「死んだ筈だよ お富さん」
ある一定の年代以上の方であれば一度は耳にしたことがあろう、昭和29年に流行語となった大ヒット曲「お富さん」の一節です。
自動車の世界においても、お富さんのように死んだ筈(生産終了)と思っていたら、生きていた(再生産)といった事例が過去に何度もありました。 もうすぐEVとして蘇るというデロリアン、トヨタのシェンタ、三菱のトッポ、MGのRV8、2輪だとスズキのGSX-R1100カタナといったあたりが有名どころでしょうか?
そんな中でも、とりわけ再生産が大好きなのがマツダです。
1986年に生産終了したHB型ルーチェを小型タクシー用に改装して1989年から1995年まで販売していたカスタムキャブ。
国内ではカペラカーゴとの入れ替えで1988年に生産が終了したLA4型ルーチェバンを中華の地において合併会社の海南汽車が1992年から再生産した海馬HMC6470旅行車。

この中華ルーチェはトヨタ4Yエンジンに換装されながら21世紀初頭まで生き延びました。 まさに死霊のはらわた。
そして、その魔の手は遠く離れたインドネシアにも及んでいたのです。
マツダは60年代に戦時賠償の一環として商用車(Bシリーズ)を輸出したのを皮切りに、1971年には現地生産を開始、1974年の新車の輸入が禁止されて以後は、その時代ごとの最新モデルをインドネシアで生産してきました。
1985年にはインドネシア庶民の国民車を造るべく長年スズキ車を現地生産していたインドモービルグループと提携、シンプル・堅牢・廉価と三拍子揃ったFA4型ファミリアAPを生産終了から10年経った1990年から再生産します。
伝説のロードムービー「幸福の黄色いハンカチ」内で、高倉健が倍賞千恵子の貞操を奪いに行くアシとして大活躍した、武田鉄矢の愛車でお馴染みの1台ですね。
とはいえ、インドネシアでも日本と同時期に一度現地生産されていたうえ、当時の最新モデルであるBG型ファミリアと併売される関係上、幾らなんでも現役時代のまま生産とはいかず徹底的なモダナイズ化が図られました。
そこで用意された特選素材がこちら、アランドロンのGC型初代FFカペラ。
この2台が悪魔合体 !!
高倉健×アランドロン、それとも武田鉄矢×アランドロン? カペラのヘッドライトが付いたファミリアこと「マツダMR-90」の誕生です
ヘッドライトのインパクトに霞がちではありますが只の手抜きという訳でもなく、グリルとバンパーは新規に部品が起こされ、リア廻りもテールレンズ、ガーニッシュ、バンパーなどをBG型ファミリアのイメージ を取り入れた意匠のものとしています。
3ドアの設定はなく5ドア仕様のみが生産され、少しでも近代的に見せるためにピラーをブラックアウトした仕様が1991年モデルに追加されました。
また、オプション用品でフォグランプやアルミホイール(SA22CサバンナRX-7流用品)、リアスポイラーなども用意されていました。
既に熟成され尽くした感のある機関部分は、最終モデルまで特に変更されることなく、昭和53年にファミリアAPに追加されたUC型1,4リッターが5速MTと組み合わされて搭載されています。
ダッシュボードは、ファミリアAPのGLグレード以下に用いられていたシンプルな形状のものを採用。ステアリングを後年モデルから流用すると共に、新たにエアコン吹き出し口が設けられています。
このマツダMR-90は、年間の自動車販売台数が20万台以下に過ぎない当時のインドネシアの市場規模からすれば強気ともいえる月1500台という生産目標を掲げて販売を開始します。
ところが、いざ蓋を開けてみれば価格の安さからそれなりには売れたものの、こんなしょっぱい車をインドネシアで新車が買えるようなブルジョワ階級が欲しがる筈もなく見事に販売不振に陥ったのでした。
●1992年:マイナーチェンジ
五家体制時代の本山と同じく記号+数字の名前は不評だったようで、このマイナーチェンジと同時に5ドアは新たに「Baby Boomer」 (ベビーブーマー)を名乗り、フロントグリルには使用が開始されたばかりとなる、ゾロアスター教の「炎」をイメージした最新CIエンブレムが掲げられ反撃の狼煙をあげるのです。
若者向けというキャラクターづけが色濃くなり、バックドアにはBF・BG型ファミリアターボ風のセンタースポイラーとリアワイパーを装備、フロントバンパーに冷却用開口部を増設してリアバンパーはエアロ風味の形状に変更されるなど、スポーティーさが強調されるようになりました。
さらに販売不振に対するテコ入れに、ベビーブーマーの上級仕様として新たなバリエーションモデル「 Vantrend 」(ヴァントレンド)が追加されます。

国内では初代FFファミリアの発売以後も継続生産されていたハイルーフバン(輸出仕様ワゴン)にトノカバーやラゲッジネットなどを追加して最新ライバルに対抗しました。
ベビーブーマーとの差別化の為に採用された角目4灯ヘッドライトも、何処かで見た事があるような?
はい、またしてもGC型初代FFカペラ用、しかも北米仕様(国内仕様のクーペ前期ターボも同一)です。「良いものだけを世界から」byヤナセ

角目4灯の採用により場所を奪われたウィンカーレンズはバンパーとフェンダー部分に増設されています。こちらもGCカペラ純正品・・・それに伴いフロントバンパーは新造され、グリルのデザインもベビーブーマーとは異なります。
リア廻りはフロントほど変更点はなく、せいぜいバンパーとエンブレムがオリジナルと異なる程度でした。
ベビーブーマー、ヴァントレンド共にダッシュボード上半分は新形状のものとなり、デジタル時計を組み込めるスペースが生まれています。

ヴァントレンドのみBFファミリア用の3本スポークステアリングが奢られ、パワーウィンドも設定されました。
●1994年:マイナーチェンジ
大家族社会のインドネシアのユーザーニーズに合致した、人も荷物も載せられるヴァントレンドの追加により販売は持ち直しを見せます。
しかし、その影に隠れる形でベビーブーマーの販売は震わず、このマイナーチェンジと同時に生産が打ちきられてしまいました。(但し在庫が多数あったようで販売は継続)
その一方で好評を博していたヴァントレンドは再びバンパー形状の変更を受けています。

この仕様が最終モデルとなり、マツダとインドモーターとの提携が解消される1997年まで生産されました。
以上がメーカー純正の仕様となりますが、東南アジアのお約束ともいうべき怪しい街工場製カスタムボディの存在も忘れてはなりますまい。
お隣のタイでは1997年頃まで、1967年にデビューした2代目ファミリアのピックアップ(マツダM1400)が生産されていましたが、3代目ファミリアのピックアップなんていうのは如何?

街工場と言っても大型バスのボディをガラスまで自前でハンドメイドしてしまうレベルがゴロゴロしているだけのことはあり、荷台の仕上げなどのレベルはメーカー製と較べても見劣りしないレベルです。
もっと凄いのはこちら、日産ADマックスから後ろの箱を流用したフルゴネット仕様です。

答えは得ました、これが東洋の神秘というものだったのですね(笑)
いやはや東南アジアの方々のバイタリティーには本当に頭が下がる思いで胸がいっぱいです。