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2013年01月08日 イイね!

Empire of the Sun 2 「太陽の帝国」 インド洋作戦・珊瑚海海戦

Empire of the Sun 2 「太陽の帝国」 インド洋作戦・珊瑚海海戦 真珠湾攻撃・マレー作戦・蘭印作戦 の続き。

1942年1月20日 帝國海軍連合艦隊 第一航空艦隊 南雲機動部隊が、南太平洋 ニューブリテン島 ラバウルを空襲制圧、水上機部隊の進出に続き、内地と台湾から戦闘機と陸攻も逐次到着しラバウル航空隊基地はソロモン、東ニューギニア方面への航空攻撃の拠点となる。

1月25日 帝國陸海軍は南太平洋のニューカレドニア・フィジー・サモア諸島の攻略によりオーストラリアをアメリカの勢力圏から遮断孤立させる米豪遮断作戦「FS作戦」の一環としてソロモン諸島のツラギ島を占領しニューギニア島南東岸に位置し連合国軍の拠点であるポートモレスビーの奇襲攻略「MO作戦」を決定する。


ダーウィン空襲

日本軍の蘭領東インド諸島占領に対抗する連合国軍の各基地を使用不能にするべく帝國海軍は、北部オーストラリア・ダーウィンへの航空攻撃を開始した。

2月19日 第一航空艦隊 の「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」空母4隻は豪州北西のチモール海洋上から艦載機 九九艦爆、九七艦攻、零式艦戦 計188機からなる攻撃隊を発進させ、オーストラリア北部ダーウィンの港湾施設に甚大な被害を与え米豪艦船9隻を撃沈する。

セレベス島 ケンダリーに進出した高雄海軍航空隊がチモール島経由で一式陸攻54機により豪州空軍ダーウィン基地に更なる被害を与え軍用機20機を撃破した。



インド洋作戦・セイロン沖海戦

1942年3月26日 日本の石油資源供給地になった東南アジアから英海軍東洋艦隊の脅威を排除、北アフリカで苦戦する同盟国ドイツ・イタリアの後方支援に日本海軍はインド洋作戦を開始する。

本作戦は先のマレー・スラバヤ・バタビア沖海戦で日本海軍に連敗し大西洋から増援を受け戦力を回復しつつある英海軍東洋艦隊のセイロン島 コロンボとトリンコマリーの基地を南雲空母機動部隊をインド洋に転用して艦載機で空襲する作戦である。


第一航空艦隊はインドネシアのセレベス島の南東岸スターリング湾を出港、オンバイ海峡を通過しジャワ島の南方よりインド洋に入った。

しかし英軍は事前に日本軍の通信を傍受し暗号を解読、日本海軍のセイロン島攻撃を事前に察知してた英東洋艦隊の主力はアッドゥ環礁に待避していた為に難を逃れコロンボへの空襲では飛行場と港湾基地施設は破壊できたものの第一目的の英海軍艦艇に対する戦果は港内に残存していた駆逐艦「テネドス」と仮装巡洋艦「ヘクター」の2隻撃沈に終った。


インド洋上の旗艦「赤城」右舷後方「蒼龍」「飛龍」「比叡」「霧島」「榛名」「金剛」「瑞鶴」「翔鶴」

4月5日 改装工事中に急遽出港しコロンボで向かう重巡洋艦「ドーセットシャー」と輸送船団護衛の任務を控えた重巡洋艦「コーンウォール」は南雲機動部隊に発見され「蒼龍」所属 江草隆繁少佐が率いる爆撃機隊の急降下爆撃で撃沈された。


英海軍東洋艦隊 重巡洋艦「ドーセットシャー」     同型重巡洋艦「コーンウォール」

4月9日 南雲機動部隊は艦攻91機・戦闘機30機でセイロン島北東部トリンコマリーを空襲。

機動部隊が二次攻撃の艦爆85機・零戦6機の発艦準備中に索敵に出ていた戦艦「榛名」の水偵から「敵空母一、駆逐艦一、南下中」の報告を受ける。

これは5月に連合国軍が予定しているマダガスカル島攻撃準備にトリンコマリー軍港に向かっていた英海軍軽空母「ハーミーズ」と豪駆逐艦「ヴァンパイア」だった。

英海軍東洋艦隊 空母「ハーミーズ」          豪海軍 駆逐艦「ヴァンパイア」

第二航空戦隊 山口少将は「蒼龍」から「直チニ攻撃隊発進ノ要アリト認ム」と信号を旗艦「赤城」へ送るも、南雲中将は認めず第二次攻撃を用意していた艦爆隊67機に兵装変更して出撃する。


この時、英海軍も南雲機動部隊の位置を察知、英空軍のウェリントン爆撃機9機が「赤城」に対して編隊爆撃を行う。

「赤城」は対空防御砲火と直掩の零戦が爆撃機5機を撃墜、投下された爆弾は挟叉したが、運良く一発も命中しなかった。

この間、南雲機動部隊の空母にはトリンコマリー攻撃から第一次攻撃隊が帰還しており、英空母の攻撃に向かうべく収容した攻撃機に補給し魚雷を積む最中で英空軍爆撃機の接近に全く気付いていなかった。

出撃した艦爆隊は逃走する英軽空母「ハーミーズ」と豪駆逐艦「ヴァンパイア」を発見して撃沈させた他、退避中のタンカー2隻と哨戒艇「ホリホック」を急降下爆撃で撃沈した。



海戦の結果 

英海軍の損害 軽空母1隻撃沈 重巡2隻撃沈 仮装巡1隻撃沈 駆逐艦2隻撃沈 

油槽船2隻撃沈 哨戒艇1隻撃沈 航空基地及び航空機 喪失約50機 港湾施設破壊 


日本海軍機動部隊は艦艇損害無し 零式艦戦4機 九九式艦爆10機 九七式艦攻2機 喪失。

帝國海軍の完勝だったが当初の目的である英海軍東洋艦隊を撃滅できなかったが、駆逐したことにより英海軍の艦載機や水上艦艇よる攻撃は排除されインド洋を制圧した。

本作戦終了後、機動部隊は内地に帰還し、第五航空戦隊は珊瑚海の作戦に派遣する。



空母「瑞鶴」を発艦する愛知 九九式艦上爆撃機


当時、急降下爆撃の成功率は熟練搭乗員でも25%前後とされていたが。

軽空母「ハーミーズ」への急降下爆撃は45機が投弾して命中弾37発、命中率82%

重巡「ドーセットーシャー」と「コンウォール」の2隻に対する命中率は87%に及ぶ。

この正確無比な爆撃は名手 江草隆繁少佐を初めとする日本海軍パイロットの高い技術と九九式艦上爆撃機の優秀さを証明し後に太平洋戦争中に行われた最良の航空攻撃と評価された。


