一度は究極のスポーツカーに乗ってみたい。そんな夢がかなった車です。雑誌のスクープ記事が出てすぐに惚れ込み、発売半年前から予約をしました。(純銀製の予約者専用キーチェーンというのもありました)
当時はGT-R、Z32、NSXというライバルのいる中、究極孤高の280馬力のロータリーターボを前後重量配分50:50でフロントミッドシップに積んだ超軽量ボディ。当時すでにエコを語る評論家などもいて、「おそらくこれが国産最後のハイパワーなスポーツカーになる!」と確信したのは今もって正しかったと思う。シャープなハンドリング、何処までも回り続けるロータリーの官能的な高回転サウンド、まさにスポーツカーでした。
ノーマル状態でもやたらスパルタンな車で乗りこなすのが難しかったです。前後50:50の意味するものは、滑る時はあっという間に真横になるってことでした。ゆえにチューニングは過渡特性をわかりやすくマイルドにすることが主な目的でした。
マツダスピードに1か月預け、足回りのフルピロ化とLSDを取り付け。(リヤにはMazdaSpeedのファクトリーチューン車のみに取り付けられる幻のエンブレムがついています。)
HKS関西ではオーリンズダンパーを数回の仕様変更の後、仕上げてくれました。当時の鈴木チーフ(後のST・MAY代表)とは足回りについてああだこうだとよく話し合ったのもいい思い出です。
パワー的には十分だったので吸排気周りのみで320馬力程度と控えめ。後のMCを見ても分かるように偏平率の変更とリヤタイヤのサイズアップが効果的でした。タイヤもグリップのあまり高くないYohohamaのM5という滑り出しのわかりやすいものを選択したおかげで、スライドコントロールも容易になりました。
油温の上りが半端なく、オイルクーラー2連装でもハードに走るとすぐ130度超え。高級オイルを1~2月に1回交換してました。最終的にHKSが開発したロータリー専用オイルが格安な割に劣化が少ないことを知り、高いのが何でもいいわけじゃないことを学びましたね。
超高速域のお友達ができ、雑誌OPTの取材に同行し谷田部高速テストコースに行ったり、首都高や湾岸を走ったこともいい思い出です。リヤの羽根も雨さんとこのディスプレイ用を無理言って譲ってもらったものです。
子どもがお腹の中にできて手放しましたが、所有していたことを誇りに思える名車でした。