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シケイカ★フェンダーミラー将軍・発動篇のブログ一覧

2014年06月29日 イイね!

ローバー・クインテット&ローバー416iのすべて


 1381年、ワット・タイラーの乱でジョン・ボールは言いました。
 「When Adam delved and Eve span, Who was then the gentleman?」
 (アダムが耕し、イヴが紡いだとき、誰がジェントルマンだったのか?)

 少し意味がわかりにくいですか?それでは共産主義者フィルターを通して意訳してみましょう。
 「不労所得階級のジェントルマン=ブルジョワ階級は、我々プロレタリアートの敵だ!!」

 イエス・サー。ジェントルマンといっても一概に立派な人間ばかりとは限らないんですね、わかります。
 むしろ、エゲレス紳士は世界一腹黒いと風評が立つ程度には御立派な訳で。

 そう思えば、あら不思議。こんな手抜き車だって笑って許せてしまうじゃありませんか。


 ━━━英国の伝統と日本の技術が交差するとき、そのふざけた幻想をぶち壊すかのような魔改造が始まります━━━



<ローバー・クインテット>


 予想以上に好調なアクレイムの滑り出しに力を得たBLは、さらにホンダに接近。
 1981年11月には、新型上級車(レジェンド/ローバー800)の共同開発、日本・豪州市場向けBL車を日本でホンダが生産、ヨーロッパ市場向けホンダ車をBLが英国で生産するという新たな契約を交わします。

 さっそく新契約に基づき、オーストラリアのBL現地法人「JRA」(ジャガー・ローバー・オーストラリア)は、販売不振の乗用車ラインナップに拡充を図るべく、ホンダに小型車の供給を要請します。
 まさに困った時の神頼みならぬ、ホンダ頼みの精神なのです。

 そんな図渦しいジェントルマンに対してホンダは、それまでオーストラリア市場で販売しておらず、アクレイム導入時にも一度提示をしていた5ドア車、クイントを日本から輸出することで応じます。


 1982年にBL内の大衆車部門が「オースチン・ローバー」に統合されたのに伴い、ホンダ車としては初めてローバーの名を冠した「ローバー・クインテット」の誕生です。(クインテットは輸出仕様共通名)


 あまりスケジュール的に余裕の無い1983年3月の発売という事もあり、ローバーのエンブレム以外にクイントとの違いは殆どありません。



 国内仕様の最上級グレードTERに準じた単一グレードのみを設定、オプションでサンルーフとエアコンが選択可能でした。(国内でOPのアルミホイールは標準装備)


 エンジンだけはオリジナルと異なり、オーストラリア仕様アコードと同じ、副燃焼室(CVCC)を持たないコンベンショナルタイプの1602cc、80馬力仕様を搭載、ホンダマチックも用意されています。


 ここまで見ての通りの純ホンダ車でありながら、発売当初JRAは「ホンダ製であることにオーストラリアのユーザーは気が付かない」と公言しています。
 この大英帝国的ジャイアニズム丸出しの植民地思想を、わたしも少しは見習わなければ。

  こうしてローバーSD1と並べると雰囲気が似ているので気持ちは分からなくもないのですが、 そんな事を気にしていてはジェントルマンなんてやってらんないのでしょうね、きっと。



<ローバー・416i>


 大ヒットとまではいかないまでも、ローバー・クインテットはそれなりの販売成績を収めたことから、後継車となるクイント・インテグラの5ドア仕様も「ローバー416i」としてオーストラリアで販売される運びとなりました。

 先代モデルとは異なり、ホンダブランドからも3ドア仕様「インテグラ」が販売され、競合を避けるべく両車は全く異なるキャラクターに仕立てられます。

 ローバーは、パワーウィンド・集中ロック・電動ミラー・サンルーフ・ベロアシート・パワーステアリングなどの充実した快適装備を誇る反面、足回りは13インチの70タイヤにリアブレーキはドラムとなる小さな高級車。

 一方のホンダは、エアロパーツ・4輪ディスクブレーキ・14インチの60タイヤなどを備える替わりに快適装備を省いて価格を安く設定し、ローバーよりも若いスポーティなユーザーを狙います。

 それまでの国内仕様のエンブレムを替えただけのお茶濁しを脱却し、ヨーロッパと共通のボディに国内の旦那仕様グレードGSに準じた装備という独自の組み合わせが与えられました。

 国内のGSグレードはキャブレター仕様でしたが、PGM‐FI仕様の1,6リッターZC型・DOHCエンジンを搭載しています。

 こうしてローバー416は、ローバー800がオーストラリアに投入されるまでの市場の維持を命題として1986年2月より販売を開始します。

 ところが、世の中そんなに甘くはありません。
 ●安心と実績(笑)のローバーブランド、●同じ車がホンダでも買える、●でもアコード並に高価、ここから導き出される結論は・・・どうぞお察しください。