しかし、その反面、この海戦で日本海軍にも多くの問題点が露呈した。

1.暗号電文が傍受、解読されていた。

2.情報収集・偵察・索敵の不徹底で東洋艦隊を捕捉できなかった。

3.敵空母を発見した際、陸上と艦船用の兵装転換を行い迅速な攻撃を行わなかった。

4・敵爆撃機の接近に気づかず攻撃された。 

帝國海軍はこれらの教訓を生かせず、ミッドウェー海戦でも同じ過ちを繰り返す事になる。




珊瑚海海戦

本海戦は史上初めての空母機動部隊同士による戦闘であり、互いの艦艇母艦を視界外に艦載機を主力として戦った航空海戦である。

1942年2月24日 ラバウル海軍航空隊がニューギニア島南東岸ポートモレスビーの連合軍基地への航空攻撃を開始する。

4月25日 帝國海軍はポートモレスビー奇襲攻略にインド洋作戦から内地に帰投中の第一航空艦隊 原忠一少将揮下 第五航空戦隊を「MO作戦」の援護航空支援に井上成美中将の第四艦隊に編入、空母「翔鶴」「瑞鶴」がトラック島泊地に到着する。


 第五航空戦隊 空母「翔鶴」


米艦載機の空襲

5月3日 ラバウルから直線距離 1,020km離れたガダルカナル島 ルンガ泊地北東対岸に位置するフロリダ島南端の小島ツラギに第十九戦隊が上陸し水上機基地を設営した。

5月4日 暗号解読により日本海軍の行動を察知した米海軍は珊瑚海にフレッチャー少将指揮下の第17任務部隊 空母「レキシントン」を派遣、日本軍が上陸占領して間もないツラギ島を攻撃。

「レキシントン」攻撃隊は駆逐艦「菊月」と掃海艇3隻を撃沈、敷設艦「沖島」 と駆逐艦「夕月」を小破させて南へ退避した。

5月5日 第17任務部隊は空母「ヨークタウン」と合流、給油艦「ネオショー」から燃料補給中に索敵哨戒中の九七式飛行艇に発見された為、日没後に北西に転舵する。

フレッチャー少将は補給を終えた空母部隊から 給油艦「ネオショー」と 駆逐艦「シムス」を分離して次の給油点に向かわせた。


 第17任務部隊 空母「レキシントン」

5月6日 ツラギ島上陸を支援した軽空母「祥鳳」 第六戦隊 重巡洋艦「青葉」「衣笠」「加古」「古鷹」 駆逐艦「漣」の6隻と共に米空母の追撃にショートランド島から出港する。

零式三座水偵を収容する重巡「青葉」

「翔鶴」「瑞鶴」第五航空戦隊に索敵哨戒中の九七式飛行艇から「敵空母発見」と入電。

この通報を受けて戦隊は南下するも、索敵の不備から米空母機動部隊まで目と鼻の先70海里

飛行時間約20分まで接近したが、20:00時に北西に反転、先制攻撃の機会を失う。


誤認、給油艦を攻撃

5月7日 07:30 「翔鶴」の偵察機が米空母、油槽艦、重巡洋艦発見を報告。

これを受け直ちに「瑞鶴」「翔鶴」から計78機の攻撃隊が発進したが、偵察機からの報告はタンカーと空母を見間違えた誤報で実体は次の給油点に向う給油艦「ネオショー」と駆逐艦「シムス」だった。

誤報に気付いた攻撃隊は九九式艦上爆撃機36機のみで急降下爆撃を行い両艦を撃沈した。



「祥鳳」撃沈

同じ頃、ヨークタウンは索敵機から「北西に日本の機動部隊あり」の報告を受ける。

09:25 「レキシントン」「ヨークタウン」は92機の攻撃隊を発進させ北西に向かう。

11:00 レキシントン攻撃隊が軽空母「祥鳳」と「青葉」重巡4隻・駆逐艦「漣」からなるMO攻略部隊を発見して攻撃を開始した。

直掩に上がっていた九六艦戦3機がドーントレス1機を撃墜し側近の重巡も必死で防戦するも28機のレキシントン攻撃隊は他には目もくれず軽空母「祥鳳」一隻に殺到した。

激しい空襲中に急降下爆撃を全て操艦で回避しながら「祥鳳」は零戦3機を発艦させる。

 第六戦隊 軽空母「祥鳳」

11:20 雷撃機と爆撃機から同時攻撃を受け、魚雷もしくは爆弾の命中で操舵装置が故障した為に「祥鳳」は全く回避行動を執れなくなった。

11:31 伊沢石之介 艦長は「総員上甲板」の命令を下したが多くの兵員は持ち場を守る。

11:35 「祥鳳」は群がる敵機に囲まれ、爆弾13発と魚雷7本が命中、黒煙と炎に包まれ艦首から沈み始め、艦尾を海面から突き出しスクリューを回転させながら沈没した。

帰る母艦を失った直掩戦闘機の内3機はデボイネ基地に着陸、3機は消息不明になる。


「祥鳳」は太平洋戦争において戦闘で日本海軍が初めて喪失した航空母艦になった。



薄暮攻撃

第五航空戦隊は給油艦を沈めた第一次攻撃隊を収容、「青葉」の水偵より米機動部隊が北西方向への航行をやめ反転し、距離が縮まったという情報が入電した。



敵空母が攻撃圏に入る頃は薄暮攻撃となる為、攻撃隊は夜間着艦可能な熟練者のみを選抜。

16:15 日没前、「瑞鶴」「翔鶴」から 九七式艦攻15機と九九式艦爆12機の計27機が護衛戦闘機を伴わず発進する。


一方、米機動部隊の周辺海域は荒天だったが米艦レーダーは接近する航空機群を探知した。

「レキシントン」「ヨークタウン」から20機のF4Fワイルドキャット戦闘機隊が発艦、 25海里まで接近した薄暮攻撃隊の迎撃に向かう。

18:10 800kgの魚雷を搭載した九七艦攻隊は約10分間の戦闘で2機のF4Fを撃墜、8機を喪失しながら四散、空戦で損害を免れた九九艦爆隊も日没後に爆弾を海上投棄し帰投を決める。

