | コメント(2) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記
2010年03月28日 イイね!

三ヶ根山比島観音

昨日は愛知の三河地方をドライブにいったのですが、幸田町経由でここにいってきました。
幡豆にある三ヶ根山です。
三ヶ根山スカイラインで知られているあそこですね。
三ヶ根山スカイラインをのぼっていくとこんな感じです。


三河湾が一望できます。
とても美しい風景ですね。

三ヶ根山といえば三ヶ根観音です。
実はここには数多くの慰霊碑がおかれています。

日本は昭和20年の終戦までに中国大陸で、アリューシャンで、太平洋で、南方で、そして日本で数多くの方々が散られています。
その政治的な是非はともかく、個人ではどうしようもない状況におかれていて、日本を守るために多くの方々が亡くなられています。
その方々のあまりにも大きな犠牲の上に今の日本があることを忘れてはいけません。


北支兵站自動車第三五中隊従軍記念碑。

第一〇四号輸送艦慰霊碑。

独立歩兵第二十一大隊慰霊碑。

※記念碑・慰霊碑は数十もあるため、とても全てを紹介できません。
代表として3つを紹介させていただきました。

無数に並ぶ慰霊碑・記念碑を見ていくと、あの戦争ではこんなにも数多くの方々が亡くなられたのだと感じます。


零戦の発動機。
豊橋沖で漁船にひきあげられたものがここに奉納されています。
隣に鉄帽がありますが、零戦とは別で、戦没者の方の遺品でしょうか。


こちらが比島観音です。
フィリッピン戦線での戦没者の鉄帽を鋳込んで建立されたそうですが、戦没者の方々がどれだけいたか、本当に驚かされます。
比島決戦では陸軍369029柱、海軍107747柱、邦人19838柱、計496513柱の方々が英霊になられています。
50万といえばひとつの大都市に匹敵します。
そこにいる方々が全て亡くなる・・・・
どれだけ壮絶な戦場だったのかとても想像できません。


石碑には比島観音の由来がこうつづられています。
「この比島観音は太平洋戦争においてフィリピン方面全域の戦没者50余万人の戦友と同胞の御霊ご供養と永遠の平和を祈念して全国の遺族戦友6千余名の浄財により昭和47年4月2日ここ山ケ根観音境内に建立す」


60数年前、日本を守るために命をかけて戦い、日本から遠くはなれた場所で数多くの方々が亡くなられています。
観音様が建てられている場所は三河湾が一望できるとても美しい場所ですが、亡くなられた兵士の望まれた平和で美しい日本をいつまでも守っていかなければなりませんね。

戦没者の方々の関係者が高齢化していく中で、私たちの世代が次の世代に伝えていかなかなければなりません。
そして何より新しい慰霊碑を将来つくるような悲劇をおこさない努力を私たちがしていかなければならないなと感じました。
Posted at 2010/03/28 23:51:40 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記
2010年01月17日 イイね!

幸田町立郷土資料館(詳細その2)

では続きを。

郷土資料館に海上自衛隊の練習機があること自体、相当カオスですが、そのカオスぶりを特筆すべきものは火砲です。

50口径3インチ連装速射砲(?)(砲身のみ)

何の前触れもなく、突然現れてくる謎の砲身です。
かすかに「防衛庁 54××50口径3××××(×は判読不明)」とありました。
海上自衛隊の50口径3インチ砲だと思います。
こうしてベンチと比べてみると非常に長大なのがわかります。
このベンチは長さを比較するためにおいてあるのでしょうか?
(ベンチにこしかけて大砲の砲身みながらおにぎり食べるひとはそういないでしょうに・・・・笑)


砲身は2門展示(?)してありまして、そのうちの1門は本当に砲身のみです。
こちらがその砲身のみのほうで、基部側にはうっすらと「防衛庁 50口径3インチ砲」の刻印があります。
非常に厚肉ですね。
砲径3インチ=約76ミリですから、肉厚も70ミリ程度あるようにみえます。


こちらが砲口側。
中にライフリング(溝)がきってあります。
砲弾が発射されたときにこの溝で回転させて弾道を安定させるためのものでしょうか。
海上自衛隊の50口径3インチ速射砲は米国海軍の3インチ砲Mk33として供与されましたが、昭和32年より日本製鋼にてライセンス国産としたものを装備するようになりました。


50口径3インチ砲の尾栓部です。
装填は人力で行いますが、「連装速射砲」の通り、砲塔にはこの砲が2門設置されていました。
ここに展示されているのも2門ですが、同じ砲塔の砲身でしょうか?
最大射程距離は11700メートル、砲弾の重さは5.8kgだったそうです。
海上自衛隊はこの3インチ速射砲を護衛艦”やまぐも”型、”あやなみ”型、”みねぐも”型などに採用されていました。

105ミリ無反動砲
105ミリ軽りゅう弾砲

とにかくカオスな展示物の中で、珍品中の珍品がこれ。
105ミリ無反動砲(左)と105ミリ軽りゅう弾砲(右)です。
「106ミリ無反動砲」じゃありませんよ。
両方とも試作火砲です。
なぜこんな貴重なものがこんなところで野ざらしになってるのか非常に不思議です・・・・

105ミリ無反動砲ですが、展示看板によると60式106ミリ無反動砲と60式自走106ミリ無反動砲の基礎設計資料を得るために昭和31年に試作されたものなんだそうです。
「口径105mm、砲身重量115kg、射程1000m(有効射程のことかな?)、砲身長3.3m」とありますから、60式106ミリ無反動砲(実際の砲径は105mmのようです)とほぼ一致しますね。


105ミリ軽りゅう弾砲の操作部を横から。
こちらも試作の火砲です。
陸上自衛隊に配備されていた105ミリりゅう弾砲(M2A1/58式)とずいぶん形が違うのが判ります。



105ミリ軽りゅう弾砲の尾栓部です。
非常に簡素に見えるのは試作砲だからでしょうか?
展示看板によると、日本の地形を考慮して昭和32年度に研究設計して試作した火砲なんだそうです。
研究成果は74式戦車、74式自走105ミリりゅう弾砲、61式戦車、75式自走155ミリりゅう弾砲に反映さえているとありますから、火砲の基礎研究用でしょうか?

ちなみに緒言は「口径105mm、全長(走行姿勢)4.7m、射程8000m、全幅(走行姿勢)1.5m、火砲重量1230kg、全高(走行姿勢)1.1m、砲身長1.81m」とあります。
「走行姿勢」とは何を意味するんでしょう?
牽引砲ということを考えて、牽引時状態での姿勢を意味してるのでしょうか?
それにしても、展示状態はあまり良くはないですね。
白いのはもともとの塗装なのか、それとも下地なんでしょうか?


F-86F要撃戦闘機”旭光”

ミリタリー関連の展示物で、一番ポピュラーなのがこのF-86F要撃戦闘機ではないでしょうか。
それではじっくりみていきましょう。


機首にある12.7ミリ機関砲口です。
F-86戦闘機は12.7ミリ機関銃(74式戦車などの砲塔上部に設置されてるあの.50口径機関銃です)を左右に3門ずつ、計6門搭載しています。
やはりこの展示機は機関銃は外されていますね。
機関銃発射口の前の外板はステンレス板になっています。


F-86Fの1000lb増槽です。
投棄できる追加燃料タンクで、空中戦などで身軽にならなければならないときはこれを投棄することができます。
ちなみにこの増槽がぶらさがってる主翼の機体側に燃料タンクが設置されています。


こちらは右側の主翼先端に設置されたピトー管です。
残念ながら先端部が失われてしまっていますね。
ピトー管とは機体が飛んでいるときに、空気がこの中に入ることで機体の速度を測る為の管です。


機体右側胴体後部に設置されていた冷却用エアインテイクです。
エンジンを冷却するためのものでしょうか。


こちらは機体左側のエンジン排気口近くに設置されている燃料投棄口です。
高熱を発するエンジン排気口の近くにあるのは意外ですね(^^;


こちらはエンジン排気口からのぞいたところです。
さすがにエンジンはありません。
こうしてみると機体の配管などがよくわかります。
機首の空気取り入れ口からエンジン排気口まで本当に一直線なんですね。
左側に太いパイプが見えますが、上の燃料投棄口につながってるのがわかります。


コクピット部です。
・・・涙がまた出てきました。
キャノピーが曇っているのはまだしも、割れて穴があいてるのをプラ板でビス止めして補修してあります(涙)
さらにガンベイドア(機銃が収まっているところのドア)なんか誰かがこじあけたような跡まであります。
大切にしようよ・・・・
にしてもキャノピーを勝手にあけない様に南京錠がかかってるのはなんとも・・・(^^;


垂直尾翼です。
シャチホコが印象的な航空自衛隊第3航空団第8飛行隊のマークが描かれています。

以上、カオスな展示物の詳細でした(^^)

________________________________________________________________________________
幸田町立郷土資料館/展示物詳細1/展示物詳細2
Posted at 2010/01/17 22:38:43 | コメント(5) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記
2010年01月17日 イイね!

幸田町立郷土資料館(詳細その1)

先日(1/16)に幸田町立郷土資料館にあそびにいったのですが、展示物をじっくりみることができました。
以前(昨年8月)は始めてみる光景に驚いてあまりじっくり見ることが出来ませんでしたが(それに蜂や蛇なんかもいそうですしね)、あれから半年たって再び訪れましたが、あいかわらずのカオスぶりには驚きを隠せません(笑)


KM-2”こまどり”練習機

海上自衛隊のKM-2練習機です。
きっと目玉となる展示物がなかったので(本当は土器など珍品もたくさんあるんですよ)、防衛庁に強力をお願いしたんでしょう。
もちろん幸田とKM-2は何の関係もありません(笑)
とはいえ、自衛隊基地でもないのに、こうやって身近にKM-2の実機を見ることが出来るのは大変貴重なことですからありがたいですね。
ではみてみましょう。


まずは機首から。
コクピットの風防が・・・・(汗)
塗装も黄色ということでかなり退色もしていますね。
KM-2はT-34メンター型練習機をベースにしてエンジンを強化し、コクピットを並列複座にして海上自衛隊向けにしたものです。
航空自衛隊の練習機は前後に訓練生と教官が乗り込んで飛行訓練を行いますが、海上自衛隊は大型の対潜哨戒機を多数運用しているため、それにあわせて左右に訓練生と教官が乗り込む形になります。


暗くてわかりにくいですが、エンジン部です。
エンジンの状態は・・・・死んでますね、完全に。
KM-2はライカミング1GSO-480-A1F6という出力340馬力のエンジンを使っています。
T-34AがコンチネンタルO-470-13という出力225馬力のエンジンでしたからかなりの強化になったようです。
ちなみにこのKM-2から航空自衛隊のT-3練習機が生まれました。


主翼基部です。
黒い部分は滑り止めになっています。


ちょっと涙が出てきました・・・・
翼端灯ですが、こんなところに透明の板がついていたんですね。
これは気がつきませんでした。


・・・泣いていいですか?
後部の窓は割れていますので、きっと雨なんかも進入してきてキャビンはかなり悲しいことになっていることでしょう。
満身創痍の状態ではありますが、今日も幸田の町を見守っています。

KM-2はもともと前後に2人乗りだったT-34Aを並列にしたので、合計4名が乗ることが出来ます。
キャビンの後ろに黒いドーム状のものがありますが、航法用の機器でしょうか?
この展示機は垂直尾翼に「201」「6247」とあります。
海上自衛隊の第201教育航空隊(小月基地)に配備されていた生産47号機になります。
KM-2は1962年から導入されて1980年までに62機が導入、1997年まで海上自衛隊のパイロットを育てる任務に就いていました。


H-13H”ひばり”練習ヘリコプタ
既に悲しくなってくる感もありますが・・・・

こちらは陸上自衛隊の練習ヘリコプタH-13Hです。
なぜか建物(といっても屋根があって周囲を金網ではって入れなくしてるだけですが)におかれています。
非常に特徴のあるバブルキャノピーですが、ぶあつく埃をかぶっていますね・・・


・・・だけど涙がでちゃう。
男の子だもん。(号泣)
機体左側のドアが大きく割れて穴が開いています。
それにしても非常にシンプルな機体ですね。
操縦席のほかは燃料タンクとエンジン、それとトランスミッションしかありません。
しかも外板どころか鋼管溶接のフレームしかありません。
それだけに整備性や生産性もよかったんでしょうね。


機体後部です。
外板がないので、国籍マークの日の丸も鉄板でとめてありますよ(^^;
本当にシンプルな機体ですね。
日の丸の後ろに箱がありますが、バッテリなんでしょうか?

________________________________________________________________________________
幸田町立郷土資料館/展示物詳細1/展示物詳細2
Posted at 2010/01/17 21:28:50 | コメント(3) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記

プロフィール

「commもそうですが、「LINE 個人情報」「LINE 危険性」でぐぐって、それでもokと判断できるなら使ってもいいかも。私はちょ~っと躊躇して未だに使ってませんけど。」
何シテル?   04/11 00:38
こんにちは。 アンチコと申します。 車はレガシィTWに乗ってます。 やっぱトランスフォーマーG1といえば「ロボット殺虫剤だって?」のあの人だよね~ ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/6 >>

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

リンク・クリップ

浜松広報館戦闘機地上展示(1月22日) 
カテゴリ:ミリタリーイベント(みんから内)
2011/01/24 23:10:56
 
救命ボート体験渡河 
カテゴリ:ミリタリーイベント(みんから内)
2010/10/16 22:53:58
 
美ら島旅行(8月8日~11日) 
カテゴリ:旅行など(みんから内)
2010/08/14 18:30:15
 

愛車一覧

スバル レガシィ スバル レガシィ
今の愛車です。 2005年6月に転職したのですが、配属2日目に先代(スカイライン25GT ...
日産 スカイライン 日産 スカイライン
インテグラZXの次の愛車です。 インテは素晴らしい車でしたがさすがに車体が古く、A/T車 ...
ホンダ インテグラ ホンダ インテグラ
免許を取って初めて乗った車です。 私は正直言って車に全く興味がなかったのですが、私を車好 ...
その他 その他 その他 その他
愛車じゃないんですが(^^; 航空祭で撮った写真専用の写真ページにしちゃいました。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation