• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

シケイカ★フェンダーミラー将軍・発動篇のブログ一覧

2023年02月04日 イイね!

回春イカ野郎は市原悦子の黒夢を見ない

市原悦子=デュエットのCMキャラ
黒夢=初代ムーヴカスタムのCM曲アーティスト


日本人男性の平均寿命81.47歳。(厚生労働省『令和3年簡易生命表』より)

大変です。子育てに明け暮れる内に気がつけば、わたしも四十路。
いつの間にか、人生とやらが半分終了しているではありませんか。

─思えば、恥の多い生涯を送ってきました─

恥多いことは数あれど、思い返されるのは厨二病まっ盛りだった時のことばかり。
年を重ねると子供の頃が懐かしくなるなんてのは、ふざけた幻想です(断言)

こんなにも黯然銷魂(あんぜんしょうこん)とした気持ちになる記憶なんて、思い出なんて暗黒に帰ってしまえ!!

時に西暦1997年。

リアルに14歳の私は、既に独立不撓(どくりつふとう)のシャレードマニアとして手遅れなのでした、マジキモい。

そんな微妙なお年頃の東京モーターショーに出品されたコンセプトカー「ダイハツNCX」こそ、かねてよりスクープ誌でシャレードの再来と報じられていた新型リッターカーでした。

しかし、高まる期待とは裏腹に、初見の感想はボディカラーの影響もあって「黄金虫」・・・その翌年、NCXはストーリアと名を変え市販されるのですが、「こんなんシャレードじゃねー」と、イマイチ心がピョンピョンしません。

愚かな。恋は盲目といいますが、シャレードをNTRされたような激情に駆られ、視野が狭くなっておったな小僧。

━━━その秋の事でした。

Tipoあたりを愛読し、イタフラ車に憧れる意識高い系エンスーを自称していた私の前に、かのジウジアーロ御大がデザインされた新規格表ムーヴが現れたのは。

神です、和製イタ車です。特にすっぴんのCGグレードが美しい。この年齢で廉価グレードスキーとか、おかわいそうに。


そんな素晴らしいデザインを改悪し、世俗に媚びて堕落した裏ムーヴなんて悪魔の手先にしか思えませんでしたが、まぁ世間様では、コレがバカ受けした訳で。

世間とは、いったい、何の事でしょう。人間の複数でしょうか。どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。

それから20余年あまり。
社会の荒波に揉まれ、少しは世間というものを理解したような気でいました・・・

どうしてこうなった?

深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。

今更ながら釈明と弁解をすると、布石自体は前々からあったのです。
2019年の秋に岡山で丸1日、九州の伝道師様の後期デュエット1.3を乗り回させてもらい、あまりの素晴らしさに感動。

かつてノブ氏に乗せて頂いたマスタードイエローの前期ツーリングも素晴らしく良かったなぁ。

影響されやすいと言うなかれ。ストーリアはダイハツ小型車の至高、一つの到達点ではないかと思うのです。
1リッターも1.3リッターもトルク感を伴いながら気持ちよくビュンビュン回るエンジン、ラリーカー並の補強によりガチッと堅牢な車体、絶妙のロールセンター設定から来る軽快なハンドリングとバランスの良さ、正にこーゆーので良いんだよ、こーゆーので系。(その辺りは是非ともノイマイヤー氏の試乗記を拝見されたし)

私が一番好きな自動車評論家、森慶太氏はベースになったL700ミラをして、軽自動車のW124Eクラスであると表現されましたが、さしずめストーリアは軽自動車のW201Sクラス(笑)

とはいえ、その直前に事故歴・水没歴・メーター巻き巻き疑惑のトリプル役満で相場より50万円近く安い2015年式インプレッサスポーツを契約していた為、ひたすら我慢、我慢。

当時僅か4年落ちなのに、あまりにもシケモカーだった為、躊躇なくフェンダーミラー化したのも良い思い出です。

今まで50台以上とっかえひっかえしてきましたが、1時間乗っただけで全身に倦怠感を覚え、長距離走行後は翌日必ず体調不良になる、リアル心霊的瑕疵事故物件カーなんて、実に貴重な経験をさせていただきました。(車検1年残の年式の筈なのに抹消されてた時点で気がつかないあたり、契約時も正気でなかった気が)

なんとか2年間、生気を吸われながらも乗り続けたものの、本物の火の玉を目撃した事から流石に限界を感じた事もあり、車検満了と同時に放出と思っていたら、ストーリア星人にキャトルミューティレーションされてしまいました。


トヨタ版にしか設定のない、最廉価グレード「リトルパッケージ」の4駆・MTの超レア仕様!!


おまけに岐阜のお花屋さんの社長がベンツのセカンドカーとして大切にされていた来歴を持つ箱入り娘という、この機会を逃せば2度と出会う事のないであろう個体!!

これまたノイマイヤー氏の解説が実に的確でオモロいので勝手に引用させていただきます。
【試乗車は装備が厳選された営業車グレードなのだが、これもオーナーのめがねを通してみれば「わお!日本ストーリアには無い欧州シリオン相当の素グレードやん!ほぼシャレードやん!」と映るのだ。】(引用終わり)

ちなみに普通のマニアが見ると「わお!リア手巻き窓で4WDやからストーリアX4のデュエット化けやん!メーターまで時計付き仕様のスリーパーやん!」と映ってニヤニヤ。(実話)

そうして乗り出してみれば、運転していて脳味噌が覚醒するような、この時期のダイハツ特有の乗り味の虜に。コレだよ、コレ。

こりゃ、末期は殆ど乗ってなかった事故物件インプレッサに替わり、実質的なファミリーカーとなっていた、2015年式HA36アルトの完全上位互換ではありませんか。
そうなれば、子供2人が大きくなってきたのもあり、アルトの手狭さが気になって仕方ありません。

プライドを持って乗れる個性的なデザイン、軽量な車体による550ターボ車並の走りとリッター30キロを軽く超える低燃費、セミオートMTのAGSも乗りこなし甲斐があって、あんなに気に入ってたのに、この尻軽男ときたら、もう。はい、いつものことですね。

家族会議の結果、軽ハイトワゴンへの代替えが遡上に上がり、NボックスやらLA150ムーヴやらを検討しますが、やっぱりピンと来ず興は冷める一方です。

やむなく登録車も候補に入れ、走行1万キロの初代パッソレーシーに決めようとした前日の夜、某中古車サイトにダイハツ認定中古車のL900ムーヴ・エアロダウンRSが降臨!!