この約40分後、九九艦爆隊は暗闇の中に空母2隻を発見し高度を下げ着艦体勢に入った。

肉眼でハッキリ視認出来る距離まで近付き初めて日米双方が互いの正体に気付き慌てる。

「瑞鶴」「翔鶴」の艦爆隊が着艦しようとしたのは敵の空母「ヨークタウン」であった。

この時「ヨークタウン」上空には九九艦爆隊の他に米戦闘機隊も着艦の為に待機していた。

既に爆弾を投棄していた艦爆隊は退避するのが精一杯で、これ気付いた米艦の対空砲火で1機が撃墜されたが、艦爆隊は敵戦闘機の追撃を振り切って母艦に帰投する。

GPSなどの電波測位航法・敵味方識別信号装置や誘導技術が現在ほど発達していなかった当時は上記の様な事がしばしば起っていた。

この日も珊瑚海でオーストラリアの基地から飛来したB-17爆撃機が重巡洋艦「シカゴ」など6隻からなる味方の別動艦隊を誤爆している。


薄暮攻撃は失敗し、艦爆12機中1機、艦攻15機中8機を喪失、他にも被弾機を出した。

珊瑚海の残存戦力。

第五航空戦隊「瑞鶴」「翔鶴」を合わせ零戦37機 艦爆33機 艦攻26機の計96機。

「ヨークタウン」「レキシントン」は艦戦31機 艦爆66機 艦攻21機の計118機。

「祥鳳」も撃沈され、日米の航空戦力比は逆転してしまう。



日米空母機動部隊対決



5月8日 08:25 「翔鶴」から出ていた索敵機が米機動部隊を発見、同時に「レキシントン」の索敵機が日本機動部隊を発見する。

08:48 「ヨークタウン」「レキシントン」から爆撃・雷撃73機の攻撃隊が発艦開始。

09:30 米機動部隊と寒冷前線を挟み 「瑞鶴」「翔鶴」から零戦18・艦爆33・艦攻18計69機の攻撃隊が発艦、続いて零戦19機が直掩に上がり上空で米攻撃隊を待ち受けるも高性能レーダーが無い日本の機動部隊は前日の米空母の様に敵機を早期発見して的確な迎撃が出来ない。

日米の攻撃隊は途中で遭遇したが、それぞれ敵母艦を叩く為に互いに無視して直進した。



米攻撃隊の空襲

10:30 ヨークタウン攻撃隊が「瑞鶴」「翔鶴」を発見、爆撃隊と雷撃隊が戦列を整える間に「瑞鶴」がスコールの下に入った為、攻撃隊は8km後方の「翔鶴」に狙いを定める。


第17任務部隊 空母「ヨークタウン」

11:00 直掩戦闘機隊の迎撃を振り切り「翔鶴」に急降下爆撃を行うも命中弾はなかった。

第一波のヨークタウン攻撃中隊は零戦に叩かれ全機が被弾して1機が海面に不時着する。

第二波の攻撃中隊は岩本徹三一飛曹の瑞鶴戦闘機隊3機と翔鶴戦闘機隊5機に襲われF4F 6機との混戦から抜け出した機が急降下で450kg爆弾2発を「翔鶴」に命中させた。

「翔鶴」はエレベーターと飛行甲板が破壊され「翔鶴」は艦載機運用が不可能となり艦首前甲板左舷に命中した1発はガソリン庫に引火、激しく炎上し黒煙が「翔鶴」を包み込んだ。

その2分後に雷撃隊9機が「翔鶴」に接近、零戦2機が妨害、距離 2000mで魚雷9本を投下したが魚雷は全て操艦で回避した。

悪天候で半数以上が引返したレキシントン攻撃隊の21機が傷付いた「翔鶴」を発見する。

45分遅れた急降下爆撃は完全奇襲となり、艦橋後方に1発が命中し格納庫で火災が発生。

続いて雷撃隊とF4F戦闘機4機が「翔鶴」に接近、零戦隊の迎撃によりF4F 3機が撃墜され雷撃の被害はなく沈没こそしなかったが3発の爆弾が命中した飛行甲板は完全に使用不能となり米空母の攻撃を終えて帰還した「翔鶴」の艦載機は「瑞鶴」に降りる事になった。

また早く飛行甲板を空ける為に修理可能な損傷機をも海中投棄せざるをえなくなり、生還しながらも失われた機体が増加した。

満身創痍、戦闘力を失った空母「翔鶴」は護衛の重巡「加古」「古鷹」 駆逐艦「潮」「夕暮」に付添われ北上して海域を離脱する。



日本攻撃隊の空襲

米空母機動部隊を発見した翔鶴の索敵機 菅野兼三飛曹長の九七艦攻は帰投中に攻撃隊と合流、増装タンクを装備してない同機は燃料切れを覚悟で確実に米空母まで攻撃隊を誘導して未帰還となった。

11:05 「ヨークタウン」「レキシントン」を視認した攻撃隊は目標を定め突入開始。

接近する攻撃隊をレーダーで探知していた米機動部隊上空には F4F戦闘機8機、飛行甲板上には9機が待機、SBDドーントレス16機を雷撃の阻止に海面付近へ配備していた。

勇猛果敢に突入する九七艦攻はドーントレス隊の手には負えず、頭上を200kt以上の高速で通過するのを見送り F4F戦闘機隊に任せるしかなかった。


第五航空戦隊 空母「瑞鶴」

最初に瑞鶴雷撃隊8機が「ヨークタウン」を狙うもF4Fの迎撃と対空砲火で九七艦攻 4機を撃墜され投下した魚雷4本も全て回避される。

残存の瑞鶴雷撃隊は目標を「レキシントン」変更、翔鶴雷撃隊10機と合流して攻撃。

対空砲火で2機が撃墜されながら被弾炎上した1機が一番砲塔に体当たりし投下した九一式航空魚雷2本が「レキシントン」の左舷に命中、ボイラー室が浸水し使用不能となり速力が25ktに低下し艦は左に7度傾斜する。

雷撃隊の阻止に失敗したドーントレス隊は零戦隊と交戦、ドーントレス 4機が撃墜された。

11:18 続いて翔鶴艦爆隊19機が「レキシントン」を攻撃。

F4F戦闘機隊は翔鶴の零戦隊に阻まれ九九艦爆隊の急降下爆撃阻止に失敗、12分間の激しい戦闘で魚雷2本と 250kg爆弾2発が命中するも浸水を食い止め火災を鎮圧する。


しかし被雷によって漏れ出したガソリンに引火爆発、5インチ砲弾弾薬庫が誘爆を起こして航行不能となり放棄、総員退艦後に空母「レキシントン」は駆逐艦「フェルプス」に拠って雷撃処分された。


