2008年04月13日
※自分は今こう考えている、というものであり、
これが正しいとは限りませんので御了承ください。
練習について、5W1Hのうち何時/何処で/誰が/何を/何故に関して考えてみました。残るは「どの様に」となりますが、まずはメンタルの側面から考えてみたいと思います。
練習を行う際は、練習に集中して行うことが良いと書きました。これは、単純には以下の効果を得る事が出来るからです。
・理解を深める
・強く記憶する
練習には先に述べたような行う理由があります。学ぶにせよ精度を上げるにせよ、出来ない事/分からない領域への挑戦であり、言うなれば未知との遭遇なのです。それがどの様な物なのかをより正確に把握する事で、未知は既知へと変わっていきます。この際、より深く理解する為にも操作と結果に意識を集中させる事で、より効果的な練習を行う事が可能となります。
練習の目的の一つは慣れる事です。意識して行う事でその時の事はより強く鮮明に記憶され、それを幾重にも重ねていく事で慣れていき、ゆくゆくは条件反射で行えるようにもなっていきます。
練習に集中する際の注意事項ももちろんあります。
・特定の事に集中しすぎない事
・新たな発見を行えるように心がける事
一つの事に集中しすぎるのも決して良くはありません。極端な例では、ハンドル操作に集中していて前走車が減速した事に気が付かないのは大変危険です。
出来るようになる為の練習の際は、もちろんその操作に集中すべきです。その際には、他の事柄に極力気を払う必要が無いような状況で行うのが最良です。その操作に徐々に慣れてきたら、それに合わせて意識を徐々に運転に切り替えていく事により、その操作をより自然に行えるようになっていく事が可能です。巧く表現する事は出来ないのですが、操作に集中する事と運転に集中する事は似て非なる事と考えてます。操作に集中する事とは、極端に言うとハンドル操作やアクセルワークに集中するという事です。それに対して運転に集中する事とは、より広い視野や感覚にて些細な車の挙動や路面状況の変化も掴める状態と言えるでしょう。
また、練習を行うという事は、同時に運転しているという事であり、従って新たな事を見つける機会でもあり得ます。練習を行いながら何かに気がつく事が出来れば、これほど効率の良い事はないでしょう。先にも述べたように注意を払っていないと流してしまう事が多くありえます。その為にも、一つの操作に集中するのではなく、運転に集中する事で新たな事に気がつく機会を得る事が出来ます。
これは同時に、他の事をおろそかにしてはいけないという事にもつながります。練習する事自体が習慣化した場合は、練習する事で満足してしまう事があります。練習を行う事への慢心・惰性・油断が生まれると、練習をする事が目的と勘違いしてしまう事がある為です。
これは、裏を返すと現状の常態化している物事へも、慢心・惰性・油断は禁物と言う事でもあります。
意外なのは、練習をひたすら行って疲れてヘトヘトになった時に初めて分かる場合があるという事です。単に疲れてヘトヘトになっている時ではダメで、集中した練習で疲れた時だけこういう事があります。なぜこういう事があるかは分かりませんが、こういう時に分かったことは後々まで役に立つことが多いです。
さすがに2回しか経験したことはありませんが・・・おそらくは運転に集中して疲れ果て、自然に無駄のない操作を行っていたのではないかと考えてます。
最後になりますが、「今日はここまでかな?」と思った時がその日のやめ時だと思います。意識してか無意識かは分かりませんが、そう思った要因がそこには必ずあります。そういう時に継続して何かがあった場合、「あ~、あの時やめておけば良かった」と後悔するのは自明の理です。運転での後悔は得てして事故につながる事が多く、何らかの経済的/肉体的ダメージを伴ってしまいます。
これはネガティブシンキングである事を認識した上で、「後悔先に立たず、後悔後を絶たず」を減らす為にも、このような時には冷静に状況を確認する事をお薦めします。
もちろん、後から「あの時」と思うような事柄にその時に気が付けれるのであれば、それに超した事はありません。
Posted at 2008/04/13 15:09:02 | |
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運転について | 日記
2008年04月06日
※自分は今こう考えている、というものであり、
これが正しいとは限りませんので御了承ください。
練習について考える中で、練習を大きく二つに分けました。
・学んだことを身につける為に、学んだ時に行う練習。
・身に付いていることを精度/正確性を上げる為に、必要となった時に行う練習。
では、何を学べば良いのか、または何の精度を向上させればよいのでしょうか?
これは、以下の理由により一概にいう事が出来ません。
・運転する目的/状況により異なる
単純には、AT限定の人はクラッチ操作の正確性やシフトチェンジの早さが必要に
なる事はありません。(代わりに必要となる事はもちろんあります)
また、運転を何故するのか、という理由により必要な事柄は異なります。
・何を身につけているかで異なる
単純には、身につけていない事は精度を上げる事は出来ません。
また、先に述べたとおり、前提となるテクニック/スキルが
身に付いている必要があります。
・常に変化する
例えば人を乗せる事が多くなった事で、乗り心地の良い穏やかな運転が
必要となる事があります。また、一つの精度が上がる事により、
付随して他の精度を上げる必要があります。
この際に重要な事は、その「何を」を得る事が出来るか否かです。
単純には、以下のいずれかであろうと考えられます。
・他の人から指摘を受ける
・他の人から教わる
・自ら見つける
これらの内、指摘を受ける/教わるのは機会があるか否かの問題であり、手間暇を惜しまずに能動的に行動する事で機会を得られるので割愛します。
何らかの機会を得る事が出来ればよいのですが、いつもいつも得られる物ではありません。機会を得られても必要としているタイミングでなければ、やはり機会を逸する事になっていまいます。また、教わっている限りは出藍の誉れを得る事はありません。全てを身につけている人から全てを教わる場合でも、相並び立つに留まります。
そこで必要となるのは、「自ら得るべき事を見つける」という事です。これは、「得るべき事を見つけられるか」という事であり、得てして「気が付けるか否か」と同義語です。つまり、身近な所や何気ない所にある得るべき事に、注意を払えるか流してしまうかという点になります。
例としては芳しくないかもしれませんが、例えば以下のようになります。
1)フロントタイヤを交換/ローテーションする
2)フロントタイヤの山が減ってきて、アンダーが発生し始める
この場合、発生したアンダーの原因をどの様に判断し対応するかにより、その後が異なってきます。
・タイヤが終わった、と判断してタイヤを交換する事で対処する
・アンダーへの対応力が弱い、と判断して対応力を向上させる
この場合、もちろん安全面を考えると前者を選択するのが適切です。しかし、技術の向上を目指すのであれば少なくとも後者を検討し、場合によっては選択する場合もあります。
少なくとも後者を選択しない限り、山が減ったタイヤでアンダーが発生しうる状況であった場合に、
・アンダーが発生しても通常通りに運転できる
・アンダーを発生させない運転
といった事を身につける事はいつまでも出来ない事になってしまいます。
何かを見つけられる機会は、この例のように状況の変化(タイヤが減った)が発生した際に得やすいです。より積極的に探すのであれば、自ら状況の変化を作り出す事で機会をより増やす事が可能です。
例えば
・シートポジションをいつもより若干変更する
・一定速度をキープして運転する
・前走車との車間距離を一定に保って運転する
・未舗装路を走る(極低速で構わない)
・日頃とは異なるメンバーと走る
等の、ちょっとしたきっかけでも得るべき事を見つける事は可能です。
同様な考え方で、
・グリップ力の低いタイヤに換える
・取り付けたパーツを外してみる
・アクセルやブレーキ。ハンドルの量を減らしてみる
というように、試行錯誤してみるのも一つの手法です。
尚、この際は見つけた事/気がついた事や感想を忘れない為にも、文書等の形で残しておく事をお薦めします。
Posted at 2008/04/06 14:58:12 | |
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運転について | 日記
2008年03月30日
※自分は今こう考えている、というものであり、
これが正しいとは限りませんので御了承ください。
前回残った、「必要となった時に行う練習」を考えてみます。
<必要となった時に行う練習>
次の事を学ぶ際に、または何かを身につけた事で今より高い精度が必要となる事があり、その際に行う練習の事です。
単純な例では
1)コーナーリング速度が向上
2)脱出速度が向上
3)ストレートスピードが向上
4)よりシビアな=より精度の高いブレーキングが必要
という感じで、精度向上が必要となる事になるのです。
精度が高い操作とは、より早く/より正確に行う事です。