天啓です、神の声が聴こえるのです。(たぶん幻聴)


えっ、裏ムーヴは認めないって話?
私も大人になったのです・・・だってエアロダウンカスタムって格好いいじゃん。

ダブスタクソオヤジ!!というなかれ。物事は良いか悪いかじゃなくて難しいこと考えずにシンプルに好きか嫌いかで判断すれば良いんですよ、私がそう決めた。(フェンダーのラインがL70ミラを彷彿とさせてタマラン)

何よりL900系裏ムーヴは、今回でお替り2杯目となるのです。
愛車紹介に登録こそしてませんでしたが、ダイハツオタクとして必修科目の4気筒JBエンジンを履修すべく、2016年~2020年までの間、前期エアロダウンカスタム(L902)を所有しておりました。

旧規格時代のJB-JLのような暴力的な加速を想像していたら、前期JB-DETは小径(VQ37)タービンで4気筒の薄いトルクと増えた車重を補うダウンサイジングターボ的な味付けで、スポーツ性よりも精密機械のごとき緻密な回転フィールとスムーズさを味わう高級・高付加価値エンジンといった趣きの強いものでした。

でもJBに乗りたかったとゆうのは半分建前、スギレンさんに乗せていただいた後期4駆カスタムターボ(EFターボ)が素晴らしかったので衝動買いしたってのがホントのところ。

えっ?また影響されてる。他人のふんどしで相撲をとってる?
ええ、分かってますとも。それって他人のふんどしを借りてでも相撲をとりたいという涙ぐましいまでの精神性を表すことわざなんですよね。

それならウチの嫁サマーも負けてはおりませんぞ。
私が乗りたくて買ったL902なのに、取り回しがよくて乗りやすいからと、半ば強制的にパッソと交換させられてしまったんですから。げに恐ろしきジャイアニズム ああ美しき夫婦愛。

この前期エアロダウンカスタムは2人目の子供が生まれた時点で、古い車に赤ちゃん乗せるのはな~というオタクにあるまじき気の迷いが生じ、アルトと代替しちゃったんです。
後悔先に立たず。結局は夫婦二人ともムーヴの方が良かったんじゃねとなったのが今回の乗り換えの発端だったり。やったね!!振り出しに戻る。

それでも個体の程度の良さはモチロン、所有欲が満たされる豪華な装備(純正HIDや3発RSのみのモケット内装、LEDメーターなど)、排ガス規制記号がGF-世代の最強スペックEF-DET(トルク10.9kgm仕様)の刺激的な走り、ロックアップが付くようになったMTモード付きATの秀逸さだけでも乗り換えて良かったなと、思わずにはいられません。

とはいえ、なんだかんだと御託を並べてみたところで、この辺りの年式がボーダーになってしまうのは、いくら認めたくなくとも、幻想ではないノスタルジーに相違ないのでしょう。

人に夢と書いて儚いとはよく言ったもの。人の生き死にに密接に関わる仕事柄、人の一生なんて儚いものだと思わずにはいられませんし、健康体で車趣味を楽しめるのだってせいぜいあと30年が良いところ。楽しめるだけ楽しんどかなきゃですよ。

これまでの20年は乗りたい車に片っ端から乗っていくのが目標でした。
これからの20年は、この相手にされない年式の2台を、本当の旧車になるまで、深く・長く愛でるのを目標にしようじゃありませんか。(そして残りの10年で熟成中のJターボをフルレストアするんだモン)
Posted at 2023/02/04 18:53:27 | コメント(3) | トラックバック(0) | シャレードがいっぱい | 日記
2022年09月03日 イイね!

ウクライナの自動車メーカー・ZAZ③/タヴリア派生車のすべて


                       
〈タヴリアのバリエーションモデル〉
1973年にインデックス"1102" が発令された時より、基本ボディの3ドア以外に、セダン、ワゴン、バン、ピックアップ等の各種バリエーションの展開が念頭に置かれていました。

●1105型ダーナ(1994年〜1997年)
1986年、数多の苦難を乗り越え、ようやく1102型タヴリア量産の目処が立ちました。
しかし基本設計から時間が経ちすぎてしまい、既にトレンドからは周回遅れであるのは必定。そこで、次期型タヴリアの開発が始まるのです。

「ダーナ」は、その計画の副産物ともいえるステーションワゴンです。ただ1102型タヴリアを、ステーションワゴンのボディに改造したものではなく、1102型の後継車として、技術的および経済的な指標が改善された車として再設計されました。

その為、ワゴンだけではなく、3ドア、5ドアも同時に開発されていました。


1987年にはモックアップが完成、1988年のモーターショーで走行可能なプロトタイプを展示し、1992年からの生産開始を予定します。プロトタイプはリアゲートがブラックアウトされており、インパネがタヴリア・ノヴァと同形状でした。





フロントフェイスの異なる試作車も検討され、後年に別の形で復活する事になります。



しかし、そのタイミングでソ連が崩壊してしまいます。
何とか予算の都合を付け、ザポロジェッツの替わりに1994年6月から生産しますが、本格的に量産される事なく小ロット生産のみに終わりました。



●1103型スラヴタ(1999年〜2011年)
4ドアセダンもダーナのコンポーネントを流用した兄弟車として同時に開発されており、1992 年〜1993 年までの間に量産開始が検討されていました。


しかし、ソ連崩壊からの一連のドタバタの中で4ドアセダンの開発は凍結されてしまいます。

そのままお蔵入りするかと思いきや、1998年に大宇が支援に乗り出した際、この4ドアセダンを見出し、生産終了していたダーナと悪魔合体!!
一見セダンのように見えてリアゲートを持つ、所謂ダイハツアプローズ方式のスーパーハッチを持った5ドアセダン「スラヴタ」が考案されました。




5ドアセダンというだけに、トランク容量は車体サイズからすれば広大で、通常モードで300リッター、後席のカーゴポジションで740リッターを誇り、実用的なトランクが必要なセダン愛好家や、5ドアのタヴリアを待っているがステーションワゴンは欲しくないユーザーにアピールするモデルという位置付けでした。



フロント廻りはダーナの試作車と同じデザインとされ、ボンネットフード、バンパー、ラジエーターグリルなどがタヴリアとは異なります。


町工場レベルでスラヴタをワゴン化したスラヴタ・ユニバースなんていう変わり種も。


1999年から生産を開始し、使い勝手の良さと価格の安さから、一躍スラヴタは新車販売のリーダーの座を手にしました。

その人気の高さを反映して、2007年にタヴリア・ノヴァがカタログ落ちした後も、2011年1月まで生産が継続されるのでした。(1ヶ月だけ生産の2011年ですら、年間新車販売台数11位!!)

生産期間全体で 141,898台が生産され、そのうち130,000 台がウクライナで販売されました。


●1103-28型ラゴダ(コンセプトカー)
2001年にモスクワで開催されたMIMSオートショーに出品された、次期型スラヴタと目されていたモデルです。




ロシア企業「Avtoselhozmashholding」と共同開発を行い、ロシア連邦のサンクトペテルブルク市にある企業の1つで製造、両国の市場への供給が計画されていました。

ロシアとの共同計画という点から、かつてタヴリア開発時にラーダから提供された試作車「ラゴダ」の名を冠しているのだと思われます。(だとしたら、えらいロマンティック)

ラーダ110から流用したヘッドライト、新造形の前後大型バンパー、インパネなど部品の約30%がロシア製に置き換えられ、2002年からの生産を予定していましたが、資金不足から実現しませんでした。

地味にボンネットの開閉が、衝突時に危険な前ヒンジ式から後ろヒンジ式に変わっていてコストが掛かっています。

●1305/1306型ピックアップ(1993年〜1995年)
1990年にZAZの特装車工場 「STC」(ZAZavtotekhnika)で試作され、1993年から1995年まで、ウクライナとギリシャの合弁会社で少数が生産されました。



450Kgの貨物の積載に耐えうるよう、リアセクションを再設計してセミフレーム構造化、ホイールベースを127 mm延長、リーフスプリング化しています。


荷台部分が別体化されている為、後の量産モデルより架装ベースとしては優秀でした。




●NYSA2477型(2009年)
2009年に突如としてポーランドの商用車メーカーNYSA社が、ZAZから協力を得て、1306型ピックアップをタヴリア・ノヴァ準拠にアップデートして再生産を行いました。



ポーランド以外にイタリアにも輸出されていたようですが、人気が得られなかったため、少数しか生産されませんでした。

●1701型フルゴネット
1305型ピックアップ トラックをベースにフルゴネットタイプのボディを架装したステーションワゴン。



テールライトは1105型ダーナと共通部品になる予定でしたが 、当時はまだ開発段階だったので半分にカットされたタブリアのテールライトが装着されました。


●11055型ピックアップ/フルゴネット(1999年〜2011年)
大宇資本が入った際、生産終了したダーナをベース(型式が同じ1105型の理由)として、ピックアップをラインで大量生産が出来るよう再設計を行い、1999年から生産されました。




パッと見は以前と同じように見えるものの、荷台部分はボディ一体のプレス部品とされ、ホイールベースも3ドアハッチバックと共通、リアサスもトーションビームのまま強化するも、やはり耐荷重はトラック260Kg、バン390kgに減少しています。


フルゴネットボディはFRP製のカバーを荷台に背負う形に改められ、新たにキャブの屋根上のスペースに小さな荷物を置くための棚が設けられています。



下級グレードはタヴリアのフェイス、上級グレードはダーナ後継という役割を持たされ、スラヴタのフェイスになるという作り分けがされています。


国内市場だけでなく、近隣諸国でも売れ行きが好調だった為、こちらも2011年1月まで生産が継続されました。

●110240/110260型3ドアワゴン
3ドアをベースにリアゲートを大型化する事で貨物乗用車に改造したもので、試作車が1988年のモーターショーでダーナと同時に非公開展示されました。




車体重量はベースのハッチバックに比べて33kg増加し、その重量増加の大半を占めるであろう大型リアゲートを支える為、車体側壁後部の両側にゴムで覆われた金属製のストッパーが取り付けられ、走行時の振動のレベルを減らしました


リアウィンド付きの110240型、金属パネルに覆われる110260型の2種類があり、金属パネル仕様にのみ前席と荷室を隔壁で隔てた2人乗り仕様が設定されました。


1992年から生産が始まり、こちらもタブリア・ノヴァに準じた改良を加えながら、2007年まで生産が続きました。

●1109型エレクトロ・タヴリア
1980年代後半から1990 年代前半にかけて開発された電動バージョンが1994年に公開されました。


定格出力17馬力、最高出力34馬力のモーターを搭載し、最高時速90キロ、最大走行距離140 km、高速域でエネルギーを節約するために3 速ギアボックスを備え、郵便車として都市で働くことが期待されました。



その後、スイスやドイツなどの排ガス規制が厳しく触媒の追加だけで規制をクリアできない地域を中心に実際に販売されますが、非常に高価な為に殆ど売れませんでした。


●110250型タルガトップ/カブリオレ(1988年〜1989年)
1988年〜1989年にかけて、特装車工場 「STC」(ZAZavtotekhnika)で、輸出を目的としたカブリオレの試作車3台が製造されました。


ボディの剛性を維持するために、フロントをタルガトップ化したもの、リア側をボタン止めのポリエチレン製の幌としたものの2種類があるようです。

3台の内1台はクラッシュテストで破壊、残った2台はテストの為にウクライナからギリシャに送られた後、現地ディーラーが最近まで保存していました。

現在は1台がウクライナに戻り、もう 1 台はマケドニアのコレクターが所有されているとの事です。(ウクライナの個体はキエフにあるらしいので無事だと良いのですが)



●4ドアハッチバック
元々は3ドアにリアドアを付け足す形で5ドアが開発されましたが、同時に運転席側に1枚、助手席側に2枚のドアを持つ「1+2ドア」の4ドアも試作されました。

5ドアバージョンと比較してボディ剛性が向上し、コストも削減されると評価されますが、より新しい可能性を模索する必要があるとして市販には至りませんでした。

●ZAZ Taxi
もはやタヴリアの面影は何処へやら?

タヴリア開発中に提案された次世代の都市型タクシーのあり方に対する試作車で、プラットフォームはタヴリアのものが使われているようです。、
パワーユニットを右側に配置し、前輪の上に運転席、客室は完全に別体のレイアウトを摂ることで全長を 3.5 m に短縮することが可能になりました。
しかし、いくらなんでも前衛的に過ぎ、運転席をより小型化した2号車が製造されたところでプロジェクトが終了しました。



このように、1車種で多様なニーズに応える必要から、公式/非公式を問わず、メーカーが開発したバリエーションだけも膨大な数になりました。

しかし共産圏の車らしいというか、これだけバリエーションがありながら、市販された物の殆どが実用一辺倒の物ばかり。

ですが、スポーティな仕様が開発されていなかった訳ではありません。次回は、そんなタヴリアのスポーツモデルについての調査結果を報告できればと思います。

2022年08月28日 イイね!

ウクライナの自動車メーカー・ZAZ②/タヴリアのすべて


ウクライナ唯一の自動車メーカー「ZAZ」(ザポリージャ自動車工場)は旧ソ連時代の1960年代から、空冷V4エンジンをRR駆動する小型車「ザポロジェッツ」を製造してきました。

しかし1970年代に入ると、時代遅れのデザインと構造の為、輸出は言うまでもなく、ソ連国内でも未来がないものと思われるようになります。

勿論、ウクライナのエンジニアはザポロジェッツの旧態化に対して、何もせず座視していた訳ではありませんでした。

●新型FF車の開発と計画の頓挫
1968年から、ZAZは社内に研究プロジェクトを立ち上げ、小型のFF車と4WD車の開発を始めます。
ノウハウがない中での独自開発は難しく、プジョー204を範とした、1.1リッターエンジンを搭載する試作車が製作されました。

【エドゥアルド・モルチャノフによるスケッチ】


【1971年以前に製作された「Pierspiektiwa」と呼ばれる試作車】


1973年、当局に対して3台の走行プロトタイプを用いたプレゼンテーションを実施し、小型FF車の開発に支持と同意を得る事に成功します。プロジェクトは国家より正式なものとして認められ、インデックス"1102" が割り当てられます。

【プレゼンテーションに用いられた試作車】



【軽トラ的農民車と位置付けられた4WDモデル(1103型)】


【1973年〜1974年に製作されたザポロジェッツ後継の2ドアセダン】


1975年にプロジェクトは完成を迎え、1978年から2ドアセダン/3ドアHB/4WD車の生産が可能な準備が整います。

【1974年〜1975年頃に完成した試作車】 


しかし自動車産業省は西側のライバル車に較べて全ての点で劣ったものであるとし、徹底的に計画を修正する必要があるとの判断を下しました。

●ラーダの支援と新型試作車
そこで白羽の矢が立ったのが、日本でもニーヴァでお馴染みとなった感のある、ロシア最大の自動車メーカー「VAZ」(ヴォルガ自動車工場)こと、「ラーダ」でした。
ラーダもZAZより少し大型のFF車を開発していた為、一石二鳥であるとして、自動車産業省の主導で1976年4月より支援が始まります。

【その後の開発の始祖となった、ラーダから提供された試作車VAZ-3E1101「ラドガ」】


ラーダからの援助を受け、計画は完全に仕切り直し。1976年発売のフォード・フィエスタに「追いついて追い越す」という目標が新たに設定され、ラドガを参考に機械的に殆どゼロから開発するだけでなく、デザインの近代化も図られました。(4WD車はお蔵入り)
 
【エドゥアルド・モルチャノフによるスケッチ】


【スケッチをもとにしたモックアップ】

特徴的な丸型ライト、ボディ同色の樹脂製バンパーなど、当時流行していたミニマリズムに沿ったスタイリングが特徴的でした。

1978年には、この試作車を発展させたモダンでシンプルなデザインの新しい試作車が完成します。

【レオニード・スミルノフによるイメージスケッチ】


【フロントマスクはボクゾールシェベット(初代ジェミニの英国版)の影響が色濃いもの】


【スケッチを元にしたモックアップモデル】



【3角窓が廃止された、より量産仕様に近い試作車】


【共産党幹部による視察】

当時の世界基準でみても充分にトップクラスを行く性能とデザインに当局も満足し、1981年からの生産が承認されるのは時間の問題かと思われました。
ウクライナの自動車産業がヨーロッパで成功する千載一遇のチャンスがやってきたのです!!

しかし、その行く手を阻むものがいました。
そう、大ソビエトを死に至らしめた病。汚職と腐敗です。

●政治的駆け引きによる量産計画の遅延
ペレストロイカ以前の計画経済の統制下における自動車産業の構造は少し特殊で、年度ごとに中央が計上する予算を各メーカーに分配する仕組みが採られていました。
また、メーカーの稼ぎは自身の懐に入らず国庫に入る為、外貨が稼げる輸出に力が入れられました。

そうした政治的な配慮もあり、かつてラーダが開発していた試作車「ラドガ」の量産仕様「スプートニク」(輸出名サマーラ)の方が輸出市場で「発展性があり有望である」とされ、業界での財務上の優先事項はラーダに与えられる事になります。

【ラーダ・スプートニク(輸出名サマーラ)】


当然ながら、年度毎の予算には限りがあり、同時に2つのプロジェクトの進行は困難な為、本来はZAZに回される筈だった予算がラーダの物にされてしまい、量産計画は頓挫します。

一説によれば、当時の運輸省上層部の大半がラーダOBで構成されており、「ソ連初のFF小型車という栄冠を手にするのはラーダこそが相応しい」と考え、横槍を入れていたのだとか。

そこに設備投資等の問題が噴出し、最終的に党政府から生産の承認が降りるのは、ラーダ・スプートニクが発売された後の1985年にずれ込む事に・・・

その間にも自動車産業省は、フィアット・ウーノやオースチン・メトロなどの新しい外国製ライバルを超えるための要件を、次々と提唱します。その無茶ぶりに挫けることなく、魅力を維持するための涙ぐましいまでの努力が続けられました。

【フロントグリル、ヘッドライト、バンパーをリデザイン】




苦心の末、1986年には生産ラインが稼働し始め、量産試作車6台が完成します。


そのお披露目をかねた全連合大会で新型車の名前を決めるコンテストが行われ、古代ギリシア語でクリミア半島を意味する「タヴリア」が選ばれるのでした。(なんと因果な名前だろう)


●1102型タヴリア(1987年〜1998年)





1987年11月から本格的に生産を開始したタヴリアは、当初の計画よりもかなり遅れて登場したにも関わらず、ザポロジェッツに較べて非常に現代的な車であると強い関心を得ます。

ボディサイズが小さいにもかかわらず、優秀なパッケージングによる室内の広さ、トランク容量の大きさ(250リッター)から賞賛されました。



小型FF車のお手本のようにオーソドックスな、フロント・マクファーソンストラット式 独立懸架、リヤ・トーションビーム式サスペンションというレイアウトを採用しています。



ダイハツのPCDが長らく委託生産していたパブリカ由来の110mmだったように、部品や生産設備をザポロジェッツと共用しているのか、こんなに近代的な外装なのに合わせホイール仕様なのが玉にキズ。(ディスクブレーキ)


最初期の試作車時代からプジョー104に強く影響を受けていた1091cc水冷4気筒OHC・51馬力エンジンは、ザポロジェッツの空冷V4から大幅に進歩しました。


それに伴い、価格も3900ルーブルのザポロジェッツ968M型に対してベースモデルで5100ルーブルと大幅にアップ。ターゲットになる若者には購買能力がなく、逆にこの価格帯の新車を買う余裕のあるユーザーからは、コンパクトで簡素に過ぎると評価は芳しいものではありませんでした。  

また製造開始直後から、構造的な欠陥や製造品質に多数の問題を抱えていました。
ルーフやピラーの接合部からボディに亀裂が広がる、バルブシール不良によるエンジンのオイル食い、電装系、駆動系のトラブルなどが多発、おまけにアフターサービスの質も低いとあって、芳しくない評価は決定的なものとなっていきます。


●マイナーチェンジモデルの開発
そんな市場からの反応を受け、すぐにソレックスキャブの高出力エンジン(通常バージョンの145 km / hから155 km / hに最高速アップ)、カセットデッキを装備、メタリック塗装の上級グレードが追加されました。


さらに1989年のマイナーチェンジ時には、より上級化を目指した時流に即する改良が加えられます。



初期の試作車に似たイメージの新しいラジエーターグリル、異型ヘッドライト(チェコスロバキア製)、ブレーキブースター、4本スポークのステアリング、リアウィンドウの熱線、リアワイパーなどを装備し、価格は5,429 ルーブルに引き上げられました。

同年には、ザポロジェッツから数えて累計300万台の生産を達成します。

ちょうど300万台目に製造されたタヴリアは、工場の若い鋳造労働者であるセルゲイ・アントノフに贈られました。

●タヴリアの輸出仕様
タヴリアも外貨獲得の為、西ヨーロッパおよび東ヨーロッパ、南米の国々に少量が輸出されました。

仕向け地によっては、インポーターの都合でラーダブランドから販売されますが、基本設計の古さからサマーラの影に隠れて販売は奮いません。

そこでフランスのインポーター「Poch」(プーチ・1993年にラーダ・フランスに吸収)は、独自のアップデート仕様「Poch・タヴリアXL」を製作しました。


1991年〜1993年まで販売され、独自のラジエーターグリル、前後エアロスパッツ、専用ホイールキャップで近代化、より高品質な内装材に張替えられています。
当時フランス市場で最も安価な新車 (基本バージョンで35900フラン、XLで38,500フラン) でしたが、わずか1606台が販売されるに留まりました。

●ソ連の崩壊
1991年にソ連は内部分裂を起こして崩壊。
ZAZは名実ともにウクライナの自動車メーカーになったのです。

しかし問題は山積みです。ソ連圏に存在したサプライヤーからは部品の供給が途絶え、必然的に調達はノウハウの無い国内からする破目に。ただでさえ低かった品質なんて、ストップ安状態です。

この期間、特にパワートレーンの製造が困難だったようで、1994年にフィアットから供給を受けたポーランド製OHV・903ccエンジンおよび、ラーダ・サマーラの1289ccエンジンを搭載したモデルが追加されましたが、全く売れませんでした。


売れないのも道理で、ハイパーインフレで麻痺した経済状況下で新車を購入する資金を持ちあわせていないユーザーの多くは、ヨーロッパの西側諸国から流入した価格が安くて品質の良い中古車に流れたのです。

製品を作る事も売る事も出来ずに、ZAZは存続の危機に立たされます。

●1102-16型タヴリア・ノヴァ(1998年〜2007年)
そんな瀕死のZAZに救いの神があらわれました。

1998年、ZAZは韓国のGMグループ企業「大宇」と合併。非公開合資会社「AvtoZAZ-Daewoo」を設立し、財政的支援、技術的支援を受けながら大宇車をノックダウン生産する取り決めが締結されます。

それと同時に、大宇車を生産する準備が出来るまでのピンチヒッターになるべく、タヴリアは信頼性と品質の向上に主眼を置いた「タヴリア・ノヴァ」に近代改修を受けます。





インパネ変更(上級グレードのみ)、電装系の再設計、機関系部品の材質向上、ボディ各部の補強、遮音剤の追加など、改修は300箇所以上に及び、同時に製造品質の向上も図られました。


再びエンジンは自社製一本に戻り、1091ccエンジンを搭載した「ベーシック」、1197ccエンジンを搭載した「スタンダード」、1197ccエンジンと1299ccエンジンを搭載した上級グレードの「Lux」、さらに「Lux」のインジェクション仕様が設定されました。


ほそぼそと輸出も継続され、輸出仕様の「Lux」は、サンルーフ(後付けべバスト製)、アルミホイールを装備し、速度計の目盛がマイル表記だったようです。(画像の個体はインポーター独自のグリルに変更)


そして2007年、ちょうど生産開始から20年という節目のタイミングで波乱に満ちた生涯を送ったタヴリアの生産は終了・・・と、思いきやバリエーション車の生産は、もうちっとだけ続くんじゃ。

次回は、このタヴリアのバリエーションモデルの秘密に迫ってみたいと思います。
Posted at 2022/08/28 20:10:17 | コメント(0) | トラックバック(0) | 魔改造車 | 日記
2022年08月27日 イイね!

ウクライナの自動車メーカー・ZAZ①/ザポロジェッツのすべて

泥沼化した戦況のウクライナ情勢。
マスコミの垂れ流す情報は日本の報道機関にありがちな、TVの向こうの戦争といったスタンスの物ばかり。そこには市井を生きる一人ひとりの生活という視点が欠けているように感じられてなりません。

じゃあ、生活を知るにはどうすれば良いですって?

我々には自動車という共通のアイコンがあるではありませんか!!

〈ウクライナの自動車メーカーZAZ〉

南ウクライナの都市ザポリージャに本拠を置く自動車メーカー「ZAZ」(ザズ=ザポリージャ自動車工場の意味・3A3とも表記)は、旧ソ連時代からトラクターやハーベスターなど農機の製造を行ってきたメーカー「コムナール」にルーツを持つ由緒ある企業です。

1958年11月、「コムナール」はモータリゼーションの高まりに合わせ、マイクロカーを生産する役割を政府から与えられ事業を転換。1961年に「ZAZ」に改称し、ウクライナ唯一の自動車メーカーとしての道を歩みだしました。

●ザポロジェッツ965型(1960年〜1969年)
1956年、自動車・トラクター産業大臣N. I. ストローキンはソ連の大衆車メーカー「モスクビッチ」に、1955年モデルのフィアット600の車体に全輪独立懸架、RR駆動の空冷エンジンを搭載した人民の為の国民車の開発を指示します。

【ベースになったフィアット600】


モスクビッチ444の開発コードが与えられ、フィアットのボディデザインは一新されますが、 パネル分割、 組み立て設計、 組立、溶接技術は継承されました。
公式にフィアットからの技術供与は無かったと言われていますが、何らかの政治的取り引きがあったのは明白かと思われます。(フィアットがソ連大好きマンなのは公然の事実)

【開発初期のデザイン検討モデル】



何度もエンジンの選定をやり直し、水平対向エンジンの搭載が有力と見られましたが、最終的に陸軍が水陸両用車用に開発していた空冷V4エンジンを採用しました(戦前のBMWのリバースエンジニアリングエンジン)
同エンジンを搭載する為に、リアサス周りを再設計した試作車が、1957年9月に製造されました。

【ブリュッセルモーターショーのパンフレットより。650は試作エンジンの排気量?】


【同時期の試作車。おろし金と言われたエアインレット形状が特徴】


【MeMZ 965 V4エンジン】


1959 年、すべての開発作業がZAZに移管され、コードナンバー ''インデックス 965"を受け取ります。量産に向けた構造部品と設計の微調整が行われました。

【ZAZに開発が移管された時期の試作車】



1960年10月1日から正式にザポロジェッツ965型として量産を開始。年末までに約1500台がリリースされます。




ザポロジェッツ965型は、1800ルーブルと比較的安価だったのと経済性に優れた為、褒めてるのだか貶しているのかわからない「せむし」(背中が曲がる病気)の愛称で親しまれ人気を博しました。


1962年11月には、非力なあまりに「戦車のスターター」というジョークが流行したエンジン出力を強化(887ccに排気量UP)し、各部をアップデートした965A型にマイナーチェンジを受けています。


●965AE型ヤルタ(輸出仕様)
965A型から、ドイツ、ベルギー、イギリスなどに輸出も始まり、輸出市場向けに発音と綴りがより簡単な「ヤルタ」(クリミア半島の都市)の名前が付けられました。

ソ連国内仕様には存在しない、メッキモールやラジオ、灰皿をなどの豪華な装備を持つデラックス仕様でした。

●ザポロジェッツ・スポーツ900(1963年〜1969年)
ザポロジェッツ965型をベースに1963年〜1969年の間、レニングラードのNAMI(中央自動車・モーター研究所)とモスクワのMZAK (モスクワ自動車車体工場)が、共同で製作したFRPボディの試作車です。



量産も考えられていたようですが、当局は共産主義らしからぬ流麗なスポーツクーペに理解を示さず、試作車が5〜6台作られるにとどまりました。

●965P型ピックアップ
Bピラー以降をバッサリカット、荷台に作り変えたピックアップトラック。

こちらも正式な量産モデルではなく、工場内での作業用に少数が作られたのみに終わり、市販されませんでした。

●965C型郵便車(1962年〜1963年)
ソ連郵便局に650台が納入された特装車扱いのモデルで、窓を覆って後部座席の代わりにメールボックスを設置、集配がしやすいように右ハンドルに改造されています。



低速走行が多く、エンジンルームに熱が篭もるのを解消するべく、エアインレットがケーニッヒのフェラーリばりのド派手な形状に改造されています。

●LuAZ(ルアズ)-967(1961年〜1975年)
当初より軍事転用が考えられていたザポロジェッツ965型の空冷V4エンジンを搭載した4WDの水陸両用車。


朝鮮戦争時、アメリカのジープの驚異を目にして小型のオフロード車の必要性を認識した陸軍により開発されました。
空輸可能なほど軽量(950kg)で、ほとんどの地形で 400 kg (880 ポンド) の積載が可能でした。

●ザポロジェッツ966型(1966年〜1971年)
1961年には、早くもZAZ独自の設計になる次期モデルの開発が始まり、1963年のモデルチェンジを目指しますが、連合組合は頻繁なモデルチェンジは不適切かつ無駄であると考え、開発は二転三転します。

【初期に描かれたデザインスケッチ】


【1961年に試作された2台のうち1台、プロト1号車】


【別案として考えられていた「共産主義の翼」をイメージしたフロントマスクのプロト2号車】


【プロト1号車のシンプルなデザインに原点回帰したプロト3号車】


ようやく正式に党政府の認証が降り、1966年に新型ザポロジェッツ966型が登場しました(965A型も1969年まで併売)




当時世界的に流行していたシボレーコーベアに影響を受けたコーベアルックのせいで、しばしば他社との類似性を指摘されがち(特に西独NSU社のプリンツはクリソツ)ですが、メカニズム的にはフィアット由来の965型を引き継ぐものでした。

エンジンも従来の空冷V4・887ccの改良型となり、30馬力仕様の966型、40馬力仕様の966V型の2種が設定されました。

965型譲りの低廉な価格、経済性、走破性、構造のシンプルさから強い人気があり、リアのエアインテークを指して「大耳」という愛称で長年愛される事になりました。


●966B型ヤルタ
1967年、966型の輸出仕様をルノーのブリュッセル工場にて組み立てる契約がルノーとの間で締結されました。
翌1968年のブリュッセルモーターショーには、現地生産を前提にルノーR8用956ccエンジンを搭載した「ヤルタ1000」が出品されます。


ところが、この話は1969年には立ち消えになったようで、同年のアムステルダムモーターショーでヤルタ1000は存在を抹消され、かわりに「ZAZ 1200 V4」が発表されるのでした。

結局はウクライナ製に納まったヤルタが、ブルガリア、キューバ、ハンガリー、ユーゴスラビア、フィンランド、東独など多くの国に輸出されました。

●968型(1968年〜1978年)
1968年に追加された、1197cc・シングルキャブ41馬力/ツインキャブ51馬力エンジン搭載車は、従来の887ccの966型と区別する為に、968型と呼ばれました。  



1972年のマイナーチェンジ時に、887ccの966 型はカタログ落ち。同時にプロト2号車のデザインコンセプトだった「共産主義の翼」にアレンジを加えたフロントマスクが新たに採用されます。



●968A型/輸出仕様968AE型(1974年〜1979年)
1973年に発表され、既存の968型と併売された968A型は、40箇所に変更を加えた上級グレードという位置付けでした。


外装は通常の968型とほぼ同一ですが、輸出先のFMVSS(連邦自動車安全基準)要件を満たす為、合わせガラス、シートベルト、衝撃吸収ステアリングコラム、クラッシュパッド付きインパネ、ステアリングロックなどの安全装備を追加。効きが悪いと不評だったブレーキをディスクブレーキ化、メンテナンスフリーのフロントアクスル、上級のラーダ車から流用したフロントシート、アームレストなどを備えていました。



1970 年代初頭に 150,000 台に増加したZAZの年間生産台数は、1977 年には 165,000 台に達し、まさに我が世の春が来た状態。

しかし、70年代後半になると、共産圏らしいグダグダっぷりが目につくようになります。

●968M型(1979年〜1994年)
世界では小型車のFF駆動への大転換が巻き起こる中、1976年に大規模な近代改修を伴ったビッグマイナーチェンジモデルの試作が始まります。当初は1977年の発売を予定するも、計画が遅れて実際に量産が始まったのは1979年末の事でした。

【量産モデルとテールレンズのデザインが異なる試作車】



各部を樹脂パーツに置き換えコストダウン、トランク拡大が目的のフロントパネル変更、エンジンへの空気供給を増加するフラットタイプのエアインテークの採用、リアエンジンフードにルーバー増設、バックランプ内蔵一体テールレンズを採用、フロントスタビライザーなどを新装備してみたところで、いかんせん旧態化は隠せません。




このモデルは、フラットなエアインテーク形状から「石鹸箱」の愛称で呼ばれました。

その後、968M型は開き直ったかのように大まかな改修を受けることなく、1994年6月まで生産が続きます。


●968MP型ピックアップ(1990年〜1992年)
市場ニーズに応える形で、かつての965P型を彷彿とさせるピックアップトラックが、モデル末期の90年代初頭に少数市販されました。(おそらく特装車扱い)



構造上エンジンフードは何も手を加えられず、リアシート部分が荷台になっただけなので実に使い勝手が悪そう。

これらのバリエーションモデルも含め、ザポロジェッツシリーズは1960年から1994年までの間で、計3,422,444 台が製造されました。

皮肉にも、リアル版デスラー総統(無印版)と化したプーチン大統領の愛車は、大学生時代に母親がスポーツくじで当選した景品をプレゼントされた1972年型ザポロジェッツなのだとか。

1度は手放したものの、後に同一個体を買い戻して今でも所有されるなんて、まるっきり車オタクの行動パターンじゃありませんか。(今となっては、そういう面白オジサン的キャラを作っていたのかと邪推せずにはいられない・・・)

そうした事もあってか、2011年に公開されたディズニー映画「カーズ2」では見事、悪役キャラに抜擢されます。

子供向けだと思って侮るなかれ、他の悪役キャラはAMCペーサー&グレムリンやらユーゴ・ザスタバだったりでヤバ過ぎます!!

子供向きと言えば、我が家の子供の絵本もおかしい。

アイエエエエ! ザポロジェッツ965!? ザポロジェッツ965ナンデ!?

●ハンプバック2(モックアップモデルのみ)
ハンプバックとは読んで字の如く、初代ザポロジェッツ965型の愛称であった「せむし」のことです。

ニュービートル、BMWミニなどに代表される、突如として1990年代末〜2000年代初頭にかけて世界中で盛り上がったリバイバルカーブーム。
ZAZも、この世界的な潮流に乗るべく、小型FF車「タヴリア」のプラットフォームに当時提携関係にあった韓国のGMグループ企業「大宇」の1.5リッター級パワートレーンを流用し、伝説の「せむし」の復活を目指します。


2002年にはモックアップモデルが公開されましたが、肝心の大宇が倒産してしまい、財政的な問題から実現はしませんでした。

次回は、「ハンプバック2」のベースになった小型FF車「タヴリア」についての調査結果をご報告できればと思います。(むしろ、そっちが本題)
2022年08月21日 イイね!

フジミのL70ミラ製作記


注:こちらも2017年初稿の加筆修正版になります。


幼い頃を懐かしむようになったらオッサンの証なのかもしれませんが、カーモデル作製の神様みたいな方の素晴らしい作品やブログ(是非『くるまのプラモ製作記』でググってみてください)を拝見している内に、子供の頃に上手に仕上げることの出来なかったプラモ熱が再燃しました。

折しもタイミングを見計らったかのように、中学生くらいまで90年代の八幡解体屋のごとく廃車の山を机に築いたフジミ製のL70ミラが再販!!(2022年8月現在、絶版)


キットの構成は、それまで別々だったTR-XXとエアロ仕様の両方のランナーが入った選択式。特に明言こそされていないものの、エアロ仕様はパスタスポーツ製の「パレンテ・マジョーレ・キット」かと思われます。

このエアロ仕様を再現するのにリアスポイラーの無いリアゲートが必要な為、バリエーションキットの「ヴィヴィアンS」用のパーツもホイール以外、全て揃っており、一粒で二度美味しいならぬ、三度美味しいお買い得なキットです。

そう、私の大好きなTRターボを組めと言わんばかり。

黒バンパー、エアロレスなのにターボというのが実に食指。
この仕様の作例は見たことが無いのもあり、ネタ的にもウマウマです。

グリルはTR-XXバンパーから切り出して、NA用バンパーと合体。バンパー自体も下端の張りだし(アゴの部分)が大き過ぎ、シルエットがTR-XX用と大差なかったのでカタログ片手に削り込み。

抜きの関係か、サイドシルも妙に直接的でエアロパーツに見えるので削って絞り込み、省略されてるパネルラインを追加。

このキット最大の難点、リアゲートの分割ラインは瞬着でガチ埋めした後、ラッカーパテで表面処理。

ゲート開口ラインをホリホリ。ちょっとラインがガタついてるので機会があればリベンジしたいな~

TR-XX用アンテナ基部と一緒に、ルーフのモヒカンモール(ドリップチャンネル)が実車だと凹形状なのに凸形状になっているので削り落とし、ホイールハウスの裏を薄く削って、デザインナイフの背でスジ彫りを深くしたらボディの下ごしらえは完了。次はボディカラーを決めなければ。

すっかり昨今では市民権を得た感のあるピンク系メタリックの元祖とも言える「ロゼ・メタリック」が、デビュー当時のL70ミラにはコンセプトカラーとして用意されていました。(S80アトレーにも設定)

「ロゼメタリックは、女性デザイナーの意見を取り入れた、いわゆる仕掛け色。市場にない色で話題性の提供という意味合いもありました」(当時のダイハツデザイン室・主担当者談)

ところが、その意に反して時代が早すぎたのか市場に理解されず、およそ一年弱であえなく廃止。あぁ、この瞬間が昭和ダイハツだね(笑)

ちなみに珍しさだけなら最初の半年弱しか設定がなかったL55系と同色の「イエロー」(青内装)という変わり種も。


そのどちらに塗るか悩んで資料を漁っていたところ、当時の雑誌に「ロゼメタリック」なTRターボの広報車の姿が!!

良い、実に良い!!
この仕様をイメージして製作することに決定しました。

まぁ流石に初心者がいきなり調色とか出来る訳もなく、類似色のタミヤカラースプレーの「TS57・パールライトレッド」を使って、お茶を濁す訳ですが(苦笑)

モチロン80年代の軽カーでパール塗装とか有り得ませんが、ちょっと色味が濃い割には雰囲気が出ているかと。(太陽光だと以外とソレっぽいの)

どころが、ここまで仕上げたところでアクシデント発生。
件の広報車にはリアワイパー(メーカーOP)が無いことに気がついて泣く泣くリテイク。


そんな訳で途中で他のキットに浮気したり中断を挟みながら、なんとか完成に漕ぎ着けました。

<未来之舞。新型ミラターボ誕生>





昭和60年8月登録のド初期型、グレードはTRターボの5MT、ボディカラーはロゼメタリック、ラジオレス、リアワイパーレスの、ナンバー「品川40 ち 36-32」の広報車を再現しました。


⚫️フロントビュー
やや平板な印象を受けますが、比較的実車のイメージに近いのではないでしょうか?

ヘッドライトレンズをメラニンスポンジで軽く研磨し透明度を落とすと共に、リフレクターに細切れにしたミラーフィニッシュを凸凹に貼ることで、透過率の低いガラスレンズ感を出せたのではないかと自画自賛。
接着剤不要のスナップキットならではのピンも目立たなくなったと思います。(今ならレンズはジャンクパーツ削って自作するかな)

グリルは開口してメッシュを貼れば良かったかも。
金型が傷んでいるのか「MIRA」のモールドが消えかけていたので、あまり綺麗にならなかったのが残念。(デカール自作出来たら良いのですが)

⚫️サイドビュー

実車に較べて少しホイールベースが長いような気も。

バンパーとサイドシルを小型化したお陰で、相対的に車高が上がってファクトリーストック感がマシマシ。

ホイールは広報車の履いている12-BタイプOPアルミの再現が困難な為、12-Aタイプに雰囲気の似ている同社製L600ムーヴ純正を履かせています。

敢えてメッキは剥がさず生かしたまま、半艶クリア塗装でポリッシュ感を出したのがポイントです。

キット付属のドアミラーは、あまりに形状が違い過ぎてリアルじゃないので、アオシマ製AE86のミラーを加工流用しています。

厳密には、広報車の初期型は鏡面可動式ミラーとなり、可倒式ミラーの採用は初回のマイナーチェンジ以降になるのでエラーなんですけど。

当時は保安基準で商用車の荷室ガラスに装着が義務づけられていたガードバーもプラ棒で作製。

キットの塗装指示では忘れられているリアクォーターウィンドの黒い縁取り(黒セラ塗装)を再現したのが密かな拘りです。
(リアゲートのスジ彫りがガタガタ・・・)

塗装前に削ったモヒカンモールは、ハセガワの艶消し黒シートで代用。
広報車と同じ、8月の車検ステッカーはエアロ仕様のデカールに含まれていました。

⚫️リアビュー


汗と涙のリアワイパーレス仕様になります。

「TURBO」のデカールは同シリーズのリーザから流用、初心者が無謀にもデカールのクリアコートにチャレンジしたのは良いけど凸凹ですな。

排気穴の無かったマフラーはピンバイスで開口。少しセンターからズレているのはご愛敬。

⚫️内装
一番気合いが入ってるのがこちら。前期にしか設定のないワイン内装です。

ランナーを削ってステアリングコラムのハザードスイッチを再現、ステアリングのダイハツマークや、チョークノブまで書き込む凝りっぷりに自分でも絶句。(でもメーターパネルがTR-XXのままなのは✘)

シフトレバーも、TRターボはキット付属のTR-XX用と形状が異なる為、ジャンクパーツを組み合わせて自作、フロアと一体化していたサイドブレーキレバーを別体化。

フロントシートのヘッドレスト形状が違うので修正、リアシートのシートバックが、5ナンバーのクオーレ並に背が高いのでカットして背を低くしました。

本当はフロントシートとドアトリムにストライプ模様が入るのですが、自分の技術では綺麗に仕上げるのが難しく、オミットです。清潔感>リアリティ(笑)

⚫️シャシ裏
一体成型の癖に実車に極めて忠実なので、セミグロスブラック一色で仕上げるのは勿体ありませんし、頑張って塗り分けてみました。

ピカピカのボディを裏返すと汚れているという、キャラクターモデル的な表現が面白いかと思い、見様見真似のドライブラシでウェザリング。思い出すは辛く苦しい車検整備の日々・・・


以上、初心者なりに出来る限り頑張ってみのですが如何でしょうか?
まだまだ技術的には稚拙ですけれども、それでも手を動かして自分の思い通りの仕様を作り上げるのは楽しいものですね〜

プロフィール

「エアロを刻んで取り付け穴を樹脂溶着で穴埋めだ〜!!」
何シテル?   10/05 16:10
ほら今日も、まゆげのおじちゃん探してくるよ、シケモク車。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/10 >>

   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 

リンク・クリップ

4駆へ戻る 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/09/20 08:46:01
サビ。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/08/15 23:44:41
グリル交換。 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/02/25 19:19:59

愛車一覧

ダイハツ テリオスキッド デフロック付き車椅子 (ダイハツ テリオスキッド)
本来なら、まだデュエットと末永く付き合うつもりでした。 でも、足を痛めてしまい急遽AT車 ...
ダイハツ エッセ 汚いエッセを見つけたので虐待する事にした (ダイハツ エッセ)
前ファミリーカーだった嫁サマ用L900ムーヴエアロダウンRSが、よそ見運転で突っ込んで ...
スバル インプレッサ スポーツ 新型 LEONE SwingBack (スバル インプレッサ スポーツ)
第二子誕生に伴い、必然的にファミリーカー更新が急務となりました。 高年式(五年落ち以内) ...
トヨタ パッソ 21世紀のダイハツシャレード (トヨタ パッソ)
 1986年のマリリンならぬ、2016年のセーラ・ローウェル。  女の子向けの甘口な車 ...

過去のブログ

2025年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2018年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2017年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2016年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2015年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2012年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2011年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation