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家村浩明のブログ一覧

2016年10月14日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.23 セドリック430

【 70's J-car selection 】vol.23 セドリック430セドリック5代目 430(1979)

この「430セドリック」は、「4ドア・ピラーレス・ハードトップ」というボディ形状を拡販に結びつけた高級車として、日本クルマ史に記憶されている。また5代目として、セドリックの歴史で中興のスマッシュヒット作でもある。

セドリックの場合、おもしろいことだが、基本的には“VIP向けの高級車”でありながら、ヒット作になるかどうかは、その「VIP色」の濃淡とサジ加減がけっこう微妙である様子。……というのは、セドリックらしく(?)豪華絢爛にVIP向けとして、また金ぴか&オヤジ風を強調すると、どうもマーケット的にはハズシがち。一方で、かなりヤング・アット・ハートに、もっといえば、ガキっぽさ寸前といった感じにデザインやイメージをまとめると、これが意外に好評を博す。こうしたことの繰り返しなのだ。

下世話には、セドリックを買った年配のカスタマーが周囲から「お若いですねえ!」といわれそうなモデルの場合はヒットし、そうでない“ダンナ仕様”では販売が伸び悩む。このようにまとめることができるのかもしれない。つまり、ことほどさように、オカネモチの中年男は「若い!」という言葉に敏感らしいのである。

そのあたりの“機微”を知ってか知らずか、ニッサンはこの「430」には、「速さ」がウリのスカイラインよりも先に、日本の市販乗用車として初めてターボチャージャーを装着したモデルがラインナップに加えられた。「4ドア・ピラーレス・ハードトップ」の提案だけでなく、「ターボ」もまた、この「430」の新しさだったのだ。

そして後年、セドリックの“ヤング・アット・ハート路線”は、1980年代末から1990年代に「Y31セドリック+グランツーリスモ」~「初代シーマ」という二つのモデルで、もう一度、豪快にサクセスすることになる。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/10/14 11:49:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年10月13日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.22 セリカXX

【 70's J-car selection 】vol.22 セリカXXセリカXX2600 MA46(1978)

1970年代初頭に発表されたスペシャルティカーのセリカは、その後トヨタ車の中で、デザインやメカニズムの新提案を市販車として行なうという役割を果たしながら、モータースポーツ方面ではトヨタのWRC参戦機種のベース車となるなど、順調に成長していった。

そして、以上が日本やヨーロッパにおけるセリカのポジションだったとすれば、アメリカでも、このクルマは着実に人気を獲得。その結果、セリカに対するニーズが多様(多国籍化)になってきたというのが、1970年代後半の実状だった。

そこからトヨタは、ミドル・スポーティのセリカ“本体”は時代に合わせてFF化(さらにラリー用には4WD化)を図る一方、アメリカ市場からのモア・パワー、モア・エキサイティング!……といった要請に応えるかたちで、セリカの巧みな「分化」を行なう。

そんな流れとなっていた1978年、駆動方式はそのままFRのアッパー・セリカとして「XX」が誕生した。搭載エンジンは直列6気筒のM型、そして本革シートもオプションで装着可能など、基本的にアメリカを向いたスポーツ志向の新機種だった。そして、その「XX」は米国でもヒット。アメリカでは(成人向きを意味する)「XX」は使えなかったが、それを契機に生まれた「スープラ」という新しい車名とともに、“米国セリカ”は本格的なスポーツ車として発展していく。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/10/13 05:14:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年10月11日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.21 プレリュード

【 70's J-car selection 】vol.21 プレリュードプレリュード SN(1978)

1970年代にホンダが送り出したシビックやアコード。これらは「ファミリー・カー」としては異様に“スポーティ”だったともいえるが、しかし、ジャンルとしてはあくまでも乗用車系。かつて「S」シリーズを作ったホンダはどうしている?……という声が聞こえた──というかメディア側が騒ぎ始めた(?)1970年代の後半。ついにホンダからスペシャルティ・クーペが登場した。

その車名が「前奏曲」という意味だったために、いったいこれは何の“前触れ”なのか。この後に、どんな“ホンモノ”が登場してくるのかといった期待で、一部メディアはさらにヒートアップしたが、その通りにこれ以後、インテグラ、バラード・スポーツCR-X、さらにはNSXと、1980年代のホンダは「スポーツ路線」を拓いていく。

プレリュードのこの初代は、エンジンはパワフルではなかったが「足」や挙動を楽しむといった“まとめ”のクルマだった。しかし、その室内の「狭さ」は、クーペといえどもちょっと許容範囲外であり、このモデルは不発に終わる。ただし二代目以降、少なくとも前席においてその種の不満は解消され、さらに「2+2」のシート構成を逆手にとった「デート・カー」という巧みなアピールも功を奏して、スペシャリティ・カーとしては異例の(二代続けての)ヒット作となった。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/10/11 22:28:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年10月10日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.20 サバンナGT

【 70's J-car selection 】vol.20 サバンナGTサバンナGT S124A(1972)

1970年代の日本ツーリングカー・レース史上に「連勝記録」を刻んだスカイラインGT-Rだったが、もちろん、ライバルはいた。その最強のコンテンダーは、軽量にして強力なロータリー・パワー。ストリートで、そしてサーキットで、ロータリー搭載車はスカイラインに果敢に挑んだ。そのロータリー軍団を代表するモデル、それがサバンナだった。