 そうなると、当初の小さな高級車という崇高な理念は何処へやら? 翌87年7月のマイナーチェンジと同時に、お買い得なSEグレードを追加でテコ入れです。

 国内最廉価グレードLSと同等の装備にインジェクションのZCツインカム。よもや、これはモデル途中でカタログ落ちした国内の競技ベース的硬派グレードRsiの5ドアバージョンなのでは。(リアブレーキはドラムだけど)

 それとは逆に、従来からの高級仕様は当時のローバーのスポーティ&ラグジュアリー仕様の代名詞である「ヴィテス」の名を冠してより先鋭化。とうとうアコードの価格をブッチしちゃうのです。

 格好は大変よいと思うのですけど、リアスポイラー、オーストラリア製14インチホイールの採用でインテグラとの差別化は怪しい始末。これってどんなブリティッシュジョーク?

 さらに翌88年4月のマイナーチェンジでは、前年の国内仕様の変更に伴いフロントバンパー、内装のデザインが変更された他、ヴィテスにはドアトリムにハンドメイド製作のウォールナットパネルまでもが!!

 またしてもグレートブリテン島の重力に魂を引かれてるんですね、わかります。

 こうしてアレコレ手を尽くすも最後まで販売は低調な結果に終わり、国内で1989年にクイントインテグラの生産終了すると同時にJRAに対するホンダ車の供給は終了、在庫が90年頃まで販売されました。

 JRA自体も負債を重ね、英国からコンチェルト兄弟車の新ローバー400を輸入する計画が持ち上がった直後の1991年末、あえなくオーストラリア市場からの撤退を表明するのでした。
Posted at 2014/06/29 00:37:32 | コメント(4) | トラックバック(0) | ホンダ | 日記
2014年05月26日 イイね!

トライアンフ・アクレイムのすべて



 常に余裕を持って優雅たる、上品で礼儀正しく知的な英国紳士「ジェントルマン」

 そんなジェントルマンの旦那様と、日本が世界に誇る大和撫子の奥様というシチュエーション。
 もしも理想の国際結婚というお題目が出されたら、間違いなく上位にランクインのナイスカップリング(笑)でしょう。

 まぁ現実には、そんな軽~い小説みたいな話、そこらにホイホイ転がってはいないですよね。
 ところが1980年代には、わりとありふれた光景だったんです。但し、自動車の世界限定ですが。


 ━━━英国の伝統と日本の技術が交差するとき、そのふざけた幻想をぶち壊すかのような魔改造が始まります━━━


<トライアンフ・アクレイム>


1970年代のイギリスにおいて、主要自動車メーカーの大部分を傘下に納めていたブリティッシュ・レイランド社(以下BL)は、慢性的に続く経営危機から、販売の主力となるべき1300cc~1800ccクラスの新型車の開発が遅れに遅れていました。

 そこで、急遽ホンダとの間に「開発中の乗用車機種のうちひとつをEC内で生産し、BLブランドで販売する権利を供与する」という契約を1979年12月26日に締結します。

 ホンダ車をノックダウン生産することで、自社製新型車の完成までの間、その場しのぎの埋め合わせにすることにしたのです。(本当はルノーと組みたかったのだとか)

 契約に基づき、ホンダはモックアップ段階のクイントと初代バラードの2車種を提示します。
 結果BLは、将来的に開発中の自社製モデルと競合せず、保守的なトライアンフ銘で旧態化したドロマイトの後継として販売することから、4ドアセダンのバラードに白羽の矢を立てました。

 とっても誰かさんにクリソツなヒゲオヤジは見るに堪えないので、イカシタイヤの刑に処す。

 両社の想定以上に提携事業はスムーズに進行し、調印から僅か1年半後の1981年6月には、ホンダの技術協力によって最新設備が組み込まれたオックスフォードのカウレー工場にて、BL版バラードの生産が開始されます。

 日本車としては初のヨーロッパにおける現地生産であり、全体の70%にあたるボディや内装などを英国で生産、エンジン・ミッションなどのパワートレーンとサスペンションは日本から輸出されたものを組み込むという形が取られました。

 そして迎えた1981年10月7日、提携話が取り沙汰されて以来「バウンティ」というコードネームで呼ばれていたBL版バラードは、称賛を意味する「アクレイム」と名付けられ、全英で正式に発売をスタート!!


 しかしバラードからの変更点は、エンブレム、ドアミラー、サイドフラッシャーなど、コストと時間の都合により僅かに留まりました。



 当初はBLによる独自の外装も計画されており、ヘッドライト、バンパー、グリルを新造し、当時流行していたスラントノーズ化するデザイン案が1981年1月に描かれています。

 この幸薄そうな感じとか、トレディアみたいですね。

 インテリアも、マイルメーターなどの細部を除けばバラードと共通となります。


 唯一、同じBL内のモーリスブランドから販売されていた中型車、「イタル」からフロントシート(元々はフォード・コルチナのシート)を流用することで独自性をアピールするのみ。


 エンジンは、ヨーロッパ仕様のシビックと共通となる、副燃焼室(CVCC)を持たないコンベンショナルタイプの4気筒1,335cc。

 シングルキャブ60馬力のシビックに対し、ツインキャブ70馬力のアクレイム専用エンジンを搭載し、トリオマチックと呼び名を変えたホンダマチックも設定されています。

 全期間を通じて、アクセサリーの違いによるグレード間の差別化が図られました。
 以下は1983年にマイナーチェンジされた後期型のカタログからの抜粋です。ステアリング、シフトノブ、外装ドアハンドル、リア内装ドアハンドル、ヒーターパネル、時計などのデザインが前期型と異なります。

●L(Luxury)/HL(High Line)

 BLの中でも上流に位置するトライアンフだけのことはあり、最廉価版のLグレードでもみすぼらしくはありません。
 HLグレードには、ヘッドレスト付きシート、リモコンミラー、デジタル時計(前期は機械式)が装備されます。

●HLS(High Line Superior)

 HLに追加して、サイドモール、ラジオ付きカセットステレオ、ハロゲンヘッドランプ、ベロア貼りシート、可等式リアシートを装備する最量販グレード。

●CD(Corps Diplomatique)

 前後パワーウィンド、ヘッドランプウォッシャー、シートバックポケット付きシート、メッキバンパー、ホイールリング、 165/70タイヤなどの豪華装備を誇る最上級仕様。

 ところが、本物の高級というものを知っているジェントルマンは、この程度の装備では満足されません。

 そんなこともあろうかと用意されていたのが、コーチビルダー、いわゆるオーダーメイド車加装会社である「Ladbroke Avon Limited」(ラドブローク・エイボン社)製スペシャルモデルの「AVON」(エイボン)です。

 いわばベンツで言うところのAMG、BMWのアルピナにあたるメーカー公認のカスタムカーとして扱われ、カタログモデルにエクストラコストを支払えば、全BLディーラーで購入することができました。

●Avon(エイボン)

 コノリーレザーシート、クルミ材のウッドパネルを筆頭に、レザートップ、ツートンカラー、メッキグリルなど、グレートブリテン島の重力に魂を引かれた、古典的な英国車の世界が広がっています。

 この手のカスタム車としては異例の週に25台の受注を目論んだものの、改造費用が車両価格の3分の1に近くにあたる、1365ポンド(当時の為替で約60万円)と高価であった為に購入層が限られてしまい、すぐさま需要を過大評価していたことが明らかになりました。

●Avon・Turbo(エイボン・ターボ)

 エイボンの販売不振を受けて、全く新しい市場を開拓するべく、スポーティなターボ仕様が1983年に追加されました。

 ギャレット製タービンをボルトオンすることで、105馬力と大幅にパワーアップされていますが、燃料供給はツインキャブのままなので、セッティングは泣きを見そう。


 コテコテのジョンブルだった外装にも大きく手が入れられ、純正オプション品と同形状のフロントエアダム、リアスポイラー、専用サイドデカール、ロナール製アルミホイール、60扁平の205タイヤで武装した、筋肉ムキムキのゲルマン民族風ボーイズレーサーに変身。

 これだけ力をいれておきながらも、少し足せばもう1台アクレイムが買えてしまう2990ポンド(約120万円)もするトチ狂った改造費用がネックとなり、ターボ仕様も少量の生産に留まりました。

 なまじっか出来が良いだけに、その持てる力を調和と協調に使えば、こんな風にネタにされることもなかったんですけどね(笑)

 このエイボン仕様の大失敗とは裏腹に、アクレイム自体は発売開始から4週間で英国国内の販売第5位を記録、好調な滑り出しをみせます。

 当時のEC圏における、「現地生産比率が50%以上であれば、当該国の生産と見なす」という規定もクリアしていることから、日本車が課せられていた輸入規制も適用されず、輸出戦略車として多数の左ハンドル仕様が輸出され人気を博しました。


 日本においても、アクレイムは国際企業間の新しい提携関係の形として大いに注目を集め、それを記念したバラードの特別仕様車も販売されています。


 その声を反映したのか日本車(もどき)にしては珍しく、かの地でミニカーも作られているのが意外でなりません。(コーギー製・36分の1スケール)

 名状しがたいダンボの耳のようなミラーがブサイクですって? そんなこと言ってる人は、オプションカタログを見て、是非ギャフンと言ってくださいまし。


 ダブルミラーは伊達じゃない!!



                       
Posted at 2014/05/26 00:29:19 | コメント(4) | トラックバック(0) | ホンダ | 日記
2014年05月12日 イイね!

インドネシア製スターレットのすべて



 免許を取得して初めて運転した車、いわゆる筆卸しの相手というのは誰しも特別な存在なのではないでしょうか?

 わたしにとっては祖母が所有していたEP82スターレット・ソレイユL(4MT)がそれにあたります。

 次期型P90系へのモデルチェンジを控え、オーダーストップ直前となる平成7年10月に発注されたほぼ最終ロットとなる個体です。(平成18年に廃車)

 今でもときおり夢に出てきたりするあたり、広告コピーの「青春のスターレット」を地で行く、わが青春のアルカディアなのでしょう。


 下から数えたほうが早いような廉価グレードとはいっても、車重700キロ台前半の軽量な車体に、1,3リッターのレギュラーガス仕様としては最強の100馬力を誇る4E-FEの組み合わせは、これまたP70系の広告コピーである「これはもうかっとび」そのものでした。

 この手のコンパクトカーが動力性能の高さを売りにしていたというのだから良い時代です。


 インドネシアでも1985年からEP71型の現地生産が開始され、日本と同じく当時の東南アジア市場では異端ともいえるスポーティなキャラクターを売りにしていました。



 国内仕様の廉価グレードDXと同等の装備を持つ5ドアXLグレードのみの設定でありながらも、外装はスポーツグレードのSiと同等の仕様も用意され、エンジンはヨーロッパ市場などと同じ1リッターの1E型・1カム3バルブエンジンを搭載。OHVエンジンが主流の当時のインドネシア市場としては異例なハイメカニズムの採用です。

 1987年には1,3リッター2E型エンジン搭載車と、タコメーターやモケットシートなどを装備する上級仕様のSEグレードを追加、翌88年には国内仕様のマイナーチェンジに準じた変更を受けています。

 インドネシア市場にかけるトヨタの熱意は凄まじいもので、通常の現地生産であれば国内から2年遅れ程度のタイムラグが発生するところを大体半年~1年後には最新モデルを投入し、現在ではシェア75%という脅威的な数字を叩き出しています。

 もちろん国内で1989年末にEP82型にモデルチェンジされると、インドネシアでも翌90年から生産が切り替えられました。



 EP71型と同じく5ドアのみで廉価なXLと充実装備のSE、そして新たにパワステ・パワーウィンドを標準装備する小さな高級車SEリミテッドの3グレードを設定。国内の色々なグレードの装備をごちゃ混ぜにした間違い探しのようなカオスさに食指が動きます。

 面白いのが機関系で新開発のハイメカツインカム4E-FEを搭載する国内仕様に対し、EP71と同じ1Eならびに2E型エンジンを搭載しています。

 欧州などでは4E-FEの1331ccという中途半端な排気量が、1クラス上の扱いとなる1、4リッタークラスに含まれてしまうが故に同エンジンを搭載していましたが、部品単位で現地生産が義務づけられているインドネシアでは主にコスト的な問題から継続使用されたようです。

 その後も国内に遅れることなく1992年、1994年にマイナーチェンジを受け、SEリミテッドはSE-Gに改名されフォグランプが標準装備されると同時に、後々に重要な伏線となってくる国内ターボ車用のテールレンズでよりスポーティな装いとなります。

<中期型>



<後期型>




 そして迎えた1996年。国内でのP90型へのモデルチェンジにインドネシアも同調するのかと思いきや、継続生産で1,3リッターSE-Gグレードのみにラインアップが絞られて魔改造がスタート。

 はい、長かった前置きは終わり。ここからがお楽しみです。




 5ドアノンターボなのに、ターボルック!!

 
 一応国内仕様にもGTターボと同様の外観を持つNAエンジン搭載グレードのGiが設定されてはいましたが、こちらは3ドアのみの設定のはずです。

 5ドアのターボ風味なんていうのは存在しないという常識を打ち砕く、なんとも強烈なメーカー公式仕様ではありませんか。

 もちろんリア周りも完全にターボ仕様となっており、サイズの違いから無理やりアダプターを噛ませて浮かされたナンバープレートが不憫でなりません。


 フロント廻りは国内後期型のプロジェクター式4灯ライトが諸々の大人の事情から使用できなかった為に国内中期型と同様のものとされております。

 インドネシア仕様専用に新造されたグリルを分割するエンブレムのせいで、何だか最近のトヨタ車のデザインコンセプトであるキーンルックっぽく見えるのは気のせい?

