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シケイカ★フェンダーミラー将軍・発動篇のブログ一覧

2022年08月28日 イイね!

ウクライナの自動車メーカー・ZAZ②/タヴリアのすべて


ウクライナ唯一の自動車メーカー「ZAZ」(ザポリージャ自動車工場)は旧ソ連時代の1960年代から、空冷V4エンジンをRR駆動する小型車「ザポロジェッツ」を製造してきました。

しかし1970年代に入ると、時代遅れのデザインと構造の為、輸出は言うまでもなく、ソ連国内でも未来がないものと思われるようになります。

勿論、ウクライナのエンジニアはザポロジェッツの旧態化に対して、何もせず座視していた訳ではありませんでした。

●新型FF車の開発と計画の頓挫
1968年から、ZAZは社内に研究プロジェクトを立ち上げ、小型のFF車と4WD車の開発を始めます。
ノウハウがない中での独自開発は難しく、プジョー204を範とした、1.1リッターエンジンを搭載する試作車が製作されました。

【エドゥアルド・モルチャノフによるスケッチ】


【1971年以前に製作された「Pierspiektiwa」と呼ばれる試作車】


1973年、当局に対して3台の走行プロトタイプを用いたプレゼンテーションを実施し、小型FF車の開発に支持と同意を得る事に成功します。プロジェクトは国家より正式なものとして認められ、インデックス"1102" が割り当てられます。

【プレゼンテーションに用いられた試作車】



【軽トラ的農民車と位置付けられた4WDモデル(1103型)】


【1973年〜1974年に製作されたザポロジェッツ後継の2ドアセダン】


1975年にプロジェクトは完成を迎え、1978年から2ドアセダン/3ドアHB/4WD車の生産が可能な準備が整います。

【1974年〜1975年頃に完成した試作車】 


しかし自動車産業省は西側のライバル車に較べて全ての点で劣ったものであるとし、徹底的に計画を修正する必要があるとの判断を下しました。

●ラーダの支援と新型試作車
そこで白羽の矢が立ったのが、日本でもニーヴァでお馴染みとなった感のある、ロシア最大の自動車メーカー「VAZ」(ヴォルガ自動車工場)こと、「ラーダ」でした。
ラーダもZAZより少し大型のFF車を開発していた為、一石二鳥であるとして、自動車産業省の主導で1976年4月より支援が始まります。

【その後の開発の始祖となった、ラーダから提供された試作車VAZ-3E1101「ラドガ」】


ラーダからの援助を受け、計画は完全に仕切り直し。1976年発売のフォード・フィエスタに「追いついて追い越す」という目標が新たに設定され、ラドガを参考に機械的に殆どゼロから開発するだけでなく、デザインの近代化も図られました。(4WD車はお蔵入り)
 
【エドゥアルド・モルチャノフによるスケッチ】


【スケッチをもとにしたモックアップ】

特徴的な丸型ライト、ボディ同色の樹脂製バンパーなど、当時流行していたミニマリズムに沿ったスタイリングが特徴的でした。

1978年には、この試作車を発展させたモダンでシンプルなデザインの新しい試作車が完成します。

【レオニード・スミルノフによるイメージスケッチ】


【フロントマスクはボクゾールシェベット(初代ジェミニの英国版)の影響が色濃いもの】


【スケッチを元にしたモックアップモデル】



【3角窓が廃止された、より量産仕様に近い試作車】


【共産党幹部による視察】

当時の世界基準でみても充分にトップクラスを行く性能とデザインに当局も満足し、1981年からの生産が承認されるのは時間の問題かと思われました。
ウクライナの自動車産業がヨーロッパで成功する千載一遇のチャンスがやってきたのです!!

しかし、その行く手を阻むものがいました。
そう、大ソビエトを死に至らしめた病。汚職と腐敗です。

●政治的駆け引きによる量産計画の遅延
ペレストロイカ以前の計画経済の統制下における自動車産業の構造は少し特殊で、年度ごとに中央が計上する予算を各メーカーに分配する仕組みが採られていました。
また、メーカーの稼ぎは自身の懐に入らず国庫に入る為、外貨が稼げる輸出に力が入れられました。

そうした政治的な配慮もあり、かつてラーダが開発していた試作車「ラドガ」の量産仕様「スプートニク」(輸出名サマーラ)の方が輸出市場で「発展性があり有望である」とされ、業界での財務上の優先事項はラーダに与えられる事になります。

【ラーダ・スプートニク(輸出名サマーラ)】


当然ながら、年度毎の予算には限りがあり、同時に2つのプロジェクトの進行は困難な為、本来はZAZに回される筈だった予算がラーダの物にされてしまい、量産計画は頓挫します。

一説によれば、当時の運輸省上層部の大半がラーダOBで構成されており、「ソ連初のFF小型車という栄冠を手にするのはラーダこそが相応しい」と考え、横槍を入れていたのだとか。

そこに設備投資等の問題が噴出し、最終的に党政府から生産の承認が降りるのは、ラーダ・スプートニクが発売された後の1985年にずれ込む事に・・・

その間にも自動車産業省は、フィアット・ウーノやオースチン・メトロなどの新しい外国製ライバルを超えるための要件を、次々と提唱します。その無茶ぶりに挫けることなく、魅力を維持するための涙ぐましいまでの努力が続けられました。

【フロントグリル、ヘッドライト、バンパーをリデザイン】




苦心の末、1986年には生産ラインが稼働し始め、量産試作車6台が完成します。


そのお披露目をかねた全連合大会で新型車の名前を決めるコンテストが行われ、古代ギリシア語でクリミア半島を意味する「タヴリア」が選ばれるのでした。(なんと因果な名前だろう)


●1102型タヴリア(1987年〜1998年)





1987年11月から本格的に生産を開始したタヴリアは、当初の計画よりもかなり遅れて登場したにも関わらず、ザポロジェッツに較べて非常に現代的な車であると強い関心を得ます。

ボディサイズが小さいにもかかわらず、優秀なパッケージングによる室内の広さ、トランク容量の大きさ(250リッター)から賞賛されました。



小型FF車のお手本のようにオーソドックスな、フロント・マクファーソンストラット式 独立懸架、リヤ・トーションビーム式サスペンションというレイアウトを採用しています。



ダイハツのPCDが長らく委託生産していたパブリカ由来の110mmだったように、部品や生産設備をザポロジェッツと共用しているのか、こんなに近代的な外装なのに合わせホイール仕様なのが玉にキズ。(ディスクブレーキ)


最初期の試作車時代からプジョー104に強く影響を受けていた1091cc水冷4気筒OHC・51馬力エンジンは、ザポロジェッツの空冷V4から大幅に進歩しました。


それに伴い、価格も3900ルーブルのザポロジェッツ968M型に対してベースモデルで5100ルーブルと大幅にアップ。ターゲットになる若者には購買能力がなく、逆にこの価格帯の新車を買う余裕のあるユーザーからは、コンパクトで簡素に過ぎると評価は芳しいものではありませんでした。  

また製造開始直後から、構造的な欠陥や製造品質に多数の問題を抱えていました。
ルーフやピラーの接合部からボディに亀裂が広がる、バルブシール不良によるエンジンのオイル食い、電装系、駆動系のトラブルなどが多発、おまけにアフターサービスの質も低いとあって、芳しくない評価は決定的なものとなっていきます。


●マイナーチェンジモデルの開発
そんな市場からの反応を受け、すぐにソレックスキャブの高出力エンジン(通常バージョンの145 km / hから155 km / hに最高速アップ)、カセットデッキを装備、メタリック塗装の上級グレードが追加されました。


さらに1989年のマイナーチェンジ時には、より上級化を目指した時流に即する改良が加えられます。



初期の試作車に似たイメージの新しいラジエーターグリル、異型ヘッドライト(チェコスロバキア製)、ブレーキブースター、4本スポークのステアリング、リアウィンドウの熱線、リアワイパーなどを装備し、価格は5,429 ルーブルに引き上げられました。

同年には、ザポロジェッツから数えて累計300万台の生産を達成します。

ちょうど300万台目に製造されたタヴリアは、工場の若い鋳造労働者であるセルゲイ・アントノフに贈られました。

●タヴリアの輸出仕様
タヴリアも外貨獲得の為、西ヨーロッパおよび東ヨーロッパ、南米の国々に少量が輸出されました。

仕向け地によっては、インポーターの都合でラーダブランドから販売されますが、基本設計の古さからサマーラの影に隠れて販売は奮いません。

そこでフランスのインポーター「Poch」(プーチ・1993年にラーダ・フランスに吸収)は、独自のアップデート仕様「Poch・タヴリアXL」を製作しました。


1991年〜1993年まで販売され、独自のラジエーターグリル、前後エアロスパッツ、専用ホイールキャップで近代化、より高品質な内装材に張替えられています。
当時フランス市場で最も安価な新車 (基本バージョンで35900フラン、XLで38,500フラン) でしたが、わずか1606台が販売されるに留まりました。

●ソ連の崩壊
1991年にソ連は内部分裂を起こして崩壊。
ZAZは名実ともにウクライナの自動車メーカーになったのです。

しかし問題は山積みです。ソ連圏に存在したサプライヤーからは部品の供給が途絶え、必然的に調達はノウハウの無い国内からする破目に。ただでさえ低かった品質なんて、ストップ安状態です。

この期間、特にパワートレーンの製造が困難だったようで、1994年にフィアットから供給を受けたポーランド製OHV・903ccエンジンおよび、ラーダ・サマーラの1289ccエンジンを搭載したモデルが追加されましたが、全く売れませんでした。


売れないのも道理で、ハイパーインフレで麻痺した経済状況下で新車を購入する資金を持ちあわせていないユーザーの多くは、ヨーロッパの西側諸国から流入した価格が安くて品質の良い中古車に流れたのです。

製品を作る事も売る事も出来ずに、ZAZは存続の危機に立たされます。

●1102-16型タヴリア・ノヴァ(1998年〜2007年)
そんな瀕死のZAZに救いの神があらわれました。

1998年、ZAZは韓国のGMグループ企業「大宇」と合併。非公開合資会社「AvtoZAZ-Daewoo」を設立し、財政的支援、技術的支援を受けながら大宇車をノックダウン生産する取り決めが締結されます。

それと同時に、大宇車を生産する準備が出来るまでのピンチヒッターになるべく、タヴリアは信頼性と品質の向上に主眼を置いた「タヴリア・ノヴァ」に近代改修を受けます。





インパネ変更(上級グレードのみ)、電装系の再設計、機関系部品の材質向上、ボディ各部の補強、遮音剤の追加など、改修は300箇所以上に及び、同時に製造品質の向上も図られました。


再びエンジンは自社製一本に戻り、1091ccエンジンを搭載した「ベーシック」、1197ccエンジンを搭載した「スタンダード」、1197ccエンジンと1299ccエンジンを搭載した上級グレードの「Lux」、さらに「Lux」のインジェクション仕様が設定されました。


ほそぼそと輸出も継続され、輸出仕様の「Lux」は、サンルーフ(後付けべバスト製)、アルミホイールを装備し、速度計の目盛がマイル表記だったようです。(画像の個体はインポーター独自のグリルに変更)


そして2007年、ちょうど生産開始から20年という節目のタイミングで波乱に満ちた生涯を送ったタヴリアの生産は終了・・・と、思いきやバリエーション車の生産は、もうちっとだけ続くんじゃ。

次回は、このタヴリアのバリエーションモデルの秘密に迫ってみたいと思います。
Posted at 2022/08/28 20:10:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 魔改造車 | 日記
2022年08月27日 イイね!