同時に瑞鶴攻撃隊の九九艦爆14機と九七艦攻3機が「ヨークタウン」を攻撃していた。

「ヨークタウン」艦首至近の海面で1機が自爆、至近弾3発が船体接合部を緩め燃料が漏出し、命中した250kg 爆弾が飛行甲板を貫通して第4甲板で爆発した。

ボイラー3室が損傷するも応急措置により速力24kt が発揮可能となった「ヨークタウン」は戦闘海域を離脱、乾ドックでの本格的修理の為に真珠湾へ向かった。


海戦の結果 

米海軍の損失
空母「レキシントン」撃沈 空母「ヨークタウン」中破 艦載機66機喪失 

給油艦「ネオショー」撃沈 駆逐艦「シムス」撃沈 PBYカタリナ飛行艇 数機喪失


日本海軍の損失
軽空母「祥鳳」撃沈 空母「翔鶴」大破 艦載機81機喪失 

ツラギ空襲 駆逐艦「菊月」撃沈 掃海艇3隻撃沈 九七式飛行艇 数機喪失


第四艦隊司令官 井上中将はポートモレスビー攻略を中止、米第17任務部隊も戦力を消耗し海域を離脱、珊瑚海へ向かっていた増援部隊の空母「エンタープライズ」「ホーネット」の第16任務部隊にも退避命令が下され、米海軍にはポートモレスビー攻略を防げなかった。

しかし判断ミスにより攻略の機会を逃した日本海軍はラバウル基地を常にポートモレスビーからの空襲に曝される事になり、編成、補給などラバウル航空隊の足枷となった。

また日本陸軍は進撃困難な陸路からのポートモレスビー攻略作戦を強行し、投入された南海支隊は海から補給を受ける事も出来ず、連合軍の大規模な反撃により事実上壊滅する。

本海戦は真珠湾攻撃以来、連戦連勝の日本海軍が初めて途中で中止した作戦となった。


珊瑚海海戦 Battle of the Coral Sea








正月の間はジッと冬眠、本日より通常 Duty 開始。

休み最終日はTVで 山本五十六 をやっていたので見た。


映画 『聯合艦隊司令長官 山本五十六 -太平洋戦争70年目の真実』



を見て、これまで様々な「山本五十六」を読み観てきた私的な感想を書く。


「戦はやってみなければ判らん。」

本作では永野修身 軍令部総長は日米開戦に導いた戦争屋、帝國海軍一愚かで悪い奴。

南雲忠一 中将は永野軍令部総長と密会する永野の手下で頑固で融通の効かない親爺。

草鹿龍之介 第1航空艦隊参謀長を(架空)にして判断ミスりまくる無責任なバカ参謀。

宇垣纏 聯合艦隊参謀長は全く存在感なし。

黒島亀人 聯合艦隊先任参謀は変人ではなく好青年。

香川照之の東京日報主幹(架空)は戦前戦後、国民を扇動し焚付けてきたアサヒの事か。

山口多聞 第二航空戦隊司令官、個人的に好きな武人が良く描かれていて悪い気はしない。

だが阿部ちゃん・・・男前過ぎ、ミッドウェイは悔し過ぎる。

山本五十六 聯合艦隊司令長官は、めちゃくちゃ良い日本の上司であり良い父、良き夫。

将棋、博打、甘物好き、旧長岡藩士、日露の時の指のケガなど詰込んでいるが愛人は?

渡辺や三和の作戦参謀を吉田栄作にしたのは二時間位じゃ全部を描けないからだろう。

歴代の「山本五十六」を描いた作品中では最も山本五十六の人柄を描いていると思うが

自分がこれまで読んで聞いてきた博徒 山本五十六像とは少し違う。

政治家、外交官、会社の上司としては見識が広く、部下想いでとても気さくな良い人だ。

山本長官は米国駐在武官でハーバード大学留学、帰国後に海軍航空本部技術部長に就き、自からも航空機の操縦を学んだ航空主兵論者。

では国際感覚に富み先見の明を持つ山本は戦略家、武人としてはどうだったのか。

マレー・蘭印・インド洋作戦・珊瑚海は省略され山本の判断心境が抜けているのが残念。



「日本の侍は夜討を掛ける時でも、せめて枕を蹴って相手を起してから斬るものだ。」

「泥棒だって帰り道は怖いよ。」映画中の言葉で実際の発言したかは不明である。

気にしていた最後通牒の通達遅れで侍が泥棒になった山本の気持ちを表している。


真珠湾とミッドウェイは博打。

米太平洋艦隊に大打撃を与え米国の戦意を喪失せしめ早期に講和に持込む。

米国の国力を知り三国同盟に反対した博徒山本は大博打を打つ他になかったのだろう。


山本は「茶漬けは熱いうちが美味いぞ。」と南雲の心中すすり泣きを慮るように勧めた。

南雲が泣きながら茶漬け食わなかったら・・・

最後まで南雲中将は悪者だな、年功序列人事、帝國海軍の悪しき習慣の塊りか。

南雲は航空戦の指揮判断を源田や草鹿に任せていた。

戦力温存、慎重な水雷屋の南雲にも良い所も使命感もあったと思うが・・・

真珠湾、ミッドウェイは作戦の主旨や情勢から、山口少将の判断が正しいと自分は思う。

泣きながら茶漬けを食わない、永野軍令部総長は最後まで悪者で終る。



70年目の真実と題するなら、架空の登場人物は不要、実在する人物で構成した方が良い。

艦艇、航空機、戦闘シーンは、これまでの日本映画のようなプラモデルチックさはない。

リアリティ優先に撮られいるだけに惜しい作品。



「太陽の帝国」 遣日独潜水艦・海軍技術士官に続く。


日本の近代史・戦史を書いたブログ

Empire of the Sun 1   「太陽の帝国」その1   真珠湾攻撃・マレー・蘭印作戦

Empire of the Sun 2   「太陽の帝国」その2   インド洋作戦・珊瑚海海戦

Empire of the Sun 3   「太陽の帝国」その3   遣日独潜水艦・海軍技術士官

Empire of the Sun 4   「太陽の帝国」その4   ミッドウェ-海戦

Empire of the Sun 5   「太陽の帝国」その5   聯合艦隊旗艦

Empire of the Sun 6   「太陽の帝国」その6   大和出撃

Empire of the Sun 7   「太陽の帝国」その7   マリアナ諸島 テニアンの戦い

Empire of the Sun 8   「太陽の帝国」その8   大日本帝國

Empire of the Sun 9   「太陽の帝国」その9   運命の瞬間

Empire of the Sun 10   「太陽の帝国」その10  満州事変

Empire of the Sun 11   「太陽の帝国」その11  上海事変

Empire of the Sun 12   「太陽の帝国」その12  兵に告ぐ 二・二六事件

Posted at 2013/01/08 21:38:48 | コメント(2) | トラックバック(0) | 太陽の帝国 | 日記
2012年12月08日 イイね!