「より早く」とは、操作の早さを向上させる事で、例えばブレーキやハンドルをより早く操作できるようになる事と判断≒決断の早さを指しています。
「より正確に」とは、操作の正確性と判断の正確性を指しています。
速さの面からブレーキングを例に見てみると、
・操作は、減速時にブレーキングポイントの1m手前でブレーキを
操作していたのを50cm/10cmと近づけて行く事
・判断は、このブレーキングポイントをより限界点に近づける事
となりますが、燃費の面からアクセルを例に見てみると、
・操作は、アクセルを開ける量をより必要最低限に減らす事
・判断は、アクセルを開ける時間量をより必要最低限に減らす事
となります。この「より」は、理想または限界の100%に対して98%⇒99%⇒99.9%⇒99.99%と、果てしなく続きます。
この例では1)⇒4)まで間があって調整が出来る為、4)が出来なくとも1)2)3)には影響が無いようにも見えます。しかしながら、その状態ではストレート前のコーナーでは1)を行えても、連続S字区間では最終コーナーでしか1)が行えない事になります。
また、一つ目のコーナーに進入する際によりシビアなブレーキングを行う事で、1)2)3)をより向上させる事が可能となりますが、その場合は荷重移動とハンドル操作に、より正確性が必要となってきます。このように一つの事を身につける事で、または一つの事の精度が上がる事で、より高い精度が複数の事に必要となる事が多々あります。
より巧い運転を行う為には、あらゆる操作をより早く/より正確に行う練習が必要となり、同時にこのより高い精度での運転に慣れる必要もあります。
尚、この例の連続S字区間で、出口一つ前でインについて最終コーナーの立ち上がりを良くする等はまた別の話で、コース攻略の組み立てに類する物となります。
練習についてまとめてみると、学んだ時に行い、必要となった時にも行います。
従って、
1)学ぶ
2)身につける
3)使う/行う
4)精度/正確性/速度を向上させる
5)1or2or3へ戻る
のサイクルが派生しながら無限に続くといえます。
これが、先が長い/先が無いと感じる所以です。
Posted at 2008/03/30 16:02:31 | |
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運転について | 日記
2008年03月23日
※自分は今こう考えている、というものであり、
これが正しいとは限りませんので御了承ください。
前回は、練習を大きく二つに分けました。
・学んだことを身につける為に、学んだ時に行う練習
・身に付いている事の精度/正確性を上げる為に、必要となった時に行う練習
今回は、それぞれについてその必要性/重要性と目標を考えてみます。
<学んだ時に行う練習>
目的が運転である以上、学んだことが出来なければ意味がありません。学ぶ事が目的であれば必要ありませんが、通常は学んだ事を使うのが目的であり、その為には、慣れる事が必要です。これには二つの理由があります。
得てして、学んだ事が次に学ぶ事の元となる事が多いです。簡単に言うと、学んだ事を使って次の事を学ぶ、という事です。これは次に学ぶ事は先に学んだ事を使う必要がある為であり、次の事を学ぶ際に先に学んだ事を何とか行えるような状態では、次の事を学ぶゆとりがありません。
その為、次の事を学ぶには先に学んだ事を普通に行えるようになっている必要があります。長い目で見た時には、次の事を学ぶ為に先の事を学んだとも言える事でしょう。
もう一つの理由は、スキルを伴っていないととっさの時に使えない為です。先に触れましたが、テクニックを必要な時に使用する判断力がスキルです。
必要な時があらかじめ分かる場合は良いのですが、必要な時は得てしてとっさにやってきます。
その際に正しい選択をして条件反射で行えるようになっていないと、
・無理して行い、成功しない、または充分に行えない
・そもそも選択肢に含まれず、行えない
のいずれかになってしまいます。
特に一つ目は事故を誘発する事にもなってしまう為、危険が伴ってしまいます。その為、身につけたテクニックを有効に使えるスキルを養う必要があるのです。
別の機会にも書きましたが、「普通に出来ること」を増やしていくことが最も重要です。この「普通に出来る事」とは、自然に/条件反射的に出来る事を指しています。
よく「引き出しを増やす」とも表現します
さて、どの様に出来るようになると「普通に出来る」と言えるのでしょうか?
