実母が亡くなり、少しお休みを頂いておりました。
ずーっと健康・健脚だった母親ですが、
2010年から
脳出血で倒れたり、去年の夏には
乳がんが見つかったり・・・
晩年は色々闘病で忙しかった母。
乳がんは夏に見つかり、それから抗がん剤治療で散ったモノをやっつけて
から今年の2月に切りました。
ステージとしては3B、リンパに転移あり。
片乳全部とリンパを切り取り、図らずも実家界隈では有名な先生に診て頂け、
これで一安心なんて思って居ました。
しかし、6月中から少しずつ体調は崩して居た様で、離れて暮らして居るので
そんな様子を知ることも無く・・・
母が死ぬまでを覚え書きで記します。
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7月6日
ずっと楽しみにしていた脳出血の後遺症で通って居た通所リハビリでの遠足。
この頃にはかなり調子が悪かった様ですが、ヘルパーさん等に促され、出かけた
様です。結果、最後の旅行となり、無理にでも連れて行って頂けた事に感謝しました。
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7月15日
腹水が溜まって救急搬送、そのまま入院
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7月16日
仕事が休みだったので、お見舞いに。
旦那実家の法事関係で鹿児島へ盆に行く事になっており、猫を母に預ける事に
なって居た。『猫どうしよー』と言うと、『それまでには帰れるよー』・・・と母。
腹水のせい?か呼吸が苦しそうなので、そうそうに見舞いを切り上げる。
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7月17日
兄が母の病状説明を17時に聞きに行くと言う。
20時頃電話が掛かってきた。『ばーちゃん(母)あと1~2週間で死ぬかも知れない
って・・・』
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7月18日
仕事に行き、状況説明。休む為の残務整理に入る。
夕方見舞いに行くが、今日は友達が多くお見舞いに来たとかで、遠回しに
『疲れたから帰れ』と言われたので、少し手などを握ったりして話しをして
帰る。
・・・・でも、この時ああもうダメなのかも知れないな・・・と思い出す。
母は自分の事よりは他人の事を優先するタイプなので、今までこちらから出かけて
行って『遠いんだから来なくていいよ』とは言えど、『帰れ』的な事は一切言わなかった。
その母が夕方来た私を帰って欲しい・・・と言う態度で居る事に『余命』を意識した。
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7月21日~27日
肺の炎症を抑える薬が効いて比較的落ち着いていた。
兄がお世話になった人、友達、親戚を呼び寄せ、個々に面会。かなりのお友達が
来てくれたので、『もう長くは無いんだな』と母も悟ったと思う。
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28日
父方の叔父で母が弟の様に可愛がって居た人が来る。
母も叔父もお互いに『もう会えないかと思った~』と手を取って泣いていたそう。
兄ももらい泣き。
私は残務整理の後お見舞いに向かう予定だったが、遅くなってしまったので
この日はお見舞いに行かず。
・・・この日が意識があった最後の日になった・・・
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29日
意識なし。
たまに呼吸を示すバイタルが『ゼロ』になり、アラームが鳴るが誤差の範囲なので
心配無いですよとの事。
しかし、緩やかに血圧が落ちている。
数日前は110-60位あったのが、上が70台に。
夜は病室に誰か泊まりますか?・・・・看護師さんに聞かれた。
ああ・・・いよいよなんだな・・・
長く頑張ってくれる事を期待して、交代制を取ることにした。
~8時 私
8時~13時頃 父親、うちのチビッコ
13時以降 兄夫婦
うちの旦那も仙台に単身赴任中だが、駆けつけるとの事。
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30日
夜中は呼吸も安定。
しかし、ゆるやかに血圧は落ちてゆく
21時の消灯時 74-40
深夜1時 52-27
朝6時 50-29 この時点で心拍数が60になる。
2時過ぎ頃には旦那が到着したが、少し話しをしてあとは家に残してある
猫様の世話と着替えを取ってくる様に頼む。
・・・・しかし彼は家に帰り、猫をモフモフして居る間に寝てしまい、死に目に会えない
と言う事態に・・w
7時頃イケメンな先生が回診。
心拍数が40台になったらいよいよだと思って下さい。・・・・と
8時になり、親父、チビッコ登場。
旦那が帰ってこないので、私も交代では無く一緒に病室に居る時に
血圧が40台に!(心拍数はこのときはまだあった)
急いで携帯OKなゾーンに行き、旦那と兄に電話して戻るとバイタルの機械の
『ピー・・・』と言う音と共に心拍『0』の文字が・・・
チビが必死に『ばぁさーん!!!ばぁさーん!!!』と呼びかけ、
3~4回戻ってきたのですが、それきりでした。
9:55のことでした。
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亡くなった日から毎日夏らしい青空の日が続いていて、
親が死んでも時間が普通に流れて朝が来ることが不思議だった。
そこに寝ているのに、なんでおきてこないのかが不思議だった。
でも、月曜日に荼毘に付されて肉体が目に見えなくなって、初めて死んだんだな
って事が理解できた気がします。
うちのチビはお見舞いに行っている間から余命の話を彼にわかる様な言葉にして
説明してあったので、毎日泣きながらお見舞いに行って居ましたが、火葬の前には
一番の大泣きをしていました。
やっぱり同じ心境だったのだと思います。
今回の出来事で感じたのは
人間は学習能力が無い生き物だな・・・・と言うこと。
乳がん&大きい腫瘍・・・・他人の出来事だったら、イコール死を連想するだろうに、
自分の身内だとネットで治った人の記事を見つけては、うちの母は治るはずだと
思い込んでいる。
腹水だってそう。
腹水=末期がんが世の定説。
なのに、『なんかの薬の副作用かな?』なんて、ネットで検索している・・・
どうしようもないアホです。。。
人間いつかは死にます。
今回法要を行っていただいた導師様いわく、
『人間は常に死に向かって進んでいます』・・・・
改めて時間には限りがあるんだと気づかされました。
2週間という短い期間にこんなことになる例もあるので、親御様がご健在のみん友
さんは是非親御さんを大事にしてください。
特に離れて暮らしている方は、あと延べ日数で何日一緒に居られるのか想像して
ください。
お孫さんが居るのであれば、できるだけ会いに行かせてあげてください。
天国で見守ってくれているとは思いたいですが、喜んでいる顔が見られるのは
『生きている間』だけですよ。