ビバ!!路上生活。
 記念すべき新年は路上で迎えました。
 富士山嶺の竜宮城で乙姫さまとの楽しい宴にうつつを抜かし、下界に舞い戻れば既にカボチャの馬車は出発した後。
 ひょっとしたら私は玉手箱を開けてしまったのかもしれません。
 ――――まぁ、そこまでは日常茶飯事。よくある季節の風物詩。
 しかし、いつもと違って大変だったのが、そうまでして行ってきた関東です。
 いえ、別に疲れて大変だったわけじゃありません。
 初っ端からE90系前期にしか設定されていないレアな茶金ツートンに遭遇してみたり……宇宙はタイヘンなのです。
 
 珍しいボディカラーといえば、先ごろ中古車バザールに金色の前期TX(実質的な民生用廉価グレード)が出ましたが、そのインパクトには及びもつきません。
 
 まぁ、インパクトという点だけでいえば、毎度おなじみの台湾仕様も酷いものなんですけど。
 例えば、この最終型92年モデル。
 
 
 新意匠のトヨタエンブレムに5マイルバンパー、サイドマーカー、レッドテールを装備。
 あれっ!? US仕様にそっくり?
 
 まさか天下の大トヨタ様が手を抜くなんて、そんなことあるわけが……ありました。
 
 
 マイルメーターまでUS仕様そのまま。このやる気の無さは一体?
 種明かしをすると、当時のトヨタは台湾市場に対してとっても消極的で、ヨーロッパやUS向けの仕様車をそのまま輸入販売していたんです。(今はどーだか知りませんが)
 でも、それでは流石にマズイと思ったんでしょうかね。台湾専用のグレードが特別に用意されていました。
 その名も「APEX」(アペックス)

 はい、そうです(笑)
 TE71後期~AE101までのレビン、トレノでお馴染みの「先端;頂点」を意味するグレード名がセダンにも付けられていました。
 なんだか黒いボディカラーにリアスポ付きでは、関東地区限定車のセダンGTブラック205を連想してしまったりも。
 
 実にスポーツセダンっぽい、です。そのものではありません。それらしき別の何かです。
 元になったUS仕様に設定されていた4A-GE(92年モデルには設定なし)なんて望むべくもなく、他の台湾仕様と同じハイメカツインカムの4A-FE搭載という見かけ倒しっぷりです。
 しかも、ハイメカツインカム車だとボディステッカーが普通は「16VALVE EFI」表記となるのが通例なのに、台湾仕様はおこがましくもスポーツツインカム車と同じ「TWINCAM16」と大書されている始末ですし。
 そのうえ、国内トヨタ車ではゴージャス版をあらわす「G」の称号が、よりにもよってベーシックグレードの「DX」と組み合わされた「DX-G」なる頓珍漢な仕様まで生み出される始末……ツッコミだせばキリがありません。

 いっそ訴えてやりましょうか。ベーシック=基礎より起訴?とっても素敵ですね。
……
…………
……………やっぱり意義ありですか?
 でも、南アフリカ仕様を知ってしまった後では仕方のないことだと自己弁護を試みます。
 南アフリカにおいて、E90カローラは4種類のバリエーションが現地生産されていました。
 普通のカローラセダン、カローラFX5ドアのコンクエスト、コンクエストのパネルバン仕様のキャリー、そしてECやオセアニア仕様と同じカローラセダンにFXの顔が付いたスポーティ仕様を、カローラ・スプリンターとして販売していました。
 特にスポーツ仕様のスプリンター180iは、他の仕向地にはないサイドスカートまで備える独自形状のフルエアロと、レザー貼りのスポーツシートを備えた本物のスポーツセダンです。
 

 南アフリカ仕様も初期のスポーツタイプのエンジンは4A‐GEでしたが、93年からは180の名前のとおりトルクフルな1800㏄の7A-FEエンジンを搭載しています。
 
 ちなみに、これと同じ仕様はFX5ドアのコンクエストにも設定されていました。
 
 このコンクエストは、セダンボディが97年に100系を飛ばして、いきなり110系にモデルチェンジした後も廉価版のコンクエスト・タズ(キャリー)として生産が継続され続けます。
 

 1800ccはカタログ落ちして、1300(2E)と1600(4A)のラインナップのみに絞り込まれました。
 トヨタのエントリーカーとして、同じクラスのVW初代ゴルフ(シティゴルフ)と21世紀になっても販売合戦を繰り広げる定番車種として確固たる地位を築いていた為の処置でした。 
 そして2000年10月には、前後バンパー、ボンネット、ヘッドライト形状が一新されるマイナーチェンジを受け、コンクエストの名前が外れてサブネームのタズが正式な車名に。
 

 海外仕様の110系後期と共通のイメージで構成されたデザインは、わざとゴテゴテさせることで以前とは違うというのを強烈にアピールしにくるアジアあたりのセンスとは雲泥の差です。
 新たにエアバックも装備されるようになりました。当時最新形状の3本スポークステアリングが妙にスポーティでシュール。
 
 そうそう。当時の最新アイテムといえば、初代ヴィッツがピンク旋風を巻き起こしたペールローズ・メタリックオパールを年甲斐もなく身に纏ってみたりもしてるんです。

 幾つになっても女の子は乙女なものなんですよ。
 とはいえ、いくら若作りしたところで2005年頃になると辱めな過去の出来事として押し流されてしまうわけですが。

 うら若き韓国製の現代アトス、起亜ピカントなどの新世代コンパクトカーの南アフリカ市場への上陸に伴い、旧態化したタズやシティゴルフは太刀打ちできず、気持ちが良いほどスムーズに衰退していきました。
 そんな世知辛いご時世なので、2007年には後継車として初代オーリスが現地生産される事になり、タズは20年近くに及ぶ歴史に幕を下ろすのでした。
 しかし、いくらワールドワイドなスケールの大きさを誇るカローラといえど、こんな大河ドラマ的スケールで同一型式を長期に渡り製造することになるなんて、開発当時のトヨタの中の人も考えてはいなかったでしょうね。
 しぶとすぎます。諦めが。人生観的にも。
 ――まさに、神のみぞ知るセカイなのです