日本語として考えると、「普通に出来る」を形容すればよいので、例えば「歩くが如く」「空気を吸うが如く」となります。
では、どの様にすれば歩くが如く普通に出来るようになるのでしょうか?
これはひたすら数をこなして慣れるしかないと思います。
例えば、赤ちゃんにとって歩くことは非常に困難で、緊張しながら非常に気を付けて行っていることでしょう。
見てるとそう思うのですが、違いますか?何せを覚えていませんので・・・
その、いつかは初めてであった「歩く」ということも、年齢と共に数をこなしていき、健常人であれば何ら意識せずに自然に行っていることでしょう。
数をこなして慣れる、というのはこういう事だと思います。
余談ですが、同じようなことを言っている慣用句/格言は多々あります。
習慣は自然の如し/習うより慣れろ/継続は力なり/涓滴岩を穿つ etc...
今回は運転の側面から考えてみましたが、意外と万物に共通する事ではないかと思ってます
話が若干それましたが、学んだことを身につけて慣れ、自然に行えるようになるまでスキルを養う事が必要なのです。
長くなりましたので、続きは次回という事で。
Posted at 2008/03/23 22:02:52 | |
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運転について | 日記
2008年03月16日
自分は運転に関する才能があるわけではなく、天才でもありません。従って、練習を重ねて一つ一つの事を身につけていく必要があります。そこで、巧い運転を身につける際にはどの様に練習を行う必要があるかを考えてみました。
※自分は今こう考えている、というものであり、
これが正しいとは限りませんので御了承ください。
そもそも、「練習」とは何でしょう?
単純に5W1Hを考えてみます。
Who:誰が
本題は運転ですので、運転する人つまり自分です。
What:何を
練習すべき内容は、まず学ぶ事が必要です。
学んだことを身につけるところから練習が始まります。
既に身につけている事も練習の対象となります。
Why:どうして
まず一つは、学んだことをしっかりと身につける為。
もう一つは、精度/正確性/速度を向上させる為。
練習を行う理由ですので、方法を選択する要因となります。
How:どのように
メンタル面と方法論の二つの側面があります。
メンタル面では、練習に集中して行うことで、より効率的な練習を
行うことが出来ます。逆に心配事や気がかりなことがある状態では
練習に身が入らないどころか、危険ですらあることがあります。
方法論は、なぜその練習が必要なのかという目的によりは変化します。
Where:どこで
表現が以外と難しいのですが、「あらかじめ定められた道」という意味で、
コースです。可能であれば走り慣れたコースにて行うことで、
より練習に意識を集中させる事ができます。
When:いつ
まず一つは、新しいことを学んだ時。
もう一つは、練習が必要な時。
これは身に付いている事が対象となった時で、
「必要な時」の判断が難しく、かつこちらの方がより重要と考えられます。
これらを簡単にまとめると、練習とは大きく分けると以下の2種類になります。
・学んだことを身につける為に、学んだ時に行う練習。
・身に付いていることを精度/正確性を上げる為に、必要となった時に行う練習。
長くなりそうなのでこのへんでやめておきます。
次の機会には、2種類の練習に関する必要性/重要性を考えることにします。
Posted at 2008/03/16 17:28:16 | |
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運転について | 日記