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シケイカ★フェンダーミラー将軍・発動篇のブログ一覧

2022年09月03日 イイね!

ウクライナの自動車メーカー・ZAZ③/タヴリア派生車のすべて


                       
〈タヴリアのバリエーションモデル〉
1973年にインデックス"1102" が発令された時より、基本ボディの3ドア以外に、セダン、ワゴン、バン、ピックアップ等の各種バリエーションの展開が念頭に置かれていました。

●1105型ダーナ(1994年〜1997年)
1986年、数多の苦難を乗り越え、ようやく1102型タヴリア量産の目処が立ちました。
しかし基本設計から時間が経ちすぎてしまい、既にトレンドからは周回遅れであるのは必定。そこで、次期型タヴリアの開発が始まるのです。

「ダーナ」は、その計画の副産物ともいえるステーションワゴンです。ただ1102型タヴリアを、ステーションワゴンのボディに改造したものではなく、1102型の後継車として、技術的および経済的な指標が改善された車として再設計されました。

その為、ワゴンだけではなく、3ドア、5ドアも同時に開発されていました。


1987年にはモックアップが完成、1988年のモーターショーで走行可能なプロトタイプを展示し、1992年からの生産開始を予定します。プロトタイプはリアゲートがブラックアウトされており、インパネがタヴリア・ノヴァと同形状でした。





フロントフェイスの異なる試作車も検討され、後年に別の形で復活する事になります。



しかし、そのタイミングでソ連が崩壊してしまいます。
何とか予算の都合を付け、ザポロジェッツの替わりに1994年6月から生産しますが、本格的に量産される事なく小ロット生産のみに終わりました。



●1103型スラヴタ(1999年〜2011年)
4ドアセダンもダーナのコンポーネントを流用した兄弟車として同時に開発されており、1992 年〜1993 年までの間に量産開始が検討されていました。


しかし、ソ連崩壊からの一連のドタバタの中で4ドアセダンの開発は凍結されてしまいます。

そのままお蔵入りするかと思いきや、1998年に大宇が支援に乗り出した際、この4ドアセダンを見出し、生産終了していたダーナと悪魔合体!!
一見セダンのように見えてリアゲートを持つ、所謂ダイハツアプローズ方式のスーパーハッチを持った5ドアセダン「スラヴタ」が考案されました。




5ドアセダンというだけに、トランク容量は車体サイズからすれば広大で、通常モードで300リッター、後席のカーゴポジションで740リッターを誇り、実用的なトランクが必要なセダン愛好家や、5ドアのタヴリアを待っているがステーションワゴンは欲しくないユーザーにアピールするモデルという位置付けでした。



フロント廻りはダーナの試作車と同じデザインとされ、ボンネットフード、バンパー、ラジエーターグリルなどがタヴリアとは異なります。


町工場レベルでスラヴタをワゴン化したスラヴタ・ユニバースなんていう変わり種も。


1999年から生産を開始し、使い勝手の良さと価格の安さから、一躍スラヴタは新車販売のリーダーの座を手にしました。

その人気の高さを反映して、2007年にタヴリア・ノヴァがカタログ落ちした後も、2011年1月まで生産が継続されるのでした。(1ヶ月だけ生産の2011年ですら、年間新車販売台数11位!!)

生産期間全体で 141,898台が生産され、そのうち130,000 台がウクライナで販売されました。


●1103-28型ラゴダ(コンセプトカー)
2001年にモスクワで開催されたMIMSオートショーに出品された、次期型スラヴタと目されていたモデルです。




ロシア企業「Avtoselhozmashholding」と共同開発を行い、ロシア連邦のサンクトペテルブルク市にある企業の1つで製造、両国の市場への供給が計画されていました。

ロシアとの共同計画という点から、かつてタヴリア開発時にラーダから提供された試作車「ラゴダ」の名を冠しているのだと思われます。(だとしたら、えらいロマンティック)

ラーダ110から流用したヘッドライト、新造形の前後大型バンパー、インパネなど部品の約30%がロシア製に置き換えられ、2002年からの生産を予定していましたが、資金不足から実現しませんでした。

地味にボンネットの開閉が、衝突時に危険な前ヒンジ式から後ろヒンジ式に変わっていてコストが掛かっています。

●1305/1306型ピックアップ(1993年〜1995年)
1990年にZAZの特装車工場 「STC」(ZAZavtotekhnika)で試作され、1993年から1995年まで、ウクライナとギリシャの合弁会社で少数が生産されました。



