
2015 新年、明けまして おめでとうございます。
毎年、正月の三が日は帰省渋滞とホテルや旅館の混雑を避けて自宅でゆっくり寝て過ごすのだが、2日の宿泊予約にキャンセルが出て、親孝行しようと考えた。
行き先は自分が恋愛の日々を過ごし、勉学と訓練に励んだ母校があり第二の故郷でもある日本海の懐かしい町。
夏は海水浴で竹野や佐津海岸、冬は城崎や浜坂、湯村温泉、松葉蟹の水揚が盛んな香住、柴山、津居山港が点在する山陰地方で鳥取砂丘や丹後半島、天橋立の宮津、舞鶴に近接する。
1912年(明治45年)完成当時は東洋一と謳われ、2010年まで98年間運用された余部鉄橋など四季を通して人で賑わう風光明媚な観光の町でもある。

真冬は風雪吹き荒れ波も凍れる厳しい顔を持つが、夏の日本海はとても穏やかだった。
操船や端艇、遠泳等の訓練は本当、勉学に励んでいたと言うのは小さな嘘だ気にするな。
学生時代は公式にはヨット部と無線部だが、非公式な自動車バイク改造部、峠ツーリング部、喫煙部、喫茶インベーダーゲーム部にも所属していた。
放課後、部活が終わればバイクや車弄り、春夏冬休みは資金調達に水産会社でバイト。
夏は海岸通りをバリバリ~ コンポも全開バリバリ~
先輩のシャコタンセリカやケンメリに横乗りして国道178号や9号を走り、夜な夜な越境しては京都や鳥取までラーメンを食べに行った。
冬の夜は大型フォグを付けスパイクタイヤを履いた先輩のTE71 カローラ1600GT ラリー仕様で、そこら中の峠を明るくなるまで走り回っていた。
当時、昭和38年の豪雪から17、8年ぶりの大雪になり、JRは運休普通となって学校は臨時休校、嬉しくて下宿の2階窓から雪の上に飛び降りた。
折しも今年の正月2、3日の気圧配置、予想天気図を見ると日本列島の天候は大荒れになる模様、西日本でも日本海側は大雪が予想される。
いい日、旅立ち。
JRを利用する場合、神戸から城崎へは姫路経由の播但線や大阪から福知山線経由の山陰本線、特急列車「はまかぜ」や急行「但馬」に乗り、同じ兵庫県ながら今でも約3時間以上は掛るだろうか。
我国の鉄道は安全正確で信用出来るが、荒天大雪には勝てず時期的にも指定席も取れない。
4輪駆動は伊達じゃない、 一年 Quattro を養うは、一日の用、親孝行にあてる為だ。
自分にはスタッドレスを履き完全冬季武装し完璧に整備された A4 Quattro がある。
気合を入れ寒波の中を2日の朝 11:00 自宅町内の鎮守神社さんへ安全と健康祈願の初詣をした後、A4で雪中行軍覚悟の小旅行に出掛けることになった。
昔、バイクや車で播但道、国道176号、312号、178号、9号線で4時間は掛った。
現在は舞鶴若狭自動車道、北近畿豊岡自動車道と多くのバイパスも開通し2時間に短縮。
だが神戸を出てスグ、中国縦貫道に繋がる阪神高速北神戸線は通行止になる。
已む無く国道428の峠を超え吉川から中国・舞鶴道へ入ったがチェーン規制で大渋滞。
通行止と大渋滞、もう諦めて帰ろうと思ったが・・・
あゝ日本の何処かに私を待っている人がいる。
20分程で行ける西紀まで3時間近く掛り、SAで冬タイヤとチェーン装着のチェック。
大渋滞の原因は諦めて慌ててチェーンを装着したり規制解除を待つ車で溢れていた西紀SAに入る為に起こったものだった。
このシーズン北へ向かう車は冬装備が常識でニュースや天気予報でも大雪を警告していた。
扁平幅広タイヤにチェーンも無しで規制区間を平気で走り続ける信じられない輩が多いこと・・・
毎年、年末年始にスリップ事故が発生する理由が良く分った。
SA出口のチェーン装着チェックポイントを通過した後は夜中のようにスイスイ流れだす。
八鹿・氷ノ山ICを出て国道312を円山川沿いを北上し豊岡市街を抜け国道178に。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
城の崎にて・・・・・急に空が暗くなり雷が鳴って大粒の霰が降りだし暗夜行路。
You're rollin thunder ア- 突然すぎたー冬の稲妻だった。
Movin' on without you もう、あなたスタッドレスなしでは進めない。
初めて通る新しく佐津~香住間に出来たバイパスだが、真っ白で景色は何も見えなかった。
昔、走り慣れた海岸街道を走って今子浦の御用邸に到着して17:00 チェックイン。
普段なら2時間ちょっとの道程が結局、6時間も掛ったOrz。
やっと暖かい部屋で休憩を取り、雪を見ながら大きな風呂にゆっくり入る。