サバンナは、こうした実績と歴史から“ロータリー・スポーツ・スペシャルティ”といったイメージがあるが、デビュー当初は、エンジンこそロータリーだけだったものの、クーペ・ボディ以外にもセダン・バージョンがそのラインナップにあった。そして、このセダン・ボディのレシプロエンジン版が、グランド・ファミリアという名で売られていたというのは、もはや記憶の彼方か。

そして、高性能車としてのサバンナの名を不動のものにしたのが、1972年に登場したこの「GT」である。これは、搭載するロータリーエンジンを、それまで上級車用であった「12A」に換装したモデルで、つまり、小さなガタイに一回り大きなパワーユニットを組み合わせるという手法のスポーツ車だった。そのパフォーマンスは、120psのパワーで、ゼロヨンは16.0秒、最高速は190㎞/h。これは掛け値なしに当時の最高レベルで、ちなみに、GC10“ハコスカ”GT-RのS20ユニットは160ps、最高時速200㎞/hというデータが発表されていた。そして、GT-Rのゼロヨンのタイムは16.1秒だった。

これでわかるように、このサバンナGTは、性能的にはGT-Rに勝るとも劣らず、そしてコンパクトさとパワーウェイトレシオを生かして、こと運動性においては、スカイラインGT-Rすら凌いでいたと見ることができる。

また注目すべきは、当時の排ガス規制で、他の高性能車が撤退を余儀なくされた中で、このロータリー・サバンナはしたたかにサバイバルした。「GT-AP」として、AP=アンチ・ポルーション(低公害)仕様に脱皮し、排ガス規制とオイルショックに見舞われた1970年代“クルマ冬の時代”を、スポーティな高性能車として生きつづけた。こうした実績があって、70年代後半の1978年には、今度はセダンと共用などではない「純スポーツカー」としてのサバンナ(RX-7)が華やかにデビューできた。こうした歴史にもつながっていく。

○フォトは1971年デビューの基準車。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/10/10 11:41:28 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
2016年10月07日 イイね!

【 70's J-car selection 】vol.19 スカイラインGT-R(1973)

【 70's J-car selection 】vol.19 スカイラインGT-R(1973)スカイラインGT-R KPGC110(1973)

1973年から74年にかけて、わが国は「オイル・ショック」に見舞われた(第一次)。中東から輸入される石油が不足し、それによってトイレットペーパーが手に入りにくくなる? そんな怪情報も流れて人々が買い占めに奔走し、スーパーマーケットの棚から品物が消えるといった現象も起きた。

そしてその「ショック」は、ハードウェアとしてのクルマ、とりわけ高性能車に深刻な影響をもたらした。……《走り》を楽しむ? この非常時に、クルマでそんなことをしていていいのか? そうした何とはない社会的な要請が、速くてスポーティなクルマを直撃したのだ。1960年代の後半からツーリングカーのレースで常勝を誇った「C10」スカイライン、その高性能仕様である「GT-R」も例外ではなかった。

その新型、「C110」型のスカイラインは、1972年にデビューした。この時に、クルマの中身について何も説明していない、その意味で画期的かつ歴史的な広告コピーだった「ケンとメリーのスカイライン」と、リヤのフェンダー部分に“サーフィン・ライン”をあしらった新型のデザイン・ワークは、ともに好評であり、新スカイラインは一躍人気モデルとなる。

そして、およそ一年後。予定通りに、スカイラインのフラッグシップ・モデルで、かつ最強のレーシング・ギア(の原型)になるであろう「GT-R」がラインナップに加わった時に、石油危機は起こった。いまは、高性能車にうつつを抜かしている時期ではないという自粛ムードの中で、たとえばシビックの「RS」は「ロード・セイリング」と“改名”し、エンジンもキャブレター・チューンだけに留めて、おとなしく棲息していくことを選ぶ。

しかし、ニッサンの考え方は少し違っていたようだ。国を挙げての“自粛ムード”と時を同じくして、実は排ガス規制も始まっていたのだが、デチューンされていたとはいえ、初代に続いて純レーシング・エンジンを搭載する「GT-R」が、そんな世の中で、本来の「Rらしさ」を発揮することはむずかしい……。

いくつかの理由が重なっていたのだろうが、ともかくニッサンはこの時、「GT-R」を“廃盤”にするという選択をした。「C110のGT-R」は本格的に生産されることなく、200台に満たない台数を作っただけで、市場から消えた。その幕引きはあまりにも早く、新GT-Rはサーキットに登場する時間もなかった。そして、極端に少なかったその生産台数によって、新GT-Rは「幻」のままに、プレミアム感だけが付いてゆく。

……ただ、どうなのだろう? ここから先は「歴史のif」になってしまうが、仮にオイル・ショックがなく、この「C110のGT-R」が順調に生産されたとして、前代の「C10のGT-R」ほどの人気を獲得することができたかどうか? 

後年のR32とR33との「GT-R比較」にも似て、「C110のGT-R」はグラマラスで“豊かな”クルマであった。「レーシー」に作るのか、グランツーリスモの要素を強めてまとめるのか。GT-Rとは何か、GT-Rをどう作るかという問題は、こうして既に1970年代にもあったのだ。

(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/10/07 12:37:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 00年代こんなコラムを | 日記
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「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
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