Empire of the Sun 1 「太陽の帝国」 真珠湾攻撃・マレー・蘭印作戦

Empire of the Sun 1 「太陽の帝国」 真珠湾攻撃・マレー・蘭印作戦12月2日17:00 発 聯合艦隊司令長官 宛 機動部隊指揮官 

本文 「ニイタカヤマノボレ 一二〇八」

開戦は 十二月八日 と決定された。

71年前の今日、1941年(昭和16年) 12月8日 未明。
ハワイ時間 12月7日 大日本帝國海軍は初戦に総力を掛けるべく空母機動部隊の艦載機と潜水艇の奇襲攻撃により米太平洋艦隊の真珠湾基地と在泊艦艇を徹底的に叩き、太平洋での機動力を奪う事で米国の戦力・戦意を削ぎ早期和平講和に持込もうとした。


真珠湾攻撃 「ハワイ作戦」

海軍大将 山本五十六 司令長官率いる帝國海軍聯合艦隊が真珠湾奇襲攻撃を成功させる為には、必ず解決しなければならない課題があった。

第一は、航空雷撃の可否。
当時の航空魚雷は攻撃機から投下着水後、平均数値10m以上沈下、航走しながら調停深度まで浮上するものであり、平均水深12mの真珠湾では、投下した魚雷は海底に突き刺さり使えないが、日本海軍は九一式航空魚雷を改良し浅海面での航空雷撃を可能にした。

第二に、戦艦の厚装甲に対する貫通力。
攻撃機の高度に拠り運動量を賄う水平爆撃の実験を行い、模擬標的の装甲には戦艦採用の鋼板を用いて貫通させる為に運動量を計測して訓練を実施する。

第三は、艦隊の航続距離の問題。 
戦艦や巡洋艦に比べ同伴護衛する駆逐艦や旧型空母は足が短く、当時、日本から真珠湾まで片道3500海里を往復可能な艦艇は皆無であった。 

この為、7隻の油漕船を同航させ荒天が続く冬の北太平洋で洋上補給を実施、給油の失敗に備え空母の格納庫に重油入ドラム缶を大量に積載した。

また大規模な艦隊を察知されず隠密理に出撃させる為に集結港は択捉島 単冠湾に決定する。

11月26日 南雲忠一中将揮下 第一航空艦隊 旗艦「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」「翔鶴」「瑞鶴」 空母6隻 3航空戦隊 艦載機399機(九九艦爆135機、九七艦攻144機、零式艦戦120機) 
戦艦「比叡」「霧島」2隻 巡洋艦「利根」「筑摩」「阿武隈」3隻 駆逐艦9隻 油槽船7隻からなる空母機動部隊は単冠湾を出港。

艦隊は商船、漁船に遭遇し発見通報を避けて荒れる北方航路を進み航海中は船舶の監視を徹底、完全無線封止、夜間は灯火管制し衝突の危険を回避しながらハワイへ向かった。


冬の北太平洋での洋上補給。
自分は昔、アリューシャンで本船舷側と相手船との間に大型フェンダーを入れて洋上荷役を経験したことがあり、真冬ではなかったが非常に危険だったことを今でも忘れられない。 

また低気圧により発生する三角波は例え装甲が厚い艦艇でも破壊する力がある。


12月8日  現地時間 7日(日曜日)早朝 04:50
第一波攻撃隊の零戦43機、九九艦爆51機、九七艦攻89機が各空母より発艦を開始。

02:45 第二波攻撃隊の零戦36機、九九艦爆81機、九七艦攻54機が機動部隊を発進。



真珠湾上空に、敵戦闘機の姿無し、対空砲火の抵抗無し。  

飛行隊長は攻撃隊に発信、「トトトトトトト」連打 全軍突撃セヨ





「トラ・トラ・トラ」  ワレ奇襲ニ成功セリ


攻撃隊総指揮官兼、空母「赤城」飛行隊長 淵田美津雄中佐 率いる攻撃隊の奇襲は成功し、攻撃目標を艦船に集中した第一次一波、二波の攻撃は米太平洋艦隊に多大な損害を与える。

しかし湾内の修理施設や備蓄施設は手付かずであり、作戦立案時より燃料タンクや修理施設への攻撃を主張していた第二航空戦隊司令官 山口多聞少将は港湾施設の壊滅と米空母を探索し撃破すべく第2次攻撃を催促するように第二航空戦隊旗艦空母「蒼龍」から「第二撃準備完了」の信号を旗艦「赤城」に送り続け、また航空参謀 源田 実中佐も敵空母撃滅を進言したが南雲中将の回答は「第二波攻撃隊ヲ収容シ 針路反転帰途ニツケ」であった。

これにより真珠湾攻撃を終了、空母機動部隊全艦は北北西に変針し日本への帰路についた。


12月16日 艦隊司令部の命により、山口多聞少将揮下の第二航空戦隊 空母「飛龍」「蒼龍」 重巡「利根」「筑摩」及び駆逐艦「谷風」「浦風」が苦戦するウェーク島攻略支援に向かい抵抗する米海兵基地守備隊を航空攻撃した。


真珠湾攻撃の戦果

米海軍の損害は「ネバダ」をはじめ、戦艦5隻沈没 3隻中破 巡洋艦3隻中破 駆逐艦2隻沈没 標的艦1隻沈没 航空機188破壊 155損傷の他、陸上航空基地、および一部港湾設備を破壊。

これに対し日本海軍の損害は艦載機 未帰還29機 別働隊の伊号潜水艦5隻に搭載し真珠湾に潜入した特殊潜航艇 甲標的 5隻未帰還 虎の子の空母機動部隊は全艦無傷で帰投した。

日本海軍機動部隊の真珠湾奇襲攻撃は成功し戦果を上げたが、米太平洋艦隊の主力部隊であるハルゼ―中将揮下の空母「エンタープライズ」は開戦に備えてウェーク島基地への戦闘機輸送任務からの帰投が遅れ、もう一隻の空母「レキシントン」も、ミッドウェイ島基地への輸送任務に当っており偶然にも真珠湾に在泊していなかった為、日本海軍は最も重要な目標であった太平洋に配備されている2隻の空母を討ち漏らしてしまった。
(開戦時「サラトガ」はサンディエゴ海軍基地で整備中、他の空母は大西洋に配備。) 

そして、この2隻の米空母、燃料タンクと修理施設が後の海戦にも響く事になる。

大戦初期の短期戦術的に大成功した真珠湾攻撃は長期戦略的には失敗であった。




馬来作戦

12月8日 真珠湾攻撃に先立つこと1時間20分、山下奉文中将揮下 帝國陸軍 第25軍 第18師団 歩兵第56連隊が海岸線で英印軍第8旅団の激しい抵抗を受けながらマレー半島北部 コタバルに強襲上陸、同半島を縦断して南端に位置する英印豪軍支配下のシンガポール要塞攻略を目指してマレー作戦を開始する。