ホテルは洋室ベット派だが、最近は歳のせいか旅館や和室が落ち着くようになった。
部屋の窓から久々に見る冬の海は荒れて、一晩中バルコニーに強い北風が吹きつけていた。
そう、ここは日本海、そして冬の味覚と言えば松葉がに。
焼き蟹、ゆで蟹、蟹刺、蟹すき、蟹雑炊、蟹味噌、かに、カニ、蟹ずくしw
親切丁寧で可愛い女性スタッフが懐かしい方言で話しながら蟹を焼き雑炊を作ってくれた。
学生時代に飽きるほど食べた蟹や魚、馴染みの野菜だが出て来る料理の全てが美味しい。
日本海の海の幸は、明日への活力・・・
活力・・活力・
朝から食べる時間がなく空腹であったが、デザートのメロンジェラートまで完食。
3時間以上も黙々と食べ続けて、お腹はパンパン破裂寸前の苦しみ本線 日本海。
もう暫く、カニは見たくない程の量だった。
当初、食事の後は独りで宿を抜けだし学生時代に遊んだ先輩や後輩を訪ねよう。
雪の峠を走ろう。と画策していたが、脳ミソが蟹ミソになり戦意喪失、意識朦朧。
予約の際、但馬牛のステーキを追加しようとしていたが、無謀な計画を中止して良かった。

運転6時間に食事3時間以上、お腹も一杯で身体は動かず、牛のように寝るだけだった。
が、朝早く何故か、お腹が空いて目が覚める。
空腹は気のせいだろうと思い、朝風呂に入ると益々腹が減ったw
朝食は和食の御節と味噌仕立ての雑煮に湯豆腐。
朝から雑煮の御餅を二つ、美味しくて御飯を二杯たべる。
食後にコーヒーを二杯とオレンジジュースを飲む。
また食べ過ぎてしまい強烈な睡魔が襲われ、2時間ほど寝てからチェックアウトした。
帰路は国道178号線で香住-鎧-餘部ー浜坂-湯村温泉-9号線、北近畿と舞鶴道経由で神戸。
途中、懐かしい母校の正門が開いていたので寄ってみた。 冬休み中なので学生はいない。

当時、実習船のアンカー(錨)が置かれていた正門にはスクリューが置かれている。
在学中に新しい建物に建替わって行ったが、自分は歴史を感じる実習室や艇庫、無線レーダー塔、体育館、古くて美味しい木造の学食が好きだった。
昭和21年、開校当時は兵庫県立水産高校だったが普通科も併設され男女共学になる。
水産科が海洋科学科に名称変更
オーシャン 航海術や船舶運航、海洋・水産法規、海洋気象、操船、遠洋航海、漁業実習
アクア 海洋水質環境、水生生物生態、栽培養殖漁業、ダイビング実習、水族館実習
シーフード 水産食品製造加工、水産食品管理、シーフードクッキング、食品技能検定
現在は上記の3コースに分れ女子もいる、硬派な水校ではなくオシャレなハイスクールに。
遠洋実習調査船「但州丸」(5代目)
499トン 1800馬力 船主 兵庫県 船籍 神戸港 建造 静岡三保造船所

ブリッジに校章、JMRVは本船コールサイン(呼出符号)、ファンネルに船主 兵庫県旗。
最新鋭の航海計器と探査機器、広い後部作業デッキと船尾ランプを持つスタントロール船。

水産庁やFRA 独立水産総合研究センターの調査船、災害時は医療支援船として運用される。
南洋北洋への遠洋航海実習や海洋調査で活躍した本船はまだ新しく見えるが船齢は19年になり、昨年12月に退役した。
新潟造船所で健造され、今春に完成予定の新造船 6代目「但州丸」と交替する。
南洋航海とは別に北海道周海オホーツクや日本海の大和碓まで海洋実習や調査に出た。
沿岸操船実習や小型船舶取得、ダイビング用にハイテク満載クルーザー実習船「しりうす」もある。
遠泳や夜間行軍などの厳しい体力訓練は基より、遠洋航海・船舶の操船や端艇(カッター)・救命」・レーダー・ロラン・デッカ・無線・モールス信号・手旗信号・機関運用など実習。
モーターボートや小型船で遊び、部活でのヨット競技などを通じて海に親しみ海に学んだ。
嘗て全国に51校も有った水産高等学校も少子化や水産、海運、造船業の衰退で多くが閉校され、他の工業系高校に統合、専属の大型実習船や水産海洋学校が無い県もある。
既に自分の卒業時には捕鯨だけではなく日本の大手水産会社は自社船による遠洋漁業から撤退し輸入に切替られ、卒業生の半数は水産物輸入貿易会社など陸上勤務の就職が殆ど。
水産大学や海洋学部に進学、実家の漁業を継ぐ以外の海上勤務希望者はタンカーやフェリー、貨物船など商船、タグボート、曵船など海運や海洋建設会社に入社。
また舞鶴からの勧誘もあり海上保安学校や海上自衛隊に入隊した。
母校と実習船の存続は嬉しい事だが、卒業生の多くは修得した専門知識を使えないでいる。
世界第6位の広大なEEZ 排他的経済水域を保有する海洋国家である日本の未来。
日本には千島・樺太に接する北端、東端の小笠原諸島 南鳥島、南端の沖ノ鳥、西端は与那国
東シナ海の尖閣諸島、対馬海峡、そして日本海には竹島という海洋領土がある。
青山繁晴氏の独立総合研究所と兵庫県とで日本海側の香住港沖で行った共同海底調査の結果、沿岸に近い海底表面に純度が高い塊の状態でメタンハイドレートが存在する事を確認。
また日本海の堆積層は兵庫県沖だけではなく秋田から島根沖の広い範囲に分布している。
メタンハイドレートが高効率で採掘実用化すれば日本海にある香住港や舞鶴港などは陸揚や精製、積出運搬の拠点となり繁栄するだけでなく、日本はエネルギー資源輸出国に変わる可能性もある。
竹島の南海域で米国ゼネコンの海洋土木技術による採掘実用化を目指している韓国。
中共は尖閣周辺の東シナ海と南シナ海、ロシアも北方領土周辺で調査試掘を行っている。
日本海は東海などではなく、昔から世界共通
Japan Sea だ。
海洋国家、科学技術立国である日本ならメタンハイドレートの高効率実用化は可能である。
いや、必ず実用化しなければならい。
安倍首相は第一次政権で
海洋基本法の立法化を実現している。
日本海は日本の未来に重要、且つ強力な推進力になると自分は考える。
想い出や夢と希望を胸に大きな推進ペラがある母校を後にして、178号線を鳥取方面へ。
雪解け間近の北の空に向い、JR山陰本線 香住駅と餘部駅との間にある鎧駅に立ち寄った。
鎧は険しい海岸線の入江にある小さな漁村で集落から急な斜面を登った山腹に鎧駅がある。
現在は列車停車数は少なく、1日平均の乗車人員25人の自動券売機もない小さな無人駅。

雪が多い時は道路が閉ざされてしまう所だが、当時ここから通学していた同級生もいた。
過ぎ去りし日々の夢を叫ぶとき、帰らぬ人たち熱い胸をよぎる。
が、このくそ寒い真冬の岬のはずれで、魚釣りするアホな少年はいなかった。
香住駅方面 餘部駅方面