 内装もGT系と共通の革巻き3本スポークステアリングとシフトノブ、穴あきヘッドレストでスポーティさをアピールするも、エンジンは相変わらず2E型のままなのでイマイチ締まりません。


 こうして国内でP90系がフェードアウトする99年ごろまで販売されていたというのだから恐ろしい話ですね~ホント。


 えっ?前回のマツダMR90に較べて魔改造っぷりが物足りないですかそうですか。

     よろしい!!ならば戦争だ


 メーカー謹製の魔改造スターレットといえば、これを置いて他にはあるまい。

 <プロトタイプRAV4>


 車高を上げてブリスターフェンダー化されたスターレットに、AE95スプリンターカリブの4WDシステムと1,6リッター4A-FEエンジンを移植、ハブ廻りはX81系から流用されたのかGTツインターボ用の16インチアルミを履いています。

 とりあえず走れば良いというレベルの走行用プロトタイプなので各部の仕上げは荒いのですが、そこが逆にワイルドだろ?(死語)

 まぁ、東南アジアだったらこんな改造車の一つや二つ、普通に走っていそうな気もするんですが・・・

Posted at 2014/05/12 01:11:00 | コメント(9) | トラックバック(0) | トヨタ | 日記
2014年04月24日 イイね!

マツダMR-90のすべて



 「死んだ筈だよ お富さん」
 ある一定の年代以上の方であれば一度は耳にしたことがあろう、昭和29年に流行語となった大ヒット曲「お富さん」の一節です。

 自動車の世界においても、お富さんのように死んだ筈(生産終了)と思っていたら、生きていた(再生産)といった事例が過去に何度もありました。 もうすぐEVとして蘇るというデロリアン、トヨタのシェンタ、三菱のトッポ、MGのRV8、2輪だとスズキのGSX-R1100カタナといったあたりが有名どころでしょうか?

 そんな中でも、とりわけ再生産が大好きなのがマツダです。

 1986年に生産終了したHB型ルーチェを小型タクシー用に改装して1989年から1995年まで販売していたカスタムキャブ。


 国内ではカペラカーゴとの入れ替えで1988年に生産が終了したLA4型ルーチェバンを中華の地において合併会社の海南汽車が1992年から再生産した海馬HMC6470旅行車。

 この中華ルーチェはトヨタ4Yエンジンに換装されながら21世紀初頭まで生き延びました。 まさに死霊のはらわた。


 そして、その魔の手は遠く離れたインドネシアにも及んでいたのです。

 マツダは60年代に戦時賠償の一環として商用車(Bシリーズ)を輸出したのを皮切りに、1971年には現地生産を開始、1974年の新車の輸入が禁止されて以後は、その時代ごとの最新モデルをインドネシアで生産してきました。


 1985年にはインドネシア庶民の国民車を造るべく長年スズキ車を現地生産していたインドモービルグループと提携、シンプル・堅牢・廉価と三拍子揃ったFA4型ファミリアAPを生産終了から10年経った1990年から再生産します。


 伝説のロードムービー「幸福の黄色いハンカチ」内で、高倉健が倍賞千恵子の貞操を奪いに行くアシとして大活躍した、武田鉄矢の愛車でお馴染みの1台ですね。


 とはいえ、インドネシアでも日本と同時期に一度現地生産されていたうえ、当時の最新モデルであるBG型ファミリアと併売される関係上、幾らなんでも現役時代のまま生産とはいかず徹底的なモダナイズ化が図られました。

 そこで用意された特選素材がこちら、アランドロンのGC型初代FFカペラ。


 この2台が悪魔合体 !!



 高倉健×アランドロン、それとも武田鉄矢×アランドロン? カペラのヘッドライトが付いたファミリアこと「マツダMR-90」の誕生です



 ヘッドライトのインパクトに霞がちではありますが只の手抜きという訳でもなく、グリルとバンパーは新規に部品が起こされ、リア廻りもテールレンズ、ガーニッシュ、バンパーなどをBG型ファミリアのイメージ を取り入れた意匠のものとしています。


 3ドアの設定はなく5ドア仕様のみが生産され、少しでも近代的に見せるためにピラーをブラックアウトした仕様が1991年モデルに追加されました。


 また、オプション用品でフォグランプやアルミホイール(SA22CサバンナRX-7流用品)、リアスポイラーなども用意されていました。


 既に熟成され尽くした感のある機関部分は、最終モデルまで特に変更されることなく、昭和53年にファミリアAPに追加されたUC型1,4リッターが5速MTと組み合わされて搭載されています。


 ダッシュボードは、ファミリアAPのGLグレード以下に用いられていたシンプルな形状のものを採用。ステアリングを後年モデルから流用すると共に、新たにエアコン吹き出し口が設けられています。


 このマツダMR-90は、年間の自動車販売台数が20万台以下に過ぎない当時のインドネシアの市場規模からすれば強気ともいえる月1500台という生産目標を掲げて販売を開始します。

 ところが、いざ蓋を開けてみれば価格の安さからそれなりには売れたものの、こんなしょっぱい車をインドネシアで新車が買えるようなブルジョワ階級が欲しがる筈もなく見事に販売不振に陥ったのでした。


●1992年:マイナーチェンジ



 五家体制時代の本山と同じく記号+数字の名前は不評だったようで、このマイナーチェンジと同時に5ドアは新たに「Baby Boomer」 (ベビーブーマー)を名乗り、フロントグリルには使用が開始されたばかりとなる、ゾロアスター教の「炎」をイメージした最新CIエンブレムが掲げられ反撃の狼煙をあげるのです。


 若者向けというキャラクターづけが色濃くなり、バックドアにはBF・BG型ファミリアターボ風のセンタースポイラーとリアワイパーを装備、フロントバンパーに冷却用開口部を増設してリアバンパーはエアロ風味の形状に変更されるなど、スポーティーさが強調されるようになりました。


 さらに販売不振に対するテコ入れに、ベビーブーマーの上級仕様として新たなバリエーションモデル「 Vantrend 」(ヴァントレンド)が追加されます。

 国内では初代FFファミリアの発売以後も継続生産されていたハイルーフバン(輸出仕様ワゴン)にトノカバーやラゲッジネットなどを追加して最新ライバルに対抗しました。

 ベビーブーマーとの差別化の為に採用された角目4灯ヘッドライトも、何処かで見た事があるような?


 はい、またしてもGC型初代FFカペラ用、しかも北米仕様(国内仕様のクーペ前期ターボも同一)です。「良いものだけを世界から」byヤナセ

 角目4灯の採用により場所を奪われたウィンカーレンズはバンパーとフェンダー部分に増設されています。こちらもGCカペラ純正品・・・それに伴いフロントバンパーは新造され、グリルのデザインもベビーブーマーとは異なります。

 リア廻りはフロントほど変更点はなく、せいぜいバンパーとエンブレムがオリジナルと異なる程度でした。


 ベビーブーマー、ヴァントレンド共にダッシュボード上半分は新形状のものとなり、デジタル時計を組み込めるスペースが生まれています。

 ヴァントレンドのみBFファミリア用の3本スポークステアリングが奢られ、パワーウィンドも設定されました。


●1994年:マイナーチェンジ



 大家族社会のインドネシアのユーザーニーズに合致した、人も荷物も載せられるヴァントレンドの追加により販売は持ち直しを見せます。
 しかし、その影に隠れる形でベビーブーマーの販売は震わず、このマイナーチェンジと同時に生産が打ちきられてしまいました。(但し在庫が多数あったようで販売は継続)

 その一方で好評を博していたヴァントレンドは再びバンパー形状の変更を受けています。

 この仕様が最終モデルとなり、マツダとインドモーターとの提携が解消される1997年まで生産されました。


 以上がメーカー純正の仕様となりますが、東南アジアのお約束ともいうべき怪しい街工場製カスタムボディの存在も忘れてはなりますまい。

 お隣のタイでは1997年頃まで、1967年にデビューした2代目ファミリアのピックアップ(マツダM1400)が生産されていましたが、3代目ファミリアのピックアップなんていうのは如何?

 街工場と言っても大型バスのボディをガラスまで自前でハンドメイドしてしまうレベルがゴロゴロしているだけのことはあり、荷台の仕上げなどのレベルはメーカー製と較べても見劣りしないレベルです。


 もっと凄いのはこちら、日産ADマックスから後ろの箱を流用したフルゴネット仕様です。


 答えは得ました、これが東洋の神秘というものだったのですね(笑)

 いやはや東南アジアの方々のバイタリティーには本当に頭が下がる思いで胸がいっぱいです。
Posted at 2014/04/24 03:03:09 | コメント(9) | トラックバック(0) | マツダ | 日記
2013年12月19日 イイね!

裕隆・飛羚(ユーロン・フェイリン)のすべて



 いつの間にやら今年も終わっていた東京モーターショー。

 その43回、約60年に及ぶ歴史の中で、たったの2回だけ台湾の自動車メーカーからの出品がありました。

 それは、第27回目となる1987年と第28回目の1989年のことでした。

 ニッサン車のライセンス生産をおこなっていた「裕隆」(ユーロン)社が、日本への輸出を前提として1800ccクラスのFF乗用車、「飛羚101」(フェイリン)を参考出品したのです。


 元々、台湾は大変な輸出立国で外貨があり余っているお金持ちです。
 ところが80年代半ばまでは他のアジアNICS(現NIES)同様、乗用車の完成輸入車が禁止されており、古くから現地資本と海外資本の提携によるライセンス生産が盛んな地でした。

 今でこそ裕隆の新ブランドとして、完全自国開発メーカー「ラクスジェン」が生まれていますが、その先駆けとなった初のホームメイドカーが「飛羚101」なのです。

 1981年8月、裕隆は自主開発の為のエンジニアリングセンター(工程中心)を開設。当時の台湾で本格的な技術研究所を保有しているのは裕隆のみでした。

 日産のライセンス生産からの自立と同時に、裕隆が独自に開発した車種を持ちたいという意欲の表れであり、エンジニアリングセンターは、以下の3点を実現するために設立されました。

・裕隆ブランドの新型車を開発し、台湾市場はもちろん国際市場にも供給することを目標とすること。
・金型、治具、ゲージなどを独自に設計・製作し、量産にそなえること。
・新型車を開発するために裕隆への部品供給メーカーの設計能力と生産の質を高めること。


 スタイリングから設計・開発まで自力でやりとげた台湾唯一の純国産車は、裕隆だけではなく台湾全土の誇り・台湾のための車を念頭にコードネームX101と呼ばれ開発、5年後の1986年10月25日に発売となります。

 “飛ぶカモシカ”を意味する「飛羚」という名称は、1985年におこなわれた車名の一般公募の結果集まった34120通の中から選ばれた主婦の入選作でした。

 自己開発とはいっても、ボディの一部やエンジン、駆動系などは、台湾で元々ノックダウン生産されていたT11スタンザのものが流用されています。


 世界各地のあらゆるモーターショーで収集された膨大な情報が検討され、トランクリッドをもつノッチバックとクーペと呼ばれるファストバックの2つのボディタイプが用意されました。

 ファストバックは当時世界トップレベルのCD値0,29を記録、ノッチバックですらCD値0,33という意欲的な空力デザインです。


 空力デバイスとして、整流効果のあるフェアリング付きのエアロミラー、ダクト付きリアスポイラーなどを装備。これにはアルシオーネも真っ青です。


 パッと見だと普通のセダンに見えるノッチバック。

 ところが、こちらもトランクリッドを開けるとルーフ後端まで大きく開いちゃう5ドアなんです。

 2つのボディタイプがありながらも、両方ともに5ドアハッチとか、もはや狂気の沙汰としか思えません。 おそらく本家ニッサンのライセンス生産車、青鳥(ブルーバード)と競合しないようにするという政治的な配慮あっての事なのでしょう。

 当時の台湾でバカ浮けしたという、「飛羚」と漢字で大書されているリアガーニッシュも、ある意味では狂気の沙汰。

 なんせ夜になると、カリーナEDばりに光るんです!!

 とってもシュール(笑)……場末のスナックの看板みたいです。

 光りモノといえば、テクノ感を通り越して超古代文明の遺物みたいなデザインのデジパネも。おもむろに“ターンAターン”って叫び声をあげたくなるシドミード感が酷い。

 本国でもデジパネ装着車は超レアで、そんなのあったの?的な黒歴史扱いなのだとか。

 このデジパネに代表されるように、インパネのデザインは宇宙船感覚がモチーフとなっています。

 よく当時のシトロエンも宇宙船みたいな内装と言われていますが、そんなのヌルい、ヌルい。
 同じ宇宙船でも「飛羚101」は、まるっきり特撮メカのノリなんですもの。


 ほら、最上級グレードに標準装備のオーバーヘッドコンソールなんて特に。


 エンジンは、1,6リッターのCA16型・88馬力と青鳥(ブルーバード)用の1809cc・CA18型を台湾の税制に合致するように1796ccに設計変更したCA18N型・97馬力を搭載。両エンジン共にキャブレター仕様のみの設定でした。


 サスペンションもT11由来の前後ストラットです。しかしセッティングは裕隆独自のもので、欧州に持ち込まれての走行テストも実施されています。


 そんな「飛羚101」には、ノッチバック・3グレード、ファストバック・2グレードが設定されていました。

・ノッチバック1,6リッター・DX

 飛羚101のエントリーモデルにして、唯一の1,6リッターエンジン搭載車、ミッションは4MTのみ。日本と同じく、この手の廉価モデルの宿命で販売台数が極めて少ないレアグレード。

 装備は至ってシンプルなものとなり、ハーフキャップ付き鉄ホイール、タコメーターレス、ビニールレザーのシート表皮など快適装備の類いが一切なく、豪華な1、8リッターとの激しいギャップが萌え要素。

・ノッチバック1,8リッターSD/ファストバックFB

 1,6DXに少し予算を足せば購入できた中間グレード。5MT車のみの設定となります。

 ツートンカラー(バンパーは無塗装)、ピラーブラックアウト、フルホイールキャップ、タコメーター、フルファブリック・スポーツシートなどを装備したスポーティ仕様。

・ノッチバック1,8リッターGTS /ファストバックGTF

 意外なことに販売台数が1番多かった最上級グレード。
 メカニズム的にはSD/FBと同じながら、エアコン、パワステ、パワーウィンド&集中ロック、ボディ同色電動ミラー、オートアンテナ、アルミホイール、ドライブコンピュータ、クルーズコントロール、オーバーヘッドコンソール、6ウェイアジャスタブルシート、クラリオン製マルチチャンネルオーディオなどの豪華装備を誇ります。

 このグレードにのみ設定される3AT車は、GTS AUTO / GTF AUTOと呼ばれます。
 
 「飛羚101」型は、1986年~1988年の間に16,653台が販売されました。
 その数だけを見れば少なく感じるかもしれませんが、1986年当時の台湾の年間新車台数は15万台程度なので、これは大ヒットといえるレベルでしょう。


●1989年:飛羚102[YLN-201]


 初のマイナーチェンジで「飛羚102」型に進化。
 従来モデルのアクが強すぎるフロントグリル、テールランプ、アルミホイールはシンプルなデザインに変更されました。



 ボンネット上のダクトも、ジェミニイルムシャーを彷彿とさせるNASAダクト形状になっています。


 基本的なメカニズムに変更はありませんが品質が大幅にアップし、同時にGTグレードの価格が引き下げられます。

 それに伴い存在意義を失ったDX、SD/FBグレードは廃止。1,6リッター車に従来のSDと同等の装備となるSLグレードが新設されましたが、販売不振で結局1年しか生産されませんでした。
 

 GTグレードのみの設定となったファストバックは「SF」と呼ばれるようになりました。日産系なのにトヨタっぽい、しかも時期的には170コロナのデビュー直後のことです。


 GTグレードのブレーキは4輪ディスク化、グリルには「4WDisc」というステッカーが貼られています。


 マフラーも、GTの名に相応しいデュアルタイプに変更。まぁ見た目だけで性能面では従来型から変わりないんですけど。


 ようやく102型からは、当初の計画にあるよう輸出も開始されました。アメリカではポルシェのディーラーが販売権を取得しましたが、世界的なドル高の影響を受けてあえなく頓挫。
 
 結局は、オランダとロシアに少数が輸出されるに留まりました。しかし、ラーダ・サマラVS飛羚とか誰得?

 どっちを買っても家庭崩壊の引き金になりそう(笑)

 台湾本国においても「飛羚102」型の販売は、マイナートラブルが続発した101型の不評により、89年から95年までの間に6,925台しか販売されないという残念な結果となりました。


●1993年:精兵1.8i[YLN-601]


 ビッグマイナーチェンジで近代化が謀られると同時に、名前を「精兵」(アレックス)601に改名。
 ファストバックは廃止されてノッチバックのみとなり、エンジンも1,8リッターのみとなります。

 メーカーの威信をかけて開発→マイナートラブルで不評→販売不振という負のコンボを断ち切る為にマイナーチェンジで改名。こんなセダン風5ドア車が日本にもありましたね。

 フロントパネルは全面的に変更され、まさかのリトラクタブルライト化。

 世界的に見ても、コレの他に5ドアのリトラ車なんて、クイント・インテグラとファミリア・アスティナくらいしか存在しないのでは?

 一瞬U12ブルーバード用かと思ってしまったテールレンズもご愛嬌。よく見ればブレーキとウィンカーの位置が上下逆…従来型では強度に問題のあったDピラーが強化されて太くなっています。


 ダッシュボードも上半分のパーツが新造され、U12ブルーバード風味。でも何だか普通すぎて、もの足りない気も。

 しかも下半分の部品は細部を除いて従来型のままで、バランスを欠いており質感が低く見えちゃいます。ステアリングなんかも、B13サニーの流用品で、寄せ集め感が半端ない。

 でもエンジンは、遂にインジェクション仕様となってパワーアップです。


 しかし、そうして無理やり若作りをしてみたところで旧態化は免れられず、1995年の生産終了までに「精兵601」は、4298台が販売されただけでした。


 ━━さて、そこで肝心の日本への輸入計画について話を戻すとしましょう。

 1986年5月1日付けの日経新聞に、こんな見出しの記事が掲載されたのが、全ての発端でした。

     「日産、台湾・裕隆から現地生産車を逆輸入」

 その記事曰く、「日産は、台湾・裕隆製の1800cc級乗用車(飛羚)を、87年にも日本に輸入する方針を固めた~中略~当面は年間数百台規模とみられるが、為替動向や台湾の生産性、品質が一段と向上し、競争力が高まれば、輸入台数を増やしていく」とのこと。

 ところが日産が輸入するというのは、真っ赤なガセネタ。
 本当のところは日産が輸入するのではなく、飛羚を販売することを希望する業者に日産が協力するという話でしかなく、その一環としての東京モーターショー出展でした。

 そこに、ルノーの輸入を手がけていたキャピタル企業が手を上げます。
 しかし現実に輸入するには、日本に陸揚げしてからの安全対策や排ガス対策などの改造費が予想外にかかって割高な価格となる為に、この話は計画だけに終わってしまいました。

  はい、これが世に言う、結婚詐欺というヤツですか、そうですか。
Posted at 2013/12/19 01:22:46 | コメント(11) | トラックバック(0) | ニッサン | 日記

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