世紀末の路上において、カローラ/スプリンターは、もはや個別の車ですらなかった。
それは日本という巨大な回路を流れる、均質な「共通言語」、あまりに遍在しすぎた、空気のようなインフラ。
耐用年数を迎えたインフラが一斉に更新されるように、ある時を境に彼らは、音もなく路上から間引かれていった。
【E70系】
バブル期に淘汰されていた70系は、当時でも「旧車」というラベルを貼られたマニア物件が大半だった。
■前期スプリンターHT 1.5SE(確かAT車)
そんな中、残っていた、昭和の愛車家がオーナーと思われる前期型スプリンターHT。

純正アルミや、バンパー下のガードバー、コーナーランプ、フォグランプは、オプション用品か。
撮影時もあまり動いている様子ではなかったが、その後しばらく野ざらし放置され、気がつけば消えていた。
■前期カローラセダンGT
ホイールやサイドストライプまで純正のまま残された、あまりに端正なフルノーマルの個体。2T-Gを心臓に持つ「最後にして最強のFRカローラ」は、当時としても圧倒的なコンディションだった。

当時、この手のモデルは改造ベースとして絶大な人気を誇っていたため、手を加えられず、これほど綺麗なノーマル状態で生き残っていること自体、奇跡に近かった。
■中期カローラワゴン 1.3GL
モデル末期の昭和57年に突如追加されたワゴンモデル。当初の月販目標が僅か500台、1300のみ2グレードのみを展開で、あまりメーカーも売る気がなかったようだ。
現車は上級グレードのGLで、この仕様は翌年のマイナーチェンジでミドルルーフ化されるまでのわずか1年間しか存在しなかったため、極めてレアと思われる。

三重県の通りすがりのパチンコ屋の駐車場に止まっていた記憶があるが車庫保管を思わせる塗装の艶に対し、随所に刻まれた傷跡。当時でも高齢のオーナーが乗られていたのだろう。
現在では、隣に佇むオルティアが、当時の70ワゴンより車齢を重ねた旧車となっている事実に、残酷なほど年齢を重ねてしまった悲哀を感じる。
■中期カローラバンDX
岐阜の陸運局で、車検を待っていたと思われる、ミドルルーフ化される前の角目70カローラバン。今となっては、周囲の車両も懐かしい。

商用車として過酷に使われる運命の廉価グレード「DX」でありながら、そのボディには傷一つないのは、よほどオーナーに愛されていた個体だったのだろう。
■後期カローラバンDX
ひっそりと働き続けていた、修理工場のサービスカー。当時としても、現役の働く車としては、めっきり見かけなくなっていた。

隣に写るハイゼットクライマーは、2010年代まで現役だったが、この70カローラは、撮影後ほどなくして姿を消している。
【E80系】
当時、80系は急激にその数を減らしていた。
後輪駆動のAE86型のみが「偶像」としての生を繋ぎ止めていた一方で、それ以外のFF系は誰にも省みられず、路上から抹消されていった
■前期カローラセダンGL(フェンダーミラー仕様)
80系の現役当時、上級グレードを選ぶ層は代替のサイクルが早かったためか、路上で出会うのは決まって中級の「GL」であった。

腐りやすい前期型、かつ屋根なし保管でありながら、当時残存していた個体の中でも群を抜いて美しかった。余計な装飾を排したプレーンな佇まいは、80系が本来持っていた理想主義的な美しさを際立たせている。

撮影直後、120系カローラへと代替され、現在もオーナー氏はその愛車を駆り続けられている。
■前期カローラセダンSEディーゼル
前述のGLが奇跡的な美しさを保っていた一方で、当時の路上に残る前期型の多くは、この個体のような「草ヒロ」然とした朽ちゆく姿が常態であった。

上級グレードの「SE」でディーゼル仕様は、当時としても珍しい存在である。
前期型は錆びに加え、ピラーのブラックアウト塗装が剥げ落ちるという特有の持病を抱えていた。
こんな状態であるからして、撮影の1年後には撤去されている。
■後期カローラセダンGL(GLサルーン?)
製造品質の向上ゆえか、前期型に比べて程度の良い個体が目立っていたように思う。絶対数として見れば決して多くはなくとも、それでも「普通に見かけられる」という、今思えば幸福な時代であった。

特別な名車としてではなく、市井の風景の一部として淡々と役割を全うするカローラの大衆車らしさを物語っていた。
■後期カローラセダンSE
自動車リサイクル法施行以前、あちこちで目にした「廃車の野積み」。大阪の狭山池近くの畦道に積み上げられていた後期SEも、その無慈悲な山の一部だった。

こんな状態にあっても、前述の前期SEディーゼルと比較すれば、その製造品質の飛躍的な向上をありありと感じ取っていただけるのではないだろうか。
かつての上級グレードが、時代の端境期で無価値な鉄屑として積み上げられ、静かに朽ちていく。その光景には、豊かさの裏側にあった残酷なまでの使い捨ての論理が、生々しく刻まれていた。
■後期カローラセダンGT
①生と死の境界を彷徨う中古車
名機「4A-G」を心臓部に持つセダンGT。当時としてもその希少性は際立っており、中古車雑誌で見つけた一台を岐阜の恵那まで「見るだけ見に行ってみよう」と赴いた。

現車はワンオーナーと思わしき、走行10万キロ超の個体。現在の感覚なら「状態良好」と評されるだろうが、当時はあくまで年式相応の扱いであり、ウォーターポンプからの水漏れも抱えていた。

雑誌の掲出価格は20万円くらいだったか。しかし現場では「現状10万、書類なしなら5万」という、投げ売りに近い提示を受けた。不人気ゆえの悲哀だろうか。食指は動いたが、下宿を引き払うタイミングと重なり、泣く泣く購入を断念した。
この個体はその後、AE86の部品取りとしてその生涯を終えてしまったのだろうか。
②解体ヤードの聖域に遺されたお宝
かつて60年代の旧車が山積していた解体ヤード。98年頃に更地へと姿を変えていく中で、2000年代初頭まで唯一残された場所があった。それが事務所棟だ。
その屋根下のフェンス奥には、潰さずに残しておきたい「大事な車」だけが、まるで秘匿されるように保管されていた。その中に、このAE82セダンGTの姿があった。

当時のヤードの主も、このFF初の4A-Gを積んだセダンの希少さを分かっていたのだろう。しかし、その最後の聖域だった事務所棟もやがて整理され、今では無機質な土建屋の資材置き場へと変わっている。
■前期カローラ5ドアZX
格上のコロナ(T150系)の5ドアはそこそこ見かける機会があったが、カローラのそれは存在自体が極めて稀だった。
①鯖江のアル・プラザに舞い降りる欧州の風
福井県鯖江の路上でその姿を見つけた瞬間、あまりの美しさと希少さに、吸い寄せられるようにしばらく追跡してしまった。その後、アル・プラザの駐車場へと滑り込んでいくのを見届け、ようやくその姿を記録に収めている。
今のように誰もがドラレコを積んでいる時代だったら「不審車両」として通報されかねない、アウトな振る舞いだったかもしれない。

だが、これほど美しい個体が平然と生き続けていた事実に、ただただ圧倒されたのだ。
ゴールドのボディカラーにベージュの内装、そして癖の強いリアのデザインが相まって、その佇まいは同時期の欧州車のようだ。

前期型特有の持病であるピラーの塗装剥げも一切なく、程度「極上」と呼ぶにふさわしい。当時の日本市場ではその個性が敬遠されてしまったのかもしれないが、オーナーの深い愛着によって維持されたその姿は、不人気ゆえの希少性も相まって、路上で異彩を放つ美しさを湛えていた。
②整備学校のシケ物置
かつて自身が通っていた整備学校の裏、そこに「シケ物置」として転がっていた一台。
欧州を意識したデザインゆえに、赤のボディが実に映えるモデルだが、やはりそこはお約束、ピラー部分の塗装剥げが経年を物語っていた。

まわりを見渡せば、他にもツッコミどころ満載な車たちが並んでいるが、それについては今後のお楽しみ。ただ、悲しいことに、自分が学校を卒業した後、この物置代わりのカローラもろとも、すべて綺麗に片付けられてしまったようだ。
■カローラFX-GT
ホワイトの「フルカラースポーツ」仕様が街を席巻したFX。
しかし、現役の個体は決して多くはなかった。やはり、当時の熱い若者たちが限界まで乗り潰してしまった結果なのだろうか。
①岐阜市内の「シケ物置」
岐阜市内の長閑な民家の軒先で、シケ物置と化していた一台。ボディの艶は完全に失われ、タイヤの空気は抜け、車内には生活用品が詰め込まれていた。

しかしその余生も長くはなく、撮影の翌年にはひっそりと撤去され、その場所から姿を消した。
②マツダ販売店の不良在庫車(MT)
競合他社の販売店横の車両置き場で、半ば放置されていた一台。周囲をルーチェとボンゴに囲まれ、錆と苔に覆われつつあった。

運転席ドアのキーシリンダーは無残に抉り取られ、ぽっかりと開いた穴には、蜂の巣が築かれていた。
いつの間にか他の放置車両たちと一緒に片付けられ、跡形もなく消え去ってしまった。
③スタンドスタッフの現役個体(AT)
それでも「現役」として輝いていた個体がある。今は廃業してしまったガソリンスタンドのスタッフの愛車だ。

しかし、この個体も撮影から数年後、デビュー直後の2代目ヴィッツへと代替され、姿を消した。カローラが大衆車であった時代の終わりを象徴するような、世代交代の光景であった。
■カローラFX-SR 5ドア
朽ちゆく個体が多い中、あるホンダの販売店で「代車」として余生を送る一台があった。隣に並ぶCA72系アルトと共に、現役で顧客に貸し出されていたその姿は、あまりに健気だった。

この個体、単なる5ドアではなく、スポーティグレードの「1600SR」。
5ドアのラインナップにおいて、EFIによる走りを求めれば、自動車税が高くついても行き着く通好みな選択肢。当時すでに型遅れの部類ではあったが、希少なSRを代車にしているその店に、「自分も借りてみたい!」と強烈に惹きつけられた。
しかし、その販売店自体も、現在では廃業してしまっている。
■後期トレノGTアペックス
当時は、まさに走り屋ブームの真っ只中。
その多くが手荒に改造され、「汚いドリ車」ばかりだった。
しかし、そんな喧騒の中にあっても、稀に「天然オーナー物」と呼ぶべき美しい個体に遭遇することがあった。

新車時から大切に、そして穏やかに乗り続けられてきたであろうその姿は、改造車にはない凛とした気品を放っていた。
■前期トレノSE
走り屋ブームで荒れたAE86を余所に、このAE85は天然オーナーが2ドアセダン代わりに愛用する「日常の足」として静かに生きていた。

あちこちが錆び、生活の傷に覆われたその姿は、飾らない大衆車としての年輪を感じさせたが、撮影の翌年には忽然と消滅。記録した直後に失われる、大衆車の儚い宿命を象徴する一台だった。
■前期トレノSR
奈良の車屋のヤードで出会った、忘れられない一台。
外装の状態の良さに反して、オドメーターは「30万キロ」近くを指していて、まさに「ドン引き」した。

そのあまりの過走行を微塵も感じさせないほど個体の程度は良く、トヨタの異常なまでの耐久性を証明するかのようだった。

フルノーマルの車体には走り屋系のステッカーが貼られていたが、その中にアニメ制作会社「XEBEC(ジーベック)」(現在は倒産)のロゴが混じる。
まだ「痛車」という言葉すらない時代、これは間違いなく、愛と執着を車に託した先駆者の姿だった。
【E90系】
当時は、街を歩けば90系のSEリミテッドやXEが溢れていた。
あまりにも「当たり前の風景」すぎて、レンズを向けるのは決まって「GT」や「レビン/トレノ」、あるいは「FX」といった特殊なスポーツグレードばかりだった。
今にして思えば、あの頃どこにでもいた「普通のセダン」こそが、カローラの真髄であり、最も早く姿を消す運命にあった。現在、SEリミテッドやXEに出会う難易度は、GTの比ではない。日常を記録することの難しさと、当時の自分の贅沢な取捨選択を、今さらながら痛感する。
■前期カローラセダンGT
どこで撮影したか覚えてない、とある車両ヤードの片隅。そこに前期セダンGTと後期SEが並んで転がっていた。
今ならマニアが狂喜乱舞するような並びだが、当時は「ただの古いカローラ」でしかなかった。

少し前までのE90系の立ち位置の低さを象徴するエピソードがある。
某氏が20年ほど前、意気揚々と前期セダンGTで「70カローラの集い」に乗り込んだ時のことだ。そこでの扱いは、あろうことか「エンジン・ドナー」だったという。
4A-Gを積みながら、FFというだけで「生かすべき車」ではなく「剥ぎ取るための素材」として見られていた時代があったのだ。
■前期スプリンターセダンGT
そんな不遇なAE92勢の中でも、滋賀のブックオフ駐車場で遭遇した大宮ナンバーの前期スプリンターGTは異彩を放っていた。当時ですら前期のGTは激レアだったが、あくまで「普通に乗られている足車」としてそこにいた。

遠く関東の地からやってきたのか、日常に溶け込むその姿。ヤードで朽ちゆく仲間や、改造の餌食になる同型車を余所に、天然のまま現役を貫く佇まいには、大衆車としての矜持と凄みが同居していた。
■前期カローラFX-GT
ジョーシンで見かけたその個体は、まるでタミヤの1/24スポーツカーシリーズのパッケージからそのまま抜け出してきたような、驚くほどクリーンな姿をしていた。

まだ「ただの中古車」として使い潰されていた時代に、3桁ナンバーを掲げて前期FX-GTを綺麗に維持するようなオーナーは珍しい時代だった。
あえて90系に拘る。その熱量が、タミヤのプラモのようなコンディションを支えていたのだろう。
■スプリンターシエロ
80系の不遇な5ドアとは対照的に、意外と台数が出て街に馴染んでいた90系シエロ。

カタログや広告から抜け出してきたかのような気品あるツートンカラーでも、特別な愛着を持たれず、ただ実用車として朽ちていく姿は、当時のE90系が置かれたリアルな立ち位置を物語っていた。
■前期トレノGT-Z
街に溢れたアペックスに対し、MT専用設定ゆえに当時から希少だったスーパーチャージャー仕様のGT-Z。
①時代の寵児フルホワイト仕様
この個体は、スーパーホワイトのボディに白のDRAGタイプアルミを合わせた、80年代の王道を行く「フルホワイト仕様」でドレスアップされていた。

背景にAE111が写り込むその光景は、小型クーペが日常に溶け込んでいた、幸せな時代があった事を伝えている。
②不遇の時代の象徴ドナー車
隣にAE86が佇む姿は、状態の良いノーマル車ですら(だからこそ)「86の部品取り」として消費された不遇の時代を物語る。

当時はまだ現役だった90系が、弱肉強食のごとくパーツ供給源として解体されていった残酷な現実。それは、神格化された名車の影で静かに姿を消していった、過渡期スポーツモデルの切ない記録だ。
③リアルトミカプレミアムな中古車
「白こそ正義」だったスーパーホワイト全盛期、カタログの顔でありながら路上では滅多に拝めなかった希少な黒金ツートン(シューティングトーニング)。

最近発売されたトミカプレミアムをそのまま実車にしたようなGT-Zは、中古車として並ぶ低走行の極上個体だった。だが、今となっては後ろの前期セダンの方が気になる。

しかし程度の良い過給器付きスポーツクーペが、学生でも「ちょっと頑張れば買える中古車」として選べた、あの頃の相場観は、今となってはファンタジーだ。
■前期トレノ GTアペックス
前述のトレノと同じ「シューティングトーニング」を纏ったAE92。黒と金のツートンが放つ独特の気品は、やはりこの時代の中でも特別な存在感を放っていた。

ダッシュボードに置かれたぬいぐるみから、若い女性がオーナーだったのではないかと推察するが、そのミスマッチな光景がたまらなくかっこいい。今では軽ハイトワゴンに流れてしまう層が、日常の足としてこうしたクーペを颯爽と乗りこなしていた。車が単なる道具ではなく、憧れと自己表現の象徴になる良い時代だった。(背景のYRVとL600ムーヴの並びも実に良い)
■ 前期レビン Zi
通りすがりの三重県、オープン後すぐに潰れてしまった格安系中古車屋の店頭に転がっていたAE91レビン「Zi」。前期では4A-G搭載のAE92以外で、唯一EFIが選べたセミスポーツグレードだ。(後期は全車EFI)

本体価格は、驚きの「1万円」!!
総額20万円のMT車は、外装こそ綺麗だったがトランクに水が溜まっているという「格安車」の洗礼付きだった。しかし、4A-G搭載車ばかりが保護される今、こうした実用グレードの生き残りは皆無に近い。(後ろの18万のロッキー、メッキグリルだから1年しかないSXリミテッドだ。良いな~)
■後期レビンGT-Z
当時、自分の中で後期型は記録の対象外だったはずだが、なぜかこの一台だけはシャッターを切っていた。この時の自分を褒めてあげたい。

この頃までは「普通のユーザー」がごく当たり前に、この暴力的な動力性能の過給器付きクーペをノーマルで転がしていた。オタクな車好きだけでなく、ちょっとおしゃれな若者や、単に「速そうなのがいい」と選んだ一般層が、日常の足として平然と乗っていたのだ。
■AE101前期スプリンターSE-G
当時、自分の中でAE100系はまだ「新しすぎる」記録対象外だったが、15インチアルミと左右2本出しマフラーで改造されていたため、「GT」だと勘違いしてシャッターを切っていた。

しかし、よく見ればそれは「SE-G」だった。だが今となっては、スポーツグレードのGTよりも、この豪華仕様のSE-Gの方がはるかにレアな存在だ。

前期SE-Gは、バブルの余韻を色濃く残す「パワーシート」を標準装備。さらにこの個体は、オプションのフォグランプ、コーナーポール、バックセンサーまで備えたフル装備。自身も同グレードに乗っていたからこそわかるが、カローラ史上最も「高級車」であろうとした、本当に良い車だった。
こうして振り返れば、記号的な「多様性」を謳う現代より、この頃の車の方が遥かに選択肢が豊かだった。カローラひとつとっても、経済車からスポーツカー、商用車、小さな高級車、RVまで、文字通り百花繚乱。メーカーのご都合主義でテンプレート化した今の画一的なお仕着せ仕様とは、注がれた熱量が違う。
しかし、これらの世界一になろうとした熱量が生んだオーバークオリティなカローラたちは、「頑丈で壊れない」という美徳ゆえに、あまりに切ない末路を辿った。
高品質ゆえに海外へ売り払われる流出の波の後、2009年、国が推奨するエコカー補助金という名の「断頭台」が彼らの前に置かれる。
まだ元気に走れる極上車たちが、新車購入のインセンティブ25万円の餌食となり、抗えぬ強制力をもって「自害しろ」と宣告されたも同然の時代。
かつて当たり前にそこにあった豊かさの象徴は、こうして日本の風景から強制的に切り取られ、今や写真の中にしか存在しない生存記録となったのだ。