同日、英領香港攻略に酒井隆中将揮下の陸軍 第23軍が九龍北方本土側より攻撃を開始した。



マレー沖海戦

帝國海軍航空戦隊は連合軍との初戦に於いて、マレー沖で英国海軍 東洋艦隊と交戦する。

新鋭戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」    巡洋戦艦「レパルス」

12月8日20:00 英国東洋艦隊は日本軍輸送船団に向かいシンガポールを出港していた。

10日 11:45 サイゴンの基地から索敵に出ていた 96式陸攻が英艦隊を発見する。

12:45 「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」に対し、美幌航空隊と元山航空隊の96式陸攻が水平爆撃と雷撃、続いて到着した鹿屋航空隊の一式陸攻隊が攻撃を開始。

14:20 巡洋戦艦「レパルス」爆弾1発、魚雷5本が命中沈没。

14:40 戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」爆弾1発、魚雷6本が命中沈没。

日英攻守共に援護戦闘機が無い状況下の航空雷撃戦だったが海戦は攻撃開始より僅か2時間で決着した。

開戦当時「プリンス・オブ・ウェールズ」は大英帝国が誇る最新鋭戦艦であり、チャーチル首相は不沈戦艦と豪語していたが、戦後著書の中で「マレー沖海戦でこの2隻を失った事が第二次世界大戦で最も衝撃を受けた出来事だった。」と述べている。

戦闘後日、第二次攻撃隊長 壱岐春記大尉はアナンバス諸島電信所爆撃へ向かう途中、両艦の沈没海域を通過、機上から現場海面に花束を投下して日英両軍の戦死者に敬意を表した。



日本海海戦より旧態依然、戦艦中心艦隊決戦、大艦巨砲主義が主流であった日本海軍が日米英の初戦であるハワイとマレーの二作戦に於いて空母と艦載機に拠る攻撃の有効性と戦果により、如何なる艦船でも航空機により撃沈されうる事、そして海戦に於ける制空権の重要性を世界に実証する事になった。

こうして世界各国の海軍は大艦巨砲主義の時代から航空主兵時代へと移って行き帝國海軍も2隻の戦艦「伊勢」「日向」を航空戦艦へ改装、大和型戦艦3番艦を超大型空母「信濃」に設計変更、また貨客船を改造した「隼鷹」や油槽船から空母に改変された「瑞鳳」など商船改造空母が第一線でも活躍し帝國海軍の貴重な航空戦力を支えた。

隼鷹型航空母艦1番艦「隼鷹」 同型姉妹艦「飛鷹」

空母「飛鷹」は日本郵船の北米航路用に新造した貨客船「出雲丸」だったが建造途中で改装され、速力は30kt以上の正規空母より遅く、鋼板が薄い為に防御能力も見劣りしたが航空機搭載能力は主力空母「蒼龍」に匹敵した。

先の大戦中、空母機動部隊をまともに実戦運用したのは日本海軍と米海軍だけであった。

しかし日本海軍は南雲空母機動部隊をインド洋のセイロン沖まで遠征させた為に真珠湾で沈めた戦艦8隻の内6隻は湾の浅い水深も助け、引揚げ修理されて艦隊に復帰し、大西洋からの増援など大打撃を加えた米太平洋艦隊に立ち直る時間を与えてしまう事になる。

山口多聞少将が主張した港湾修理施設を壊滅する第2次攻撃を行っていれば復帰は遅れた。

また最後通牒「宣戦布告」の遅れは、米国の反日世論に火を付けてしまう事にもなった。

この結果、数的優位性を失った帝國海軍は太平洋全域で米海軍と激しい戦闘を繰り返す事になる。


シンガポール・香港攻略

第25軍 第5師団はタイ領内に上陸して進撃、英領マレー国境の英印軍第6・第15旅団の90輌の装甲車部隊と強固な防御要塞を戦車12輌と580名の特別挺進隊が短時間で突破した。

マレーの虎 山下奉文中将 率いる第25軍はコタバル強襲上陸から自転車歩兵部隊と九七式中戦車を主力とする機械化部隊を用いた電撃戦で英軍との95回の戦闘に勝利して55日間で1,100kmを走破快進撃してマレー半島南端に到達する。

クアラルンプールを攻略した第25軍は一週間でシンガポール要塞を陥落させて占領、英国領マレー軍司令官パーシヴァル中将が降伏して揮下の英印・豪軍13万名を捕虜にした。。

一方、酒井隆中将揮下の第23軍は参謀長 栗林忠道少将が香港攻略を作戦立案、英軍要塞防衛線を突破して12月25日クリスマスに11,000名の英軍が降伏して僅か18日間で攻略を完了させて英領香港を占領した。




蘭印作戦

翌年1月11日 海軍横須賀第1特別陸戦隊の空挺部隊がセレベス島のランゴアン飛行場に降下、陸戦隊が上陸してメナドを制圧、陸軍もボルネオ島バリクパパン、マルク諸島アンボンへ上陸 して蘭・豪連合軍を捕虜にする。

2月14日 陸軍 第1挺進団 挺進第2連隊がスマトラ島に空挺作戦を行い、蘭印軍守備隊、連合軍装甲車部隊と交戦、飛行場とパレンバン市を制圧占領、東南アジア屈指の大油田地帯と製油所を確保した。

この後、陸軍も大陸奥深く踏入れ、南方からインドシナまで戦線を拡大し、帝國陸海軍は制海空権を争い補給路と拠点の攻防、太平洋戦争は 4年近くに及ぶ長い消耗戦に突入する事になる。



スラバヤ・バタビア沖海戦

1942年2月27日 帝國陸軍のジャワ島攻略部隊 輸送船団40隻と重巡「那智」を旗艦とし、重巡「妙高」「羽黒」「足柄」と駆逐艦を中心とした護衛の第五戦隊をインドネシアのスラバヤ沖で米海軍重巡洋艦「ヒューストン」をはじめとする 英・蘭・豪の連合国艦隊が迎撃した海戦である。

輸送船団はジャワ海をスラバヤ西方クラガン海岸を上陸目標としてマカッサル海峡を南下。

14:05 双方が索敵により敵艦置を確認。 
連合国艦隊は攻略部隊が乗る輸送船団を撃滅する為、高木武雄少揮下の第五戦隊は船団攻撃を阻止する為、直ちに敵方に向かって互いに増速。

17:45 第二水雷戦隊 旗艦 軽巡洋艦「神通」が距離17,000mで砲撃を開始、連合軍艦隊も反撃を開始、これを合図に斉射砲撃戦と魚雷によるアウトレンジ戦、接近水雷戦が始まり、太平洋戦争中でも稀に見る、昼夜46時間続く長時間に及ぶ艦隊戦になる。 


