いつの間にやら今年も終わっていた東京モーターショー。
その43回、約60年に及ぶ歴史の中で、たったの2回だけ台湾の自動車メーカーからの出品がありました。
それは、第27回目となる1987年と第28回目の1989年のことでした。

ニッサン車のライセンス生産をおこなっていた「裕隆」(ユーロン)社が、日本への輸出を前提として1800ccクラスのFF乗用車、「飛羚101」(フェイリン)を参考出品したのです。

元々、台湾は大変な輸出立国で外貨があり余っているお金持ちです。
ところが80年代半ばまでは他のアジアNICS(現NIES)同様、乗用車の完成輸入車が禁止されており、古くから現地資本と海外資本の提携によるライセンス生産が盛んな地でした。
今でこそ裕隆の新ブランドとして、完全自国開発メーカー「ラクスジェン」が生まれていますが、その先駆けとなった初のホームメイドカーが「飛羚101」なのです。
1981年8月、裕隆は自主開発の為のエンジニアリングセンター(工程中心)を開設。当時の台湾で本格的な技術研究所を保有しているのは裕隆のみでした。

日産のライセンス生産からの自立と同時に、裕隆が独自に開発した車種を持ちたいという意欲の表れであり、エンジニアリングセンターは、以下の3点を実現するために設立されました。
・裕隆ブランドの新型車を開発し、台湾市場はもちろん国際市場にも供給することを目標とすること。
・金型、治具、ゲージなどを独自に設計・製作し、量産にそなえること。
・新型車を開発するために裕隆への部品供給メーカーの設計能力と生産の質を高めること。
スタイリングから設計・開発まで自力でやりとげた台湾唯一の純国産車は、裕隆だけではなく台湾全土の誇り・台湾のための車を念頭にコードネームX101と呼ばれ開発、5年後の1986年10月25日に発売となります。

“飛ぶカモシカ”を意味する「飛羚」という名称は、1985年におこなわれた車名の一般公募の結果集まった34120通の中から選ばれた主婦の入選作でした。
自己開発とはいっても、ボディの一部やエンジン、駆動系などは、台湾で元々ノックダウン生産されていたT11スタンザのものが流用されています。
世界各地のあらゆるモーターショーで収集された膨大な情報が検討され、トランクリッドをもつノッチバックとクーペと呼ばれるファストバックの2つのボディタイプが用意されました。
ファストバックは当時世界トップレベルのCD値0,29を記録、ノッチバックですらCD値0,33という意欲的な空力デザインです。
空力デバイスとして、整流効果のあるフェアリング付きのエアロミラー、ダクト付きリアスポイラーなどを装備。これにはアルシオーネも真っ青です。
パッと見だと普通のセダンに見えるノッチバック。

ところが、こちらもトランクリッドを開けるとルーフ後端まで大きく開いちゃう5ドアなんです。

2つのボディタイプがありながらも、両方ともに5ドアハッチとか、もはや狂気の沙汰としか思えません。 おそらく本家ニッサンのライセンス生産車、青鳥(ブルーバード)と競合しないようにするという政治的な配慮あっての事なのでしょう。
当時の台湾でバカ浮けしたという、「飛羚」と漢字で大書されているリアガーニッシュも、ある意味では狂気の沙汰。

なんせ夜になると、カリーナEDばりに光るんです!!

とってもシュール(笑)……場末のスナックの看板みたいです。
光りモノといえば、テクノ感を通り越して超古代文明の遺物みたいなデザインのデジパネも。おもむろに“ターンAターン”って叫び声をあげたくなるシドミード感が酷い。

本国でもデジパネ装着車は超レアで、そんなのあったの?的な黒歴史扱いなのだとか。
このデジパネに代表されるように、インパネのデザインは宇宙船感覚がモチーフとなっています。

よく当時のシトロエンも宇宙船みたいな内装と言われていますが、そんなのヌルい、ヌルい。
同じ宇宙船でも「飛羚101」は、まるっきり特撮メカのノリなんですもの。
ほら、最上級グレードに標準装備のオーバーヘッドコンソールなんて特に。
エンジンは、1,6リッターのCA16型・88馬力と青鳥(ブルーバード)用の1809cc・CA18型を台湾の税制に合致するように1796ccに設計変更したCA18N型・97馬力を搭載。両エンジン共にキャブレター仕様のみの設定でした。
サスペンションもT11由来の前後ストラットです。しかしセッティングは裕隆独自のもので、欧州に持ち込まれての走行テストも実施されています。
そんな「飛羚101」には、ノッチバック・3グレード、ファストバック・2グレードが設定されていました。
・ノッチバック1,6リッター・DX

飛羚101のエントリーモデルにして、唯一の1,6リッターエンジン搭載車、ミッションは4MTのみ。日本と同じく、この手の廉価モデルの宿命で販売台数が極めて少ないレアグレード。

装備は至ってシンプルなものとなり、ハーフキャップ付き鉄ホイール、タコメーターレス、ビニールレザーのシート表皮など快適装備の類いが一切なく、豪華な1、8リッターとの激しいギャップが萌え要素。
・ノッチバック1,8リッターSD/ファストバックFB

1,6DXに少し予算を足せば購入できた中間グレード。5MT車のみの設定となります。

ツートンカラー(バンパーは無塗装)、ピラーブラックアウト、フルホイールキャップ、タコメーター、フルファブリック・スポーツシートなどを装備したスポーティ仕様。
・ノッチバック1,8リッターGTS /ファストバックGTF

意外なことに販売台数が1番多かった最上級グレード。
メカニズム的にはSD/FBと同じながら、エアコン、パワステ、パワーウィンド&集中ロック、ボディ同色電動ミラー、オートアンテナ、アルミホイール、ドライブコンピュータ、クルーズコントロール、オーバーヘッドコンソール、6ウェイアジャスタブルシート、クラリオン製マルチチャンネルオーディオなどの豪華装備を誇ります。

このグレードにのみ設定される3AT車は、GTS AUTO / GTF AUTOと呼ばれます。
「飛羚101」型は、1986年~1988年の間に16,653台が販売されました。
その数だけを見れば少なく感じるかもしれませんが、1986年当時の台湾の年間新車台数は15万台程度なので、これは大ヒットといえるレベルでしょう。
●1989年:飛羚102[YLN-201]

初のマイナーチェンジで「飛羚102」型に進化。
従来モデルのアクが強すぎるフロントグリル、テールランプ、アルミホイールはシンプルなデザインに変更されました。
ボンネット上のダクトも、ジェミニイルムシャーを彷彿とさせるNASAダクト形状になっています。
基本的なメカニズムに変更はありませんが品質が大幅にアップし、同時にGTグレードの価格が引き下げられます。
それに伴い存在意義を失ったDX、SD/FBグレードは廃止。1,6リッター車に従来のSDと同等の装備となるSLグレードが新設されましたが、販売不振で結局1年しか生産されませんでした。
GTグレードのみの設定となったファストバックは「SF」と呼ばれるようになりました。日産系なのにトヨタっぽい、しかも時期的には170コロナのデビュー直後のことです。
GTグレードのブレーキは4輪ディスク化、グリルには「4WDisc」というステッカーが貼られています。
マフラーも、GTの名に相応しいデュアルタイプに変更。まぁ見た目だけで性能面では従来型から変わりないんですけど。
ようやく102型からは、当初の計画にあるよう輸出も開始されました。アメリカではポルシェのディーラーが販売権を取得しましたが、世界的なドル高の影響を受けてあえなく頓挫。
結局は、オランダとロシアに少数が輸出されるに留まりました。しかし、ラーダ・サマラVS飛羚とか誰得?

どっちを買っても家庭崩壊の引き金になりそう(笑)
台湾本国においても「飛羚102」型の販売は、マイナートラブルが続発した101型の不評により、89年から95年までの間に6,925台しか販売されないという残念な結果となりました。
●1993年:精兵1.8i[YLN-601]

ビッグマイナーチェンジで近代化が謀られると同時に、名前を「精兵」(アレックス)601に改名。
ファストバックは廃止されてノッチバックのみとなり、エンジンも1,8リッターのみとなります。

メーカーの威信をかけて開発→マイナートラブルで不評→販売不振という負のコンボを断ち切る為にマイナーチェンジで改名。こんなセダン風5ドア車が日本にもありましたね。
フロントパネルは全面的に変更され、まさかのリトラクタブルライト化。

世界的に見ても、コレの他に5ドアのリトラ車なんて、クイント・インテグラとファミリア・アスティナくらいしか存在しないのでは?
一瞬U12ブルーバード用かと思ってしまったテールレンズもご愛嬌。よく見ればブレーキとウィンカーの位置が上下逆…従来型では強度に問題のあったDピラーが強化されて太くなっています。
ダッシュボードも上半分のパーツが新造され、U12ブルーバード風味。でも何だか普通すぎて、もの足りない気も。

しかも下半分の部品は細部を除いて従来型のままで、バランスを欠いており質感が低く見えちゃいます。ステアリングなんかも、B13サニーの流用品で、寄せ集め感が半端ない。
でもエンジンは、遂にインジェクション仕様となってパワーアップです。
しかし、そうして無理やり若作りをしてみたところで旧態化は免れられず、1995年の生産終了までに「精兵601」は、4298台が販売されただけでした。
━━さて、そこで肝心の日本への輸入計画について話を戻すとしましょう。
1986年5月1日付けの日経新聞に、こんな見出しの記事が掲載されたのが、全ての発端でした。
「日産、台湾・裕隆から現地生産車を逆輸入」
その記事曰く、「日産は、台湾・裕隆製の1800cc級乗用車(飛羚)を、87年にも日本に輸入する方針を固めた~中略~当面は年間数百台規模とみられるが、為替動向や台湾の生産性、品質が一段と向上し、競争力が高まれば、輸入台数を増やしていく」とのこと。
ところが日産が輸入するというのは、真っ赤なガセネタ。
本当のところは日産が輸入するのではなく、飛羚を販売することを希望する業者に日産が協力するという話でしかなく、その一環としての東京モーターショー出展でした。
そこに、ルノーの輸入を手がけていたキャピタル企業が手を上げます。
しかし現実に輸入するには、日本に陸揚げしてからの安全対策や排ガス対策などの改造費が予想外にかかって割高な価格となる為に、この話は計画だけに終わってしまいました。
はい、これが世に言う、結婚詐欺というヤツですか、そうですか。