450Kgの貨物の積載に耐えうるよう、リアセクションを再設計してセミフレーム構造化、ホイールベースを127 mm延長、リーフスプリング化しています。


荷台部分が別体化されている為、後の量産モデルより架装ベースとしては優秀でした。




●NYSA2477型(2009年)
2009年に突如としてポーランドの商用車メーカーNYSA社が、ZAZから協力を得て、1306型ピックアップをタヴリア・ノヴァ準拠にアップデートして再生産を行いました。



ポーランド以外にイタリアにも輸出されていたようですが、人気が得られなかったため、少数しか生産されませんでした。

●1701型フルゴネット
1305型ピックアップ トラックをベースにフルゴネットタイプのボディを架装したステーションワゴン。



テールライトは1105型ダーナと共通部品になる予定でしたが 、当時はまだ開発段階だったので半分にカットされたタブリアのテールライトが装着されました。


●11055型ピックアップ/フルゴネット(1999年〜2011年)
大宇資本が入った際、生産終了したダーナをベース(型式が同じ1105型の理由)として、ピックアップをラインで大量生産が出来るよう再設計を行い、1999年から生産されました。




パッと見は以前と同じように見えるものの、荷台部分はボディ一体のプレス部品とされ、ホイールベースも3ドアハッチバックと共通、リアサスもトーションビームのまま強化するも、やはり耐荷重はトラック260Kg、バン390kgに減少しています。


フルゴネットボディはFRP製のカバーを荷台に背負う形に改められ、新たにキャブの屋根上のスペースに小さな荷物を置くための棚が設けられています。



下級グレードはタヴリアのフェイス、上級グレードはダーナ後継という役割を持たされ、スラヴタのフェイスになるという作り分けがされています。


国内市場だけでなく、近隣諸国でも売れ行きが好調だった為、こちらも2011年1月まで生産が継続されました。

●110240/110260型3ドアワゴン
3ドアをベースにリアゲートを大型化する事で貨物乗用車に改造したもので、試作車が1988年のモーターショーでダーナと同時に非公開展示されました。




車体重量はベースのハッチバックに比べて33kg増加し、その重量増加の大半を占めるであろう大型リアゲートを支える為、車体側壁後部の両側にゴムで覆われた金属製のストッパーが取り付けられ、走行時の振動のレベルを減らしました


リアウィンド付きの110240型、金属パネルに覆われる110260型の2種類があり、金属パネル仕様にのみ前席と荷室を隔壁で隔てた2人乗り仕様が設定されました。


1992年から生産が始まり、こちらもタブリア・ノヴァに準じた改良を加えながら、2007年まで生産が続きました。

●1109型エレクトロ・タヴリア
1980年代後半から1990 年代前半にかけて開発された電動バージョンが1994年に公開されました。


定格出力17馬力、最高出力34馬力のモーターを搭載し、最高時速90キロ、最大走行距離140 km、高速域でエネルギーを節約するために3 速ギアボックスを備え、郵便車として都市で働くことが期待されました。



その後、スイスやドイツなどの排ガス規制が厳しく触媒の追加だけで規制をクリアできない地域を中心に実際に販売されますが、非常に高価な為に殆ど売れませんでした。


●110250型タルガトップ/カブリオレ(1988年〜1989年)
1988年〜1989年にかけて、特装車工場 「STC」(ZAZavtotekhnika)で、輸出を目的としたカブリオレの試作車3台が製造されました。


ボディの剛性を維持するために、フロントをタルガトップ化したもの、リア側をボタン止めのポリエチレン製の幌としたものの2種類があるようです。

3台の内1台はクラッシュテストで破壊、残った2台はテストの為にウクライナからギリシャに送られた後、現地ディーラーが最近まで保存していました。

現在は1台がウクライナに戻り、もう 1 台はマケドニアのコレクターが所有されているとの事です。(ウクライナの個体はキエフにあるらしいので無事だと良いのですが)



●4ドアハッチバック
元々は3ドアにリアドアを付け足す形で5ドアが開発されましたが、同時に運転席側に1枚、助手席側に2枚のドアを持つ「1+2ドア」の4ドアも試作されました。

5ドアバージョンと比較してボディ剛性が向上し、コストも削減されると評価されますが、より新しい可能性を模索する必要があるとして市販には至りませんでした。

●ZAZ Taxi
もはやタヴリアの面影は何処へやら?

タヴリア開発中に提案された次世代の都市型タクシーのあり方に対する試作車で、プラットフォームはタヴリアのものが使われているようです。、
パワーユニットを右側に配置し、前輪の上に運転席、客室は完全に別体のレイアウトを摂ることで全長を 3.5 m に短縮することが可能になりました。
しかし、いくらなんでも前衛的に過ぎ、運転席をより小型化した2号車が製造されたところでプロジェクトが終了しました。



このように、1車種で多様なニーズに応える必要から、公式/非公式を問わず、メーカーが開発したバリエーションだけも膨大な数になりました。

しかし共産圏の車らしいというか、これだけバリエーションがありながら、市販された物の殆どが実用一辺倒の物ばかり。

ですが、スポーティな仕様が開発されていなかった訳ではありません。次回は、そんなタヴリアのスポーツモデルについての調査結果を報告できればと思います。

2022年08月27日 イイね!

ウクライナの自動車メーカー・ZAZ①/ザポロジェッツのすべて

泥沼化した戦況のウクライナ情勢。
マスコミの垂れ流す情報は日本の報道機関にありがちな、TVの向こうの戦争といったスタンスの物ばかり。そこには市井を生きる一人ひとりの生活という視点が欠けているように感じられてなりません。

じゃあ、生活を知るにはどうすれば良いですって?

我々には自動車という共通のアイコンがあるではありませんか!!

〈ウクライナの自動車メーカーZAZ〉

南ウクライナの都市ザポリージャに本拠を置く自動車メーカー「ZAZ」(ザズ=ザポリージャ自動車工場の意味・3A3とも表記)は、旧ソ連時代からトラクターやハーベスターなど農機の製造を行ってきたメーカー「コムナール」にルーツを持つ由緒ある企業です。

1958年11月、「コムナール」はモータリゼーションの高まりに合わせ、マイクロカーを生産する役割を政府から与えられ事業を転換。1961年に「ZAZ」に改称し、ウクライナ唯一の自動車メーカーとしての道を歩みだしました。

●ザポロジェッツ965型(1960年〜1969年)
1956年、自動車・トラクター産業大臣N. I. ストローキンはソ連の大衆車メーカー「モスクビッチ」に、1955年モデルのフィアット600の車体に全輪独立懸架、RR駆動の空冷エンジンを搭載した人民の為の国民車の開発を指示します。

【ベースになったフィアット600】


モスクビッチ444の開発コードが与えられ、フィアットのボディデザインは一新されますが、 パネル分割、 組み立て設計、 組立、溶接技術は継承されました。
公式にフィアットからの技術供与は無かったと言われていますが、何らかの政治的取り引きがあったのは明白かと思われます。(フィアットがソ連大好きマンなのは公然の事実)

【開発初期のデザイン検討モデル】



何度もエンジンの選定をやり直し、水平対向エンジンの搭載が有力と見られましたが、最終的に陸軍が水陸両用車用に開発していた空冷V4エンジンを採用しました(戦前のBMWのリバースエンジニアリングエンジン)
同エンジンを搭載する為に、リアサス周りを再設計した試作車が、1957年9月に製造されました。

【ブリュッセルモーターショーのパンフレットより。650は試作エンジンの排気量?】


【同時期の試作車。おろし金と言われたエアインレット形状が特徴】


【MeMZ 965 V4エンジン】


1959 年、すべての開発作業がZAZに移管され、コードナンバー ''インデックス 965"を受け取ります。量産に向けた構造部品と設計の微調整が行われました。

【ZAZに開発が移管された時期の試作車】



1960年10月1日から正式にザポロジェッツ965型として量産を開始。年末までに約1500台がリリースされます。




ザポロジェッツ965型は、1800ルーブルと比較的安価だったのと経済性に優れた為、褒めてるのだか貶しているのかわからない「せむし」(背中が曲がる病気)の愛称で親しまれ人気を博しました。


1962年11月には、非力なあまりに「戦車のスターター」というジョークが流行したエンジン出力を強化(887ccに排気量UP)し、各部をアップデートした965A型にマイナーチェンジを受けています。


●965AE型ヤルタ(輸出仕様)
965A型から、ドイツ、ベルギー、イギリスなどに輸出も始まり、輸出市場向けに発音と綴りがより簡単な「ヤルタ」(クリミア半島の都市)の名前が付けられました。

ソ連国内仕様には存在しない、メッキモールやラジオ、灰皿をなどの豪華な装備を持つデラックス仕様でした。

●ザポロジェッツ・スポーツ900(1963年〜1969年)
ザポロジェッツ965型をベースに1963年〜1969年の間、レニングラードのNAMI(中央自動車・モーター研究所)とモスクワのMZAK (モスクワ自動車車体工場)が、共同で製作したFRPボディの試作車です。



量産も考えられていたようですが、当局は共産主義らしからぬ流麗なスポーツクーペに理解を示さず、試作車が5〜6台作られるにとどまりました。

●965P型ピックアップ
Bピラー以降をバッサリカット、荷台に作り変えたピックアップトラック。

こちらも正式な量産モデルではなく、工場内での作業用に少数が作られたのみに終わり、市販されませんでした。

●965C型郵便車(1962年〜1963年)
ソ連郵便局に650台が納入された特装車扱いのモデルで、窓を覆って後部座席の代わりにメールボックスを設置、集配がしやすいように右ハンドルに改造されています。



低速走行が多く、エンジンルームに熱が篭もるのを解消するべく、エアインレットがケーニッヒのフェラーリばりのド派手な形状に改造されています。

●LuAZ(ルアズ)-967(1961年〜1975年)
当初より軍事転用が考えられていたザポロジェッツ965型の空冷V4エンジンを搭載した4WDの水陸両用車。


朝鮮戦争時、アメリカのジープの驚異を目にして小型のオフロード車の必要性を認識した陸軍により開発されました。
空輸可能なほど軽量(950kg)で、ほとんどの地形で 400 kg (880 ポンド) の積載が可能でした。

●ザポロジェッツ966型(1966年〜1971年)
1961年には、早くもZAZ独自の設計になる次期モデルの開発が始まり、1963年のモデルチェンジを目指しますが、連合組合は頻繁なモデルチェンジは不適切かつ無駄であると考え、開発は二転三転します。

【初期に描かれたデザインスケッチ】


【1961年に試作された2台のうち1台、プロト1号車】


【別案として考えられていた「共産主義の翼」をイメージしたフロントマスクのプロト2号車】


【プロト1号車のシンプルなデザインに原点回帰したプロト3号車】


ようやく正式に党政府の認証が降り、1966年に新型ザポロジェッツ966型が登場しました(965A型も1969年まで併売)




当時世界的に流行していたシボレーコーベアに影響を受けたコーベアルックのせいで、しばしば他社との類似性を指摘されがち(特に西独NSU社のプリンツはクリソツ)ですが、メカニズム的にはフィアット由来の965型を引き継ぐものでした。

エンジンも従来の空冷V4・887ccの改良型となり、30馬力仕様の966型、40馬力仕様の966V型の2種が設定されました。

965型譲りの低廉な価格、経済性、走破性、構造のシンプルさから強い人気があり、リアのエアインテークを指して「大耳」という愛称で長年愛される事になりました。


●966B型ヤルタ
1967年、966型の輸出仕様をルノーのブリュッセル工場にて組み立てる契約がルノーとの間で締結されました。
翌1968年のブリュッセルモーターショーには、現地生産を前提にルノーR8用956ccエンジンを搭載した「ヤルタ1000」が出品されます。


ところが、この話は1969年には立ち消えになったようで、同年のアムステルダムモーターショーでヤルタ1000は存在を抹消され、かわりに「ZAZ 1200 V4」が発表されるのでした。

結局はウクライナ製に納まったヤルタが、ブルガリア、キューバ、ハンガリー、ユーゴスラビア、フィンランド、東独など多くの国に輸出されました。

●968型(1968年〜1978年)
1968年に追加された、1197cc・シングルキャブ41馬力/ツインキャブ51馬力エンジン搭載車は、従来の887ccの966型と区別する為に、968型と呼ばれました。  



1972年のマイナーチェンジ時に、887ccの966 型はカタログ落ち。同時にプロト2号車のデザインコンセプトだった「共産主義の翼」にアレンジを加えたフロントマスクが新たに採用されます。



●968A型/輸出仕様968AE型(1974年〜1979年)
1973年に発表され、既存の968型と併売された968A型は、40箇所に変更を加えた上級グレードという位置付けでした。


外装は通常の968型とほぼ同一ですが、輸出先のFMVSS(連邦自動車安全基準)要件を満たす為、合わせガラス、シートベルト、衝撃吸収ステアリングコラム、クラッシュパッド付きインパネ、ステアリングロックなどの安全装備を追加。効きが悪いと不評だったブレーキをディスクブレーキ化、メンテナンスフリーのフロントアクスル、上級のラーダ車から流用したフロントシート、アームレストなどを備えていました。



1970 年代初頭に 150,000 台に増加したZAZの年間生産台数は、1977 年には 165,000 台に達し、まさに我が世の春が来た状態。

しかし、70年代後半になると、共産圏らしいグダグダっぷりが目につくようになります。

●968M型(1979年〜1994年)
世界では小型車のFF駆動への大転換が巻き起こる中、1976年に大規模な近代改修を伴ったビッグマイナーチェンジモデルの試作が始まります。当初は1977年の発売を予定するも、計画が遅れて実際に量産が始まったのは1979年末の事でした。

【量産モデルとテールレンズのデザインが異なる試作車】



各部を樹脂パーツに置き換えコストダウン、トランク拡大が目的のフロントパネル変更、エンジンへの空気供給を増加するフラットタイプのエアインテークの採用、リアエンジンフードにルーバー増設、バックランプ内蔵一体テールレンズを採用、フロントスタビライザーなどを新装備してみたところで、いかんせん旧態化は隠せません。




このモデルは、フラットなエアインテーク形状から「石鹸箱」の愛称で呼ばれました。

その後、968M型は開き直ったかのように大まかな改修を受けることなく、1994年6月まで生産が続きます。


●968MP型ピックアップ(1990年〜1992年)
市場ニーズに応える形で、かつての965P型を彷彿とさせるピックアップトラックが、モデル末期の90年代初頭に少数市販されました。(おそらく特装車扱い)



構造上エンジンフードは何も手を加えられず、リアシート部分が荷台になっただけなので実に使い勝手が悪そう。

これらのバリエーションモデルも含め、ザポロジェッツシリーズは1960年から1994年までの間で、計3,422,444 台が製造されました。

皮肉にも、リアル版デスラー総統(無印版)と化したプーチン大統領の愛車は、大学生時代に母親がスポーツくじで当選した景品をプレゼントされた1972年型ザポロジェッツなのだとか。

1度は手放したものの、後に同一個体を買い戻して今でも所有されるなんて、まるっきり車オタクの行動パターンじゃありませんか。(今となっては、そういう面白オジサン的キャラを作っていたのかと邪推せずにはいられない・・・)

そうした事もあってか、2011年に公開されたディズニー映画「カーズ2」では見事、悪役キャラに抜擢されます。

子供向けだと思って侮るなかれ、他の悪役キャラはAMCペーサー&グレムリンやらユーゴ・ザスタバだったりでヤバ過ぎます!!

子供向きと言えば、我が家の子供の絵本もおかしい。

アイエエエエ! ザポロジェッツ965!? ザポロジェッツ965ナンデ!?

●ハンプバック2(モックアップモデルのみ)
ハンプバックとは読んで字の如く、初代ザポロジェッツ965型の愛称であった「せむし」のことです。

ニュービートル、BMWミニなどに代表される、突如として1990年代末〜2000年代初頭にかけて世界中で盛り上がったリバイバルカーブーム。
ZAZも、この世界的な潮流に乗るべく、小型FF車「タヴリア」のプラットフォームに当時提携関係にあった韓国のGMグループ企業「大宇」の1.5リッター級パワートレーンを流用し、伝説の「せむし」の復活を目指します。


2002年にはモックアップモデルが公開されましたが、肝心の大宇が倒産してしまい、財政的な問題から実現はしませんでした。

次回は、「ハンプバック2」のベースになった小型FF車「タヴリア」についての調査結果をご報告できればと思います。(むしろ、そっちが本題)

プロフィール

「シャレードがいっぱい。中学生の頃の自分に「トミカサイズでG100シャレードのボディバリエーション全種揃うぞ」って言っても絶対信じないと思う。」
何シテル?   07/27 13:47
ほら今日も、まゆげのおじちゃん探してくるよ、シケモク車。
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