「竜頭蛇尾(りゅうとうだび)」
初めは勢いがよいが、終わりのほうになると振るわなくなること。頭は竜のように立派なのに、尾は蛇のようにか細くて、前と後とのつりあいがとれない意から。
・・・かつて名実ともに、そんな中国の故事を思い起こさずにはいられない、中華シャレードのミニバン型コピー車が存在していました。
●チャイニーズ・バレット(中华子弹头)CHB6401TA
天皇陛下のインテグラ(DA型)のフロントフェイス。
スプリンター・カリブ(E90型)のリアスタイル。
そしてシャレードの経済性と耐久性(汚ねーエンジン)
かくして、その実態は!?
北京中華汽車のチャイニーズ・バレット!!
「北京中華汽車」は、アメリカで複合材料を専門とする科学者として成功した、唐金生という人物が1994年に設立した会社です。
唐氏は、それ以前の1980年代にも「深圳中国汽車公司」というメーカーを立ち上げていました。
「深圳中国汽車公司」が1987年~1988年に生産した中華BS111Vは、1986年に販売された天津ダイハツの初代夏利をFRPでコピーした、最も旧い中華シャレードコピー車の1台と思われます。
ただコピーするだけではなく、ソシアル風セダンやピックアップなども生産されていました。
う〜ん、何たる尊厳破壊!!
天津ダイハツが1989年にG100シャレードベースの2代目夏利の生産に着手する以前、1988年には既に欧州仕様(ヘッドレスト形状より)をコピーしたピックアップボディを試作。
パワートレーンを輸入したと思われる木箱にダイハツの刻印がある辺り、おそらく何らかの形でダイハツが関与してるんじゃないでしょうか?
しかし「深圳中国汽車公司」は、政府から安全性に問題ありとされ全国に自動車を販売する許可を得ることが出来ず、失意の唐氏は自動車への複合材料の「焼き入れ」理論に興味を持ったゼネラル・モーターズの招致でアメリカに渡る事になります。
そしてアメリカで有名な科学者になった唐氏は、1992年に中国自動車業界にカムバック!!
アメリカ帰りというネームバリューを活かし、あっさり政府から自動車生産許可をもぎ取るのです。
「チャイニーズ・バレット」は、中国にとって革命的な自動車となることを目標に中央政府から各種の政治的支援や資金援助を受け開発され、唐氏の専門分野を活かした一体成型のFRP製ボディに、ダイハツとのコネクションを活かして入手した夏利のパワートレーンや各種パーツを組み合わせて、1996年より販売が開始されました。
【外装】
厳密にはミニバンじゃなくてステーションワゴン?
でも日産プレーリーにインスパイアされてハイルーフ化してるらしいんで、やっぱりミニバンという事にしておきます(笑)
こうも様々な要素が露骨にパクられるなんて、逆説的に言えば当時の日本の自動車産業が世界に与えた影響が偉大過ぎるのでは・・・しかし、あのトヨタですら最終ヴィッツで払拭面積を確保するのに難儀したと言われている1本ワイパーは、まともに使いモンになったんだろうか?
ドアパネルだけは夏利のプレス品をそのまま使用。横から見るとシャレードのバリエーションなのが、よく分かります。
FRPのボディは錆びないけど、ドアだけグサグサ。
いくら草ヒロでもシャレードは、こんなに錆びないので製造品質は中華クオリティ。なんでもベースの夏利もホワイトボディが雨ざらしだったんだとか。
一体成型ボディの弊害で、まさかのリアゲート無し!?
剛性は高そうですが、トランクの荷物を出し入れするのに一々リアシートを倒さなくゃいけないのは使い勝手最悪かと。
テールレンズは上海GMで生産されていたシボレー・ルミナAPVの物を流用しているようです。
【内装】
内装は、汎用品と思われる4本スポークのステアリングを除いて、シートやドアトリムなども夏利と完全に共通です。
【マイナーチェンジ】
発売翌年の1997年、流石にインテグラをパクったデザインにクレームが入ったのか、ヘッドライトが一般的なものに差し替えられ、それに伴いバンパー形状も変更されています。
1998年には、新たに始まった環境規制に対応する為、EFI化がマストとなった結果、エンジンを日産製GA16DE(パルサーX1Rと一緒のエンジン)に換装、同時にフロントマスクが近代化されています。
FRP製軽量ボディ(800kg)にテンロクツインカムとか、絶対速いヤツですやん。
【輸出仕様車】
正式に輸出された訳ではありませんが、1997年にGMが研究用として購入した個体が、アメリカ大陸の土を踏んだ最初の中国車になったそうです。
【試作車】
インテグラ顔のソシアル、こっちはハイルーフじゃないので車体骨格自体も夏利のコピーかと(もちろんFRPボディ)
それより、後ろに写ってる「力のキャリィ」(ST20?)っぽい箱バンのフロントドアノブが国内仕様と違うのが気になります。(日本仕様・縦型 中華仕様・横型)
1997年に北京タクシー管理局は、チャイニーズ・バレット5台購入につき、ちょっとやそっとでは認められない新たなタクシー運行の認可を1台分割り当てると規定する方針を発表しました。その為、北京のタクシー向けだけでも約2000台が発注されたと言われています。
そうやって官民一体となり鳴り物入りで登場したものの、ボディにクラックが入る、自然とガラスが割れる、ドアが閉まらなくなるなど、あまりにも品質が悪過ぎて多くのタクシー運転手や乗客からブーイングが続発。
しかも殆ど手作業で樹脂の積層をしていた為、生産効率も上がらず500台程度が生産されただけで、敢え無くチャイニーズ・バレットの生産は1999年に終了、翌2000年に北京中華汽車の工場は閉鎖されてしまいます。
ですが、そこはコピー大国な中華大陸のこと。
シャレードをコピーしたチャイニーズバレットのさらにコピー車が爆誕!!止まるんじゃねぇぞ。
●ボーラ・シードゥン(宝来喜登)EQ6400PL
2002年3月28日に開幕した順徳国際自動車展示会の外ホールにて、シトロエンや日産を現地生産していた「東風汽車集団」の小型商用車部門と、謎の新興企業「珠海雄牛高機能複合材料有限公司」が共同開発した新型MPVが、事前告知なしで突然発表されました。
あれ?
見てのとおり、生産中止となったチャニーズバレットの生産設備や基本構成をまるっと流用して、いっちょ上がりしたんでは?
当時最新トレンドだった、プジョー206のチャイニーズアイを逆輸入した中華車という高度なギャグ?
リアスタイルのモチーフがスプリンターカリブなのは同じながら、デザインがE90型からE110型っぽく進化、今度はちゃんとリアゲートを備えるように改善されました。
価格は夏利の半額程度でしたが、高級モデルにはABS、パワーウィンド、パワードアロック、革シート、パワーステアリング、CDも装備し、2002年5月1日に販売を開始、年産2000台を予定します。
さらに同社のゼネラルマネジャー尚忠旭氏は、2002年下半期に5万~8万元相当のセダンの生産プロジェクトを始動、その後に約20万元相当のオープンスポーツカー(中身はシャレード)や50万元以上の超ロング(6、8メートル)リムジンなどを順次投入し、3年以内に自動車生産を1万台以上に拡大する計画をブチ上げます!!
まさに絵に書いた餅、お可愛いこと。
因果応報と言うか、やっぱり必然だったのか、元ネタが厄ネタであるだけに品質の重大な欠陥は相変わらず、僅か2546台のボーラ・シードゥンを生産しただけで、あっという間に合併会社は解散してしまうのでした。
そんな両車も、品質問題や大都市圏での公害防止条例による強制廃車処理により現在では殆ど残存せず、歴史の闇に消えていったかと思いきや、世の中には奇特な方がいらっしるものです。
アセットコルサというレースゲームに有志がモデリングした「チャイニーズ・バレット」が参戦!!
オリジナルのノンターボ1リッターでは勝負にならないことから、エンジンは後期の日産GA16DEの他、何とシャレードGT系に搭載されていたCB70型1リッターツインカムターボも選択可能なのだとか。
シャレードと一緒の内装まで再現され、ファンタジーと割り切っても胸熱過ぎる
シャレードの登場するゲームというとPCエンジンのゼロヨンチャンプがありましたが、まさかこんな形で遊べようとは、良い時代になったモンです。