あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!
「中華製シャレードについて調べていたと思ったら、いつのまにか中華製ハイゼットのことばかり調べていた………!!!」
な…何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった……… 頭がどうにかなりそうだった………もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ………
2015年末に生産終了した中華シャレード追悼企画用に変遷をまとめていたら、前日譚にあたる中華製ハイゼットの部分だけで文章量がエライことになっていた件・・・そんなわけで、やむなく分割したのです。
●天津ダイハツの成り立ち

1970年代後半以降の中国は、それまでの計画経済から方針を転換。商品・資本・労働などの対外取引を認める「改革・開放」政策が採られるようになりました。
自動車産業においても、中国企業(ほぼ官営)と提携すれば外国企業にも市場が開かれた為(完成輸入車は関税250%なので、実質的に現地生産が前提)、新たに多くの自動車メーカーが誕生しました。
華北平原・東北部に位置する都市、天津で1965年に創業した「天津市汽車工業公司」も、そうした時代の潮流にのるべく、1983年1月に小型貨物車の導入に向けた調査・研究プロジェクトを発足します。

翌2月には日本のダイハツやスズキなどのメーカーを訪問。耐久性と経済性に優れるという判断から、ハイゼットのノックダウン生産を決定し、1984年3月3日にダイハツとの間に正式な技術提携契約を締結しました。通称「天津ダイハツ」の誕生です。
あくまでも資本関係は結ばない「技術貿易結合」(技易結合)という、独自性を保ったままの技術的な提携という点が、後々の恐竜的進化に繋がっていくポイントになるのです。
●眉毛ハイゼットの現地生産
1984年9月25日、部品を日本から輸入して生産された眉毛ハイゼット、現地名「華利」(ハウリー)の1号車がラインオフしました。
基本的には、ダイハツが日本で製造している輸出向け「ダイハツ850」(S70型)と同様の仕様でノックダウン生産され、バンボディの現地名「TJ110型」、同ハイルーフ、トラックボディの現地名「TJ1010型」の3種類がラインナップされました。
バンボディの「TJ110型」は通常の2列シート仕様の他、3列シートや2シーター仕様も選択可能だったようです。

実用一辺倒なだけではなく、アトレー風ストライプも設定されていたことに驚き。
バンパーはコーナーガードが付いて国内仕様より少しだけ大型化されますが、これも「ダイハツ850」の一般仕様と同一形状です。

余談ながら、オリジナルモデルの「ダイハツ850」には、仕向け地や仕様によって衝撃吸収構造の超大型5マイルバンパー風バンパーも設定されていました。
完全ノックダウン生産で独自のポイントは少ないとはいえ、流石にエンブレム類は天津ダイハツ独自の物に置き換えられています。 「TJ」というのは天津=TIAN・JINの略です。

型式の異なるトラックは「TIAN・JIN DAIHATU」表記になるようです。
バックドアのガーニッシュは当初は無地の物でしたが、国産化が進んだ後年のモデルになると車名入りの部品が起こされます。

とはいえ成型はガタガタで樹脂の質自体も悪いのか経年劣化で割れている辺り、いかにも中華クオリティ。日本製だと草ヒロでも割れているのは見たことない部品ですし。
足回りは国内ではアトレーにのみ設定の2WD・12インチホイール仕様となり、タイヤサイズは現地での入手のし易さを考慮してか、145R12→155/80R12にサイズアップしています。

「TJ」マーク入りセンターキャップが萌え要素。でも6人乗り(どうせ過積載するでしょうし)
なのに4輪ドラムブレーキのままなのはいただけません。
左ハンドルの内装も、120Kmスケールのメーター(国内は100Km)など基本的には輸出仕様と共通です。

ダッシュボードとそれ以外の内装で色が違うのにモヤモヤ。(レストア車なのでオリジナルかは不明)
こちらもステアリングの天津ダイハツエンブレムや細かいコーションマーク類は独自の物となっています。
国内OP品より綺麗に収まったカセットステレオは現地品の車載用音響機器メーカー「江蘇天宝電子集団有限公司」製です。
エンジンはシャレード用「CB型」993cc・3気筒をベースに、ボアダウンした843cc・41馬力の「CD型」エンジン、現地名「TJ376Q型」を搭載。(3気筒車はバンボディでもトラックと同じ、後ろ寄りの位置に搭載)

縦置きと横置きの違いはあれど、基本的なエンジン廻りの部品や生産設備が共用できたことから、その後のシャレードの現地化がスムーズに進んだのでしょう。
●乗り合いタクシー「黄虫」
当初は組立工が8人しかいない小規模なラインでのハンドメイドに近い生産だったこともあり、最初の2ヶ月で数十台しか生産できませんでしたが、市場からの反応は良好で生産は徐々に軌道に乗り出します。
そして1986年からは本格的な国産化に着手、僅か8%だった内製部品の使用割合は、翌87年末に85%まで引き上げられ、年産2万台体制が整います。
1987年には、NYのイエローキャブをパクった乗り合いタクシー「面包的士」(略して面的=食パン型タクシー)を発売。公営企業が社会インフラを自前で用意するのが、なんとも社会主義らしい。

町をウジャウジャと埋め尽くしたことから「黄虫」と呼ばれ、庶民の足として親しまれました。
これぞ桃源郷、シャレードと眉毛が舞い踊る酒池肉林。ラピュタは本当にあったんだ!!

ちょっと前の我が家と同じというツッコミは無しで・・・
「面的」仕様専用? 2列目を取り払ったスーパールーミーな4人乗り仕様も存在していたようです。(通常の3列シートもあり)
そんな「面的」も安全性と排気ガス問題から1998年に廃止されてしまいます。強制廃車処分により文字通り叩き潰される眉毛たち・・・合唱。
●終わりなき魔改造明日へ
1989年には初のマイナーチェンジを実施。バンボディの型式が「TJ6320型」に変更されたのに伴い、グリルのエンブレムが型式から車名に変更されました。
ライバル車の増えた90年代も半ばになると、角目ヘッドライト・樹脂製バンパーで近代化された「TJ6320・G型」が従来の丸目モデルと併売されるようになります。
この何とも言えない投げやりな感じが素敵(ハート)
えっ?刺激が足りないですって。ならば1998年に登場した乗用デラックス仕様「オデッセイ・TJ6330型」は如何でしょう。

眉毛を剃り落とすなんて不良!!「裏・ムーヴ」ならぬ「裏・眉毛」なカスタムっぷりに絶句、某ホンダ車風な名前と言い、まさに人(車)生の裏街道。
でも残念、そんなのは序の口です。まだまだ中華のお約束、魔改造上等なバリエーションは盛りだくさんですから、お気を確かに。
全幅をオリジナルの1395mmから1565mmに拡幅、全長も3195mmから3545mmに延長したワイド&ロングなボディ「TJ6350型」(8人乗りやハイルーフ仕様も設定)

ハイエース風に表現するなら、さしずめスーパーロングといったところでしょうか?
さらには、スーパーロングがベースのダブルキャブ「TJ1010SL1型」というキワモノも・・・
申し訳程度な荷台のショート(ジャンボの荷台を流用?)と、通常のトラックと同じロングの2種類の設定があったようです。
そんなこんなで、「面的」需要の無くなった21世紀になっても、中華シャレードの半額以下という価格の安さ、使い勝手の良さから人気は根強く、2000年にはエンジンをEFI化(!)した「TJ6330GE」を追加して進化は続きました。

2気筒キャブの牧歌的なフィーリングの国内仕様に較べたら、こりゃもうスーパーカー。
ところが2002年に「天津汽車」が中国最大手のメーカー「第一汽車」に吸収合併されると、新たに設立された「一汽華利」に知名度の高かったブランドネームと生産設備を引き継ぐ形で、「華利」の生産は打ち切られてしまいます。
2003年からは、当時最新鋭のテリオス(普通の輸出仕様そのまま)と、L900ムーヴに生産が切り替わるのですが、どうしてこうなった?

その名も「幸福使者」!!アレなお薬キメてハッピーなんですね、わかります。
それから15年近くが経過した現在、営業車は新車から8年・個人所有車は15年を越えると強制的に廃車という使用期限が設けられていた(個人車は2012年に廃止)ということもあり、中古パーツの使用も違法とされていることから、部品供給の厳しくなった「華利」の残存数は極めて少ないものと思われます。
それでも、2011年に開館した北京の国際自動車博物館に「黄虫」の再現車が展示されるなど、歴史的な遺産としての側面から見直しが進みつつあり、保存する動きも出てきているようです。

世界広しといえど殿堂入りした眉毛はこれだけでは?VWタイプ2と同等に扱われるという、この素晴らしい世界に祝福を。