ウクライナの自動車メーカー・ZAZ①/ザポロジェッツのすべて

泥沼化した戦況のウクライナ情勢。
マスコミの垂れ流す情報は日本の報道機関にありがちな、TVの向こうの戦争といったスタンスの物ばかり。そこには市井を生きる一人ひとりの生活という視点が欠けているように感じられてなりません。

じゃあ、生活を知るにはどうすれば良いですって?

我々には自動車という共通のアイコンがあるではありませんか!!

〈ウクライナの自動車メーカーZAZ〉

南ウクライナの都市ザポリージャに本拠を置く自動車メーカー「ZAZ」(ザズ=ザポリージャ自動車工場の意味・3A3とも表記)は、旧ソ連時代からトラクターやハーベスターなど農機の製造を行ってきたメーカー「コムナール」にルーツを持つ由緒ある企業です。

1958年11月、「コムナール」はモータリゼーションの高まりに合わせ、マイクロカーを生産する役割を政府から与えられ事業を転換。1961年に「ZAZ」に改称し、ウクライナ唯一の自動車メーカーとしての道を歩みだしました。

●ザポロジェッツ965型(1960年〜1969年)
1956年、自動車・トラクター産業大臣N. I. ストローキンはソ連の大衆車メーカー「モスクビッチ」に、1955年モデルのフィアット600の車体に全輪独立懸架、RR駆動の空冷エンジンを搭載した人民の為の国民車の開発を指示します。

【ベースになったフィアット600】


モスクビッチ444の開発コードが与えられ、フィアットのボディデザインは一新されますが、 パネル分割、 組み立て設計、 組立、溶接技術は継承されました。
公式にフィアットからの技術供与は無かったと言われていますが、何らかの政治的取り引きがあったのは明白かと思われます。(フィアットがソ連大好きマンなのは公然の事実)

【開発初期のデザイン検討モデル】



何度もエンジンの選定をやり直し、水平対向エンジンの搭載が有力と見られましたが、最終的に陸軍が水陸両用車用に開発していた空冷V4エンジンを採用しました(戦前のBMWのリバースエンジニアリングエンジン)
同エンジンを搭載する為に、リアサス周りを再設計した試作車が、1957年9月に製造されました。

【ブリュッセルモーターショーのパンフレットより。650は試作エンジンの排気量?】


【同時期の試作車。おろし金と言われたエアインレット形状が特徴】


【MeMZ 965 V4エンジン】


1959 年、すべての開発作業がZAZに移管され、コードナンバー ''インデックス 965"を受け取ります。量産に向けた構造部品と設計の微調整が行われました。

【ZAZに開発が移管された時期の試作車】



1960年10月1日から正式にザポロジェッツ965型として量産を開始。年末までに約1500台がリリースされます。




ザポロジェッツ965型は、1800ルーブルと比較的安価だったのと経済性に優れた為、褒めてるのだか貶しているのかわからない「せむし」(背中が曲がる病気)の愛称で親しまれ人気を博しました。


1962年11月には、非力なあまりに「戦車のスターター」というジョークが流行したエンジン出力を強化(887ccに排気量UP)し、各部をアップデートした965A型にマイナーチェンジを受けています。


●965AE型ヤルタ(輸出仕様)
965A型から、ドイツ、ベルギー、イギリスなどに輸出も始まり、輸出市場向けに発音と綴りがより簡単な「ヤルタ」(クリミア半島の都市)の名前が付けられました。

ソ連国内仕様には存在しない、メッキモールやラジオ、灰皿をなどの豪華な装備を持つデラックス仕様でした。

●ザポロジェッツ・スポーツ900(1963年〜1969年)
ザポロジェッツ965型をベースに1963年〜1969年の間、レニングラードのNAMI(中央自動車・モーター研究所)とモスクワのMZAK (モスクワ自動車車体工場)が、共同で製作したFRPボディの試作車です。



量産も考えられていたようですが、当局は共産主義らしからぬ流麗なスポーツクーペに理解を示さず、試作車が5〜6台作られるにとどまりました。

●965P型ピックアップ
Bピラー以降をバッサリカット、荷台に作り変えたピックアップトラック。

こちらも正式な量産モデルではなく、工場内での作業用に少数が作られたのみに終わり、市販されませんでした。

●965C型郵便車(1962年〜1963年)
ソ連郵便局に650台が納入された特装車扱いのモデルで、窓を覆って後部座席の代わりにメールボックスを設置、集配がしやすいように右ハンドルに改造されています。



低速走行が多く、エンジンルームに熱が篭もるのを解消するべく、エアインレットがケーニッヒのフェラーリばりのド派手な形状に改造されています。

●LuAZ(ルアズ)-967(1961年〜1975年)
当初より軍事転用が考えられていたザポロジェッツ965型の空冷V4エンジンを搭載した4WDの水陸両用車。


朝鮮戦争時、アメリカのジープの驚異を目にして小型のオフロード車の必要性を認識した陸軍により開発されました。
空輸可能なほど軽量(950kg)で、ほとんどの地形で 400 kg (880 ポンド) の積載が可能でした。

●ザポロジェッツ966型(1966年〜1971年)
1961年には、早くもZAZ独自の設計になる次期モデルの開発が始まり、1963年のモデルチェンジを目指しますが、連合組合は頻繁なモデルチェンジは不適切かつ無駄であると考え、開発は二転三転します。

【初期に描かれたデザインスケッチ】


【1961年に試作された2台のうち1台、プロト1号車】


【別案として考えられていた「共産主義の翼」をイメージしたフロントマスクのプロト2号車】


【プロト1号車のシンプルなデザインに原点回帰したプロト3号車】


ようやく正式に党政府の認証が降り、1966年に新型ザポロジェッツ966型が登場しました(965A型も1969年まで併売)




当時世界的に流行していたシボレーコーベアに影響を受けたコーベアルックのせいで、しばしば他社との類似性を指摘されがち(特に西独NSU社のプリンツはクリソツ)ですが、メカニズム的にはフィアット由来の965型を引き継ぐものでした。

エンジンも従来の空冷V4・887ccの改良型となり、30馬力仕様の966型、40馬力仕様の966V型の2種が設定されました。

965型譲りの低廉な価格、経済性、走破性、構造のシンプルさから強い人気があり、リアのエアインテークを指して「大耳」という愛称で長年愛される事になりました。


●966B型ヤルタ
1967年、966型の輸出仕様をルノーのブリュッセル工場にて組み立てる契約がルノーとの間で締結されました。
翌1968年のブリュッセルモーターショーには、現地生産を前提にルノーR8用956ccエンジンを搭載した「ヤルタ1000」が出品されます。


ところが、この話は1969年には立ち消えになったようで、同年のアムステルダムモーターショーでヤルタ1000は存在を抹消され、かわりに「ZAZ 1200 V4」が発表されるのでした。

結局はウクライナ製に納まったヤルタが、ブルガリア、キューバ、ハンガリー、ユーゴスラビア、フィンランド、東独など多くの国に輸出されました。

●968型(1968年〜1978年)
1968年に追加された、1197cc・シングルキャブ41馬力/ツインキャブ51馬力エンジン搭載車は、従来の887ccの966型と区別する為に、968型と呼ばれました。  



1972年のマイナーチェンジ時に、887ccの966 型はカタログ落ち。同時にプロト2号車のデザインコンセプトだった「共産主義の翼」にアレンジを加えたフロントマスクが新たに採用されます。



●968A型/輸出仕様968AE型(1974年〜1979年)
1973年に発表され、既存の968型と併売された968A型は、40箇所に変更を加えた上級グレードという位置付けでした。


外装は通常の968型とほぼ同一ですが、輸出先のFMVSS(連邦自動車安全基準)要件を満たす為、合わせガラス、シートベルト、衝撃吸収ステアリングコラム、クラッシュパッド付きインパネ、ステアリングロックなどの安全装備を追加。効きが悪いと不評だったブレーキをディスクブレーキ化、メンテナンスフリーのフロントアクスル、上級のラーダ車から流用したフロントシート、アームレストなどを備えていました。



1970 年代初頭に 150,000 台に増加したZAZの年間生産台数は、1977 年には 165,000 台に達し、まさに我が世の春が来た状態。

しかし、70年代後半になると、共産圏らしいグダグダっぷりが目につくようになります。

●968M型(1979年〜1994年)
世界では小型車のFF駆動への大転換が巻き起こる中、1976年に大規模な近代改修を伴ったビッグマイナーチェンジモデルの試作が始まります。当初は1977年の発売を予定するも、計画が遅れて実際に量産が始まったのは1979年末の事でした。

【量産モデルとテールレンズのデザインが異なる試作車】



各部を樹脂パーツに置き換えコストダウン、トランク拡大が目的のフロントパネル変更、エンジンへの空気供給を増加するフラットタイプのエアインテークの採用、リアエンジンフードにルーバー増設、バックランプ内蔵一体テールレンズを採用、フロントスタビライザーなどを新装備してみたところで、いかんせん旧態化は隠せません。




このモデルは、フラットなエアインテーク形状から「石鹸箱」の愛称で呼ばれました。

その後、968M型は開き直ったかのように大まかな改修を受けることなく、1994年6月まで生産が続きます。


●968MP型ピックアップ(1990年〜1992年)
市場ニーズに応える形で、かつての965P型を彷彿とさせるピックアップトラックが、モデル末期の90年代初頭に少数市販されました。(おそらく特装車扱い)



構造上エンジンフードは何も手を加えられず、リアシート部分が荷台になっただけなので実に使い勝手が悪そう。

これらのバリエーションモデルも含め、ザポロジェッツシリーズは1960年から1994年までの間で、計3,422,444 台が製造されました。

皮肉にも、リアル版デスラー総統(無印版)と化したプーチン大統領の愛車は、大学生時代に母親がスポーツくじで当選した景品をプレゼントされた1972年型ザポロジェッツなのだとか。

1度は手放したものの、後に同一個体を買い戻して今でも所有されるなんて、まるっきり車オタクの行動パターンじゃありませんか。(今となっては、そういう面白オジサン的キャラを作っていたのかと邪推せずにはいられない・・・)

そうした事もあってか、2011年に公開されたディズニー映画「カーズ2」では見事、悪役キャラに抜擢されます。

子供向けだと思って侮るなかれ、他の悪役キャラはAMCペーサー&グレムリンやらユーゴ・ザスタバだったりでヤバ過ぎます!!

子供向きと言えば、我が家の子供の絵本もおかしい。

アイエエエエ! ザポロジェッツ965!? ザポロジェッツ965ナンデ!?

●ハンプバック2(モックアップモデルのみ)
ハンプバックとは読んで字の如く、初代ザポロジェッツ965型の愛称であった「せむし」のことです。

ニュービートル、BMWミニなどに代表される、突如として1990年代末〜2000年代初頭にかけて世界中で盛り上がったリバイバルカーブーム。
ZAZも、この世界的な潮流に乗るべく、小型FF車「タヴリア」のプラットフォームに当時提携関係にあった韓国のGMグループ企業「大宇」の1.5リッター級パワートレーンを流用し、伝説の「せむし」の復活を目指します。


2002年にはモックアップモデルが公開されましたが、肝心の大宇が倒産してしまい、財政的な問題から実現はしませんでした。

次回は、「ハンプバック2」のベースになった小型FF車「タヴリア」についての調査結果をご報告できればと思います。(むしろ、そっちが本題)
2022年08月21日 イイね!

フジミのL70ミラ製作記


注:こちらも2017年初稿の加筆修正版になります。


幼い頃を懐かしむようになったらオッサンの証なのかもしれませんが、カーモデル作製の神様みたいな方の素晴らしい作品やブログ(是非『くるまのプラモ製作記』でググってみてください)を拝見している内に、子供の頃に上手に仕上げることの出来なかったプラモ熱が再燃しました。

折しもタイミングを見計らったかのように、中学生くらいまで90年代の八幡解体屋のごとく廃車の山を机に築いたフジミ製のL70ミラが再販!!(2022年8月現在、絶版)


キットの構成は、それまで別々だったTR-XXとエアロ仕様の両方のランナーが入った選択式。特に明言こそされていないものの、エアロ仕様はパスタスポーツ製の「パレンテ・マジョーレ・キット」かと思われます。

このエアロ仕様を再現するのにリアスポイラーの無いリアゲートが必要な為、バリエーションキットの「ヴィヴィアンS」用のパーツもホイール以外、全て揃っており、一粒で二度美味しいならぬ、三度美味しいお買い得なキットです。

そう、私の大好きなTRターボを組めと言わんばかり。

黒バンパー、エアロレスなのにターボというのが実に食指。
この仕様の作例は見たことが無いのもあり、ネタ的にもウマウマです。

グリルはTR-XXバンパーから切り出して、NA用バンパーと合体。バンパー自体も下端の張りだし(アゴの部分)が大き過ぎ、シルエットがTR-XX用と大差なかったのでカタログ片手に削り込み。

抜きの関係か、サイドシルも妙に直接的でエアロパーツに見えるので削って絞り込み、省略されてるパネルラインを追加。

このキット最大の難点、リアゲートの分割ラインは瞬着でガチ埋めした後、ラッカーパテで表面処理。

ゲート開口ラインをホリホリ。ちょっとラインがガタついてるので機会があればリベンジしたいな~

TR-XX用アンテナ基部と一緒に、ルーフのモヒカンモール(ドリップチャンネル)が実車だと凹形状なのに凸形状になっているので削り落とし、ホイールハウスの裏を薄く削って、デザインナイフの背でスジ彫りを深くしたらボディの下ごしらえは完了。次はボディカラーを決めなければ。

すっかり昨今では市民権を得た感のあるピンク系メタリックの元祖とも言える「ロゼ・メタリック」が、デビュー当時のL70ミラにはコンセプトカラーとして用意されていました。(S80アトレーにも設定)

「ロゼメタリックは、女性デザイナーの意見を取り入れた、いわゆる仕掛け色。市場にない色で話題性の提供という意味合いもありました」(当時のダイハツデザイン室・主担当者談)

ところが、その意に反して時代が早すぎたのか市場に理解されず、およそ一年弱であえなく廃止。あぁ、この瞬間が昭和ダイハツだね(笑)

ちなみに珍しさだけなら最初の半年弱しか設定がなかったL55系と同色の「イエロー」(青内装)という変わり種も。


そのどちらに塗るか悩んで資料を漁っていたところ、当時の雑誌に「ロゼメタリック」なTRターボの広報車の姿が!!

良い、実に良い!!
この仕様をイメージして製作することに決定しました。

まぁ流石に初心者がいきなり調色とか出来る訳もなく、類似色のタミヤカラースプレーの「TS57・パールライトレッド」を使って、お茶を濁す訳ですが(苦笑)

モチロン80年代の軽カーでパール塗装とか有り得ませんが、ちょっと色味が濃い割には雰囲気が出ているかと。(太陽光だと以外とソレっぽいの)

どころが、ここまで仕上げたところでアクシデント発生。
件の広報車にはリアワイパー(メーカーOP)が無いことに気がついて泣く泣くリテイク。


そんな訳で途中で他のキットに浮気したり中断を挟みながら、なんとか完成に漕ぎ着けました。

<未来之舞。新型ミラターボ誕生>





昭和60年8月登録のド初期型、グレードはTRターボの5MT、ボディカラーはロゼメタリック、ラジオレス、リアワイパーレスの、ナンバー「品川40 ち 36-32」の広報車を再現しました。


⚫️フロントビュー
やや平板な印象を受けますが、比較的実車のイメージに近いのではないでしょうか?

ヘッドライトレンズをメラニンスポンジで軽く研磨し透明度を落とすと共に、リフレクターに細切れにしたミラーフィニッシュを凸凹に貼ることで、透過率の低いガラスレンズ感を出せたのではないかと自画自賛。
接着剤不要のスナップキットならではのピンも目立たなくなったと思います。(今ならレンズはジャンクパーツ削って自作するかな)

グリルは開口してメッシュを貼れば良かったかも。
金型が傷んでいるのか「MIRA」のモールドが消えかけていたので、あまり綺麗にならなかったのが残念。(デカール自作出来たら良いのですが)