海戦の結果
連合国側の損害、重巡「エクセター」「ヒューストン」撃沈 軽巡 3隻撃沈 駆逐艦3隻 撃沈に対して、日本海軍 護衛艦隊の損害は駆逐艦「朝雲」が機関に直撃を受け大破のみと言う完勝であった。


この海戦終了後、駆逐艦「雷」は艦長 工藤俊作 少佐の指示により敵潜水艦が狙う戦闘海域にも関わらず長く留まり、撃破沈没した英駆逐艦「エンカウンター」と米駆逐艦「ポープ」の海上を漂流する敵将兵 生存者422名を救助した。

また駆逐艦「電」艦長 竹内一 少佐は艦内放送で「沈み行く敵艦に対し敬礼」と号令を掛け甲板上の兵全員が右舷に傾きはじめた敵艦「エクセター」に向かい一斉に挙手敬礼する。

この時「エクセター」の乗組員は次々海中に飛び込み敵である日本艦に向かい泳ぎ始める。

竹内艦長は「海上に浮遊する敵兵を救助すべし」と命令、直ちに縄梯子、ロープ、救命浮標等で救助に当り、生存者376名を「電」艦上に救い揚げ負傷者を丁重に手当てさせ充分な食事を与えるなど捕虜を紳士的に扱った。

「エクセター」では「万一の時は日本艦の近くに泳いで行け、日本海軍は必ず救助してくれる」と士官が水兵達に対し普段から話していた様であった。

工藤艦長は救助した敵将兵に対し「諸君は果敢に戦われた。今、諸君は大日本帝國海軍の大切な賓客である。私は英国海軍を尊敬するが日本に戦いを挑む貴国政府は実に愚かである」と挨拶し、バンジャルマシンに停泊中のオランダ病院船「オプテンノート」に引き渡した。

翌日のバタビア沖海戦でも重巡「三隈」「最上」の西方支援隊と軽巡「名取」の第3護衛隊の駆逐艦隊にスラバヤ沖海戦で敗れた残存艦隊のうち、米重巡洋艦「ヒューストン」と 豪軽巡洋艦「パース」も約2時間の戦闘で撃沈され、両艦697名の米豪の生存将兵を日本海軍は救助した。

重巡洋艦「最上」


海戦は,連合軍側 8隻撃沈、日本側 損害軽微と言う日本海軍の一方的な勝利に終わったが、交戦中に重巡「最上」が米重巡「ヒューストン」へ向けて発射した魚雷6本が命中せずに、射線延長線上の日本の攻略部隊輸送船団に到達し、第二号掃海艇が直撃を受け轟沈、輸送船「佐倉丸」が沈没、第16軍司令官 今村均中将が座乗する陸軍偽装強襲揚陸艦「神州丸」に命中、衝撃で今村中将は海上へ投げ出され3時間の漂流後に救助されたが、その他に2隻の輸送船が大破着底という僚軍へ大きな損害を出す。

この件を護衛隊司令部一同が謝罪に行き、今村中将は謝罪を快く受け入れ、この件に関しては敵の魚雷に拠る損害とする事を提案、海軍の顔を立てたのであった。

今村均中将揮下の陸軍 第16軍主力はバリ、ティモール、ジャワの各島に上陸、700名の挺身隊がジャワ島バンドン要塞を攻撃、蘭英豪軍8,000名が降伏、蘭領インドネシアの石油資源獲得を目指した蘭印作戦を成功させている。



世界初のドック型揚陸指揮艦

日本は高い上陸戦遂行能力を持つ「神州丸」を1934年に建造運用している。

全長144m 全幅22m 吃水4.2m 基準排水量7,100t 航続距離7,000浬 
最高速力20.4kt 機関ボイラー2基 蒸気タービン1基 最大出力7,500馬力
対空指揮施設 兵装 7.5cm単高射砲11門 20mm機関砲6門 7.5cm野砲1門 
対潜水中聴音機 爆雷 12cm対潜用迫撃砲1門 
最大収容兵員約2,000名 冷房・医務設備 船尾泛水装置
搭載上陸用舟艇 八九式中戦車搭載可大発29隻・小発26隻・装甲砲艇4隻・高速偵察艇4隻
搭載航空機 九一式戦闘機・九二式偵察爆撃機 最大12機 搭載機射出カタパルト2基

1937年 帝國陸軍「神州丸」は日華事変勃発直後、天津河口の太沽上陸作戦を初陣に実戦運用を開始、第二次上海事変、マレー作戦と参加、荒天下の揚陸に活躍した。

1942年には航空機運用能力を向上した全通飛行甲板の強襲揚陸艦「あきつ丸」を建造する。

全長152.1m 全幅22m 基準排水量9,190t 九七式戦闘機13機 大発27隻搭載
対空指揮施設 兵装 7.5cm単高射砲8門 25mm機関砲12門 7.5cm野砲10門 
対潜水中聴音機 爆雷60個 12cm対潜用迫撃砲1門 


「あきつ丸」は「神州丸」と共に蘭印作戦にも動員されジャワ島上陸制圧に貢献、爆雷60個を搭載して対馬海峡で対潜哨戒輸送任務も就いた。

この2隻の先進的な揚陸艦は後の おおすみ型LST輸送艦、ひゅうが型DDH護衛艦や強襲揚陸艦の運用に影響を与えた。



九三式酸素魚雷

当時の米海軍主兵装Mk.15魚雷は雷速45kt 射程 5,500m 炸薬量375kg の性能に対し日本海軍の酸素魚雷の性能は高く、九三式は最大射程 22,000m 以上と長く、雷速も最大52kt と高速で窒素を排出しない為に、雷跡が見えず隠密性に優れ敵に発見され難い、また炸薬搭載量は九七式爆薬490kg(TNT588kgに相当)と多く、強力な破壊力は命中すれば軍艦でも一発で轟沈を可能としたが、本海戦やソロモン海戦までは不発や自爆が多発した。



潜水艦用・九五式酸素魚雷

1942年9月15日 第二次ソロモン海戦後、伊19潜水艦がソロモン諸島サンクリストバル島の南東約150浬で潜航中に大型艦多数の推進器音を感知、ガダルカナルへの増援部隊輸送の護衛に就いていた空母、巡洋艦、駆逐艦数隻からなる米軍機動部隊を潜望鏡で確認する。

伊19潜艦長 木梨鷹一 中佐は対潜警戒ジグザグ航行を行う米艦隊に距離900mで九五式酸素魚雷6本を全門一斉発射、この内3本が空母「ワスプ」に命中して艦載機の爆弾誘爆と航空燃料引火に因り大爆発を起こし傾斜炎上、航行不能となり総員退艦、僚艦が雷撃処分した。

この時、空母「ワスプ」を外れた残り3本の九五式酸素魚雷は更に航走を続け 10,000m 先を航行中の別任務部隊の戦艦「ノースカロライナ」左舷1番主砲塔真横に1本が命中、4層の防水区画が破壊され1番主砲塔基部の火薬庫まで浸水し戦列を離れて真珠湾で修理に6ヶ月を要する損害を与え、もう1本も駆逐艦「オブライエン」艦首に命中大破、修理回航中に船体が折れサモア沖で沈没した。


世界で唯一日本海軍のみが実用化に成功した長い射程で雷跡が見えず破壊力も高い酸素魚雷を米海軍将兵は恐れ、戦後「ロング・ランス(長槍)」と呼ばれた。





優しく勇敢な海の男達に最新技術を使う殺し合いをさせた太平洋戦争。


日本が戦争を始めたのは、天皇制と軍国主義のせいだ!? 


