1381年、ワット・タイラーの乱でジョン・ボールは言いました。
「When Adam delved and Eve span, Who was then the gentleman?」
(アダムが耕し、イヴが紡いだとき、誰がジェントルマンだったのか?)
少し意味がわかりにくいですか?それでは共産主義者フィルターを通して意訳してみましょう。
「不労所得階級のジェントルマン=ブルジョワ階級は、我々プロレタリアートの敵だ!!」
イエス・サー。ジェントルマンといっても一概に立派な人間ばかりとは限らないんですね、わかります。
むしろ、エゲレス紳士は世界一腹黒いと風評が立つ程度には御立派な訳で。
そう思えば、あら不思議。こんな手抜き車だって笑って許せてしまうじゃありませんか。
━━━英国の伝統と日本の技術が交差するとき、そのふざけた幻想をぶち壊すかのような魔改造が始まります━━━
<ローバー・クインテット>
予想以上に好調なアクレイムの滑り出しに力を得たBLは、さらにホンダに接近。
1981年11月には、新型上級車(レジェンド/ローバー800)の共同開発、日本・豪州市場向けBL車を日本でホンダが生産、ヨーロッパ市場向けホンダ車をBLが英国で生産するという新たな契約を交わします。
さっそく新契約に基づき、オーストラリアのBL現地法人「JRA」(ジャガー・ローバー・オーストラリア)は、販売不振の乗用車ラインナップに拡充を図るべく、ホンダに小型車の供給を要請します。
まさに困った時の神頼みならぬ、ホンダ頼みの精神なのです。
そんな図渦しいジェントルマンに対してホンダは、それまでオーストラリア市場で販売しておらず、アクレイム導入時にも一度提示をしていた5ドア車、クイントを日本から輸出することで応じます。
1982年にBL内の大衆車部門が「オースチン・ローバー」に統合されたのに伴い、ホンダ車としては初めてローバーの名を冠した「ローバー・クインテット」の誕生です。(クインテットは輸出仕様共通名)
あまりスケジュール的に余裕の無い1983年3月の発売という事もあり、ローバーのエンブレム以外にクイントとの違いは殆どありません。
国内仕様の最上級グレードTERに準じた単一グレードのみを設定、オプションでサンルーフとエアコンが選択可能でした。(国内でOPのアルミホイールは標準装備)
エンジンだけはオリジナルと異なり、オーストラリア仕様アコードと同じ、副燃焼室(CVCC)を持たないコンベンショナルタイプの1602cc、80馬力仕様を搭載、ホンダマチックも用意されています。
ここまで見ての通りの純ホンダ車でありながら、発売当初JRAは「ホンダ製であることにオーストラリアのユーザーは気が付かない」と公言しています。
この大英帝国的ジャイアニズム丸出しの植民地思想を、わたしも少しは見習わなければ。
こうしてローバーSD1と並べると雰囲気が似ているので気持ちは分からなくもないのですが、 そんな事を気にしていてはジェントルマンなんてやってらんないのでしょうね、きっと。
<ローバー・416i>
大ヒットとまではいかないまでも、ローバー・クインテットはそれなりの販売成績を収めたことから、後継車となるクイント・インテグラの5ドア仕様も「ローバー416i」としてオーストラリアで販売される運びとなりました。

先代モデルとは異なり、ホンダブランドからも3ドア仕様「インテグラ」が販売され、競合を避けるべく両車は全く異なるキャラクターに仕立てられます。
ローバーは、パワーウィンド・集中ロック・電動ミラー・サンルーフ・ベロアシート・パワーステアリングなどの充実した快適装備を誇る反面、足回りは13インチの70タイヤにリアブレーキはドラムとなる小さな高級車。

一方のホンダは、エアロパーツ・4輪ディスクブレーキ・14インチの60タイヤなどを備える替わりに快適装備を省いて価格を安く設定し、ローバーよりも若いスポーティなユーザーを狙います。
それまでの国内仕様のエンブレムを替えただけのお茶濁しを脱却し、ヨーロッパと共通のボディに国内の旦那仕様グレードGSに準じた装備という独自の組み合わせが与えられました。

国内のGSグレードはキャブレター仕様でしたが、PGM‐FI仕様の1,6リッターZC型・DOHCエンジンを搭載しています。
こうしてローバー416は、ローバー800がオーストラリアに投入されるまでの市場の維持を命題として1986年2月より販売を開始します。
ところが、世の中そんなに甘くはありません。
●安心と実績(笑)のローバーブランド、●同じ車がホンダでも買える、●でもアコード並に高価、ここから導き出される結論は・・・どうぞお察しください。
そうなると、当初の小さな高級車という崇高な理念は何処へやら? 翌87年7月のマイナーチェンジと同時に、お買い得なSEグレードを追加でテコ入れです。

国内最廉価グレードLSと同等の装備にインジェクションのZCツインカム。よもや、これはモデル途中でカタログ落ちした国内の競技ベース的硬派グレードRsiの5ドアバージョンなのでは。(リアブレーキはドラムだけど)
それとは逆に、従来からの高級仕様は当時のローバーのスポーティ&ラグジュアリー仕様の代名詞である「ヴィテス」の名を冠してより先鋭化。とうとうアコードの価格をブッチしちゃうのです。

格好は大変よいと思うのですけど、リアスポイラー、オーストラリア製14インチホイールの採用でインテグラとの差別化は怪しい始末。これってどんなブリティッシュジョーク?
さらに翌88年4月のマイナーチェンジでは、前年の国内仕様の変更に伴いフロントバンパー、内装のデザインが変更された他、ヴィテスにはドアトリムにハンドメイド製作のウォールナットパネルまでもが!!

またしてもグレートブリテン島の重力に魂を引かれてるんですね、わかります。
こうしてアレコレ手を尽くすも最後まで販売は低調な結果に終わり、国内で1989年にクイントインテグラの生産終了すると同時にJRAに対するホンダ車の供給は終了、在庫が90年頃まで販売されました。
JRA自体も負債を重ね、英国からコンチェルト兄弟車の新ローバー400を輸入する計画が持ち上がった直後の1991年末、あえなくオーストラリア市場からの撤退を表明するのでした。
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ホンダ | 日記
Posted at
2014/06/29 00:37:32