アグネス・ラムのCMが印象深い、G200系シャレードベースのミニバンこと、最後のシャレード直系「G」シリーズとなる、G300系パイザー。
コンパクトサイズのミニバンの先駆けとして、1996年のデビュー直後こそスマッシュヒットを飛ばしますが、その後はライバル車に埋没。
いつものダイハツ白ナンバー登録車のお約束コース、ドマイナー街道に1台さまご案内〜になったのでお馴染みかと思います。

わたしも、かつて前期1.5CX・シャンパンゴールド・4駆・MT・サイドウッドパネル仕様を譲っていただき乗っていました。今でも手元に置いておけばと悔やんでいる、パッケージングと走りのバランスに優れた良い車だったんですがねぇ。
しかし、そんなシャレードベースのミニバンが、大好物のG100系にも存在していようとは、このイカ男の目をもってしても読めなんだわ!!
とは言っても日本国内や欧米での話ではなく、毎度お馴染みの魔改造車の坩堝(るつぼ)、中華の地での話なのですが・・・
かの地で、国民車として愛された天津ダイハツ製シャレード「夏利」(シャーリー)。

惜しくも2016年に製造が終了し、2020年には製造メーカーの「天津一汽夏利」自体も、親分の「FAW」(中国第一汽車集団)から1元(約20円)で身売りされ「夏利」ブランド自体が消滅してしまった訳ですが、往時の「天津ダイハツ汽車」は提携元のダイハツに内緒でこっそり夏利の生産ライセンスを小規模メーカーに供与する事業で儲けていたようなんです。
今やベンツやボルボの筆頭株主となった「吉利」(ジーリー)、最初の量産車となった「豪情」や、それをベースとした一連のシリーズも、まさにそのケースだったようで。

ベンツ顔のシャレードとかいう真夏の夜の悪夢。こんなコンプレックス丸出しのデザインをしていた会社がベンツの親分になろうとは、なんと因果な。(吉利のシャレードシリーズもオモロイので特集したいな~)
もちろん、ライセンス供与を受けていたのは一社だけではなく、中華のお約束でもある非公式なコピー車も合わせれば、名状しがたいシャレードのようなナニかが無数に。
粗悪なコピー車の一例、作画崩壊したキャベツのようなシャレード(笑)

人民解放軍・第5408工場に源流を持つメーカーである小規模メーカー「リンコン」(陵港)が90年代初頭に生産していたKJ6380型ハッチバックなんて、もうナニが何やら?
おまけにソシアルとは似ても似つかない、6ライトのセダンボディ(ショートボディとロングボディの2種類)の存在も確認されています。

おそらく中身は長安アルトのコピーと思われ、ヘッドライトユニットやテールランプだけはサプライヤーから購入した夏利の本物っぽいところが、実にチャイナクオリティ。

主にタクシー用途に用いられ、一部は公安局のパトカーとして採用されていたようです。
━ そんな、イカがわしい魔改造車の中に、ミニバン型シャレードも存在していました!! ━
■アンダー(安達爾)AAQ6370
安徽省の大都市、安慶市に本拠を置く、小規模自動車メーカー「安徽安慶汽車工業」は、現地生産された日本の軽バン(特に天津ダイハツ製まゆげハイゼット)をベースに、都市圏で主流となっていたミニバス型タクシー「面的」で問題視されていた安全性の低さを是正すべく、1991年に次世代型タクシー車両を目指した5人乗りミニMPVの開発に乗り出します。

それに伴い、安慶市は1993年に「全市の力を利用し、全市の知恵を結集し、安慶市の自動車産業を発展させる」との目標を掲げましたが、小規模メーカーの宿命から、全てを自社開発する事は難しく、プラットフォーム、パワートレーン、各種パーツを夏利TJ7100から流用する形で開発が進められました。
車名も安慶市民から公募された「無事到着すれば安慶は繁栄する」という意味の語呂合わせの「安達」(アンダ)に一旦は決まったものの、商工局から黒竜江省に安達市がある為、行政区と同じ名前は使えないとダメ出しを食らいます。
そこで、苦し紛れに「安達」(アンダ)に「爾」(エー)を加えた安達爾(アンダー)が誕生します。
1995年にアンダーは正式に発表、奇しくも本家パイザーと同じ、翌1996年に生産が開始されました。
【外装】
う〜ん、フロントのブリスターフェンダーからリアまで続くサーフィンラインが、実にシャレード風味。

ちゃんとシャレードとしての要素が残されている辺り、雑なカーコラにしか見えなくて、とってもキモい(褒め言葉)
リア周りはもっと顕著にシャレードまんまで、テールゲートやテールランプは夏利の部品を流用。ルーフがどれだけ高くなっているか、よく分かります。(クリアテールは非オリジナル)
【内装】
ダッシュボードもエクステンション噛ませたシャレード。

デフロスターが仕事してない気が・・・
リアシート空間は、流石にミニバンだけあって広くて快適そう。

でも着座位置自体はシャレードと同じで、無駄に頭上空間が広いだけかも?初代ムーヴの試乗記で必ず指摘されていたポイントなので、妙なシンパシーを感じずにはいられません。
【パワートレーン】
エンジンも 、シャレードのCB型由来の993cc 3 気筒、47馬力に4速マニュアルが組み合わされ、車重はシャレードより150kg程度重い950kgだった為、動力性能はお察しの通り(最高速度110km)
【マイナーチェンジモデル】
2001年頃、マイナーチェンジを実施しています

コーナーレンズが夏利と同じ物に変更された他、ダッシュボードが新造されました。

近代化を図ったんでしょうがクオリティ低過ぎなプラスチックのお化け、これならシャレードのダッシュボードの方が良かった気が?
こんなんでも発売直後は当初の想定通り、7つの都市が一度に100台以上をタクシー用に発注。1996年の安慶汽車工場の年間生産台数は 1,136 台に達し、生産額は 8,000 万元を超え、わずか 3 年間で生産額は 100 倍近くに増加する好調なスタートを切ります。
しかし好調だったのは最初だけ。
大手メーカーが小型MPVの販売に乗り出すと、あっと言う間に販売不振による赤字に転落。2003年6月に「安徽安慶汽車工業」は倒産し、アンダーの総生産台数は僅か5000台程度に終わってしまうのでした。
ククク・・・だがな奴は四天王の中でも最弱。
まだまだ夏利ベースの中華魔改造車の世界は奥深いのです。
次回は、天皇陛下のインテグラ(DA)のフロントフェイス、スプリンターカリブ(AE95)のリア廻り、2代目プレーリーのユーティリティを持つ、ミニバン型シャレードをお送りしたいと思います。

それでは皆さん、See you nextバイバイ。