1912年(明治45年)余部鉄橋完成開通当時は余部には駅舎は無く、1959年(昭和34年)まで余部住民は列車の合間を縫って徒歩で余部鉄橋を渡りトンネルを抜けて、この鎧駅まで来て列車に乗降していた。
線路ならトンネル抜けると直ぐ余部、険しい山間を迂回する道路を使うと凄く遠くなる。
鎧から国道178号を浜坂方面へ、峠を下り海へ向かう直線道路は余部橋梁の下をくぐる。
現在の余部橋梁は2010年(平成22年)に完成のPCコンクリート製に替わっている。
東洋一を誇った鉄橋は日本海の強風に拠る落下事故や運休、老朽化の為に架け替えられた。
餘部駅は浜坂側に鉄橋を渡った山の上にある無人駅で余部の集落からは急な坂道を登る。
三宮駅から特急「はまかぜ」に乗り、初めて山陰本線の香住駅に降りた時、プーンと何とも言えない自分が生れ育った港街である神戸とはまた違う強い潮の香りがした。
在学中、香住駅に近い下宿の窓からは目の前を通る山陰本線の線路や汽車が良く見えた。
当時は各駅停車の普通列車は本数が少なく、放課後は自分の部屋が汽車通生の待合室兼喫煙所になり、帰っていく汽車の窓から同級生や後輩が手を振っていた。
私設の喫煙所が学校にバレて先生に一度、踏込まれ全員が殴られた事もあった。
自分は独りの時、キハ80系気動車の特急「はまかぜ」「まつかぜ」、急行「但馬」「だいせん」「白兎」、普通客車やブルートレイン夜行寝台特急列車「出雲」を牽く DD51の音を聴き姿を眺めていた。
北へ向かう夜汽車は俺の中の心のようにすすり泣いてた。
学生時代は自分もJRの世話になっていて、隣町の高校に通うセーラー服の可愛い女の娘と出会ったのも2年生の冬休みが終わり、神戸から下宿に戻る最終列車の中だった。
日本海は女の娘も可愛い。
夏の夕暮れ可愛い女の娘と歩いたが当時から不審船が来る海岸は危ないと言われていた。
冬は大雪でラッセル車を結合したDD51が線路の除雪作業をしていた。、
強風が吹く日は、列車が鉄橋を渡れず、JR鎧駅~餘部駅間は運休普通となった。
銀河鉄道の夜
旧型の客車を牽き夜の余部鉄橋を渡る夜行列車は銀河鉄道を想わせるに充分だった。
君が乗った最後の夜汽車が僕の街を遠ざかる。
学校の休みの度に駅のホームで彼女に見送られ見送った切ない想い出もある。
鉄ちゃんほど、詳しい知識がない自分にとっても余部鉄橋や古い列車は郷愁に駆られる。
鉄道ファン然らずとも、時代の技術を駆使した明治の鋼橋と平成のPC橋の架橋工事は土木や建築を齧った者や技術者には興味深い構造物だと思う。
南北に細長く複雑な地形の日本列島は厳しい気候の変化に地震も多発する。
日本が理由もなく、鉄道先進国や土木建築技術大国と呼ばれるようになったのではない。

新規路線の橋梁建設とは違い、運行中である単線鉄道の既設旧橋との架け替え工事は既設橋脚への影響や新旧切替などを考慮しなければならず、設計や工法など施工が難しく大規模な余部とは全く比べられないが嘗て作業所長として河川橋梁工事を経験した事を思い出す。
現在も並行して架けられた新PC橋の横には旧橋の橋脚と鉄橋の部材が記念に残される。
強度や寿命、メンテナンスを考えて選択されたコンクリート製ではあるが、個人的には鉄道橋は鉄橋が良い、地域住民には迷惑だろうが鉄橋は通過音にも情緒があった。
当然、そこに有るべき見慣れていたものが、無くなってしまうのは寂しいものである。
国道178号線を余部から次の久谷駅、浜坂経由で国道9号線に入れば直ぐ湯村温泉。
夢千代日記で知られる湯けむりの郷は街の中心に春来川が流れ古い旅館が並び足湯もある。
古い街並の温泉町には風情があり、湯けむりと雪景色はよく似合う。

自分は他府県の温泉には態々出掛けて宿泊もして来たが、身近過ぎるのか有馬温泉も一度入ったくらいで、城崎や湯村には温泉入浴の目的で行った事がなかった。
湯村温泉を出て国道9号を京都・福知山方面へ進むと県下でも積雪量が多い村岡町を通る。
この近辺には小代、ハチ高原、神鍋高原、氷ノ山国際など多くのスキー場が点在する。
再び腹が減ったので、9号線沿いにある「道の駅 ハチ北」で休憩した。
道の駅を出て9号線に戻ると1.2kmの但馬トンネルの真中位から長い下りが始まり勾配を押える為にカーブは緩いが表六甲と同じようなループ橋があり、この峠の標高差が分かる。
長い坂を下り終わると養父市関宮で往路で使った北近畿豊岡自動車道の八鹿・氷ノ山ICから入り、舞鶴若狭自動車道で帰る。
普段なら往復に同じルートは使わないが、正月は何が起こるか判らない。
そして何かが起こったw
長くなったので続きはまた今度、気が向けば書くかも知れない。
DISCOVER JAPAN
円安で海外旅行が行かない人が多いと言われているが、こんな時こそ国内旅行へ。
身近な所で日本の美しさを再発見する良い機会、また内需拡大や景気回復にも繋がる。
出逢いは億千万の胸騒ぎ、まばゆいくらいに エキゾチック ジャパェーン。
いい日、旅立ち 美味いものを探しに母の寝言で聞いた 胃薬を道連れに
親孝行は親が元気なうちにね。
美味しい日本の私。
帰宅後は沢山残っていた御節料理を食べ、お餅を食べ、鯑いくらを食べ、蕎麦を食べた。
5日は友人との新年会で中華料理を食べ、6日は知合いと寿司を食べた。
年末年始の美味しい料理は、明日への活力・・・
活力・・活力・ しつこい。
今夜も Eat It、太り過ぎは明日の寿命を短くするので御注意下さい。
本年も宜しくお願い致します。