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シケイカ★フェンダーミラー将軍・発動篇のブログ一覧

2026年02月28日 イイね!

世紀末の街角より②匿名の多様体カローラ

世紀末の路上において、カローラ/スプリンターは、もはや個別の車ですらなかった。
それは日本という巨大な回路を流れる、均質な「共通言語」、あまりに遍在しすぎた、空気のようなインフラ。

​耐用年数を迎えたインフラが一斉に更新されるように、ある時を境に彼らは、音もなく路上から間引かれていった。

【E70系】
バブル期に淘汰されていた70系は、当時でも「旧車」というラベルを貼られたマニア物件が大半だった。

■前期スプリンターHT 1.5SE(確かAT車)
そんな中、残っていた、昭和の愛車家がオーナーと思われる前期型スプリンターHT。

純正アルミや、バンパー下のガードバー、コーナーランプ、フォグランプは、オプション用品か。
撮影時もあまり動いている様子ではなかったが、その後しばらく野ざらし放置され、気がつけば消えていた。

■前期カローラセダンGT
ホイールやサイドストライプまで純正のまま残された、あまりに端正なフルノーマルの個体。2T-Gを心臓に持つ「最後にして最強のFRカローラ」は、当時としても圧倒的なコンディションだった。

当時、この手のモデルは改造ベースとして絶大な人気を誇っていたため、手を加えられず、これほど綺麗なノーマル状態で生き残っていること自体、奇跡に近かった。

■中期カローラワゴン 1.3GL
モデル末期の昭和57年に突如追加されたワゴンモデル。当初の月販目標が僅か500台、1300のみ2グレードのみを展開で、あまりメーカーも売る気がなかったようだ。
現車は上級グレードのGLで、この仕様は翌年のマイナーチェンジでミドルルーフ化されるまでのわずか1年間しか存在しなかったため、極めてレアと思われる。

三重県の通りすがりのパチンコ屋の駐車場に止まっていた記憶があるが車庫保管を思わせる塗装の艶に対し、随所に刻まれた傷跡。当時でも高齢のオーナーが乗られていたのだろう。

現在では、隣に佇むオルティアが、当時の70ワゴンより車齢を重ねた旧車となっている事実に、残酷なほど年齢を重ねてしまった悲哀を感じる。

■中期カローラバンDX
岐阜の陸運局で、車検を待っていたと思われる、ミドルルーフ化される前の角目70カローラバン。今となっては、周囲の車両も懐かしい。

商用車として過酷に使われる運命の廉価グレード「DX」でありながら、そのボディには傷一つないのは、よほどオーナーに愛されていた個体だったのだろう。

■後期カローラバンDX
ひっそりと働き続けていた、修理工場のサービスカー。当時としても、現役の働く車としては、めっきり見かけなくなっていた。

隣に写るハイゼットクライマーは、2010年代まで現役だったが、この70カローラは、撮影後ほどなくして姿を消している。

【E80系】
当時、80系は急激にその数を減らしていた。
後輪駆動のAE86型のみが「偶像」としての生を繋ぎ止めていた一方で、それ以外のFF系は誰にも省みられず、路上から抹消されていった

■前期カローラセダンGL(フェンダーミラー仕様)
80系の現役当時、上級グレードを選ぶ層は代替のサイクルが早かったためか、路上で出会うのは決まって中級の「GL」であった。

腐りやすい前期型、かつ屋根なし保管でありながら、当時残存していた個体の中でも群を抜いて美しかった。余計な装飾を排したプレーンな佇まいは、80系が本来持っていた理想主義的な美しさを際立たせている。

撮影直後、120系カローラへと代替され、現在もオーナー氏はその愛車を駆り続けられている。

■前期カローラセダンSEディーゼル
前述のGLが奇跡的な美しさを保っていた一方で、当時の路上に残る前期型の多くは、この個体のような「草ヒロ」然とした朽ちゆく姿が常態であった。

上級グレードの「SE」でディーゼル仕様は、当時としても珍しい存在である。
前期型は錆びに加え、ピラーのブラックアウト塗装が剥げ落ちるという特有の持病を抱えていた。
こんな状態であるからして、撮影の1年後には撤去されている。

■後期カローラセダンGL(GLサルーン?)
製造品質の向上ゆえか、前期型に比べて程度の良い個体が目立っていたように思う。絶対数として見れば決して多くはなくとも、それでも「普通に見かけられる」という、今思えば幸福な時代であった。


特別な名車としてではなく、市井の風景の一部として淡々と役割を全うするカローラの大衆車らしさを物語っていた。

■後期カローラセダンSE
自動車リサイクル法施行以前、あちこちで目にした「廃車の野積み」。大阪の狭山池近くの畦道に積み上げられていた後期SEも、その無慈悲な山の一部だった。

こんな状態にあっても、前述の前期SEディーゼルと比較すれば、その製造品質の飛躍的な向上をありありと感じ取っていただけるのではないだろうか。
かつての上級グレードが、時代の端境期で無価値な鉄屑として積み上げられ、静かに朽ちていく。その光景には、豊かさの裏側にあった残酷なまでの使い捨ての論理が、生々しく刻まれていた。

■後期カローラセダンGT

①生と死の境界を彷徨う中古車
名機「4A-G」を心臓部に持つセダンGT。当時としてもその希少性は際立っており、中古車雑誌で見つけた一台を岐阜の恵那まで「見るだけ見に行ってみよう」と赴いた。

​現車はワンオーナーと思わしき、走行10万キロ超の個体。現在の感覚なら「状態良好」と評されるだろうが、当時はあくまで年式相応の扱いであり、ウォーターポンプからの水漏れも抱えていた。