バカを言うな。


四方の海 みな同朋(はらから)と 思う世になど波風の 立ちさわぐらん。  


平和を願う陛下の大御心であった。



帝國陸海軍の駐米英武官を経験した将官は、三国同盟と対米英参戦に強く反対した。

日本を戦争へ進ませたのは一部の軍人だけではなく政治家、マスコミ、財閥をはじめとする経済界と貧しかった国民だ。

無知故、マスコミに翻弄される者、貧困の苦痛と金儲けに走る輩の世論が戦争に加担する。

日本の若者が家族と国の為に戦っている時にソ連に祖国を売っていた左翼も偉そうに言うな

日米開戦の日、12月8日だけでも、何人の方々が亡くなったのか。

戦争を他人のせいにしてはいけない。 

また平和と非武装と言う甘い言葉に騙されてはいけない。

先の大戦後、統一や解放と言う尤もらしい口実で国境を超え侵攻して来たのは共産主義者で平等な社会主義を隠れ蓑に一党独裁の甘い血を吸う赤い連中だと言う事を忘れない。 

日本は絶対に戦争はしないと誓った国だ。 

しかし、理不尽な侵略に対しては断固として戦う、戦うからには絶対に負けてはいけない。


戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずしての亡国は魂までも喪失する永久の亡国である。


人の命の尊さ、戦争の悲惨さを知る者達が己を犠牲にして国の為に全力で戦った。



「太陽の帝国」は インド洋作戦・珊瑚海海戦 に続く。




現代日本の若者は陸の漂流者なのか。

昨日、チャリー二等兵と明石方面no哨戒帰路、海岸線でヒッチハイクしてる青年を乗せた。

震災直後は「困った時はお互い様」で、よく乗せたものだが、ここ最近はヒッチハイクをしている人も見なかった。

青年は旅行者ではなく、自宅から神戸市内のルミナリエに行くとのこと。

「おいおい、君は家から近くに遊びに行くのに他人の車をタクシーや足代わりにするか?

「内需拡大の為にも電車やバスに乗れよ」と、自分が突っ込むと

「全然、お金が無いんです。」と言う。

更に話しを聞くと、地元のIE高校の三年生で名前はⅠ君。

彼は「去年、ヒッチハイクで日本中を旅して、外国にも行きたい」と話した。

「将来は、猿岩石になりたいのか?」と、再び自分が突っ込んだ。

船に乗りたいと自宅の窓から見える(明石海峡航路)船舶を毎日、見て思ったそうだ。

彼は船員になる為に来年の春から愛媛の国立波方海上技術短期大学に進学するという。

自分は学生時代のカッターや実習、訓練、遠泳に遠洋航海、船員時代の実務の話しをした。

今日も遊びに行くのではなくAEDの救命講習を受けた彼はルミナリエの会場で、もしもの為に待機する係と終了後の清掃のボランティアに行くと言う、なかなか見上げた青年だ。

しかし「タダ乗りは許さん!」w と時間の余裕もあったので途中で兵庫の基地に立ち寄る。

チャーリーと二人で5分間、清掃をさせたw  

労働に対する対価は資本主義の原則である。


清掃後、遠慮している彼に労働の対価として晩飯と帰りの電車代を渡した。

めっちゃエエ時給だが、 これも資本主義の原則だ。

今の日本、針路も決めずフラフラと漂う若者が多い中、自分で目標を決めて志すのは良い。

自分は海を職場として目指し他人の為に汗を流せる青年がまだ日本にいる事が嬉しかった。

今でも日本の青年、海員は捨てたものでもないぞ。

彼は「卒業後に乗る船があるでしょうか?」と、気にしていた。

商船がなくても海自、海保に進めばよい、船種、職種に悩まず、男は海に出ろ。


頑張れよ Ⅰ君。




the sea will grant each man new hope . . .

— Christopher Columbus


海は人々に希望を与えてくれる。

クリストファー・コロンブス



海は広い 海は人を育て磨いてくれる所だ。






中国海軍は知らんけどな。        



 
きっと彼ならバカな政治家に騙されない賢い大人になるだろう。




日本の近代史・戦史を書いたブログ

Empire of the Sun 1   「太陽の帝国」その1   真珠湾攻撃・マレー・蘭印作戦

Empire of the Sun 2   「太陽の帝国」その2   インド洋作戦・珊瑚海海戦

Empire of the Sun 3   「太陽の帝国」その3   遣日独潜水艦・海軍技術士官

Empire of the Sun 4   「太陽の帝国」その4   ミッドウェ-海戦

Empire of the Sun 5   「太陽の帝国」その5   聯合艦隊旗艦

Empire of the Sun 6   「太陽の帝国」その6   大和出撃

Empire of the Sun 7   「太陽の帝国」その7   マリアナ諸島 テニアンの戦い

Empire of the Sun 8   「太陽の帝国」その8   大日本帝國

Empire of the Sun 9   「太陽の帝国」その9   運命の瞬間

Empire of the Sun 10   「太陽の帝国」その10  満州事変

Empire of the Sun 11   「太陽の帝国」その11  上海事変

Empire of the Sun 12   「太陽の帝国」その12  兵に告ぐ 二・二六事件



Posted at 2012/12/08 12:23:06 | コメント(3) | トラックバック(0) | 太陽の帝国 | 日記

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「朝、伸び過ぎた髭も剃らずにお出掛け。
「お誕生日おめでとうございます♡」と言って
くれたのは交通安全協会のおネエちゃんだけ。
自費で5年前と同じ免許証入れのプレゼントw
毎回、焦りまくりボタン連打の深視力検査ww
今年もなんとか運転免許更新を無事にクリア。」
何シテル?   05/25 16:15
元・気楽な海上サラリーマン  現・厳しぃ陸上自営隊  時々・トランスポーター 
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