⚫️サイドビュー

実車に較べて少しホイールベースが長いような気も。

バンパーとサイドシルを小型化したお陰で、相対的に車高が上がってファクトリーストック感がマシマシ。

ホイールは広報車の履いている12-BタイプOPアルミの再現が困難な為、12-Aタイプに雰囲気の似ている同社製L600ムーヴ純正を履かせています。

敢えてメッキは剥がさず生かしたまま、半艶クリア塗装でポリッシュ感を出したのがポイントです。

キット付属のドアミラーは、あまりに形状が違い過ぎてリアルじゃないので、アオシマ製AE86のミラーを加工流用しています。

厳密には、広報車の初期型は鏡面可動式ミラーとなり、可倒式ミラーの採用は初回のマイナーチェンジ以降になるのでエラーなんですけど。

当時は保安基準で商用車の荷室ガラスに装着が義務づけられていたガードバーもプラ棒で作製。

キットの塗装指示では忘れられているリアクォーターウィンドの黒い縁取り(黒セラ塗装)を再現したのが密かな拘りです。
(リアゲートのスジ彫りがガタガタ・・・)

塗装前に削ったモヒカンモールは、ハセガワの艶消し黒シートで代用。
広報車と同じ、8月の車検ステッカーはエアロ仕様のデカールに含まれていました。

⚫️リアビュー


汗と涙のリアワイパーレス仕様になります。

「TURBO」のデカールは同シリーズのリーザから流用、初心者が無謀にもデカールのクリアコートにチャレンジしたのは良いけど凸凹ですな。

排気穴の無かったマフラーはピンバイスで開口。少しセンターからズレているのはご愛敬。

⚫️内装
一番気合いが入ってるのがこちら。前期にしか設定のないワイン内装です。

ランナーを削ってステアリングコラムのハザードスイッチを再現、ステアリングのダイハツマークや、チョークノブまで書き込む凝りっぷりに自分でも絶句。(でもメーターパネルがTR-XXのままなのは✘)

シフトレバーも、TRターボはキット付属のTR-XX用と形状が異なる為、ジャンクパーツを組み合わせて自作、フロアと一体化していたサイドブレーキレバーを別体化。

フロントシートのヘッドレスト形状が違うので修正、リアシートのシートバックが、5ナンバーのクオーレ並に背が高いのでカットして背を低くしました。

本当はフロントシートとドアトリムにストライプ模様が入るのですが、自分の技術では綺麗に仕上げるのが難しく、オミットです。清潔感>リアリティ(笑)

⚫️シャシ裏
一体成型の癖に実車に極めて忠実なので、セミグロスブラック一色で仕上げるのは勿体ありませんし、頑張って塗り分けてみました。

ピカピカのボディを裏返すと汚れているという、キャラクターモデル的な表現が面白いかと思い、見様見真似のドライブラシでウェザリング。思い出すは辛く苦しい車検整備の日々・・・


以上、初心者なりに出来る限り頑張ってみのですが如何でしょうか?
まだまだ技術的には稚拙ですけれども、それでも手を動かして自分の思い通りの仕様を作り上げるのは楽しいものですね〜
2022年08月21日 イイね!

現代の羊の皮を被った狼を考察してみた


※(注):2017年に下書きした直後に第1子が誕生した為、放置していた物の加筆修正版につき、現代というには微妙に古いラインアップになります。


きっかけはバイパス道路での一幕でした。
間違いなく面倒臭い事をやらかすに決まってそうな今日のプリ○スが後続にログイン!!
ここは距離を置くのが正解です。しかし、いつになく絡んできます、ネバネバです。

コーナーであれば乗り手の性能次第で、どうとでもなるのでしょう。ですがストレートではエンジンの出力差、厳密にはパワーウェイトレシオの差が戦力の決定的差になり得てしまいます。

「力こそパワー」

しょせん世の中は弱肉強食です。強い者が勝ち、弱い者は淘汰される・・・ここで真理に気が付きました。あぁ、暴力。やはり暴力こそが全てを解決するのですね。

とはいえ、ただ闇雲に力を誇示するのもスマートではありません。そうです、羊の皮を被った狼こそ真の強者の証なのです。

では、羊の皮を被った狼の定義とは何でしょうか?
ざっくり分類すれば、おおまかに以下の4種に大別されるものと思います。

①確信犯パターン
好事家向けに付加価値を高めたもの
(例)サニーVZ-R、ギャランVR-4、ブレイドマスターなど


②競技ベースパターン
走行に必要ない部品、交換を前提とした部品を廉価グレードと共用しているもの
(例)ストーリアx4、ブルーバードSSS-R、ランサーRSなど


③廉価版・カスタムベースパターン
財布の軽いユーザー向け、もしくはカスタムベースに高出力グレードの装備を省いたもの
(例)71チェイサーGT-S、初代フォレスターC/tb、初代ステージアTypeBなど


④モアパワーパターン
標準エンジンより動力性能に余裕が欲しいユーザーに向けたもの
(例)L200ミラJターボ、110マークⅡグランデG-tb、MPV23Tなど


しかし今となっては、いずれのパターンも順調に衰退中。
室内の広さや燃費には拘るのに、動力性能には全く拘らないユーザーが大半となっては、エアロやメッキでゴテゴテに飾り付けて付加価値を訴求する方が、商売としては美味しいでしょうし(ゲス顔)

仕方なしに例に挙げたような旧車でヤキモキするのも、いまさら何かが違う。
私は、なろう転生モノの如きインスタントで安直な愉悦に浸りたいのです。

さすれば、ここ10年以内のお手軽な中古車がターゲットになってくるのが自然な摂理でありましょう。

トヨタ
羊の皮を被った狼の代名詞、カローラGTの銘は140系の特装車を最後に残念ながら消えてしまいました。しかし、その魂は不滅、後継モデルにもしっかり受け継がれているのです。

■160系カローラフィールダー1.8S

140系より100kg近く軽量なヴィッツベースのプラットフォームに、4バルブ時代のハイオク仕様4A-Gと同等の出力、初期3S-GEと同等のトルクの1.8バルブマチック2ZR-FAE型エンジン(140PS/17.5kgm)を搭載。一説には下手な2リッターターボと遜色ない動力性能なのだとか。

エンブレムと少し太いマフラー以外は1.5と見分けのつかないルックスなのに、専用チューンの足回り・クイックレシオのステアリングギア比の採用など、手抜きなく細かい所まで手が入っています。

■180系オーリス素のRSグレード

当時のカローラシリーズで唯一6MTを搭載するスポーツグレードなのに、エアロレス、鉄チンホイールキャップ、素ガラスなど、まるで外装は欧州向け一般仕様のようです。

ハイオクエンジンなのでエスクード3ドアみたいに輸出仕様を本当にそのまま売ってるのかと思いきや、調べてみたところ海外に同一仕様は存在していませんでした。

■プレミオ/アリオン3ZR-FAE搭載車

後期高齢者御用達な旧来のトヨタ車らしいキャラクターもあってか、走りとは無縁なイメージが強い両者。実は、2リッターバルブマチック車は上級車からのダウンサイザーの受け皿という役割を持つ為、動力性能も上級車に匹敵するレベルに設定されているのです。

重量級のノア/ボクシーを軽々と走らせる3ZR-FAEエンジン(158PS/20.0kgm)を、30系ビスタ辺りと変わらない1200kg弱の車体に載せているのだから、そりゃ遅い筈がありません。
オマケに「1番高いの持って来い」と購入する傾向の強いユーザー層がターゲットだけに、本革シートのスペリアパッケージのタマ数が多いのも◎です。


こうして見てみると、バルブマチックのエンブレムは、かつての「TWINCAM」エンブレムの現代版とも言える高性能エンジンの証なのかもしれません(これでオイル食いの持病がなければサイコーなのですが)


ニッサン
スカイラインに追加された3リッターターボで元祖の意地を見せてくれた訳ですが、既に現行のスカイラインという車種自体が羊の皮じゃないような気がしないでも・・・

■K12マーチ12SR(専用スポイラーレス仕様)

わざわざ風洞実験までして開発した専用のエアロをレスにする、ある意味とても贅沢な仕様です(ベースから5万円安)
レアなようでいて、12SRという車種自体が通好みということもあってか、意外とタマ数も多い気が。

■K12マーチ1.5リッター車(除くSR-A)

見る人が見れば分かってしまう12SRのエアロレスと異なり、車検証を見なければ判別がつかない見た目で馬力は12SRと同等、トルクは圧倒的に上、ぶっちゃけ加速だけなら12SRより速いというのは反則でしょう。

■ノート1.2 X DIG-S シンプルパッケージ

スーパーチャージャー付きHR12DDRエンジンに最廉価グレード相当の装備を組み合わせる、価格表と装備表にしか記載がない裏技的パッケージOP仕様です。(前期型にはS DIG-Sとして単独グレード設定あり)

日産はDIG-Sをトヨタのハイブリッド対抗という売り出し方をしていた為、おそらく環境意識の高い企業や官公庁の営業車需要を狙ったものだったのでないかと思われます。

ベースのX DIG-Sが14インチ(185/70R14)なのに対し、シンプルパッケージは15インチ(185/65R15)にインチアップディスクされ、若干タイヤ外径を大きくする事で、僅かながらハイギヤード化されているのがポイントです。


ホンダ
エンジンのホンダ神話は今でも健在です。やはり他メーカーとはベースエンジンですら質が異なり、ある意味では全車が羊の皮を被った狼と言えるのかもしれません。

■フィット3ハイブリッド・ベースグレード

ベースグレードとは言っても単なる廉価版ではなく、燃費世界一を目指し、「なりふり構わずやった。今は反省している」と開発者様が後に懺悔しちゃうレベルに超軽量化したスペシャルバージョンになります。

高コスト過ぎて他グレードに展開できなかった専用アルミボンネット、フィット最大のセールスポイントである重たいダイブダウンシートを省いたギミックなし専用リアシート、専用小型燃料タンク、ブレーキ系統の軽量化、内装材・遮音材の簡略化などにより60kgの軽量化を達成。リアワイパーレスで穴に蓋があるのが見分けるポイントです。


おもわず「お前はNSXのタイプS・ZERO」かとツッコミを入れたくなる、ホンダイズムの爆発っぷりは、よっぽどRSより競技ベースに適してるんじゃないでしょうか?

当然のごとく収益性が極端に悪かったようで、これだけ力を入れた仕様なのにメーカーとしては全く売る気がなく、積極的に宣伝されることはありませんでした。


スバル

古くから紳士の乗り物と謳われているだけに、これみよがしなSTI仕様でアピールすると同時に、大人っぽいレガシィGTなどもラインナップし、あらゆるスバリストが笑顔になれるような商品戦略が特徴でした。(過去形なのは、SGPプラットフォーム世代になった途端、これみよがし仕様ばっかりになった為)

■GH8インプレッサ 2.0GT カスタマイズエディション

BPレガシィに端を発し、BRZのカスタマイズパッケージに至るまで、モータースポーツに限らない幅広いカスタマイズを提案する改造ベースという位置付けで設定されていた仕様です。

普通の1.5あたりと変わらない内外装に伝統のEJ20ターボを組み合わせるA型S-GT標準車(非スポーツパッケージ)を引き継ぐ内容は、よっぽど詳しくなければインプレッサが大好きな窃盗団にすらスルーされてしまいそうです(笑)


マツダ

流石は車好き相手の商売に特化する商品戦略を打ち出すだけに、マツダ6の2.5ターボや、マツダ2の競技ベース車15MBなど、羊の皮を被った狼を現在でも多数ラインナップしています。

■DE系デミオ・スポルト14インチ仕様
フツーの外観に1.5リッターエンジンを搭載した15Cも面白いグレードではありますが、MT設定ありで意外と競技ベースとしてメジャーな為、逆パターンとなる1.3のエアロ付きお買い得特別仕様にしか見えないスポルトというのは如何でしょう。

スポルトにのみ、交換を前提としたのか標準装備の16インチアルミホイールを、14インチ鉄チン・ホイールキャップ仕様にダウングレードできるメーカーOPの設定がありました。元々ブレーキサイズは14インチなので機能的には何も変わることが無い為、競技ベースとしての側面があったのかもしれません。

他にも、ベリーサ用と同デザインの15インチアルミ仕様も選択可能でした。

そもそも大きいホイールを履くのは大きいサイズのブレーキを収めるのが主な目的であり、見た目だけの極端なインチアップは重心が上がる・バネ下重量が増加する・低扁平タイヤでタイヤ剛性が低下するなどのデメリットしかありません。(ちゃんと書くとそれだけでブログ1本書けそう)

マツダはインチダウン仕様に積極的で、GJ系アテンザの19インチ→17インチ仕様、BM/BY系アクセラの18インチ→16インチ仕様なども存在しているようです。

■ビアンテ23S

あまりにも売れなかったせいでマツダがミニバン事業からバイバイ、プレミアム路線に舵をきるターニングポイントとなったカルトカーに、アクセラやアテンザのスポーツグレードから2.3リッターエンジンを流用したレアグレードです。

どうやら車体番号で追っていくと1000台程度しか生産されてないようで、2リッターグレードとの違いは、17インチアルミ、革巻きステアリング、ステアマチック程度のみという地味さ加減。

そこに2リッタートールミニバンクラス唯一のハイオク仕様スポーツエンジンを搭載とは、まるで某キラメキ・某高速の星あたりの、さてはアンチだなオメー。

また、このエンジンが絶品。4気筒には珍しいバランスシャフト内蔵の効果もあり、レッドゾーンまで綺麗に軽〜く回ると同時に、ウェットなら2速でもホイールスピンする程のトルクとパワーを誇ります。

おまけに元々のビアンテ自体、走る・曲がる・乗り心地の全てが気持ち良い、ミニバンらしからぬZoom-Zoomな車だったりするのです。(なんでもベースのアクセラからリアのトレーリング・アームの取付部の板厚を上げているのが効いているとな)

惜しむらくは、内外装共に質感がデミオ並、2.3リッターもあるのに早開きのスロットル特性&ズルズルのトルコンスリップでアクセルワークに気を使う点でしょうか。

えっ!?、急に早口になって怖いですって。フハハハ怖かろう。だって私が仕事で乗り回してる車なんですから(笑)
例え給料が安くとも、ガソリン代(ハイオクでリッター8キロ)が会社持ちなら無敵か(ドヤ顔)

ミツビシ
光陰矢の如し。80年代は、フルラインターボ戦略を掲げ、羊の皮を被った狼の宝庫だったミツビシなのに、今や見る影もありません。

■アウトランダーPHEV Eグレード

ランエボ並の走りとパジェロ並の走破性がウリのPHEVには初期モデルにのみ、受注生産の廉価グレードが設定されていました。

上級のGグレードから24万円安となり、黒ミラー、素ガラス、ハロゲンライト、フォグレス、16インチ鉄チン、パドルシフトレス、クルコンレスなど走りに必要ない装備を中心に削ぎ落とされています。

おそらくこちらも官公庁向けなのでしょうが、このスパルタンさは、かつての競技ベースRSグレードを彷彿とさせるではありませんか。

軽自動車
NAだと走行性能がギリギリになるハイトワゴン系の多くには、ひっそりと今でも非カスタム系グレードにターボエンジンを搭載した仕様が設定されています。
販売比率は低くてもカタログ落ちせずに継続設定されているということは、やはり根強い人気があるのでしょう。

■スペーシアT(R06Aターボ)

以前に代車で借り、何の予備知識もないままNAのつもりでアクセルを踏んだら下手なスポーツカー以上のロケット加速でリミッター領域に到達してビックリ!!
それでも人畜無害そうな外観に騙され、家に帰ってボンネットの中にインタークーラーが鎮座しているのを見るまでターボ付きとは信じられませんでした。

そんな余裕を超えた過剰な動力性能なのにエンジン以外はNAと同じまま、曲がらない・止まらない、濃密な死の香りを味わえます。

速さだけならHA36アルトターボの方が上なんでしょうが、このギャップの激しさとステルス性は今回の主題に1番相応しいものかと思います。

■EKワゴンTセーフティパッケージ

NAだとギリギリを通り越して危険とまで言われている動力性能だけに、「かねてより要望の強かった」(メーカー広報より)非カスタムグレードのターボ車が2015年(燃費偽装発覚前)のマイナーチェンジで追加されました。

面白いのが、本流とも言える日産のデイズには従来通りカスタム仕様のハイウェイスターにしかターボ車の設定がなく、製造メーカーの意地みたいな物が透けて見える点でしょうか。

■LA100Sムーヴ Xターボ

L900のSR-XX・CRターボ、L150のRターボ・Lターボなど、伝統的に非カスタムグレードのターボ車をラインナップしていたムーヴに突然、2013年のマイナーチェンジで非カスタムグレードのターボ車が復活しました。



見た目の差異が全く無いのが特徴の軽ターボの中にあって、とって付けたかのようなインタークーラー導入口がただならね雰囲気を醸し出し、かえって羊の皮を被った狼感を強めているように感じます。(実際Nシリーズ対抗で急造したっぽい)

初代ムーヴを彷彿とさせるフロントフェイスに、ムーヴのアイデンティティと言える横開きバックドアを採用した最後のモデルとなり、これがムーヴらしいムーヴの最終進化形なのかもしれません。

Posted at 2022/08/21 03:09:19 | コメント(0) | トラックバック(0) | 中古車バザール | 日記

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