雑誌の掲出価格は20万円くらいだったか。しかし現場では「現状10万、書類なしなら5万」という、投げ売りに近い提示を受けた。不人気ゆえの悲哀だろうか。食指は動いたが、下宿を引き払うタイミングと重なり、泣く泣く購入を断念した。
この個体はその後、AE86の部品取りとしてその生涯を終えてしまったのだろうか。

②解体ヤードの聖域に遺されたお宝
かつて60年代の旧車が山積していた解体ヤード。98年頃に更地へと姿を変えていく中で、2000年代初頭まで唯一残された場所があった。それが事務所棟だ。
その屋根下のフェンス奥には、潰さずに残しておきたい「大事な車」だけが、まるで秘匿されるように保管されていた。その中に、このAE82セダンGTの姿があった。

当時のヤードの主も、このFF初の4A-Gを積んだセダンの希少さを分かっていたのだろう。しかし、その最後の聖域だった事務所棟もやがて整理され、今では無機質な土建屋の資材置き場へと変わっている。

■前期カローラ5ドアZX
​格上のコロナ(T150系)の5ドアはそこそこ見かける機会があったが、カローラのそれは存在自体が極めて稀だった。

①鯖江のアル・プラザに舞い降りる欧州の風
福井県鯖江の路上でその姿を見つけた瞬間、あまりの美しさと希少さに、吸い寄せられるようにしばらく追跡してしまった。その後、アル・プラザの駐車場へと滑り込んでいくのを見届け、ようやくその姿を記録に収めている。
今のように誰もがドラレコを積んでいる時代だったら「不審車両」として通報されかねない、アウトな振る舞いだったかもしれない。

だが、これほど美しい個体が平然と生き続けていた事実に、ただただ圧倒されたのだ。
ゴールドのボディカラーにベージュの内装、そして癖の強いリアのデザインが相まって、その佇まいは同時期の欧州車のようだ。

前期型特有の持病であるピラーの塗装剥げも一切なく、程度「極上」と呼ぶにふさわしい。当時の日本市場ではその個性が敬遠されてしまったのかもしれないが、オーナーの深い愛着によって維持されたその姿は、不人気ゆえの希少性も相まって、路上で異彩を放つ美しさを湛えていた。

②整備学校のシケ物置
かつて自身が通っていた整備学校の裏、そこに「シケ物置」として転がっていた一台。
欧州を意識したデザインゆえに、赤のボディが実に映えるモデルだが、やはりそこはお約束、ピラー部分の塗装剥げが経年を物語っていた。

​まわりを見渡せば、他にもツッコミどころ満載な車たちが並んでいるが、それについては今後のお楽しみ。ただ、悲しいことに、自分が学校を卒業した後、この物置代わりのカローラもろとも、すべて綺麗に片付けられてしまったようだ。

​■カローラFX-GT
​ホワイトの「フルカラースポーツ」仕様が街を席巻したFX。
しかし、現役の個体は決して多くはなかった。やはり、当時の熱い若者たちが限界まで乗り潰してしまった結果なのだろうか。

①岐阜市内の「シケ物置」
岐阜市内の長閑な民家の軒先で、シケ物置と化していた一台。ボディの艶は完全に失われ、タイヤの空気は抜け、車内には生活用品が詰め込まれていた。

しかしその余生も長くはなく、撮影の翌年にはひっそりと撤去され、その場所から姿を消した。

②マツダ販売店の不良在庫車(MT)
競合他社の販売店横の車両置き場で、半ば放置されていた一台。周囲をルーチェとボンゴに囲まれ、錆と苔に覆われつつあった。

運転席ドアのキーシリンダーは無残に抉り取られ、ぽっかりと開いた穴には、蜂の巣が築かれていた。
いつの間にか他の放置車両たちと一緒に片付けられ、跡形もなく消え去ってしまった。

③スタンドスタッフの現役個体(AT)
それでも「現役」として輝いていた個体がある。今は廃業してしまったガソリンスタンドのスタッフの愛車だ。


しかし、この個体も撮影から数年後、デビュー直後の2代目ヴィッツへと代替され、姿を消した。カローラが大衆車であった時代の終わりを象徴するような、世代交代の光景であった。

■カローラFX-SR 5ドア
朽ちゆく個体が多い中、あるホンダの販売店で「代車」として余生を送る一台があった。隣に並ぶCA72系アルトと共に、現役で顧客に貸し出されていたその姿は、あまりに健気だった。

​この個体、単なる5ドアではなく、スポーティグレードの「1600SR」。
5ドアのラインナップにおいて、EFIによる走りを求めれば、自動車税が高くついても行き着く通好みな選択肢。当時すでに型遅れの部類ではあったが、希少なSRを代車にしているその店に、「自分も借りてみたい!」と強烈に惹きつけられた。
しかし、その販売店自体も、現在では廃業してしまっている。

■後期トレノGTアペックス
当時は、まさに走り屋ブームの真っ只中。
その多くが手荒に改造され、「汚いドリ車」ばかりだった。
しかし、そんな喧騒の中にあっても、稀に「天然オーナー物」と呼ぶべき美しい個体に遭遇することがあった。

新車時から大切に、そして穏やかに乗り続けられてきたであろうその姿は、改造車にはない凛とした気品を放っていた。

■前期トレノSE
走り屋ブームで荒れたAE86を余所に、このAE85は天然オーナーが2ドアセダン代わりに愛用する「日常の足」として静かに生きていた。

あちこちが錆び、生活の傷に覆われたその姿は、飾らない大衆車としての年輪を感じさせたが、撮影の翌年には忽然と消滅。記録した直後に失われる、大衆車の儚い宿命を象徴する一台だった。

■前期トレノSR
奈良の車屋のヤードで出会った、忘れられない一台。
外装の状態の良さに反して、オドメーターは「30万キロ」近くを指していて、まさに「ドン引き」した。

そのあまりの過走行を微塵も感じさせないほど個体の程度は良く、トヨタの異常なまでの耐久性を証明するかのようだった。

​フルノーマルの車体には走り屋系のステッカーが貼られていたが、その中にアニメ制作会社「XEBEC(ジーベック)」(現在は倒産)のロゴが混じる。
まだ「痛車」という言葉すらない時代、これは間違いなく、愛と執着を車に託した先駆者の姿だった。


【E90系】
当時は、街を歩けば90系のSEリミテッドやXEが溢れていた。
あまりにも「当たり前の風景」すぎて、レンズを向けるのは決まって「GT」や「レビン/トレノ」、あるいは「FX」といった特殊なスポーツグレードばかりだった。
​今にして思えば、あの頃どこにでもいた「普通のセダン」こそが、カローラの真髄であり、最も早く姿を消す運命にあった。現在、SEリミテッドやXEに出会う難易度は、GTの比ではない。日常を記録することの難しさと、当時の自分の贅沢な取捨選択を、今さらながら痛感する。

■前期カローラセダンGT
どこで撮影したか覚えてない、とある車両ヤードの片隅。そこに前期セダンGTと後期SEが並んで転がっていた。
今ならマニアが狂喜乱舞するような並びだが、当時は「ただの古いカローラ」でしかなかった。

少し前までのE90系の立ち位置の低さを象徴するエピソードがある。
某氏が20年ほど前、意気揚々と前期セダンGTで「70カローラの集い」に乗り込んだ時のことだ。そこでの扱いは、あろうことか「エンジン・ドナー」だったという。
4A-Gを積みながら、FFというだけで「生かすべき車」ではなく「剥ぎ取るための素材」として見られていた時代があったのだ。

■前期スプリンターセダンGT
そんな不遇なAE92勢の中でも、滋賀のブックオフ駐車場で遭遇した大宮ナンバーの前期スプリンターGTは異彩を放っていた。当時ですら前期のGTは激レアだったが、あくまで「普通に乗られている足車」としてそこにいた。



遠く関東の地からやってきたのか、日常に溶け込むその姿。ヤードで朽ちゆく仲間や、改造の餌食になる同型車を余所に、天然のまま現役を貫く佇まいには、大衆車としての矜持と凄みが同居していた。

■前期カローラFX-GT
ジョーシンで見かけたその個体は、まるでタミヤの1/24スポーツカーシリーズのパッケージからそのまま抜け出してきたような、驚くほどクリーンな姿をしていた。

まだ「ただの中古車」として使い潰されていた時代に、3桁ナンバーを掲げて前期FX-GTを綺麗に維持するようなオーナーは珍しい時代だった。
あえて90系に拘る。その熱量が、タミヤのプラモのようなコンディションを支えていたのだろう。

■スプリンターシエロ
​80系の不遇な5ドアとは対照的に、意外と台数が出て街に馴染んでいた90系シエロ。

カタログや広告から抜け出してきたかのような気品あるツートンカラーでも、特別な愛着を持たれず、ただ実用車として朽ちていく姿は、当時のE90系が置かれたリアルな立ち位置を物語っていた。


■前期トレノGT-Z
街に溢れたアペックスに対し、MT専用設定ゆえに当時から希少だったスーパーチャージャー仕様のGT-Z。

①時代の寵児フルホワイト仕様
この個体は、スーパーホワイトのボディに白のDRAGタイプアルミを合わせた、80年代の王道を行く「フルホワイト仕様」でドレスアップされていた。

背景にAE111が写り込むその光景は、小型クーペが日常に溶け込んでいた、幸せな時代があった事を伝えている。

②不遇の時代の象徴ドナー車
隣にAE86が佇む姿は、状態の良いノーマル車ですら(だからこそ)「86の部品取り」として消費された不遇の時代を物語る。

当時はまだ現役だった90系が、弱肉強食のごとくパーツ供給源として解体されていった残酷な現実。それは、神格化された名車の影で静かに姿を消していった、過渡期スポーツモデルの切ない記録だ。

③リアルトミカプレミアムな中古車
​「白こそ正義」だったスーパーホワイト全盛期、カタログの顔でありながら路上では滅多に拝めなかった希少な黒金ツートン(シューティングトーニング)。

最近発売されたトミカプレミアムをそのまま実車にしたようなGT-Zは、中古車として並ぶ低走行の極上個体だった。だが、今となっては後ろの前期セダンの方が気になる。

しかし程度の良い過給器付きスポーツクーペが、学生でも「ちょっと頑張れば買える中古車」として選べた、あの頃の相場観は、今となってはファンタジーだ。

■前期トレノ GTアペックス
​前述のトレノと同じ「シューティングトーニング」を纏ったAE92。黒と金のツートンが放つ独特の気品は、やはりこの時代の中でも特別な存在感を放っていた。

​ダッシュボードに置かれたぬいぐるみから、若い女性がオーナーだったのではないかと推察するが、そのミスマッチな光景がたまらなくかっこいい。今では軽ハイトワゴンに流れてしまう層が、日常の足としてこうしたクーペを颯爽と乗りこなしていた。車が単なる道具ではなく、憧れと自己表現の象徴になる良い時代だった。(背景のYRVとL600ムーヴの並びも実に良い)

■ 前期レビン Zi
​通りすがりの三重県、オープン後すぐに潰れてしまった格安系中古車屋の店頭に転がっていたAE91レビン「Zi」。前期では4A-G搭載のAE92以外で、唯一EFIが選べたセミスポーツグレードだ。(後期は全車EFI)
​​
本体価格は、驚きの「1万円」!!
総額20万円のMT車は、外装こそ綺麗だったがトランクに水が溜まっているという「格安車」の洗礼付きだった。しかし、4A-G搭載車ばかりが保護される今、こうした実用グレードの生き残りは皆無に近い。(後ろの18万のロッキー、メッキグリルだから1年しかないSXリミテッドだ。良いな~)

■後期レビンGT-Z
当時、自分の中で後期型は記録の対象外だったはずだが、なぜかこの一台だけはシャッターを切っていた。この時の自分を褒めてあげたい。

この頃までは「普通のユーザー」がごく当たり前に、この暴力的な動力性能の過給器付きクーペをノーマルで転がしていた。オタクな車好きだけでなく、ちょっとおしゃれな若者や、単に「速そうなのがいい」と選んだ一般層が、日常の足として平然と乗っていたのだ。

■AE101前期スプリンターSE-G
当時、自分の中でAE100系はまだ「新しすぎる」記録対象外だったが、15インチアルミと左右2本出しマフラーで改造されていたため、「GT」だと勘違いしてシャッターを切っていた。

​しかし、よく見ればそれは「SE-G」だった。だが今となっては、スポーツグレードのGTよりも、この豪華仕様のSE-Gの方がはるかにレアな存在だ。

前期SE-Gは、バブルの余韻を色濃く残す「パワーシート」を標準装備。さらにこの個体は、オプションのフォグランプ、コーナーポール、バックセンサーまで備えたフル装備。自身も同グレードに乗っていたからこそわかるが、カローラ史上最も「高級車」であろうとした、本当に良い車だった。

​こうして振り返れば、記号的な「多様性」を謳う現代より、この頃の車の方が遥かに選択肢が豊かだった。カローラひとつとっても、経済車からスポーツカー、商用車、小さな高級車、RVまで、文字通り百花繚乱。メーカーのご都合主義でテンプレート化した今の画一的なお仕着せ仕様とは、注がれた熱量が違う。

​しかし、これらの世界一になろうとした熱量が生んだオーバークオリティなカローラたちは、「頑丈で壊れない」という美徳ゆえに、あまりに切ない末路を辿った。
高品質ゆえに海外へ売り払われる流出の波の後、2009年、国が推奨するエコカー補助金という名の「断頭台」が彼らの前に置かれる。

​まだ元気に走れる極上車たちが、新車購入のインセンティブ25万円の餌食となり、抗えぬ強制力をもって「自害しろ」と宣告されたも同然の時代。
かつて当たり前にそこにあった豊かさの象徴は、こうして日本の風景から強制的に切り取られ、今や写真の中にしか存在しない生存記録となったのだ。
Posted at 2026/02/28 22:35:17 | コメント(1) | トラックバック(0) | 世紀末の街角より | 日記
2026年02月20日 イイね!

世紀末の街角より①意味論的シャレード

時はまさに世紀末。
西暦2000年前後、時代の騒燥に紛れ、ハチマル車はまだ“ヒーロー”などではなく、誰にも惜しまれることもなく、静かに役目を終えていく存在だった。

ならば滅びゆく者のために、せめて記録だけでも残そうと思った。
レンズの先にあったのは、抗う術もなく消えていく存在への、せめてもの葬送だ。

四半世紀を経たいま、手元に残るスナップは、すでに路上から抹消された彼らの、最後の残光である。

だから最初に残しておきたいのは、この街角のシャレードだ。
時間の向こうへ消えていった無数の光のなかで、いちばん最初に私の記憶を照らした一台なのだから。

【初代シャレード】
この頃、初代シャレードはすでに絶滅していた。
昭和50年代の小型車の耐用年数はせいぜい五、六年。バブル期の熱狂のなかで、その多くが潰し尽くされた。
平成11年のモーターショーでメーカーがレストア車を展示しようとした際、前期の現存車は100台にも満たなかったという。(その個体が現在ヒューモビリティワールドに展示されている前期型である)

■後期型XGC 5MT
そんな状況のなか、地元の中古車情報誌に掲載され、見に行ったのがこの個体だった。

昭和55年のマイナーチェンジで追加されたハイグレード“XGC”。
電動リモコンミラー、フルモケットシートを備える上級仕様。
翌56年の改良でメッキのハーフホイールキャップが与えられるが、この車両はそれ以前のモデル。
リアワイパーはXGCとXTEのみ標準装備。
“5SPEED”エンブレムが示す通り、5MT車だった。

某買取店の買取車で、走行約5万キロのワンオーナー。
状態からして車庫保管。価格は確か40万円前後。
当時学生だった自分には手が届かなかったが、希少性と状態を思えば安かったと思う。

数か月後には店頭から消えた。売れたのか、業者オークションに流れたのか。その後イベント等で見かけることはなく、値が付かず解体されていなければいいのだが。

余談ながら、同時期に販売されていた中期型の個体。
旧車雑誌で広告を出していた埼玉の朝日自動車の車両だ。

免許取得時、本気で購入を検討し、資料も取り寄せた。
走行約6万キロ、確かに綺麗な一台だった。
ただ、なぜかダイハツ・ミラ L70用のステアリングを装着していた。

――見覚えがある。
それは、ダイハツが所蔵する中期型そのものだ。

数年売れ残ったのち、前期型が使えない事情があったのか、あるいは別の理由かは定かではないが、ヒューモビリティワールド開設時にレストアされたようだ。
現在は前期型が常設展示されているが、時折ピンチヒッターのように姿を現す。奇な縁を辿り、結果として生き残った、幸運な一台である。

■前期型クーペXTE
もう一台、忘れてはいけない個体がある。石川県の日本自動車博物館に収蔵されていた車両だ。

現在展示されているシルバーの個体(『ノスタルジックヒーロー』60号掲載車)の前には、この黄色の別個体が展示されていた。
2005年頃には入れ替わっていたと記憶している。
あの黄色いマリンウィンドを覚えている人はいるだろうか。
いまもバックヤードのどこかに残っているのだろうか。

そしてもうひとつ。
2010年前後、ダイハツ京都工場の構内で、後期型の姿を目にしたことがある。
あれは保存車だったのか、それとも別の理由があったのか。
いまもどこかで残っているのかは分からない。


【2代目シャレード】
二代目もまた、初代と同じ道を辿った。
私が意識した頃には、すでに街から姿を消しつつあった。
平成8年頃を境に、急激に見なくなったと記憶している。
経済車として親しまれたディーゼルも、ガスケット抜けという持病を抱え、長命とは言い難かった。

■前期型CXドルフィントップ
まるでカタログから抜け出してきたような、当時でもほとんど見かけない仕様の個体で、視界に入った瞬間に思わず息を呑んだ。

場所は兵庫県春日。
現在も開催されている中兵庫クラッシックカーミーティングの会場横駐車場だった。

ただし、いわゆるマニア筋の参加車両ではない。
同時開催されていた地域おこしの祭り目当てで来られていた、地元の“天然”オーナーだったのだと思う。

会場へ入ってくる姿を見つけた瞬間、反射的に駐車場までダッシュしたのを覚えている。
いま思えば、あれは完全に不審者の動きだった。

■後期 デトマソ ターボ ビアンカ
標準車ですら希少な二代目シャレードにあって、さらにその上をいく600台限定の特別仕様車。まさに“レアの中のレア”だった。

街で何度か目撃していた個体だけに、ある日突然、廃車置き場に置かれている姿を見たときはさすがに堪えた。

けれども後年、この個体のホイールやシートが九州のシャレードディーゼル乗りの方のもとへ渡っていたと知る。

一台としては消えても、部品は生き延びる。
世の中は広いようで狭い。――とくにシャレード界隈は。

■後期ガソリンCXターボ
本来は黒バンパーの、いわば“羊の皮を被った狼”的モデルだが、この個体は違った。


前後バンパーとマフラー、ホイールはデトマソターボ用に換装。佇まいは、まるで“5ドアのデトマソ”。

ちなみに、みんカラ内にこの個体と思われるオーナー様の登録があった記憶がある。
ひょっとしたら現在も現役かもしれない。もしそうなら、時をくぐり抜け、なお息づく奇跡のようだ。


【3代目シャレード】
三代目に至っては、少し事情が違う。
前期型はさすがに姿を消しつつあったが、後期型ならまだ車齢十年に満たない個体も多く、街で普通に見かける存在だった。

だからこそ、いつでも撮れる。まだ大丈夫だと、どこかで思っていたかった。好きだからこそ、滅びゆく者としてレンズを向けることを、どこかで拒んでいたのだろう。

だが時間は、等しく進む。三代目は、そんな後悔と共に残っている。

■前期型GT-tiスポーツパック
三代目のコンセプト、ツーサムを象徴するともいえるGT-ti。
平成9年頃から、国道沿いの解体ヤードに、ずっと積まれていた。

新車販売台数はGT-ti単独で約5000台程度。
当時ですら滅多に見かけず、中古車が市場に出るのも年に一度あるかないかという世界だった。

よく見ると、隣にもG100シャレードが積まれている。流石は竜王――ダイハツ工業のお膝元にあったヤードだけのことはある。
さらに視線を落とせば、GT-tiの下敷きになっているのは150系のトヨタ カリーナ後期型、しかも1600ST-EFIというレアグレード。

まさに宝の山――いや、宝の墓標か。撮影から数年後、自動車リサイクル法施行時にヤードは整理され、すべて姿を消した。


■中期型 ディーゼルターボ CX
改良を受け、二代目とは別物と言っていいほど洗練されたディーゼルターボ。性能も信頼性も確実に進化していた。
だが時代はすでに豊かになっていた。
経済性よりも静粛性や滑らかさが求められ、ディーゼル特有の音や振動は敬遠されがちだった。販売は伸び悩み、その流れのまま四代目でディーゼルは切り捨てられることになる。

下級グレードならまだしも、上級グレードのCXターボは当時でも珍しい存在だった。
グリルに掲げられた赤文字の“TURBO”エンブレム。
自身の原点ともいえるTRターボと共通の意匠が格好よく見えた。

確か3AT車だったと記憶しているが、この撮影の直後、オーナーは初代 ノアへと代替。時代は、ミニバンへと舵を切っていた。

■中期型1000ウィル
当時、最もよく見かけた三代目がこの中期型ウィルだった。
元々は限定車として登場しながら好評を受け、そのままカタログモデルへ昇格した、エアコン標準装備の“お買い得仕様”。

このガンメタリックも、当時はどこか冴えない色に思えて、正直あまり好きではなかった。
けれど今見ると、その無機質な色味とシンプルさは、どこか80年代のフランス車のような空気をまとっていて、むしろ味わい深い。

そして皮肉なことに、いちばん見かけたのに、いちばん見なくなったのも、このウィルだった。

■中期型 1000CX
1300が登場した後の1000cc上級グレードは、当時でもすでに珍しい存在。価格差がほとんどなかったこともあり、多くの人は1300のお買い得仕様「KISSA」を選んでいた。

国道沿いのダイハツ販売店に、しばらくのあいだ置かれていた個体。
走行3万キロ程度の5MT車という、条件だけ見れば理想的な一台だった。
当時としても程度は極上。内外装ともに、時間が止まったような保存状態だった。

だが問題は置き場だった。
決断できずにしばらく悩み、いよいよ譲渡を申し出ようと思った頃には、もう姿はなかった。
聞けば、解体されたらしい。いまでも惜しいと思う。

思えば、G100シャレードには当時からあまり縁がなかった。
後年、複数台所有したときでさえ、結局ナンバーを付けるには至らなかった。
あれは単なる偶然だったのか。それとも、何かのジンクスだったのか。

■後期 GT-XX
現在でも営業されている山中のショップで見かけた一台。
いても立ってもいられず、声を掛けて見せていただいた。



GT-tiはデビュー1年後のマイナーチェンジでGT-XXに仕様変更を受けるが、XXは約5年で3000台程度しか販売されていない。なので直接触れるのは、その時が初めてだった。


一見ノーマル然としているが、中身は化け物。
タービンはTD-06に換装、触媒レス仕様。とんでもないチューニングカーだった。


3万円でいい、という話まで進んだ。
だが当時は下宿を引き払い、実家へ戻らなければならない状況。置き場がなく、泣く泣く断念した。

その半年後、もう一度あの店を訪ねた。だが、GT-XXはもうなかった。

売れたのか、解体されたのか、それともどこかでいまも走っているのか。
どうなったのだろう。

けれど、もしあの時、どこかでボタンをひとつ掛け違えていたら――

あのCXを手にしていたら。
あのGT-XXを連れ帰っていたら。

私のシャレードとの距離は、いまとは少し違っていたのだろうか。

記録とは、残せた者の物語であると同時に、手を伸ばさなかった者の記憶でもある。
Posted at 2026/02/20 14:31:06 | コメント(4) | トラックバック(0) | 世紀末の街角より | 日記
2026年02月01日 イイね!

やってみせろよ、ダイハツ!鳴らない言葉に反省を促す草ヒロ探索

「身構えている時には、インフルエンザは来ないものだ。」

息子氏がインフルエンザB型を発症。
自分はワクチン接種済みで無事だったものの、やっぱり出勤停止。

生き恥を晒しながら家庭から逃げ出したクルマの先に、救いなどない。
「これからが地獄だぞ!」
呟きは、父親という役割を捨てた後ろめたさと混ざり合う。
待っているのは自分自身への審判だけだ。

路傍に目をやれば、L70ミラ COTY(コティ)。
昭和61年4月の全国統一展示会、「Dスポット春クライマックス・フェア」にて、限定2,000台で販売された「クールアップ限定車」だ。


​ベースとなったのは、廉価グレードのミラ・Aタイプ(4MT)。フランスの名門香水メーカー「コティ社」とのタイアップで、ヤングミス&ミセスの心を射止めた。


​「熱いハートのクールな娘」のコピー通り、軽自動車のエアコンが贅沢品だった時代に、これを標準装備。

ボディカラーは白と赤の2色のみ、ボディ同色のカラーグリル、ファッション・ホイールキャップ、専用ファブリック表皮のフロントフラット機能付きシート、AMラジオ、リヤウインドデフォッガー、大型ブレーキブースターを奢りながらも、価格は全国一律65万5,000円(北海道のみ+5,000円)。

だが、その傲慢なまでの若さも今は昔。涼しい顔をして街を駆け抜けたあの「娘」も、今は見る影もなく朽ち果てた老婆となり、ただ沈黙の中にシケ物置として蹲っている。


その背後を振り返ると KRサンバートライ。
レクレーショナル・ビークルという言葉が、まだ素直に夢を見ていた頃の一台。

トライを見ると夢が湧く。
トライに乗ると恋が咲く。
トライが走れば大興奮。
――この秋、スバルが放つ一大娯楽大作。(発売当時の広告文より)

その「娯楽」も「大作」も朽ち果て、部品取りが進むばかりだ。それでも、この残骸がまだ、マニアの「夢」という曖牲を要求する。

そんな旅路の果てに出会った、同じスバルの血を引く 「キャーな乗りもの」レックスVIKI。


キャー!レックスコンビじゃなくて土とコンビ!
キャー!ヴィキ・ヴィキと言うより、バキバキ!
キャー!お買い物車が「お買い物カゴ(ゴミ入り)」!
キャー!もはや「軽(けい)」じゃなくて「刑(けい)」!

剥がれ落ちた屋根板は車体のそばに転がり、この姿でさえ廃棄されない。


オーナーの「愛」とでも呼ぶのか? いや、それは意図せず完成した「スーパーエアロフォルム・オープントップ」という、欺瞞に満ちた愛憎だ。

フルオープンなのに爽快感は皆無。
あるのは、風雨と時間を黙って受け止め続けた記憶だけ。

「キャーかわいい」は、もう言えない。

その近辺には、以前見に行ったリーザ・オキシーⅡ。

再びこの個体と対峙してしまえば、どうにかして、この肉体と感情的な欲望から離脱しないと、再び手元に置きたいと願ってしまう。

油断すれば引きずり込まれるが、乗り越えてみせる。世俗も、この歪んだ執着欲も。

道中は、90年代トヨタの残像が交差する魔の三角地帯。

EP91スターレット(ルフレ)。
キャッチコピーの「タフで、キュートな、私のケライ」は、まだ現役という事だ。


続いて現れたのは 81マークⅡセダン。

今では、キャッチコピーに 「美しき正統」 なんて付けられる、こんな正統派セダンは存在しない。たぶん企画書の段階で却下される。

高齢者マークを貼りながら、GTグレードを名乗る 210前期カリーナ。

人は老いる。だが、「足のいいやつ」の走りは老けない・・・と思ったら、足元はカルディナ用ホイールキャップ。
一瞬、マニアの仕業かと疑った。

そして、もう一台。
ナンバー付きで放置される、 CBアコード後期型にのみ設定されていた「2.0 Si-T」グレード。


スポーツグレードの証「Si」に付く 「T」 はツーリングの意。


専用色のグラナダブラック・パールを身に纏い、リアスポイラーを標準装備。内装はスエード調シートや本革巻きステアリングを設える大人のGTカーだというのに、この個体は5MT車だと!!


隣のハスラーとは、擦りそうなほどの距離感。不用意に深入りすべきでない事情が滲んでいる。


自分は何者なのか。
父親か。逃亡者か。それとも、ただの観測者という名の傍観者か。
自問を繰り返すほどに、出口のない思考に神経が苛立つ。

答えを持たないまま辿り着いた場所――オレオール(魂の眠る地)。

そこに待ち構えていたのは、感情もなく、ただ正確に開き、そして閉じる自動ドアだった。


​だが、ガラスの隅に貼られた「DAIHATSU・NHN」のステッカーを見れば、ダイハツマニアの胸は高鳴る。


イギリス近衛兵のマークは、かつて「しっかり閉まる、頼れるドア」の証として親しまれたブランドの象徴だ。

メーカー消滅から15年以上、更新や清掃の波を潜り抜け、剥がされずに残っているのはまさに奇跡と言える。

​この「NHN」のルーツは、ミゼットのエンジン部品を手掛けたツバサ工業に遡る。かつてダイハツ工業が手掛けていた「ドアクローザー(ドアを自動で閉める装置)」の生産事業を1954年にダイハツから正式に継承。
船舶用エンジンの名門・ダイハツディーゼルの子会社を経て、2000年に製造のダイハツディーゼル機器、販売のニッカナが製販統合し「ダイハツディーゼルNHN」が誕生した。
しかし、リーマン・ショックと円高の煽りを受け、2009年5月、親会社の判断によりその歴史は幕を閉じた。

クルマのダイハツが自動ドアにもその魂を宿していた幸福な時代の名残を、今日も兵隊マークが静かに守り続けている。

最大で12年程度とされる設計寿命を大幅に超えてもなお、現役で働き続けるその姿・・・放置された名車たちと、この自動ドア。

「役割」を終え、ただ朽ちていく鉄の塊に救いを見出すのは、「役割」から逃げ出した人間の抱く、ある種の身勝手なエゴに他ならないのだろうか。
2026年01月05日 イイね!

何者なんだ、お前は!? 謎のL150Sムーヴ ※追記解決編あり

新年早々、ダイハツマニアとして見過ごせない一台に遭遇した。
ここ最近、急激に見かけなくなった感のある、L150系前期型ムーヴなのだが、その仕様がどうにも腑に落ちない。

この仕様、カタログモデルに無くなイカ?



まず外観からして妙なのだ。
・ピラーブラックアウトレス
・素ガラス
・素地黒樹脂ミラー
・素地黒樹脂ドアハンドル

一見すると、同時期のストーリアやブーンに設定されていた「ビジネスセレクト」的な法人・業務向けの最廉価グレード。
しかしそもそもその“最廉価”がカタログに存在しないのが問題だ。

一般的なL150ムーヴは、廉価モデル「Lグレード」であっても、もう少し色気がある。


そして、ここで決定的な違和感が一つ。
この個体、AT車なのにMT車と同様のセパレートシート仕様なのだ!!

L150ムーヴの場合、AT車は基本的に前席ベンチシートとなるが、MTだとシフトレバーが生えている箇所もしっかりカーペット敷きである為、最初からこの組み合わせで生産された可能性が極めて高い。

さらに気になるのが、助手席シートにアームレストが付いている点。
この装備だけを見ると、一瞬「福祉車両のフロントシートリフト車では?」という仮説が浮かぶ。

しかし、ここでも話は簡単に終わらない。車椅子搬送車両のスローパー等も含めたフレンドシップシリーズのベースは、あくまでLグレードの筈。

台数が限られる福祉車両である以上、「特殊装備を足す」ことはあっても、専用に部品を起こし、管理してまでダウングレードする理由が考えられないのだ。

だというのに厄介な事に、どう見ても天然オーナー物にしか見えないのだ。後付けで装備を外した形跡はなく、改造された雰囲気も皆無。
ただ黙々と日常の足として使われてきたようなシケモカーな佇まいで、「マニアなオーナーが意図的に低グレード化した車」ではなさそうなのだ。

ここまで来ると、「一般向けカタログモデル」という前提自体が揺らぐ。考えられるのは・・・

・法人/官公庁向け、本来の意味での裏ムーヴ
・特定企業や地域向けの限定販売車両
・コスト算出や耐久試験を目的とした準量産仕様

あるいは穿った見方をすれば、試作車、もしくは試作に近い検証車両が、そのまま市場に流れた可能性。(何かで見た衝突安全試験車両が同じ外装だった気が)

そこで最後に残る“現実的な手掛かり”が一つ。
パーツカタログの存在だ。

こうして実際に生産されている以上、部品としての登録は必ず行われているはず。
つまりこの謎解き=シャレードをするには、部品番号をMOVEすれば良いのではないだろうか。

手元にL150ムーヴのパーツカタログが無い以上、結論は出ない。だが、考察する価値は確実にある。

この仕様に心当たりのある方、あるいは当時の裏事情をご存じの方がいれば、ぜひご教示いただければ幸いです。

※追記:解決編
どうやら助手席シートリフトを単独で選択した場合のみ、この仕様になるようです。
助手席シートリフト+車椅子搬送装置付きだと通常のLと共通。後期は単独選択でもダウングレード化されず、この仕様は前期のみに設定があったと思われます。

さらに後期だとカスタム系ベースのフレンドシップシリーズも存在してるみたいで、いやさぁ、福祉車両だなんて馬鹿にしてたさ。
がねぇ、いやぁ、奥深かったって感動したぁ(笑)

Posted at 2026/01/05 11:12:51 | コメント(2) | トラックバック(0) | ダイハツ | 日記
2025年09月18日 イイね!

光る風邪、薫る風邪。精神が肉体をも凌駕する草ヒロ探索

子供から移された風邪で39℃の発熱。
コロナもインフルも陰性、だが出勤停止――よし、チャンスだ!!
そんな時に「岐阜方面に草ヒロ探索へ行こう」だなんて、正気の沙汰じゃない。アホのすることだ。

だが――生命の衝動は理屈を超える。

39℃の熱? そんなもの命の鼓動が高鳴っている証にすぎない!
「解熱剤で下がるはずがない」だと?――おまえの心が冷えているだけだ!

覚悟がある者は、発熱を理由に歩みを止めたりはしない。
300キロの下道往復さえ、覚悟があれば“逝ける”!
どうせ家に帰ったって、子守りでロクに休めやしないんだ!!

そうさ、無茶なのは百も承知のうえ。
――だが、それでも今しかないと、胸の中で早見優が囁く!!

■バス停横のリーザ・オキシーⅡ

バス停横をヒントにストリートビューを虱潰しに探し、つい最近ようやく位置を特定できた――有名物件のリーザ・オキシーⅡ。




昭和63年、前年に400台限定で販売された初代オキシーが好評だったため追加された特別仕様車。標準車には設定のない黒内装、スポーティなエアロパーツ、そしてターボ――まさに当時の若者向け特別仕様車を象徴する1台。


現車はかつて何段も積み上げられた車の一番上にあったが、リーザの下にあったミニエースを引き取ったマニア氏がいたようで、いまは大地に降り立っている。


550時代のリーザはNAモデルなら21世紀になっても時々見かけたが、維持に手間のかかるキャブターボは車齢10年前後でほぼ絶滅したように思う。
それを2025年に再び見られようとは――光る風、薫る風とはこの風向きか。


■660規格のリーザ・オキシー
こちらも有名物件、某鉄道路線沿いに鎮座する660規格のリーザ・オキシー

660モデルは、生産期間がわずか1年4ヶ月。しかも新規格対応のL200ミラの陰に隠れ、エンジンもお買い得仕様のチャチャと同じNAに。
そのため選ぶ人は少なく、むしろこちらの方がレアと言えるかもしれない。(しかも5MT)

ちなみに、リーザにはかつて北米輸出計画もあったらしい。(ただし価格が格上のシャレードとバッティングする為、中止。)
この新規格対応の大型バンパーで仮想USDM仕様を作ったら面白そう。

管理された駐車場に20年近く放置されながらも撤去されない、こいつの闇は深すぎる...!(よく見ると横のキッチンカー、窓が破られていないかい?)

軽スペシャリティーの系譜だと、リーザの純粋な後継車はオプティだろう。だが「軽のスペシャリティー」という枠で見れば、テリオスキッドも後継の一つと言えるのでは。


なんたってインドネシアのワイド&ロングボディのテリオスこと、タルーナには、オキシーという上級グレードが存在するのだから。

リーザ=OXY
タルーナ=OXXY あれ?Xが増えてやがらぁ。

■酒屋の看板娘L200ミラウォークスルーバン
同時期のダイハツ車だと酒屋の看板娘的存在、L200ミラウォークスルーバンも目を引く。

配達用として使われていたと思われるが、昨年2月で車検切れ。ご隠居のようだが、それでも愛されているのだろう。

(現地で後ろにフェンダーミラーのハイラックスがあったのに、全く気づかなかったのは――熱のせいとはいえ不覚)

■ユーチューブ物件のバネットラルゴ


スーパーサルーンターボの4WD AT。詳細は専門職の方にお任せしようと思う。


■B12サニーフルオート・フルタイム4WDスーパーサルーン
通りすがりの道端に、あり得ぬ光景が。
草ヒロではないが、B12サニーの フルオート・フルタイム4WDが静かに佇んでいた。

3桁ナンバー――マニア氏の所有なのか。
あまりのレアさに、思わず息を呑む。その存在までもが運命に導かれた証のように思えた。

■完全オリジナル物件、畑のシケ物置な二代目ミラージュ1.5CX

見える、見えるぞ――キヨシローとエリマキトカゲの蜃気楼が!

初の愛車は、これと同じ最初のマイナーチェンジ後のミラージュサルーンCXエクストラ(カタログの表紙と同じデジパネ、ガンメタツートン)だったので感慨深い。

当時は車検に20万円かかると言われ泣く泣く手放したが、今なら自分でどうとでもできただろうに――なんとも惜しい。

そうして錆びた鋼がなお生命の証明を見せる光景に、熱も忘れて立ち尽くす。

なぜ岐阜へ? どうしても譲れない事情があったからだ。

テリオス純正ラゲッジマット――デッドストック未使用品が、わずか800円。



だが適合は“キッド”か、それとも“テリオス”か――このゼブラ柄であれば“キッド”用であろうが、現物確認なくしては未来は選べない。


そして現物を前に、確信は歓喜へと変わる。
間違いなくキッド用、しかも純正箱付きだと!!




まるで運命がこちらに生命の意思を託した証のようじゃないか――そうだ。それが生きるって事だろ?

――そうして無理を重ね、限界を超えたその果てに。身体はついに、鎖のように動かなくなった。

だが――悔いなど、ない。

白衣の天使? そんなもの、求めてはいない。
再受診した病院の駐車場で――伊東美咲ピンクのデミオが、確かに微笑んでいたからだ!!

あぁ……2004年、再販モデルだけに許された、ボディ同色のPIAAホイール――その輝きは、運命をも揺さぶる光。

それさえあれば、まだ立ち上がれる。

プロフィール

「ウチは今回全滅しました(笑)吸入薬にビックリしました〜」
何シテル?   02/20 14:33
ほら今日も、まゆげのおじちゃん探してくるよ、シケモク車。
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2025/02/25 19:19:59

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